6話「潜入、ウルカト城」
あっという間に三日が経過した。
気力を失っていたユウトは約束の日に近づくたびに元気を取り戻していった。約束の日の朝なんかは、祭りのようなテンションでランニングをしたほどだ。
そして今日、約束の日の深夜。日付けが変わり、パレードから四日間の時が過ぎたことになる。
ユウトはまず指定された宿に出向きランスロットと合流。ベランダから上手いこと昇って建物の屋根の上に移動した。
ランスロットとユウトは目立たない服装の上に黒い装束で身を包んでいる。
そんな二人が見据えるのは王都の最奥に存在するウルカト城だ。それは夜の闇の中でも大きな存在感を放っていた。
「さて、時間になったし作戦を始めようじゃないかい。時にユウト、魔法は得意な方かい?」
「まさかだけど、魔法が使えない場合は計画頓挫になっちゃう?」
異世界人であるユウトは当然魔法なんて高度なものは使えない。
そもそも魔法自体、リーチェの放ったものしか見たことがないのだ。それだって状況が状況だったからきちんと見れていないし……。
「そんなことはないよ。ユウトの世間知らずさはもう把握してるつもりだからね。もういちいち驚いたりしないしよ」
「……なんか申し訳ない」
ランスロットには愚痴を聞いて貰ったり情報を貰ったり、挙げ句の果てには無償で城への潜入を手伝ってもらっていたりする。
感謝してもしきれないのに、ユウトは何も返せないのを恥ずかしく思っていた。
「なら、こういうのは初めてだろうね。ちょっとこっちに来るんだ」
ランスロットに手招きされて近付いていく。被っていたフードを外される。
「よっと」
軽い掛け声と共にユウトはランスロットに持ち上げられる。……しかもお姫様抱っこで。
「……流石に女性にこうされるのはプライドが傷つくというか、情けなくなるんだけど」
しかもそれだけでなく、嫌でも目の前に大きな胸が映る。というか当たってる。凄く柔らかい。嬉しいけど、何か違う。
「お気持ち察するよ。でもこの体勢じゃないと危ないんでね。ここは観念して大人しく私の胸に熱い視線を注いでるんだ」
ニヤリとランスロットが笑う。ユウトは渋々諦めて、言われた通り爆乳を見つめることにした。
「最後に、ユウトは生身で空を飛んだことはあるかい?」
「出来ることなら飛んでみたいところだけど」
「ほう。なら願いが今日叶うね」
「……どういうことだ?」
ランスロットは意地悪な笑みを見せるだけで詳細は語らなかった。
魔法の扱いから始まり、途中にお姫様抱っこを挟んで最後に飛行の確認ときた。これらが示すこととは一体何だろう。
「ユウト、両手で口を塞ぐんだ。何があっても絶対に放すんじゃないよ」
疑問に思いながらも言われた通りにする。ただでさえ手伝ってもらっているというのに、これ以上迷惑は掛けられない。
ランスロットが黙ったのでどうしたのかと思い、彼女を見上げる。
目を瞑って何か小さく呟いていた。どうやら集中しているようだが……。
その時、穏やかな風がユウトの頬を撫でた。
屋上だからある程度風は吹いていた。しかし、今のはこれまでの風向きと全く別の場所から来たものだ。
すぐにまた風が吹いた。これは最初の風とも二回目の風とも別方向からきたものだ。それに風力も今までより強い。
不規則な風の出現に違和感を覚える。その直後、またまた新たな風が出現する。
まさかと思い、周囲を見渡す。
ランスロットの周りを取り囲むように風が湧き上がっていた。
「これは魔法か?」
口を押さえながらモゴモゴと訊ねる。
「正解だよ。風魔法だ」
なるほど、と納得する。
魔法によって生み出された魔法はまるで上昇気流のように上へ上へと駆け抜けていく。
次なる疑問は、何故風魔法を発動させたかだ。
ランスロットは王城の一点を見つめている。王城はここからでもはっきり見えるが、距離だけなら直線にして百メートル以上は離れている。
目的地にたどり着くためにはまだまだ移動が必要だ。屋根伝いに建物を移動するというのは、屋上に昇った時点で思いついていた。
しかし王城方面の建物の屋根までは地上に通路が間にあるため、数メートルの距離が開いている。生身の状態で飛び越えるのは不可能だ。
でも、もしランスロットが屋根を経由して城に近づこうとしているのなら、この風魔法を発動させた意味は……。
