浮かび上がる陰第三章「竜の国」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある、「土気」を司る麒麟神に認められし者・赤ノ宮の名字を改めた九字紫苑。強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者、紫苑と結婚している露雩。
紫苑の炎の式神で、霄瀾の父親になった、「火気」を司る朱雀神に認められし者・精霊王・出雲。神器の竪琴・水鏡の調べを持つ、出雲の子供にしてもらった、竪琴弾きの子供・霄瀾。帝の一人娘で、神器の鏡・海月と、神器の聖弓・六薙またの名を弦楽器の神器・聖紋弦の使い手・空竜姫。聖水「閼伽」を出せる、「魔族王」であり格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉の器の持ち主の、「金気」を司る白虎神に認められし者・閼嵐。輪の神器・楽宝円を持ち、「木気」を司る青龍神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭。人形師の下与芯によって人喪志国の開奈姫に似せて作られた、槍使いの人形機械・氷雨。
病弱なため帝になれなかった、帝の兄・日宮。日宮の息子で、空竜の婚約者・当滴。空竜の元女官・定菜枝。
竜の国の小竜・パへと。竜王・いろパ。
朱い仮面の神の二人の祝女・晴魔・雨魔。
剣姫の血を欲する竜・浜金。
第三章 竜の国
金韻山脈の前で、紫苑たちは途方に暮れていた。
目の前には、布を上から吊り下げたように急に湾曲した、先の尖りに尖った緑の山々が、草原の草ほどにたくさん連なっていた。
それだけである。
竜の姿など、一体も見えない。
「幻術を破る方法がわからない……。真都で聞きはぐったわ。しかし言うような相手ではないし、こちらも危なかった。仕方ないか」
定菜枝と代鋭は紫苑たちが金韻山脈に向かうことを知っている。しかし追手が来ないところを見ると、定菜枝がうまく嘘をついてくれたのだろう。拷問にあっているということだ。
「定菜枝の行動を、無駄にできないわ!」
空竜は、封印を破らんものと、聖弓・六薙に神器・海月の矢をつがえると、山の間を縫うように発射した。矢は六本に分かれて、山を避けるように並縫いしていく。
どこまで行っても、手応えはない。矢の風を切る音が、静かな山々に響くばかりである。空竜は怒っていた。
「定菜枝が、どんな思いでいると思ってるの! 山一つ吹き飛ばしてやるわ!!」
六本の矢を束ねて一本の太い矢にし、山の頂の下の、細い部分を狙って射た。普段ならこんな形で自然破壊はしないが、空竜は定菜枝のことを思うあまり、思い通りにならない怒りに対して生贄を求めた。
すると、矢が山頂の下を砕こうとする寸前に、空間が歪んで矢が弾かれ、地面に激突した。
「あれ……? 手応えがある!」
これが竜の国の封印かと思い、破るために立て続けに空竜が射ようとしたとき、空間から声が飛んで来た。
「わーっ! 待った待った! ボクばっかり狙わないでー!」
空間の中から、縦長の鼻と口、太い胴体、骨ばった翼の、緑色の小さな竜が出て来た。
「弱い竜から殺そうとするなんて、人でなし!」
「竜に言われてもね」
観察している紫苑を残して、空竜は自分の身長の約半分の丈の小竜の尻尾をつかんだ。
「捕まえた! さあ、死にたくなければ竜の国へ案内しなさい! できないなんて言わせないわよ!!」
小竜はじたばたともがいた。
「なんだよそっちから攻撃しといて! 他の竜も怒ってるぞ! よりによって神器で攻撃してきやがって、竜族と戦争したいのかって!」
紫苑が気づいた。
「ここに隠れてる竜の国でも、神器の影響を受けるの?」
小竜はもがきながら、鼻から煙を吹いた。
「あったりまえだろ! 竜の国の幻術を破るものは神器なんだから! ……あ」
小竜は、竜の国の秘密を話してしまったことに硬直した。紫苑が優しく言った。
「大丈夫よ。あなたは、神器で射られそうになったから応戦したけど、戦ってるうちに私たちが竜の国に入りこんでしまった、ということにすればいいの。そして私たちは行方をくらました。ね? あなたは軽いおとがめで済むわ」
小竜は黙って考えこんだ。空竜が尻尾を強く握った。
「さもないと、この生け捕りの姿を他の竜に見せ歩くわよ」
「人でなしいい!」
小竜が泣きわめいた。そして、
「わかったよ! 竜の国に入れ! ただし、そこの人形は入れないぞ!」
氷雨がむっとした。
「私のことか。なぜだ」
「お前だけ神器を持っていない」
「……!」
思わず言葉が出なかった。小竜は説明した。
「竜の国へ入るための幻術を破る方法は、その者が神器を身につけていくことだ。神器の力が強いからというより、竜は神器を持つ者の方に興味があるから、竜の方が入らせるんだ。神器を扱う資格、戦いの記憶、神の力の戦いともいえるそれは、竜の欲しがる貴重な『知識』なんだ」
小竜は「血をなめたい」とは言わなかったが、それが望みなのだろう。竜の国に入ったら、すべての竜に血を分けなければならないのだろうか。どうせなめられるのが条件なら、一番物を知っている竜一体のみにとどめたい。その一体とは、すなわち――
「氷雨は裏技があるから大丈夫よ。あなた、名前は? 竜王のところに案内して」
紫苑は、竜王のみにと考えた。小竜はビビと震えた。
「なんで竜王様のところに!? そりゃ、これだけ神器があるし、連れてっても怒られないだろうけど……」
「あなた、名前は?」
「……パへと」
「パフェ?」
「ちっがーう! ちゃんと言えよな!? もういい、さっさとボクのあとについて来な!」
ビビと上下するパへとのあとについて、紫苑は十二支式神「丑」(牛)と「未」(羊)を出して、男の四神に認められし四人を、午と寅と合わせて運ぶ。自らは霄瀾を背負う。
「で、氷雨はどうするのよ?」
空竜が尋ねた。
竜の国は、草の生えた山々しかない、殺風景な国だった。頂点を覆うように、一つの山につき一体ずつ、竜がとまっている。どれだけの数の竜がいるのかわからないくらい、山脈は遠くまで続いている。
畑も家もない。
「神聖だから、山をすみかにしてるんだ。ごはんは山だよ。ほら、ちょうどあの山を見てみな」
パへとは右前方の山に顔を向けた。山の急な頂点の上に、赤い太陽のような大玉が膨らんでいた。竜の胴くらいの大きさはある。すると、竜はその赤い大玉に口を近づけ、吸い取ってしまった。
「竜は気脈の走る山に傷をつけて、そこから放出される気を食べて、生きてるんだ。傷のつけ方にも工夫があるんだよ。山を生かすように上手に傷をつけて気を分けてもらうと、すごくおいしい気になる。反対に、山を死なせるように深く傷をつけて貪ると、体をそこなう悪い気しか得られなくなる。竜はそれを知ってるから、今までに山を死なせた馬鹿はいないよ。人間にはできないだろ!」
自慢気に胸を張るパへとと、聞き入る紫苑。
