妲己のお百
むかし、むかし、ある所に小さんという芸者がおりました。
小さんは町一番の人気者の芸者で、三味線が誰よりも得意でした。
虫も殺さない様な優しい顔をした小さんでしたが、この女にはもう一つの顔がありました。
それは「妲己のお百」というとんでもない悪党の顔です。
この女の亭主は彦五郎というこれまたとんでもない悪党で、人を何人も殺しました。
彦五郎と、その子分の重吉はお金のために強盗を働き、遠い田舎に身を隠しました。
ですのでお百は「小さん」という芸者に名前を変え、1人で江戸に残っているのです。
「ハァ・・ひとたび悪事がバレればこの首は晒しもんだよ・・何が悲しくてまじめに働いてられるかい。」
お座敷に出ないで遊び呆けている小さんの財布はみるみる空っぽになっていきます。
どうしようもなくなったその時、小さんの家のまえをお嶺が通りかかりました。
お嶺は昔、芸者をしていた女で、今は一人娘のお吉を連れて門付けをしておりました。
門付けとは、三味線を弾きながら道で歌いお金を貰うお仕事です。
小さんはお嶺が連れているお吉が大変美しかったものですから声をかけました。
「そんな所で歌ってたってつまらないだろ、うち上がってきなよ。」
「ありがとうございます・・・しかし・・・」
「遠慮しないでいいんだよ。お互い様だ。あたしが困ってる時お前さんが助けてくれればいい。さあ、さあ、上がんな。」
お嶺はなんて心の優しい人だろうと思いました。
しかし小さんの目的はお吉にあったのです。
「お嬢ちゃん。いくつ?十三、そうかい。あたしが三味線を教えてあげるよ。そうしたらそのうちお前さんの客がつく。おっかさん助けてあげれるだろ。目が見えないまま門付けしてたって辛いだろうからね。」
そう、お嶺は旅重なる心労の末、目が見えなくなっておりました。
「お前さん、あたしが眼の医者紹介してやるからさ、少し医者んとこ行ってきな。およっちゃんの面倒はあたしが見るから。」
お金のことは心配しなくていい。そう言われたお嶺はお医者様の所に泊まることになりました。
さあ、邪魔がいなくなった。お嶺がいなくなった途端、小さんは本性を表すのです。
小さんは吉原の女郎屋と相談してお吉を百両で売ってしまいました。
女郎屋とはとっても怖い所です。売られたら最後、二度と帰ってこれません。
さあ金が手に入った。小さんは元の様にじゃぶじゃぶお金を使って遊び呆けました。
そろそろ底をついてきたころ、お嶺が帰ってきました。
「お姉さん、ありがとうございます・・おかげで目が良くなりました。」
チッ、帰ってきやがったと小さんは思ったが、
「あら、嶺さん!大丈夫?チカチカしない?痛くない?心配しちまったよ。長いもんだから。およっちゃんも喜ぶよ・・・・・そうだ・・・・嶺さん・・・・あのね・・・・あたしお前さんに謝らなくちゃいけない。いやね、およっちゃんのことなんだけど、しばらく返ってこないんだ。あたしのお客さんに雑賀屋さんって人いてね、およっちゃんのこと気に入っちゃって、しばらく借りてくよって借りてっちゃったんだ。大丈夫、四、五日のことだし雑賀屋さんお金持ちだからおいしいご飯も食べれるだろうからね、ごめんね・・・・」
「左様でございますか・・・結構でございます。それではお吉の帰りを待たせていただいてもよろしゅうございますか?」
「良かった・・・あたしはどれだけお前さんに怒られるかと思ってさ。ごめんね、およっちゃん代わりにお前さんの面倒は見る。さあ、お上がり。」
さあ、お上がり・・・小さんはお嶺をニ階に上げたっきり、階段を取っ払ってご飯すらあげませんでした。
お腹がすいたお嶺は、
