1話「挙式前」
未来が予定調和だというなら、小さな石を一つ投げ入れてやればいい。それだけで予定調和は崩れるのだから。
「――私の伴侶になって下さい」
石どころか岩を投げ返されたユウトの運命はこの瞬間、大きく動き出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
異世界にやってきてからおおよそ一ヶ月の時が経過しようとしていた。
色々なことが起きた一ヶ月だったけど、今日はその節目となる一日になるだろう。
本日、ここウルカト王国では王女の結婚式が挙げられる。
「お似合いですわ、ユウト様」
慣れないモーニングスーツに袖を通したユウトは鏡と対峙して自身の姿を確認する。
「なんだかむず痒いな……」
普通のスーツなら元の世界でも何度か着たこともあるのだが、こういった結婚の正装を着るのは初めてだ。
結婚式自体も出席するのは初めてだ。しかも誰かの結婚式に呼ばれたのじゃない。自分が新郎として出場するのだ……。
異世界にやってきてからの日々は嵐のように過ぎ去っていった。
そもそも最初の異世界人との出会いが原因で、それ以降ユウトは一人の少女を追うことになった。
結果、以前の世界ではまだ考えたこともなかった結婚をするはめになっている。
たった一ヶ月でこんなことも起きるのか、異世界では。
いくらなんでもこんな運命を誰が予想できたというのだろう。
「ユウト様? お顔が優れないようですが」
「いや、ちょっと眩暈がしただけだから気にしないで」
侍女のレイナに心配をかけまいと嘘をつく。
「アリゼ様がユウト様のお姿を拝見したいとのことですがお招きいたしますか?」
「ああ、よろしく」
レイナは丁寧に頭を下げるとドアを開けた。
するとすぐ外に立っていた一人の少女が部屋に足を踏み入れる。
ウェーブのかかった金髪のセミロング。真っ白な肌につぶらな瞳は碧眼だ。小さく華奢にまとまった体は可憐であり、西洋の人形のような印象を抱かせる。
いつもならその少女は儚さを感じさせるのだが、今日は違った。
結婚式用の純白のドレスを着た少女は一層美しくなっていた。
「ど、どうでしょうか、ユウトさん」
頬を朱に染めながら上目遣いで見つめてくる少女こそユウトの結婚相手であるアリゼ・ベルクシュトレーム王女だ。
「えっと……その……」
いつもと違う印象を抱かせるアリゼの姿にユウトは戸惑っていた。五つ年が離れた少女には妹と接するような気分でいたのだが……今目の前にいるのは一人の女だった。
「似合ってないでしょうか……」
アリゼの瞳が不安げに揺れる。
「そんなことない。き、綺麗だ」
「本当ですか? 嬉しいです」
ぱあっとアリゼの顔が輝いた。心の底から喜んでいる笑顔はこの世のものとは思えないほど可愛い。
「ユウトさんもお似合いですよ」
「そうか? 慣れない格好だから自分では違和感しかないんだけど」
「そんなことないですよ。素敵です。私なんかが隣に立っていては恐れ多いです」
それこそこちらの台詞だ。妖精のような美貌を持つ少女と自分では不釣合いだ。
しかし、もう少ししたら文句も言っていられなくなる。
アリゼはこの国の王女だ。アリゼとユウトの結婚式は城のバルコニーで、民に見守られながら行われる。
彼女のためにもここは堂々と立たねばならない。恥ずかしい姿を見せれば彼女の信頼が下がるのだから。
「お二方、準備はいいか?」
部屋に来訪してきた人物が声をかけてくる。近衛騎士団の隊長であるリーチェだ。いつもは鎧を着てる彼女も、式典が行われるこの日ばかりは女性らしいドレスを着ている。
「ユウトさんはよろしいですか?」
「大丈夫だ。アリゼの方は?」
「まだ恥ずかしさはありますけど……心の準備は出来ております」
アリゼの返答を聞くと、リーチェに顔を向けて頷いた。
「ではこちらへ」
リーチェも頷き返すと、二人を先導するように手を通路の先へ向ける。
新郎と新婦は一列になってリーチェに付いていく。
王城の中を進んでバルコニーの手前で止まる。
「既に多くの民が二人の姿を拝覧するためにお集まりになっています。くれぐれも恥ずかしい姿をお見せにならないように。ユウト、あなたのことです」
リーチェがジト目でこちらを見つめてくる。
「分かってるさ。俺のせいでアリゼの格を下げるわけにはいかないしな」
「理解してるのなら良い」
リーチェはバルコニーへと手を向ける。行け、ということだろう。
心配そうな顔で、しかしどこか嬉しそうな様子でリーチェはアリゼを見ていた。そんな彼女の姿を横目で眺めていたユウトは、リーチェの傍に来ると、
「そういやリーチェのドレス姿は始めて見るな。言葉はあれだけど、可愛いぞ」
「な、何を急に言い出すんだ貴様はっ!?」
顔を赤くして焦るリーチェにしてやったりという顔を浮かべる。だがすぐに気持ちを切り替えて、顔を引き締める。
バルコニーに続くドアが開かれ、太陽の光が直接部屋の中に降り注ぐ。観衆の声がビリビリと響く。
「……ユウトさん」
アリゼが見上げてくる。その表情には心配や不安が表れている。
「大丈夫だ」
頭にポンと手の平を置く。顔一つ分身長が違うから随分置きやすい。
「幸せにしてやるって言っただろ?」
「……! はい、そうですよね!」
天使のような笑顔を見て、こちらも思わず綻んでしまう。
ユウトはアリゼの幸せな笑顔を見るためにここまでやって来た。
以前のアリゼは触れたら壊れてしまいそうな乾いた笑顔ばかり浮かべていた。
始めて会ったあの日から、そのことが尾を引きずって、ユウトを悩ませた。膨らみ続けた悩みの種はユウトを苦しめた。
しかし王都での偶然の出会いが、ある光明を見出すこととなった。そういえば、あの時協力してくれた彼女はどこかで元気でやっているだろうか……。
正直、今でも信じられないような気持ちだ。異世界にやって来たことですら受け入れられているかも微妙な状況だというのに、気がつけば王族と婚姻を交わそうとしているなんて。
それもこれも、見出した光明から編み出したある打開策がきっかけだ。石を投げ入れたはずが、打ち返された石は岩となって返ってきてしまった。
しかし結果的にこのウルカト王国を大きく動かすことになってしまったようだ。予定調和の未来で動いていた迷いの国に一陣の風を吹かせたのだ。
今後この国の未来がどうなるかは誰にも分からない。そもそもアリゼと過ごす未来だって未知数だ。
けど、この選択が間違いだったと思いたくない。
信じてみよう。
この国のためにも。
隣に立つ愛らしい嫁のためにも。
己の未来のためにも。
「行こうか、アリゼ」
「はい、ユウトさん」
二人は未来に向かってその一歩を踏み出した。
この日、ウルカト王国は新たな誕生を迎えた。
ユウトは正式に王族の性を頂き、ユウト・ベルクシュトレームとなった。
異分子であるユウトとウルカト王国の王女・アリゼ。
この夫婦が世界を大きく動かすことになるのはまだ誰も知る由がなかった。