魂の乱舞第四章「平等のラッサ」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある、「土気」を司る麒麟神に認められし者・赤ノ宮の名字を改めた九字紫苑。強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者、紫苑と結婚している露雩。
紫苑の炎の式神で、霄瀾の父親になった、「火気」を司る朱雀神に認められし者・精霊王・出雲。神器の竪琴・水鏡の調べを持つ、出雲の子供にしてもらった、竪琴弾きの子供・霄瀾。帝の一人娘で、神器の鏡・海月と、神器の聖弓・六薙またの名を弦楽器の神器・聖紋弦の使い手・空竜姫。聖水「閼伽」を出せる、「魔族王」であり格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉の器の持ち主の、「金気」を司る白虎神に認められし者・閼嵐。輪の神器・楽宝円を持ち、「木気」を司る青龍神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭。人形師の下与芯によって人喪志国の開奈姫に似せて作られた、槍使いの人形機械・氷雨。
建築の大臣・直下。
魂を集めている女・風吹。
第四章 平等のラッサ
ラッサの都・第一地区。
ラッサ王が玉座に座り、政治を行う宮殿がある、都の中心である。一つの山をくり抜いて、広間、階段、謁見の間、宴の間など、必要なすべてを彫り出した、山の宮殿であった。宮殿の周りはすべて、正方形に整えられた、光沢のある灰色や白や象牙色の石が敷きつめられている。
もし事情が違えば、自分はこの城に通っていたかもしれないのだ。霄瀾は風吹に連れて行かれながら、ラッサの民として感動を覚えずにはいられなかった。
祖父や一座の者と一緒に、来てみたかった。
しかし、そんな霄瀾の思いに関係なく、風吹は謁見の間の奥にある階段を五段登った玉座に、荒々しく座った。
「ラッサ王の力は、味方が傷ついたとき、そいつ自身の寿命を削って傷を治すことだ。死ぬまで戦う戦士を作る全体回復、てめえのそれがあたしは欲しい。人柱の陣はあたしが作っといたから、さっさと入りな!」
風吹の綿が霄瀾を放り投げた。霄瀾は起き上がろうとして、倒れたまま力が入らなかった。
謁見の間に、丸の中に「王等陣」と書かれた陣が、光っていた。ラッサ王の力を風吹に与える、風吹を王に等しい者とみなす陣である。
「ガキ! ラッサ王の血の承認がいるから、てめえの指を切れ!」
風吹が玉座から命令したので、霄瀾は恐れるより怒りが先に起こった。
「演奏家に指を切れなんて、民をたいせつにする王ならぜったいに言わない!!」
「うるせー!! ガキのくせにいっぱしの口きいてんじゃねーよ!! 逆らうならあたしがやってやる!!」
風吹の神器・白雲扇から綿が出て来たのを見て、ラッサ王は子供の指をちぎらせまいと、術をかけて子供の口の中に、薄皮に包まれた血だまりを、蛙の喉のように膨らませた。
「いたたたた!!」
子供が痛がって口を開けたとき、パンッと弾けて、血が陣に飛び散った。
「うわー!!」
痛みより自分の吐いた鮮血に心底驚いて、霄瀾は力が抜けた。
その血で十分であった。「王等陣」から光が伸びて、風吹のもとに到達する。
「おおおおおー!!」
風吹は漲り溢れる力に歓喜した。湧き上がる闘志。尽きぬ筋力。全土を見渡す眼力。
「きききききき!! これが王か!! ラッサ王の見ていた、感じていた世界!! すごい!! ずるい!! こんな力を、あたしによこさないなんて、けちな奴らだね、王ってのは!!」
ききききと踊り狂っている。
自分の全く触れることのなかった世界が見られて、嬉しいのだろう。
王の舞は、偉ぶる心から舞うべきではないというのに。
