人魚たちの宴
「うっ、えぐ、ぐぅ……えっえっ、ぐっ」
乗りきった。サフィアはやっと浴槽に頭まで浸かることができた。
その勝利の代償は恐怖とも屈辱ともいえるもので、サフィアは打ちのめされていた。
床はびしょ濡れで、ちいさな身体も濡れた髪も力なく床にひろがるばかりで、手足は鳥肌を通り越して感覚を失い痺れていた。
サフィアがごほうびで得たのは一人の時間。
このパウダールームには誰も入ってこない。世の理のおかげで一時間の自由な時間が確保できた。
一人でこうしてみっともなく泣くこともできる。
だらだらと流れる涙と荒い息を吐く口元の唾液、手足の感覚が戻ってきたサフィアには、それを含めた全部の水分がうっとおしくなった。
「消えろ、なくなっちゃえ、__乾け」
サフィアをうっとおしくさせていた水は、まるで忠犬のように従順に主人の命令にしたがった。
床も髪もすっかり乾いていた。
サフィアはまぶたの中に乾いた涙がある気がして、目をゴシゴシこすりながら床から起きあがった。
「水は私の子分ですもの、怖くない、怖くない」
サフィアが新しく開発したのは〈ドライ〉の魔法だ。
水魔法の派生魔法にしては珍しいもので、水魔法からは基本的には結界魔法、氷魔法といった分岐がうまれる。
「このドライの魔法って結構便利なのですわ。海水からお塩が取り出せますのよ。うふふ、陸地でお塩は売れるのかしら? これで生活費が稼げたらよいのですけど」
乾いたサフィアはうれしそうに真っ裸でくるりと回る。
「それと、これなのですわ」
サフィアの手のひらには黒いオブスベリーが一粒。
「ふふっ劣化もないのですわ! インベントリー最高!」
はじめて訪れたオブスベリーの島でオブスの群れに襲われたとき、よろけてむしり取ってしまったベリー。
(『持ってると危ない隠さなきゃ』って、焦っていたら収納されて消えたのよね)
(インベントリー、アイテムボックスと呼ばれるコレ。コレがあれば旅にも便利、商人活動もはかどっちゃうよね!転生特典に感謝。ですわ~)
サフィアはうれしくなって、さらにくるくると回った。
そして、指先に、真珠の一粒のような水球を浮かべる。
「ドライはできても水を出す魔法は苦手ですわ……。結界も……」
試行錯誤してみたものの鱗粧の発動はまだできなかった。
たぶん人魚たちは種族由来の特殊な汗腺を使って、皮膚の蒸気から鱗粧という水結界を作り出しているのだろう。
ゼファレス王とアクアティア女王との間に産まれたサフィアはハーフ人魚、なので普通の人魚とは身体の構造が違うのかもしれない。でも両親ともハーフだし、この場合ってどうなの? と、サフィアはモヤモヤ考えていた。
「とりま、置いときますわ。今日はオブスベリーの島にお泊まりする日ですもの! 支度しなくっちゃですわ」
サフィアはごほうびのひとつに、島で星を観ることを選んだ。二年ぶりの星空にわくわくが止まらない。
大人たちはノリノリで宴の準備をしていた。
人魚族は陽気で宴会好き。ドワーフ族とは違って宴のメインはお酒ではなく、歌って泳いで陽気にはしゃぐことだ。
島で夜を過ごすと聞いて、宴を連想しない人魚の大人はいない。
「わぁーっ! すっごーーい豪華なのですわ」
オブスベリーの島の砂浜は素敵なパーティ会場に変わっていた。
あちらこちらにシフォンとレースの天幕が建てられ、魔灯の灯りでライトアップされてキラキラきらめいていた。
普段は無骨なただの岩場も珊瑚や貝で飾りつけられて、岩場にかかる木にもシフォンがかかり、風に揺れてとっても素敵だ。
手の込んだ豪勢なお料理と、お酒もたっぷりと用意され、それはすべてセルフサービスらしく、会場を盛りつけた侍女たちも接待などせずに楽しみつくす所存らしい。
まだ陽の暮れる前だというのに、すでにたくさんの人魚たちが岩場に陣取り、楽器を奏でて歌ったり乾杯を交わして楽しんでいる。
静かに星空を観るだけのプランがどうしてこうなった? と思わなくもないが、サフィアはとりあえずこの状況を楽しむことにした。
「サフィア様はこちらでしゅ」
マルマに先導されて入ったのはひときわ豪華な天幕だった。
一面に柔らかなマットレスを敷いて、その上にはたくさんのクッション。金糸銀糸の布地が美しく、ほんのりエキゾチックだ。
サフィアはその天幕の下、マーサに抱えられマーサの膝を椅子にして座らされた。大勢の人たちの前で子供扱いは非常に恥ずかしい。
「サフィア様、このお魚はマーサが獲って参りましたのよ」
サフィアの目の前に置かれたのはドデカイ鯛のようなお魚。大きな葉っぱのお皿の上に、どんと乗せられている。
焼きたてのこんがりとした焦げ目がなんともいえない香りでサフィアを誘惑してきた。
「ん、ま……美味しいですわ! かむとふわふわ雲のようなのにしっとりジューシーで、皮の脂とハーブ塩の混ざりあった旨味。おくちのなかが幸せでいっぱいですわ~」
見た目シンプルな焼き魚をんまんまとおくちいっぱいほおばるサフィア。葉っぱのお皿から立ち上がる芳香がまた食欲を倍増させていた。
人魚たちが思い思いに楽しく過ごし、サフィアのお腹もくちくなった頃、太陽が水平線に沈みはじめた。空一面がオレンジに染まり、それを見つめる人魚たちのシルエットも美しい。
「サフィア様はぁ、眼帯越しでもぉ、お外の景色がわかるんですのぉ?」
「もちろんですわ。これは王族に伝わる特別な魔道具でしてよ」
いつもなにかとしゃしゃり出てくるイザベルの問いかけに、適当なウソをぶっこむサフィア。そりゃ眼帯スタイルは奇異に映るだろう。相手がたとえイザベルであってもツッコミは当然と、笑顔で受け流す所存だ。
砂浜を波が洗い、満ちた潮が岩場を孤立させはじめた。
波間で人魚たちが声を重ねて歌い出す。風にからむような不思議で魅力的な歌声だ。
背に長いヒレを生やした人魚たちが、歌にあわせて海面から跳びだし、飛び魚のように流線を描いて次々に跳ねる。人魚たちの踊る飛び魚のダンス。夕陽の最後の欠片を反射する鱗がまるで宝石のようだった。
「サフィア様はぁ、お歌はお得意でいらっしゃる? 一曲お聞きしたいわぁ」
「わたしもお~聞きたいです~う」
お酒に酔った人魚たちは主従などあったもんでなく、ただただ幼い子を愛でる親戚の顔になっていた。
サフィアは仕方ないなと一曲披露した。
アカペラでもいけそうな曲、靴をならす魔法使いが出てくる古い映画の挿入歌だ。
「うわぁ~天使はここにいた! なんて澄みきった歌声」
「心に染みいる純粋な歌声、感動の涙が止まりませんわ」
やや舌足らずが逆にウケたようだ。大絶賛が恥ずかしくて、サフィアはついつい照れ隠しにグラスハープの演奏まで披露してしまうのだった。
グラスに入った魔灯の灯りをいくつも並べて、人魚たちが好んで歌う歌を耳コピーで演奏する。グラスハープを指ですべらせ灯りに照らされたその姿は、じつに神々しく神がかっていた。と、のちにハンナはうっとりと語った。
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