浮かび上がる陰第二章「真の都」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある、「土気」を司る麒麟神に認められし者・赤ノ宮の名字を改めた九字紫苑。強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者、紫苑と結婚している露雩。
紫苑の炎の式神で、霄瀾の父親になった、「火気」を司る朱雀神に認められし者・精霊王・出雲。神器の竪琴・水鏡の調べを持つ、出雲の子供にしてもらった、竪琴弾きの子供・霄瀾。帝の一人娘で、神器の鏡・海月と、神器の聖弓・六薙またの名を弦楽器の神器・聖紋弦の使い手・空竜姫。聖水「閼伽」を出せる、「魔族王」であり格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉の器の持ち主の、「金気」を司る白虎神に認められし者・閼嵐。輪の神器・楽宝円を持ち、「木気」を司る青龍神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭。人形師の下与芯によって人喪志国の開奈姫に似せて作られた、槍使いの人形機械・氷雨。
病弱なため帝になれなかった、帝の兄・日宮。日宮の息子で、空竜の婚約者・当滴。空竜の元女官・定菜枝。
朱い仮面の神の二人の祝女・晴魔・雨魔。
剣姫の血を欲する竜・浜金。
第二章 真の都
死臭に敏感なカラスたちは、死を呼ぶ殺気にも敏感なのであろうか、戦いを辞さぬ紫苑たちが走ると、ギャアギャアとわめいて、夜にもかかわらず、満月の月明かりを頼りに連れ立って後を追った。
日宮の城は五層の直方体であり、一層ごとに茶色石の陸、青石の海、緑石の森、銀の五種族、金の光色の空を想像させる、見事な装飾で形作られていた。
夜なのにそれがはっきりとわかったのは、城のいたるところで長いろうそくが灯され、昼のように明るかったからである。
光を透過する茶・青・緑そして反射する銀・金の彫刻は、揺れるろうそくの火で光と影が揺らめいて、幻想的であった。
「お出迎えをしてくれたわけか」
剣姫の紫苑をはじめ、自然に、皆が空竜の周りを守るように囲った。
門をくぐると、兵士が両側にずらりと、一分の隙もなく並んで立っていた。他の部屋に寄り道することは許されない。ただ兵士の作る一本道を進むことしかできない。
一人でも殺意を起こせば斬られるほど近い兵士の間を、八人は慎重に歩いた。
玉座の間に着いて、空竜は動悸がした。
日宮が、帝しか着ることを赦されない禁色、深紫色の衣を着ていたからだ。
父帝が殺されたようで、足が震える。
「久しいのう空竜姫」
日宮が玉座から声をかけた。青黒い目の周りに、しもぶくれの顔、たるんだ顎。腹だけ異常に出ている。無理矢理栄養をとった太り方のように見えた。髪は後ろの首と頭の境で一つに縛り、背中までたらしている。
「……日宮様、お久し振りでございます」
空竜が挨拶したが、日宮は六薙しか見ていなかった。
「この意味が、わかるな」
日宮は城全体を指すように片手を払った。
日宮は浜金に民を売った。帝に告発するつもりならやってみろ、帝と戦う用意がある。
紫苑は日宮に一歩近づいた。
「表立って反乱の意思を示せたのは、浜金や竜族と密約を結べたからか」
「日宮様を斬るか? 剣姫」
都の老貴族、喉梶操が堂々と出てきた。
「喉梶! 反乱の尻尾をつかませなかったあんたが、隠れもせず現れるなんて!」
空竜は氷雨に支えられた。帝に討たれない手筈が整ったのだ。
「今までよく神器を集めてくれた剣姫」
喉梶がしわがれた重々しい声でゆっくりと話しかけた。
「ここでその神器を全部置いて行ってもらおうか。安心しろ、竜がお前たちの血をなめて知識を得て、神器を使うことになっている。星方陣を使うのは、天の神であらせられる日宮様だ。日宮様こそ、伝説を作るのにふさわしいお方なのだ!」
一同に衝撃が走る隙をついて、すべての人間兵士が、二倍の大きさに盛り上がり、角の生えた、青黒い筋肉質の鬼と化した。