ラッサ王は、風吹をため息と共に眺めつつ、霄瀾の中で念をこめ始めた。
紫苑たちが、ラッサの数字を覚えてすべての島に行く準備をしていたとき、地面に落ちている灰色の石ころが金の真珠へと輝き変わり、一同の中心に浮かび上がった。
『私はいくつもの“目”でラッサの都を守ってきた。霄瀾の中にもいて、守っているから安心しろ』
一同は金の真珠がラッサ王とわかり、囲むように集まった。風吹とのことを知り、霄瀾を守ってくれたことに感謝すると同時に、これから始まる戦争に身を奮い立たせた。
「安心しろ。オレが寿命を削って回復するしないに関係なく、朱雀神の神火で焼き尽くしてやる!」
息子を取り戻すため、人一倍気合を入れた出雲が宣言した。ラッサ王が割って入った。
『待て。戦争とは一人の力に頼るものではない。炎の使い手の風吹と戦う力を温存するため、「王封じ」を使え』
「王封じ?」
『ラッサ王のその全体回復を、戦士の側から拒否する法だ。ラッサの国は、王と民が平等なのだ。たとえ王が戦いを命令しても、民は寿命、つまり魂を削って回復してまで戦うべきではないと判断すれば、王の与えるその回復の効果を封じることができるのだ。王は民に諭されうるのだ』
民の命は王のものではないのだ。権力ではなく、説得できる道理があるかどうかで、この国はまわっていたのだ。
竜という規格外の敵が現れなければ、人間の世界をまわしていくのはラッサから変わりようがなかったかもしれない。
「それで、王封じはどうやるのですか」
紫苑は呪い用の札を用意した。しかし金の真珠は首を振るように回った。
『民がラッサ国の五箇所の気脈を封じるのだ。それで王の力の流れを止めることができる。その五箇所は、お前たちとさっきまわったところだ。時間がないから、分かれて向かえ』
空竜たちは、すぐに了解し、誰がどこに行くか、相談し始めた。
ラッサの都・第六地区の剣闘技場の石柱のそばで、出雲が言った。
「オレはまっすぐ霄瀾のもとに行く。おそらく一人で風吹の軍と戦うことになると思う。みんな、頼む!」
麻沚芭がしっかりとうなずいた。
「幸い、ラッサ王の金の真珠は、増えてオレたち一人ひとりについてきてくれる。気脈を塞いだら、最短で加勢してやるよ。オレが来てやる前にやられんなよ」
空竜が口を尖らせた。
「もう、麻沚芭ったら。出雲、霄瀾を絶対に助けてあげて。きっと待ってるわよ」
閼嵐が瞳を動かさず、真剣に出雲を見た。
「苦しくても、諦めるな。オレたちが、必ず追いつくからな!」
氷雨は、一歩前に出た。
「わかっていると思うが、霄瀾を取り戻すまでは、風吹がどんな状況に陥っても霄瀾に生かしておく価値があると思わせろ。自暴自棄が一番厄介だ」
紫苑は出雲を優しく見送った。
「降鶴さんがしてあげられなかったことを、あなたがするのよ。霄瀾を、守るのよ!」
露雩も紫苑の隣で言葉を贈った。
「式の答えを、見せてやれ!」
出雲は六人に応えて神剣・朱雀を持つ拳を前に突き出した。
「ああ! ありがとうみんな! オレは行く!」
そして、第一地区へと消えていった。
六人も、各々決めた五箇所へ向かった。直下は、安全のためと連絡係として、ここに残った。
出雲がラッサの都・第一地区に現れた瞬間、直径百五十センチの丸く青い殻を背負った虫の魔物が跳びかかってきて、出雲を抱えて横に跳んだ。
気がつくと、別の島にいた。そばにラッサの紋章のついた石柱がある。第一地区から、別の戦場に移されたのだ。
脚で刺そうとしてきた丸い虫の魔物を斬り払ったとき、体の中の魂が燃えて、虫の傷がふさがった。
「ラッサ王の力か!」
出雲が島全体を見渡したとき、草一本生えない平原に、風吹の救った百万体の式神が勢ぞろいしていた。
傷の治った虫の殻に、交差の模様がある。この虫の魔物も、式神であった。百体ばかりの式神が、第一地区に戻る石柱を囲んで、退路を断っている。
