真授の儀式
サフィアは三歳になった。
エアドームの空気と水の境目、巨大な門の前に正装姿のサフィアは一人で立っていた。
目の前のその門は鳥居のような象徴の門で扉などはついていない。
そこをくぐれば海中となり、海底の砂と珊瑚の壁が神殿への道へを示す。神秘的で厳か、ただそれだけの門だ。
三歳となった人魚族は、一人でこの門をくぐって神殿まで泳いで行く。これが人魚族が貴賤を問わず受ける通過儀礼、真授の儀式だ。
神殿では海神様の守護を受けて子供たちの魔力は覚醒し、生来の魔法属性もこのときに判明する。
年に四度あるこの真授の儀式は、一般市民から始まり貴族子弟を終えて最後の一人、王族のサフィアの順番となっていた。
門の寸前で小刻みに震えるサフィアは、いつものティアラに豪華なレースのベールを被り、その下でちゃっかりまぶたをレースの眼帯で塞いでいた。
水を意識さえしなければ、意識しても狭い範囲に納めれば! なんとかイケると、サファイアは自分を鼓舞していた。
特訓の甲斐あって、サファイアは頭まで水に浸けられるようになり、水中呼吸も三十分は出来るようになった。
鱗粧を使うのはまだまだ苦手で、魚の半身を作ることなどできないけれど、儀式前の子供ならまぁ仕方ないと許されるだろう。
あちこちツギハギだけども大丈夫、イケる。きっと周囲の目もごまかせる。往復十五分程度、なんとか歯を食いしばって耐える。耐えられると自らに必死で暗示をかけていた。
門のこちら側と向こう側には大勢の人々がサフィアの成長を祝おうと押し寄せていた。
彼らにとっては真授の儀式は通過儀礼、お祝いでしかない。
そして、空気のあるこちら側と海中の向こう側の行き来は、人魚の彼らには気楽なもので、門をくぐること事態が難関だとは誰も考えもしない。
(神様仏様、イエス様ブッダ様、海神様、……古今東西八百万の神よ、どうかサフィアをお守りください)
サファイアは一歩足を進め、上半身から門をくぐった。
意識を神殿に向け、全身の感覚を殺し、手と足元だけに水の抵抗を感じる。
顔の前面には薄く結界をひろげ水を吸い込まないようにした。
(進め! 前に! 動け手足! ……! あぁこの圧迫感。だめっ……耐えられない)
わずかでも怯むともうダメだった。
サファイアの心は萎縮し前後左右もわからなくなり、助けてと叫ぼうとした口内に海水が一気に入り込んだ。
「サファイア姫様? えっ? まさか溺れてない?」
「様子がおかしいぞ」
集まった観客たちがざわめきだした。
目の前で溺れているかのようにもがくサファイアを前に衛兵は一瞬躊躇した。儀式を中断させること、泳ぎの介助、それは不敬にあたることだ。ここで救助にむかえば王族に恥をかかせたとして懲罰の対象になるのがわかっていたからだ。
「サファイア様!」
乳母のマーサが海中に飛び込み、溺れるサファイアを救助した時、衛兵は安堵し、観客は困惑した。
「なんて無様な姫だ。あれが人魚の姫かよ」
「泳げないの? うそでしょ……出来損ないじゃない」
さっきまで小さな姫君に声援を送っていた人魚たちは眉をひそめ、醜悪なモノを見る侮蔑の視線をサファイアに注いだ。
マーサは海水にむせて咳き込むサファイアを胸に抱き、鱗粧でくるんでそのまま神殿へと向かった。
神殿の入り口の神官たちの目も冷たいものだった。
本来なら自力で泳ぎつけない者は神殿に入ることは許されない。神域を汚す行為だ。
同行者にすがっての神殿入り、みっともなく溺れる滑稽な姫の横暴な振る舞いを王族であるからと許さねばならない。
これは神官たちにとって耐えがたい屈辱だった。
「サファイア……」
さほど広くない神殿の最奥には、儀式を執り行う御神子と女王アクアティアの姿があった。
マーサの胸の中でぐったりとし意識を失った我が子を前に瞳をゆらしていたアクアティアは、背筋を正すと何事もなかったように御神子に儀式の進行を促した。
真授の儀式は年に四度ある。通常なら急病やトラブルの場合は次の儀式に仕切り直すものだ。そう提案するべきところを、御神子はアクアティアの表情を見て口をつぐんだ。
「命の産家の主、大いなる循環を司る渦指、海神の新たなる信徒に祝福あらんことを」
御神子が杖を振るうと、床に刻まれた魔方陣が発光し、マーサとその腕の中のサファイアを照らしだす。
マーサの額には水の紋が浮かびあがり、サファイアの額には……。
「これは、サファイア様は……」
「サファイアは水魔法の属性。そうですね?」
サファイアの額を見た御神子は何かを言いかけて、女王の気迫に押されて黙りこみ、一拍おいて頷いた。
御神子が祝福を謳うと儀式は終了する。この短い儀式を中断させて、アクアティアは御神子とマーサを地に伏せさせた。
「お前たちは耳と目を閉じなさい」
アクアティアがサファイアを腕に抱えると、海神の石像の左右から黒の衣装を身にまとった五人の人魚が現れた。
彼女たちは黒い帽子に黒いベールで瞳だけを覗かせている。わずかに覗いたその瞳から高齢であることが伺えた。
「サファイア、愛しい哀れな娘」
五人の人魚は海中をふわりと舞うように、サファイアを取り囲んだ。
「哀れな、神に愛されぬ忌み子よ」
「我らの愛しい児よ、我らはお前を決して見捨てることはせぬぞ」
「神の愛が得られぬなら、我らが神より深い愛をお前に注ごう」
五人がサファイアに触れると、サファイアの身体は光輝き、その頭上のティアラの中央に置かれたアクアマリンはより一層の深い海の色を宿した。
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