大嫌いな世界の住人
あ、思い出した。
小学6年生の3月、あと数日で卒業と言うあの日は雪が降っていた。皆が帰って誰もいないはずの教室に戻ったのは、机に入れたまま忘れていたサイン帳の存在を思い出したから。
廊下にかけられていた体操着はもうない。壁に張られていた図工で描いた自画像も持ち帰った。ガランとした校舎の中を歩き、「あぁ、卒業するんだ」と寂しい気持ちになったのも束の間。教室に近づくにつれて誰かが話しているのがわかった。私と同じように忘れ物をした人がいたのか。誰だ?
「――――」
「―は、――が――」
「―うじ――なに――、だって―――」
声からして大人と子供。片方は副担の前田光司先生だとわかったが、子供の方はわからない。うちのクラスの子ではないと思う。言い争っている風ではないけれど、光司先生の話し方がいつもと違う。少々強い口調だから、もしかしたら誰かが叱られているのかも。だとしたら教室に入るのはしばらく無理だ。
ちょっと覗いて駄目なようなら明日にしよう。亜樹ちゃんに「明日までに書いてきてね」って言われたけど、最悪明日の朝の休み時間に書けばいいや。
キュッキュと鳴る上靴を脱いで、こっそり3組の教室の前まで行く。
「―先生、あの――なんで――俺――」
「ずっと君が好き――郁人」
廊下側の窓から覗いて見えたものは光司先生と男子児童、1組の浅見郁人のキスシーン。
放課後の教室での衝撃的光景を見た私の感想が冒頭のそれだった。
突然思い出した。私はこの光景を過去に一度目撃したことがある。
『SEASONS』
パソコン専用ゲームで所謂BLゲー。専門誌に開発中の記事が載った時から製作元に問い合わせの電話が殺到。雑誌発売日に回線がパンクしたと言う恐ろしいゲームだ。
何せ内容が凄い。ストーリーは大学生になった主人公♂が様々な攻略キャラの一年間を18禁な出来事を交えて過ごす至ってシンプルなもの。凄いのはその攻略キャラの数だ。ゲームはディスクなんと8枚組。『SEASONS~櫻~』『SEASONS~花火~』『SEASONS~紅葉~』『SEASONS~雪~』と四季のタイトルに分けられ、各2枚組で出されているこれらはそれぞれ出現するキャラクターが異なる。1シーズンにつき10人で計40人。BOXで買ったら付いてくる特別ディスクの隠しキャラを含めたら42人になる。しかも彼らは主人公の選択肢により受け攻めに変化が出るだけではなく、性格まで変わってしまう。俺様攻めだと思って攻略してたキャラがMっ子受けになった衝撃は今でも忘れない。
関係ない説明もかなり交えたが、とにかくその『SEASONS』で見た画面越しのシーンと今窓ガラス越しに見ている光景が一致していると言うことは確かだった。
おかしいな。私は小学6年生の山岸沙世子なのに、なんで18禁BLゲーのことを知ってるんだろう。買えないし、やれない。そもそもそんなゲームも売ってないはずなんだけど。だけど私、あのゲームの攻略キャラやいくつかのエンディング、値段や発売日も覚えてるんだ。
主人公の名前が『浅見郁人』で、『SEASONS~櫻~』に出てくる主人公の小学校時代の先生が攻略キャラにいることも。6年経っても主人公を忘れられなかったんだよね。主人公の大学の先輩の紹介で再会するんだよ、たまたま同じサークルに入って。
スラスラ出てくる設定に妙に納得している自分。前世の記憶か、デジャブの一種か。後者だとしたらあまりにも鮮明で怖すぎる。前者でも何て言う記憶だ。生前の私は一体どんな人間で、どうして好き好んで男同士の恋愛シミュレーションゲームをやっていたんだ。わからない。わからないけど今の私のすることは一つだけ。
二人に気づかれないようにこの場を去る。
どうせすぐに卒業だから先生に会うこともない。浅見とは同じ中学だけど、近隣の小学校からたくさん人が集まってくる。クラス数も一クラスの人数も増えるわけだし面識もないから大丈夫。
