06
掲示板に依頼書の張り出し作業をしながら色んな冒険者さんに意見を貰いつつ依頼書の整理もしていると、窓の外はあっという間に綺麗な夕焼けに染まっていた。
途中でスタッフさんが追加で持ってきた依頼書の張り出しも終わって脚立から降りる。先程まで沢山の冒険者さん達に囲まれていたけれど、いつの間にかホールに居る人も疎らになっていた。
そういえば仕事始めてからアッシュを見ていない。きっと何かの依頼を受けているんだろうけれど、彼の姿が見えないとなんとなく不安で落ち着かない。
他に誰か知っている人は誰か居ないだろうかと脚立を抱えたままキョロキョロしていると突然背中に何かが触れる。驚いて素早く振り向くと、そこには少し土に汚れた顔をしたアッシュが立っていた。
「っと…。驚かせたな。お疲れさん」
「…!アッシュ!お帰りなさい…!」
ニカッっと笑うアッシュの元気そうな笑顔に安心してそっと息を吐き出すと先程までの不安が消えた。
「初日はどうだった?」
「うん。簡単な書類整理とか依頼書の張り出しとかのお手伝いをさせてもらったの」
「そうかそうか!楽しかったか?」
「うん!」
元の世界では家で家事の手伝いをすることはあったけど、学校ではそういうことをさせてもらえなかった。だから家族以外にこんなふうに力になれたことが純粋に嬉しい。疲れはあるけれど、その疲労感も今はなんだか心地良くてくすぐったい。
「それなら良かった。…そうだ。一緒に飯食おうぜ。ソフィアに仕事切り上げていいか聞いてこいよ」
「!…うん!」
依頼書の張り出しも整理も終わっていたからソフィアさんに確認をしに行こうと思っていたので丁度良い。
先にテーブルを確保しておくと言ってくれたアッシュと一旦別れて、脚立を持ってスタッフの休憩所に向かうと、丁度休憩室にソフィアさんが居たので声を掛ける。
仕事を切り上げてアッシュと食事をしてきてもいいかと聞くと、何故か凄く嬉しそうに許可を出してくれた上に「脚立はわたしが片付けておくから〜!」とわたしが抱えていた脚立を素早く取り上げそのまま凄い力で休憩室の外に押し出されてしまった。
あっという間の出来事で数秒呆然としてしまったけれど、アッシュを待たせていることを思い出して駆け足でホールに向かう。
足を踏み入れた食堂は、時間的に丁度夕食時なだけあって沢山の人でごった返していた。
中を見回してアッシュを探す。人が多くて少し不安になってしまって胸の前で両手を握りしめていると、近くを通った屈強な獣人さんが声を掛けてくれた。
「おっ!ヒナ!アッシュのやつ探してんのか?」
「っあ、はっはい!夕食を一緒に食べようって誘ってもらって…」
「そっかそっか!アッシュならいつも窓際の席だからあっちの方に居るはずだぜ」
「…!あ、ありがとうございます!」
お礼を言うと彼の頭上の丸みのある耳がピコピコと可愛らしく揺れた。大きな身体に小ぶりな耳が可愛らしいが、去っていく彼のお尻に見えた尻尾は太くてしなやかな虎柄のものだった。
言われた通りに窓際の席へ向かう。外の景色が見えるように並べられたテーブルは景色も良くて好評なのか既に全て埋まっていた。
そんな賑やかな空間の中に一つだけ、静かなテーブルがあった。
料理も飲み物も無いテーブルで、小柄な後ろ姿がジッと窓の外を眺めている。それでも周りを気にしているのか、人間のものよりも長い耳が時折ピクッと動いているのが見えた。
「アッシュ…?」
自然と声が溢れる。周囲の喧騒にかき消えてしまいそうほど小さな声だったのに、聞こえたのかアッシュの耳が一際大きく跳ねた。
「!来たかヒナ!ほら、こっち座れよ」
「…!うん!」
窓際の三人掛けの席。そこに二人で向かい合って座り、アッシュから手渡されたメニュー表を覗き込む。
美味しそうな料理の名前がずらりと並ぶそれを見つめているとお腹から大きな音がした。そういえばこの世界に来てから一度も食事をしていないことを思い出す。意識すると余計に空腹感を感じてしまってまた大きな音がした。
チラリと向かいに座るアッシュを見る。しっかり聞こえていたようで、声を押し殺すように笑っていた。
「奢ってやるから好きなだけ食え!遠慮すんなよ?」
「う…うん…。ありがとう……」
恥ずかしさで顔から火でも吹いてしまいそうだ。
アッシュにオススメを聞きながらメニューを決めていく。…とはいえ、わたしは少食な方だから2、3品ぐらいだけど。
