魂の乱舞第五章「一涯五覇(いちがいごは)・風吹」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある、「土気」を司る麒麟神に認められし者・赤ノ宮の名字を改めた九字紫苑。強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者、紫苑と結婚している露雩。
紫苑の炎の式神で、霄瀾の父親になった、「火気」を司る朱雀神に認められし者・精霊王・出雲。神器の竪琴・水鏡の調べを持つ、出雲の子供にしてもらった、竪琴弾きの子供・霄瀾。帝の一人娘で、神器の鏡・海月と、神器の聖弓・六薙またの名を弦楽器の神器・聖紋弦の使い手・空竜姫。聖水「閼伽」を出せる、「魔族王」であり格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉の器の持ち主の、「金気」を司る白虎神に認められし者・閼嵐。輪の神器・楽宝円を持ち、「木気」を司る青龍神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭。人形師の下与芯によって人喪志国の開奈姫に似せて作られた、槍使いの人形機械・氷雨。
建築の大臣・直下。
魂を集めている女・風吹。
第五章 一涯五覇・風吹
ラッサの都・第一地区の宮殿では、「王等陣」と書かれた陣が、虚しく光っていた。
「ちくしょう! てめえラッサ王! あいつらに入れ知恵しやがって!!」
王等陣を破られて、風吹が神器・白雲扇をあおいで綿玉を出し、霄瀾の口から金の真珠を引きずり出した。
「うぶっ!!」
異物を吐いて、霄瀾が他のものも吐きそうな顔をした。
『王封じは一度発動すればどんなに再び解除しても、しばらくは効果が続く。発動した者が、戦うにしろ安全なところへ隠れるにしろ、すべきことをするためだ。残念だったな。』
金の真珠は淡々と語った。それは風吹の怒りを増大させた。
「ふざけんなこの野郎!! ちくしょう、式神軍に魂を供給する方に集中して、五箇所に魂を飛ばせなかった! 誰が適任か選定する暇もなく、五人も失ってしまった!! こうなりゃガキの命を使って無理にでも王等陣を復活させてやる!! 朱雀の十二単!!」
風吹の全身から炎が生じ、それは朱雀の頭の冠、翼の袖、尾の長衣を形作り、あたかも風吹を朱雀が守護するかのような十二単になった。
神の力を従える女。
「すなわち、我こそが神!!」
風吹が高らかに炎の神を宣言した。
『否!! その炎、瀆神の衣なり……!!』
ラッサ王が忌わしい目で見つめた。
「ガキとてめえをこの炎の一部にして、あたしを王に等しくする!」
風吹が炎に浮きながら、ゆっくりと階段を下りてくる。
『私たちを燃やしても、お前は王にはなれない! 王封じが解けるまで私たちを確保しておくことしか道はない!』
ラッサ王が叫んだ。風吹は霄瀾を焼き殺すつもりだ。逃げ道を用意しなければならない。
「少なくとも燃えている間は、あたしと一体だよねえ? そのあとで魂を奪って、なんとかいろいろ試して、あたしの役に立つようにしてみるさ。お前が悪いんだよ、ラッサ王。あたしを追いつめたから」
風吹はきききと覚悟を決めたように腹の底から笑った。失敗してもいい。本気なのだ。
『なぜだ! なぜ次の王等陣でなく、今失敗する方を選ぶ!!』
ラッサ王に、風吹は叫び返した。
「あたしは一人も殺したくないんだよッ!!」
そのとき、鳥の式神の伝令が飛びこんできた。
「風吹様!! 敵の炎の使い手が……!!」
風吹の蓄えてある魂も、急速に数を減らしている。救援に行かなければならない。
王等陣の生贄で体を動かせない霄瀾を見やると、風吹は口の中でカッカッと何事か呟いた。
「情除離解。炎は分かれる」
すると、風吹の輪郭がぶれだした。あやふやに揺れる幅が、大きくなる。大きな影が伸びた。次にまばたきしたときには、二人立っていた。
元の十五才の少女は朱雀の十二単を着たままでいた。そして、その後ろに二十五才くらいの、身長百七十センチの大人の女がいた。