明日にしよう。心の中で亜樹ちゃんに謝り、私は帰った。
数日後の卒業式は何事もなく終わり、その後も先生と浅見が一緒にいる姿は一度も見ることはなかった。
忘れかけていた浅見郁人と言う人物を再認識してしまったのは中学2年の夏。
小学6年から付き合い出した不思議な記憶は私の精神をグッと大人にした。18禁ゲームをやるくらいの記憶の持ち主は私に余計なことを思い出させてくれた代わりにプラスになる要素ももたらしてくれた。
要領が良くなったのが私的に有難かった。勉強から私生活まで、伊達に年を重ねていないと言うべきか。生活のちょっとしたところで溢れ落ちてくる記憶が私を多いに助けてくれた。
お陰で中学校生活は順調に進み、そこそこの優等生になった私は教師からの覚えても良かった。学年が上がってすぐに担任から学級委員に推薦され、内申点の大事さをなんとなく理解していた私は喜んでその役割を引き受けた。男子の学級委員は同じ小学校から上がってきた石崎だったので、面識があって良かったなぁ程度には思っていた。
始業式の翌日から小さな仕事を頼まれるようになり、GW明けにある課外授業の準備に取り掛かるようになってからは石崎と過ごす時間も多くなった。その頃からクラスメートから聞かれるようになったのは
「石崎と付き合ってるの?」
とまぁ、恋愛に憧れを持ち始めた女子たちらしい質問だった。もちろん付き合っていないので否定をするが彼女たちは青春風味のする甘酸っぱい回答を望んでおり、続く言葉は決まって
「良いなとか思ったりしない?」
「付き合いたいな~とか考えたことない?」
何故か人と人とをくっつけたがるものばかり。
特に興味もないのだが、話題の一つにでも使ってみようと思ったのはその石崎と一緒に課外授業のしおりを製本していた時のこと。パチパチとホチキスを止める手を休めず、互いの顔を見ることもしないただの流れ作業。
「石崎と付き合ってないのかって皆に聞かれる」
ホチキスの音が消えた。
「…誰に?」
「本郷さんとか石森さん」
「なんでだろ」
「放課後一緒にいるところを良く見るから、って言ってた」
「委員だからなのに」
「だよね」
再び手を動かし出したので、その話題は終わったのだと思っていた。
全て製本し終え、段ボール箱に入れて職員室に運ぼうとした時、石崎がいつもと変わらない様子で話しかけてきた。
「どうせなら付き合う?」
あまりにも普通に話すものだから、驚きも衝撃もなく、
「いいよ」
簡単に彼氏が出来てしまった瞬間だった。
GWが過ぎ、課外授業も終わり、中間試験と期末試験の二つも終えてあとは夏休みを待つばかりの7月。石崎の誕生日が近いこと友人経由で聞いた私は彼にプレゼントと買った。革製の携帯ストラップはあまり高価なものではないけれど、シンプルで少し大人っぽい代物。背伸びしたい年頃の男子には良いかもしれないと満足していた。
結局自己満足で終わったけど。
誕生日をお祝いしようと提案したときの石崎はとても微妙な表情を浮かべていた。学校終わりに近所のショッピングモールに行き、中のゲーセンで少し遊んでフードコートでお茶。夏休みも近く、学校が半日で終わる日が続いているから出来る放課後デートだ。なのに石崎からの返事は一言。
「別れよ」
彼曰く、イベント毎にいちいちデートしてるんじゃ付き合い切れないらしい。
誕生日ごときで?付き合って一ヶ月記念とか、初デートが6日だから毎月6日はデートの日とか、バカップルのようになんでもかんでもイベントにしているわけでもないのに?誕生日の一つもNGですか。
始まりがあっさりとしていた分、終わりも簡単だった。
「わかった」
一学期だけの恋人はあっさりと目の前から去っていった。