「ちょっと……それはいいお話なんだけど……」
空竜が居心地悪そうに言った。
「……これ、竜の国にいる間中、ずっとなの?」
空竜は氷雨の首に両腕を回していた。氷雨は空竜の肩と膝を抱き上げ、姫抱えをしていた。ご丁寧に男になっている。
「そうよ。ずっとよ」
紫苑が振り返った。
「空竜はお姫様だから、歩かないの。乗り物が氷雨という設定よ。これなら氷雨は空竜の『持ち物』だから、神器を持っていなくても、一緒に入れたでしょう? 竜王に幻術を免除してもらうか何かするまではそ・の・ま・ま!」
「……紫苑、必要以上に楽しそーね」
「え、だってほほえましいから」
「ちょっとお!」
氷雨がしゅんとした。
「空竜は、私が嫌いなのか」
もともと男顔の美形なだけに、男になるとさらにその美しさが引き立っている。
「もー! みとれてません! 守られてばかりでいるようで、居心地が悪かっただけ! わかってこの感覚!」
空竜は誰にともなく叫ぶしかなかった。
紫苑たちが山を通り過ぎるたび、竜がのそりと下をのぞきこむ。そのたびに、辛みを引き起こすような匂いが立った。これが竜の匂いであった。
「知識はそれを死蔵する者を焦らせる。竜は知識の塊だけど、この山脈から出ないからね。知識が自分を役に立たせろと言って竜のお尻に火をつけようとして、辛い匂いに進化しちゃったんだ」
パへとからは特に辛い匂いはしない。
「……まだ幼くて、知識が十分じゃないの!」
物事を知らないと自己認識できるのは、十分賢い証拠なのだが、パへとは恥ずかしそうにむくれた。
ある山の麓に、洞窟があった。
「竜王様は、地下の鍾乳洞にいらっしゃるよ。山脈のすべての気脈の集まるところさ」
パへとと共に洞窟に入ると、ひんやりとした空気に包まれた。すべてが白い鍾乳洞で、天井からは、鍾乳石が丸みを帯びた氷柱のようにいくつも垂れ下がっている。地上からは石筍と呼ばれる、鍾乳洞の天井から滴った水の中の炭酸カルシウムが沈殿して生じた、たけのこ状のものがいくつも形成されている。洞内のうねる床は、地下水がところどころ流れていて、ぬれている。
竜の鱗を何枚も重ね合わせた扉にたどり着いた。
左右にいる二体の竜の門番が、扉を開けた。
「竜王様は既にご存知です。どうぞお通りください」
「あら。取引する気満々みたいね。話が早いわ」
紫苑たちが入るとき、パへとだけ止められた。
「え? プるをさん、ボク、この人たちを入れちゃったことの弁解しないと、罰がひどくなるよ! 竜王様、聞く耳も持たないほどお怒りなんですか?」
門番の片方のプるをは、首を振った。
「いや、その逆だ。よく入れてくれたとおっしゃっていた。しかしこれから先は聞かぬがよい。知識を得れば、他の竜たちに血を狙われる」
それはつまり、殺される可能性があるということだ。自分に無関係で不必要な知識は、身を滅ぼすもとになる。そこで、パへとは門の外にいて、入らなかった。
紫苑が声をかけた。
「ありがとうパへと。元気でね」
空竜も手を振った。
「竜の国に入りたくなったら、また山を射るからね」
「するなああ!!」
パへとが絶叫した。そして、扉が閉まった。
「冗談が通じたかしら」
「賢くなれば自ずとわかるわよ」
女二人の会話を、氷雨は空竜を抱えながら無言で聞いていた。
真っ白な鍾乳石の層が現れた。竜が両翼を広げた形の大きな扉がついている。たった一体の竜の出入りのためだけに作られたような、大きさだった。
扉が消滅した。中に入れということらしい。
一同が中に入ると、そこは白い鍾乳石で覆われた、天井の高い、明るい部屋だということがわかった。
「よくここまでたどり着きましたね。『世界を変える物語』、会えて嬉しく思います」
部屋の中央に、巨大な、目に見えるほどの白い気の流れがあって、それは流れながら、竜の形を作っていた。気には字が走馬灯のように流れていて、この存在の持つあらゆる知識を著し続けているようであった。
「驚きましたか? 竜王の体はないのです」
その存在は、優しげな、大人の女性の声だった。紫苑は即答した。
「一涯五覇のうち四名は、各々の五行の気が正体でした。さしずめあなたは『知の極覇』なのでしょう。極まりすぎて肉体を失ったのだとしても、おかしくはありません。それが知の気ですか。拝見できたことを光栄に思います」
空竜と氷雨が驚いているのに、紫苑はあっさりと受け入れた。竜王は楽しそうに笑った。
「真の武人ほど、珍奇なものに出くわしても冷静なものです。いいえ、冷酷と言うべきですか……。こちらこそ、『あなた』を見せていただいて、光栄です。私は竜王いろパ。陽の極点、あなたは何のためにここに来ましたか?」
紫苑は、まず男五人の呪い解放を願い出た。五人とも顔面は蒼白で、紫苑の回復の術で命を保っている。
「ああ……ついにこの時が来ましたか」
竜王が思い出をたぐるように呟いた。
「どういう意味ですか?」
氷雨がすかさず尋ねた。
「竜族は古き神を信じていて、今の神には従っていないのですが、古き神は昔、当時の竜王にこう言われました。もし自分と同じ呪いの仕方で命を苦しめる者が現れたら、それは自分とは違う偽の神だから、従うなと。神はその呪いを解く方法を伝授されると、竜族の前からお隠れになってしまわれました。その後、新しい神が他種族の中に現れたのです。私たちは、この神が偽りの神かと思っていたのです。しかし、この神が現れると、あちこちに神が出現して、どれがそれなのか、ついにわからなくなってしまいました」
竜王は五人をのぞきこんだ。
「この呪いは、まさに竜族の古き神のもの。この呪いをかけた偽りの神こそ、竜族の敵です。とにかく、呪いを解きましょう」
竜王の気の体から、五本の紐が伸びて、五人に巻きつくと、「解放」の字を体の上に結んだ。みるみるうちに「解放」の字から煙が立ち上り、熱を帯びると砕けて飛び散った。
五人が、うっすらと目を開けた。閼嵐の体も、魔族化後に少年になっていた姿から、大人に戻った。
「露雩! みんな!」
紫苑は愛する夫のもとに真っ先に駆け寄り、ほっとして夫の胸に顔を埋めた。
「……泣いちゃった?」
露雩は紫苑の頭を優しくなでた。
「無力な自分が、怖かった。あなたに認められるためなら世界を救うのくらい決心できる、でもあなたがいなかったら私はこの世界で一秒でも生きていくことができない」
露雩の胸元をつかむ両手が、震えている。
「死なないよ。紫苑が生きてる限り、死なないよ」
「うん……ううっ、うっ……!」
露雩は泣きじゃくる紫苑の頭をなでながら、力強く抱き締めた。
空竜も、駆け寄りたい衝動に駆られたが、他の三人を差し置いてはちょっと、と思っていた。しかし、その視線に出雲が気づいた。
「空竜……お前……」
「えっ!? いやっ、そのおっ、ただ見てただけで、よかったあっていうのはみんなに思ってるしっ」
慌てる空竜に出雲は真剣な眼差を向けた。
「えっ……?」