「それじゃあ――行くよ、ユウト」
答えに辿りついた瞬間、強風が襲ってきた。
直後、ユウトとランスロットは上空に飛び出していた。
「――――っ!」
恐らく口を塞いでいてもいなくても関係なかっただろう。ユウトは声にならない悲鳴を上げていたのだから。
放物線を描いて二人は隣の建物の屋根に近づいていく。
しかし充分な距離を飛ぶには相当な初速が必要だ。故に飛行速度は尋常じゃないほど速い。
全身に吹き付ける風は、もはや殴りつけられているような感触だ。
このまま着地するとなると二人とも無事ではいられない。
しかし着地する寸前、速度を和らげるように真反対から風が吹き上がる。その風がクッションとなって、ランスロットは何事もなかったのように着地する。
「初めての生身の飛行はどうだった?」
ランスロットは楽しげに腕の中に納まったユウトに訊ねてくる。
ユウトは未だに落ち着かない心臓とあらぶった呼吸を落ち着かせようと試みる。少しの間を開けてようやく平静を取り戻していく。
チラリと王城のほうを見る。あそこまではまだまだ遠い。それまでの移動手段は恐らく風魔法を利用した跳躍を続けるだろう。
「刺激的な夜になりそうだと思ったよ」
「私も同感だ」
言うと、ランスロットは再び隣の建物に向かって跳躍を開始したのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ある程度城に近づくと地面に降り立った。理由を問うと、何でも城の敷地内から周辺にかけては魔法を感知する結界魔法が張られているらしく、それに引っかかると警備兵が飛んでくるとのこと。
ランスロットについてゆくとやがて城壁の傍までやって来る。勿論正面突破するなんてことはなく、城の裏側の城壁近くへと周りこむ。
「さあて、第二関門だ」
ランスロットが見上げるのは十メートル近い高さを誇る白い城壁だ。
「第二の質問だよ。ユウトは身体能力に優れてる方かい?」
「可もなく不可もなくといったところだ」
「ぼちぼちだね」
ランスロットはカラカラと笑う。
次に行おうとしていることはわざわざ質問して聞くまでもなかった。
城壁に移動したところで複数の人間がいた。彼らはフードを被っていて顔ははっきり見えなかったが、ランスロットが到着すると道具を手渡したり、警備の状況を話していたことから仲間なのだということが分かった。
ユウトも彼らに道具を渡されていた。それは細いが頑強なロープだ。ランスロット曰く、魔法で性能を強化したものらしい。
ランスロットが彼らから手渡されたのは鉤爪のようなフックが先端についた縄だ。かなり長く、十メートル近くあるという。
十メートル。それは目の前にそびえたつ城壁とほぼ同じ長さである。これが意味する事はつまり、
「それじゃ、ユウト、壁を登るよ」
こういうことだ。
フックを城壁のてっぺんに引っ掛けて、縄を伝って上る。古典的な泥棒でもやらないだろう手段だ。
「他の者は前に指示したとおりに動くことだ。急がないとばれてしまう。作戦開始だ」
ユウトは渡されたロープをランスロットと接続し、固く結ばれたことを確認する。
もしユウトが耐え切れずに落ちた場合、ランスロットが支えることになる。つまり命綱だ。
「ちょっと待ってくれ。俺が落ちた場合、ランスロットは支えきれるのか? かなりの負荷がかかると思うんだけど」
「その場合は魔法で軽減するしかないだろうね。万が一私も一緒に落っこちた時は、この場に一人待機させてあるからそいつの魔法で受け止めてもらう」
「魔法を使ったら見つかるんじゃなかったか?」
「ああ、そうだよ。つまりユウトが落ちたら作戦は失敗ってことだ」
この十メートルの壁を垂直で登らない限り、アリゼと邂逅することは不可能ということだ。
城壁を見上げる。横にしたら短いのに、高さとなると十メートルは巨大となる。
自分は果たして登れるだろうか。特殊な訓練は受けたことがない。
「でも、この先にはアリゼがいる……」
拳をグッと握り締める。
絶好のシチュエーションじゃないか。お姫様に会うために様々な障害に立ち向かう主人公。なんともドラマチックだ。
ここは信じてみよう。火事場の馬鹿力ってやつを。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「はあ……はあ……」
