式神を撃つ目第三章「舞人(まいびと)殺し」
登場人物
赤ノ宮紫苑。双剣士であり陰陽師でもある。
出雲。神剣・青龍を持つ炎の式神。
霄瀾。神器の竪琴・水鏡の調べを持つ、竪琴弾きの子供。
第三章 舞人殺し
出雲は、自分はついに避けて通れない道に来たのかもしれないと悟っていた。
紫苑と共に戦うべきか、違う場所で戦うべきか。
しかし、出雲一人では疲れるだろう。寂しいだろう。やめたくなるときもあるだろう。
それを、彼の主は一人でやっているのだ――。
「一つだけ教えてくれないか。お前は人に拒絶されたとき、どうやって心を癒しているんだ?」
「先生」に、出雲は問うた。紫苑はさもおかしそうに、鼻から息を吹いた。
「他人に気を使って私の力が殺がれるくらいなら、独りで生きて他人を無視する方を選ぶ。私は人に道など譲らない。なぜなら私は私にしかできないことを知っているからだ。他人なんか要らない。私が戦えればそれでいい。平和になったあとの世界なんて知ったことか。そのときは私は美しい世界を独りで満喫して山の上に住むから関係ないね、人の愛なんて」
出雲は思わず人間的な反応を返した。
「なんて邪悪な正義なんだ! 平和な世界にはもう用がないとでも言うのか! 見捨てるのだな! 破壊し尽くして後は放ったらかしの悪人と、変わらない!」
紫苑の心は既に山の上を想像している。
「平和な世界に私のような戦士は要らない」
「いや、人間は、常に教え導き続けなければ堕落する。お前は山の上の悠々(ゆうゆう)自適の生活から引き戻されて、再び戦いに目醒めなければならなくなるぞ!」
「悪を滅ぼし正しい者だけ残して世界を救うのにか?」
紫苑は片眉を吊り上げた。出雲は問い質した。
「お前のすべきことはそれだけなのか! 正しい者に何も言わないのか!」
「私は戦士だ。世界を治めることはしない」
「生きているなら自分の力の可能性を広げろ!」
発破を掛けられても、紫苑は動じなかった。
「戦士であり続けることが私は好きなのだ」
「戦いが終わったら、自分は一人で俗世間から離れて、逃げるのか!」
「今戦うには不浄なものを見続けねばならん。私は耐えるのだ。平和になった後はもうそんなものとは関わりあいたくない……。もし私を地に繫ぎ止められるだけの愛があれば別だが」
最後の一言が、出雲の耳を驚かせた。
「(だけど、血を求める戦士に、愛する者ができるのか? それとも別の何かがこの女の心を動かすのか? ではそれは一体なんだ? ああ、心美しい者なのか、子供なのか、どれなのか!)」
出雲と霄瀾は互いに顔を見合わせた。
世界の破壊鬼・燃ゆる遙を倒し、既に生まれてきた意味を成しとげた最強の生命体の顔は、山の上に傾いている。
「先生」の答えは、出雲の望む答えではなかった。
出雲がもし独りきりの道で戦うとき、自分と世界をつなぐ愛の正体が、結局、判らないからだ。自分の中に、逆巻く「何か」の存在を感じる。手に入れたいような、手に入れてはいけないような、どちらなのかわからない、真っ白な存在を――。
立仕町の次の町、差迷町に到着し、紫苑が陰陽師として、地主の家に祓いに出掛けている間、出雲は川で霄瀾と魚釣りをしながら、独り悩んでいた。
「うわー! つれたあ!」
水をぴしぴし尾で打って跳ねている魚を間近で見て、霄瀾が歓声を上げた。
「ボク、いままでつれたことなかったんだよ!」
「そうか、よくやったな霄瀾」
どんなに心が傷ついても、子供にまで及ぼすまい。出雲は霄瀾の魚をびくに入れ、中を数えた。大小合わせて四匹はいる。
「うん、頃合いだな。帰って料理しよう」
「はーい!」
人間を愛する理由、憎む理由、心の傷を癒す方法は……、と出雲はまた考え込みながら、帰りの道中行き逢った、鶏の放し飼いをしていた年寄りの男性から買った卵を三つ、木の俎の上に洗って置いた。
「さて、どう料理するかな。魚は厚切りで味噌汁にしてもいいか?」
すると霄瀾が思いきり慌てた声を出した。
「えー! せめて骨は取ろうよ!」
「いいダシが取れるぞ」
「のどに小骨がささったら、やだ……」
消え入りそうに言ったことが重大なことだと、薪に火を付けてから出雲はやっと分かった。
「そうか……それもそうだな。じゃあ焼魚にして、骨をしっかり取れるようにするか」
「え? う、うん……」
料理の内容がより簡単になったことに霄瀾が戸惑っていると、出雲が味噌汁用の鍋の上へ鶏卵を持ってきた。
「じゃあこの水を煮立たせて、茹で卵を作ろう」