その女は灰色と煤色の髪が交互に交じっていた。長い髪を三つの扇のかんざしでだんごにまとめている。その扇には何か呪文が書かれている。肩の下と胸の上の線から肘下と腰の線まで覆う赤い上衣を身に着け、両手は白色の扇と一体化していて、水かきのようである。両足は細長く白い衣に包まれ、爪先の高い、底の赤い木靴をはいている。横の毛に隠されていてよく見えないが、耳がなかった。
驚いている霄瀾に、風吹は鼻息を飛ばした。
「ふん! てめえの始末は大人のあたしに任せるよ! あたしはあの式神野郎をぶっ殺しに行く!」
風吹は朱雀の十二単を大人の風吹に着せると、武術扇をはばたかせて宮殿から飛び立った。
「どういうこと!? 風吹は二人いるの!?」
霄瀾がラッサ王の金の真珠に話しかけたとき、大人の風吹がすぐ前に立った。
「炎は元が同じものをいくつにも分けることができる。あたしの命を分けたってことさ」
『お前が元か』
ラッサ王が問う。
「そう、あたしを殺せば分身も消える。そうでないと、あたしの人生を生きられるとわかれば、分身はあたしを殺しにかかるだろう? あんな短慮をあたしの本体だと思ってもらっちゃあ、気分が悪いね」
風吹は、霄瀾に手を出さない。
『では、王等陣ができるようになるまで待つのだな』
「そういうことだ。一生使える王等陣を手放すもんか。あの子供はだめだね。犠牲を出すのが恐くてがむしゃらだ。一兵卒なら勇敢でいいが、軍を統率する器じゃない」
昔の自分すら冷静に眺める風吹に、ラッサ王は霄瀾の命が保証されたと安心したが、風吹の朱雀の十二単の炎が、王等陣の円周上に燃えていくのを見て不安を覚えた。
『なぜ意味もなく炎で囲む』
「王等陣を待ってる間、その子供の魂にあたしの火を加えて、あたしの分身にする。燃やしたら終わりだけど、半分生かした状態ならいつでも使える。永遠にあたしの言うことを聞く人形になってもらうよ。そもそも、また王等陣を発動しても、また防がれれば終わりじゃないか。子供のあたしが失敗したことを、大人のあたしがまたするとでも思ったのかい。そのたびに血を抜いていたら、この子供はいずれ何かのきっかけで突然死するだろう。死なれちゃ困るから、あたしの使いやすい形にする。あたしの寿命まで生かしておきたいしね。いいじゃないか。人形でも。返事くらいはできるようにしてやるよ。こっちはうまく手加減してちょっとの血さえもらえりゃいいんだ」
なんと賢く残酷なのだ。目的のために最短の道を選ぶ。大人になるとは、こういうことだ。子供の風吹より大人の風吹の方が、相手にしたくない残忍さを秘めていた。
「この陣は時間がかかるから、子供のあたしは頭になかっただろうね」
確実に伸びる炎の中、風吹の声が冷淡に響く。
ある時から、式神は傷を回復しなくなった。瀕死の者は瀕死のまま、戦場に横たわるようになった。
「王封じが成功したんだ! ありがとう、みんな!」
出雲は神剣・朱雀を大きく振るい始めた。
殺さないが、虫の息にする。
熟練の剣技を要求されるそれを、出雲は貫いていた。肉体の疲労より、精神の疲労の方が強い。だが、一人も手を抜いてはいけない。一人ひとりに人生があるのだ。
朱雀の炎を鎧にして、出雲が式神軍団を圧倒し始めたとき、風吹の金切り声が空中から飛んできた。
「あたしの仲間を傷つけるんじゃないよっ!!」
武術扇と神剣が交差した。
「風吹……!! 式神を生かしたいあまりに、何度も死を与えるな! 死なせたくないなら、力の差のある相手にぶつけるな……!!」
出雲の苦しげな表情に、風吹は反射的に離れた。
「……ふん、王等陣が使えるかどうかを試しただけさ。使えるとわかったから、確かにもう式神軍を戦わせることはない。あたし一人で、てめえらを殺してやるよ! なんたってあたしは炎の神だからね!」
「風吹!! 朱雀神を侮辱することは許さない!!」
風吹はきんっと歯を嚙み合わせると、両手を広げた。炎の翼が生じた。炎の尾が伸びた。
