5,大頭殿
5,大頭殿
ドラコニアンたちの頂点に君臨する女王パルガス。彼女は、歴代の女王の中でも最も美しく聡明であると言われていた。真っ白な鱗は、よく見ると虹色に輝いても見え、その目はアルピノらしく真紅でルビーのように深い輝きを放っている。彼女が王位に就いたのは200年前。以来、強さのみが支配するドラコニアンの社会に、知性を重視する政策や制度が作られていった。彼女は、今まで社会の日陰者として扱われてきた雄のドラコニアンたちにも光を当て、彼らの中で有能な者を取り立てることもした。そんな有能な雄の中で最も重用された者の一人が、グリューエンスという雄であった。
グリューエンスは1m50cmほどであり、他の雄に比べても半分くらいしかない。常に目をつぶり黙想しているのが癖で、一瞬の油断すら捕食の対象となってしまう爬虫類たちの社会の中では変わり者で通っていた。また、一番の特徴は、その大きな頭で、重そうに頭を乗せて歩く姿と、変わり者具合が一種の尊敬を生み、オスのみならずメスのドラコニアンからも「大頭殿」と呼ばれていた。
「グリューエンス様。今日も揺籃士が一人食われました。メヒト様は大変乱暴な個体でして、どうも手に負いかねますな。」
揺籃施設の長であるグリューエンスは部下から毎日報告を受ける。この部下は、自分の同僚が、メヒトという凶暴な2歳のメスの個体に食われるのを喜々として報告した。この国のオスにとっては、強いメスに捕食されて、自らを血肉とされることは喜びでもあり誇りでもあったのだ。
「そうか。まぁ次の者をあてがえ。」
オスは数だけはたくさんいるし、揺籃士はオスにとって最高の待遇と名誉を持つ仕事だから、なり手には困らなかった。
「メヒト様はここ数年まれにみる、大きさと俊敏さと凶暴さをお持ちです。もしかすると女王候補になられる方かも。」
部下が少し興奮した様子で言った。
「滅多な事はいうものではない。お前は自分の仕事をしておればよい。」
グリューエンスは煩わしそうな顔で、部下の軽口をたしなめた。
「はい。ですが、我々オスにとって幼少期の女王の血肉となることは、最高の栄誉なものですからね…」
部下のオスは、その縦に緑線の入った黄色い目を、パチパチさせながらグリューエンスを見ていた。どこか情けなく、この国のオスの悲哀を表しているようで、グリューエンスは目を背け閉じた。
グリューエンスは、このような価値観をどうしても受け入れられない。メスに奉仕し、虐げられ、捕食される運命を持つオス。そのようなオスとして生まれた運命をいつも呪っていた。メスの暴虐を目にすると、いっその事食われてしまった方がどれほど楽かと思い、グリューエンスは目を閉じる。目を閉じた暗闇こそが、彼の唯一の安息の場所に思われた。
オスの揺籃士たちの集まる仕事部屋のドアが開かれると、大きなメスの個体が入ってきた。この揺籃所の衛兵の長、べオルグである。
突然のメスの乱入に、オスの揺籃士たちに一気に緊張が走った。
「大頭殿、女王がお呼びだ。今すぐ参られい。」
べオルグは、他のオスどもには全く目をくれず、グリューエンスを例の蔑称で呼んだ。
「今すぐいく。」
グリューエンスはいつものように目を閉じて、つかの間の暗闇に心を沈めた。
この爬虫類の王国は、女王が支配する。女王は先代の女王との決闘によって、その地位を奪う。この決闘は、神聖な行事であり、現女王は挑戦者の挑戦をいつでも受けなければならない。決闘に勝ったメスが最強の者としてこの国を支配する。王国の名前は女王の名前であり、現在の国名はパルガス朝と呼ばれている。
