3、依頼
彼らはトカゲだろうか。もしくは蛇だろうか。もしくは、ワニだろうか。中には亀のように甲羅を背負った者もいる。間違いないのは鱗のある爬虫類であるということだ。哺乳類の王座に人間がいるように、爬虫類の王座には彼らがいた。彼らは自分たちを「ドラコニアン」と呼んでいる。ドラコニアンは強烈な女尊男卑社会である。その理由は、肉体的な差異と、彼らの特異な生殖にあったが、これは後に述べたい。また、ドラコニアンの社会は王政であり、代々女王が国を統治している。現女王は、前女王に挑戦し、それを倒した者が継ぐ。現女王はパルガスという白い竜である。彼女はもう200年以上も王座に君臨しており、並みいる挑戦者を倒してきた。現在はパルガス朝と呼ばれており、王の住む都もパルガスと呼ばれている。
王都パルガスは、ドラコニアン人口30万を越える大都市であった。人口の9割が雄であり、雌は1割程度しかいない。自然、街中では沢山の雄が生活し、雌はほとんど歩いていない。そんな王都の、古ぼけた小さな食堂で、ペッパは食事をしていた。食事といっても、貧しいもので、雄の主食は虫が中心である。哺乳類の肉は高級品であり、雌たちがほとんど持って行った。芋虫の入ったスープをペッパは一人流し込んでいる。
「ペッパ殿」
誰かが後ろから声をかけてきた。例の一件から、町中にペッパの名前が広がっている。あの凶暴な黒将軍エニグマに歯向かった勇気ある雄として。そのため、よく声をかけられるようになったが、ペッパはそんな空騒ぎを苦々しく思っていた。また、そんな輩が声をかけてきたのだろうと、うんざりして振り返ると、一匹の雄トカゲが立っていた。甲冑に身を固め、傷だらけの顔をしている。
「どなたでしたか?」
ペッパはこんな戦士型の雄に知り合いはいない。
「私は、歩兵部隊の部隊長をしておりますジャンと言います。お見知りおきを。」
ジャンは傷だらけの顔を笑顔にした。無表情で陰鬱な雄トカゲにしては珍しいさわやかな顔つきだ。
「はぁ…」
しかし、ペッパは彼に何の興味もない。
「先日の黒将軍との一件、聞きましたぞ。」
(また、この話か。)
ペッパはうんざりした。
「それはどうも。」
ペッパはそっけなく応えた。
ジャンは、ペッパの素振りには反応せず、笑顔で向かいの椅子に座った。給仕が注文を取りにやってくる。
「そうだな。果実酒でももらおうか。この方の分も。ペッパ殿、もし他に食べたいものがあったら何でも注文なされよ。私が奢りますので。」
ペッパは迷惑そうに、芋虫のスープ皿から顔を上げてジャンの顔を見た。ジャンは目を細めてペッパに微笑みかけている。
「いや、わしは何もいらん。」
ペッパは、ジャンに無愛想に言った。
「まあまあ、そういわずに。芋虫も良いが、もっと美味いものがありますぞ!」
ジャンは運ばれた果実酒をグイと飲んだ。
「この店にある、一番高い肉を持ってきてくれ。なに、人間の肉は置いてない?じゃあ何だ、イノブタの肉?まあいい、それでいいから持ってきてくれ!あと他に何でもいい、この方の好きそうな物をもってこい。金は俺が出す!」
ジャンは給仕にまくしたてると、懐から金袋を出した。ずっしりとしたその袋を見て、給仕は驚いて厨房に戻った。
(こいつ、どういう魂胆だ。)
ペッパは、警戒心を抱いたが、同時に、心がざわめくのを感じた。雄トカゲのほとんどは、この国では最底辺の仕事に就いている。役人や軍人、技術者などもいたが、それはごく一部の有能な雄だけの仕事だった。ほとんどの雄は、雌の奉公人としてなんとか生きていた。ペッパは、黒将軍エニグマの奉公人として暮しているが、収入などは無く、なんとか飢えないだけの食料、粗末な衣服、奉公人どもが雑居するための住居だけが与えられている。たまに雑用のアルバイトをしてもらう駄賃が彼の収入の全てだった。そのため、このような芋虫の雑炊でも彼にはご馳走だった。ペッパは金が欲しかった。金さえあれば、こんなみすぼらしい生活からも、この社会からも、自由になれるのではないか。ペッパは、目の前に置かれた金袋をチラリと見た。
「ペッパ殿、こいつが欲しいですか?」
ジャンは、にこやかに細めた目をペッパに向けている。
「上げますよ。」
ジャンは金袋をペッパに放り投げた。驚いたペッパが金袋をつかむと、その重さに腕が下に沈んだ。
「あっははは、ペッパ殿は気力は雌並みだが、体力は人間の子供のようですね!」
ジャンは無邪気に笑ったが、ペッパは苦々しく顔をゆがめた。
ジャンがペッパに顔を寄せて、小声で小さく言った。
「仕事があります。今ここでは言えませんが。ただ、やるかやらないかは今決めていただく。命に関わる仕事とだけ言っておきましょう。」
ジャンが笑みを止めて、ペッパを凝視した。その顔が本来のものなのだろう、ジャンの目は赤く炎のようで、歴戦の戦士独特の凄みを感じさせた。
「死ぬかもしれない仕事なのに、今決めなきゃならんのか?」
ペッパも強い視線でジャンを睨み返した。
「生死をかける仕事だからこそです。イエスかノーか。ただ、言っておきますが報酬はこんなちっぽけな額じゃない。あなたの願いなら何でも叶えられるほどの報酬になりましょう。」
ジャンはもう笑っていなかった。ただその赤い目だけがルビーのようにペッパを捉えている。
「…わかった。やろう。」
ペッパは静かに答えた。何かが始まる気がした。こんな生活を打ち破る何かが。