6話「愛のこもった手作り料理」
アリゼが緊張した面持ちで話しかけてきたのは朝食を食べ終えた後のことだった。
「ゆ、ユウトさん、今日のお昼休みは楽しみにしていて下さいね!」
「え? あ、うん、分かった」
昨日とはまた違った感じでアリゼの様子がおかしいのには何となく気づいていた。ただ、ユウトには思い当たる原因が見当たらなかった。
今日のアリゼは普通を装おうとして、しかし傍から見たら気合を入れすぎて緊張している空回りな様子を見せつけていた。無論本人はバレていることに気づいていない。
でも話しかければちゃんと返事をしてくれるし、あちらから話題を提供してくれることもある。それだけでも昨日の一切合財を遮断するご機嫌斜めな状態よりずっとマシだろう。
「で、では私は公務に行ってまいります。ユウトさん、また後でお会いしましょう」
別れの言葉に手を上げて答える。
新婚生活三日目の今日からは姫様も通常営業。ユウトの方もこれから城での生活に慣れるために様々なことをしていくことになる。
今後、ユウトがどういったことをするかについては昨日の夜に部屋を訪れたレイナが教えてくれていた。
「本日ユウト様には城内を巡って頂きましたが、明日からはアリゼ様の伴侶に相応しい人物になってもらうため、様々なことを学んでもらいます」
昨日は大雑把な内容だけを説明し、今日の朝食後に詳しい説明をするとレイナは言っていた。
食堂でメイド達が食器を下げていくのをボーっと眺めていると銀髪と淡麗な容姿を併せ持つメイドが入れ違いで入室してくる。
「お待たせして申し訳ございませんでした」
「これぐらい待ったって言うような時間でもないさ」
レイナは一礼すると笑顔のまま近づいてくる。
「で、アリゼに相応しい人物になるために俺はまず何をすればいいんだ?」
「そう焦らないでください。いきなり国に関わることや、王族としての礼儀、その他諸々をやったところですぐに身につくことはありません。食事の様子を他のメイドから伺ったのですが、ユウト様はボロを出さないように常に目を光らせている、と聞きました」
ユウトは言うまでもなく一般人だ。そもそも元の世界のユウトが暮らしていた国では王様もいなければ貴族だっていない。だから高級階級のテーブルマナーは身に付けておらず、恥をかかないように周囲の人間から技術を盗み見ながら食べていた。
「……まあ本当に何も知らないからな。フォークやナイフにもあまり慣れてないのもあるし」
「ではここに来るまではどのように食べていたのですか? まさか……手づかみですか?」
レイナが若干引いた様子で言う。
「違うよ。けど、俺が住んでた世界の他の国ではそういった食い方もあるみたいだ。これまでの人生の大半は箸を使った食事をしていたんだ。二本の棒を片手で操って食べ物を摘み、口に運ぶって感じで」
この世界にあるかどうかわからないので、身振り手振りで動作を真似る。その最中、レイナが妙に含んだ視線で見てくるのが少し気になった。
「メイド達に言って用意させましょうか?」
「いや、いいよ。婿入りした身なんだし、頑張って適応してみせる」
「了解しました。それでは話を戻しますね。今話したように、ユウト様はまだまだこの生活に慣れていないご様子。少しずつ学んでアリゼ様の横に並ぶのが似合う殿方になってもらいますわ。そのためにユウト様には城の様々な部署を回ってもらいます」
様々な部署と聞いて頭のなかに騎士団や研究所などを思い出す。
「初めは最低限の家事能力や常識を身に付けてもらうために私達メイドのお仕事をしてもらいます。しかし安心してください。私も一緒に働きますので」
「つまりこの仕事の教育係はレイナさんって認識で合ってる?」
「メイド長であるがゆえ、全ての時間一緒に作業することは出来ませんが、概ねその通りです。ユウト様と一緒に作業することを考えたらなんだか楽しくなってきてしまいました」
本当にそんなこと考えているんだろうか……。口元は笑っているが、レイナの本心は見えない。
「他のメイド達もユウト様と働けることを喜んでいましたよ。若くて綺麗な女の子ばかりの職場なのでユウト様も満更ではないはずです。浮気をしないように気をつけてくださいね」
レイナは悪戯っぽくクスリと笑う。蠱惑的なその笑顔は心を支配してしまいそうな破壊力を持っていた。
本気で気をつけた方がいいかもしれない。特にレイナには……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
メイドの仕事といっても普段は城内の清掃が主らしい。実力がある人は王家の人間の従者となり、公務などの秘書的なサポートをしているそうだが、当然ユウトにはまだ早すぎる。
それに清掃といっても城内はとてつもなく広大で、複数人が分かれて担当場所を掃除するにしてもかなり大変だ。しかも普通なら掃除だけに留まらず、食事の時間になったら食事の準備、就寝の準備など時間は幾らあっても足りないぐらいの仕事量がある。
メイドといっても舐めてはいけない。ユウトの目から見たら、彼女達の方がアリゼよりも優秀なんじゃないかとさえ思えてくる。
元の世界と違って便利な機械がないため、箒やちりとり、雑巾といった道具を駆使して作業を行うことになる。
いかに素早く、効率よく動けるかが重要だ。
