序章
集英社オレンジ文庫一次通過作です。
ケンタとマックとミスドの匂いに包まれて私は目を覚ました。
じゅわーっとした肉汁の香り、ジャンキーの代表格であるマックのあの独特の匂い、甘ったるーい砂糖の匂い、その全てを混ぜ混ぜしたエキスが私の部屋いっぱいに充満している。
春。
遥々小笠原諸島、日本の端っこから、本州のど真ん中にある長野に引っ越してきた私はこの匂いに悩まされていた。
わっほーい。すごいよ。裏にこんな遊べる施設あんじゃーん。ゲーセンだよゲーセン。私、リアルで初めて見たー。そしてマーック! あ、マクドっていうんだっけ? こっちはどっちなのかな? ケンタッキー! ひゃわー! 本当に白髭付けたおっさん突っ立ってる! あれ盗まれないのかな? ミスド! ミスドだよ! マジかよ~。ドーナツ並んでるよ。イカれてやがる。ねえ、お兄ちゃん、入っていーい?
全く。
一ヶ月前の私に言ってやりたい。
かっぺがはしゃぎやがって。
何がマックだよ。何がケンタだよ。何がミスドだよ。おまけに今度は焼肉屋も出来るってんじゃねーか。毎日この匂いに悩まされる私の身にもなれってんだ。
くちゃいんだよ、ったく。
いや、決してマックとかケンタとかミスドが嫌いって言ってるわけじゃないっすよ? 現に私、超利用してますし?
けどね?
いくらなんでもって話ですよ。
小笠原のあのからっとした気候と違ってなんかこっちはじめじめしてて気持ち悪いし、じゃあエアコン付けりゃあいいんじゃんって言われそうなんだけど、エアコンはエアコンで苦手なのよ。分かる? あの付けたときの最初のカビ臭さと、ずーっと付けてるとなんか気分悪くなってくるあの感じ。たぶん賃貸の備え付けで機種が古いってのもあるんだろうけどさ。
苦手なの。
じゃあ、窓開ければいいんじゃん?
でも、そうして開けるとこの匂いですよ。臭いと変換してもいいね。マックさんとケンタさんとミスドさんには悪いけどさ。
全く。
私の身がもたんよ。
「じゃあ、買ってくるの止めればいいのにね。脳みそまでジャンクフードに侵され始めてるんじゃないの?」
聖子は言った。
聖子と書いてひじりこと読む。
私は聖ちゃんって呼んでる。
女の子らしい女の子だ。悪い意味で。
どこに売ってるんだよ、そのヘアバンドって感じのピンクのうさみみ付いたヘアバンドを装着し、ネグリジェ? と疑いたくなるようなひらっひらした白のワンピースは、部屋着じゃなくて外着である。やけに黒目がちな、ぱっちりしたかわらしいお目々(たぶんカラコン)。髪型は長過ぎだろと一言言ってやりたくなるような黒髪ストレートで、何故か前髪にだけ、ところどころ金のメッシュを入れている(なんかのアニメか漫画の真似だろうと思っている。エクステかな?)。
部屋?
想像通りだと思うよ。白に薄いピンク、全体的にレースが付いた布がそこいら中にあって、家具はなんかそれ専門のこいつが好きそうな専門店で買ったんだろうなってデザイン。
少女趣味もここまで極めると尊敬に値するよね。いや、決して真似したくはないけれど。
漫画とかも私には何が面白いのかさっぱり理解できない少女漫画ばかりが並んでいる。
……こういう人って、音楽とかどんなん聴くんだろうね?
ベビメタかな? デンカレ? アリプロ?