あっという間に至近距離である。刀を振り下ろしてくるのを受け止めるより他に、逃げ場がない。
「これが鬼人か! 確かに人間以上の力だ!」
剣姫が影に気づいて上空を見上げると、大きな岩を持った鬼人が、他の鬼人もろとも一同を叩き潰そうと跳躍していた。
「オレに任せろ!」
閼嵐がいち早く飛び出し、拳で岩を粉砕すると、鬼人を蹴り飛ばした。
欠片が落ちる中、霄瀾が叫んだ。
「空竜がいないよっ!?」
空竜は、走る代鋭に口をふさがれてかつがれていた。
「んー!! んー!! (放してよ!! みんな、助けて!! みんなー!!)」
細い手足とは思えぬ力で、空竜をある戸の前ですとんと降ろした。そしてひざまずき、声を出した。
「お連れいたしました」
「入れ」
空竜は、中から聞こえた声に、はっとしながらおそるおそる戸を開けた。
ふんわりとした丸く黒い髪形は、大人になって少しくせを持ったようだ。それでも、遠くを見ているような目は、変わっていない。器量は良いが一つの感情も見せそうにない、無表情な男がろうそくを灯した部屋に立っていた。相変わらず、美しく成長した空竜を見ても、特に感想がないようである。
日宮の息子、空竜の婚約者、当滴であった。
代鋭は、戸の外から戸を閉めた。
「あれは僕の忍だ。空竜姫に万一のことがあってはならない。特別に避難してもらう」
空竜がここにいるのに、いないかのように話す。空竜のことなのに、自分の考えで動かす。
「……」
空竜は、会話できずに困った。しかし、仲間を襲うことを知っていた当滴に、怒りがこみあげた。
「自分の力ではかなわないからといって、竜族の力を借りるなど!! 神器を得た竜が、おとなしく星方陣を渡すわけがないでしょう!! 人族の帝一族でありながら、他種族に国民を売り渡すとは!! 恥ずかしくないのですか!!」
空竜は、鬼人と戦う仲間のことが案じられた。そして、鬼人にされた人々のことも、胸が痛んだ。当滴は淡々と返答した。
「ここではないどこかに行きたいなら、人間をやめるしかない。国家はその道を用意してやった。そういう人口の数パーセントを救うより、人口の百パーセントを覆す竜の力を選ぶのは、上に立つ者にしかわからない選択だ。いつの時代も社会には犠牲者が必要だ。その犠牲が百パーセントを養うのだ」
当滴はこんなに喋るのか、ということと、こんなことを考えていたのか、と思うと、空竜は婚約者として当滴を見るのが恐ろしい。
空竜は勇気を振り絞った。
「犠牲者は、人間の努力では抗えない神の一撃によるもので、十分でしょう! そのあとから救うのが王の使命です、王自ら民の運命を断つなど、してはいけないことです!」
当滴の目の焦点が、一瞬空竜をとらえた。空竜の体に不快なしびれが走った。
「ははは、さすが何も教育を与えられなかった姫だ。安心した。僕は必ず帝になれる。一人も犠牲にせずに国を動かせるなんて、本気で思ってるのか。ははは、赤ん坊のお姫様か」
目は開いたまま、しわ一つつけない口元で、声は腹の底から笑っている。
薄気味悪く思っている空竜に、当滴は再び無表情になり、告げた。
「女帝らしい教育を受けなかったから、できないだろう。王というものは、家臣の前で表情を見せてはいけないのだ。意図せず家臣を争わせ、責任を取らせ、誤解させ――、無益な憶測を呼ぶからだ。空竜姫、仮に姫が女帝になったとしても、宮廷は一月ともたないだろう」
空竜は怒りで顔を真っ赤にしてうつむいた。自分も当滴と同じ教育を受けていれば、堂々と対峙できたはずである。しかし、これだけは言わなければ。
「全員が同じ幸せを得られるわけがないことは、わかってる。人口の一部にはたくさん不遇を持ってる人もいる。だけど、不幸は中身が違っても全員が持ってる。その一つ一つに助ける道を作るのが、本物の王よ! みんなでがんばろうって、社会全員に言えるのが、本物の王よ!!」
空竜は怒りでうつむく瞳に涙がたまった。
当滴に怒ったからではない。
信念がありながら、帝王としての学がない、どうしようもない己に、憤ってのことであった。