数日後の放課後。部活動がある生徒しか残っていない校舎の中、ホームルームに見えた二つの影は石崎と浅見のものだった。
嫌な予感しかしない。
図書室で勉強なんてしてるんじゃなかった。たまたま通りかかっただけなのに。玄関までのルート選択を誤った自分が悔しい。ここまで来て引き返すのも悔しいので知らん顔して進んでやる。幸いあちらは私の存在に気が付いていない。
「なぁ」
「ん」
「お前、彼女と別れたんだって?」
無視。私には何も聞こえていない。
「知ってたんだ」
「クラスの女子が騒いでた。山岸だっけ?可愛いじゃん。なんで?」
「ああ言うのが好きなの?」
「そんな意味で聞いてんじゃないって。なぁ、どうして?」
あと数歩で教室の前から去れる。ドアも開いてないし、二人とも窓側を向いて話しているから大丈夫。
一歩、二歩、三歩。
「俺、お前のことが好きかも知れない」
まただ。また似たような光景に覚えがある。
石崎、お前も攻略キャラだったんだ。
別段驚きを覚えることもなく、私は下校した。
一回目は良かった。自分が直接関わり合いになることはなかったから。だがしかし、二回目のあれは別問題だ。元彼が男に走ったとなると、その前に付き合っていた私に問題があるのでは…と変な勘ぐりをする輩が現れないとも限らない。濡れ衣や冤罪は一切御免被る。
この世界の主人公である『浅見郁人』の周りの男はかなりの確率で同性愛者の気があるはずだ。だって世界がそう出来てるから。ならば彼の周囲の人間は避けるしか方法はない。ついでにおぼろげな記憶の中から攻略キャラの名前と容姿を思い出し、危険人物リストの一つでも作っておけば運が悪くない限り同じ 轍を踏むことはない。そう信じたい。
そんな風に考えていた時期が私にもありました。
まずリスト。これが9人ほどリストアップした時点で作成の手が止まってしまった。全然わからない。過去の私の記憶はあまりはっきりしたものではない。今までも何かを見て拍子に思い出すことが多かった為、空で言える記憶があまりないのが痛手だった。
同じ小学校だった同級生、教師、中学の同級生、先輩、後輩。卒業アルバムなども探ってみたら同じ幼稚園だった子もいた。と言うか、私と浅見は幼稚園から中学までずっと一緒だったことも初めて知った。幼稚園は地域で一番大きいところだったから、顔を合わせることがなかったのかも。だとしても浅見に対して興味持たな過ぎだろ、私。
でもとりあえずそこまでは探れたのだが、それ以上は何を見ても思い出せなかった。多分高校や大学で知り合うキャラが多いか、校外での私の知らないキャラがいるからだろう。そこまで来たらお手上げだし、第一そんな人物に私が出会うとも思えない。ならここまでで十分だ。
私だって女だし、誰かと付き合って将来は結婚なんて夢も見ている。それを男に惚れたからと言う理由で振られるのはあまりにも悲しい。同性愛者は否定しないが、私の幸せを奪われるのは死活問題だ。
どうかこれから出会う男性が異性愛者の素敵な方でありますように。
甘い考えを抱いているうちはその考えの穴に気が付かないもので、結論から言えば私にあった出会いの 数々は全て打ち砕かれた。主に男同士の恋愛と言う大きな壁によって。
浅見だけを避ければ良いわけではなかった。この世界は『SEASONS』の世界などではなく、『BLゲーム』の世界だった。周りの男性はホモだらけ。浅見やその周囲だけかと思った同性愛無双はクラス、学校、地域を巻き込んでいたとんでもない世界だった。
うちは父一人、子二人の父子家庭。私には一個下の修也という弟がいるのだが、先日とんでもない事件が家の中で起きた。
「沙世子、実はお前と修也は血が繋がっていないんだ」
いつもの夕飯の後、父親の爆弾発言でリビングが静まり返った。
「はい?」