「朱雀を従えることくらい、わけはない。なんたってあたしは一涯五覇・風吹、火気の極覇だからね!!」
一涯五覇に臆することなく、出雲は神剣・朱雀を正眼に構えた。
「この世の命の分際で神に等しい姿をまねるとは、身の程知らずにもほどがある! 神敵を斬るのが神の認めた神剣の使い手の役目、己の報い、覚悟しろ!」
「黙れ! あたしたちを救えないくせに、神を気取ってんじゃねえよ! あたしはね、今は式神だけじゃなくてこの星のことも考えてるんだ! すべての自然をあたしたちで管理し、命の増減をあたしたちで決める! 人間によって枯らされていくこの星を、救いたいんだよ! 命を理由なく与えられ奪われてきたあたしたちだけが、一つの命がどんなに大きな人生を持っていて、どんなに大きな命の輪を成す存在かっていうのを、一番よくわかってる! 一つの命がいなくなる重みを、一番見てきているからだ! あたしたちはこの星を豊かな星に戻す! そして、誰も搾取されない素晴らしい世界にする!」
出雲はその音を砕くように叫び返した。
「だからこそ命の滅びを決めていいのは神だけである! 式神以外の命の輪を、何のためにあるのか知らずに滅ぼすつもりか! この星の豊かさは、花鳥風月だけではない! 喜怒哀楽もまた、星の豊かさである! 式神だけの世界では、星の生態系は枯れる!!」
神剣・朱雀が赤くきらめいた。出雲を祝福しているのだ。
「あたしたちが永遠に幸せに暮らす美しい世界を、否定するってのかい! もう悩み、傷つき、死に苦しむのは、ごめんだよ! あたしが神になって、こんな世界を変えてやるーッ!!」
風吹の炎の翼が燃え盛った。
「式神に何も害を与えなかった兄を弄び、父と母を殺害させ、オレを病ませ、息子を奪った。……貴様にいかな理があろうとも、オレが許すと思うのかァーッ!!」
出雲の背に怒りの炎の翼が燃え上がった。
「「くたばりやがれー!!」」
二人は同時に叫び、炎の翼で空中を飛び、激突した。風吹の両手の、一つで体が隠れるほどの巨大な黄色の武術扇が、鋭い刃として翻る。出雲の神剣・朱雀が、赤い刀身で空を裂き、扇を払う。
まるで極彩色の舞を見ているようである。
地上の式神たちはただただ、「神」のために繰り広げられる武闘舞の迫力と緊張と美しさを、見上げるばかりであった。
風吹の炎は扇状に放たれる、出雲の炎は一直線に斬り進む。四散する炎は、互いの空を焦がす。
「てめえが朱雀を起こすとはな! 百年前に無理にでも殺しときゃよかったぜ! 星晶睛の野郎さえいなければ……!」
風吹の武術扇が回り斬りをはかる。
「それはオレのセリフだ!! この野郎、これまでどれだけの命を泣かせてきやがった!!」
出雲も同方向に剣を払い、いなす。
「バカヤロー!! 先に式神を虐げといて被害者面すんじゃねー!!」
風吹は両手の扇の二つの面で、出雲を叩きはさもうとする。
「虐げられた式神はその虐げた主人の魂しか奪ってはならない!! この世の命が求められる明確な権利はそれだけで、別にある天罰で、残りの未知の果実を得よ!!」
「……っそんなんで、あたしたちが救われるもんか!! 一生誰かに魂を出し入れされる恐怖が、終わるもんか!! 神は何もしてくれなかった!! だから私が助ける、そのために補充用の魂がたくさん必要なんだ!!」
しかし、風吹の扇を炎の熱風ではねのけ、出雲は風吹の右足の足首を神剣・朱雀で突いた。
魂を詰めこんだ赤い宝石が砕かれ、魂が解放されていった。
「な!! なんてことしやがんだよ!!」
風吹が追おうとする前に、出雲が立ちふさがった。
「お前は今、自分から、今でも救われていないことを話した。だから迷ってオレの剣を止めそこねた。戦いで迷った者は、負けるのだ」
たとえ風吹が魂をいくつも用意しても、魂が底をつけば終わりだ。式神使いが、風吹が式神に入れた魂を抜いて己の魂を分けてしまえば終わりだ。
「……ううっ!!」
風吹の炎がのけぞったとき、神剣・朱雀は右足のすねの赤い宝石を砕いた。魂が解放されていく。