「姉さん・・・少しで結構でございますので・・ご飯をいただくわけには・・・・」
「ああ、そう。ご飯欲しいのかい。でもね、嶺さん。あたしは先生に聞いたんだ。何が目に悪いのかって。そうしたら先生こう言ってた。ご飯が目に悪いんだって!悪いもん食べさせるわけにはいかなだろ。だからあきらめな!」
「・・・・・お吉は・・・・いつごろ帰ってくるのでしょうか・・・・・・」
「知らない!あたしゃ知らないよそんなこと。向こうで借りてったんだからさ、向こうしか知らないよ、そんなこと!およっちゃんだって子供じゃないんだから、帰りたい時に帰ってくるさ。・・・なんだよその目は・・・・殴られたいのかい!!」
お吉といえば殴られる、泣けば泣いたでせめせっかん。そんな日が続いて、お嶺の目は元の様に悪くなってしまいました。
少しでも下でガタッと音がすると、
「姉さん、お吉が!お吉が帰ってきたのですか?お吉!お吉!!」
ときたものだから、
「来る日も来る日もこう騒がれちゃたまんないね。毒でも盛っちまうか・・・・」
そう小さんが考えていた矢先、ガラッと扉を開ける一人の男がいました。
「・・・・・誰だい?」
男は頭を深々と下げると頭の手拭いをとりました。
「姉さん・・・重吉でございます。」
なんとそこに立っていたのは亭主の彦五郎と逃げ回っている子分の重吉でした。
「なんだ重さんかい・・・どうした?」
「あっしらはこっから遠く離れた村に隠れてるんですが、親分に姉さんのこと見てこいと言われまして。惚れてるんですなあ、姉さんに。ヘヘッ、何か親分に伝えたいことがあればなんでも言ってくだせえ。」
「うん、まあこれと言って何もないけどね、お互いご無事でしたらなによりですと伝えておくれ。」
「へいっ、わかりました。それとね、姉さん。この前・・・かみさんを女郎屋に売っちまったんだ。でも思い直してね。またこっち戻そうと思うんだけど、五両貸してもらえませんかね?」
「何言ってんだい、ないよ。」
「いやいや、勘弁して下さいよ。五両で・・・」
「ないっつってんだろ!」
その時ニ階から・・・・
「姉さん!!!!!」
「・・・・・ビックリした・・・。姉さん、なんですあれは?」
「・・・・・引っ込んでろクソバア!!・・・・・・何?何って・・・あればババアだよ。」
「・・・・・いや、だからな何のババアです。」
「知らないよ、置いてやってんだよ。いいだろ?」
「いや、よかねえよ。」
「・・・・・重さん、あのね、まあ実はこういうわけなんだ。」
小さんは重吉にヒソヒソとことの顛末を話しました。
「ヒャアッー!!そいつはひでーや!!女のやることじゃねーよ!!」
「シッ!声がでかい!」
「・・・・・で、どうするんですあのババア。」
そう言われると小さんは重吉の顔をジッと見て懐から五両の金を取り出しました。
「お前さん、こいつが欲しいんだろ。やっちゃってくれ。楽にしてやってくれあのババア。」
「・・・・冗談よしてくれよ・・・化ますよあのババア。」
「化けるかい!やならよすよこの五両・・」
「ちょっ、ま、待ってくだせえ。・・・分かりました・・・やりますよ・・」
「・・・・いい?じゃあ焼くなり煮るなり好きにやっておくれ。あたしゃ川向こうがいいと思うよ。誰もいなくて。でもね、気をつけるんだよ。昔芸者やってたってんだ。変に勘がいいからね。悟られない様にうまくやっておくれ。」
「へいっ・・」
小さんはうなずくとニ階に勢いよく声をかけました。