「えーっ! それじゃつまんないよう!!」
霄瀾は慌てて出雲から卵を引っ手繰った。
「何をわがまま言ってるんだ。食べられるだけ感謝しろ」
「それはわかるけど、でも、焼魚と茹で卵じゃあんまりだよ! お弁当でもないかぎり、魚と卵の命もうかばれないよ!」
出雲は一歩、弾いた。
「オレに何を求めてる! 主婦か? 宿屋の女将か? オレに手の込んだものが作れないことくらい、お前も知っているだろうがっ!」
「もっと楽しくごはんを食べたいの! おいしいものをみんなといっしょに食べたいのーっ!」
駄々(だだ)をこねておねがいおねがいと頭を振った拍子に、霄瀾の手の中の卵が一個、グシャッと潰れて、火を熾こすために並べた石の上に、流れ落ちた。
「あっ!」
霄瀾が声を上げたとき、出雲はそれを見てあるものが閃き、「あっ!」と声を上げた。
「ただいまー」
紫苑が帰ってきたとき、出雲と霄瀾はちょうど食卓に夕食を並べ終えたところだった。
「えっ? 宿の女将さんに手伝って貰ったの?」
紫苑の目が丸くなるのを見て、出雲と霄瀾は顔を笑わせあい、互いの手を叩きあった。
魚を三枚におろして身を何切れかに切り分けたものが、まず塩で焼かれ、その後魚の骨の出汁と調味料で味付けされた溶き卵で、綴じてあるのだ。それがごはんの上に載っている。隣には温かそうな湯気の立ち上る、味噌汁の入ったお椀がある。
「美味しそうじゃないの! 出雲なら絶対魚を厚切りにすると思ってたのに、こういう手を加える料理もできるようになったのね」
図星を指されて内心気が動転しながら、出雲は平静を装った。
「霄瀾が焼石の上に卵を握り潰してさ。流れながら硬まっていくのを見て、魚の間に卵を流し込んだら、丼になると思ったんだ」
「エライ! 出雲も霄瀾もエライ! お手柄だったわね霄瀾!」
「ボクはただ失敗しただけだよ。それを手がかりにしてくれたのが出雲だよ。出雲がいなかったら、ボクはただの卵をにぎりつぶした極悪人だよ」
「いや、極悪人て……」
しかし、そう言いながらも、霄瀾は食事の間中ずっとニコニコしていた。料理が美味しかったからだろうか?
「コラー出雲、塩もしょうゆも味噌もこんなに入れてー! 一日の塩分許容範囲量超えるでしょー!?」
単に紫苑に怒られる出雲が「水で薄めろよ」と平気でいるのを眺めて、楽しんでいただけなのだろうか。
翌日、神社から神楽を頼まれている紫苑について、神器・水鏡の調べを弾くことに決まった楽士の霄瀾を見て、出雲は自分だけ引き離されていく気がした。
魔物退治の剣技にしろなんにしろ、戦闘の技術というものは、身を守り獲物を狩って生き残ることができるが、貨幣を稼ぐようにはできていない。
「……猪でも獲ってくるか……」
霄瀾からは神楽を見に来てとせがまれているので、その前に仕留めておこうとは思っている。兎に角、自分で何かしら役立つものを手に入れようと思うのは、男の意地である。
支度を整えて宿から一歩出たとたん、大勢の人間が喚きながら一方向に走っていくのに出くわした。
「殺しだ! 聖域の神社だってよ!」
「舞人が死んだらしいぞ!」
それを聞いて出雲の心臓がとび上がった。
「まさか、紫苑が!?」
もし剣姫でないところを狙われたら、いくら紫苑でも不意をつかれて……ということはあり得る。
人々の走る方向へ全力で駆けた出雲は、神社の境内を囲む人垣をかき分けて、夢中で中へ入り込んだ。
「神聖な場所で、なんと罰当たりな……」
「下手人はまだ見つかっていないんですって?」
人々のささやき声を後ろから聞きながら、出雲は境内の垣の裏へ目を走らせた。
丸い砂利をどす黒い赤色に浸して、人がぴくりとも動かず横たわっている。
首から激しく出血した跡のあるその死体は、若い男で、紫苑ではなかった。
年の頃二十代前半、色白で唇に紅をさし、化粧をしている。舞のために施したのだろう。
ほっとしたのも束の間、建物の中から子供の泣き声が向かってきた。
「出雲ぉ、たいへんだよぉ、紫苑が犯人にされちゃうよぉー!」
霄瀾が出雲に激しく抱きついて、大声で泣き出した。
「どういうことだ、ほら、泣かないで説明してくれ」
剣姫が出たのだろうかと焦りながら霄瀾をあやす出雲に、
「関係者かな?」
と、差迷町の警備兵二人が、踏ん反り返って現れた。
二人によると、被害者はこの神社の神楽の舞人で、健盛という名である。
紫苑と共に神楽を行うはずだった男で、今朝から準備をしていたのだが、舞のことで紫苑と口論になったという。