ば、ばれた!? と、空竜が次の出雲の行動を期待していると、出雲は真顔で言った。
「当滴に諦めさせるために氷雨と恋仲のふりをしてるのか。でも日宮の方は諦めないと思うぞ。残念だが」
空竜は拍子抜けした拍子に、氷雨の腕から落ちそうになった。そこで今の自分の状態を思い出し、竜王に氷雨を竜の国に受け入れてほしいことと、五人にこれまでのことをすべて、大演説した。
話は通じた。
男五人は、あらゆる知識の集合した、字と気の流れだけの竜王に、無理に感想を言わなかった。
ただ、凄絶な人生に圧倒されていた。
竜王は、晴魔と雨魔について考えていた。
「この二人の祝女は、次もまた同じ呪いをかけてくるでしょう。これをお渡ししておきます。彼女たちの呪いから守ってくれますよ」
竜王の前に八対の白真珠が現れると、紫苑たちの両耳たぶに張りついた。それは光を放ち、変形した。
「あなた方の気で、扱いやすい形になりましたよ」
竜王は気の流れで鏡を作ってくれた。
紫苑は耳に白い竜の角がかぶさっていた。
露雩は水晶の亀甲が二枚ずつかぶさっていた。
出雲は金属が耳を覆いつつそれ以外は細く額をまわり、金冠のようになっていた。上下を分けるように輪状の黄石が一周してはめこまれている。
霄瀾は白い輪の真ん中をとめて二つの輪にした、白くしなる紙が二つ、両耳を覆っていた。
空竜は葉をもっと太く丸くした大きさの白い羽毛が三枚ずつ、耳にかぶさっていた。
閼嵐はひし形を上下に一つずつ、一辺が湾曲した三角形を湾曲線を内側にして左右に一つずつ、かつその三角形二つに橋がかかるように大きく蛇行する線を加えたものが耳の前に配された。それらはすべて光であり、前方に回転していた。
麻沚芭は耳を隠すほどの大きな円盤の白半透明の水晶石であった。両耳のそれから白半透明の線状の石が伸び、頭頂でつながっている。
氷雨は耳たぶの白真珠の下に、竜の牙が下がっていた。
一同が驚嘆する中、竜王は憂いをこめて首が下がった。
「私たちの神を侮辱する者が、私たちの神の力を使って、世界を支配しようとしている。浜金、裏切り者め、竜族の恥さらし!」
紫苑は神剣・麒麟を不安気につかみながら尋ねた。
「浜金の目的は何ですか。奴の牙槍に突かれたとたん、麒麟神の神気を受けられなくなりました。これも偽りの神の呪いですか」
竜王は上を見つめた。
「浜金の目的は、私にもわかりません。ただ、この金韻山脈の竜を仲間に誘おうとしている形跡はあります。偽りの神が、竜族の前からお隠れになった真の神を騙って迷わさないよう、私も竜族に何度も注意するようふれを出していますが……。
あなたが浜金の牙で神気を失ったのであれば、浜金は瀆神の儀式をしています。己の身に受けた神々の怒りによる呪いを、牙に移したのでしょう。その牙で傷を受ければ、その者は神々の呪いを受けたものと同じになります。さすがに、私もいくつもの神の呪いは、解けません。祝女として浄化の儀式を行い、神々に身の潔白を証明するしかないでしょう」
「神々の呪い……! 信じてもいない神の力を借りるとは、まさに冒瀆者!」
紫苑は剣姫の穢れを浄化する舞を思い浮かべたが、険しい表情になった。
「浜金に攻撃されるたびに、浄化の舞は舞えない。お赦しが出るまで、時間がかかりすぎる」
「一度にあらゆる神に祈れる神器があります」
紫苑は思わず息を呑んで竜王の顔を見た。
「それは祝女のための神器。十二種の大神器の一つ、光輪の雫です。『世界を変える物語』、それはあなたが挑みなさい」
霄瀾が急いで身を乗り出した。
「どこにあるか、知ってるんですか!?」
「……」
なぜか竜王は無言を返した。
「それはあとで申しましょう。あなた方は最後の大神器、白夜の月について知らねばなりません」
全員が固唾をのんだ。
「白夜の月は、星晶睛の男が持っています」
皆の視線が、一斉に露雩に向けられた。
「百年前、その男は今のあなた方と同じく、星方陣を成そうと旅をしていました。私のところにやって来ましたよ。陣を成す神器を扱うのに五人いるから、そのうちの一人にならないかと。その男は切れ長の目に黒髪、二メートルの長身。ちょうど顔も背丈もあなたに似ています。あなたではありませんけれども」
竜王は露雩を興味深そうに眺めて、続けた。
「男は、私に両目の星晶睛を見せ、信用させようとしました。真っ黒い刀である、白夜の月も抜いてくれました。しかし、私は断りました。竜族は、もう星の支配に関わることはしたくないと。男は竜族の知識で神器を探し出し、扱ってもらおうと考えていたようでしたので、ひどく落胆していました。そして、すぐに去って行きました。まるで世界中を旅する覚悟ができているかのように」
露雩が静かに尋ねた。
「名乗らなかったのですか。どのような星晶睛でしたか」
「名乗りません。星晶睛は、正方形を二つ縦と斜めに重ね合わせた八角形で、赤紫色です」
露雩の心臓が重く鳴った。それは自分の左目の星晶睛と同じだ。百年前、自分が藤花という名で旅をしながら探していた男だろう。嫌な予感がする。自分の中に二人の星晶睛がいる。自分に、一体何が起きたのか。男の神器は。自分の目的は。
心臓が、陶器のように重く腹に沈み込んでいくようだ。自分は何かとてつもないことをしようとしていたのではないか。広い世界の重みに、押しつぶされそうだ。「使命」の重みで「自分」が沈んで、この世からいなくなってしまいそうだ。怖い。たまらなく怖い。
心臓をつかみあげられた。
紫苑が、露雩の心臓を離さないでいた。その目は、さっきまで震えて露雩の胸元をつかんでいたのとは真逆で、守り抜く決意に満ちていた。
「露雩。竜王に血をなめてもらいましょう」
露雩は妻の言葉に我知らず汗が出た。失った記憶がすべてわかる。心の準備に数分かかるが、その間に、それしか完全に記憶を取り戻す方法がないと悟る。
恐ろしい。
記憶はもう、どうでもいい。
ただ、この人に去られたら。
露雩は紫苑の目を見つめた。どんな動きも見逃せない。
紫苑は露雩に微笑んだ。どんな彼の手の動きも、つかんで離さない。
竜王が露雩に近づいた。
「よいのですね」
「……はい」
彼は妻の方を見ながら答えた。
竜王は気の流れを露雩の小指に軽く突き刺した。その気が竜王に入ったとたん、
「パババ!!」
突然、竜王は激しいけいれんを起こし、動かなくなった。
「竜王!?」
一同は、竜王の気の流れが非常に遅く流れているのを見て、死んではいないとひとまず安心した。竜王の気は、弱々しくぴっと露雩の血を外に放り出した。すると、竜王がやっと薄く目を開けた。
「……なんということでしょう……。こんな知識量は、初めてです。知を極めた私ですら一秒ともたないとは。これは神の域。あなたには神気の加護があります。あなたのことは見られません」
「玄武神にお願いをして、竜王を傷つけないようにしますから、もう一度……」
「玄武神の妨げではありません」
覚悟を決めている露雩に、竜王は首を振った。
