第五話 学園ミステリー編4
「あー? 猿だよ、猿」
宇田川さんこと、用務員のおじいちゃんは竹箒片手に言った。
「…………さる?」
「…………さる?」
私と聖ちゃんの声が綺麗にハモった。
――どっこいしょっと、中学校校舎のグラウンドの脇にある石階段、そこに腰を下ろしてもう一度、
「ああ。そうそう。猿だ猿」
なんでもなさそうに繰り返した。
そ、そんな馬鹿な。猿?
小火は?
「たーいへんだったでなあ。北の方じゃ珍しくねーんだけどさあ。あー須坂とかそっちの方なー? 山道車で走ってるとよく見るでえ。俺も、こーっちではほーとんど見たことなかったからさあ。あー、まあ、いるってことはなーんとなく知ってたけど、でも俺も今までここに何十年か住んでて、まあ、人里下りてくるってのは、めーったなことじゃなかったんだよなあ」
山奥だ、山奥。本当に山奥にいるんだよ――、と。宇田川のおじいちゃんは、目の前のグラウンドで元気に跳ね回る生徒たちを眺めながら言った。
あっさりと。そう、非常にあっさりと。
口止めなんかされてもいなかったのか。こうして放課後、探し、捕まえ、問い質すと、あっさりと口を割ってくれた。
むしろ話したくて話したくて仕方なかったんじゃないのかと思われる。
「危なくなるよなあ、こっから。どうすっか考え中なんだわ」
私の脳裏に思い出したくも無い記憶が呼び覚まされ、脇に汗が伝った。
「あー……、じゃあ、あの防火シャッターや生徒帰されたのって」
「いんや。その辺は知らん。けど、生徒帰したのは、まあ、怪我させんためだろう。先生たちもそう言っとったし、俺も帰した方がよくねえかーっつったし。野生の生き物だからなあ。引っかかれるか噛まれるかでもすりゃあ何伝染るか分かったもんじゃねえし。俺も病院行ってなんもなくて一安心だが、まあ、生徒はそういうわけにはいかんだろ。親御さんのことだってあるし」
「心配しすぎじゃあ」
「面白がって近づいてく奴もいるだろうしなあ。ほら。やたら、攻撃的な猿だったんよ。アレ、人間がくれたもんの味覚えたんじゃねえのかなあ? 誰かが、そこの山に入ってって餌でもやったんじゃねえのかなあ? まあ、あんな雑木林があるばっかりの整備されてねー山、好き好んで入ってく奴いるとは思えねーけどさあ。あの辺は熊とかもいるしよお」
「……ふーちゃん……たしかあのとき、ふーちゃん、妙に猿と仲良くなかった……?」
ぽつりと。私にしか聞こえない音量で囁く聖ちゃん。
応えない私にさらに囁く。
「ねえ、ふーちゃん」
「聖ちゃん、しー。宇田川さんのお話、ちゃんと聞こ?」
そんな私を聖ちゃんは信じられない者を見るような目付きで見つめた。
マジカコイツ? みたいな顔で。
待って。
今は待って!
一旦落ち着こう???
大丈夫。何が大丈夫なのかわかんないけど大丈夫。
私、知らない。知らないから。うん。
私は自身に自分でも何言ってんのか意味不明な言い訳にもなっていない言い訳をしていたところ聖ちゃんは一人肘を抱いている。
どったの?