ああ、無学、それはなんと惨めなのであろうか。
口先ばかりで、救いたいときに、救う手立てが限られる。
知り尽くしている者に、権利も、信念すらも、すべてを奪われる。
「人を救えない人は、王じゃないっ!!」
当滴に叫ぶ空竜に、当滴は片眉をわずかにあげた。
「これが一生続くのかな? 民を統治するのにはうまく使えるか……」
空竜の声は、もう届かない。当滴は、自分の将来の予測で、もう忙しい。
どんなに空竜が名君の素質を備えていたとしても、当滴をさしおいて女帝になることは、絶対にできないからである。
空竜は都にいた頃、なぜ自分が女帝ではだめなのかと、自問したことがある。本当は日宮が帝になるはずだったから、帝位を返すために自分は后になるのだとしか、考えつかなかった。
だが、今ならわかる。女帝が絶対にあり得ない理由が。
「この世界には、何人もの祝女がいる。残念なことに、祝女は帝一族のみに現れるわけではないという現実を、私は見てしまった」
四神五柱の祝女だけで、十人いる。いずれも、れっきとした神の祝女である。この世の神の数だけ祝女がいるのだとしたら、すべての祝女が女帝を宣言したとき、人々はどの勢力につくべきか――どの神が最も正しいか、判断に迷う。その間に武力を持った祝女の一派が世界に君臨するであろう。
厄介なのは、ここからだ。
どの祝女も、正統なる神の力を持つ祝女だ。
当然、「女帝」として世界に君臨した祝女の一派を認めない。
我こそは神の申し子と言って、決して服従せず、全滅するまで神の名の下に戦いを仕掛けてくるだろう。祝女でありながら生き残って神に生き恥をさらし続けるより、神への信仰を守って死ぬ方を選ぶだろう。
そしてそれは、世界にその祝女の後継者が誕生するたびに起こる。祝女は、殺しても殺しても、神のために次が必ず現れるから、永遠に根絶やしにすることはできない。
神に仕える祝女つまり女帝が誕生した場合、同格の祝女たちが、常に神の力を代弁する戦いを仕掛けてくる社会になってしまうのである。
政治体制と秩序を作っても、別の祝女の信じる神の秩序とは違うので、女帝が次々に変わった場合、秩序は女帝一代限りで、政治は国に定着しない。
女帝が子供を産むなど論外である。
同格の祝女たちに、「子供という欲を得て、神の言葉だけを降ろし神とのつながりだけに専念する祝女としての精神状態は終わった」と言われ、女帝は祝女としての正統性を示すことが、人々に対してできなくなる。
よって、一代限りの女帝が死ぬたびに、各神の祝女同士の戦乱が起こる。人々が「どれが次の時代の正統か迷う」からである。
これを断ち、国を安定させるには、祝女と違う次元で動く制度を作り上げるしかない。
その方法は、男が帝になることである。
帝の一族に祝女をこしらえて神意の正統性を確保する一方で、力による支配を断行する。
各祝女の武力である男たちを、男帝の組織の中に組み込んでしまう。抵抗勢力が育たないように、各組織に高い税を課し、遊興を覚えさせ、常に借金しているか金が余っていないかの状態にしておく。支配を続けるために、中央政府以外はすべて貧乏にして、武力を地方が蓄えることを防ぐのだ。反乱を防ぎ、「平和」を守るには、これしかない。
「神の意志はどこへ行った?」という刃物を突きつけられながら。
神を見てきた空竜は、神を思い出すだけで、静かに落ち着いた声を出せた。
「あなたは、選ばれし者の責務を果たせますか」
世界の各種族の王たちを中心に任された十二種の大神器を持つ者は、覚悟しなければならない。
すべての命を守る己の理論がなければ、王たちの集まる机に椅子が用意されないことを。
王ではない者に、王たちの時間を費やす価値はないのだ。理論を持つ次の王が間に合わなければ、その種族はそれまでの話だ。王ではない者をその種族の者が誰も引きずり下ろさないということは、その種族は全員その王ではない者と同程度で、やはり話す価値がないのと同じとみなされるからだ。
