07
『深淵の森』にほど近い、『コトナ大森林』冒険者ギルド支部。
魔物の冒険者達が集うそこでお世話になるようになってあっという間に半月が経った。
わたしの業務は主に依頼書の整理と張り出し。地道にコツコツ、黙々と。こういった作業は得意なので初日からずっと継続して作業を担当させてもらっている。
あまりにも作業に集中し過ぎて偶に休憩を忘れてしまって注意されてしまうが、それ以外は問題なく仕事ができていると思う。
支部に所属している冒険者の人達とも、もう殆ど顔を合わせただろう。みんな気さくで人当たりがいいから、口下手なわたしでも仲良くできた。『コトナ大森林』支部は魔物の冒険者しか居ないのもあってか所属している冒険者の数もそんなに多くないので、もう殆どの人と顔を合わせただろう。
「失礼します…!依頼書の更新時間です…!」
「おぉ!待ってました!」
「ヒナちゃん!脚立はここでいい?」
「はい!ありがとうございます!」
今日も持ち運び用の籠一杯に依頼書が届いた。
最近では、『コトナ大森林』のある帝国の首都の方で感染症が流行っているらしく、その治療薬を作るのに『コトナ大森林』周辺や『深淵の森』内部にしか生息しない薬草が大量に必要になっているのか、色んな診療所から薬草採取の依頼が舞い込んできている。
『深淵の森』は勿論、『コトナ大森林』も上級の魔物が多く生息する危険区域だ。そのためBランク以上の実力が求められる。つまり、『コトナ大森林』支部所属の冒険者はパーティーでもソロでもみんなBランク以上なのだというのは、最近知った話だ。
「今回も薬草採取多めか?」
「そうですね…。えーと……。あっ!そうだ!『コトナ大森林』奥の廃鉱山の調査依頼があったはずです」
「廃鉱山?あそこはもう長いこと魔物の巣窟になってるとこだぞ?今更調査が必要なのか?」
「でも、冒険者ギルド本部経由で魔術師協会からの公的な依頼のようですよ?」
籠の中を漁って依頼書を取り出す。
他の依頼書とは違い、届いた当初は上等なリボンで纏められていただけでなく封蝋までされていた。
明らかに他の依頼書と違ったのでソフィアさんに確認を取ったらドレッドさんのところへ持っていくように指示されたので持っていったら、ドレッドさんは真剣な表情で依頼書に目を通した後「他と同じように張り出してくれ」とだけ指示をくれた。
「魔術師協会か…珍しいな」
「初めて聞きます。どんな組織なんですか?」
「魔術師達が集まって、魔術や遺物の研究をしている組織だよ。遺物っていうのは魔術的能力を持つ古代の遺産で、世界中に点在するダンジョンや『深淵の森』みたいな特別危険区域で稀に見つかるんだ。危険な物も多いから基本的に遺物は魔術師協会で管理・保管されているんだ」
「そうなんですね…!」
魔物の中にも魔術師は居る。でも魔術師協会は人間の組織だから魔物は所属できない代わりに外部協力者という形になるらしい。『コトナ大森林』支部にも数人居るそうだ。
冒険者さん達と雑談をしながら依頼書を順番に張り出していく。
『コトナ大森林』支部に来る依頼は主に討伐と採取。それを大きな掲示板の中で分けて、そこから『コトナ大森林』、『深淵の森』、その他周辺エリアと場所で分けていく。
殆どの依頼書を張り出し終えて籠に残ったのは例の依頼書。どこに張り出そうかと掲示板を見上げると、意図したわけではないが掲示板の中央に丁度良いスペースができていた。
ここならみんなの目にもよく付くだろう。そう思って張り出すと同時にホールがざわついた。
何かあったのかと振り返ると、周りの冒険者さん達の視線が入口の方へ向いている。
「…何かあったんですか?」
「後ろ隠れてろヒナ」
眼の前に居た豹の獣人のヤジェさんが尻尾でわたしを抱き寄せながら背中に隠すように前に立つ。
周りを見回しても他の冒険者さん達も警戒心丸出しでピリピリしている。此処にお世話になるようになってからこんな空気は初めて経験する。
不安になっていると隣にそっとアッシュが立った。口を開いたが声を出す前に手で制されてしまい素直に口を閉じる。
「おいおぉい!相変わらず獣臭えなぁ!!」
殆ど反射で、ビクリと体が震えた。
攻撃的で威圧的な、男性の声。暗い記憶がフラッシュバックして体から血の気が引いていくのがわかる。
震える体を抑えようと両手を強く握り締めていると、隣にいたアッシュがソッと手を重ねてくれた。
少し低めの体温が、凄く安心する。
「何の用だ、ガキ共」
ドレッドさんが前に出て、腕を組みながら相手を睨み付ける。
ヤジェさんの背中から僅かに顔を出して人混みの向こうに見えたのは、無精髭を生やした顔でニヤニヤと笑う男性と、顔の半分が見えない程深くローブのフードを被った人。どちらも人間だ。
「久し振りだなぁドレッド」
「何の用だって聞いてんだよ。用が無えなら帰れ。邪魔だ」
ドレッドさんの声から苛立ちが滲んでいるのがわかる。改めて周りの冒険者さん達を見てもみんなあの人に敵意を剥き出しにしている。
みんなのこと“獣臭い”と言っていたし、良好な関係で無いことはよくわかった。
苛立ちを隠そうともしないドレッドさんに対して相手の男性は不敵な笑みを崩さない。