女王パルガスは在位300年。数多くの挑戦者を屠ってきた最強の女王である。またその美しさも比類がなく、10mを超えるその体は白く輝く鱗でおおわれていた。また、彼女の最大の特徴は知性であり、この国を治めるに際しても、知識を重んじた政策を打ち出した。今までのドラコニアンの社会にはなかった歴史や科学などの、体系的な知識を蓄積、開発する制度や部門が作られたりした。自然、彼女以前のドラコニアン社会は粗暴なメスたちが支配する国であったのが、グリューエンスのような知性を持つオスなども重用される国になりつつあった。グリューエンスはこの白き王パルガスに拾われ、この国の最上位の文官の地位に上り詰めていた。
グリューエンスは王の前に立った。
「大頭殿。お元気ですか。」
「はい。女王におかれましては、いつもお麗しく、お美しい。」
「フフ。心にもない事を。もう私もおばあさんよ。長く生き過ぎました。そろそろ次の者が出てくるでしょうね。フフ。」
白い王は、目で微笑みながら言った。
「めっそうもございません。女王が引かれれば、この世界は闇に戻りましょう。」
女王とグリューエンスのいつものやり取りである。グリューエンスは女王パルガスに見出された。オスの個体が知性が優れているからといって、ここまで優遇されることは今までのドラコニアンの社会になかった。グリューエンスは、いつも、この女王のためなら死んでもいいと思うのであったが、そう思う自分を苦々しく感じる自分もいた。そんなグリューエンスの心情をも女王は鏡のように感じ取っている。
「大頭殿。あなたはいつでも自分の道を歩んで行かれて良いのですよ。」
女王は目を細めて言った。
「女王よ。私は決めたのです。あなたの治世をお助けすることが、私の生きがい。それ以外には何もありませんし、行くところもありません。」
グリューエンスは己の心の葛藤を打ち消すよう言った。確かにこの女王がいなくなれば、自分に居場所などないだろう。
「思い出します。昔、私があなたを軍の会議に初めて出席させたときのことを。」
女王パルガスは目を細めて言った。
不格好な大頭のオスであるグリューエンスは、その類まれなる知性から、女王の目に留まり、引き上げられた。女王は、彼をメスの独壇場であった軍事会議に参加させた。その軍事会議には、彼の事を快く思っているメス竜など一頭もいなかった。それを承知で女王はグリューエンスを出席させた。
この国の将軍たちが居並ぶ中、奥に黒い煙を吐いている太った竜がいた。彼女はいわゆる猪武者で、作戦など不要で、敵を殺し屠ることが生きがいの凶暴なメス竜であった。会議早々、黒龍がグリューエンスを罵倒した。罵倒といっても、黒龍の罵倒はすさまじいもので、黒い毒の霧を吐き、邪眼で彼を殺さんとする勢いであった。
「この会議に最もふさわしくない者がおる。この臭いにはうんざりじゃ。弱い醜い者がなぜここにおるのか、のう、皆の衆。」
周りの将軍たちも、場違いなオスが紛れ込んだことを不快に思っていたので、黒龍を止めることはなく、うすら笑いを浮かべてこの光景を眺めていた。女王は最上段に鎮座して、動かない。
「女王も女王じゃ、我が王国の最高決定会議に、このようなクズを…」
黒龍がそう言いかけた時、白い光が唸りを上げて走った。一同が気づいた時には、女王が黒龍の首に噛みついていた。黒龍は凄まじいうなり声と、女王への呪詛の言葉を投げかけたが、女王パルガスは、白い体をひねり黒龍を押し倒し圧倒的な力でねじ伏せた。ついに黒龍の首を噛みちぎってしまった。女王はこのような状況が起きる事をもちろん想定していた。またこの太った黒龍のような分子が、国を滅ぼすものであると考えていた。周りの将軍たちは女王の意図を感じ、それ以上に女王に恐怖を感じ、以来グリューエンスに手を出したり、侮蔑を行うものはいなくなった。
「さて、大頭殿。今日呼び出したのは『あの件』です。」
白い女王は、優しげに紅の目で矮小なグリューエンスを見つめた。
「ああ、俺は何があってもこの方について行こう。」
彼は、心からそう思ってしまうのだった。