豆府鉄道年表-戦前?
1930年代以前:
・豆府本町/雅橋地区の原型になる集落が生まれる。
・雅橋鉱山が開業。坑内鉄道が豆府鉄道の原点。
・雅橋駅の躯体が完成。現在とほぼ変わらず。
・資材を搬出入するため、雅橋鉱山と豆府方面を結ぼうと試みることに。豆府本線開業。
・期間500mm。おそらく非電化。
・東府新港建設。これがないと結局川で輸出入をすることに…
・豆府市域内に加えて、(山手電鉄)海軍の拠点のある水津市を目指す水津本線が 同規格で建設される。
・椎名本線もここ?
・森岡電鉄が開業。豆府と豆府本町の間の森林地帯を切り開いた森岡市と、城塞都市である南奥ノ中山を結ぶ。
1930年代:
・山手電鉄より、計画線である神名本線東部の免許を受け取る。
・豆府鉄道初の1067mm軌間による路線・神名中線が開業。結月~東三滝~佐倉間。
・この頃から電化がなされている。
・車両は木造/ダブルルーフ。16mサイズ。
・のちの22000形である。
・森岡電鉄も同様のサイズ(ただし低規格)で第一幹線を建設。
・車両も同様。荷物車・郵便車の機能を1両にまとめた付随車が流行る。
・森岡町営軌道建設。
・森岡電鉄だけじゃ離れた集落を結べず。
・6mサイズの「標準単車」と称される車両群を使用。豆府系になる会社では初のトイレ付き。なんだお前。
・豆府地下鉄線開業。東府新港~楯山間。
・この区間は軌間500mmで建設。少雨でも浸水し運休の多さに悩まされる。
・神名本線も徐々に延伸を行い、暁美~深町~縦山の神名東線も全通。暁美鉱山も開業。
・温泉地である房野と 奥ノ中山市の新村地区を結ぼうと目指す 温泉電軌の日三南線が開業。(のちの日南電車線/豆府鉄道榎本線/温泉線など)
・途中の豆府市(であると思われる)日南地区に由来。
1940年代前半:
・神名本線に通勤特化の車両が投入される。
・9500系。16mサイズに4ドアを収める。4両編成の運行が常態化。
・台車の購入元との貿易路が寸断されまくり(箱日本各県とは海路)、急遽 TFR1形 と称する台車が製造された。見た目からして弱い。
・雅橋鉱山の資源のみで賄われ、最小限の製造両数に。
・不要不急である以前に肩代わりできる道路が(車道でなくても)存在せず、既存の区間は全区間継続して運転。
・東府新港、水津港、結月港の拡張。
・迫り来る(山手電鉄の)軍艦の群れ。輸送船の群れ。
・豆府車両工場(にあたる部門)、船を作り出す。
・艀サイズだけどな?
終戦前後:
・山手電鉄の本国である日本国の敗戦に伴って、再独立。山手電鉄(王)国に。
・豆府鉄道がさらなる利用者数増に耐えられず、一時パンク。
・トキ900相当の3軸貨車とかを投入していたのだが、旅客面ではどうしようもなくなる。
・山手電鉄より電車を貸していただく/発注。
・これが7300系(一部はのちの3700系初期車)。
・20m4扉、63系と類似の外観。
・突然の車両大型化に際して、神名本線全体で改良工事が行われる。
・奥ノ中山県王国が転覆し、莫大だった豆府市域は中心部を除き新自治体になる。中心部は豆府県豆府市(新)。
・旧県域は奥ノ中山州と化し、(旧豆府)市域は豆府県として分離。