歴史を学ぶとき、誰も「誰かができない理由」など覚えない。「誰が何をやったか」を覚える。それがすべてだからである。人間の社会の細々(こまごま)した事情では、当滴こそ王、帝だ。だが全世界の規則では、それは何の意味も持たない。真の王たちの前で、「何もやっていない」当滴の、人族の中の妥協は通用しない。
当滴は遠くを見ている焦点で答えた。
「統治の仕方なら頭に入っている。人間を富ませる政策も少なからず考えている」
空竜はようやく当滴をまともに見られた。
「あなたは、いつも遠くじゃなくて、部屋の柱を見ていただけだったのね。安心したわ。私、あなたより目がいいわ」
「何の話だ」
当滴が空竜を見ようとしたとき、視界に紅梅の花の形の傘が開かれた。
「氷雨!」
空竜は、麻沚芭からもらった傘で自分をかばうように現れた氷雨を見上げて、ほっとした。
「お前が当滴か。人喪志国の開奈姫は、お前の第二夫人になる予定だったな。開奈に似せた私と空竜に似せた弧弧でお前を暗殺し、下与芯様がお前の人形機械を新たに作る予定だった。命拾いをしたな」
紅梅の傘の向こうで、当滴が少し動いた音がした。
「天井から落ちてくるとは思わなかった。空竜姫の声は上の階からでもわかるのか」
氷雨が紅梅の傘をよけると、当滴はもう天井を見上げていた。
「あなたはそうして、宮殿に飛び込んでくるものしか見えないといいわ」
空竜は捨てゼリフを吐いて、氷雨の腕を、「行こう」と引いた。
当滴は、氷雨に殺されてまで空竜を日宮から守る義理はないと考えて、何もせずに見送った。代鋭も、何もしなかった。
空竜は氷雨に、走りながら話しかけた。
「ねえ氷雨、私、なんにも知らないお姫様で、よかったわ。おかげで、義務の果たし方は、世界に飛び込んで見つけるものだって、今わかった! 私、たくさん学んだわ! 当滴よりも!」
氷雨は優しく空竜を見つめた。
「お前はきっと、みんなに話を聞いてもらえる人になれる」
二人は玉座の間へ走った。
玉座の間は、赤いもやがかかっていた。
「何これ!? ……うっ!?」
一息吸いこんだ空竜は、手足に力が入らなくなり、よろめいた。
「どうした空竜。しびれ粉でも漂っているのか!」
支える氷雨は、何ともない。空竜は、すぐに思い出した。
「これは、竜の酒よ!」
父帝が、空竜の十五歳の成人のお祝いに、竜族が飲んでいたという酒を特別に再現した一杯を、飲ませてくれたことがあった。匂いは肺が破裂するまで吸い続けたくなるほど甘く、嗅いだだけで手足の自由がきかなくなるほど酔う。飲めばこの世の悩みがいっぺんに吹き飛び、そのまま意識を失う。
玉座の間は、その竜の酒の匂いが充満していた。
「日宮と竜族が仕掛けたのね! これじゃあ、みんなはまともに戦えないわ! 氷雨、全員ここへ連れて来られる? 一旦退却するわ!」
「わかった!」
氷雨は赤いもやの中へ飛びこんでいった。鬼人もへろへろの動きをして斬りかかってきた。鬼人まで竜の酒で動けなくなってもいいようだ。一太刀でも浴びせて血を出せればいいのだから。氷雨は槍で突き飛ばしながら、中央へ急いだ。
剣姫たちは、一箇所に集まって、五行それぞれの力を出して防戦一方であった。剣をまともに振れないのだから、戦いようがない。空竜がどこにいるかわからないのに、四神を巨大な姿で顕現させて、城を破壊するわけにもいかない。
酒に強い閼嵐だけが、魔族化して、鬼人を倒し続けていた。火花のようになびき背まで伸びる髪が翻り、輪郭がゆらめき続ける目を機敏に動かし、尽きぬ殺意で一瞬も休まない。
閼嵐は、自由に動けた。だが、部屋の中で戦えるほどの大きさになっていただいたとしても、白虎は呼べなかった。神の血を竜がなめるかもしれないからだ。
「ははは! いい見世物だ! やれやれー!」
日宮は玉座で鬼人に囲まれて、竜の酒の匂いで頬を紅潮させて体を揺らして笑っている。それでも相変わらず目の周りは青黒い。
「くっ……! 氷雨はまだか! 空竜さえ戻れば!」
剣姫のもとに、氷雨が戻ってきた。
「空竜を取り戻した! 全員、私について来られるか!」
「よし! みんな、走れ!」
「行かせないのろす!!」