「そんだけで足りるのか?」
「うん。これでもいつもより多いけど…」
「マジかよ。そんなんだからいつまでもヒョロヒョロなんじゃねぇの?」
「そ、そうかな…?」
きっとアッシュの基準は冒険者の人達だろう。一般人と比べたら大食らいの人だって居て当然だろうし、女の人でもムキムキの人だっているかもしれない。
とはいえ人より食べる量が少ないのは自覚しているし、あまりアッシュに心配も掛けたくないので「ちょっとずつでも食べれるようになるね」と言うとアッシュも満足そうに頷いた。
食堂を行き来していたメイド服を着た狸の獣人さんを呼び止める。食事を受けて去っていく後ろ姿を見送ってから、「そういえば…」とアッシュに向き直る。
「今日はずっと依頼を受けてたの?」
「あぁ。『深淵の森』で討伐依頼をな」
「…あの、怖い魔物…?」
「そう。ドレッドのオッサンも言ってたろ?アイツらは人間の匂いに敏感だから俺ら魔物の冒険者が基本的に討伐を請け負うんだ。依頼の難易度が高い分報酬は破格だが、勿論その分危険性も高い」
今思い出しても背筋が凍るような悪寒がする。
アッシュが言うには、混沌獣が確認された当初は人間の冒険者も討伐を請け負っていたそうだが、奴らが人間だけを執拗に狙うような動きを繰り返し見せることが分かってからはどんどん依頼を受ける冒険者が減っていたらしい。
それで急遽、魔物の冒険者を募ることになったそうだ。
元々、人間と一緒に生活している魔物は少なくはなかった為、希望者自体は当初からそれなりの人数が集まったそうだ。
「…そうして次々魔物を冒険者として受け入れてる内に、人間の冒険者と摩擦が増えてきちまったらしくてな。隔離、じゃねえけど、別々の環境で活動する方向で落ち着いたのが現状だな」
「じゃあ、この集落もその過程で…?」
「そうだな。当時の冒険者ギルドの統括が造れって指示したらしい」
とはいえ『深淵の森』の近くに町を作るのは勿論容易ではなかったそうで、広い土地を開拓したはいいものの伐採できない程大きな木が多く住居を用意するスペースまでは確保できなかったため、今のような形になったそうだ。
「行き当たりばったりだよな」
「でも、絵本の中でしか見ないようなお家ばっかりで、わたしは楽しいよ?」
「そういうもんか?まぁ楽しんでんならいいさ」
話に一区切りついたタイミングで料理が運ばれてくる。
あっという間にテーブル一杯に料理が並び、美味しそうな匂いが鼻を擽る。
「わぁ…!いただきます!」
「?何だそれ?」
「?…あ、これ?わたしの故郷の、食事の作法…というか、習慣みたいなもので…」
「へぇ…」
わたしの手元をジッと見つめた後、アッシュは見様見真似で両手を合わせた。
「いただきます」
二カッと笑ったアッシュになんだか胸の辺りが擽ったい。家族以外とこうして何かを共有するのは初めてかもしれない。なんとなくだが、嬉しい、気がする。
頬が緩むのを感じながら食事に手を伸ばす。サラダやシチューなど馴染みのある料理ばかりだからか、空腹のおかげもあってか抵抗なく食べることができた。
一度に沢山を口に入れるのは苦手なのでちょっとずつチマチマと食べるわたしに対して、アッシュは豪快に大口を開けて料理を頬張っている。周りから少なからず視線を感じるのはきっと、わたし達の食べる姿が対照的だからだろう。
「そんなチマチマ食ってて腹膨れんのか?」
「うん。大丈夫だよ。アッシュもそんなに詰め込んで喉詰まらせない?大丈夫?」
「おう。詰まらせたことねぇから心配すんな!」
頬をパンパンに膨らませ美味しそうに料理を頬張るアッシュの姿はなんだか可愛らしい。
家族以外とこんなふうに喋りながら食事をするのは初めてだ。一人の食事も慣れてはいるけれど、やっぱりこうやって誰かと一緒に食事をするのは楽しい。
「あの…アッシュ…」
「ん?」
「またこうやって、一緒にご飯食べてもいい…?」
冒険者の仕事で忙しいのはわかっているけれど、やはりまだ一人で居るのは不安がある。…なんて言い訳をしつつ、自分がアッシュと一緒に居たいだけなのかもしれないけれど…。
断られるかな、と不安になって自然と視線が下がる。
沈黙が長い。やっぱり駄目かな……。
「何言ってんだ。いいに決まってんだろ?」
頬張っていた料理を飲み込んで、当たり前のようにそういうアッシュ。
それが本当に嬉しくて、少し視界がぼやける中上手く言葉が出ない分心から思い切り笑った。