11話「投げ入れた小石の波紋」
本日の天候は快晴だ。まるで祝福を受けているかのような太陽の輝きが街に降り注いでいる。
ウルカト王国の王都・ラウニヌスは空の晴れ晴れしさに匹敵するような暖かい雰囲気に包まれていた。街路に溢れた人々はみなほころんでいる。
正午に市民に向けた王女の演説が行われる。
隣国・マイアルズ王国のブリジット王子の凱旋からおおよそ一週間。あの日、王女・アリゼは王子から求婚を受けた。
多くの人々は王女がそれに対しての答えを発表するのだろうと考えていた。
結果は見えている。王女は必ず是を示すだろう。何しろマイアルズ王国はウルカト王国以上の大国だ。二人が結婚すれば国交は永らく続くことになり、人々は安心して暮らすことが出来る。
これでまた国は繁栄する。そう信じてやまない大衆は浮き足立っていた。
定刻になると王女であるアリゼ・ベルクシュトレームが民の前に姿を現した。
幼い見た目だが、しっかりしたたたずまいに清楚な見た目。以前、ブリジット王子と対峙した時と違って明らかな威厳を持ち合わせている。
王女は病から完全に回復なされた。先の理由も合わさって、そのことを祝う市民が大きな歓声を上げた。
盛り上がる市民を見て、ほのかに王女も微笑んだ。
すぐに本題には入らずにアリゼは国民へのスピーチを行った。
誰もが彼女の言葉に耳を傾けて聞いていた。
だから、その裏で起きていることには誰一人として気づかなかったのである。
「安全は確保したよ。まったく、ここの兵は弱いね。逆に心配になってくるほどだよ」
「ランスロットが異常に強いだけじゃないか?」
王城へ続く大通りと王都を繋ぐ中央広場に存在する時計塔内部にて、ユウト達は密かに計画を進行していた。
中にいた兵士を気絶させて、今は適切なタイミングを窺っているところだ。
「それじゃあ、屋上に出たら後は手はずどおりに頼む」
「任せときな」
「ほんと、何もかも手助けしてもらって助かるよ。もし兵に見つかったら、俺のことを置いて逃げてくれよ」
「ギリギリまでは粘ってあげるよ。なんせ、男の一世一代の見せ場なんだからね」
この後に行うことを知っているランスロットはクスクスと笑う。やはり緊張しているのか、上手く笑い返せなかった。
「――皆さん、今日は私のために集まってくれてありがとうございました」
耳を澄ましてアリゼの演説を聞く。
「今述べたように、病も無事完治し、このように皆さんの前に元気な姿で立てたことを嬉しく思います。心配した方も多いでしょう。ですが、ご安心下さい。これからも一層、この国が繁栄するように皆さんと共に歩んでいきます」
外ではまた喝采が沸き起こる。ボリュームがしぼんできた所で、アリゼは神妙な声を出した。
「この国をより良くするために、ある決断をしました。今日はそれを国民の皆さんに伝えるためにこの場に立ったのです」
ランスロットが肘でつついてくる。そろそろだろう、と表情で促してくる。頷いて、頂上に出るはしごを見た。
「先日、私はブリジット・セースレイン王子から結婚を申し込まれました。その件についてです。私、アリゼ・ベルクシュトレームはブリジット王子と――」
「ちょーっと待ったー!」
時計塔の頂上に躍り出るとアリゼの言葉を遮るように叫んだ。
本来ならここから王城のバルコニーに声が届くはずがない。中から魔法の支援を受けて拡声器を使ったような大声を出している。風魔法ってかなり万能だと思う。
「あ、あなたは……」
アリゼが困惑の色を見せる。いや、アリゼだけじゃない。多くの市民も戸惑いの声を上げている。アリゼの背後に座っている堅剛な男性(恐らく国王だろう)や侍女らしき人物達も何事かと騒いでいる。
「声明を発表する前に俺の話を聞いてほしい!」
「……ユウトさん」
胸に手を当てたアリゼが小さく名を呟いたのが分かった。顔をしかめているのも分かる。
そう、ここからなら正面からアリゼの顔が見える。パレードの際は、見上げることしか出来なかった。時計塔のてっぺんに立つことでようやく、目線を合わせることができた。
「アリゼ様がお考えになられていることは充分に理解している。マイアルズ王国はかなり国力があるそうだな。ただでさえ魔族達の領域と隣り合っているのに、マイアルズ王国と敵対なんてしたらただじゃ済まされない。国民のことを考えたら二つの国は親交を深めた方がいい。その一つの手段として王子と結婚するのを考えるのは当然だと思う。高い身分なんだから政略結婚も止むなしだ。――しかし、それではアリゼ様が可哀想だ」
中央広場に集まる人間達がユウトのことを注視している。こいつは何を言っているんだ、と言外の困惑が手に取るように分かる。
