4、司祭と信徒
大広間が人いきれでムンムンしている。広間は高い天井と壁一面に華麗な装飾が施されており、壁には様々な聖人たちのイコンがステンドグラスで飾られている。部屋の縦長の間取りには長椅子が並び、そこにぎっしりと人間たちが座っていた。さらに長椅子には座りきれないのか、立ち見をしている人もいる。
そんな大賑わいの広間に、僧衣をまとった小太りの男がそそくさとやってきた。
「どうもどうも、遅れまして申し訳ありません。」
男が演台の前に立つと、座っていた信者たちが、一斉に立ち上がった。
男は恐縮しながらも、祭壇に向かって振り返り、目の前にある大きな像に向かって唱え始めた。
「星の教団の信者たちよ、今宵も星の人とともに心を一つに。次なる転生に備え、永遠に続く神聖なる循環を讃えん…」
男が祝詞を唱えると、信者たちも和讃する。
祝詞がクライマックスを迎え、教会に声が響き渡った。
「すべてを司る神アヌンナキよ、
星の人を通じて我々に啓示と導きを。
人類が竜と虫から解放され、
高みへと進むよう指導せんと願う。
全ての創造と運命を操る神アヌンナキよ、
星の人を我等に遣わし、
竜と虫の脅威から我々を救いたまえ。
星の教団の同胞たちよ、
星の人と神アヌンナキに感謝し、
次の転生を迎える準備をせん。
我々の信仰が永遠の循環となり、
未来に光をもたらさんことを。」
男は、ある教団の司祭であった。大勢の信者が礼拝室を埋め尽くしているところを見ると、この教団はよほど人気のようである。
「ニコ司祭。今日も素晴らしい祝詞を有難うございました。」
最前列に座っていた、がっちりした大柄の老人が、後ろにひしめく信者たちを振りむいて拍手をした。皆、合わせて割れんばかりの拍手をする。祭司であるのにニコは、さも恐縮であるかのように身を縮めた。その様子を大柄の老人は横目で見ている。
「では、司祭、今日のご説教を…」
大柄の老人が言いかけた時、ニコが遮った。
「いや、サンジャヤ殿、今日は戦も終わったばかりで、皆も疲れているであろう。私の長い説教よりも、皆、待っておられるものがあろうて。」
ニコがチラリと奥の部屋を見やった。
信者たちは歓声を上げた。
「ほれ、見なされ!私の説教では腹の虫は治まらんて。」
サンジャヤと呼ばれた老人は、少し眉をひそめたが、諦めたように言った。
「まぁ、今日くらいは良いでしょう。では信者の皆さん、食事の準備が向こうの部屋にできています。ゆっくりお召し上がりを。」
サンジャヤが言うや否や、信者たちが立ち上がった。
「皆さん、慌てずに!全てサンジャヤ殿のお布施ですので、感謝して頂いてください!」
ニコの話も聞かず、信者たちは食堂に殺到した。
ニコは申し訳ないという仕草をサンジャヤにしたが、サンジャヤは少し不満げな顔をしている。ニコはまた恐縮して見せた。ふと奥を見ると、信者席である長椅子の最後列に一人だけ男が残っている。
ニコは居たたまれない雰囲気を脱するように、男に近づいた。
「ナガト殿!」
男は、ゆっくりと立ち上がった。ゆうに2mは越えているであろう長身、頭にはヤギのような巻き角がうずを巻いている。顔は少しヤギに似ているようではあるが、端正な顔をしている。体つきは痩身といっていいほどで、筋肉の量はそう多くないが、手足が異様に長い。ヨーロッパの甲冑のような、それよりも体にフィットしている鎧を身に付けていた。
「司祭、お久しぶりです。」
ナガトは、抱きつこうとするニコ司祭をスルリとかわした。
「今日は大変だったみたいだね。」
大柄なサンジャヤは、さらに背が高いナガトの背中をポンポンと叩いた。
「はい。今日は多くの死者が出ました。ただ、結局のところ、我々の攻略した巣は虫どもの先遣部隊のようで…」
ナガトは疲れた暗い顔で言った。
「ヌシはいなかったのか。」
サンジャヤも落胆した声を出した。
「ヌシどころか、女王の一匹もいませんでしたし、虫たちも戦闘特化型は数匹だけで…」
「そうか…」
サンジャヤは残念そうに固太りした肩を落とした。
司祭ニコが話に加わろうと、必死に顔を出した。
「ナガト殿。それでも我が軍は勝利したではないですか!これでひと時の猶予ができましょう!」
ナガトはニコの顔を見て溜息をついた。
「この戦闘で、我々は戦力をかなり失いました。それに兵士たちは飢えています。この程度の戦闘であっても、兵站もギリギリ。次に本体がせめて来たら、我々はまた北へ逃げねばなりません。これが勝利と言えるのでしょうか?」
ナガトの反論に、ニコはたじろいだ。
「王の親衛隊長たる君が、そんな暗い顔をしてどうする!さあ、あったかい食事でもとって元気を出しなさい。」
ニコはなんとかナガトの気持ちを盛り上げ、場を明るくしようとした。
「ありがとう、司祭。」
そんなニコの気持ちを察したナガトは礼を言った。
「ただ、今日は話があって来たのです。」
サンジャヤはうなずき、ニコと3人で書斎に向かった。
3人が集った場所は、ニコの先祖たちが書き留めた記録や、教団に関わる書物などが壁掛けの本棚に並んでおり、ニコが執務をする机と、部屋の中央に円卓があった。その円卓を囲み3人は向かい合った。
「で、話というのは何かね。ナガト殿。」
ニコが口火を切った。ナガトはニコの顔と、サンジャヤの顔を交互に見て、まだ口ごもっている。