まさかこの年になって小学生中学生時代の清掃時間に有り難みを覚えるとは思いもしなかった。
「隅っこは特に念入りに洗ってください。それと家具の下など目につきにくい場所も忘れないように」
でもこの場で必死に手を動かしているのはユウトだけだ。
レイナはサボってるわけじゃない。魔法を使ってゴミを一箇所に集め、水魔法で床を綺麗にする。一連の流れで手の届かなかった部分だけ手動で掃除する。さすがメイド長だ。手馴れている。
「改めて魔法は便利だなって思うよ……」
「ユウト様は魔法を使えないんですか?」
「元の世界には魔法なんてものなかったんだよ。まあ、代わりに魔法のような道具があったけど」
掃除機がこの場にあったらレイナはどんな反応をするかちょっと気になる。
「私が言うのもなんですけど、このようなやり方じゃないとまず終わりません。先に魔法を使えるように特訓するのもいいかもしれませんね」
是非そうして欲しい、と言い返そうとしたが、そもそも自分に魔法なんて使えるんだろうかという疑問が先にわいた。
異世界の住人ということで、魔力とやらが備わってない可能性だってある。召喚された時も召喚魔法を行使した魔法使いの魔力しか関係してないだろうし。
こんなかんじに時たまレイナと会話しながらユウトは業務に務めた。
気が付くと太陽は真上に昇っていて、短い時間ながらも体を動かしたせいかお腹が悲鳴をあげていた。
一旦休憩してご飯にしましょう、というレイナの合図で仕事を切り上げ二人で食堂に向かう。
まだ食事は並んでいなかった。
良い匂いにつられて厨房の方を覗いてみようと立ち上がると、それを見たメイドが止めに入る。
「申し訳ありません、ユウト様。この先には立ち入ってはなりません」
「そういう決まりでもあるのか?」
「普段はありませんが、今日は駄目です」
首を傾げている間にレイナが厨房に入る。少しして「なるほど、そういうことですか」と頷きながら出てきた。
「えっと、どういうこと?」
「すぐに分かります。お腹が空いているとは思いますが、もうしばらくだけ待ってあげてください」
待ってあげてください……。それは一体どういう意味だろう。
レイナの言葉の意味はすぐに知ることになる。
お腹に手を当てながら待っていると突然厨房の方から拍手をする音が起きた。ユウトの正面に座っていたレイナは出来たようですね、と呟いている。
はてどういうことだろう。
厨房の方を見ていると、一人の小さな少女が料理を持って姿を現した。
「あ、アリゼ……!?」
「お待たせしてしまってすいません。ようやく出来ました」
その少女とはアリゼだった。
彼女は頬を朱に染めて、おずおずと料理を差し出してくる。
ようやく合点がいく。厨房ではアリゼが昼食を作っていた。ユウトの侵入を頑なに拒んだのも、アリゼが料理している姿を見せないためだろう。
朝の台詞とも一致する。アリゼはユウトのためにご飯を作ってくれたのだ。
恋人……いや、嫁からの手料理が嬉しくない男なんていない。心が舞い上がる。
「これ、俺のために作ってくれたのか?」
「はい。その、本格的な料理は初めてで、出来はあまり良くないと思うんですが……」
「いいや、その気持ちだけで十分だよ。ありがとな、アリゼ」
「あ、ありがとうございますっ!」
別にそこまで過剰に言う必要はないのに。でもその必死さも可愛くて、ついつい口元は綻んでしまう。
目の前に差し出された料理を見る。楕円の皿に黒いスープと米のような……多分、麦飯が入っている。元の世界のカレーと酷似した料理だ。この世界独特の料理なのだろう。
「この料理はなんていう料理なんだ?」
「カレーです」
「…………」
本当にカレーだったようだ。
それを聞いた瞬間、一気に不安が駆け上がってくる。
い、いや、カレーの割に色が漆黒過ぎるけど、この世界のカレーはこういうものなんだろう。それに匂いは見た目と違って香ばしいし……。
皿を持ち上げて匂いをかぐ。予想通り、カレーの良い匂いがする。……のだが、仄かに刺激臭みたいなものが……。
機械じみた動きでアリゼの調理風景を見守っていただろうメイド達に顔を向ける。彼女たちは目をつむってその場から微動だにしない。私達は何も知りません。言外でそんな風に語ってるように見えた。
「なあ、レイ」
「せっかくアリゼ様がユウト様の心をこめて作ってくれたのです。ユウト様が真っ先に口を付けてあげるのが義理だと思います。何を躊躇っていらっしゃるのですか」
レイナは済ました顔で言葉を被せてくる。
どうやら周りに助けてくれる者はいない模様。畜生、薄情者め……!
だが泣き言を言える状況でもなかった。
ユウトのすぐ傍にはお姫様が期待で目を輝かせている。この純粋な瞳を裏切れるほど心は汚れてはいない。
「じゃあ、有り難くいただくよ」
勇気を出してカレーを口元に運ぶ。
大丈夫、心配する必要はない。元の世界で賞味期限切れの物を食べた時も腹を壊したりはしなかった。
それに、これに万能料理のカレーなのだ。多少色が変で、匂いが危なげでも、カレーならば味も崩れずきちんと栄養になってくれる。
大事なのは中に詰まった愛情だ。アリゼが愛する夫のことを想って作ってくれたのなら、このカレーは三星レストラン以上の逸品になっているはずなのだ。
「いただきます!」
――それから、意識を失ったユウトは翌日の朝に目を覚ますまでずっとうなされ続けていたそうな。