「アリゼ様だけじゃない。魔族と大国に挟まれたこの国の王家は、嫌でも相当な重責を背負うことになる。そのために自分の意思を抑えて、国のために全てを投げ打ってきたことが容易に想像できる。俺もこの国の住人だったら、それが普通で当たり前だって思うはずだ。でも、残念ながら俺はまるで価値観の違う国から来た。俺から言わせてもらえば、この国は狂っているとさえ思う」
聴衆の中に、果物屋のおっちゃんが混ざっていた。阿呆のように口をポカンと開けている。厳つい顔つきなのに、間抜けな面は不恰好で思わず笑ってしまいそうになる。
「この際だからハッキリ言おう。このまま迷走を続けていたら、どんどん磨り減っていって、最後には取り返しがつかないくらい駄目になってしまう。それに翻弄されっぱなしじゃ癪だろう。たまには、重圧で選ばされた未来だけじゃなく、自分達で選べる未来があったっていいと思うんだ。俺は今日、アリゼにそれを持ってきた」
その場で膝をついてアリゼに手を伸ばす。彼女を瞳に捕らえて離さないようにする。
「アリゼ・ベルクシュトレーム王女よ。私、楽来悠人と結婚してくれないだろうか」
わざとらしく大仰に言ってみせる。アリゼが呆気に取られているのを見て、ニッと笑う。
「ま、これはブリジット王子の真似だ。俺本来の姿じゃない。理解してもらうために、今度は俺らしく生かせて貰うぜ」
ニヤリと笑ってから立ち上がる。大きく息を吸う。ありったけの声量をアリゼに届ける。
「いつでも傍にいてアリゼを守ってやる。いつでも傍にいてアリゼを幸せにしてやる。だから、アリゼ。俺と……楽来悠人と結婚してくれ!!」
ユウトの言葉を聞いていた全ての人間の時が止まった。誰もユウトの暴言を気にしている余裕はない。彼の無常識さに頭の理解が追いついていないのだ。
ざわめきが消えた中央広場に、人を掻き分けるように進んでくる集団が見えた。武装をしている。警備兵だった。
「ユウト、逃げるなら今のうちだ!」
ランスロットが顔だけ覗かせて促してくる。
分かった、と言ってもう一度アリゼの方を見る。
聞いていた人は、その無謀さに本気であると捉えられるだろう。
けどそれでいい。今の全てがハッタリだとばれた方が色々と問題だ。
別にアリゼと本当に結婚をしたいと思ったわけじゃない。今のアリゼに必要なのは、いくつもの選択肢の中から選ぶという事実なのだ。
ブリジット王子の件に関しては誰がどう見ても拒否することができないことを知っている。考えるといっても結局、選択肢は一つしかないのだ。
だから、ユウトはもう一つの選択肢を与えた。ブリジット王子と楽来悠人、二人の男のどちらかと結婚するかという選択肢。
これも結局は王子と結婚するという一択しかないのだが……それでも二人のうちどちらから選んだ、という事実は残るはずだ。
世界には大きな流れがあって、それを変える事はできないけど、その流れの中で分岐点を作ることなら出来る。
未来が予定調和だというなら、小さな石を一つ投げ入れてやればいい。それだけで予定調和は崩れるのだから。
ユウトはその通り、小さな石を一つ投げ入れてやった。
これがアリゼにしてやれるユウトの精一杯だった。
自分の目論見は果たして成功しただろうか。
付け焼刃程度にしかならないかもしれないが、少なくとも自分は満足できた。
さて、これからどうしようか。
ランスロット達と共にお尋ね者として逃げ回ることになるのか。
それとも兵に捕まって牢屋に入れられてしまうかもしれない。城に侵入した罪もあるし、この国の裁きによっては極刑もありえるかもしれない。
それでもいい。
ここから先の未来は、誰につかまされたものではない。全て自分が選んだ上での未来なんだから。
自分で掴み取った未来なら何も後悔はない。
アリゼに背中を向ける。口元を綻ばせながらランスロットの元へ行こうとする。
「――待ってください!」
だがその歩みを止めたのは、後ろから聞こえたアリゼの痛切な叫び声だった。
観衆もアリゼの声によってようやく縛りが解ける。
「……え?」
ユウトも思わず振り向いていた。
アリゼは今にも泣きそうな顔で必死に声を張り上げた。
「私を幸せにしてください!」
ユウトはこの計画を実行した後の事は詳しく考えていなかった。特にアリゼからリアクションが返ってくるなんてまるで思いつきもしなかった。どうせ戯言で流されると思っていたからだ。
だから、ユウトはアリゼの言葉をすぐに理解することが出来なかった。
次の一言でようやく彼女の放った爆弾発言の真意を知ることになる。
「――私の伴侶になってください」
ユウトが投げ入れたのは小さな石だった。それによって生じた小さな波紋は、大きな波紋となって自身に返ってきた。
「……えええええええっ!?」
石どころか岩を投げ返されたユウトの運命はこの瞬間、大きく動き出した。