「熊、いるんだ」
「いないよ。私見たことないもん」
「お前ここ来てどんだけだよ。あ?」
「ちょっ、こわっ……」
聖ちゃんが私どついている姿を見ようともせず、宇田川さんは山を眺めている。
「こっちには来ねーけどなあ。でも時々聞こえるだろ? 猟銃打つ花火みてーな音。あれ、熊とか鹿とか猪狩ってんだよ。まあ、熊はあんましいねーから安心しろ」
「その手……」
ぴっと、聖ちゃんは宇田川おじいちゃんの、包帯が巻かれた右手を指差した。
宇田川さんは右手を上げた。動かすのは大丈夫らしい。
「ああ、これなあ。追っ払おうとしたら引っかかれたんだわ。かすり傷程度だわ。ばあさんが大げさでなあ。ま、お前らも気ぃつけなきゃいかんでー」
そう言って、再び――どっこいしょっと――言って腰を上げ、宇田川のおじいちゃんは竹箒片手に去って行った。
それをしばらく黙って見送る私たち。
角を曲がって見えなくなったところで私は言った。
「さて、と。帰ろっか」
「ふーちゃん」
呼び止められた。
心なしいつもより語調が強い気がしないでもない。
「いやいや。待って待って。ね? 確かにね? 確かに私はタイムカプセル埋めるための下見で裏山の麓くらいまでは入ってったけどさ。テンション上がってたんだよね。遠足気分ってやつ? 居ても立っても居られない、みたいな? それで確かに――たまたま麓まで下りて来てたんだろうね――猿とも遭遇したし手持ちの食べ物も上げたよ? でもね? 考えてもみてよ。私が食べ物を上げました。はい猿が来ましたって。えへへっ。まあ誰が見たって分かりやすい因果関係だと思うよ。けどさ。だからって私が原因だって決めつけるのはどうなのって。これみよがしに用意された手がかりに飛びつくのってどうなんだろうって。私は思うわけ。疑っていかなきゃ。何事もさ。探偵ってのは疑うとこから始まるんだよ。猿=私が犯人って図式に安易に飛びつくその姿勢が堕落への第一歩なんだよ」
「ふーちゃん」
「だってね? 島育ちよ私。こっちとあっちで生息している生き物が違うわけよ。分かるかなー分かんないだろうなーこの感覚。私ってさあ。動物園とかも行ったことないわけよ。ほら。箱入り娘ならぬ島入り娘ってやつ? 意味わかんない? ね? ああ猿とか見たことなかったんだよ。わあーってなるじゃん? ね? わあーっ猿だーってさ。遭遇したらほら。思わず餌とかやっちゃうでしょ? 咄嗟に。かわいいじゃん。あいつら。もう動きが面白いじゃん。半分人間じゃん。仲良くしたいなってなるじゃん。お近づきにさ? ね? そこは誰にも責められないと思うわけよ。罪もない幼気な子供のやったことをどこまであなたは責められますかって話にも繋がってくるわけね。よくない。それよくないよ。なんでって。ほら。悪いことした。叱ろう。これはダメだよ。あれはやっちゃいけないよ。え? へ? は? それは一体いつ誰が決めたの? ほーら。答えられない。もー鼻で笑っちゃうね。未来ある若者に常識という名の楔を当て嵌めてがんじがらめにして誰もが社会に通用するようにしましょうっていうそういうありふれたロボット生産をしようと目論む学校のシステムそのものに私は異議を唱えたいね。分かる? これからはそんな時代じゃないでしょ? 誰もが自由に生きていけなきゃこの先生き残れない時代。聖ちゃんもそこのところは理解してくれると思うんだけどなあ。聖ちゃんは聖ちゃんでアウトローだもんね。仲良くしていこうよ。アウトロー同士。えへ? えへへ? へへ? えへへへ。へへ。へ。えへへ」
「ふーちゃん」
「っ、ぐす……えぐ……っ、ひっぐ。やってないっ……私じゃないもん……っ」
「自首、しよ?」
今度は私の肩に聖ちゃんの両の手が置かれた。
安心させるように? 違う。諭すように? 違う。
心の底から馬鹿にするようにだ。くそう。こいつ。こいつ。思いっきり笑いやがって。
聖ちゃんと付き合っていて気付いたけど、普段気弱な癖して、自分が優位な立場に立てると分かった途端に調子づく癖がありやがるのだ。
「なんだっけ? 先生たちが職員室で喫煙してて、それが原因で小火が発生して、隠蔽工作に走ったんだっけ? あ、そうだそうだっ! 今から先生たちの罪を暴いて糾弾して生徒たちに謝罪させなきゃけないんだった! ほら早く行かなきゃ! ほおら! ふーちゃん!」
「っん、ぐ。ち、ちがっ。は、はなしっ、はなせっ」
「行くぞ! ほら!」
「や、やだっ! 私行かないっ! やっ! 離してっ!」
「うだうだ言ってないで。行くよ。ほらっ、きりきり歩け!」
「ああああ~~~」
引き摺られるようにして、私は職員室まで聖ちゃんに連行された。
「えー? 宇田川のじいさん喋っちゃったの? はあ~。まあいいや! で? 風優ちゃんはなんでそんな歯食いしばっているの? なにに耐えてるの?」
聖ちゃんは先程グラウンドのどっかから拾ってきた枝で、さっきから私の腰の辺りを後ろから突っついている。警棒のマネごとか? ドちくしょう!
せめてもの抵抗だ。
断頭台に向かう前に、私は気になっていた事柄を聞くことにした。
「先生、なんであの日私たちに隠してたんですか? べつに教室で過ごすとかしてればいいじゃないですか」
「だってさぁ。風優ちゃんら、猿が現れたって言ったらどうする?」
私の問いかけに、ロリ先生は、脚を組みながらめんどくさそうに答えた。いちいち動作がセクシーだ。今日もぶかぶかのワイシャツを肌見せ見せな感じで上手に(?)着こなし(?)ている。
校内朝チュンごっこか!