「亡くなったお母さんと修也、私と沙世子。互いに連れ子のある状態で再婚したのが私たちだ。お前たちはまだ赤ん坊だったから覚えていないのも無理もない」
「え、私お母さんの子じゃなかったの?」
思わず亡き母の写真をガン見する。7年前に病気で他界した母が微笑んでいる写真はいつもテーブルの上に飾られている。
「すまない、本当はずっと黙っているつもりだったんだ」
「いや、多分いつかわかることだったから良いんだけど…なんで今?」
今後、進学や就職、結婚などの節目節目で気が付くことがあったかも知れないが、なんにもない日常の中で思い立って言うことなの?と疑問を抱えていると今まで黙っていた修也が口を開いた。
「俺、父さんが好きなんだ」
「あ、そう」
わかった、納得。じゃあ良いわ、好きにしてと言わんばかりの態度を気にもせず二人は話を進めて行く。
「本当は息子に対して抱く感情じゃないとわかっているんだ。しかし…」
「父さんを…永治さんを諦めることなんて俺には出来ない!」
「修也…」
「ごめん。こればっかりは姉さんに責められても譲れない」
「修也が悪いんじゃない!私が、私がいけないんだ…」
…私抜きで盛り上がってるところ申し訳ありません。
どうでも良いわ。
しかし、過去の記憶が地味に教えてくれる。ここでは静かに話を聞き、相手がこちらの言葉を受け入れるようになったらこう言ってやれ、と。
二人が私の様子を窺っている。
「二人の気持ちは本物なのね。私に出来ることは二人を見守ることくらいかしら」
ニッコリと笑顔を見せて伝えれば完璧。これで私の家の中での地位は安定した。
高校に進学した後も右も左も男は全員ホモなのではと思うくらい、密やかにそして何故か私にはしっかりと認識出来るくらい同性カップルが蔓延していた。例の浅見郁人とは別の学校に進学した。気持ちはとても楽になったが、ホモからは逃げられなかった。
隣のアパートに住んでる大学生のお兄さんは夜中、家の前で見知らぬスーツ姿の男性とキスをして「誰かに見られたらどうするんだ!」と大声で騒いでた。あんたが騒がなければ誰も気が付かないよ。私たまたま見ちゃったけど。
新たなクラスメートたちは表立ってそう言った姿を見せる者はいなかったが、偶然目の前の男子が落とした生徒手帳が見えてしまった時。こいつもか、と言う残念な気持ちになったのは仕方がないことだと思う。彼の手帳には柔道部部長の写真が挟まれていた。かなり良いアングルから撮ってあるナイスショットだ。
隣のクラスのホスト上がりかとツッコミたくなるような担任は、小学生のような元気と素直さの持ち主である転校生に入れあげているともっぱらの噂だ。もちろん転校生は男子である。楽しそうで何よりだ。
結論。見た目の良い奴らは皆ホモ。
勝手な方式を作ってイケメン非ホモな男性には申し訳ないのだが、違うと言うのならば名乗り出て頂ければその方だけ例外として考えを改めます。でも私が見てきた中では「俺はホモじゃない!」と葛藤していても、最終的には「男が好きなわけではない。○○(特定の誰か)が好きなんだ」と言い訳してるわけですよ。
あ、面と向かって言われたことはないけど、誰かしらに言い訳してたり、自分に言い聞かせているところは何度も見かけました。全て偶然居合わせてただけなのに、不思議。
別にホモは良いよ。女の私に関わってくること少ないから。家にいるホモ二人はもう諦めた。最近は弟が父親にご飯を作ってあげたい(ハート)とか言い出したから、ついでに洗濯や掃除とかの家事全般を任せてる。お陰で楽し放題だから目を瞑ってやってる。有難く思え。
ここで再確認したのはこの世界での女の在り方。一言で言えば男尊女卑を地で行く世界ではホモを受け入れられない女は碌な生き方が出来ない。一度でも同性愛者の前で否定するような言葉を投げかけてみたら、とんでもないことが起きる。