「この世には最強の二神がいます。一つは完全なる陽の神、一つは完全なる陰の魔神。四神五柱やその他の神々ならば、私も少しは垣間見ることを赦されています。神々の方が、地上の命に知ってほしいと思っているからです。
ですが、完全なる陽の神と、陰の魔神だけは、誰も知ることを赦されていません。お二方が、地上の命に知られることを特にお望みにならなかったからです。露雩、あなたにはそのお二方の神気に匹敵する力がめぐっていて、とても私の脳では処理できません。祝女の神器・光輪の雫で神に問い、直接聞き出すのがよいでしょう」
露雩は両目を閉じて、しばらく「自分」を感じていた。そして、目を開けた。
「お二方とわかったのは、あなたの知識のおかげです。お体を危険にさらしてしまい、申し訳ありませんでした。ここから先は、自分の力でなんとかしてみます」
竜王は思い出したように一点を見つめた。
「そういえば、一瞬あなたの視点であの男が白夜の月から青白い光を放つのが見えました。あなたもその双剣から同じ色の光を出していましたよ。戦いの様子からすると、白夜の月に匹敵する力を持っているようです。何らかの神器なのでしょう」
「……神器……ですか。名前も使い方もわかりませんが」
露雩はすらりと双剣を抜いた。水晶神封印から解かれたときに、既に持っていた剣だ。
閼嵐が鼻を近づけて動かした。
「そうか……。神剣・玄武の匂いはひときわ強いと思っていたが、その双剣があったからか。名前も力も引き出せないんじゃ、匂いが必要最低限にとどまったのもうなずけるぜ」
竜王も紫苑を見た。
「そうですね。拒針山でせっかくあなたにその双剣の神器の名を教えたのに、使いこなしていませんね」
紫苑は、都の拒針山で竜から双剣の名「桜」と「紅葉」を教えられたことを思い出して、驚いた。
「あれは、竜王だったのですか!?」
「私の命で私の配下の竜が真珠に知識を入れて拒針山まで持って行ったのですよ。山の上からのぞいていました。あれからまったく進展しないとも思わずに」
紫苑はうまく弁解できず、しどろもどろになった。
「いえ、剣姫のときにまったく折れないのでありがたいとは思っていますが、それで不都合がなかったので……」
「今はそうでしょう。しかし、必ず力を借りなければならなくなるときが来ます。その二剣は、世界を変える力を持つことが、扱える条件になっている剣です。宝の持ち腐れをしてはいけません。得られた力は使い尽くさなければ、思わぬところから倒されますよ」
「……はい。気をつけます」
紫苑は双剣を見比べた。この二剣は、剣の舞姫を見た月宮が、「しばらく貸す」と言って渡してくれたものだ。紫苑に神剣を預けたことになるが、いずれ紫苑を手に入れようとたくらんでいた月宮は、神器と知って感動した紫苑が、自分に恋をしてくれるだろうとでも思ったのかもしれない。
しかし、神器を扱えなければ神を試した罰、神罰が降るのだから、紫苑に刀を渡した時点で、月宮は紫苑が死んでも別にいいと思っていたということだ。生き残れば自分のものにする。虫のいい人間だ。末路はそのぞんざいに扱った相手に斬り裂かれたが。
「弟の月宮も、兄の日宮も、人間の世界で帝位につきたいと、人間の中でぐるぐる回っている。月宮は回っているうちに殺したが、日宮は準備が整ってしまった。空竜に隠さなかったし、都へ攻め上るだろう。都には知らせてあるが、ここで日宮を討っておくべきか、星方陣の旅を急ぐべきか」
紫苑は助言を求めるように竜王を見上げた。日宮の軍は、これまでのどの反乱軍よりも大きいであろう。なにせ、「本来なら帝になっていたはずの長子」である。次男の星宮ではなく、日宮を正統と認める国王は、意外と多いのである。王たちの多数決ではなく、先帝が星宮を帝と決めたのである。それが帝国の支配を継続するために、必要だったからである。
しかし、日宮にはその理由がわからない。ただただ、「すべてを盗まれた」という憎しみと屈辱で満たされていた。帝になるために、必ず挙兵することを心に誓っているのだ。
竜王は即答した。
「あなた方はあなた方にしかできない、星方陣の旅に行きなさい。因縁のある者こそが、対戦者にふさわしい。他人の戦いを、勝てるからと言って奪ってはなりません。犠牲者を減らしたい気持ちはわかりますが、人には、命がけの戦いをしなければならないときがあるでしょう。自分の信念を思うからこそ、命を投げ出す意味があるのです。他人の戦いを盗むのは、他人の人生を奪うのと同じです。戦う理由である信念があり、そのために戦わなければ、人は生きている意味がないのです」
紫苑は、帝の兵の命を助けようとしてしまった自分に、はっとした。
「自分の戦いをもし他人が代わりにやってしまっていたら、私はここまで来られなかった。傷ついても立ち向かったから、いつ誰と対峙しても、臆さぬ者になれた。それは私だけではないのだ。人の数だけ、戦いがあるのだ。私は、意味もなく手を貸してはいけないのだ」
燃ゆる遙を倒したときの剣姫の目になっていた。
「皆の力ではどうしようもない敵が現れるまでは――」
竜王は懐かしそうに紫苑を見つめた。
「やはり、遠くを睨みすえる目の光は、赤ノ宮綾千代に似ていますね。百年前のことを、思い出しました」
出雲が反応した。
「ここに来たのですか?」
「いいえ。式神をよこしました。綾千代の血を添えて。四神神殿のすべての場所を、この血と引き換えに教えてほしいと。人族を代表して星方陣を任される人物に興味があったので、交換条件に応じることにしました」
「だから各神殿にみんなを直接向かわせられたのか」
出雲は合点がいった。
「ねえ。綾千代さんは赤ノ宮なのに、どうして紫苑のおとうさんの万玻水さんは九字なの?」
霄瀾が紫苑を見上げた。
「父は赤ノ宮神社を弟に任せて、自分は実力をつけるために、都の最強の陰陽師だった九字家に弟子入りしたの。そこで他をしのいで、子供のいなかった九字家の後継者に選ばれたの。私の九字の名は、都を守る決意の証なの」
「ふうん、そうだったんだ。万玻水さんてすごいね。ちゃんと紫苑にも自分の心をわけたんだ」
「えっ」
びっくりしている紫苑を見て、竜王は穏やかに笑った。
「こんなにいろいろ会話のある日は久し振りです。竜族はまず、新しい情報でさえも話はしないので。なぜなら、私たちはいろいろ知りたすぎて、自分からは何も言わないからです。ただ、相手が何を言うかに興味があって、じっと待っているのです。自分が動けば、相手の行動を狭めてしまうと思うので、何もできないのです。知識がありすぎるほどあるのに、滑稽でしょう。
いつの頃からか、竜はすべてにわたって『待つ』姿勢を持つようになり、世界と関わる意欲を失ってしまったのです。新しい知識を得るためには、相手の行動を永遠に眺め続けるしかないからです」
「竜族は世界中の命の血をなめて、世界を支配しようとしていただろう」
閼嵐の指摘に、竜王もうなずいた。
