2、それは不意に訪れた出来事
私はいつもの見回りコースを歩く。
時間と順路は、まるで夜が明ければ日が昇るように、燃える太陽が通る道筋のごとく決まっている。
何故正確な必要があるのか……町のボスである私の姿を、決まった時間決まった場所で知らしめて近隣住民を安心させる効果を与えるからだ。
焦げ茶色の毛を風が波立たせた。私の些細な異変も見落とさない鷹のような眼が、高性能の嗅覚が、公園の隅に置き忘れられた寂しそうな一物を発見する。
例のあれだった。
言葉にするのも不愉快な、そして、確固たる私への挑戦状。
朝日を浴びて艶々と輝き虫一匹たかっていない。
排出された状況からして、そう時間は経過していない。
徐に鼻を近づけた。
嗅いだことのない臭いだった。
「…………」
ここは私の縄張りだ。縄張りでは礼節正しく、謙虚さをもって立ち振るわなければならない。
住民に尊敬され私なら安心だと思わせてこそ一人前だ。自分の身を守る鎧は毛皮ではなく心だ、そうでなければ生きてゆけない。
私は落ち着き払い冷静に、当然のように後ろ足で砂を掛ける。そして、胸を張り周囲を見渡した。
「…………」
これでは私が犯人のようではないか。
今、私がこの公園を通りかかり、私を見たならば迷わず私が犯人だと疑うであろう。まぁ臭いが違うという潔白を照明する証拠はそこにあるが。
自らの愚かな行いに一切の疑いを持たぬ、恥知らずで阿呆のようだと思われはしまいか。しかもその証は大層にご立派だ、一体何を喰ったらこのようにもりもり出せるのか。
自慢ではないが私はあまり怒らない。
別段、落し物の大小にも興味などない。
だが、自分の縄張りであり公園という目立つ場所で看板のごとく置かれた一物に、私は久々に腹を立てた。
何より、私はあのような目立つ場所に公衆を害するような行為はしない、仲間や人に慕われてこそ一人前だ。それを私のせいだと思われるのが嫌なのだ。私の仲間もルールを守る、何より知らない臭いが証拠だ。
無遠慮な余所者が私の縄張りを荒らした。
争いは避けるべきだが、それは時と場合による。私は犯人の臭いを辿った――
――私は公園を出て角を曲がり、三丁目から二丁目へ続くどこにでもあるような、通り過ぎれば忘れてしまう、ありきたりな建物が並ぶ通りを進む。
コンクリートの固い壁で囲まれた家がある、古い家だ。自然の香りが漂う壁に背をもたれて寝転がると涼しい。
私は現在のところ休む予定ではないので、一瞥すると角の立った段差のある壁の前を通過する。
角の立った背もたれ、またしても角の立った背もたれを通過し、猫が通るような小道に目を光らせる。その先の電柱で訳あって一旦停止をした、あれだ、片足を上げてマーキングだ。説明するほどのものでもない。
角の立った背もたれ、もう一つ角の立った背もたれを横目に歩き、竹のもたれられない背もたれ、網目から雑草が飛び出した金網のフェンスの前を素通りした、そして白いパフが現われる。
パフは白い毛皮に赤い首輪(我々には判別が難しい色だ)を嵌めた、飾られたぬいぐるみのような毛並みの雌犬だ。
私は臭いに集中するあまり、地面ばかりを凝視して前方注意が疎かになり、避けようのある事故で頭を打ち痛がり一匹で悔しがる間抜けな真似はしない、だから用心深く壁際を歩いていた。
もちろんだが、前を見なくてもパフの臭いには一区画前から気付いていた。
私がパフと目を合わせると、パフは一瞬だけ躊躇うような仕草を浮かべる。
調査に集中していた私は、駐車違反の車を見つけたよう警官のような表情をしていたのだろう。
パフはいかにも白い毛皮に包まれていそうな、柔らかい声で小さく囁いた。
「ごきげんよう、ボス」
「ごきげんよう。いつも相変わらずに綺麗な毛並みだね、では忙しいのでこれで」
「何を一生懸命に嗅いでいるの? 今日はゴミの日よ、しかも生ゴミ燃えるゴミ……こんな所で油売っていていいのかしら?」
どうやらこの雌犬は、私の行為を悪く勘違いしているようだ。説明するのも面倒だが、誤解されたままなのも私のボスとしての威信に関わる。
「私はゴミを漁らない。しかも今日は水曜だ、恐らくビン缶プラスチック」
だが説明した、しかも下らない引っ掛けを打ち消して。