第11話 落ちた剣
光が視界を満たした。
白く、温かい光だった。
八歳の時の、黒い光とは、違った。
救う、光だった。
光は地下の広間を満たした。
壁を抜けた。
地下から、地上へ、上っていった。
帝都全体を包んだ。
兵士たちが剣を落とした。
膝をついた。
頭を抱えた。
「俺たちは、何を、していた」
兵士の一人が呟いた。
「俺たちは、なぜ、剣を、持って、いた」
別の一人が続けた。
ノアの世界改変は彼らの「殺意」を消していた。
ただ、それだけを消していた。
ノアの鎖が消えた。
ノアはシエルに駆け寄った。
シエルを抱きしめた。
シエルは泣いていた。
声を上げて、泣いていた。
五年分の、涙だった。
ノアはシエルを抱きしめた。
強く、強く、抱きしめた。
「俺が、ここに、いる」
ノアが呟いた。
「シエル」
「俺が、ここに、いる」
クラウスは剣を持ったまま、立っていた。
動けなかった。
白い光がクラウスの周りを流れていた。
クラウスは目を見開いた。
光が何かを見せていた。
光ではなく、自分の中の、何かを。
頬に温かいものが、伝った。
クラウスは頬に触れた。
指先が濡れた。
「俺は」
クラウスが呟いた。
「なぜ、泣いて、いる」
「異常だ」
ノアと、同じ、言葉だった。
クラウスの身体が告げていた。
感情は消えていなかった。
五年間消えたと信じていた、感情。
ずっと、奥にあった。
封印は不完全だった。
頭の奥で声がした。
──合理は人を救うための、道具だ。
──人を救えない合理はただの、暴力だ。
五年ぶりに思い出した、父の、声だった。
暗殺の前夜、書斎で聞いた最後の言葉。
──あなたの、優しさはあなたの、強さよ。
母の、声が続いた。
暗殺の朝、玄関で笑ってそう言った。
クラウスはそれを忘れたつもりだった。
だが、声は奥に残っていた。
「父さん」
クラウスが呟いた。
「母さん」
「ごめんなさい」
「俺は、合理を、暴力に、変えました」
「祖父の、系譜を、継ぎました」
「あなたたちが、告発した、加害者の側に、立ちました」
クラウスの口から、声が漏れた。
言葉にならない、声。
二十四歳の男が子供のように、嗚咽していた。
クラウスは剣を落とした。
剣が石の床に音を立てた。
高い、乾いた音だった。
「忘れたかった」
クラウスが呟いた。
「だが、忘れられなかった」
クラウスはノアを見た。
ノアはシエルを抱きしめていた。
シエルはノアの胸の中で泣いていた。
五年ぶりの、自由な、涙。
クラウスはその光景から、目を離せなかった。
俺が消そうとした、少女。
今、目の前で泣いている。
声を上げて、自由に泣いている。
ノアの腕の中で許されて、泣いている。
クラウスは自分の手を見た。
剣を握っていた、手。
あの少女を消そうとした、手。
「救われている」
クラウスが呟いた。
「感情を、解放することで」
「俺が、奪おうとしたものを」
「ノアが、与えた」
「俺は、間違っていた」
ノアがシエルから、身体を離した。
シエルの頭を優しく、撫でた。
そして、クラウスに向き直った。
ノアはゆっくり、歩いた。
クラウスの前に立った。
「クラウス」
ノアが言った。
「お前は、両親を、愛していた」
クラウスは答えなかった。
ただ、ノアを見ていた。
「五年間、お前の隣で、見ていた」
ノアが続けた。
「お前は、両親への痛みを、消したかった」
「だが、消したくない自分も、いた」
「だから、お前は、いちばん痛い場所に、立ち続けた」
「両親が、告発した、加害者の側に」
「自分から、立った」
「あなたたちは、間違っていない、と、毎日、思い知るために」
「お前の、感情封印は──」
「両親への、愛の、証だった」
クラウスの目から、涙が止まらなくなった。
大きな、涙だった。
二十四歳の男が子供のように、泣いていた。
クラウスは膝をついた。
石の床に両手をついた。
「ノア」
クラウスが言った。
声が震えていた。
「ありがとう」
「俺は、五年間、誰にも、見抜かれなかった」
「自分でも、見抜けなかった」
「お前が、見抜いてくれた」
「両親の、墓に、行く」
「謝罪して、そして、生きる」
「俺は、十九歳から、生きていなかった」
「これから、生きる」
「俺たちは、同じだった」
ノアが言った。
「お前は、両親を、忘れたかった」
「俺は、妹を、忘れたくなかった」
「方向は、逆だった」
「だが、根っこは、同じだった」
「これから、互いに、生きよう」
「ああ」
クラウスが頷いた。
クラウスは立ち上がった。
頬の涙を拭わなかった。
拭う必要を感じなかった。
クラウスはノアの肩を軽く、叩いた。
それから、振り返った。
歩き出した。
振り返らずに。
白い長衣が光の中に消えていった。
ノアはシエルに戻った。
シエルを長く、抱きしめた。
──アンナ。
──ありがとう。
──お前との、約束を別の形で果たせた。
──いっしょにいて、と、お前は言った。
──俺はあの日、いっしょにいられなかった。
──今度こそ、いっしょにいる。
──シエルと、いっしょにいる。
ノアは懐に手を入れた。
ヤコブの結晶がそこにあった。
結晶はもう、温かくなかった。
冷たく、軽く、静かにそこにあった。
五十年ぶりにエマは休めたのかもしれない。
──エマ。
──五十年前、あなたはこうして、救われたかったのか。
──あなたの想いがシエルを救う、いちばん最後のひと押しになった。
──ありがとう。
──いっしょにここにいてくれて。
ノアは結晶をもう一度、懐に戻した。
いつか、ヤコブに返す。
その時、何と言えばいいかまだ分からなかった。
光がゆっくりと、消えていった。
地下の広間が静かに戻っていった。
兵士たちは座り込んで空を見ていた。
ノアの中で別の何かが薄れ始めていた。
ノアはまだ、気づいて、いなかった。