第一地区へ炎の翼で飛んでいくことも考えたが、式神の中には鳥の魔物もたくさんいて、傷がすぐ回復することを考えると、とても脱出できそうにない。
「こいつらを全員倒さないと、先に進めないのか。魂を抜いて、塚に戻す。しかし、それは答えではない! きっと!」
出雲は半殺しにしても回復されてしまうもどかしさに、歯を強く嚙み合わせながら、仲間の王封じを信じて神剣・朱雀を構えた。
百万体の式神の軍勢が、土埃をたてて突撃してくる。
ラッサの都・第十二地区には氷雨が訪れた。油の泉でたいまつを作った、火気の地である。
ラッサ王の金の真珠が、三つ並ぶ泉の左に進んだ。
『この泉の中に火が隠してある。それを縄かたいまつに移して、中央の泉の奥に入れろ。気脈を塞ぐことになる』
氷雨は縄を突っこみ、縄の先に火をつけた。
そこへ、黄緑色の縦筋だらけの、茎だけの式神が、泉の陰から現れた。一箇所だけ筋が交差している。
そして、いきなり筋をすべて持ち上げて開きすぎた傘のように体と直角にすると、回転しながら、筋のためていた水を発射し始めた。
「王封じをさせないつもりか!」
氷雨は宙返りや側転をしながら近づいて、水茎の式神を槍で払った。切ったとたん、茎から大量の水が流れ出し、氷雨の縄の火を消してしまった。
さらに式神は魂を削って傷を癒すと、左の泉から水を飲みだした。茎に水を蓄えているのだ。金の真珠が氷雨の口の中に入り、小声で知らせた。
『左の泉の水が、あの火の燃料だ! 泉が干上がれば火も消える! 再び火が出るまで三十分かかる、出雲が一人で戦っていることを考えると、三十分は待つには長すぎる!』
それを聞くと同時に、氷雨は水茎の式神に向かっていった。水茎の式神は、無限の武器をふんだんに使うように、泉の水で水流を発射した。
氷雨はそれをかわして、式神を槍で突き、泉から持ち上げた。そして、プッ! と金の真珠を泉に吹いた。それから、槍で水茎の式神に無数の穴を開けていく。式神から水が溢れるとき、火をまとった金の真珠が出て来た。氷雨はそれを口の中につかまえると、口を閉じて、体をもっていかれそうになる水のうねりに耐えた。
魂が燃え、再び傷が修復されたかに見えた式神に、穴が残っていた。燃やせる魂が足りなくなったのだ。生命力が極限まで底をついて、立っているのもやっとな水茎の式神を、氷雨は突き刺して殺した。
「限界以上の傷を受ければ死ぬようだな」
氷雨が再びプッ! と金の真珠を吹いた。火が口の中を焦がしていた。
だが、真ん中の泉に火が入り、ほっとした。
「よし、出雲を加勢しに行こう。休みなく戦える私は、きっと必要だ」
『「きっと助けになる」と、言い換えるといい』
「え?」
氷雨は、氷雨の眼前をゆっくりと横切った金の真珠のあとを、しばし眺めていた。
「神火!!」
出雲の神剣・朱雀から、炎の一筋が放たれた。式神の魂を焼き、風吹の支配から解き放つことができればと、思ってのことであった。しかし。
「しまった!!」
式神の魂は回復する間もなく燃え尽き、式神は「死亡」して塚に還っていった。
「オレでは救えないのか……!?」
神火が鈍る出雲の前に、同じ式神が戻ってきた。
『風吹が、新しい魂を入れ直したようだ』
朱雀に言われ、出雲はほっとすると同時に、百万体の倍以上に勝たなければならないことに、軽いめまいを覚えた。
ラッサの都・第十七地区には、空竜が来た。洞窟の奥に、聖曲「玄武」が書かれてある、土気の島である。
『洞窟の入口を塞げば、気脈の流れがせき止められる。洞窟の左の道の上に、九つの石板がある。ラッサ数字が刻まれているから、小さい順に歩くといい。それで入口が膜で覆われる』
ラッサ王の金の真珠が左へ向かった。空竜がついて行くと、けんけんぱの一つの丸くらいの大きさの丸い石板が、三×(かける)三で並んでいた。ラッサ数字が、一つずつ刻んである。