健盛が怒って出て行った後、しばらくしてこの死体が発見されたというのだ。
「我々には、あの女が彼を殺害したとしか思えなくてね」
早く手柄を立てたい警備兵たちは、出雲から言質を取りたがっているように見えた。「あの女は確かに怒ると何でもしやすい」とかなんとか。
「口論って言っても、この人があまりに舞がへただったから、紫苑が怒ったんだ。神への奉納を馬鹿にするな、私がお前の分も舞うかお前が私の分も舞うか、孰れか選べ、お前みたいな未熟者と舞うなど、私の誇りが許さないって。そしたらこの人が怒って、一人で舞えるもんなら舞ってみろって出て行ったんだ!」
霄瀾が見たままを語った。警備兵は満足そうにうなずいた。
「それだ。あの女は一人で舞えないから、この男に舞うよう迫った。しかし男が拒否したから、逆上して刺し殺したのだ」
「あー……納得してるとこ悪いけど……」
目を閉じて、出雲は顔の横に人差し指を立てた。
「あいつは男の舞なんて目を瞑ってもできるぜ」
男装の紫苑の動きを見て、警備兵二人は肝を潰した。
「わかっていただけましたか? 私にとって男の舞など雑作もないこと。健盛さんがいなくても立派に務まるのです」
清い塩での水垢離も、剣姫を送る舞もできるし、と小声で呟いて、スタンと刀を仕舞う紫苑に、二人は顔を見合わせた。神楽の神聖な晴れ舞台に一人で立てるのに、わざわざ役を降りた男を殺すのは、道理に合わない。
「これは……その、コホン、こちらの理解不足であった。なあ?」
「うむ、そうだな……オホン、もう少し委しく尋ねるべきであった。次からはそのつもりで」
二人は、絶対に謝らずかつおかしなセリフで早々に幕引きを図ると、紫苑を解放した。
「まったく、燃ゆる遙を倒せるほどの男装舞姫に向かって、“女舞しか舞えない”とはね!」
逃げるように捜査に向かう二人を見送りながら、三人は大笑いした。
「……でも、神聖な神社の境内を穢すなんて、許し難いわ」
血のこびり付いた草を見て、紫苑が顔を顰めた。切角先日の追い剝ぎを斬った穢れを、清められると思ったのに、と落胆した。
「こういう所でも平気で人を殺せるなんて、その精神構造が怖い……」
野次馬たちが帰り際に、そうささやきあうのが聞こえた。
ある意味剣姫もそうなのだが、だから紫苑は犯人を知りたくなった。
その者は自分に似ているか。
その者に自分が似ているのか。
「子供の霄瀾もいるし、心配だわ。この町にいる間、私たちで成る可く犯人に迫ってみない?」
紫苑の提案を、霄瀾は新鮮そうに見上げた。
「うーん、そうだな……」
また心を刺されたら、と思うと出雲は一瞬、躊躇ったが、何回も人の心を知ることが大切だと勇気を出して、うなずいた。
傷ついても紫苑がいてくれるから、と安心を貰いながら。
神楽を見に来る群衆を当てにして参道の入口で屋台を出していた、中年男の飴売りを捉まえることができた。
「事件のあった頃? うーん、普通に参拝でまあまあの人通りだったよ。でもみんな連れがいたよ。友達とか、恋人とか、親子とか」
出雲が神社の周辺を思い出していた。
「複数の人間に囲まれて殺されたのか? こりゃ、あの男の生活を洗ってみる必要があるな。もし何かの集団の揉め事じゃないなら……、後は一人で行動するのは屋台の人間だけだが」
「おいおい、オレはずっと此処にいたぜ。でも屋台なら移動のがいたな、若い女が三人だ。一人は簪売り、一人は風車売り、一人は蜆売りだ」
お礼に飴を買って、三人で頬張りながら健盛についての聞き込みに入る。
全員一致で、「女たらし」と言われた。
皆の注目を集める職業で、女性たちの人気が高かったらしい。本命・二号・遊び相手、女に困ったことがない。痴情の縺れがあってもおかしくなかったという。
「成る程……口先がうまくて女に目がない、軽い調子、下心つきの女性優先の気遣い……、夢を見たい女性の心理が、分かってるわね」
「紫苑! ダメェー!!」
「そんな男に引っ掛かったら絶交だからな!?」
手帳に書きつけて呟いた紫苑に、二人が奇声を発した。
「大丈夫よ。真逆の男で攻めるから」
「えっ!? なな何が!?」
えっあれオレの性格どうだったっけと必死に考えている出雲から離れて、紫苑は古着屋に入っていった。
中から出てきたとき、紫苑は紫苑ではなかった。
肩までの赤い髪を青い簪で一つにまとめ、下の着物を隠すように、大きな青い羽織を着て、白い帯で縛っている。鮮やかな出で立ちで、律々(りり)しく美しい顔が白い歯を見せた。