私の友達のお姉さんの友達の話。彼女には結婚を前提にお付き合いをしていた男性がいた。しかし彼から突然別れを告げられ、戸惑うお姉さんの友達。問い質してみれば付き合っている奴がいると言い出した。これが初めての恋だと真剣な顔をしてのたまったのだが、相手が誰かまでは口を割らなかった。悔しがったお姉さんの友達は自力で探し当てることに成功。なんと相手は男。しかもお姉さんの友達の同僚で顔見知りだった。怒りに狂ったお姉さんの友達は同僚の元に怒鳴りこみ、言ってしまったのだとか。
「気持ち悪い、このホモ!!」
話を聞きつけた元彼がお姉さんの友達に告げた言葉が全てを物語っていた。
「こいつを傷つける奴は女であろうと容赦はしない」
実は大手企業の御曹司だった元彼があの手この手でお姉さんの友達を陥れ、彼女は自主退社。実家のある田舎に帰ることを余儀なくされた。
友達のお姉さんの友達、と言う時点で都市伝説的な扱いになりそうだけどどうやらこれは事実らしい。この話を聞いて周りがどんな反応をしたかと言うと
「彼氏かっこいい」
「そんな風に庇ってくれる男の人がいて欲しい」
「恋人も惚れ直しちゃうよね」
ホモカップルに肩入れしてた。話を良く聞けば、彼氏二股してんじゃん。お姉さんの友達も少し冷静になれよと思う点はあったけど、一応被害者じゃん。大企業の御曹司、下らないことで社会的地位使ってんじゃねーよ。そして相手の男、影薄い。
これも口にしてしまえば周りから総スカン食らうので言えない。もしかして周りの女の子たちも思ってるけど言えないのか。壁に耳あり、障子に目ありとは良く言ったものだ。
つまりだ。ここでは男第一主義。もっと言えばホモ第一主義。女はホモを肯定して行かないと恐ろしいことになるのだ。お姉さんの友達の話はほんの一例、氷山の一角。似たような話はゴロゴロしていて、首を傾げるような内容のものばかりが揃っている。
私たち女はホモではない優しくて温厚な男性を捕まえてあわよくば結婚に…と考えることも大変な世界に住んでいるのだ。聞いた話では亡き母も父親と再婚する前の旦那さんと離婚したのは、旦那さんの浮気だったとか。もちろん浮気相手は男。その話を聞いた私は母の墓前で涙を流した。いろんな意味で。だって再婚相手もホモなんだもん。しかも相手は自分の息子。草葉の陰で泣いているであろう母に私は心の底からお詫びした。
生き辛い世界に生まれたものだと嘆きつつ、いつの間にか高校を卒業してしまった。恋愛?高校では諦めた。大学になってからが勝負だ、と三年間を準備期間に充てることにしたのだ。
まずはホモカップルもとい父と弟が住んでいる家からは通えない都会の大学を選び、一人暮らしをすることに成功した。二人とも寂しがるフリはしていたが、二人きりの生活が楽しみで仕方がなかったようで、私が家を出る一週間前からソワソワし出したのを鼻で笑ってやった。
大学が始まってからはまずサークルを決めた。新入生争奪戦をしているサークル勧誘の中から真面目そうで内容のしっかりしているサークルを吟味し、日本古典文学研究部なるものに入ることにした。読書は好きだし、高校時代の古典は常に5だったので活動に参加するもの苦ではないと判断したからだ。思いのほか人数の多かった為、同じ学部の新入生も何人かいた。
一人暮らしの私の城は大学から自転車で10分と言う好条件の学生向けアパート。築20年と言うボロさと純日本風、悪く言えば昭和臭漂う外観から女子学生からの人気はイマイチだったようで、6部屋あるうちの女性が暮らしてる部屋は一室のみ。つまり私以外他は全員男だった。別にこれはなんも問題ない。どうせここらにいる男も全員ホモだろうと言うとても失礼な偏見を持っていたから。
