はこねこさん
それは驚きの新事実だった。
サフィアが異世界転生特典と勝手に思い込んでいた言語理解や情報は、目の前のおかしなぬいぐるみからの知識提供だったらしい。
「なるほど! ……ですわ。時々読めない単語もありましたもの。不思議に思っておりましたのよ。転生特典なら完全翻訳なはずですもの」
「ちッ、これでも六か国語はマスターしてるんだからナ。専門用語あたりはわかんねぇのもあるサ」
プライドが高いのか不勉強を指摘されて、ぬいぐるみは少しすねたようだ。もちろんサフィアには知識の欠けを責めるつもりはこれっぽっちもなかったが。
頭の四角い黒い猫。この外観はマーサが布と綿で作ったものだ。この中身の正体はなんだろう。
「叡智! 確かそういうスキルが(漫画に)ありましたわ! それですわね」
「違うナ、オレは……そうだな、妖精さんかナ」
絶対妖精じゃない。そんな雰囲気をかもしているけれど、この翻訳者兼、情報提供者はサフィアが産まれたときから共にいる存在だ。多少の怪しさはあっても今後のお付き合いを考えてサフィアは__ぬいぐるみを妖精(仮)として受け入れることにした。
「はこねこさん、おみ足が少々ほつれてらしてよ」
「ねこねこ言うナ、オレはライオ……猫でいイ」
ぬいぐるみの足に糸のほつれを見つけたサフィアは、親愛の情をこめて丁寧に繕って差し上げた。
「キミハ、ずいぶんと器用なんだネ」
「うふふ、針仕事は女性のたしなみですもの。完璧ですわ」
「いやいヤ、キミ、針はまったく使ってないよネ」
実はサフィアは針仕事が苦手だった。三歳児の手は小さいのだ。針よりも粘土をもみもみするのに適してる。
苦手なものには工夫で対処。と、いうことで、サフィアは糸の先端に小さな氷のつららを作って、魔法で氷を動かし縫い物をしていた。
「レースも刺繍もほら! 素敵でしょ。細かい針仕事は魔法操作の練習にぴったりなのですわ」
サフィアの瞬きひとつで氷の針が動く。ピンクやスノーブルーの刺繍糸を従えて、魔法の氷針がちくりちくちく。
天蓋から下がるモスキートネットにバラの刺繍を。タコの頭にレースの花を。部屋着のすそに春の小花の刺繍を。氷の針が一気に縫いあげる。
「ハハ、すごいナ、キミもしかして天才かイ?」
「おほめに預かり光栄ですわ」
この針仕事の魔法は人前で披露したことがない。つまり、ほめられるのも初めてだ。サフィアはうれしくなってくるくる回った。
くるくるしているサフィアの頭上に四角い布がふわりと落ちてくる。サフィアはそのハンカチを手に取ると自慢げな顔で広げてはこねこに見せた。
「どうかしら? お母様に差し上げるハンカチですの」
それは、アクアティアの髪色の紺色の生地に、銀と水色で貝殻と珊瑚を刺繍して、アクアティアの頭文字を入れたハンカチだった。
「素晴らしい出来映えダ、この腕なら王室御用達になれるナ」
「おほめに預かり光栄ですわ!」
サフィアはほめ言葉をもらって大興奮し、満面の笑みでぴょんぴょんした。
バタン
「騒がしいですわ姫様。お静かに」
バタン。隣室から侍女が顔を出し、室内を見渡して何事もないのを確認すると、開いたドアはすぐに閉じられた。
バタン。すぐ開いた。
「サファイア様、魔法学の授業のお時間です」
ハンナが迎えに来た。
サフィア専属の侍女たちが全員配置替えされたなかで、メイドのハンナだけは残されていた。薬局塔への送迎は相変わらずハンナの仕事だった。
ただし、ハンナとは今までと同じ関係というわけではなさそうだ。
薬局塔に向かう途中の廊下でハンナは暗い目をして「私のことは信用なさらないでください」と、ささやいた。つまりハンナはイザベル側のスパイか罠要員になったということなのだろう。
真授の儀式の失敗以来、サフィアを取り巻く環境は変わってしまった。
以前はちやほやしていた貴族たちやお城で働く者たちの評価は地に落ちて、サフィアを見かけると後ろ指を指して「欠陥姫」と聞えよがしに噂するのだった。
なによりも辛いのは、女王アクアティアとの面会が許されなくなったことだ。
取次ぎの侍女がいないこと、女王の側近の思惑などで面会が妨害されている。サフィアはそう思いたかった。
(お母様に嫌われてしまったなんて信じたくない)
失望させてしまったのは事実。私は泳げない欠陥人魚だから。そして、これから自分はもっとひどい裏切りをしてしまう。覚悟はしている。それなのに母親に切り捨てられたと考えるとサフィアは胸がしくしく痛むのだ。
魔法学の授業を終えて、寝室に戻ったサフィアは、さっそくアイテムボックスからはこねこをとりだした。
「う? おおゥ」
はこねこはアイテムボックスから勢いよく飛び出し、ベッドの上にコロコロ転がって床にぺしょっと落ちた。
「いきなリ、仕舞ったリ、出したりは勘弁してくレ」
サフィアは魔法学の授業のことをすっかり忘れていて、迎えに来たハンナに驚いて、はこねこを隠そうととっさにアイテムボックスに仕舞ったのだった。
「よかったですわ。はこねこさんはアイテムボックスに出し入れできるんですのね。もうお会いできないかと、授業の間中ずっとどきどきしていましたわ」
「あァ、オレもまた外に出られてうれしいヨ」
サフィアはベッドに腰かけて、はこねこを膝の上に乗せた。
薬局塔に出かけている間に、サフィアの部屋にあったぬいぐるみの森はすっかり片付けられていた。なにもない床はスッキリというよりがらんとして寂しく思えた。
トントン。めずらしいことに寝室のドアがちゃんとノックされた。
ドアを開いて顔を出したのはあまり見かけない顔の侍女だった。
「サフィア姫様、アクアティア女王様がお見えでございます」
サフィアの小さな心臓がぴょんと跳ねた。
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