「お疲れさん」
城壁を登りきるとランスロットが優しい声音で背中をさすってくれる。
重力に逆らって十メートル進むというのはやはり辛かった。頭の方に血が上り、手の力はどんどん失われていく。それでもここまでこれたのは、一度限りの挑戦ということが心を奮い立たせたからだろう。
「ランスロットこそありがとな」
実はユウトはあと僅かという所で力尽きてしまったのである。しかし先に上りきっていたランスロットが力だけでユウトを支え、引っ張りあげてくれた。
……本当に感謝してもしきれない。
「お礼はいらないよ。それに雑談してる暇があったらすぐに動いた方が良い」
分かっている。分かっているが、体力が……。
「今から今後の説明をする。その間に体力を出来る限り回復させるんだ」
「分かった」
言われた傍から深呼吸を開始する。新鮮な空気をたっぷり肺に送って体を癒す。
「まず、私達の現在地はここだ」
ランスロットが見せて来たのは城の敷地を真上から描いた地図だった。丁度入り口に当たる正面の反対側にいる。
「次に目指すのは中央にある王宮じゃない。王宮を出て右奥に存在する建物があるだろう? ここは王宮より小さな宮殿だ。本来ならここにはいないらしいが、部下達の集めた情報が確かなら療養中のアリゼ様はここにいらっしゃるそうだ。賊に備えて今日はここで寝てるという説もあるがね」
ここでランスロットが笑ったのはその賊こそ、今のユウト達のことを指しているからだろう。
「城壁を降りたら一直線に向かう。それまでは絶対に止まらずに走り続けるんだ。ここから先は運と体力勝負だ」
釈然としない顔を送るとランスロットは下を指差す。
「今はジッとしてるから問題ないが、城壁の上で移動でもしたら見つかってしまう。だから下に降りるしかない。しかし、この高さだ。飛び降りたらただじゃ済まない。けど魔法は感知される。とはいっても降りる手段は魔法しかないんだ。そもそも敷地内には侵入者が入ってきたら作動する結界が張ってある。ならどうするかということだけど、地面に降りたら捕まる前に宮殿に侵入する。それしかないだろう」
何とも雑な作戦だ。運と体力勝負と言った理由が良く分かる。
「……今なら引き返すことも出来るよ?」
危ない橋を渡らずに平和に過ごしたいならこれが最後のチャンスだ。ユウトの直感が告げる。
「ここまで来たんだ。のこのこ帰ってられるかよ」
ここで後姿を見せて、異世界でつつましく生きていく選択肢もあっただろう。でもそうしたらアリゼのことを引きずったまま過ごすことになる。
ただでさえ後悔まみれの人生を送ってきた。新しい生活のチャンスを与えられたというのに、また後悔で自分を塗りつぶしたくはなかった。
「どうせやるならド派手に行こうぜ。これが俺のモットーだ」
見つめるのは宮殿があるであろう方向。そこにいるはずのアリゼの姿を思い馳せる。
「どうやら杞憂だったようだね。よし、部下達もそろそろ動く頃だ。行こう」
ランスロットはユウトを抱きかかえると地面に向かって躊躇なく飛び降りた。落下の衝撃を魔法による風のクッションで受け止める。
地面に降り立つと同時に入り口のほうから騒がしい音がした。
「私の部下達も時間稼ぎを始めたようだ。丁度良いタイミングだ。彼らの働きに応えるためにも行くよ」
ランスロットが駆け出す。ユウトも彼女の後についていく。
敷地内では困惑に満ちた声が様々な所から上がっていた。「何事だ!?」「侵入者だ!」「どこだ!?」と。
ランスロットの部下達もまた敷地に侵入したらしく、一斉に現れた侵入者達に撹乱されているのだ。お陰で二人はすいすい進む。時々ユウト達の前に二、三人の兵が現れるのだが、
「どきな!」
の一言と共に放つ魔法で蹴散らしていく。
「ランスロットって魔法が得意?」
「こんなの準備運動にもならないさ」
と余裕の態度を見せていた。
そうして宮殿の前まで快進撃を続けていた二人だが、そこで限界が訪れる。
宮殿の前には遠征部隊に入らなかった近衛兵の二人が進行を阻み、更に、
「いたぞ! こっちだ!」
と後ろからも警備兵に囲まれる。
「流石にこれは一筋縄ではいきそうにないね……」
ランスロットは緊張感のある声で呟いた。