「や……やめろ!! 嘘つき!! 盗人!! あたしの大切なものに、手を出すな!!」
風吹は、武術扇を交差した。
「神器・白雲扇!!」
武術扇が、白い綿にくるまれていき、綿の扇になった。直後に、直径一センチの綿玉が胞子のように飛び散り、出雲の呼吸器に向かって襲いかかった。
「……ッガッ!!」
避ける間もなく出雲が窒息しかけたとき、体内の炎の精霊が、綿を炎の熱で押し出した。出雲は口から、その勢いで火を吹いた。
「殺してやる!! お前たちさえいなければ、あたしの計画通りに事が運ぶんだ!! この美しい星は、きれいなあたしたちこそが、住むにふさわしくて、管理しうるんだ!! お前たちは、戦争ばかりで、この星が当然自分のものだと思ってやがる!! 思い上がりやがって!!」
風吹の綿の綱が、何本も出雲を縛り殺しにかかる。
出雲はそれらをかわしながら、納得した目をしていた。
「剣姫が正しかったのだ……。誰も無視しない。人間だから救う、は間違いだ。人も魔物も精霊も竜も、全員見る。見たうえで、苦しくても悪に堕ちず、善を選び続ける者だけ救う。きれいな心の者が、この星で生き続けるにふさわしいからだ。風吹、なぜお前は剣姫に出会えなかったのだろう。きっとお前はもっと先に行けたのに」
「何を言いてえのか独り言じゃわかんねえよ!!」
綿の綱がさらに十本放たれ、出雲に向かう。出雲は大きく輪にした炎の綱を絞ってそれらを束にしてまとめてしまうと、綿に炎を走らせた。風吹が綿を切り離すうちに、右足の膝の赤い宝石を砕いた。魂が解放されていく。
「……ッの野郎……!!」
「世界の理想と現実に迷うのは誰もが同じだ!!」
出雲は叫んだ。
「だが明確な計画もなしに理想を取れば、民を死に導くことになるぞ!! 子を作れない式神は、お前の集めた魂がなくなったら終わりだ!! 将来式神を殺したいのか!! 導いたお前の手で!!」
「でもあたしは一日も早く式神を虐待から救いたかったんだよ!! もう待てないんだよ!! 魂のことは、生きてるうちにみんなで考えるしかないと思ったんだ!! 自由を手に入れられるなら、最後絶滅してもかまわない!!」
「生きることを馬鹿にするなァッ!!」
出雲の炎が風吹の左足のすねの赤い宝石を溶かした。魂が少しずつ解放されていく。
「救われるために生きたんなら、最期まであがけ!! 最後の一人になるまで、生きるために戦え!! 問題が解決しないのに、いずれなんとかなると言って生きることを楽観視して馬鹿にして、先に進もうとするな!! 生きることを真剣に考えない奴は、他人の踏み台になって一生が終わるぞ!! 式神は主の道具だった、それを忘れるな!! 一生自分のための人生を生きたいなら、考えろ!! 考えないと、それをお前たちの代わりに考えた別の誰かが、お前たちの人生を再び乗っ取ってしまうぞ!!」
風吹は空中に静止していた。目を見開いて、思考も停止していた。答えが出せないからである。
式神軍が一斉に出雲に攻撃を仕掛けてきた。風吹が殺されると考えてのことであった。
「どんな式でも来い!! オレは答えを出してみせる!!」
出雲が地上に降り、その身に朱雀神紋を炎で刻み、触れた者に「生」に対する式を浮かび上がらせ、答えを出せない者と共に考えようとしたとき、風吹が金切り声の悲鳴を上げて、六つのうち唯一残った左足の膝の赤い宝石からおびただしい数の魂を飛ばした。魂は一体につき五つも六つも次々と、式神に入りこんでいった。出雲は動じなかった。
「もはや王等陣が再び発動していたとしても、意味はない! 式神が『生』を恐れていることを、お前はオレに知らせてしまった! 朱雀神の炎から、式神はもう逃れられない! オレが彼らを救う余地があるということだ!!」
出雲が式神軍の中に突入して朱雀神紋の軌跡で斬りつけようとしたとき、不可思議なことが起きた。
彼らの手足が、出雲の剣を避けるために、生物の構造上不可能な方向と勢いで一斉に反ったのだ。
完全に神剣が空を切ったので、出雲は面食らった。式神の力量からして、出雲の剣技をよけられるわけがない。
