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『ガイア古書籍図書館へ行け……。そうすれば、全てわかる』
綾介は、父の手を取った。
『父さん! しっかりしてよ!』叫ぶように綾介は言う。ともすれば泣きそうになるのを、男の意地でこらえていた。
『綾介……。人は、永遠には生きられない。だからこそ、子孫を残し、思いを伝えるのだ……』
父の手は、骨ばっていて、すでに温もりを失っていた。
『あやこ……綾介を導いてくれ……』
それが最後だった。
『……父さん? 父さん!』今まで我慢していたものが一気にあふれ出した。
「父さん……」
熱い涙が、ころりとこぼれ落ちた。ここ最近は、いつも、父を看取った時の夢ばかり見てしまう。
朝はいつも憂鬱だ。起き上がって、涙をぬぐう。こんな顔、リブには見せられない。
身支度をしている時、ふと頭の中によぎった。
(なぜ、ガイア古書籍図書館なんだろう? 他の図書館でも人名辞典はあるはずなのに……)
そわそわとラウンジの中を動きまわる。ばらばらにされていたパズルが、一つにまとまろうとしている。
「……まさか」彼は立ち止まってつぶやいた。あまりにも突飛な仮説だった。でも、一番、当たっているような気がした。
「リブ、リブ、ちょっと来てくれ!」綾介が呼びかけると、すぐに、
「どうしましたか?」と、現れた。
「この図書館についての資料は、どこにあるんだ?」綾介は、リブの目を見つめて言った。
リブは、驚きに目を見開いた。その後、顔をそむけながら、
「なぜ、そのようなことを? ここは、倒れかけの図書館なのよ……」と言う。笑いとばそうとしているが、顔がこわばっている。
(やっぱり、何かあるんだ!)綾介の中で、仮説は、確信に変わった。
「ねぇ、父さんは、ぼくにここに来るように言ったんだ。他でもないこの図書館に。人の名前なんて、どこの図書館でも調べられるだろう?
ねぇ、リブ、君は一体何者なんだい?」
最後の切り札を叩きつけて、綾介はリブを見据えた。期待と興奮で、胸がいっぱいになる。
リブは、しばらく迷っていたが、やがて、大きなため息をついた。
「……わかりました。本当のことを言うわ。でも、その前に、一つだけお願いがあるの」
「なに?」
「わたしを、外に連れていってほしいの」
これまでにないほど、真剣な表情でリブは言った。
「わかった、連れていく。どうすればいい?」
「とりあえず出口に向かいましょう。歩きながら話すわ」リブは、そう言って歩きだした。
空気がしんとしている。綾介は、リブの言葉を心待ちにした。
「わたしは、あなたの母、土井 彩子よ。でも、そうじゃないとも言えるの」
ふたつの足音が、響く。静かな声でリブは話しはじめた。
「綾介の言ったとおり、ここの館長はもともと書誌学の博士でね。本がとても好きだったから、自分で図書館をつくってしまったの」
リブは、歩きながら話しはじめた。綾介はじっと彼女を見つめている。
「彼には、一人娘がいた。彩子というね。でも、人一倍体が弱かった。子ども時代は満足に学校に行けなかったわ……。
この図書館は、彼女のためでもあったのね」
二人は書庫に来た。リブは、一冊の本を手にとる。有名な童話の本だ。
「何とか、大学を出て、彼女はここで働きはじめたわ。そこで、男の人と出会った。……あなたのお父さんよ」
リブは、本を棚に直した。再び歩きはじめる。
「やがて、彩子は、赤ん坊を身ごもった。彼女は産もうとしたわ。
でも、館長は反対だった。だって、彩子はとても、子どもを産める体じゃ、なかったから……」
そう言いながら、階段を昇っていった。一番最初にリブと出会ったところだ。
「彩子は、反対を押し切って子どもを産んだ。
そして、死んでしまう」
綾介は口を開いた。
「その、赤ん坊が、ぼくなんだな?」
リブは、無言でうなずいた。
「それで、君が、母さんであって、母さんではないというのはどういう意味なんだ?」綾介は問うた。
リブは、少しの間黙っていた。
「館長は、彩子の記憶をもとに、コンピュータープログラムをつくったの。図書館を管理するためにね。それが、わたし『リブ』なの」
二人は、ガラスのドアを通って、暗い上り坂を上った。
「それじゃ、全て知っていたんだな?」
しばらくして、答えが返ってきた。
「ええ。わたしは、あなたが来るのを待ってました」
晴れやかな笑みを浮かべて言った。今まで、リブは笑みを絶やさなかったが、この時の笑みは何かが違っていた。
「雨が降ってる……」
ぽっかりと開いた岩山の穴から、雨の湿ったにおいが、ただよってきた。
「そうなのね、これが雨なのね……」
そう呟きながら、リブは、くらりとくずおれた。
「リブ⁉」
綾介は、血相を変えて駆けよった。
「どうしたっていうんだっ」綾介は叫んだ。リブの姿が、消えそうになっている。
(まさか、雨のせいなのか?)
図書館内のコンピューターだ。防水加工などされているわけがない。綾介は唇を噛んだ。
「ありがとう、わたしの願い、叶えてくれて」リブが言う。
「館長は、わたしのこと"彩子"として見ていたけど、わたしは、違うって思ってた。
わたしは、リブなの。苦しかった。他人の記憶を背負っているみたいで……」
「そんなこと、いうなよ……」
綾介は、呟く。
もう、後戻りできないということを知った。
「ねぇ、リブって呼んで、綾介……」
そう言って、リブは、ふっとかき消えた。
「リブ、リブ……」
雨の音があたりを埋めつくす。まだ、暖かさの残るチップを握りしめながら、綾介はリブの名前を呼びつづけた。
【Fin】