拐われた姫君
枕を叩いてシーツを握りしめる、くやしくて、くやしくて我慢できない。それでも今のサフィアに出来ることは何もない。
イザベルは許せないし、暗い寝室に閉じこもってばかりの毎日にも子供扱いにも、もううんざりだ。ひとりぼっちで話し相手もいなくて、はこねこを出してみたけれど、どうでもいい要求をされてイラっとしてまた収納してしまった。
「……」
居間へと続くドアを開けてみた。昼過ぎの時間帯にしては珍しいことに誰もいない。
いつもこの部屋を占領しているイザベルが今日は早々に退室したから、取り巻き連中も一緒に帰ったのだろう。
そういえばと、取り巻き連中に体調の悪そうな人が何人もいたことを思い出す。もし密な場所で風邪でも流行ってるのなら、マスクと消毒を徹底のうえ、当分は集団訪問を自粛してほしい。サフィアはそんなふうに考えた。
居間を通り過ぎて廊下をのぞく。こちらも誰もいない。
これはチャンスとばかりにサフィアは廊下を駆け出した。目指すはオブスベリーの島へと続く通路だ。
けれど残念なことに、その通路にたどり着く手前の廊下では近衛騎士が数名並び警備を固めていた。
(とりあえず、ここじゃないどこかに行きたい。出来れば空のあるところへ!)
サフィアはその通路をあきらめ、廊下を曲がっていくつもの部屋を通り抜けた。お城の簡単な構造と街の位置は頭に入っている。来客用の通路なら水を避けて街に抜けられるはずだ。そこから地上にだって行ける。
地上の緑と青空を想うと、憂うつだった気分もぱぁっと晴れてサフィアは走りながらも、ぴょんと高く跳ねるのだった。
「はあはあ、かなり走りましたのに、まだ城内なのですわ。子供の足と体力のなさが悲しくなりますわ」
もう少しで城壁というところでサフィアは力尽きてしまった。
人の出入りの多い通用門まで来ると、商人たちが荷降ろしをする場所に人目を避けるにはちょうどよい樽の山を見つけ、その影で一休みすることにした。
「んぐっ!」
突然、ゴツゴツした大きな男の手がサフィアの顔面をわしづかみした。声を出せないようにあごと頬を強く押さえられ、布をくわえさせられて樽に放り込まれる。非力なサフィアは抵抗する間もなくあっというまに拐われてしまった。
汗をぬぐって地面にお尻をつける寸前に、ひょいと樽に放り込まれたサフィアはこの状況に頭がついていけなかった。樽のなかでゆさゆさ揺すぶられて運ばれても危機感よりもナニコレ感が勝っていた。
(__まさか拐われるなんて。不覚だわ。いったぁい……乱暴に投げ込むから肩ぶつけちゃったじゃない。ふぅ、身代金目的の計画的な誘拐って感じじゃないみたいね。人さらいのごろつきに捕まっちゃったのかな)
ザザザザと忙しない音が聞こえる。
サフィアはこの音には聞き覚えがあった。オブスベリーの島への往き来で乗ったムルムルの脚音だ。
ムルムルはダイオウグソクムシを巨大にしたような甲殻の生き物で、王国では背中に乗ったり馬車や荷車を引かせるのに使われている。
サフィアはこのムルムルの背中に樽のまま横倒しにされてロープで結ばれているようだった。忙しない脚音は石畳の街道を蹴って走っている。
(脚音と揺れが邪魔で外がよく視えないなぁ。あ、止まった)
どうやら人さらいのアジトに着いたようだ。サフィアは樽ごと室内に移動させられるのを視ていた。もちろん樽のふたは閉じている。
場所はちょっと小汚い倉庫、樽と麻袋が積まれていて、サフィアを拐った男は二人組のようだった。
「おい、捕まえちまったのは仕方ねぇが、どうすんだジャカ? お頭に内緒でさばけるのかよ」
「まぁな、陸まで運べりゃ買い手の当てはあんだよ。おめぇもおこぼれ期待してな」
「見ねぇふりはしてやるけどよう、手伝いはごめんだぜ」
「けっ、意気地ねぇな、見ろよ、このでっけぇ宝石。いや、魔晶石かこりゃ? 細工は銀、ミスリルかもしれねぇな。コイツだけでもひと財産だぜえ」
賊の言葉を聞いて、サフィアは頭の上にティアラがないのに気がついた。
(私のティアラ! 大変! 取り返さなきゃ)
サフィアはあわてて手首を縛る布を外しにかかった。
赤ん坊の頃からずっと頭に載せているアクアマリンのティアラは、王国での身分を証明する大事なもので、自室でも必ず身につけるようアクアティアに厳しく言いつけられていた。そしてティアラは身分証明や宝石の価値以上に、色々な想い出の詰まったサフィアのかけがえのない宝物だった。
魔法を使って、手首を縛る布の結び目に氷を作りねじ込む。魔力を込めて氷をどんどん大きくしていき、充分な大きさまで育てたら氷を消し去る。
そうすることで結び目にかなりの緩みができて、サフィアは難なく手枷から手首を抜くことができた。手が自由になればあとの拘束は簡単にほどける。
手足が解放されると、次は樽のふたを乾燥させて水分を飛ばした。元々、ボロい板を中に押し込んで閉じただけのふたが、乾いたおかげで収縮してスキマだらけになって反り返った。
「とりゃあ」
サフィアは脆く外れやすくなったふたを、両手にもった氷柱でぶち破って樽の外に飛び出した。ここは頭突きでふたを外すのでもよかったけれど、痛いのはイヤなのでサフィアはわざわざ氷柱を選んだ。
しかし、格好良く飛び出したつもりが、身長の足りないサフィアは樽の縁に足をひっかけ無様にゴロゴロと転がってしまった。
「元気のいいガキだ__おいこら、デゴなにしやがる!」
「お嬢ちゃん、今のうちに逃げな!」
二人組のうち誘拐に乗り気じゃなかったデゴと呼ばれた栗毛の男が、大柄なジャカを背後から羽交い締めにして留めていた。
「クソが! 離しやがれ、てめぇぶっ殺すぞ!」
「やっぱ無理だわ、ガキ拐うなんざ胸クソ悪くて見てらんねぇんだよ」
男たちの怒号にサフィアはすっかり萎縮してしまった。腰の剣に手を伸ばそうと荒々しく身をよじるジャカは、そのまま獣のようで命の危機を感じる。サフィアのさっきまでの勇ましさは小指の先ほども残っていなかった。
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