後方から、雨のように細い無数の針が飛んできた。剣姫は神砂で壁を作って、一同を守った。
後方に、肩までの水色がかった灰色の髪がたくさんちぢれている、目の下が黒い若い女が追いすがってきていた。麻の生地に黄色い丸の模様がいくつかついた着物を着ている。鬼人ではなさそうだ。
「血を流すのろす!」
もう一人飛び出てきた。半円の形に黒髪を上げた、目の上が黒い若い女である。麻の生地に血の流れのような赤い線の模様がいくつかついた着物を着ている。やはり、鬼人ではなさそうだ。短刀を持っている。
二人の女の声を聞いたとたん、男五人が苦しげにうめいた。
「まずはどいつからのろす!」
黒髪の女が飛びかかってきた。剣姫が振り返った。六人を先に行かせる。
「やった!! 剣姫のろす!!」
女の短刀と剣姫の刀は、刃を交えた。
それを聞いて霄瀾がばったりと倒れた。
「どうした霄瀾!?」
剣姫が驚いて、かつ酒の匂いのせいで手元が緩んだところへ、黒髪の女が、隠し持っていた大きな牙で剣姫の腕を突き刺した。
「うぐっ!!」
神気が失われる虚脱感が、剣姫を襲った。黒髪の女は、血のついた牙を掲げてけたたましく笑った。
「やった! やった! 剣姫の血のろす! 麒麟も封じ、男どもも倒した! 浜金に手伝わせずとも、我ら祝女だけで八人を殺せるのろす!」
剣姫は麒麟を封じたと聞いて真っ青になった。神が力を出せなくなるというのは、器にとって大罪である。
勝利を確信して、黒髪の女は自慢するように語りだした。
「冥土の土産に覚えておくのろす! 私の名は晴魔、もう一人は雨魔! 我らが神の祝女である! この浜金の牙の槍、牙槍に血がついたからには、お前の第三の最強の力も麒麟も、もう浜金のものだ! 男どもは『のろす』、つまり『呪い殺す』の言霊を浴びて瀕死のはずのろす。我ら祝女と戦えるのは呪いを弾く同格の祝女だけのろす。さあ、そこをどくのろす。男も牙槍の餌食のろす!」
剣姫は、真っ青のまま晴魔に食い下がった。
「待て! その牙が私に何か刻印をして麒麟神を封印したのか! それとも浜金が血をなめるから神を降ろす資格が浜金に移るのか! どうなんだ!!」
晴魔と、隣に並んだ雨魔は、けたたましく笑った。
「知りたいのろす? ……教えなあい! けけたたけけたた!!」
憎々しげに唇を嚙む剣姫を、二人の祝女は薄笑いしては見下ろした。
「焦っているのろす、剣姫が!」
「我らに聞くべきことも、聞かずに――」
そこへ青龍が割って入り、神風で竜の酒の匂いを部屋の奥へまとめた。
「早く乗って!! 紫苑!!」
麻沚芭が、七人が青龍につかまっている状態で手を伸ばす。
「しかし、――!!」
動けない紫苑に、空竜が矢を向けた。
「何してるの!! みんなの状態を見なさい!!」
ぐったりしている男たちとは対照的に、勢いよく矢を放った。一本は紫苑の体に巻きつき、釣りのように引き寄せた。
「行かせないのろす!!」
しかし、追いかける晴魔と雨魔にも矢が巻きつき、柱にくくりつけた。
「三本と二本の矢で結んでおいたわあ、柱は壊せないでしょうから、結び目をほどくしか逃れる方法はないわあ!」
空竜たちが青龍に乗って城から脱出するのを、日宮の「追え、追えー!!」と叫ぶ声だけが追いかけてきた。
「麻沚芭、このまま金韻山脈まで行ける!?」
しかし麻沚芭は、空竜に力なく首を垂れた。
「申し訳……ありません、都の……外が精一杯……です」
祝女の呪いを受けて弱っている。紫苑、空竜、氷雨以外の男五人は、じっとして動かない。
「次あの二人と戦うときは、この三人で戦うことになる。……しまった……あの二人が何の神の祝女か、聞くのを忘れた」
紫苑は、ようやく「聞くべきこと」に気づいた。
「早くしな! ったく、使えないね!」
城では、柱に結びつけられた晴魔と雨魔が、その結び目をほどこうとしている鬼人をののしっていた。神器の矢は二人の体を柱にぴったりと縛りつけていて、どちらかに傷をつけずに解くことはできない。
「あの小娘めが! 一番時間のかかる足止めしていきやがって!!」