『誘導すると……』
空竜がそれより先に腕に手を当てた。
「任せて! もうしっかりラッサ数字は覚えてあるんだからあ! 走ってできるわあ!」
『しかし……』
空竜は、遊びのように軽やかに、一から九まで順番通りに踏んだ。洞窟の入口に、白い半透明の膜がかかった。
『……頼もしいことだ。これが若さか』
楽勝楽勝と元気よく戻る空竜を追いながら、ラッサ王の金の真珠は、久しく忘れていた感覚を思い出した。
しかし、洞窟の入口を興味深そうに叩こうとした空竜は、中から突き出た大木によって、体を山壁に叩きつけられた。
「く……はっ!」
空竜は腹が押しつけられて、満足に呼吸もできなかった。体がつぶされなかったのは、洞窟の膜があったからであろう。
『これでは気脈を塞げない! 何者だ!!』
金の真珠は空竜を助ける力がない。
「聖、弓六、薙……迎破、栄戦!」
空竜の合図で、神器の弓に神器・海月からの矢がつがえられ、地面に放たれた。両手で方向を定めず、意識だけで操作しようとしたからではと金の真珠が危惧したとき、土中から大木に六本の矢が刺さり、上へ押し上げた。空竜は大木に押さえつけられていた状態から解放され、激しくむせた。
膜の失われた洞窟内から、青く、楕円でとげだらけの、直径十センチの種がたくさん現れた。一つのとげだけ二股で、それが交差している。式神だ。
『木剋土、木は土の養分を吸って勝つの理だ! 洞窟の膜は、木気のこの者たちが破るのはたやすい! 倒さねば王封じを何度でも解除されるぞ!』
種が地に潜ると、あっという間に芽が出て、太い幹になり、空間を埋め、空竜を押しつぶそうとする。そして、成長するといくつもの花が咲き、すぐに実になって、さらにいくつもの種にはじけ飛んで、地に落ちる。そして、新たな幹が生じる――。
「島が木で埋まってしまうわあ!」
一度にいくつもの種を串刺しにする空竜の六本の矢でさえ、種がばらける速さと量に追いつかない。
金の真珠は、洞窟の中に気づいた。
『見ろ! 奥は木が生えていない!』
確かに、太陽の光の差さない部分から、木はなかった。
『日差しがないと種が育たないのだ。さっき、この式神は洞窟の中にいたのだろう。膜ができたので、慌てて壊して出て来たのだ』
「じゃあ、日差しを遮れば、増殖は止まるってことお?」
島の上には、雲一つない。空竜は考えあぐねた。その間にも、木は空竜のいる隙間を埋めてくる。
「屋根を……屋根……あ!」
空竜は急いで矢をつがえ、六本分を太い一本の矢にまとめて、放った。地面すれすれの部分で幹を一撃で砕きながら、すべての幹を縫うように倒す。
『しかし、また新しい種が育ち、元通りになるぞ』
金の真珠の意見と種が育つより早く、空竜は、今度は六本の矢をばらばらに放ち、倒した木を並べ、葉の部分には別の木の幹を載せて、矢で縫って地面を覆ういかだにしてしまった。
新しい種は、土に潜ろうと思っても、隙間がなかった。また、無理に隙間から土に入ったとしても、いかだが地面のふたをしていて、日が差さず、芽を出せない。
種の式神が右往左往しているところを、空竜の六薙が一粒残らず仕留めていった。
その後、空竜はもう一度、石板で洞窟の入口に膜を作った。
「うふふっ! 私もけっこー、頭いいよねっ!」
帰り道、空竜はいかだの上でけんけんぱをして笑った。
『以前より賢いのは大人になった証拠だ』
「……え」
胸を突く言葉に、空竜は片足のまま止まった。そして、うつむく瞳に影が差した。
相手を殺さず、瀕死で戦闘不能にするのは難しい。
出雲がたとえうまく傷を与えても、魂を燃やして少しでも回復すれば、式神は最後の一秒まで立ち上がる。
そして魂が尽きれば、新しい魂が入り、その魂を燃やして全回復する。