「嶺さん!ごめんごめん!ちょっと気が立ってたんだ。ごめんよ。あのね、今重吉さんて人来てるんだけど、この人が雑賀屋さんの知り合いてんだ。で、およっちゃんのこと聞いたのよ。そしたら、雑賀屋さんのお嬢さんと別荘にお泊まりしてるってさ!そりゃ帰ってこないよ。で、今重吉さんが場所知ってるから今から行くかいって言ってくれてるけどどうする?・・・・・うん。行きたい?そうかい。そうかい。じゃあね、降りといで。」
小さんは2階にはしごをかけてやる。ゆっくりとお嶺は降りてきます。重吉は
「どうも、どうも。雑賀屋さんとこに出入りしている重吉てーもんでございます。いやいや、おついでってーと申し訳ありませんが、ええ、どうぞどうぞ。あれっ・・・・・お目が悪いんでごぜーますか?いや、これはこれは。じゃあ手えとりますからね。どうぞ、ええ、危ないですよ。ほら、どうぞ・・・」
どうぞどうぞと手をとられてお嶺は重吉の後をついていきます。
お嶺はなんだかこの世のものとは思えない様なぞっとした心持ちがしました。そう、この後の運命を悟ったかの様に。
行って参りますと頭を下げてお嶺は夜の町から橋を渡って材木問屋がひしめく町へ、さらに橋渡って川向こうの寂しい河原までやってきました。
「・・・・おっかさん・・・・この辺りだ・・・」
見えない目でお嶺は目を凝らしてあたりを見回しますが、別荘の明かりすら見えません。
「重吉さんとやら、お吉は、お吉はどこにいるのでしょうか・・・・」
困り果てているお嶺。その後ろにそっと重吉が回り込む。そして・・・・ギュッと縄で首を締める!
「ギャァァ!!!どうして・・・・どうして・・・あたしは・・・お前さんに恨みを受ける覚えはない。あたしはお前さんに恨みを・・・
「ねえのは当たり前だ!!金に恨みがあんだよ婆さん!!聞いてくれ・・・てめえが神様の様にありがたがってるあの小さん・・・・あいつは裏で妲己のお百と呼ばれているとんでもない悪党だ。お前の娘はな、吉原に売られたんだよ。雑賀屋なんて嘘もいいとこだ。金欲しさに女郎屋に売り払ったんだ。俺もな、五両欲しくてな。お前を殺す仕事引き受けた。悪いことはいわねえ、死んでくれ!!」
「グゥアアア!助けて!助けて!人殺しだぁ!!助けてえ!!」
「騒がれちゃこっちが怖いや、荒療治でいくぜ。」
重吉はギラッと短刀を抜くとお嶺の首元にグサリと突き刺しました。
「ギャァャアアア!!!」
これがお嶺の最後の断末魔でございました。
「ハァ、ハァ・・手こずらせやがって・・・往生際の悪いババアだ・・・」
そう言うと重吉はお嶺の死骸をズルズルズルズルと引きずってきて川に沈めてしまいました。
ガボガボガボガボっと真っ暗な川に沈んでいくお嶺の死骸。
重吉はしばらくその様を眺めておりましたが、ふとその中からスッーと青白いものが出て参りました。
「!?なんだ、あれは?」
それはボッと光ったかと思うと火の玉の様な形になり、娘のいる吉原の方にスッーと消えていくではありませんか。
「きっ、気味が悪りぃ!!ヒィッ!!」
重吉はあまりにゾッとしたものですから夢中で駆け出しました。
駆けて、駆けて、駆けて、駆けて・・・・。
どれくらい駆けたでしょうか。一本の柳の木がある所まで逃げてきました。
「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・なんだったんだあれは。」
息を切らしながらふと重吉は前を見ました。
重吉はその時目を疑いました。
なんと、
二件先の朽ち果てた長屋の跡の前に、
さっき川底に沈めてきたはずのお嶺が、
ぐっしょりと濡れた髪の毛を振り乱しながら、
ガクガクと体を震わせながら、うめいてるではありませんか。
「重吉ぃぃ・・・よくもお吉をぉぉぉ!!!!」
「ギャァァァァ!!勘弁してくれ、悪かった!!勘弁してくれえ、勘弁してくれぇぇ!!!!」
完