辺境伯夫妻の王都訪問
█ ジルヴェスター・シェーンハイト目線
「クラウディア、疲れてはいないですか?」
ガタゴトと揺れる馬車の中で、ジルヴェスターは目の前に座る妻に気遣わしげに声をかけた。
シェーンハイトを出立した馬車は、途中で宿泊を挟みながら二週間の行程で王都へと向かっている。
「ええ、大丈夫ですわ!」
元気いっぱいの笑顔を見せてくれる彼女に、心から安堵する。
「……でも」
「どうかしましたか?」
「この馬車という乗り物は、随分ゆっくりですわよね。馬で駆けたら王都には三日で到着しますのに」
車窓から風景を眺めながらクラウディアがほうとため息をつく。
「……クラウディア、それが出来るのは君と義父上と訓練されたシェーンハイトの馬だけだと思いますよ」
「まあ、そうですの」
桃色の瞳を真ん丸にして驚くクラウディアを見て、ジルヴェスターは思わず頬が緩んでしまう。
シェーンハイトを統べる女領主となったクラウディアだが、彼女の持つ常識は全て""シェーンハイト流""である。
王都の貴族の常識――いや貴族に限らないかもしれないが――とはかけ離れたところにいる彼女がとても可愛らしく、それを世間知らずだと揶揄するものがいれば極秘裏に始末してきた。
「私はこうして、君とゆっくり過ごせてとても楽しいと思っています」
領地を忙しく駆け回るクラウディアと、それを支えるために執務に邁進するジルヴェスター。
ふたりの婚約が整い、一年後には成婚した。
『婿殿と愛娘に任せておけばもう安心であるな! がはは』と豪快に笑っていたシェーンハイト辺境伯は、その成婚の一年後にはクラウディアに爵位を譲った。
領地経営は苦手だったらしい。
今は騎士団の方に常駐し、日々若手を鍛錬している。おかげで今年のバッジ贈呈式には、これまでの数倍の兵士の姿があった。
(シェーンハイトの熊は根絶やしにされてしまわないのだろうか……)
ジルヴェスターが逆に熊の方を心配してしまうくらいだ。何か別の選定基準を設けた方がいいかもしれない。
「そ、それは……わたしもとっても嬉しいですわ。またこうしてあなたと王都の夜会に行けるだなんて」
少女のように頬を赤らめるクラウディアを見て、ジルヴェスターはぐっと頬を引き締めた。
今日も俺の嫁がかわいい状態である。
「……王都も色々とあったみたいですので、絶対に私のそばを離れないでくださいね」
ジルヴェスターの元には様々な情報が入ってきている。王都はあれから荒れに荒れた。
表面的には何も変わらなくとも、水面下では勢力が大きく動いたのだ。
「ええ! ジルヴェスターのことはわたしが護りますのでご安心を!」
(そうではないんだけど……まあ、張り切っているクラウディアもかわいいからいいか)
胸を張るクラウディアの様子にジルヴェスターは笑みをこぼす。
彼女の胸元には、今日も三連の熊バッジが並んでいる。
王都で行われるのは、王室主催の春の園遊会という定例行事だ。昼はガーデンパーティ、夜は夜会と二部構成になっている。
ガーデンパーティには子供たちも参加できるが、夜会はデビュタントを済ませた後でなければ参加出来ないため、構成が異なる。
これまでも招待状が届いてはいたが、まずはシェーンハイト領の財政を立て直したりと忙しかったため、ずっと参加することが出来なかった。
ちなみにクラウディアの父である元領主もまた、『面倒だから』とこの招待を毎年断っていたらしい。
(まあ……義父上の考えも少しわかる。きっと義母上を見せたくなかったのだろう)
クラウディアの母にあたるその人物は、実は隣国の元王女なのだという。
とはいえ、第二妃の娘として冷遇されていたらしく、半ば人質のように辺境伯に差し出されたのだとか。
そしてその薄幸の元王女に、辺境伯は一目惚れをしたらしい。あの熊のような男が、儚く美しい元王女に並々ならない愛を注いでいることを、領民なら誰でも知っている。
そしてその独占欲がとても強いことも。
ジルヴェスターでさえ、義母と話していると物凄い形相の義父が早足で迫ってくるため、正直こわい。
「……ふ」
「まあ、どうされましたか?」
「いえ……クラウディアとの出会いを思い返していました」
似ているなぁ、とジルヴェスターは思った。歴史は繰り返すとは、こういう事なのだろうか。
「とても素敵な夜会でしたわ。わたし初めてで緊張していたのですけれど……居ても立っても居られなくなって、つい跳んでしまって」
「あれはとても驚きました」
「恥ずかしいですわ」
頬に手をあてたクラウディアが、恥ずかしげにそんな言葉を漏らす。
普通の令嬢は跳ばない。そんな当たり前のことを指摘するジルヴェスターではない。
「ガーデンパーティには間に合わないので、夜会からの出席にしましょう。まずは王都のタウンハウスで一度休憩を」
「休憩? わたし、元気ですけれど」
「私がクラウディアとゆっくりする時間も欲しいのです。いいですか……?」
そう問いかけると、クラウディアの白磁の頬が桃のように色付いた。
そんな彼女がこくりと頷いてくれて、ジルヴェスターも満足気に微笑みを返す。
王都もあれから様変わりした。
第一王女のアデーレは廃太子のうえ行方不明、第二王女ビアンカが立太子をし、その後見にはザウアーラントを筆頭とした元マルツ家側の貴族が立った。
王とその取り巻きだったかつての保守派貴族たちも、今はかなり立場が危うくなっている。
(今日は王室主催……さて、王と第二王女のどちらが挨拶をされるのかな)
もはや王の交代は時間の問題だと、シェーンハイト領で顧問を務める元宰相の父が言っていた。
すっかり辺境伯と意気投合して飲み仲間となった父の元には、未だに多数の情報が集まる。
「あ、王都に着きましたわね」
クラウディアが明るい声を出す。
ジルヴェスターが考えている内に、車輪はゴトゴトと石畳を叩き始め、馬車が王都に入ったことを知らせてくれる。
「クラウディア、楽しい思い出をまたつくりましょうね」
「ええ! 楽しみですわ」
――その後。仲睦まじい辺境伯夫妻が向かった夜会で登壇したのは、ビアンカだった。
堂々とした立ち振る舞いにはすでに王としての威厳があり、その挨拶の中で「王は病に倒れ静養する」ことが告げられる。
それが事実なのかどうか、知っているのは彼女の周りにいるものだけだろう。
おそらく、幽閉されたのだろうが。
そしてビアンカの隣には、赤髪の青年が立っていて、どこからどう見ても二人はお互いを思い合っているようだ。
「――では、これからの王国の発展と繁栄を祈念いたしまして、わたくしの挨拶を終わらせていただきます」
王女が厳かにそう告げたとき、夜会会場は大いに沸いた。
夜会の翌日、""女王ビアンカ""の誕生の報せが、王国中を駆け巡ったのだった。
どうなる王都、お楽しみいただけたでしょうか…!?
わたしはとっても楽しかったです。
ビアンカを含む王都のこと、やけに濃い両辺境伯のこと、まだまだ書ききれない部分がありますが、色々ありましてここで一旦完結とさせていただきます。
お付き合いいただき、ありがとうございました
( 。•㉦•。)クマー