「フッフッフッ……男装だよ。これで健盛の女みーんな俺のもんだー!!」
「えー!?」
一直線に走り出す紫苑に、二人がアゴを勢いよく下げた。
「なにあれ!? なんで見た目が男になったとたん、性格まで男になってるの!?」
「燃ゆる遙を倒した男装舞姫があんなだなんて、聞いてない!!」
紫苑を捕まえるために、衝撃の中、二人は駆け出した。
召し捕られた紫苑によると、もし女の恨みで健盛が殺されていたら、犯人は殺しの直後の「今」、健盛と同じ性格の男はこりごりだと思っているはずだ。健盛と真逆の性格の男に心を開くはずだ、「次の恋人はこういう人がいいな」と。
だから男装紫苑がその真逆の性格を演じるのだ。相手は男に疲れているが、紫苑を無視できなくなる。犯人でない愛人たちは、健盛の死に泣き悲しみ、他の男の甘い言葉に激しく反発するはずだ。
「……ふーん……。先の一言が気になるが、確かに殺害の動機によっては、あり得るな」
不満そうに出雲が、紫苑を捕まえていた手を離した。
「出雲にはできないだろう?」
「ゼッタイダメ!!」
霄瀾が金切り声を上げた。
三人は、健盛の女たちのもとを、一軒一軒訪ねることにした。
「こんにちはお嬢様。僕は健盛さんの友人で、紫苑といいます。彼はよき舞の先輩でした。時には激しく口論もしました。僕は、彼に追いつこうと、必死に訓練をしていたのに……。僕は彼の才能がとても惜しまれ、残念でなりません」
健盛と真逆の「真面目」な口調で勝負する。
「僕に小鳥の飼い方を教えてくれて、小鳥の啼き声で舞ってくれたこともあるんですよ」
「まあ……」
ここで殺し文句。健盛の話で恋人に感情移入させると同時に、こちらが小鳥を飼う優しい男だと開示する。動物を飼っている男は一部でもてる。
「それで……、健盛さんに、もしオレに何かあったら大切な恋人を頼むと言われています。心が落ち着くまで、そばにいてやってほしいと」
「そうですか……。お気持ちだけ、有り難くいただいておきます。健盛、最後まで優しかった……!!」
女たちは、涙を流して胸に両手を当てた。
「え? 何人も女がいるのに、なんで優しかったなんて言うんだ? 知らないのか?」
「女の子たちは、“彼は私に対してだけ優しい、ここまでしてくれる、だから私が特別”って、錯覚させられるのさ。人を好きになるって、恐いね」
紫苑が手帳を見ながら解説した。その手帳には、全ての女の名前に「なびかない」と書き込まれている。
「全員に会ったんだけどね」
「誰もお前の誘いに乗らなかったな。お前が女だって、気づかれてたんじゃないか?」
「半端な男装で、最強の剣舞はできない。俺の男装は完璧。美しさもな!」
自信満々(まんまん)の紫苑に対し、本当に性格が違うな、と人差し指を頭につけて思い乍ら、出雲が考えた。
「じゃ、誰かが嘘をついてるか、他に隠し恋人がいるってことか?」
その一言に、紫苑は視線を上に向けた。
「そうだな……。屋台の三人娘が未だだな……」
警備兵が紫苑の次に疑ったのはその三人で、すぐに事情聴取していたので、おかげで鉢合せせずに済んだ。今頃健盛の恋人たちの聞き込みに行っているだろう。
三人が健盛の恋人かどうか判らない以上、下手に誘えないので、紫苑は男装を解いた。
そして、なぜか安物の、魔石の一つついた首飾りを買い求め、続けて霄瀾に何事か話した。魔石は、その石の等級によって強弱がついて、相手の術を防ぐ効果がある。
まずは簪売りの女・花央花のもとへ、三人は向かった。
「健盛は先の尖ったもので首を一突きにされていた。簪売りが一番怪しい」
何時でも二人を守れるよう警戒し乍ら、出雲が屋台に簪を一杯並べている花央花に話し掛けた。
「こんにちは」
花央花はにこやかに客を迎えた。
「こんにちは。彼女に贈り物?」
出雲は慌てた。
「かっ!? かの、痛てッ!」
その出雲の足を思いきり踏みつけて、紫苑は出雲の言葉を中断させた。
「お兄ちゃんは黙ってて!」
「お兄ちゃん!?」
予想外の痛みとセリフに目を白黒させ乍ら、出雲が頭の上から声を出した。
「天国の健盛さんに、きれいな私でお別れしたいの! 私が選ぶから、お兄ちゃんは待ってればいいの!」
まくしたてる紫苑に、霄瀾も同調した。
「そうだよ! この首飾りだって、おねえちゃんが健盛さんにもらったから、健盛さんがいなくなっても、いまつけてるんだよ!」
「霄瀾!?」
出雲は混乱した。え? オレが兄で紫苑が妹で霄瀾が弟? 何だその設定は?