「おっしゃる通りです。竜族はすべての種族の特徴や性質、体質、あらゆることを調べあげて統治に活かすために、血の情報をなめあさっていました。そして、知りすぎて何もできなくなってしまったのです。これをすれば成功するけれども、成功したときの情報は既に持っているので、するのは時間の無駄である、かといってわざと失敗するのはもっと無意味である、したがって何もできない。新しい方法が見つかるまでは。
既知のものに興味を示さず、新しいものでなければ関心を持てなくなっていたのです。この無気力状態は、欲のために命を奪い続けたことへの天罰なのでしょう。あれだけ欲しがっていた知識で、身を滅ぼしたのですからね」
竜王から初めて、ひときわ強い辛みを引き起こす匂いが一同に向かった。
氷雨は首を傾げた。
「死ぬまでそれで、耐えられるのか」
竜王は長く息を吐いた。
「罰が子孫にまで及ぶほど、かつての竜族は途方もない罪を犯したのです――」
誕生したときから、他人の血で人生を知り続ける竜は、他種族を支配できるほどの知恵が、ありすぎた。
この世の知識だけでは満足せず、未来に起こることさえ知ろうとした。そして、世界を実験場にするという禁忌を犯した。
自分の手を汚さず、他種族つまり「下等生物」どもが様々な条件で生きる国を、世界を区切っていくつも作った。
世界を作るなど、神への反逆である。
自分の意のままに動く種族を、別の種族の支配者として送りこみ、意のままに変えやすい世界をいくつも作った。竜の知識は、金銀財宝に匹敵する、欲望の対象である。寝返らない種族の者はなかった。そして、少数異種族が各国に入りこみ、政治も、経済も、軍事も掌握するに至った。もちろん、各国の民衆は搾取と社会実験の犠牲となり、世界は摩滅しかかった。竜は所詮竜、神ではない、竜の頭で考えた実験が成功――思い通りにいくわけがないからだ。
「そのときからです。竜が無気力になったのは」
竜王は地上の竜を見回すように、天井にあおむいた。
竜は自分が無気力になった理由にうすうす気づいている。しかし、この先望む知識が得られなくなることが恐くて、その原因を取り除けない。
「その竜が救われる方法とは、各国の少数異種族を全排除し、各集団を種族固有の思考で統治するという、正常な状態に戻すことです。各種族が自ら行動を起こしてその状態を取り戻してもいいですが、元凶の竜が元の状態に戻さなければ、天罰で竜は真っ先に滅ぼされるでしょう」
竜王は、気の流れが少し渋滞を起こした。
「そもそも、ある条件の社会がどうなるかという知識は、身をもって経験した者たちのものです。他人で実験して己の血を流さない者は、罪を成しているのです。その社会を元に戻さなければ、世界の悪として倒される運命になるでしょう。悪を成したとき、その悪人自身が、変えたものを元に戻さなければ、一万回喜捨しようと、一万人助けようと、一万日平和に貢献しようと、罪罰から逃れることはできません。もし一万人の異種族で占領国の民を支配したら、その一万人の異種族を元の国に返して、占領した国をその国の民のもとに復活させなければなりません。もし一つの国を分断したら、元の一つの国に戻さなければなりません。
自分のしたことには責任を取ること、他の『善行』に逃げないこと。『善行』など、時代によって変わってしまうからです。しかし、救われる行いは今も昔も変わりません。『責任を取ること』です。それができない種族は、没落し、衰退し、滅亡します。過去の栄光だけを最期に考えながら。
かつての竜は、残忍な悪竜たちで、知識ですべての命を操る世界の敵でした。格上だと思ってはなりません。知恵の鱗の下は残虐の塊です。尊敬などしてはいけません。命を圧搾する者に、惑わされてはなりません。命を弄ぶ者は、世界の敵です。苦しみ続ける犠牲者が生まれ続ける限り、竜族は滅びに向かいます。その仕方は神だけがご存知であり、竜王の私にもわかりません」
普通、罰を与えていいのは直接の被害者だが、竜は殺人や盗みではなく社会全体を実験したので、その社会がその種族固有の思考に戻らない限り、永遠に呪いが生じるのだ。
神を畏れながら紫苑が聞いた。
「どんな社会実験をしたのかいちいち聞かないけれども、それはこの世界全体で今も続いているのですか」
「ええ、種族の分断、階層、誤報……竜の後遺症が散らばっています。そして、竜族の中にはまだ動ける竜がいて、彼らは他種族の間に入りこんで実験を続けています」
「では、竜の実験に失敗した世界は――」
紫苑に言われて、竜王はけだるげに息を吐いた。考えただけで疲れるようだ。
「悪竜どもが滅茶苦茶にした全世界は、純粋なる命の思考を不可逆に改ざんした悪竜たちの持つ一つの思考に収束するため、善を巻き添えにして滅びようとしています。これを立て直すには、あなたも並大抵の戦いではすまないはずです。
この世界を救ってください、陽の極点、赤ノ宮九字紫苑! 私はふがいない竜王です、道がわかっていながら歩めない。でも、動けないからこそ、あなた方に自分の知識を分けようと思えるのでしょう。もし竜族が動けていたら、すべてを竜が解決して、世界には竜族さえいればいいと、傲り高ぶったことでしょう。人族と魔族と精霊族の力を借りる今、世界には全員が必要なのだと、やっとわかった気がします。それは、竜族の新しい扉を開くでしょう」
竜王の気の流れが、何かを押し出すように流れた。
紫苑は考えた。悪竜の中には、当然、浜金もいるだろう。
「奴ら――悪竜は、竜族が救われる方法を知っていながら、自分の欲のために社会実験をしているのですか」
竜王はうなずいた。
「けれど、未来の無気力から彼らを救うのは、もう神ではなく、世界を実験してたまりにたまった、己の知識です。欲だらけの彼らの頭には、耳に心地良い、優しい言葉だけをかける偽りの神しかいません。彼らこそ正義、彼らこそ神、そう思っているのです」
紫苑は自分が作る以外の、世界の滅びの道に競争心が燃えていた。竜王の姿をまっすぐにとらえる。
「世界をただす……できなければ世界は滅ぶ、か。どちらが先か。……しかし、世界が疲弊していることに誰も声を上げないことは驚きですね」
「何の目的もなく時間が存在を約束することなどあり得ません。神は全員が声を上げるのを待っています。期限つきで。それを巧妙に妨害する世界の敵の、力も知恵もひしいでください。命を下敷きにして笑う者を、その心を砕いて、赤ノ宮九字紫苑!!」
「世界は、そのとき神に試される……!!」
紫苑は剣姫の目をした。
「……竜は知識がありすぎました。先読みして、竜族の社会の失敗を避けようとしました。ですが、来るべき時に来るべき時代の精神が現れなければ、結局失敗を避けても当事者たちは滅ぶのです。善人でさえも。
竜は社会実験で世界を加速させた罰から逃れられないでいます。そして、竜に改変された世界も、共に滅びてしまいます。『自然』を受け入れぬ限り。そのとき真っ先に消されるのは、王の私です」
紫苑は竜王の気の流れが速くなったり遅くなったりするのを見た。
