4:基幹病院の崩壊
なんば市立中央病院の救急外来は、朝の八時を過ぎた時点で待合椅子の空席が消えていた。
救急搬送を受け入れる自動扉が開くたびに、患者を乗せたストレッチャーが押し込まれ、付き添いの家族や看護師が短く要点を叫ぶ。通路はすでに渋滞しており、搬送された者の中には、処置室にたどり着く前に廊下に臥せたまま数時間を過ごす者すら出ていた。
嘔吐、下痢、発熱、幻覚――症状は多様であったが、いずれにも共通していたのは「突発性」と「原因不明」であるということだった。
「昨日までは元気だったのに」
「急に、目が泳ぎ出して。何か見えるって……言って……」
「誰もいない部屋で笑ってたんです。あれ、うちの子じゃない……」
診察室の外から漏れてくる肉声が、医療スタッフの表情をさらに硬くしていく。
処置を終えた医師が白衣のポケットに詰められた診療録を乱雑にねじ込みながら次の患者へ向かう。
研修医は看護師に指示を仰ぎながら書類の山と格闘していた。
冷静さは保たれていたが、それは限界の手前に張られた薄氷のようなものだった。
正午を過ぎた頃、院内放送が職員通路に響いた。
「……本日分の入院ベッドは、一般・観察室ともに満床となりました。以後の受け入れについては、各科責任者の判断を仰ぎ、応急対応を基本としてください……」
廊下の隅でその声を聞いた若い看護師が、わずかに目を閉じた。
彼女の両腕には、数時間前に嘔吐した幼児の体液が乾いた痕跡が残っている。
白衣を着替える時間さえ惜しまれる状況だった。
その日の午後、地元紙『なんば日報』は臨時号外を発行した。
一面には大きく「感染症か?症状不明の患者急増」と見出しが踊っていた。
内容は、主に病院関係者への取材と市の保健課による初期見解をまとめたものであり、「現段階では感染経路の特定には至っておらず、複数の症例には共通点が見出されていない」と結ばれていた。
しかし、紙面に掲載された救急搬送件数のグラフは、直近一週間で倍増しており、数値の上昇角度が、文章の平坦さを裏切っていた。
号外は、病院前、駅構内、役所、スーパーの出入り口に配られ、人々の手に行き渡った。
SNSでは、即座に記事の画像が転載され、同時に「感染症ではないという根拠は?」「なぜ公表が遅れた?」といった投稿が次々と現れた。
電話が鳴り続けたのはその夜からだった。
市外に住む親族から、実家や親戚宅に向けての連絡が相次いだ。
「本当に大丈夫なのか?」「テレビでは言ってなかったけど、ネットで読んだぞ」「水は飲んでないか?」「引っ越せないのか?」
高齢の母に代わって電話を受けた青年が、受話器を耳に当てたまま「大丈夫だから」と三度繰り返す。
だがその表情には、自信も確信もなかった。
医療現場の崩壊は、まだ始まったばかりだった。
医師たちは「原因不明」のカルテを重ね、看護師たちは「この症状、前にも見たような……」という言葉を口にしながら、対応に追われていた。
防護服は使われていない。マスクと手袋だけで、彼らは何かと向き合っていた。
――それが、何であるか、誰も知らないまま。
入院患者の家族たちは、不安げにベンチに座りながら、天井の照明を見つめていた。
その光は、いつも通りだった。ただし、少しだけ滲んで見えた。
それが目の疲労によるものか、あるいは何か別の理由かは、誰にも分からなかった。
***
午後三時。
市の危機管理課が主導する緊急記者会見が、庁舎内の第一会議室で行われた。
地元テレビ局二社、新聞記者三名、県の広報官、そして市内フリー記者が数名。
取材陣の数は控えめであり、記者席には空席も目立った。だが、会見の内容は即座にローカルニュース枠で速報として放映され、ネット配信もリアルタイムで行われた。
壇上に立ったのは市の副市長と、保健課の課長代理。
マイクの前で副市長が読み上げた原稿は、平坦な調子でこう繰り返した。
「現在、なんば市内におきまして、一部の医療機関に急性症状の患者が集中する事例が報告されておりますが、現時点で感染症としての病原体は確認されておりません」
「市としては、専門機関と連携し、原因の特定に努めております。市民の皆様には、根拠のない噂やSNS上の未確認情報に惑わされることのないようお願い申し上げます」
会場に挙がった質問は、記者たちの口調こそ丁重であったが、その背後には焦燥が滲んでいた。
「現場の医師が感染性を疑っているとの話もありますが、それに対する見解は?」
「水道水との関係を否定しきれないという市民の声もあります」
「ペットボトル水の品薄に市として対処の準備は?」
副市長は、いずれの問いにも「現時点では情報不足である」と繰り返し、回答に具体性を持たせることを避けた。
保健課の職員は、時折うなずくだけで、語尾を濁しながら会見は終了した。
――その数時間後。SNSは、かつてないほど加熱していた。
X(旧Twitter)では、「なんば市」「感染症」「水道水」「隠蔽」のハッシュタグが並列してトレンドに浮上。
市の会見内容の書き起こしが各所で共有され、それに対する反応が瞬く間に拡散した。
《感染症じゃないって言ってるのに、みんな大げさすぎ》
《じゃあ何で病院があふれてるのか説明してよ》
《今朝の水、生臭かった。誰か他に感じた人いる?》
《会見、台本読んでるだけだったじゃん。危機感ゼロ》
《これ、311のときと同じ構図じゃないか?》
誰かが「市長の家だけペット水が運び込まれてた」と呟けば、それを信じた者たちが画像を探し、別の誰かが検証を試みる。
「水道水は安全」という投稿には「本当に飲んだのか?」というリプライが殺到し、発信者の過去ツイートまで掘り返されていた。
その夜、根津はテレビのニュース特番を視聴していた。
画面には、市の副市長が会見で淡々と語る様子が映し出されている。
美保は横でソファに膝を抱え、黙っていた。
「……あれで、収まると思ったんだろうか」
根津は低く呟いた。
言葉の端々に、行政職としての火消しの技術が露骨に滲んでいた。
断定を避けることで責任を回避し、「連携中」「調査中」という言葉で時間を稼ぐ。
そして、市民に向けては「冷静さ」を求めることで、異論を“感情的”と位置づけ、黙らせようとする。
その構図を、根津は現役時代に嫌というほど見てきた。
実害が出ていようと、文言が整っていれば市の見解として通る。
それが、行政という仕組みの本質であることを、根津はよく知っていた。
「でも、もう時間は残ってない」
そう言って、彼はテレビのリモコンを手に取り、電源を落とした。
画面が黒くなった瞬間、部屋の空気がひときわ重く感じられた。
静かな家屋の中で、美保の呼吸だけが微かに聞こえる。
根津は、立ち上がってキッチンに向かい、コップに水を注いだ。
透明な液体は、蛇口から滑らかに流れ、何の異常もなく容器を満たした。
だが、根津はそれを口にせず、静かに覗き込んだ。
その水の表面に、会見の声が、ネット上の罵声が、病院のうめきが、微かに反響しているように思えた。
「言葉じゃ、もう収まらない」
呟きは、誰にも聞かれることなく、台所の闇に沈んでいった。