スレ違いの恋物語〜両想いは貴方から〜
「はぁ……。どうすればあいつに、この気持ちが届くんだろ」
大学の夏休みを目前に控えた7月。僕――颯太は、片思い相手である同じサークルの「葵」への告白に頭を悩ませていた。
誰かに相談したくて、僕は夜中にスマホを叩いた。目指すは、匿名掲示板の『恋愛相談板』。藁にもすがる思いで、胸の内を長文で書き込み、送信ボタンを押した。
だが、画面が切り替わった瞬間、僕は硬直した。
画面上部に表示されていたのは、お目当ての場所ではなく、誰も使っていない過疎化しきった『マイナー趣味の雑談板』。
「うわ、最悪……。カテゴリ選択、完全に間違えた……」
慌てて削除しようとしたが、深夜の眠気もあって操作がよくわからない。まあいいか、どうせ誰もいない限界集落みたいな掲示板だ。恥を晒したわけでもあるまい、と僕はそのままスマホを閉じてベッドに入った。
しかし翌朝。諦め半分で覗いてみると、なんとたった一つだけ返信がついていたのだ。
『恋愛板と間違えてるよ(笑)。でも、せっかく誰もいない場所で行き着いた縁だ。相談に乗るよ。まずは相手の視界に入る回数を増やすこと。挨拶は自分から。目が合ったら3秒キープして微笑む。試してみて』
驚いた。誰もいないはずの廃墟のような掲示板に、妙に親身で具体的なアドバイスをくれる「名無しさん」が現れた。
半信半疑でその日、大学で葵に実践してみた。
「あ、葵さん、おはよう!」
目を合わせて微笑むと、葵は一瞬目を見開いた後、少し頬を染めて「うん、おはよう、颯太くん」と返してくれた。
手応えは抜群だった。僕はその夜、すぐにあの過疎板に報告した。
『名無しさん、凄いです!挨拶したら、いつもより嬉しそうにしてくれました!』
『それは良かった。次は、相手が持っている小物や髪型の変化を一つだけ褒めてみて。わざとらしくなく、自然にね』
誤爆から始まった、僕たちの秘密の「恋愛指南」。
名無しさんのアドバイスはどれも的確で、まるで僕と葵のやり取りを特等席で見ているかのようだった。「君は本当に恋愛マスターだね!」と僕が書き込むと、名無しさんは『ただの経験則だよ』と謙遜していた。
やがて夏休みに入り、掲示板のサーバーが不安定になったことをきっかけに、僕たちはSNSの個人DMでやり取りをするようになった。
お互いにネットリテラシーへの意識が高かったため、自然と一つのルールができた。
「お互いの特定につながる情報は言わない、聞かない」
名前も、大学名も、住んでいる地域も秘密。それが僕たちの、心地よい距離感だった。
ある日、葵との初デートの誘い方に悩んでいた僕は、DMで名無しさんに相談していた。その時、またしても僕はうっかり画面を打ち間違えて送信してしまった。
『明日は僕、お気に入りの古着屋の近くにある、アンティーク調の小さなブックカフェでバイトなんです。落ち着いたらデートの作戦を考えますね!』
あ、やってしまった。また誤爆だ。
具体的なバイト先の店の特徴を書いてしまったのだ。すぐに送信取り消しをしようとしたが、すでに「既読」がついていた。
『了解。お仕事頑張ってね』
名無しさんからの返信はいつも通り冷静だった。
翌日、僕は少し緊張しながらバイト先のブックカフェのカウンターに立っていた。「もしかして、名無しさんが様子を見に来るかもしれない」という期待と、「ルールを破って押しかけてくるような人だったらどうしよう」という不安が入り混じっていた。
午後、カランカランとドアのベルが鳴った。
入ってきたのは――なんと、僕が恋焦がれている葵だった。しかも、サークルの友人たちを数人連れている。
「あ、颯太くん!本当にここでバイトしてたんだ。友達が素敵なカフェがあるって教えてくれて」
葵は嬉そうに微笑んだ。僕は心臓が跳ね上がるのを感じながら、「いらっしゃい、葵さん。ゆっくりしていって」とメニューを手渡した。
葵たちが席に座り、楽しそうに談笑している姿を横目で見る。
それから閉店まで、他にお客さんは何人か来たものの、それらしき「ネットの友達」が一人で現れることはなかった。
夜、バイトが終わって片付けをしながら、僕はスマホを取り出した。
画面を見つめ、ホッとしたような、少し寂しいような息を吐き出す。
(やっぱり、名無しさんは来なかったな。ネットのルールをちゃんと守ってくれる、リテラシーの高い、本当に誠実な人なんだな……)
そう再確認して、どこか安心している自分がいた。
僕は名無しさんに、今日の報告とお礼のDMを送ることにした。
『お疲れ様です!今日、バイト先に、なんと僕の好きな人が友達と一緒に来てくれたんです!すごくびっくりしたけど、話せて嬉しかったです。ルールを守ってくれてありがとうございます』
送信ボタンを押す。
店内のモップがけを始めようとした、その時だった。
トントン、と、誰もいないはずの店のガラス扉が叩かれた。
振り返ると、入り口の前に立っていたのは、さっき友達と帰ったはずの葵だった。
「葵さん? どうしたの、忘れ物?」
急いで鍵を開けて扉を開けると、葵は少し息を切らせて、スマホを片手に握りしめていた。その画面は、僕が見慣れたSNSのDM画面だった。
葵は僕の目をまっすぐに見つめ、いたずらっぽく、でも愛おしそうに微笑んだ。
「……言ったでしょ? ネットリテラシーは大事。だから、友達と一緒のときは、ただの『大学の友達』としてお店に来たの」
「え……?」
頭の処理が追いつかない僕の前で、葵の持つスマホが『ピコン』と音を立てた。
そこには、僕がさっき送ったばかりのDMが表示されている。
葵はふふっと笑って、僕の胸に人差し指をぽんと当てた。
「最初はね、まさかと思ってたの。でもね、私が過疎板に書いたアドバイス通りに、翌日颯太くんが目を合わせて挨拶してくるんだもん。褒め方までそっくりで……『もしかして?』ってずっと思ってた」
葵の頬が、夕暮れの街灯に照らされて赤く染まっていく。
「それで確信したの、昨日のバイト先の誤爆で。『あ、やっぱり私の好きな人は、このおバカさんだったんだ』ってね」
夕暮れ時の静かな店内に、葵の心地よい声が響く。
「これでもう、スレ違いは終わり。指南役の出番もここまで」
目の前で恥ずかしそうに、でも期待に満ちた目で僕を見つめる恋愛マスター(葵)。
僕はスマホをポケットにしまい、今度は僕自身の言葉で、彼女の手を優しく握りしめた。
「両想いへの最後の一歩は――颯太くんから、直接言って?」
※作中では恋愛のきっかけとして描いていますが、実際に不特定多数が閲覧できる掲示板やSNSなどへ、個人を特定できる情報を書き込むのは危険です。
颯太のような「うっかり」は、思わぬトラブルに巻き込まれる可能性があります。
皆様は、くれぐれも真似をしないようご注意ください。