なんだか不穏は空気に身を縮めていると、僅かに動いたローブの人が影の中からこちらを見つめてくる。かなりの距離がある上に人混みの隙間から見ているはずなのに目が合っているような気がするのは何故だろう。
その視線には感情が感じられない。無機質な視線に背筋が冷えるのを感じて未だ重ねられていたアッシュの手を握る。気付いたアッシュが横目にわたしを見て、すぐに視線を追ってローブの人を睨み付けた。
「用ならあるさ。魔術協会から依頼が来てるだろ?俺達もアレに同行するために派遣されたんだよ」
「…お前みたいなクソ野郎が派遣されるなんてな。本部も相当人不足みてぇだな」
「そうなんだよ!最近首都で病気が流行ってんのはお前らみたいな引き籠もり共でも知ってるだろ?運の悪いことに冒険者にも感染者が出ちまってよぉ。仕方ねぇから俺様が来てやったんだよ。感謝しろぉ?こんな優秀な俺様が来てやったんだからよぉ!」
高圧的で傲慢な態度に周りからは次第に唸るような声が聞こえ始める。空気が更にひりつくのが肌でわかる。
無精髭の男性はそんな空気さえ楽しんでいるかのように変わらずニヤニヤ笑っている。
不意に、男性の視線がこちらを向いた。深められた笑みに、全身に悪寒が走る。
「おいおい、なんだぁ?珍しいじゃねえか!」
ズカズカと、人混みを押し退けて近付いてくる。逃げなければと思うのに、足が震えて動けない。
アッシュやヤジェさんが守るように前を遮ってくれたが、それすら男性は力任せに押し退けてわたしの目の前に立った。
「人間!しかもこんなガキの女なんかよぉ!」
「ひっ…!」
強引に腕を捕まれ、身長差のせいで半ば吊るされるような状態になる。
「ヒナ!!」
「ソイツはただの従業員だ!手荒なコトすんじゃねぇ!!」
「ただの従業員だぁ?そんなもんを揃いも揃って後生大事に守るかねぇ?」
男性の視線がアッシュに向けられる。
今までずっと一匹狼だったアッシュが他の…それも人間と一緒に居れば興味も引かれるだろう。それだけならいい。今よくないのは、その興味を引いた相手が質の悪い人間だということだ。
「丁度いい!コイツにしよう!」
「……っ……?」
「廃鉱山の調査に同行してもらう奴さ!『コトナ大森林』支部の奴なら別に冒険者じゃなくてもいいからなぁ!」
「!?だからって一般人を連れてくなんざ……!!」
「うるせぇ!!この任務は俺がリーダーだ!!俺の命令は絶対なんだよ!!」
掴まれた腕を力任せに引かれ、投げるようにローブの人の足元に転がされる。
逃げないと…!
腕に走る痛みに耐えながら震える手足に力を込めて立ち上がろうとすると、背中を押されて呆気なく床に倒れ込んでしまう。振り返るとローブの人がわたしの背中を片手で抑えていた。
見上げた先で目が合う。ローブの影に薄っすらと見えた顔は中性的な上半分程歪んで潰れていたが、わたしより少し年上くらいの男の人のようだった。
感情の見えない無機質な灰色の瞳が真っ直ぐにわたしを見ている。まるで「抵抗しない方がいい」と言われているような気がした。
「待てよ」
ニヤつく男性の背中に、アッシュが酷く低い声を投げる。
「俺も行く」
「…あ?」
「当たり前だ。調査依頼だっつったって戦闘スキルも持たねぇ一般人を魔物の巣窟に放り込むなんざ非常識だ。調査員の同行がある場合だって依頼のランクに見合った護衛の同行が義務付けられてる。一般人なら尚更必要だろうが。そんなことも知らねぇのか」
「……クソゴブリン野郎……!!」
額にこれでもかと青筋を浮かべる男性に、恐怖で体が萎縮する。
男性が何かを反論しようと口を開き、しかし、周りからの突き刺さるような視線に気付いて心底不服そうに口を閉ざした。
男性が舌打ちをして出ていく。ローブの人も、わたしを数秒見つめた後ゆっくりと彼の背中を追いかけていった。
シン…と静まり返ったロビー。恐怖と緊張で短くなっていた呼吸を整えようとゆっくり深呼吸をすると、全身から力が抜けて体が傾いた。
「!ヒナ!?」
床に倒れる前に誰かに支えられる。体が思うように動かないままなんとか視線だけでも上げると、ハンクさんが焦った顔で見下ろしていた。
「ヒナ!!大丈夫か!?」
「…は、はい……。なんとか…」
様子を見に近寄ってくる冒険者の皆に申し訳なくてなんとか立ち上がろうとしても、腰が抜けてしまったのか上手く力が入らず立ち上がれなくてすぐにへたり込んでしまう。
「無理しなくて良い。そのまま休んでろ」
「…すみません……」
「いや。ヒナは悪くねぇ。まさかアイツが来るなんて思ってなかったから油断してたぜ…」
ハンクさんに抱き抱えられ近くにあった椅子に降ろされる。
騒ぎを聞きつけたソフィアさん達スタッフさんが人混みを分けて駆け寄ってくる。余程顔色が悪かったのかスタッフさん達は悲鳴に近い声を上げると代わる代わるわたしを抱きしめてくれた。
「あの…、あの人は一体……。それに任務のリーダーって…?」
「アレは冒険者ギルドの首都本部所属の問題児だ。任務にかこつけてああやって俺等をおちょくるのが趣味なクソ野郎だよ。任務のリーダーなんてそんなもの無いのにああやって勝手をしやがる」
ドレッドさんも周りの冒険者さん達もみんな怒りを露わにした顔で同意するように力強く頷いている。
そんな人に目を付けられた上に依頼に同することになるなんて…。
次々湧いていくる不安を押し殺すようにこっそり両手を強く握りしめた。