10、事件解決――勝負は最期まで立った者の勝ちだ
勝利こそしたが短い争いでも私はかなり疲弊していた。
だが虚勢を張り、脚をふんばって立ち、奴を上から見下ろして命令した。私の息は上がり、体内の燃料を燃やし尽くしてしまい、燃えカスが詰まったかのように体が重かった。
「立て」
ホワイトウルフがのろのろと立ち上がり、頭と尻尾を下げて項垂れて私の様子を伺う。立ち上がると喉の奥に何か詰まったような咳を繰り返し、その場にへたり込んだ。
「脚が……力が入らねぇんだ、待ってくれ」
「そんな事は聞いていない、立て!」
ここで休ませて余裕を与えてはいけない。
私が一喝して牙を剥くと、ホワイトウルフは震える四肢を広く広げ、生まれたての子山羊のような姿で立ち上がった。
「立てるじゃないか」
言うなり私は体当たりして後ろへと転がした。顎を打たれ息を詰まらせたホワイトウルフが道路の上を丸太のように転がる。
地面にだらしなく倒れた奴の横に立った私は、さらに命令を下した。
「立て」
「許してくれよ」
泣きそうな声で呟いたホワイトウルフが立ち上がりかけ、前足の踏ん張りが利かずに倒れた。私は遠慮なく喉元を噛んで放り投げた。
私に喉をやられて息をするのも苦しいのだろう、壊れたような呼吸をするホワイトウルフが、力なく無言で首を振った。
私はホワイトウルフの尻尾を咥え、引きずって公園に入った。殺されると思ったのか、ホワイトウルフは無我夢中で助けを求めるが尻尾を咥えられた痛みのあまり、抵抗できずに半分自分で移動するように公園に入る。
ホワイトウルフを転がして私はその横に座る。
正直に言おう、私も足がガクガクぶるぶるで座らないと立っていられなかった。一旦落ち着いてホワイトウルフの全身を眺めるが、痩せても自分より大きい相手によく勝てたと思った。
さらにもう一度遠吠えを響かせた時、公園の中に白い犬が飛び込んだ。
家からここまで全速力で掛けて来たのだろう、全身から熱気を発し荒い息を吐くパフが、私を目掛けて見る見る突っ込んでくる。
今の私に避ける余力はない。
頼むから体当たりしないでくれ、ホワイトウルフを倒したボスをお前は倒してしまうぞ。
私の願いが通じたのか、直前で斜めに跳ねたパフは離れた場所まで走り腰を下ろした。期待に満ちた目で私を見ている、もはや奴は眼中にないようだ。
ホワイトウルフもパフに気が付き、雌の手前で惨めな姿を見せられないのか降参のポーズを取り消して腹ばいになる。
「うっ……」
どこか痛むのだろう。小さく呻き声を発して、私の機嫌を伺いながらおずおずと前足を横に伸ばす。
反抗する素振りを見せればまた噛み付くが、それくらいはいい。
続いて、反対側の入り口から源太が現われた。
源太は中型犬の野良で茶色い毛並みに和風の顔立ちをした雄だ。私の遠吠えで呼ばれ、この近くにいて自由に動ける犬はあと数匹しかいない。
源太は只ならぬ気配を察したのか、私に軽く挨拶するとパフの横に移動した。小声で何があったのか尋ねているが、わずかの差で訪れたパフに答えようはなかった。
下手をすれば三対一で襲われるかもしれないと覚悟したホワイトウルフが、観念したのか感情を消し無表情で転がっていた。
「久しぶりだな源太」
私の言葉をしっかり聴いているのだろう、ホワイトウルフの耳が過剰に反応してせわしなく動く。
源太は小さく吠えてから返答した。
源太を野良の中でも私は高く評価しているし、仲間内の評判も悪くない、源太に話を通しておけば後で他の犬に説明してくれるだろう。
「お久しぶりですよボス、やったんですね!」
やっかい者で私に勝ったホワイトウルフ、誰も逆らえなかった問題児が倒れている。この状況で虫でも追いかけていたと尋ねる間抜けはいないだろう。
「そうだ、勝ったのだがそれはまぁ、大したことではない」
本当はものすごく大変だったのだが、思慮深い私にしては今ここで雄たけびを上げたいほど苦労して掴んだ勝利だが自慢話をしている時ではない。まだ重要な行為が残っている。
「私はボスだ。それでいいのか君達に聞きたくて呼んだ」