出雲が何百回と刀を振る戦いは、一体も戦場から去っていない。
朱雀の力はまだ借りられない。風吹の魂がまだまだある以上、大きい力を何度も使うことは、こちらがへばる危険があり、できない。風吹と戦う力は残しておかなければならないのだ。
普通は、絶望的な戦いだと思うだろう。だが、出雲は仲間を信じる希望があった。
「希望ってすごいな。戦いだらけでも、生きる力をくれる」
出雲は神剣・朱雀を太陽の光にきらめかせながら振るった。
ラッサの都・第十地区には、閼嵐がいた。食糧や武器の倉庫が並んでいる島である。黄金の小皿を得た、金気の地である。
ラッサ王の金の真珠が、一番端の倉庫に入った。中は直径三センチの黄金の玉でいっぱいだった。窓の代わりに三つの穴のある銀の板が打ちつけてある。金色しかない倉庫の中で、そこは目立ってすぐにわかった。
『どの金でもいいから、三つをあの穴に入れろ。それで気脈は止まる』
「そんな簡単なのか。あんた、優しい王だったんだな」
閼嵐が少しのためらいもなく三つの玉を拾うのを見て、ラッサ王も返答した。
『お前も、これだけの黄金を前にして一毫も邪心を起こさぬとは、聖であるな』
閼嵐は神剣・白虎の腕輪に目を向けた。
「ああそうか。普通の奴はくすねようとか思うんだったな。白虎神の試練のときも――あ、悪い。言えないんだった」
ラッサ王は真珠のまま大きくうなずいたように見えた。
『搾取と略奪への憎しみから生まれた魔族には、意味のない価値は無に映るか。金気の神に、ふさわしい聖なる僕である』
「(……聖)」
閼嵐は、ラッサ王から初めて言われた言葉を、立ち止まって考えた。戦いと純粋が同居するなんて、まるで剣姫のようだ――
「おらおらどけえー!!」
熱を感じてのけぞった閼嵐の顔の上を、紡錘形の炎が通過し、壁に直撃した。まさかと思って振り返ると、石板にはまった三つの金の玉が溶け落ちて、穴は再び空洞になっていた。
『金気の気脈が再び通じてしまった!』
ラッサ王と閼嵐は急いで入口に注意を向けた。
目以外の顔を覆う、顔の輪郭に沿って凹凸のある仮面をつけた赤色の鎧武者が、二本の刃が交差する剣を掲げて立っていた。式神だ。
「この金の玉にそんな役目があったとはな! 全部溶かしてやるぜ!!」
鎧武者の剣から紡錘形の炎が放たれた。閼嵐は金を守るため、水である閼伽を放った。炎を水が打ち消す。
「ちっ、水使いかよ! だが攻撃する方が優位だわな!」
鎧武者の式神は、一回転しながら全方位に炎を放った。倉庫内いっぱいに火の手があがる。閼嵐は銀の板を破壊から守る位置から、動けない。火を消す閼伽は、火が出るたびに遠くから飛ばす。しかし、その間に鎧武者が新たな火を放つので、対応はどんどん後手にまわらざるを得ない。
こちらからも攻撃しないと、勝てない。
「おらおらどうだオレの実力は! 金が全部溶けりゃ、オレの勝ちだ!!」
倉庫の金は、既に三分の二以上が溶け、さらに燃え広がっている。閼嵐と鎧武者の間は、飛びかかるときに銀の板が無事に済むような、短い距離ではない。
しかし、閼嵐は動いた。鎧武者に一直線に走る。
鎧武者が銀の板に紡錘形の炎を放った。
「いいぞ! 銀の板もいただきだ!」
閼嵐は走りながら後ろ蹴りで金の玉を五、六個飛ばし、後ろ手で閼伽を大量に放ってそれにまとわせ、紡錘形の炎にぶつけて中から水で勢いを弱めさせ、銀の板の前に落とした。
「えっ!?」
予想外の事態に驚く鎧武者が第二第三の炎を放っても、閼嵐は閼伽をまとわせた金の玉をいくつも後ろ蹴りして落とした。金の玉はもう数えるほどしか床に残っていない。
「金の玉がなくなってもいいのかこいつは!! いや、それなら銀の板を守らないはず、はったりだ!! 全部溶かせばやはりオレの勝ちだ!!」