「ああ、よかった! 一つの命も死なないでおくれ!!」
風吹が心から喜んで式神軍の前に立った。
「魂を増やしただけなのに何をした……?」
『一体につき体の他、頭・両手・両足にまで一つずつ魂が入っている。各々独自の判断で動いているようだ』
朱雀が魂を見て助言した。生物の運動の方向からしてありえない角度でも、剣を避けるために動かせるということだ。
「各部がそれをやったら、オレの剣はまず当たらない……!」
式神軍が押し寄せてきた。出雲の炎を水気の術で弱らせ、長い武器で攻撃してくる。出雲が踏みこんで朱雀神紋を刻もうとすると、ばねのように奇妙な方向に反って、かすることさえ拒む。
何度剣を振るっても、一刀も当たらない。
「くっ……! 朱雀神紋が入らない……!!」
出雲の戦いを見て、風吹は胸に手を当ててほっと一息ついた。
風吹は仲間を一体でも死なせたくなかった。そして、五体満足で勝たせてやりたかったのだ。
魂はすべて使ってしまった。指一本でさえ、助けてやりたかった。空から、空振りし続ける出雲を見下ろして満足気に笑った。
「誰も救わない舞が、この世にあるんだねえ! 仲間がくれた好機、逃さないよ!! 炎の逆らい!!」
風吹の両手から炎が噴き出した。式神を巻きこまないように細く絞ってあるが、その代わりほぼ熱線である。当たれば体を貫通してしまうだろう。
風吹の熱線と式神の攻撃をかわしながら、出雲の剣はかすりもしない。双方、戦いでありながら無傷の状態が続いた。
そして、出雲は疲労によりわずかな鈍さが出て、少しずつ式神の攻撃が入り始めていた。
『汝は今のままでは殺される』
朱雀が助言した。
「でも、全員救いたいのです。死ぬ運命の者がいても、一度は式を解いてあげたいのです」
出雲は答えた。精霊である式神の王として、仲間として、相手を理解してから、運命を与えたい。
『ならばなおのこと、なぜ我の力を求めぬ』
「えっ?」
次の瞬間、朱雀神が、その片翼で一万の式神を覆うほどの巨大さで顕現すると、炎そのものに変わり、式神軍の中を滑空し始めた。
出雲の剣はかわせても、巨大な炎はかわせない。
式神軍は、あっという間に火が広がり、悲鳴が入り乱れた。風吹は顔を真っ青にして、悲鳴を上げる息もなかった。
よく見ると、式神は燃えていなかった。しかし、朱雀神紋が体に浮かび上がり、のたうちまわっていた。
朱雀が高らかに宣告した。
『皆の者、神に問われて己の生きたい理由を述べるのだ!! それこそが最高の命の源だ!!』
ああ、なんということであろう。神は式神が己の式を見つけることを、手伝い給うた。
解放されたいとか、復讐したいとか、過去を清算するだけではだめなのだ。そのあと何をするつもりなのか。そして、神にお前は何ができるのかと問われて何と答えられるのか。過去、現在のすべてから学び、一歩でも未知の未来の道に進む者こそが、命を得ることを赦されるのだ。
式神たちは、奴隷から解放されたあと、自由に生きることを望んでいた。その自由とは何なのか。元の主を逆に顎でこき使うことであろうか。式神の武力で人間を奴隷にして、今度は自分たちが裕福な暮らしをすることであろうか。
酷使されすぎて、奴隷と主人の関係をまず血か鞭で清算することしか考えが及ばない。未来を考える段階には至っていない。自由とは何をすることなのかが、わからない。
多くの式神が、朱雀神紋から噴き出る炎の中で立ち止まっていた。神は、彼らを焼かなかった。自分で答えが出るまで、考える環境をお与えになった。すなわち、この炎の出ている間は、何人といえども炎の中の者に手を出すこと能わず、手を出す者は神の炎で焼き飛ばす、と。
「なんだってんだ……!? あたしの仲間に勝手な問題を与えて考えさせるな!! あたしたちの憎しみを、忘れさせようってんだろ!! みんな!! 敵に都合のいい神の言うことなんか、信用するな!! 敵の神は、敵だ!! 敵を助けるために、なんだってするんだよ!! どうしちまったんだいみんな!! あたしの言葉が、届かないのかい!?」