単なる名前だけではない別の意味も含めて尋ねた、源太は飛び跳ねて答えた。
「そりゃあ、ボスはボスに決まっていますよ」
源太の答えに心底ほっとした、一旦は尻尾を巻いて逃げたと疑われてもしかたない私をボスと認めたのだ。
「ふむ、私で良ければさせて頂くよ。ミス・パフは?」
パフはきょとんとした顔で私を見返し、何が言いたいのと問いかける。聞いた通りだ深読みするなと私は眼で答える。
「じゃあ、ボスでいいわ。前からずっと今でも私のボスは、あなただけだわ」
結構だ、予想以上の答えだった。出来すぎて前もって打ち合わせたのではないかと思われる程に素晴らしい。
「さて、ではホワイトウルフ君に聞こう。私はボスと呼ばれて構わないかな?」
ここにおいて奴はしばし沈黙した。静まり返ったぎこちない空気の中、ホワイトウルフはおずおずと顔を上げた。
「あんたが……ボスだ」
「認めたな」
「認めるよ、俺じゃボスは荷が重たい」
「そうか、よろしくなホワイトウルフ」
私はやっと緊張を解き、足を横にずらして座る。姿勢を伸ばしキリッと座っていたが、気を張っていないと腰が砕けそうなほど疲労して辛かったのだ。
腰を落ち着けてから皆の顔を見渡し、私はこれまでの心情と考えを説明した。
事件の解決はもう間近だ、ここは私が何を思い、どのような結論を望むか群れに説明しなければならない。意思の疎通、目標の統一が団結力のある群れを育てる。
「暫く消えて悪かった、しかし、これからはいつも通りに戻る。そして、私はこのホワイトウルフを仲間に入れようと考えている。尤も……ルールを守れればの話だが」
ここで奴に餌を与える。
ホワイトウルフは慣れない町で腹を空かせ、仲間も出来ずに窮地に立たされていた筈だ。こいつは色々な意味で危なくて今後敵に回したくない。
素直に仲間になるような奴ではないだろうが、弱らせた今なら、まっさらな大地に足跡を捺すように命令を刷り込めるだろう。
「どうだろう、ホワイトウルフとは色々あったが、私をボスだと認めると言った。彼さえよければ一度やりなおしてみたいと思う。そう私は提案するが、いいか?」
気持ちのしこりは残るだろうが、犬同士で争っても何の得にもならない、むしろお互いに損害を広げるだけだ。私が今説得しているのはホワイトウルフにあらず、既に仲間であるパフと源太だ。
先に源太が答えた。
「ボスがそう言うなら、反対する気はないですよ」
群れの二番手だ理解している。
「そうか、こいつは私がきっちり見ておく。ありがとう」
次にパフが答えた。
「うん、嫌よ」
「そうか…………え?」
「嫌」
「考え直せないか」
「だって、苦手」
「おい!」
雌という生き物は、どうしてここまで好き嫌いではっきりと言いきれるのだろうか。私は体力の限界を感じた体に、さらなる疲れが上から重石のように圧し掛かるのを感じた。
「あー、あのな」
私は困り果てた、決死の想いで戦って命令無視されるボスって何だろう。
そりゃ、気持ちは分かるが空気を読めるだろうに、これは私に対する反抗かと疑ってしまう。
捨てられたゴミのように転がっていたホワイトウルフが、不自然なカクカクした動きで立ち上がり頭を下げて呟いた。
「……もういいっす、俺が消えれば」
猪突猛進タイプのホワイトウルフにも場の流れが分かったのだろう。優しくされそうになって最後に心を折られ、肩を小さくして脚を引きずって我々の環から離れた。
私は敗者に投げる言葉を知らない。
全てを失えば、只去るのみ。
一回りどころか半分に折りたたまれたように存在感が薄っぺらになったホワイトウルフが姿を消した。
明日は我が身だ。奴に己の姿を重ね思い、哀愁で姿がぼやけて見えた。野良犬など今時やっていけない職業だと私は思う。
「あーあ……しかたないか」
野良生活が長く、流石に何となく事情を察した源太が呟いた。
「しかたない……確かにそうだな。では、今日は朝から召集してご苦労だった。これで解散しよう」
私は重い腰を上げて公園を出る。事件は終わった、それに早く塒に帰って一休みしたかった。