紫苑のセリフは続く。
「これ……、魔石だから迚も高かったの。百万イェンはしたわ。でも自分が守りたいのは私だけだからって、買ってくれたの。他の恋人に、こんなもの貰った人、いる? いないでしょ? だから私が“特別”だって、分かるの」
うっとりと首飾りを眺め、同意を求めるように簪売りの花央花に笑い掛ける。
花央花は感心したように、
「そうね、これは本物だわ。百万イェンの金剛石と百万イェンの魔石、何方を贈られたかで本心が分かるもの」
と、身を乗り出した。
「健盛さんは、お気の毒でしたね。綺麗な姿を見せたいなら、この簪はどう?」
白藤の垂れ下がった簪を買い求め、紫苑は髪に挿した。
次の風車売り・季本枝のもとへ行く間に、出雲は口をとがらせた。
「で、何でオレがお前の兄ちゃんなんだよ」
「挑発したのよ」
「挑発?」
「私が健盛の隠された本物の恋人だと思わせれば、屋台の三人娘の誰が隠れ恋人だったとしても、嫉妬で私を許せなくなる。今は“もうこんな男はこりごり”と思っていても、“今まで私は遊ばれていたのだ”という部分を衝いてやれば、必ず犯人は私に対して何らかの行動に出る。出なくても、それを聞いた瞬間、表情に出る。それを私は観察して、見抜きたいのよ」
紫苑の答えに、出雲は「また自分を盾にして」、と溜め息をついた。
「霄瀾も知ってたのか」
「ウン!!」
「オレに言わなかった訳は?」
「健盛の恋人になるだなんて、悍ましくて何度も言いたくなかった」
「同意する」
窘めることを諦めた出雲は、白藤の簪に目を移した。
「で、全部の簪を手に取っていたのは、人が刺せる鋭いものがあるか探していたからだろ? でも全部先が四角くて、錐のように尖ってはいなかった。もし凶器が隠されていたとすれば女自身が挿していた簪だったが、霄瀾が見せてほしいと頼んだとき、出されたものが先の四角いのを確認したから、それもない。あの女は一番怪しかったんだがな」
「兎に角全員当たりましょう」
紫苑は屋台に風車をたくさん挿して、彩りを作っている季本枝に声を掛けて、同じようなセリフを繰り返した。
百万イェンの魔石の件で、風車売りの季本枝は鼻を蠢かした。
「私もそんな人に出会いたいものです。大切にしあうのが、愛の理想ですものね! すっごく共感しました! お墓にお供えする風車は、どれにします? 健盛さんが一番好きな色にしましょう!」
楽しそうに黄色の風車を回して、霄瀾が跳ね乍ら歩いている。買って貰ったも同然だからだ。
「うふふ、あんなに嬉しそうにして」
微笑んでいる紫苑に対し、出雲は霄瀾がはしゃぎすぎて遠くに行かないよう、目を離さずにいる。
「それで、全部の風車を見たが、やっぱり先の尖ったのはなかったな」
「ええ……。売り物が凶器だった場合、迂闊に捨てると足が付くから、昼は手元に置いておいて、夜に燃やすか埋めるかすると思ったのに」
「最後は蜆売りか。蜆の中に凶器が隠せるが……」
肩に天秤棒を担ぎ、蜆の入った二つのざるを前と後ろに一つずつ下げた蜆売り・富有利は、百万イェンの魔石の話で、困り笑いをした。
「それ、他の子に言わない方がいいよ。みんな健盛さんの“本物の恋人”だって、思ってるんだから」
そして、出雲が前のざる、紫苑が後ろのざるから掬って蜆を買ったが、鋭利な物は発見されなかった。
屋台の三人娘を調べ終わって、紫苑たちは、如何しても凶器が見つからないことに悩んでいた。
「他に犯人がいるのか? 健盛の女たちじゃなくて、その女たちを好きだった別の男とか」
シャッ、シャッ、と木の枝の先を削り乍ら、出雲が紫苑に尋ねた。
「怪しい女はいたけど……」
「そんな女いたのか!? 誰だよ!!」
問い乍ら、先を尖らせた枝を、出雲が厚い肉の塊に突き立てた。男の力だから刺さるが、女の力で致命傷に到るだろうか。先を細くすれば可能かも知れないが、折れて死体に凶器の先端が残れば、犯人が女かも知れないという手掛かりの一つとなる。
出雲は枝を抜いて肉の塊を紙で包み直した。
「もし健盛の首に何も残っていなければ、やっぱり簪売りの花央花が一番怪しいぞ。犯人が男か女かすら分からないように、手掛かりを残さず殺せる。警備兵に身体検査されても、ごまかせる」
其の時、霄瀾が出雲の袖を引いた。
「どうした? 霄瀾」
「ねえ、この風車も先を細くして!」
「危ないぞ? 刺さったら……」
「うん、さすの!」
「?」
子供の意図が読めない儘に、出雲が一削りで風車の先を細くしてやると、霄瀾はわーいと受け取り、紫苑の髪に挿した。