沈黙が続いた。サンジャヤも石になったかのように黙っている。
やがてナガトは意を決したように口を開いた。
「私は軍人です。」
また黙り込んだ。
「そうじゃとも、それは分かっておる…そちは王の…」
ニコが口を挟もうとしたが、サンジャヤが大きな手でそれを制した。
ナガトが苦しそうに声を発した。
「私は王の親衛隊隊長です。」
ぽつりぽつりとナガトは話した。
「そんな私が、これを口にするのは、私自身の否定ですし、国民に対する背任でもあるのですが…」
ナガトの削げ落ちたような頬が、落ちくぼみ影となっていた。
「次の襲撃で、王都は壊滅しましょう。我々は王都を放棄して、国民を連れ北へ逃げねばなりません。」
ナガトは言った。
ニコは驚いた顔でナガトを眺めている。サンジャヤは瞑った目を開けた。
「ナガト。次の虫の襲撃はいつ頃になる?」
サンジャヤは、なんの感情もない冷たい目をしていった。
「多分もう冬に入りますので、虫は攻めてこないでしょう。次の襲撃は春。」
「あと4か月くらいか。」
「そうなります。」
「わかった。」
サンジャヤはまた黙り込んだ。
「しかし、今の王都でさえ200年前の大戦でヌシに追いやられ、やっとのこと造り上げた都であるのですぞ…」
ニコが悲しげな声を上げた。
その声にかぶせるように、ナガトは言った。
「あの頃には、まだ軍には前文明の兵器が残っていましたし、兵士も沢山いました。大戦の記録では、ヌシに我々人類は肉薄したと言います。今は、ヌシどころか、女王に近づくことすらできない。」
ニコは呻いた。
「今、我が国を狙っている女王だけでも、なんとかならんものか。」
サンジャヤは相変わらず黙然として腕を組んでいる。
「今、虫たちの女王の数が増えている。ヌシは、それらを競わせているのではないかとゾインで『はぐれ虫』が言っていました。女王たちの目指すのは、女王同士の戦いに生き残り、次の変態を待つこと。そのためのエサ確保が目的なのです。エサとはむろん我々のことです。今、我々を狙っている女王のコロニーは3つ。冬の間にこれらが滅ぼしあってくれれば、まだ戦えると思うのですが…」
ナガトは、部屋の電灯にたかる小虫を見上げて言った。
「虫の生態は、謎だ。」
サンジャヤは、その太い眉毛と大きな口を動かして、いかにも謎であるという苦し気な顔をして言った。
「ヌシとは何物なのか?本当に虫なのか?ヌシの目的は?なぜヌシの支配下にある虫は巨大化するのか?また、彼の支配を逃れた『はぐれ虫』たち、あれもよくわからない。」
サンジャヤは、疑問を次々と投げかけた。
ニコは声を励まして言った。
「我々『星の教団』の『星の人』という希望があるではないですか!伝承では彼らは常に人類の危機を救ってきた。そういえば、『星の人』ムサシ殿はどうしておられる?」
ニコはナガトに目を向けた。
「もう、あの方はご高齢ですし、彼にできる事はないでしょう。」
ニコは肩を落とした。
「『星の人』といっても、たいして役に立たん方もおられるのか…」
ニコはひとりごちた。
「私の大切な師匠です。」
ナガトは眉をひそめて不本意な気持ちを露わにした。
ニコは慌てて、
「いやいや、ムサシ殿は『星の人』として王立軍に奉仕され、活躍されたことは間違いない。ただ、過去の『星の人』は人類を救った方もおられたのでな…気を悪くせんでくれ。」
とフォローした。ただ、ムサシという『星の人』が期待される程の働きをしなかったことも、3人の同一見解のようであった。
「できることをやろう。」
サンジャヤは、実務家らしく、声を出した。
「そうですね。残りの時間でできる事を。」
ナガトは続けた。
「そのことで、皆さんに提案があって来たのです。」
ナガトは声を励まして、緊張した顔で言った。
「もう時間がない。単刀直入に言います。次の襲来までに、私は現王を廃位したい。その手助けを貴方たちにお願いしたい。」
ニコは口に手を当て目を見開いてナガトを凝視している。王の側近中の側近が、クーデターを示唆している。その現実の光景に、頭が追いつかないのであろう。しかし、サンジャヤは、その提案を予期していたのか、優しくナガトの手を取った。
「よくぞ決断してくれた。」
ナガトは顔を上げた。サンジャヤは涙を浮かべている。
「ナガト。わしも同じ考えだ。今、何もしなければ我が国は崩壊する。領土は虫や竜たちに侵され、民は皆殺しにされ、人類は滅びの危機に瀕するだろう。それなのに、現王は、自らの豪華な生活を維持することのみを考え、現実を見ておられない。そのような王と王族たちに国を任せることはできぬ。」
サンジャヤはこの国を代表する商人である。その才覚で巨万の富を築き上げたが、彼とて人間社会の中で生きる者。その社会自体が無くなってしまえば、築き上げた富など、何の価値もない事を知っていた。また、王国による統治機構が古びており、新しい統治システムが必要であると長年考えてきた。
「わしは全力で貴殿をサポートしよう。」
サンジャヤは、ナガトの手を握りしめた。その様子を見つめていた司祭ニコは、この2人に今反対できるような気力を持ち合わせていない。ただ目の前の二人は、信徒たちから圧倒的な支持を受ける者たちであり、二人なくてしては教団など風前の灯だと思われた。
「私も微力ながら、お手伝いさせてください。」
ニコも、2人の上に手を置いた。