「いいえ。浜金たちこそ消されるべきです。奴は社会実験をして、偽りの神と共に他種族に何かを仕掛けるつもりでしょう。人生の使命を奪う、許してはならない相手です。私が倒します」
「命の使命を奪って、社会の成長の芽を摘んでいる……なんのために……」
竜王は、「わからないこと」に不安と興奮を交互に示して、考え始めた。
「浜金の狙いは何なのでしょう……。運命を盗んだつもりでも、本当は盗めてなどいないのに。運命を乗っ取ることもできません。この世に全く同じ人生を歩める者などいない、誰も運命通りに歩かないからです。右の道を歩くはずだった者が左の道を歩き、左の道を歩むはずだった者が右の道に入る。遺伝子異常で命がつながっていくのと同じで、運命異常で世界は常に新しくなっているのです。
もし運命が先にわかっていて、その通りに歩かなかったらどうなるか。世界に適合せずに死ぬか、適応すれば新たな可能性として世界に試されます。世界に有益ならそれを継ぐ者が現れます。
ですが大抵は、人生を、大成功はないけれども懸命に生きて終わります。運命異常に対応できる秘められた自分の能力を知らないからです。『自分』を知る者が他人に勝てる。自分を活かす場所を見抜けるからです。鮫も、山では生きられません。運命の通りに歩かないとは、『鮫が山に入ってみる』ということです。大抵鮫は死にます。けれど、山で湖を見つけてなんとか海水でなくても棲むことはできるかもしれません。それが生きる工夫、進化の始めということです。
そして、そういう新しいことを恐れない者が生き残り、運命通りに生きる者は、いずれ古びて世界から淘汰されます。この世界は、一人で己の運命に立ち向かうことを要求される、恐ろしい世界なのです。生き抜くよすがは、神への信仰のみ」
続けて竜王は、首をひねった。
「浜金は、神への信仰以外はそれがわかっていると思うのですが……」
紫苑の目が仲間を見渡した。
「浜金も、晴魔も雨魔も、奴らの偽りの神も、私たちで倒してみせます。何を考えていたのか結局聞き出せなかったとしても、これから竜王が竜族を導けばいい。でも、世界にその奴らから聞き出せなかった悪が隠され続けることは、ないでしょう。必ず暴露されるから、私は奴らの思考に、奴らが死んだあとの世界が振り回されることはないと確信しています。奴らを倒す言葉を、私はきっと出してみせます!」
竜王の気が力を増した。
「ありがとうございます、陽の極点、赤ノ宮九字紫苑。あなた方の幾人かに、お話があります。お腹はすいていませんか? 話が終わるまでの間、皆さんお食事をどうぞ」
一同は隣の部屋で、長い木机の上に人数分の皿があり、赤い玉が載っているのを見た。
「竜が食べてる山の気だわ。私たちもいただけるなんて、ありがたいわね」
紫苑たちは椅子に座った。赤い玉に手で触れただけで、気が体の中に入りこみ、かけめぐる。爽快感で、麻沚芭が楽しげに笑った。
「風が、体の汚れを全部掃除してくれるみたいだ!」
紫苑は山の味を楽しんでうっとりと目を閉じた。
「土と草の香りの溶けだした、まろやかな水の味がする」
一同が食事を楽しんでいる間、竜王の前に一対一で向かいあっていたのは、閼嵐であった。
閼嵐は、自分が仲間と比べて実力が伸び悩んでいることを、竜王に見透かされたのかと内心慌てていた。竜王と対等な魔族王として、半端な返事はできないと背筋を伸ばしたとき、竜王が気の流れを使って、閼嵐の目の前に猪ほどの大きな岩を落とした。
「砕いてみてください」
閼嵐はわけがわからないまま、岩を粉々にした。竜王は次々と岩を置いた。閼嵐は次々に粉々にした。破片が顔に当たって、ふと虚しさを覚えた。何をしているんだ? オレは……。
「それが今のあなたですよ」
「え」
竜王に言われて、閼嵐は目を上げた。竜王はじっとこちらを見つめていた。
「無目的に岩を砕いても、得るものは何もありません。あなたは、剣姫の作ろうとする世界を見るために、この旅に参加しましたね。ですがあなたの心には迷いがあります。人も魔物も善人だけが生き、悪が滅ぶ世界になったとき、善なる魔物が、果たしてどれだけ残るのかと。もし人間に虐げられて進化したという初心を忘れて悪徳に溺れていたら、ほぼ全滅ということもあり得ます。剣姫はもともと人間を憎み愛しているので、人間が激減しようが平気ですが、あなたは魔族王として、そこまで民を切り捨てられないのではないですか? これが魔族王のすべきことなのか? 自分はここにいていいのか? あなたは自分の信念と王としての責務の間で、迷っている――」
閼嵐は胸を刃物でえぐられ、裏返して中を見られた気がした。
「……魔族を信じていないわけじゃない。でもオレは一人で戦おうとする魔族が好きだ。本当なら、善人として生き残ってほしい……」
世界は今のままではいけない。悪の滅ぼされない世界など、あってはならない。
わかっていても、王は悪徳の民の命すら憐れんでしまう。罪状を知れば死刑と告げられる、しかし一つの種として全体で考えたとき、他の善人から学べば改心できるのではないかと甘さが出てしまう。
「それは有史以来すべての社会がことごとく失敗してきたことです。正義のない社会は消滅します。希望と報いがないからです。甘えるのはやめなさい」
竜王が冷たく諭した。竜王もまた王として、閼嵐と同じことを考えたことがあったのだろう。だから閼嵐の考えがわかったし、自分の答えをはっきり言えたのだ。竜王は、岩の残骸を気の流れで示した。
「志のない者に、力は生まれません。なぜさっき私が『砕いてください』としか言わなかったのか、わかりますか。あなたに、志のない者は限りなく弱いということを教えるためです。砕かれた岩をご覧なさい。まとまりなく散らばり、破片も自分に飛び散り、何を守っているのかわからず、力を垂れ流しているだけでしょう。どこでどう力を使うべきか、考えていないからです。それと同じです。あなたが迷っているのなら、己の力で真剣に目的を達成しようという志、つまり旅を続けようという気のない証拠です」
閼嵐は絶句して岩の欠片を見回した。虚しくなりながら砕いたことを思い出す。自分のしていることは正しいことなのか、ちゃんと意味があるのか。星方陣を剣姫が作ることにはついて行けても、もし自分で作ることになったら、ためらってしまう――。
「あなたは彼らの中で最も弱い。旅をやめた方がよいでしょう。魔族王、あなたの迷いは人族も魔族も傷つけるだけです」
剣姫と別れると思っただけで、閼嵐の全身の血が逆に走った。
「オレの迷いなどどうでもいい!! 今最も魔族のことを考えてくれている彼女と、別れるなんて!!」
人間はみんな、魔族を滅ぼすことしか考えないのに。
彼女だけは違った。
正しく生きる命は、どんな種でも生きる価値がある。
彼女は、すべての命に平等に、機会をくれたのだ。
自分の行いが自分の生死を決めるという、麗しい希望と、美しい因果応報の理を知って、生き延びる機会を。