「有り難う霄瀾!」
「風車のかんざしだよ! きれいな風車だから紫苑によく似合うよ! ね、出雲!」
霄瀾は満面の笑みで、紫苑の腕に両手を置き乍ら振り返った。
紫苑の赤い花弁の髪にそよ風が吹いて、黄色い中央の部分がゆるやかに回り、新種の花を発見したような錯覚に、出雲は陥った。
「……そうだな……、引き込まれるな」
吸い寄せられるように呟く出雲に、紫苑は苦笑した。
「一番綺麗な花には一番強力な殺意があることを、忘れているようね」
なぜか此処で反論した方がいいと思って、出雲が口を開き掛けたとき、風車の削りカスを目の端に捉えて、ハッと気づいた。
「紫苑、若しかしてお前が目星を付けた犯人の名は――」
「あら、いらっしゃい。未だ買い足りなかった?」
屋台の女が振り返った。
風に、風車がくるくると回っている。
「いいや。健盛がもっと欲しいってさ」
「っ……」
季本枝の顔が引き攣った。それに構わず、出雲は並んでいる風車の柄を、片っ端から二つに折り始めた。
「やめて、やめて下さい! 売り物に何をするんですか!」
風車を庇おうとする季本枝の手首を、紫苑が強い力で摑んだ。
「安心して。みんな買うから」
「でも……」
折れ曲がって地面に散乱している風車を見て、季本枝は息を呑んだ。粗方折っても未だ目当ての物が出てこないので、出雲は屋台の裏に回り、柄が未だきれいに削り均されていない、造り掛けの風車を手にした。
「はッ! 待って夫れは……!」
季本枝が青褪めるのと、出雲が気づいたのは同時だった。
「裂け目は入るが折れないな、この風車だけ」
左右に引っ張ると、柄と簪に分かれた。柄の中は空洞になっていて、風車の方からは金属製の簪が風車に繫がって出てきた。
季本枝の、風車を取り戻そうとする動きが硬まった。
其の時、差迷町の警備兵二人が叫き乍ら走ってきた。
「見つけたぞ! 紫苑さん! 彼のねえ、捜査を攪乱されちゃ、困るよ! 健盛さんの恋人みんな、男装したあんたの話して……、容疑者に成りたいの!?」
未だ文句を言おうとする二人に、出雲は入れ物の風車と中身の簪を見せた。
「あっ!! 此は……、先が錐のように尖っている!」
流石に二人は、簪の先が凶器であることに直ぐ目がいった。
風車売りの季本枝は、身動ぎした。しかし、紫苑の手が解放しない。
「考えたもんだ。造り掛けの風車に入れて擱けば、客は買わない。売り手の傍に置いても、怪しまれない。簪でも無いから、犯人とも思われ難い」
出雲から二つの証拠品を受け取って、警備兵は厳しい目付きを為た。
「これが今回の事件の凶器か……。先端は鑢で尖らせたのだな。このような隠し方を為るとは……」
「そ、その簪は誰にも盗まれたく無いと思って、自分の為に隠していただけ! へそくりみたいなものよ!!」
季本枝が焦って警備兵の方に前のめりになった。
「この柄の空洞の中に、血がこびり付いているのにか?」
季本枝は衝撃を受けた。上手くいったのだ。風車の柄を男の喉奥まで突っ込み、男の口をふさぎ、悲鳴を最小限に抑えた。首から簪を夢中で引き抜いた。而して素早く凶器を風車の柄に仕舞い、その場から逃走。完璧だった。一瞬の出来事で、芸術的だとさえ思える手際だった。
「それが……こんな……!」
季本枝は全身が戦慄いた。
「健盛がくれやがった簪で、足が付くなんてェー!!」
簪を奪い返して警備兵も紫苑たちもみんな殺してやろうと摑み掛かってくる季本枝を、警備兵が手刀で叩き伏せ、縄で縛り上げた。
「あの野郎が悪いのよ!! 一緒にいるときさえ私以外の女に何時も目移りしやがって、許せない!! 最後は私を目に映して死んでいったわ!! 良かった、やっと私を見て呉れたって、大笑いしたわ!! 健盛を私のものにするには、ああするしか無かったのよ!! ねえお役人さん、私、健気で可哀想な女でしょう!? 恋人に愛して欲しいだけなんですよ!!」
大声で叫び乍ら、季本枝は髪を振り乱した。しかし、警備兵は淡々と告げた。
「何のような理由が在れ、人を殺してはいけない。話してみて、相手が変わらないならお前に縁が無かったのだと、相手を求めることを諦める可きだったのだ。お前にはお前の考えがあるように、相手にも相手の考えがある。お前は一人殺した。よって刑も死刑だ」
「巫山戯んな!! やっと腹いせが済んでさあこれから私の新しい恋が始まるってときに、何で死ななきゃならねえんだよ!!」
「黙ってろ!」