だが、嬉しい誤算があった。二階の角部屋に位置する私の部屋のお隣さん、松戸平祐は同じ日本古典文学研究部の部員だったのだ。学部は違うが、同じ新入生と言うこともあり顔を合わせれば話をし、朝は時間が合えば一緒に登校し、夕飯を作って余ればお裾分け、もしくは一緒にテーブルを囲むと言った健全な御近所付き合いが始まった。
幸せだった。緊張せず自然体で話せる男性なんてこの世界にいるはずがないと思っていた。どいつもこいつもいつかは女を裏切り、貶める奴らばかりだと思い込んでいたので松戸との会話はとても新鮮だった。しかも彼は今まで彼女こそいなかったものの、大の女の子好き。男は?とそれとなしに聞いた時に「そう言う奴らも周りにいるけど、俺は考えたこともない」とおっしゃった。その言葉だけで私はドキッときた。
簡単に言えば、松戸に惚れた。
単純と言われればそこまでだけど、別にホモじゃないから惚れたわけではない。
まず優しい。夕飯の買い物をしてから帰ると言う私にスーパーまで付き合うよと声をかけ、会計は半分出すとお金を握らせ、サッカー台までカゴを運び、重たい方の荷物を自分で持ち、恐縮する私に
「いつも晩飯作って貰ってるからそのお礼」
と細い目を更に細めて笑う姿はとても可愛かった。
そして温厚。私が大学で起きた理不尽な出来事に苛立ち、何もしていない松戸に八つ当たりをしても何も言わない。どうしたの?と優しく声をかけてくれているにも関わらず、関係ないでしょ!と騒ぐ私を素直に受け止めてくれる。暫く経ってから冷静になり、反省する私の姿を見て再度言葉を促してくれる。私が謝りたいけどタイミングが掴めないことを知っているのだ。お膳立てをして貰いながらやっと謝る私に
「気にしてないよ」
と笑顔で頭を撫でてくれる。私の胸はキュンキュンするばかりだ。
出会って三ヵ月。決心を固めるには早いか遅いか私には判断しかねるところだったが、関係ない。私は彼に交際を申し込んだ。彼は私の申し出にとても戸惑っていた。
「冗談?」
そんなわけあるか。こっちは真剣に悩んで、悩んで、悩み通した結果の告白だ。
「だって俺、今まで女の子に告白されたことなんて一度もなかったから…」
そうだろうとは思っていた。彼女いない歴=年齢と豪語していた松戸。
彼は優しく、温厚ではあるがいかんせん体型が若い女性たちに好かれない関取り体型だった。ぽっちゃりと言うには太すぎて、百貫デブとまではいかない体型。子供の頃から肥満体質な彼は彼女が出来ずにいた。
「外見なんて気にしない、なんて言えないけどそれ以上に松戸の性格が大好きだから。体重は減らせるしね」
だから付き合って下さい。
彼は見えない首を縦に振ってくれた。
私は幸せだった。今までの健全な生活に変化はなく、お互いの部屋の行き来の頻度が増えて、食事を共にする回数が桁違いになっただけで至ってピュアな交際。大学生カップルと言えど、お互い交際経験は0に近い。私の中学の頃のあれはノーカンにしても良いくらいだから全てが未体験の域。毎日が新発見で楽しくて仕方がなかった。
一緒に食事をすることでも一つ大きな発見をした。松戸の体重が目に見えて減ってきたのだ。彼曰く昔から太りやすい体質だと言っていたが、ただの食生活の不摂生が原因だと気が付いたのは付き合い始めて一ヵ月が経った夏の終わり。ジーンズが緩くなってきたと言う彼の自己申告から判明した。彼の家も例に漏れず父子家庭で、料理が得意ではない松戸とその父親は昔から外食が多かったとか。お陰で偏食&カロリー高めな食生活が高校卒業まで続いてしまい、現在の体型が作られたのではと言うのが本人談。
その証拠と言わんばかりに大学に入り、貧乏学生の一人暮らし故の質素な食生活と、上手くはないけどバランスは考えて作っている私の食事で見る見るうちに痩せて健康的な体を手に入れたのは半年後のことだった。
