第六話 お誕生日パーティ
「むふう、むふう、わひゃあ、ばぶう、ぶうう、かわいいよお、かわいいよお、かわいいよお、かわいいよお、かわいいよお、わしゃしゃしゃしゃしゃ、わーしゃしゃしゃしゃしゃしゃ、ばぶううううううう、ばっ、ぶうううううううううう、うひゃひゃひゃひゃ」
玄関先で尻が踊っていた。
今日、私は聖ちゃんと連れ立って、ウィンドウショッピングに行こうとしていた。まだ聖ちゃんには今日何をするかは内緒である。
現在その迎えをしに聖ちゃん家に到着したところ。
聖ちゃんの家を見上げる――。
この後このまま街へと繰り出す予定だから、中までは入らない。
以前一回だけ来たことがある(ケンタの時ね)。その時も思ったが、改めて思う。いつかもっとじっくり中を見てみたいもんだと。
だってもう、ちっちゃなお城みたいなんだもの。ただでさえ、こっちが外国に感じている私にとって、聖ちゃん家はもうヨーロッパとかあっちの方からそのまんま切り取ってきたみたいに感じられた。
外壁を形作っている茶色のレンガはそれぞれ色の濃さが違っており、窓は存在感を表すように白く縁取られ、加えて大きく、装飾が厳かであり。壁に伝い絡まった蔦さえ、その家の雰囲気を出すのに一役買っているよう。
庭はこの辺の家の中でも、一際広くって、芝生が一面に敷き詰められている。ガーデニングが美しい。家庭菜園があるところは如何にもあのお母さんらしい。
そして。
門を通り抜け、玄関へと続く石畳を二三歩んだところ。奇っ怪な声に釣られて右手に視線をやれば……
敷き詰められた芝生のど真ん中で、尻が踊っていたのである。
誰の尻か?
聖ちゃんのかわいいかわいいお尻である。
紺のミニスカート、灰色のハイソックスにふとももが乗っている。
いつもより地味なのは部屋着だからであろう。
覗き込んだらパンツ見えそうだなとかふと思う。
姿勢的には四つん這いになって、腕に抱いている何か――たぶん犬か何かだろう――を、わちゃわちゃやっているところに偶然私が出食わしてしまったっぽい。
タイミング悪く。
あるよね。家の中だとキャラ変わっちゃうとかそういう。ましてペット相手だとどうしてもね。
そんくらい私にも分かるよ。
あー……。これ、見ちゃいけないやつ?
そんな私の想いを余所に、悲しい哉、左右にふりふりと激しく揺れ動く尻は留まることを知らない。
「にゃあああんっ! にゃあああんっ! にゃああああああああああああああああんっ! にゃあんじゃないねえわあんだねえ! わあああんっ! わあああんっ! バウバウッ! バウバウッ! バウバウバウバウッ! うひゃ、うひゃひゃ、うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! ぷしゅうう、ぷしゅううう! ふうううう、ふむうううううううううう、ぶひゅひゅ、ばぶばぶっ、ばぶばぶっ! ばぶううううううううううううううう!」
かわいいなあ(かわいいかなあ?)。
しょうがない。ここまで来たら最後までこの奇態を見てやろう。
かわいく揺れるお尻をスマホに収めて一生のネタにするとしよう。
わたしはゆっくりと膝を曲げた。フレアスカートが地面に付かないように、気を使いつつ、ポケットからスマホを取り出――そうとしたところで、一歩引いた私の右足が『ずざっ』と、芝生を擦るような音を立てた。
「!」
ものっすごい勢いで、ぐりんと首がこちらを向く。取れるんじゃないかと思ったほど。
首は非常にゆっくり正面に向き直り、そして、もう一度巻き戻すが如く、ぐりんとこちらを振り返った。
思わず、二度見しているされている。