竜の酒で力の抜けた鬼人が、服飾を知り尽くした織姫の選び抜いた、二本と三本で複雑に入り組んだ結び目を解かなければならない。しかも、矢の速さの勢いできつく締め上げられた結び目を。
「……もういいお前ら。浜金を呼んできな。あいつに任せる」
晴魔は紫苑たちを取り逃がしたことに舌打ちした。
城の最上階で、日宮は祭壇を整えていた。今のことを報告するためである。紙幣がうず高く積まれている。黄、赤、青、緑や紫など、いろいろな色のろうそくが並び、しかも、炎の色もろうそくと同じ色である。
日宮はろうそくの火を紙幣に移した。国民一人が一生かかっても稼げない額が燃え上がる。
「今日はよき日にございます。剣姫の血が手に入りました。思考を竜に読み取らせ、必ずや仕留めて御覧にいれます」
炎の煙の中から声がした。
『三務乱以上の働き、期待している』
朱い円盤の仮面が、一瞬煙に映った。
五行の一行ずつを極めた五人、一涯五覇の一人、土気の極覇・三務乱の神が、日宮の神にもなっていた。
日宮は地に伏せた。
「ははあー! あなた様が世界をお救いくださいました暁には、私を世界の王にしてくださるというお約束、どうぞお忘れくださいますな」
一瞬で炎が逆巻いた。
『くどい!! 神への望み方も知らぬのか!! まずはその口のきき方を改めろ!! 帝のなりぞこないのくせに祭祀の仕方も知らぬのか!!』
神の怒り方に、日宮も伏せている顔が強張る。
「……申し訳ございません、どうかお赦しください。供物を増やします。どうかお怒りをお鎮めください」
さらに同量の紙幣が焼かれた。
『早く十二種の大神器を持ってくるのだ。よいな!』
神は消えた。
「(……ふん、焼いた金はみな紙きれよ)」
日宮は口の中で舌を出した。紙幣はすべてこの儀式用に増刷している新札で、いくら燃やしてもこちらの懐が痛むことはない。市場に出すことのない本物の「紙きれ」であった。
「帝のなりぞこない」は、日宮を最も侮辱する言葉だ。自分のことを格下に見るこの神には、我慢しかねる。「地上の神帝」に対して無礼である。
だが、この神は古の伝説にある紅き鬼神が再び世界を滅ぼすことを予言し、それを救えるのは自分だけであるから、自分を祀れと言った。国家の神は星宮についているだろう。日宮は、この神に取り入るしかなかった。
「戦争をするには、死後の安楽を約束してくれる神がいるからな」
日宮は新札の黒灰が宙に舞う中、祭祀者として見届けなければならないので、すべてが燃え尽きるまでつっ立っていた。
かつての三務乱の神は、朱い仮面に触った。
『あやつはだめだ。本物の王の三務乱に遠く及ばない。しかし十二種の大神器を持ってこさせるまでは、使うしかない。世界の希望を断って――、奴を殺してやる!!』
神は何もない空間に殺気を充満させていった。
日宮のもとに、当滴と晴魔と雨魔がやって来た。
晴魔と雨魔が色とりどりのろうそくの炎の中で煙に向かってひざまずき、礼をした。
二人はこの神の祝女であった。
「浜金に剣姫の血は渡したか」
日宮に問われて、二人は軽く口の端を上げた。
「あいつもかわいいところがあるねえ。誰にも見られない場所へ飛んでったよ。他の竜に取られたくないんだね。あとはあいつに任せようじゃないか」
すかさず当滴が口を挟んだ。
「空竜姫は無傷で捕まえてください」
雨魔がけたたましく笑った。
「けけたた! なんだい、帝の一族のくせに女一人が惜しいのかい! どうせ城の奥に幽閉するつもりのくせに、育った美貌を見たら飼いたくなったのかい? けけたた、未来の帝がとんだお笑い種だねえ! その甘さは政治に不向きだよ!」
当滴は表情を崩さなかった。
「妻が弱い体では、民衆は世継ぎが産めない結婚になど従いません。憐れに思って一生独身の女帝を認めるかもしれません。あの女は神器を扱えるのですから。僕が結婚したあとはどう扱おうと構いませんが、帝として即位するまでは手を出さないでください。計画が狂います」
晴魔がけた、と空気を口から出して笑った。
「雨魔、こいつなかなかどうして、父親と同じくらい楽しい奴だよ。わかった、空竜だな」