閼嵐は広げた大きな左手で鼻と額をつかんだ。
「彼女のそばにずっといたい……! 遠くからでもいいんだ、守りたいんだ! 彼女が、世界を守れる人だから……!!」
目が潤う。彼女から離れることは、自分が世界から切り離されるのと同じことだ。
竜王は静かに閼嵐を眺めた。
「それがわかっているのに、あなたが望んでいたのは魔族の繁栄だったのですか? 誰もが安心して住める世界は魔族が実現できるのですか? 魔族のうちの悪を、魔族王は倒せるのですか? そのために今まで彼女たちと共に悪と戦ってきたのではなかったのですか? その悪を心の底でいまさら惜しむとは! 情けないですよ、魔族王!」
閼嵐は、紫苑がもし、もう人間を殺せないと言ったら、失望すると思った。なぜなら閼嵐は彼女が人も魔物も分け隔てなく裁くのを見て、彼女なら、人族と魔族が手を取りあえる世界を諦めない、と思えたからだ。
その彼女について行きながら、魔族が激減するのを免除してもらおうなどとは、虫がよすぎる。
「王が私情をはさんだらおしまいだ」
閼嵐は力なく呟いた。
「あなたが魔族のたった一人の生き残りになる覚悟はありますか」
力ない瞳が、竜王に向けられた。
「そこまで進んでいたのか。魔族を導けなかったのは残念だ。もともと人間の虐殺から進化したのにな。でも、おそらく人間も激減するのだろうから、仕方ない。善の心が悪の心より多ければ、生き残るんだろう。それを星方陣の前に宣告されれば、全世界の命は生き残るために変わろうとするかもしれないけどな」
「……」
竜王はしばらく何も言わなかった。そして、
「精霊族はほぼ救われる、竜族は何もしていないから放置される、人間はその生き残る方法を知っていて善を為す者と悪を為す者に分かれているので、救われる者ははっきりしている。魔族だけですね。復讐だから何をしてもいいと世界をなめているのは。閼嵐、あなたは王の力をここで使うべきです」
「王の力? 味方か敵の全員に何らかの効果を与える力のことか? 星方陣が来るから気をつけて生きろとでも伝えるのか?」
「いいえ。彼らに人間に変身する力を与えるのです」
閼嵐は驚いて足が動いた。確かに変身は、自分の使える特殊能力だ。しかし、そんなことをすれば、人間から簡単に攻撃される。
「魔族が、人間にこう生きてほしいというお手本を、あなた方で見せるのです。よい暮らしで、魔族も、それをまねする人々も、命が助かるでしょう」
閼嵐は目に光が戻った。
「そんなことができるのか!」
「ええ。ただし、あなたは二度と魔族の姿にはなれません。人間の姿で、常に人間の心を魔族に示す必要があるからです。一生を魔族のために捧げる覚悟がありますか? 魔族王、あなたは魔族を、あなたの持つどの力で守りますか?」
魔族化すると、力を通常の二倍は出せる。それでも、閼嵐は神剣・白虎を握りしめた。
「この閼嵐のことは神の力が支えてくれる。でも、魔族のこの可能性の道は、閼伽閼嵐しか開けない。やってみたい。王の力は、ここで使う!!」
「閼嵐、あなたは立派な王です。ではそう願いなさい。あなたの力と引き換えに、魔族に可能性を与えなさい」
閼嵐が願いを言い終わったとたん、閼嵐の破壊衝動が弱まった。もう、変身することはないのだ――。閼嵐の胸を、寂しさが吹き抜けた。
竜王が、長くて白い毛でできた細長い毛束を出した。
「これは字と気の流れの竜王になる前の、私の白毛です。竜の炎や爪の攻撃を吸収してくれるでしょう。竜王から魔族王への、敬意の贈り物です。どうか受け取ってください」
「ありがたくいただく。知恵を貸してくれたことに礼を返したいが、さしあげるものが今、手元にない――」
「世界を変えるところを、見せてください。それが一番の私の望みです」
閼嵐はうなずいて白毛の束をつかんだ。するすると毛束が動き、閼嵐の尻尾のような位置におさまった。上着の下におさめようと思うと、丸まって収納された。
「あなたも一緒に旅をすることになるな、竜王」
「ここから出られない以上、こんな嬉しいことはありません」
二人の王は和やかに笑った。
次に竜王と一対一で向かいあったのは、麻沚芭であった。
「あなたにはこれをお渡しします」
竜王は、中心が水色に光る、無数の青針水晶を内包した青い水晶球を取り出した。麻沚芭はその輝きに吸いこまれそうになりながら、受け取った。
「きれいな水晶ですね。なんですか?」
「人間の善と悪、すべての所業が詰まった球体、その名は『蒼の玻璃』です」
麻沚芭はびっくりして取り落としそうになった。
「え!? なんでオレに!?」
竜王は気の流れで、蒼の玻璃を持つ麻沚芭の背中を支えた。
「よくお聞きなさい。あなたの真の名は人族王・霧府麻沚芭です。あなたは三種の神器の一つ、楽宝円を持っていますね。三種の神器は人族を守る神器、特に楽宝円は世をまるく治める、人族王の証です。あなたの来るべきときの行動が、人族の命運を決めます」
麻沚芭は、かつて青龍の試練に認められたとき、青龍にも『決断するときが来る』と言われていたことを思いだした。
「しかし、人族王の血筋は空竜姫――、姫も三種の神器の一つ、聖紋弦を扱えます――」
突然王だと言われても、当惑してしまう。人族の王の血筋を守っていたつもりが、実は自分の方が本物だったなどと。
「各種族の、王になる資格は、血筋ではありません」
竜王は優しく、ゆっくりと、伝えた。
「なぜなら、王の責務を果たせる者しか、王になれないからです。王とは民にかしずかれる存在ではありません。その種族の存亡をかけた問いに答え、かつ実行できなければなりません。人族の中で、あなただけがこの蒼の玻璃を見る資格があります。なぜだかわかりますか」
蒼の玻璃には、もう既に映像と文字が溢れ出し始めている。麻沚芭の目が吸いつけられそうになる。
「人族王麻沚芭、あなたの里の人族の勇者の伝説に出てくる勇者も、楽宝円を使いました。動物ら他の命と共存したい――その心を受け継いでいるのは、霧府流のあなたです。だからあなたが人族王なのですよ」
動物と力を合わせて戦う霧府流の忍は、常に動物を理解し、心を通わせようとしてきた。それは、神の問いへの答えを出すにふさわしい人間を成長させる、土壌だったのだ。
「蒼の玻璃を見て、人間をよく知れ、ということですか」
麻沚芭の右手に載っている青い水晶球は、芯が重く、地球の内部へ沈み込んでいこうとするように手を圧迫してくる。竜王は首を横に振った。
「そんな悠長なことをしている時間はありません。あなたのすべきことは、星方陣を作るときまでに、人族の過去を清算しなければならないということです。あなたは、見続けて耐えなければなりません。すべてを見終わったとき、正常な精神を保っている保証はありません。しかし、どちらになったとしても、誤った選択をして人族が滅んだとしたら、それが人族の運命なのです」