風吹は、朱雀神紋が式神たちの憎しみを焼き消してしまうのだと思った。だから、戦えなくなったと推測したのだ。
出雲は朱雀に礼をした。
「朱雀神、ありがとうございます。式を解きたいと申し上げておきながら、私は風吹と戦う力を温存するため、朱雀神の御力をお借りしませんでした。我が身かわいさを、恥ずかしく思います。私も肉体の力と精神の力を日々鍛え上げ、神が顕現なさりたいときに存分に依代となれるよう努めてまいりますので、どうかこれからもご助力をお願いいたします」
『完全な依代などこの世にはおらぬ。汝がどう我の力を引き出すか、それは汝の人生で決まる。神の依代とはそういうものだ。全員同じにはならぬ。その者の人生の傾向と器の力量で、一人ひとり違う。汝との旅を、我は楽しみにしておるぞ』
「はい!」
朱雀神は神剣の中に戻った。既に式神軍は炎に包まれ、停止していた。
そして、奇妙なことが起こった。頭、両手、両足、そして体がばらばらに動きだしたのだ。
あまりに逆方向で、ちぎれるのではないかと思われた。しかし、各々は明確な意思を持って動いていた。
おそらく、自分の生きる目的について考えるうちに、一つ一つの魂が「自分のために生きたい」と、はっきり思い始めたのだろう。「一つの体の中で」。
体の中で魂同士がぶつかりあい、戦い始めた。一つしかない体を、奪いあっているのだ。
「な、なんだい!? どうして潰しあっているのさ!? せっかく五体満足に戦わせてやってるのに!! あたしの魂はもう残ってないんだよ、大切に使っておくれよ!! あいつを倒すんだ!! どうして自分をすり減らしているんだ!!」
風吹が必死になだめている。式神軍は、もはや出雲と戦うどころではない。「自分」が生き残るために、他の魂を殺すことで忙しい。
「そんなっ……!! あたしたちは命を虐待する汚い種族とは、違うんだ!! その魂は全員味方なんだ、お願いだからお互い存在することを許しあって!!」
出雲はまっすぐ駆け抜ける。相手を殺さずにはおけない魂たちの中を。
風吹が出雲に気づいたときにはもう遅い。
「お前の負けだ風吹!! 食らえ朱雀神紋ッ!!」
神器を持つ者は神紋の効果を受けない。しかし、出雲の神剣に体を刻まれて、風吹は燃え上がり、炎になって消えた。
「おやまあ、分身がやられたようだ」
大人の風吹がちょっと空を見つめた。淡々としていた。特に感想はないようだった。自分の仕事に忙しかったからだ。
風吹の手は霄瀾の胸の中に入っていた。胸に「貫」の字が浮かび上がっていて、そこから手を入れていた。霄瀾が死なないように、その手は魂だけをつかんでいる。そして、ゆっくりと風吹の炎で包んでいく。
魂が完全に炎に覆われれば、霄瀾は風吹の炎を与えられた、風吹の分身となる。風吹の思い通りにしか動かない、人形となる。
自分の胸に穴が開いているという事実は、霄瀾にいつ現実逃避をさせてもおかしくなかったが、魂を握られているという事実は呼吸を締めつけられ、吐き気を催すほど、このうえない不快さで、その不快が霄瀾の意識を現実逃避から救っていた。
「(ボク……死ぬのかな。こいつをたおしても、たましいを燃やされちゃってるし、長く生きられなくなっちゃったらどうしよう。もっとみんなといたいよ。旅が終わったら、おとうさんとちゃんとくらしてみたいよ)」
霄瀾は、泣きたくても、あまりの体の不快に泣くこともできなかった。だから、ずっと気づかなかった。
『霄瀾! 霄瀾!』
霄瀾の耳の中に隠れたラッサ王の金の真珠が、必死に呼びかけ続けてくれていたことに。
『出雲が子供の風吹を倒したぞ!』
「!!」
ようやく、父の名を聞いて、霄瀾はラッサ王に気づいた。
「(もう少しがんばれば……、おとうさんがむかえに来てくれる!!)」
霄瀾は歯を食いしばった。風吹がほうと口を開けた。
「魂が抵抗している。希望を持ったか」
くききと笑って、ますます強く魂を握った。
「……!!」
霄瀾は目をかたく閉じて耐えた。おとうさんが来てくれるまでは、おとうさんが来てくれるまでは!