「ここは私が時間を稼ぐ。ユウトは隙を見て中に突入しな」
こっそり近づいてきたランスロットが耳打ちしてくる。
「ちょっと待て。それだとランスロットは……」
「今回の作戦の目的はユウトをアリゼ様の元に届けることだ。私の事は勘定に入ってない。部下だってお前さんのために命を賭けているんだ。ユウトがしようとしていることはそれだけ大きな意味があることをわかって欲しい」
真剣な言葉にユウトは言葉を返せなかった。
自分の我侭のためにランスロット達は協力してくれている。胸が熱くなるのと同時に、責任感が強くのしかかる。
「分かった。やってみる」
「合図したら一気に飛び出すんだよ」
ランスロットは掛け声と共に魔法を放つ。近衛兵が応戦するように剣を構える。後ろの兵達も距離を近づけてきている。
防戦一方のままで、ジリジリと追い込まれている。ランスロットもここに来るまでに疲弊しており、思うように反撃できていない。
何も出来ずに見守っているだけの自分が恨めしかった。
そうしてゆっくりと距離が近づき、いよいよ彼らの手にかかりそうになった時だった。ランスロットは不適な笑みと共に、
「吹き飛びな!」
と叫ぶと輪状に広がる風魔法を繰り出す。屋上を闊歩するための風魔法を応用して人を吹き飛ばしたのだ。
「今だよ!」
掛け声と同時にユウトは飛び出した。
「待て!」
しかしすぐに体勢を立て直した一人の兵士がユウトに襲い掛かる。それをユウトは奇跡的にかわす。しかし二度目はない。次なる攻撃はユウトには対処のしようがなかった。振り下ろされる剣に思わず目を瞑り――
「止まるんじゃないよ!」
衝撃音が貫いたと思ったら兵士が吹き飛んでいた。ランスロットがどうにかしてくれたようだ。
「ありがとう!」
「感謝は目的を告げてから言いにきな!」
もう一度宮殿に向かって走り出す。
「かかってこい! 私を倒さないと中には通さないよ!」
その勇ましい声にユウトは振り返りたくなる衝動に駆られたが、必死に耐えて足を動かし続ける。
ここで立ち止まったら協力してくれた彼女に頭が上がらなくなる。今はただ、進め!
アリゼは宮殿の一番上の階にいるはずだとランスロットから聞いていた。
階段を見つけるとすぐさま駆け上がる。三階に上がったところで雰囲気がガラリと変わる。多分、この階層にアリゼがいるはずだ。
少し進んでいくと奥に一際大きな扉があった。きっとこの先にいる。
ゆっくりと扉に近づいて、開けようとした時、不意にゾクッと寒気が背中を走った。
「――女性に夜這いをしかけるとは、見上げた男ですね」
真後ろから届いた冷徹な声に体が固まる。うなじに冷たいものが突き当てられる。これはきっと刃物だ。
抵抗する意思がないことを示すために両腕を上げる。
「外が騒がしいと思ったら侵入者が現れたようですね。ここまで来れたことは褒めて差し上げましょう」
「ま、待ってくれ、やましいことは何も考えてない。俺はただアリゼと会いたくて……」
喉はカラカラで声は震えていた。
「礼儀を知らぬようですね」
再び悪寒が逆立つ。多分、これが殺気というやつなのだろう。気を抜いたら腰を抜かしてしまいそうだ。
「……レイナ? 何かありましたか?」
扉の奥から無邪気な声。この可愛らしくも凛とした声は……。
「アリゼ……そこにいるのか!」
声が届けばアリゼは気づいてくれる。鋭い痛みが後ろの首に走る。レイナと呼ばれた女が刃物で傷を付けたのだろう。
「余計なことをしないで下さい」
「誰……ですか?」
後ろに立つ少女が腕を掴んできて、乱暴に後ろに回してくる。完全に優勢を取られた。
そのレイナと呼ばれた少女はアリゼがいるであろう扉を開ける。
すると正面に小さな灯りに照らされた部屋が飛び込んでくる。正面には大きなベッドがあった。そのベッドの上には上半身だけ起き上がらせている無垢な少女の姿がある。
「アリゼ……!」
レイナが後ろに回した腕に力をかける。あまりの痛さに声が漏れた。
「賊が侵入した模様です」
アリゼは事態を把握すると鋭い視線をユウトに飛ばす。
姿さえ見てもらえればどうにかしてくれると思ったのに、何故……。
嫌な予感がした。
「アリゼ、俺のことが分からないのか……?」
彼女は訝しげな表情でユウトを見つめる。
「誰ですか、あなた」
無情な一言はユウトを奈落の底に突き落とした。