なんてつっこみ入れる気力も今はなく。
「もちろん写真撮りに現場まで猛ダッシュします。そんでもって猿と一緒に自撮りできないかをまず挑戦して、見事撮れた暁には『うちの学校に猿侵入しちゃったんだけど! やばくなーい?』という文面と共に各SNSアカウントに速攻でアップします。その後はもうお分かりですね? 拡散に次ぐ拡散です。ハッシュタグはRT希望、拡散希望、RTした人全員フォローする辺りでしょうか。私バズります。フォロワーもいっぱい増えます。どうもありがとうございました」
「あんたみたいなのがいるからよ」
いやん。ふーちゃんって呼んで。
ロリ先生は「はあーっ」と盛大に溜息を吐くと、膝に肘を乗せて頬杖をついた。
「それにね? あの猿、やたら近づいて攻撃してくるんだもん。宇田川のじいさんも怪我しちゃったしさ。何か起こって親から色々言われるのも面倒じゃん。だから黙ってたの」
「防火シャッターを閉めた意味は?」
「幸運なのか分かんないけど、職員室側の窓から侵入したから。シャッター閉めて窓閉めて。一旦、生徒帰すまでそこに閉じ込めてたのよ。お陰で荒れ放題」
ふうむ。
シャッターが閉められていた理由も分かった。職員室が荒れてた理由も分かった。間違いなく猿が暴れたんだろう。
ロリ先生の視線の先を見れば、盛大にカーテンが引き裂かれていた。
慌てて走り回っていた先生たちってのも、猿を追いかけ回していたに違いない。消火活動でもなんでもなかったわけだ。
「岸辺先生は?」
「あー岸辺? あんなん、あんたらと変わんないでしょ? 居てもたいして役に立ちそうにもないし、むしろ居てもらったら迷惑になりそうだから早々に追い出したの」
あー。思考回路が私たちと近いってことは、やることも私たちと変わんないってことか。SNSもやってるっぽいし、妙な写真上げられてマスコミとかに騒がれるよりは追い出した方がいいと判断したっぽい。
そわそわしてたってのも、見張りやるより猿の方に行きたくて仕方なかったと見える。
ニュースになるよねえ。学校に猿が侵入して大暴れとかさ。まず間違いなく全国区のニュースになると思うよ。
夕方のニュースだけじゃ済まないかもね。
小中高一緒のマンモス校か。
小中に弟妹がいる家なんかも多いだろう。高校で猿が現れました、用務員とはいえ、怪我人も出ました、ってなれば騒ぎ出す親もかなりの数いそうだ。
「じゃあ、今日まで黙っていた理由も……」
「とりあえず追い出せて良かったものの。まだ猿が現れてから三日目だしねー。親からの問い合わせもあるけどさあ。職員会議でも生徒や親御さんたちに伝えるべきかどうか揉めてんのよ。このまま隠してた方がいいんじゃないかって勢力と、公表すべきだって勢力で。……マジで言うなよ?」
ジト目で睨んできた。
「はあ」
答えず私は天井を見上げた。恐らくあの日、それからその前日に、二日連続でこの学校の制服で山へと登ってしまった私のその制服を、猿は覚えていたのだろう(いや、いちいち着替えんのめんどくさくて。そん時はそんな深く入ったわけでもないし。入るつもりもなかった。でも出会ってしまったのだ。仕方ない)。
多少距離があるとはいっても、所詮裏山。通学などで、同じ服装の人間が出入りする建物があると分かるや否や、飛び込んできた。
『お、餌をくれる人間たちがたくさんいる建物があるぞ』
ってな感じ。
猿って頭良いもんね。
私は最後に確認することにした。
「ちなみに……どんな猿でした?」
「どんな?」
きょとんと聞き返される。ぱちくりと瞬きした後に先生は言った。
「どんなって言われても、普通の日本猿の――親子よ。三匹の」
確☆定!
ぽん、と、肩を叩かれた。振り向くまでもない。聖ちゃんだ。
「先生」
「さっきからどったの? 風優ちゃん」
先生は片眉を上げて怪訝そうな顔をした。ここに現れてから何時になく様子のおかしい私を不審に思ったのだろう。
私は覚悟して、深く深く息を吸い込み、吐き出した息と共に、つかえていたその言葉を口にした。
「私が、やりました――」
そうして、事件は『姫野風優、職員会議魔女裁判編』へと突入する。
後述。
クイズの正解は一以外の二、三、四である。
内部犯(私)による手引で、外部から不審者(猿)が侵入し、生徒には避難(ノット訓練)してもらった。
そして後日。
宇田川様に全力で謝り倒した私は、自らの意思で(決して先生方からの強制じゃなく)、宇田川様の清掃&見回りをサポートさせて頂くこととなった。
社会奉仕活動三百日の刑である。
未だ、猿は現れていない。