鎧武者の式神は、炎を放ち、ついにすべての金の玉を溶かした。その直後に、閼嵐の拳によって腹に穴を開けられ、倒された。
「へへへ……風吹様、任務は果たしましたよ……」
そして、動かなくなった。閼嵐は閼伽でまず倉庫内の火を消し止めた。床が、溶けたあとの金になっていた。
『見事に一つも残っていないな』
ラッサ王がくまなく探しても、金の玉はもうなかった。
『予備の金の玉はない。ただし、この金はどうしても民を救うために、一時間たてば元に戻るようになっている。外にも持ち出せない呪いがかかっている』
「そんな時間はない。白虎神顕現!!」
閼嵐は現れた白虎にひざまずいた。
「お願いいたします」
『よかろう』
白虎は全身の針を伸ばして金の床に突き立てた。そして身を震わせて後ろ宙返りで一回転したとき、その動きに合わせて金の玉が空間いっぱいに飛び交った。
金気の神が、金を元の玉に作り直したのであった。
「ありがとうございます、白虎神」
『たいへん美しいものを拝見いたしました』
二人の王の礼を受けて、白虎は神剣・白虎に戻った。
銀の板に無事金の玉を三つはめたあと、閼嵐がふと呟いた。
「あの金は外に持ち出せない呪いがかかっていると、なぜ言わなかったんだ」
ラッサ王の真珠は上下した。
『お前は持ち出さないようだったから、言う必要がないと思ったのだ』
違うな、と閼嵐は思った。
「(試したのだ。自分亡き後の世界の王の一人が、どう行動するか。王の一人として、他の王がどういう存在か気になるのはわかるが……知ってどうする……)」
閼嵐は、死してなお生者のようにとどまり続けているラッサ王に、憐れを思った。
「くっ……!!」
出雲の剣が空を切る。式神たちが素早いのではない。あまりに何度も斬られたため、出雲の剣筋を学習してしまったのだ。
出雲の周囲の式神は、「出雲を倒すことに精通した精鋭部隊」になりつつあった。出雲の行動を先読みし、確実に攻撃が入り始めている――。
ラッサの都・第十八地区には、麻沚芭がいた。筆を得た森のある、木気の地である。
森の入口の傍らに、石が転がっている。ラッサ王の金の真珠は、その上に乗った。
『これは判子だ。森の入口の木を二本、どれでもいいから選んで捺すと、気脈を封じることができる』
「へー楽勝じゃん! よかった、すぐに終わる」
麻沚芭が石を拾い上げたとき、何かが突進して木に激突した音が聞こえて、木がめりめりと倒れてきた。
「何か動物がいるのか!? さっきはいなかっただろ!?」
飛び退きながら麻沚芭が薄暗い森の中に目を凝らすと、首の長い、ダチョウのような鳥の魔物が、悠々と歩いてきた。嘴は長く、金属で、つるはしのように鋭い。首に交差する鎖鎌がかけられている。式神のようだ。
「風吹の部下か。こいつがいたら、判子を捺した木を倒されて終わりだ。倒すしかないな!」
麻沚芭は鎖鎌を取り出した。同じ武器なら熟練者の方が勝てると思ってのことであった。
ダチョウの式神は、つるはしのような嘴で、あっという間に周辺の木を突き倒してしまった。そして戦う場が整ったと言わんばかりに鎖鎌をくわえた。
「なんて威力だ! 接近戦はしたくないな!」
麻沚芭の鎖鎌と、式神の鎖鎌が放たれ、中央でおもりが絡みあった。
右手で引く麻沚芭と、嘴から首に巻きつけて首で引くダチョウの式神の引き合いは、互角であった。
しかし神風を放とうとした麻沚芭より先に、式神が嘴をかっと開けた。その真っ赤な内部に一瞬気が逸れたとき、口の中から第二の鎖鎌が飛び出して、麻沚芭の首に巻きついた。
「グフッ……ッ……!!」
一瞬で、呼吸が止まる。鎖は首をぎりぎりと締めつけてくる。変形させるつもりだ。あまりの一瞬に、自分が神の加護を得ていることを忘れる。毒の血で殺す、いや届かない! 手裏剣、いや一撃で仕留められない! 左京なら、ああもういない! オレ一人の力で倒すしかない!!