縄を持つ警備兵が季本枝を引っ張って、連行しようとした。季本枝は頭と体を大きく振って、必死に抵抗している。
もう一人の警備兵が、紫苑たちに向き直った。
「念のため確認しておく。なぜこの女が犯人だとわかったのかな?」
先ず紫苑が口を開いた。
「私が健盛から魔石を貰ったと偽ったとき、この女だけ他の二人と反応が違ったので」
「嘘よ! 私は共感したって答えたはずよ! 犯人の答えじゃないわ!」
季本枝が唾を散らした。
「何を言ったかは問題じゃ無いわ。言う前に何をしたか、よ」
「えっ?」
「如何いう意味かな?」
女と警備兵二人が集中したのを受けて、紫苑は答えた。
「季本枝は話を聞いた時鼻を蠢かした。どんな嘘つきも、予行演習していなければ話を知った直後の一瞬の表情の変化は隠せない。何故ならその一瞬で嘘をつくか、つかないか、つくならどんな嘘にするか決めるから。季本枝はあの一瞬で自慢していたのよ。『百万イェンもする魔石? あら其れは其れは。でも残念だったわね。その彼を殺したのは私。私が彼を手に入れたのよ!!』とね」
「出鱈目よ!!」
「斯うして私は季本枝が犯人だと目星を付けました」
暴れようとする季本枝を警備兵が押さえ付けた。紫苑のあとに出雲が話し出した。
「オレは風車で人が刺せるだろうかと、先を削っていたとき、柄が少し太過ぎるように思えたんだ。少しでも原価を削減して、利幅を増やすのが普通の商売なのに、一体何の理由が有ってこんなことをしているのか……。そう考えて、若しかしたら此奴が柄の中に簪を隠しているから、其れを隠す為に他のも太くしているのではと思ったんだ」
警備兵は其れを全て書き留めると、後で此の風車の屋台も物証として押さえることと、出雲の買った風車も渡して欲しいことを告げた。
「えー!? せっかく紫苑にあげたのに!!」
紫苑にあげた風車が取られると聞いて、霄瀾が露骨に不満そうな顔をしたが、
「人にしてあげられることって、何時でもできることとは限らないのよ」
と、紫苑に優しく諭され、渋々(しぶしぶ)承知した。
そのとき、季本枝が吠えた。
「おとなしく聞いてれば善人面しやがって! ああそうだろうよ、そんなにかわいけりゃ、人に裏切られたこともねえだろ! 人のいい面の、上っ面しか見せられたことのねえ奴が、いい子ぶってんじゃねえよ! 探偵気取りか? え? 美人探偵ごっこさんかい? あああ? ガキの飯事野郎、優しい世界しか知らない、愛されたことしかねえ奴は黙れ!!」
何も亡ければ、紫苑はその完璧過ぎる美しさから、人に嫉妬される。こう罵られる。しかし、全人類の最下層にいて、今まで全てに耐えてきた其の過去を踏みにじられたら、紫苑は斬ってしまうのではないか、と出雲が危惧するも、季本枝の舌鋒は鋭い儘止まらない。
「健盛の恋人の風ができたのも、自分が美しいって自信があったからだろうが!! お前は、私も健盛も、馬鹿にしたんだー!!」
「其んな一つの尺度で喚いているから成長しないのが分からんか……!」
紫苑の周囲の空気が澱んだ。
「どんな美しさも役に立たない世界が在ることも知らないガキのくせに、偉そうにー!!」
紫苑が剣姫に成ろうとしたとき、季本枝の体から根が突き出た。
殺されたと分かったのは、植物の根が引っ込んだとき、血が噴き出したからだった。
「まっ、魔物だ!!」
丸い体から沢山のひげ根を垂らし、土にまみれた、土から引き抜いた直後の植物の根っこのような魔物が、宙に浮いて触手を動かしていた。
ピイイーと警備兵が呼び子を吹いた。
「君たちは逃げなさい!!」
刀を抜いた警備兵たちの後ろで、剣姫にならなかった陰陽師の紫苑が祝詞を唱えた。
「炎式出雲、律呂降臨!!」
「待ってくれ! オレも助太刀するぜ!!」
藍色から色変わりした黒髪が陽の光を照り返す、炎の式神・出雲が、神剣・青龍を抜いて、警備兵の隣で構えた。
季本枝の体を根で巻き取り、逃げようとする植物の根の魔物に、出雲が飛び掛かった。
「其奴を返せ!」
魔物は先の尖った、鋭い根を無数に出雲に突き出した。出雲は或いは踏み、或いは斬り上げ乍ら本体に迫った。
併し、突如、地面から突き上げる鋭い根が出雲を襲った。
「土の中からも攻撃出来るのか!」
出雲は咄嗟に根を蹴り飛ばし、後ろ宙返りをして根を躱した。
「アアッ!」
背後の声で、紫苑か霄瀾かと焦って出雲が振り返ると、警備兵の一人が根をよけ損ねて負傷していた。紫苑と霄瀾は、紫苑が霄瀾を抱えて跳んで無事だった。
安心したのも束の間、魔物はその出雲の一瞬の隙を突いて逃げ出した。