自分の答えをもし間違えれば、人族が失敗種として淘汰される。たった一人の肩に人族の未来がかかっている。麻沚芭から汗が噴き出た。誰かと一緒に、意見を出しあって、少しでも答えの精度を高め――いや。
「この重圧に耐え、他の命への愛と神への信仰を頼りにしてより正しい答えを出せるのは、きっとオレだけなんだ。他人の答えを求めるのは責任の押しつけだ。神はそれを嫌う。一人で立てない者の意見は、幼児の言葉遊びに等しい。人間は動かせても、神には絶対に届かない。それに、人間のすべての善悪を見るなど、他人にそんな知恵を与えたら、精神がすり切れてしまうだろう。善の欲求と悪の欲望が、一秒ごとに戦うはずだからだ。人々を守らなければ。オレは、一人で蒼の玻璃を見る!」
竜王が柔らかい風を起こした。
「自ら一人で傷つくことを選ぶ、それが、あなたが王たるゆえんでしょう。耐えて、聞かせてください。あなたの答えを」
しかし、麻沚芭が軽く蒼の玻璃をのぞきこんだとたん、全身に映像と文字と音声と匂いと触感が襲いかかってきて、あまりのことに昏倒してしまった。
竜王が気つけの気を麻沚芭に流した。麻沚芭は、汗びっしょりで、片膝を立てて両手を床にべったりとつけて、震えていた。
「これを……一人で、最後まで……!!」
麻沚芭は青龍の試練のときと同じく、再び逃げられない戦いに入った。
竜王は気の流れを麻沚芭の汗に吹きつけて、麻沚芭の体を冷やした。
「人族の勇者、あなたこそが選ばれし者、決断者です。あなただけが人間の善悪を見る権利があります。蒼の玻璃を見たあと、すべてを思い出すのに何日もかかる。すべてに答えを出すのに何日もかかる。それは竜の話。人間では何十年でしょうか。一生かけても出ないでしょうか。ただ人の中で最速に答えを出せるのが、あなたなのです。あなたは人族の答えを見つけなければなりません」
麻沚芭は、水を飲むために、よろめいて部屋を出ていった。
次に竜王と一対一で立ったのは、紫苑であった。竜王は単刀直入に言った。
「世界を滅ぼさないために世界の悪を破壊しようとすれば、すべての悪に接したとき、あなたの心は邪気に汚染され、このような悪を育てた世界を見境なく破壊する狂戦士となります。そして最後の一人として、いずれは滅びます。また、正しい心に触れ、心を美しく構築して白き炎で世界を救おうとすれば、悪人を浄化する白き炎がその邪気を吸い取り、あなたの心を穢し、あなたをいずれ滅ぼします。それはもう了解していますね」
「……はい」
感覚としてわかっていたことだが、はっきり言われて、紫苑は波が生じた心を落ち着けた。
「それでも、私は自分の力を自分の信念のために使わなければなりません」
「あなたが剣姫の力を授かった理由が、少しわかります。あなたは人を信じ、愛する純粋な心を持っています。人から剣姫として拒まれてもその心を失わなかったのが、神に証明されたから、倒されるべき悪に堕ちずに済んだのでしょう。剣姫の力は、その純粋な心が悪に染まらぬように、与えられたのでしょう。いずれあなたが神の育てた最終兵器として、神の定めた世界を導けるように」
「(使命を終えれば、もはやこの世界に生かす意味はない、か……)」
大きな力というものは、常に同じだけの大きさの犠牲を伴うものだ。紫苑は愛する夫のことを想った。私は、使命を果たした褒美に、神に願い事ができるだろうか。すべては、結末次第だ。
「赤ノ宮九字紫苑。あなたは火気、土気、金気、水気の術を得ていますね。最後の木気の術を得ておいた方がいいでしょう。準備はよろしいですか?」
紫苑は我に返った。
「準備? 何のですか?」
「竜王の羽ばたきで気と文字をあなたに届けます。木気の術だけでなく、私の知るあらゆる術を贈りましょう。ただし、一度きりです。知識の嵐を起こすことで、私の認識はしばらく働けなくなってしまいますから。この風の中で、理解できなかったり、つかみそこねたりしたものは、あなたのものにはなりません。あなたの今持てる能力で、この世界の術をできる限り理解してみせなさい」
紫苑はこのうえなく緊張した。言葉をより多く知らなければ、技を得ることができない。これまで自己流でも勉強してきたことが、こんな重大な場面で試されようとは。勉強していればしていた分だけ、竜の叡知が理解できる。二度とない、最大の好機。一つの技も漏らすまいと決意する。竜王は、他の誰でもない、私に未来を託してくれたのだから。応えなければ。
竜王の羽ばたきが紫苑の周りを通り過ぎる。風の中に、技の音や、説明や、映像などが、入り乱れている。即座に漢字変換したり、文字を記憶したり、技の効果範囲を確認したりして、五感を同時に集中して処理していかなければならない。
技を示すにふさわしいと、いつか誰かに認められたときのために、力をつけておいて本当に良かった。
紫苑は最後まで風を受け切った。
竜王が認識を取り戻したとき、食事を終えて気力の回復した八人が、竜王を守るようにそばにいた。
「ありがとうございます。もう大丈夫ですよ」
礼を言う竜王に、紫苑が近づいた。
「お礼を言うのはこちらの方です。私たちはそろそろ発とうと思います。最後に一つお教えいただけませんか。神器・光輪の雫は、どこにありますか」
竜王は優しく語った。
「神器は、運命に導かれるか、心から望んだときに、試練の姿を現します。神器を求めるのに、ここではないどこかを求めてはいけません。どこでもないここに、いつも答えはあるのです。あなたが求めたとき、そここそがすべてと見える地となります。試練を受けられる資格とは何か。剣の技を磨くことではありません。過酷な地で身体的に苦行することでもありません。たとえ一箇所に一回の旅もなく暮らしていても、精神が鍛えられたとき、命はどこにいても、神器に見えることを赦されるのです。
それこそが命の平等です。
等しく強さを手に入れられる、命の権利です。
神器を持つ強者は己の強さを征服欲に決して使いません。愚かな者たちの前例で、力はずいぶん貶められました。しかし、力とは本来皆を守るためにあるのです。赤ノ宮九字紫苑が神器を持てますように。世界に強く関わりなさい!」
「素敵な言霊をありがとうございます。ここではないどこかには、何もない。どこでもないここに、常に道がある……! 先延ばしにしてはいけない、戦いを決断したときに扉が開く。生きるとは、それゆえに畏ろしい。だからこそ、すべての道が用意されている世界は、神の愛に包まれて美しい」
紫苑が両腕を広げた。
「この世界をもっと知りたいです! 美しいから!」
紫苑の一歩先に、光の棒が現れた。その上端と下端から平行に横線が空中に走り、その端が縦線でつながった。光る長方形ができたかと思うと、扉のように片側から開いた。光が溢れる。
「(奥の光が、戦いを決断した私を呼んでいる)」
紫苑は迷わず扉の中の光へ入った。他の七人も、続いた。
「私も……あなたの新しい世界が知りたい」
動かない体から首だけを伸ばして、竜王は扉が閉じられるのを見送った。