見る見る羞恥に染まっていく。
じわ~っと。
人間の顔ってこんな風に真っ赤になるんだなーと私が感心してしまうくらいに羞恥に染まる。
振り返ったことで、腕に抱いている何かが見えた。
やっぱ犬。……子犬か? やたら長毛の犬が、芝生に仰向けで倒されていて、飼い主に無防備にお腹を曝け出していた。服従のポーズ。
へっへっへっへっ、と息をしている。散歩帰りだろう。首輪に紐が付いたままだ。あのお腹に顔を埋めて、息を吹きかけたり、顔をわちゃわちゃやってたんだろう。
うん。分かるよ。私も実家に犬、飼ってたもん。昔ね。
「どこから見てたの?」
「むふう、辺りから」
「……言われてもどこだか分かんない」
そんな震える声で言われてもね。あの様子だとそりゃあそうか、と思いつつ、
「私も聖ちゃんにばぶばぶされたーい!」
なるべく近所に聞こえそうなくらいの大声で叫んでみた。
「あほっ!」
「あいだっ」
すぱこん、と頭をひっぱたかれた。何かと思って見てみれば、丸いプラスチック製の黄色いフリスビーだった。
「あっ……ごめんね。叩いちゃって……」
しゅんとなる聖ちゃん。顔は赤いままである。
「聖ちゃんのそういうとこ私好きだよ」
「そういうとこ?」
「どう考えても私が悪いのにそうやって謝ってくるところ」
「……」
どう答えていいか分からない聖ちゃん。私もべつに答えを求めていたわけじゃない。
頭を擦りつつ話を逸らしてみる。
「犬? ヨークシャーテリア?」
「飼ってるの。スカイテリアっていう犬種で、名前はウォレス」
ふうん。
人懐っこい犬だ。起き上がり、吠えるでもなく、私の周りをくるくると走り回っている。やって来た私に興味津々といったご様子。仰向けになってた時は、体の小ささで子供かなって思ったけれど、こうして見ると、灰色で覆われた毛むくじゃらのお祖父ちゃんって感じ。
目、見えてんのかな? これ?
試しに手を差し出してみたら、警戒して大回りし出した。うはは。面白い。
「でさ」
視線を聖ちゃんに戻し、話も元に戻す。
「なにやってたの?」
「べつになにも……」
「ふうん。そっか」
「ちょっと待ってて。すぐに用意するか」
「にゃあんじゃないねえわあんだねえってなにあいだーっ!」
しらばっくれようとする聖ちゃんに悪戯心が芽生えてしまった。したら、もう一度フリスビーですぱこんと頭を引っぱたかれた。あいててて。
「うううううううう!」
ウォレスじゃなく聖ちゃんが犬みたいに唸っていた。
「ごめんごめん。もういじらないから」
今にも泣きそうだ。ふむ。いじめ過ぎか。これはよくないぞ。反省反省。
「まあいいや。行く前に散歩して、そのまま犬――ウォレスと遊んでたんでしょ? 私も早く来すぎたしさ……ゆっくり用意してくれば? なんなら私がここでウォレスと遊んでるよ?」
「……」
聖ちゃんはこくりと頷くと、そのまま「じゃあ」と一言、家の中に入って行った。ウォレスの紐は私の右手に握らせた上で。離さないで持ってろってことらしい。
そうして十分後、とんでもない格好をした聖ちゃん(この一件もあってその場では触れずにおいた。結局、その後で触れることになったが)と再び玄関先で合流し、私たちは二人で駅へと向かった。
その聖ちゃんが現れるまでの十分の間、私もウォレスのお腹でばぶばぶして、あわよくば聖ちゃんとの犬の腹越し間接キッスをしようと、暫し格闘したのだが、ウォレスは駆け回るばっかりで、ちっともお腹を触らせてはくれなかった。
――思えばこれがきっかけだったという。
聖ちゃんが私に、復讐という名のちょっとした悪戯・嫌がらせの数々を画策し始めたのは。