風吹は容赦なく笑った。
「そおれ、これで終わりだ!」
『霄瀾、このままでは出雲が来るまでに間に合わない! お前の力で風吹を退けるのだ!』
「!?」
ラッサ王は耳の穴から霄瀾の体内に入りこむと、素早く説明した。
『玄武、青龍、朱雀、白虎、麒麟の五つの聖曲を得た者は、新たな曲を得ることができる。その名は神すら破る神破陣! これを発動する条件は――』
「霄瀾ーッ!!」
岩の宮殿の窓を砕き破って、炎の翼を生やした出雲が、謁見の間に飛び込んできた。
「(出雲!!)」
霄瀾が叫ぼうとするのを、風吹が「うるさい」とばかりに魂を締め上げて止めた。
出雲は、霄瀾の胸に風吹の手が入りこんでいるのを見て、自分の胸に手を入れられたような痛みを覚えた。ラッサ王から本物の穴ではないと聞かされて、かろうじて戦いのための平静さを保っている。
「霄瀾!! すぐに助けてやるからな!!」
霄瀾は、父にうなずいた。風吹はきんと鼻で笑った。
「このガキの魂はもうあたしのもんさ。せいぜい最後のおままごとでもしてな」
「それがお前の年食った姿か。冷酷だけの顔になったな。ガキのお前を見てるから、大人になったらもっと大げさな陶酔野郎になってるかと思ったぜ」
「感情を表に出すのは二流だ。わざと演じる者もいるが」
出雲と風吹は睨みあった。
「ラッサ王、他のみんなは来てないか。まさか、やられたなんてことはないよな」
出雲が小声で、自分についてきた金の真珠に尋ねた。
『風吹が石碑の力を停止させたので、島を移動することができなくなってしまったのだ。再び王等陣を作られることを考えて、皆は各地区にとどまっている。風吹と戦えるのはお前と霄瀾だけだ!』
「そうか……、わかった! オレが風吹と戦うから、霄瀾を頼む!」
『風吹を侮るな。霄瀾を信じろ!』
「えっ」
そのとき、風吹が突然笑いだした。
「きーきききっきっきっ! お前も来るのが一足遅かったね! このガキの魂は、完全にあたしのものになったよ! ききき! それ、言わせてやるよ、あたしを“お母さん”とでもね!」
「なにっ!!」
風吹が霄瀾の胸から手を引き抜いた。「貫」の字が消え、胸は元通りになっている。しかし、中の魂は――
「さあ、お言い! あたしをお母さんと!」
「やめろ! こんな奴を嘘でも!」
霄瀾は、風吹と出雲の声の飛び交う中、吐き気の消えた口を開いて笑った。
そして、水鏡の調べを奏で、歌い始めた。
『作詞作曲・白雪
この世の初め 扉開く
鬼神と見ゆ 鎖持つ魂
愛も怒りも身に帯び ただ一つ足りない感情
それは闇に それは光に よい、聞くがいい
この世の果てから来た私を見つけて
遠い過去からの約束この日果たせよ
愛しの姫よ 炎たぎらすな
君の嘆きは 私が受けようか
風の炎のお前も 姫と共に時を超え
私の愛遙かなるか試すのだろう
鬼神よ お前の愛は最果てへ行け
世界めぐる奇跡の時与えるために』
伝説を紡ぐ弾き語りの歌宮が現れたかのようであった。美しい弦の音、清い少年の声、世界の秘密に迫る歌詞。これほど人に聴き入らせる組み合わせが、他にあろうか。
風吹も、歌が終わるまでしびれたように動けなかった。注目して聴くに値した。
「……そんな歌を知ってたのかい。一生、飽きないで暮らせそうだよ」
「お前となんかくらさない!!」
突然霄瀾が叫び、出雲のもとに走った。風吹は、自分の分身が反抗したので、驚いた。
「あたしの言うことをお聞きっ!! ……ん!?」
風吹は、霄瀾が戻らないことに気がついた。
「魂は、完全に炎で包んだはず……」
霄瀾の口の中から、炭になった金の真珠が出て、地面に落下した。別の金の真珠が漂った。
『霄瀾の魂の一部のふりをして、完全にお前の炎に包まれるのを防いでいたのだ。そして、霄瀾が歌った歌こそ、神をも破る神破陣! 完成途上の術を無に帰することができる、最強の呪破りだ! お前の炎ですら、既に霄瀾の中に一片も残っておらぬ!!』
感情を表に出さない風吹も、さすがに目だけ鋭くなった。
「なんだと? こいつは……一番殺しておくべき相手なのでは……?」
出雲はラッサ王の言った意味がわかった。理由は知らないが、霄瀾は新たな力が手に入ったのだ。
「よくがんばったな霄瀾。積もる話はあとだ。オレと一緒に戦えるか?」
霄瀾は力強くうなずいた。笑っていなかった。何か覚悟していた。