首に力が入らないまま、麻沚芭は白い玉を二つ投げた。ダチョウの手前に落ちたのでダチョウは無視したところ、地面に落ちるとビチャリと中身が前方に飛び散って、ダチョウの脚にちょうどかかった。
ダチョウが気持ち悪がって白い液を確認しようと脚を持ち上げようとしたとき、脚が動かないのに気づいた。
地面と脚を固定する、接着剤だ。
ダチョウが慌てて麻沚芭の首の鎖鎌を一気に引こうとしたとき、麻沚芭はダチョウの目前で神剣・青龍を一閃させていた。
「ハア、ハア! ッハァッ!」
首の傷に手を当てながら、麻沚芭は空気を貪り食った。
後ろめたかった。
土壇場で、神を忘れ、自分一人でなんでもできると思ってしまったことに。
鎖の入ったダチョウの首を斬れたのは、決して折れない神剣・青龍のおかげだというのに。
神を忘れることは重大な背信行為である。
麻沚芭は神剣・青龍を地に横たえ、地に両膝をついて深く頭を下げた。
「意識が至らず、申し訳ございませんでした。どうか私をお赦しください」
神剣は神風をまとうと、浮き上がり、麻沚芭の腰におさまった。麻沚芭には、まだ青龍が共に在る価値があるということだ。
「ありがとうございます……!」
麻沚芭はもう一度深く礼をしてから、ほっと息をついて、立ち上がった。
そして、二本の木に判子を捺し、木気の気脈を封じた。
『……よほど気に入られている』
ラッサ王は驚きを隠せず、まじまじと麻沚芭の周りを回った。
出雲と式神軍団は、押し合っていた。
出雲は神火を全身にまとい、朱雀の力で近づく者の魂を燃やすことで、誰も自分に近づけないようにして、風吹のもとに向かうつもりだった。だが、魂を燃やされても燃やされても、式神は立ちはだかり、出雲を押し返し、風吹のもとへ行かせまいとしてきたのだ。
「風吹に恩があるからか! その魂の持ち主も、お前たちの昔の人生も、苦しい……!!」
精霊王の顔が、神火の中で痛みをこらえる。
ラッサの都・第十九地区には、紫苑と露雩が来ていた。丸いお椀の形の湖が底に墨を持つ、水気の地である。
『木の枝をあの墨につけ、湖の底全体に大きく一文字、“封”と書け』
ラッサ王の金の真珠が周辺の木のそばに行った。
湖の直径は十メートルである。
単純に十メートルの枝など、見当たらない。
『いくつかの枝を、細い枝で結んでいけばいい』
ラッサ王に言われたので、紫苑は土台に長い枝ばかり選び、細く柔らかい枝で、あっという間に十メートルの枝を結びあげた。
「よし、じゃあ力仕事はオレに任せて」
露雩はその葉先に墨をつけ、湖の底いっぱいに「封」と書いた。
気脈を封じたかに思えたとき、湖の底が濁りだした。
湖の中で回転する土柱がせりあがり、透き通っていた水がどこにも見えないほど汚された。
回転が終わって濁りがおさまったとき、「封」の字は消えていた。
湖の土の中から、背中の四枚のひれを中心から四方に広げた、小さな虫が出て来た。細長い体をしている。数が千匹はいる。ひれの筋が一箇所交差していて、式神のようである。この湖に、「封」の字を書かせないつもりのようである。
魚のひれの虫は、「封」の字が消えたことを確認すると、土の中に隠れてしまった。
「玄武神で湖の水を干上がらせられない?」
水中から千匹を引きずり出そうと、紫苑が提案した。金の真珠が忠告した。
『水が干上がれば墨もただの水になる。再び湖が満水になるには、一時間かかる』
「一時間も出雲を戦わせられない」
露雩は紫苑の案を却下した。
魚のひれの虫は、まったく攻撃してこない。水中から出れば倒されると思っているのか、慎重である。「封」の字を消すことだけを考えているようだ。
かといって、こちらも水中で千匹も相手にするのは分が悪い。
時間は刻々と過ぎていく。
「ああもうー! 出てこいー! 出てくれば炎で一発なのに!」
「ねえ紫苑、こうしたらどうかな」
夫は妻をなだめるように耳打ちした。
「よし……! それでいくわ! 麒麟神顕現!!」