痩せた松戸は笑顔の素敵な好青年で、周りからの反応も上々で私はとてもハラハラした。中身が良くて、外見も良い。それなら私じゃなくても相手はいる。大変自分勝手な言い分だが、前の姿のままの方が良かったんじゃないかと思ってしまった。現に大学やバイト先でちょっかいを出し始めてる女子たちがいると噂に聞いた。彼女たちに牽制をしたいけれど帰りうちにされるのが怖いし、かと言って松戸に怒るのもお角違い。部屋の隅で一人頭を抱えている私を見兼ねた松戸が、隣にそっと座り私の肩を抱きしめた。
「大学で最初から俺の中身を見てくれていたのは山岸だけだった。山岸が一生懸命俺を磨いてくれたんだ。途中過程を無視して結果しか見てない連中に浮気なんかしないよ」
松戸の声が心に沁みる。心地の良い音と優しい言葉。知らないうちに流していた涙を彼が拭ってくれた。
どうしよう、この人のことが大好き過ぎる。
大学3年の夏。就職活動にも力を入れ出した時期に松戸に一通の手紙が届いた。実家のお父さんからで、中に入っていたのは短い手紙と『同窓会のお知らせ』と書かれた葉書。
「どうしよう…」
珍しく困っている様子だったので聞いてみると、小学校は父親の仕事の都合で転校ばかりしていたせいで大抵半年しか同じ学校にいなかったんだとか。今回届いた葉書は小学6年生の4月までしかいなかった学校の同窓会。確かに悩むところかもしれない。
「会いたい友達とかがいるんだったら参加すれば?」
転校続きの学校生活だと親しい友達とそうでないのとでは後者が多くなってしまうだろう。無理に行く必要がなければ不参加で良いし、仲が良い子がいた学校ならば参加すれば良い。私の提案に松戸は少し口角を上げて答えた。
「一人だけ、会いたい人がいるから行ってくる」
返信用葉書の出席の欄に丸を付けた松戸が電車に揺られて出かけたのは2ヵ月後。
あまりに楽しく幸せな時間のお陰で自分のいる場所を忘れてしまった。
「ごめん。本当にごめん…」
俯き、謝罪の言葉を繰り返す彼を見てとあることわざを思い出した。
二度あることは三度ある。
一度目は小学校、二度目は中学校。あんなに警戒していたのに、油断をしてしまったのは気の緩みとしか言いようがない。
『浅見郁人』が現れた。
奴は松戸の小学校時代の同級生だったのだ。私も同じ小学校だったのに、お互い全く接点がなかったせいでわからなかった。同窓会もクラス単位のもので私には届かなかった。
「小学校の頃、転校が多くて仲の良い友達なんて作れなった。太ってたからイジメられることも多くて、いつも教室で一人遊びをして過ごしてたんだ。だけど浅見、そいつだけは俺のことを見てくれて」
遊ぼうと声をかけられた時、涙が出るほど嬉しかったんだって。外見で判断しない彼にずっと憧れと尊敬の念を抱いてたんだって。
そして数年ぶりに再会したクラスメートたちが自分に気が付かない中、浅見だけが松戸のことを覚えててくれたんだって。あの頃と見た目が変わっているのにすぐにわかってくれて嬉しかったんだって。
「その人が好きなの?」
浅見のことなんて知らないフリをして聞いてみた。松戸は浅見が男か女か言ってない。
「あの時の気持ちが恋愛だったかはもうわからない。でも……」
今は恋愛なんだね。君は攻略キャラだったんだね。全然覚えてなかったし、今も思い出せないよ。
「ありがとう。これからは隣人としてよろしく」
振られるのは嫌だから、私から別れを告げる。
「ごめん……沙世子のこと大好きだった」
私はこれから大嫌いになってやる。
やっぱりこの世界は女に優しくない。
構内で奴を見たのは初めてだった。同じ大学とは知らなかったので多少驚いたが、次の衝撃に比べたらば可愛らしいものだった。
「沙世ちゃん久しぶり」
親しげに話しかけて来る奴と、怪訝な表情でこちらを見て来る奴の隣の男性。多分私も男性と同じような表情を浮かべていると思う。
何が久しぶりなの?なんで私を名前で呼ぶの?そもそも私のことを知ってるの?