晴魔と雨魔は、煙の中念じて、鬼人に指示を出した。
真都の門の外で、たいまつを掲げた鬼人たちが駆け回っている。
「いたか!? こっちも捜せー!!」
麻沚芭の青龍は、門の外で消え失せた。
呪われて動けない男五人を置いて、女三人で逃げられるわけがない。八人は近辺に隠れている。鬼人たちはそう考えて、都の外をくまなく捜し回っている。
紫苑たちは川の土手の背の高い草むらの中に身を潜めていた。じっくり捜しにかかられたら、すぐに見つかってしまう場所である。男五人が息も絶え絶えで動けないのと、紫苑の麒麟神顕現ができなくなっているのとで、逃げ道が塞がれてしまったためであった。
「くっ……! せめて五人を運べる荷車があれば……!」
紫苑は、五人に父・万玻水の術の一つである『呪い解放』の術をかけ続けているが、一向に回復しない。
「なんて強力な祝女……!」
暗がりの中の術の光が、いつ敵に気づかれるかわからない。空竜が意を決して立ち上がった。
「私が囮になるわ」
「空竜!?」
紫苑と氷雨が顔を上げた。
「二人とも、黙って聞いて。私はまがりなりにも帝の娘よ。日宮は、息子との結婚前に私を痛めつけないと思うの。私が日宮たちを誘導するから、あなたたちは金韻山脈へ行って。私も、後から追ってみせるから」
「空竜!」
追えるはずがない。今が今生の別れだ。
「空竜!」
空竜の手をつかもうとする氷雨の手を、空竜は先に握り包んだ。
「大丈夫よ。一人ならなんとかなるわ。でももし、今全員捕まってしまったら、みんなは殺されてしまうわ。日宮は私には手を出さないから、大丈夫よ。氷雨、五人を守って。心配なら、みんな元気になってから迎えに来て。ね?」
「……空竜……」
弧弧と重ね合わせたのだろうか、氷雨はおびえた子犬のような目をして空竜の両手にもう一方の手を当てた。
紫苑は強く目を閉じた。
「情けない、友一人救えないなんて!」
空竜は紫苑にお辞儀をした。
「いいえ、今までどれだけあなたたちに助けてもらったか、数え切れません。ありがとう」
空竜は静かに仲間から離れようとした。それを、人影が遮った。
「……定菜枝!?」
空竜のねえやが、静かに立っていた。なぜか、髪を空竜と同じく一つに上げて、弓を持ち、空竜の顔に似せた化粧をしていた。服こそ違うが、その特徴をとらえた的確な化粧は、暗がりでは空竜と間違えそうだった。
忍の技なのだろう。
「姫様。ねえやはいつでも身代わりになれるよう、訓練を積んでおりました」
「定菜枝!? 何言ってるの!?」
驚く空竜をよそに、紫苑が鋭く聞いた。
「今の話を聞いていたのか。お前を信用していい証拠は」
定菜枝は、微笑みながら空竜を頭の上から爪先まで見届けた。
「大きくなられましたね、空竜姫。どんな理由であれ、あなたは私が若い頃からの私の主人、あなたは私の青春でした。生きてください。あなたが生き続けることが、きっと私の幸せだから」
定菜枝はそれだけ言うと、走り出して闇に溶けて消えた。その直後、鬼人たちの「姫がいたぞー!!」の怒号とたいまつが、遠くへ去っていった。
紫苑は十二支式神「午」(馬)と「寅」(虎)を出し、氷雨と二人で四神に認められし四人を運ぶ。
「空竜! あなたは霄瀾を!」
空竜は定菜枝の去った闇から離れられない。
「でも、定菜枝が!」
「わからない!? 空竜!!」
紫苑が静かな声で叱った。
「定菜枝は『影』として虚しく生き長らえるより、あなたが生き延びる方を選んだの! あなたが生きている限り、青春を捧げた自分の任務も、命も、永遠に続くと思えたからよ!」
『影』の意味がわからない空竜に、霄瀾をおんぶさせる。
「人の人生背負うってこういうことよ! 空竜、帝は毎日それをしてるの!」
国家のために殉じた人のために、帝は生きている人々を彼らの代わりに守らなければならない。彼らが、死んでもあとのことは安心だから幸せだ、と思ってくれる社会を作らなければならない。それが帝の責任である。
「でも……でもね、」
三人で走りながら、空竜は後方に流れる涙をふけなかった。
「さよならも、言えなかった――」