四神五柱の一柱・麒麟が現れ、湖の底を、四本足で響かせてかいた。とたんに、湖底の土が爆発したように突き上がり、空中へ噴いた。その間に麒麟は湖いっぱいに土を広げて、落ちてきた虫をすべて受け止めて、水中に逃がさないようにした。
麒麟は千匹残らず土の上で受け止めたとみるや、急いで折り紙のように土をたたんで、魚のひれの虫を麒麟の四角い箱型の土中に閉じこめた。
「玄武神顕現!」
すかさず露雩が玄武を呼び、玄武がその箱型の土を呑みこんだ。神水に浸かり、千匹は全滅した。
露雩と紫苑は、湖の底に今度こそ「封」と書いた。
露雩は、何か大きな善行を成し遂げたような気がして満足していた。それが何であるかと漠然と考え始めたとき、両目が痛みを起こした。
「痛い!!」
「どうしたの!? 露雩!!」
妻の声にも、振り返る余裕がない――。
「私は人間なのだ!! どうして私を避けるのだ!!」
誰かが叫んでいる。いや、露雩はその人物の目を通して周りを見ている。露雩が目を借りている「誰か」は、叫び続けた。男の声だ。
「お前たちを不当に侵略してきた奴らを斬っただけで、なぜ私まで敵視するのだ!!」
「誰か」は、地面に目を向けて、指差した。侵略者の死体が五百体ほど、転がっていた。
ただし、ただの死体ではなかった。
必ず五体ばらばらで、すべての部分が他人と入れ違いになっていた。
一体も、二箇所そろうことすらなかったのである。
本物の、ばらばらの五百体であった。
人々は、嫌悪と恐怖と絶句のうちに、五百体と「誰か」の全体を見ていた。
「誰か」は、なぜ誰も何も言わないのか、理解できない。
「悪に堕ちた魂は、簡単に死霊を操る者に使われる! 五体を斬ったのは、のちのちその者に死者の兵士にされないようにするためだ! 五百人も一度に殺したのがそんなに衝撃だったのか? 甘えるな! ここで殺さなければ、お前たちがこうなっていたのだぞ!!」
長老が進み出て来て、野菜と果物の籠を渡して一礼した。長老が帰ると、他の者も後に続いた。
「待て! 私は食べ物が欲しくて斬ったのではない! なんという侮辱! 人助けが……こんなに……」
「誰か」の声が低く響いた。
「無意味なことだとは、知らなかった……!!」
そのあまりの怒りに、露雩は、はっと目を見開いた。
紫苑の胸の向こうに、絶えず周囲を警戒している顔がのぞいていた。露雩は膝枕をされていた。
「露雩! ……大丈夫?」
妻の柔らかい太ももの上で、露雩は、さっき見ていたことが今でなくてよかったと、ほっとした。あの怒りは、とてもすぐには解くことができそうにないと思ったからだ。
「露雩?」
しばらく動けない。深呼吸してよく考える。
人間を守るために人間を、人間の予想以上の殺し方で殺していた「誰か」。その結果、人間に恐れられ、集団から除外された。
まるで剣姫のようだ。
報い通りの死に方なのに、誰も理解してくれないという、怒りと悲しみ。
そして、怒りで忘れようとする、傷ついている心。
救わなければならない。
どこかにいるのなら、必ず。
だが、なぜこれが自分に見えたのか。
「ああ、わからない!! わからないのが恐ろしい!!」
両手で顔を覆う露雩の両耳に、温かい手が添えられた。
顔も耳も頭も温かくなって、露雩は指の間から上を見た。
「ちゃんと私もいるから。露雩が怖くてできないことは、できるようになるまで、私が代わってあげるから。見たくなかったら目を閉じればいいし、聞きたくなかったら耳をふさげばいい。代わりに私が見て、聞いといてあげるから。露雩が知りたいと思ったときに、少しずつ伝えてあげるから。一緒にいるよ。頼りにしていいんだよ」
露雩はなぜか、両耳を温めてもらって、幸せな気持ちになった。両手を妻の両手にかぶせた。
「ありがとう。じゃあ、ずっと手を握っていて。君となら、立てるから」
露雩は気合を入れると、紫苑と向き合いながら立ち上がった。妻の両手をしっかりと握りながら。
王封じが、完成した。