「浅見、君だよね?久し、ぶり?」
「ここに入ったって知ってたんだけど、キャンパスが違うから会いに来れなかったんだ。最後に会ったのは中学生だっけ。変わってて一瞬わからなかった」
中学の時に会った?嘘だろ。私がこいつと会って話したことは一度もない。だって私はいつもこいつを陰で見てただけだから。
「おい、郁人」
お連れさんが我慢出来ずに浅見に話しかける。あ、こいつも攻略キャラだ。主人公が大好きな一匹狼。女嫌いで有名って設定だから、浅見が私に話しかけるだけでも嫌なんだろう。
「明良、先行って」
「でも!」
「早く」
有無を言わせぬ雰囲気で明良君とやらを追い払った浅見。何故か周りに人はおらず、初めて彼と対面することになった。
「久しぶり、なんですか?初めましてじゃなくて」
自分でもかなり他人行儀な話し方だと思ってる。だけど今の私は彼に優しくする気はない。同様に仲良くする気もない。だったら良いかと自己解決して彼の返事を待つ。
「会うって意味では難しいけど、同じ空間にいるって意味では久しぶりでしょ?」
この様子から、小中同じ学校に通っていたから、なんて可愛らしい理由ではないらしい。
「知ってたんですか」
「いつも見えてたよ。他の奴らは気付いてなかったから安心して」
安心も何もこれから先、会うことないから知られてようがどうでも良いわ。
「すみません。覗くつもりはなかったんです」
「うん。沙世ちゃんはいつもタイミング悪くていろんなもの見ちゃうもんね」
「否定はしません」
それをお前が知ってることに若干引いてはいるけど。私の心の声に浅見は丁寧に答えてくれた。
「幼稚園からずっと一緒だった幼なじみだよ。見逃がすなんて有り得ない。俺はずっと沙世ちゃんの傍にいたからね」
幼なじみなのか、私たち。会話らしい会話なんて今日この場で初めてしたのに。
「俺は沙世ちゃんが大好きなのに、周りの奴らが邪魔してくるんだ。その癖自分たちは沙世ちゃんの近くにいるの。信じらんない。そんでその口で『お前が好きだ』とかのたまうの。反吐が出る」
……これ、誰?
前世の記憶に問うても何も返ってきやしない。大人になるにつれ、記憶がだんだん朧げになって来てる。
私がいる世界はBLゲームの世界で、その中の一つである『SEASONS』の主人公がこの目の前にいる浅見郁人で、受け攻め自由なモテモテ男(男限定)。私の元彼や周囲の男共のハートを鷲掴みなプレイボーイ。 よし、確認終了。
記憶と現実がマッチしないのは多分判断材料が今の状況しかないから。他の攻略キャラたちの前ではきっと記憶にあるゲームの彼と同じなんだよ、きっと。
「ねえ、沙世ちゃん。聞いてる?」
「あ、はい」
頭の中片付けてたから半分も聞いてなかったよ。
「大人になるまで我慢してたんだ。いろんな男たちに絡まれたけど、昔から俺の心の中にいるのは一人だけだった」
絡まれたって、攻略キャラたちはチンピラ扱いか。その中に松戸が入ってるかと思うととても切ない。 ああ、早くこいつに振られて私のところに戻ってくれば良いのに。私が松戸にして貰ったことを何倍にもして返してあげたい。恋人になれなくても一番の友達でありたい。あんなに好きになれる人はこの世界で彼しかいないから。
「今周りにいる邪魔な奴らを全部消してでも、俺のものにしたいんだ」
周りの約40人の男たちをどうやって消せるのか。犯罪に手を染めずに綺麗に行動して貰いたいものだ。あ、松戸は私にください。
「沙世ちゃん。俺と付き合って」
「お断りします」
大嫌いな世界で大嫌いな男に告白されました。
BL世界の女性の不遇さを書いてみたくなりました。
途中、主人公が見たホモさんたちは実は皆『SEASONS』の攻略キャラという裏設定あり。