「タツロウ・ヤマシタよ」
意外と渋めな趣味をお持ちだった。なんで外国人みたく言うの。
「どうせ買うならツイスターとか骨なしの買ってきてほしいのに。めんどくさい」
「かーっ! 分かってないなー! 聖ちゃんはーっ! ケンタは骨付きのやつを必死にかぶり付くのが醍醐味なのに! なーんにも分かってないっ!」
「一ヶ月くらい前までケンタ食べたこと無かった人がそれ言うんだ」
ぱく。
と、呆れるように零して聖ちゃんは両手を使ってケンタにかぶり付いた。口の端から肉汁が溢れて手の甲で拭って結局油が頬に広がって、聖ちゃんは顔をしかめた。
ま、ぶっちゃけて言うと、こんな少女少女した聖ちゃんのケンタむしゃぶりつく姿が面白くって面白くって私はこうしてケンタ買って来てるんだけど(なので食べやすい形をしたドラムはわざわざ抜いてもらう)。だから骨なしじゃダメなのだ。ツイスターなんてもってのほか。
今日は初めて聖ちゃんのお部屋にお招かれ。てことで、張り切ってどのジャンクフードを持ってこうかと小一時間ほど思案したが、ケンタに落ち着いた。
マックはなんか意外と似合ってそうだからやめた。
「でも、ふーちゃんも優しいね。ちゃんとサラダは買ってきてくれるんだもん。頼んでもないのに」
「? だって、聖ちゃんにはちゃんとした物を食べていて欲しいし。ま、買ってきたの私じゃなくて、全部お兄ちゃんだけどさ」
スマホで、聖ちゃんがお肉にムシャブリついたシーンをパシャリ。
こんな少女少女した聖ちゃんに、あんまり変な物ばっか食わせて太っちゃって私の責任になるのも嫌だし。親御さんになんて言えばいいの? あの、聖ちゃんを猫っ可愛がりしてる、虫も殺したことの無さそうなおばさんに。だったら、食べ物の消化を少しでも早めてくれそうな物も一緒に買ってきた方がいいかなっていう私なりの配慮だ。
「だったら、ジャンクフード買ってこなければいいのに……」
呟き聖ちゃんは再び肉に齧りつく。
「まあ、ほら……。私の居た島ではさ……、女子高生がケンタに必死にむしゃぶりつく様とか見れなかったしね……人生で一度くらいは見てみたかったんさ」
窓の外を眺めて、感慨に耽るように言った。
「こっちでもそんな見る機会ないよ、それ」
ツッコミはスルー。
知らん。こっちの常識を私の常識と当てはめてくれるな。
事情があってこちらに引っ越してきた私。
自分で言うのもなんだけど、南の島の陽気な雰囲気を纏った私と、制服まで魔改造してレースとかあしらってるザ・少女の聖ちゃんが、こんな風に仲良くなって、んでもって、家にまで上がり込むような関係になったのには、深い深い理由がある――とかなんとかドラマ性を求められたって実はなんにも出てこない。
普通に席が近かっただけ。
なんか隣にイカれた格好の奴が座ってやがるぜって思って、話し掛けまくってた。
後ろの席にぽつねんと座る少女、聖子。
実際、聖ちゃんはイカれていた。
「お友達? いないよ。無い袖は振れないもの。無から有を作り出すのにはとてつもないエネルギーがいるんだよ。わたしがそんなエネルギッシュな人間に見える?」
無い袖は振れないとか言ってる時点で根本的に友達に対する考え方がズレてると思うよ。私は。
「これのこと? ゴス史の歩みを振り返る素晴らしい本なんだよ。そう。今日の顔面ペイントはこの本を参考にしたの。残念ながら、先生方の理解を得られなかったみたい」
そうなんだ。今朝見た時はデビッドボウイのコスプレかと思ったよ。読む本間違ってんじゃない?
「スマホ? 一応持ってるよ。使ってないからいつもお家に置いてきてる」
携帯電話って言葉知ってる? オーケー。スマホがそれに当たるってことは? そう。じゃあ明日持ってきて。番号とライン交換するから。は? ラインを知らない?
「ゲーム? 脳みそが腐るからやらないよ。お母様がそう言ってたから」
十代の内は脳みそ腐らせて良いんだよって今度お母様に言っといて。
「ネット? 脳みそが腐
ようするに――、聖ちゃんは、お母さんが若干アレな人で、本人の元々持ってた社交性の低さと、興味の対象が極端に狭い聖ちゃんの素質も手伝って、大分捻じくれた女の子に育っているみたいだった(私の見解だが)。
そして、それは現在進行系っぽい。
教室でめっちゃ話し掛けてる私の姿を見た担任の江地先生が(余談だが、江地先生は女子高生もびっくりの見た目十二歳くらいのロリっ子教師でその上大変露出の多い格好をしていることもあって、我が校ではエッチッチロリ先生と呼ばれている)、
「風優ちゃ~ん!! 聖ちゃんと友達になってあげて~!!」
と、泣いて頼んできたくらいに、聖ちゃんには手を焼いているらしかった。
うん。
イジメにはあってないんだけど、美人だし、お母さんがアレだって噂もあるから、変に触れるのは、危険だって空気が蔓延してるっぽくて、踏み込もうとしない禁断領域みたいな扱いって感じ?
ほら。わざわざ地雷原に突っ込んで行かないでしょ?
これが、そこら辺にある普通の高校だったなら、学区に縛られた中学と違い、色んな場所から学区の垣根を超えてやって来る奴らとの新たな出会いの中で、聖ちゃんは趣味の合う変な友達を見つけて行くに違いないって思うんだけど、残念ながらうちの高校は小中高エスカレーター式の学校なのだった。
あんまり、外部の人間が入って来るっつーことが無いらしい。
……。
しかあし! 私は違うね! そう。私は違うのだ! だって、聖ちゃんこそ、私が求めているそれであったから。
私には使命があるのだ!
だからこそ、兄を頼ってここまで来たんだから。
ちょっと変わったアウトローな女子高生! いいじゃないの! 大変けっこう!
こういうちょっと変わった子と共に、私は、高校三年間という掛け替えない青春のいちページを走り抜けるんだ!
よーし! やるぞ! かますぞ! ゆくのだ! ふー!