「此の人の回復は私が! あなたは追って!」
紫苑の声を消すように、高らかに響き渡る呼び子を鳴らし乍ら、残された警備兵が魔物を追い始めている。
負傷兵に暖熱治療陣を出している紫苑に、
「霄瀾を頼む!」
と、言い残し、出雲は後を追って駆け出した。
「火空散!」
町を出て、壊されて困る物が亡くなると、出雲は魔物に炎を放ち、其の動きを止めた。
丸い根の魔物は素早く振り返り、その根を地面に挿し込んだ。
「あなたは木の上にいろ!」
遠くの相手に対して根を張り、それを地中から突き上げる攻撃に対し、警備兵はよけるので精一杯である。出雲は根が地中から出現して襲い来るのと同じ速度で魔物へ走り、脇を駆け抜けざま、根の長さの三分の一を斬り裂いた。縦に重なる根の、ブツブツ切れる嫌に生々しい音がした。
「止め……」
返す刀で出雲が背後から振り被ったとき、魔物は季本枝の血まみれの体を盾に為るように突き出した。
未だ纔かだが、苦しげに息を為ている。
「あッ! 何の真似だ!!」
思わず出雲が踏み止まると、魔物は根を季本枝に刺した。而して吸い始めた。干からびた根のように成る迄吸い尽くすと、自分の根に癒着させ、加えた。魔物の傷口はすっかり塞がっていた。
「悪趣味な野郎だ……!」
根を斬り裂いた時の感覚を思い出して、出雲は畏ろしさに震えた。
「然う思う言も無いだろう」
其の時、魔物が鬚根を震わせて声を出した。
「私は、『人間の中で要らない人間』を喰っているのだからな」
然して、季本枝だった部分を、膨れた腹を叩くように叩いた。
「死刑を代わりにしてやってるんだ、感謝されると思っていたが」
「何を言ってやがる……!」
出雲は怒鳴った。
「斯んな残虐な死刑は、もう人間は為ない!!」
「剣姫は為るぞ!!」
魔物の言葉に、出雲は目を見開いた。
「何故剣姫を知っている!!」
「知らなかったのか? 彼の女は有名だぞ。魔族王に成ろうという野心の有る魔物なら、皆知っている。骸が殺すと言うから、様子を見ていただけだ。だが奴がしくじった今、人族の最終兵姫は殺さねば成らん。燃ゆる遙も死んでいるから、天下に覇を唱えるのは剣姫を倒した魔族だろうよ。剣姫を手に入れた国が人族の帝に成れるようにな」
「なんてことだ!!」
しまった、と、出雲は思った。燃ゆる遙を倒して、此の旅は宿命を終えた、なんの苦しみも無い人生だと、のんびりし過ぎていた。冷静になって考えれば、此の根っこの魔物の言う通りなのだ。
紫苑を手に入れた者が、世界の覇者と成る――!!
急いで紫苑のもとに向かおうと為る出雲の行く手を、根が阻んだ。
「どうせ剣姫も此の女を斬っていたのだぞ。私と同じ魔性の人間を、助ける事もあるまい。よく考えろ。剣姫は人間を喰う私と、同類なのだ」
「違う!! 其れ丈は違う!!」
共喰いの燃ゆる遙が思い出された。紫苑(あの人)は、こいつらとは決定的に違う!!
「剣姫は、心が殺され無ければ復讐しない!! 人の存在の尊厳を奪うお前たちを、許しは為ない!!」
どんなに殺戮に浸かっても、力を悪徳や理不尽な望みに使う事は亡い! 最低の最下層の人間たちの中で、彼の人は正しい剣を地上を貫いて天に突き立てている!
「彼の人を狙う奴は、斯のオレが許さない!!」
出雲の中で、存在を主張していた「なにか」が、川のように流れるのが分かった。何処へ行くのかは出雲には分からない。
「なら彼の女より先に、お前を血祭りにあげてやろう!」
根っこの魔物が出雲に向かってきた。出雲は素早く無数の根を躱した。ところが、其の根は未だ伸びた。
「ヒイッ!」
「しまった!」
根の目的は、木の上に逃げて即席の弓と弓矢を作って要た、警備兵だった。
危ない地面を避けて、出雲の援護をするつもりだった。
「私の養分に成って貰おうか!」
「成ってたまるかー!!」
警備兵の弓は出来ているが、矢数が少ない。
枝の先を削っただけの大小の矢、五本全部が、魔物の本体を庇った、根に当たった。怯ませる程度しか、役に立たない。
警備兵は、人間を守る者だ、だから出雲は咄嗟に結論を出せた。
「オレの力の及ぶ場所で、人間は殺させない!!」
警備兵が根に刺されそうになるのを、出雲が飛び出して警備兵に覆い被さった。
だめだ、オレは刺されると目を硬く瞑った出雲の髪を、一瞬、風がなびかせた。
はっと目を開けてみると、紫苑が剣姫として根っこの魔物の根を斬り払っていた。
「貴様ァァァー!! よくも私の根をォォー!!」
殆どの根を一撃で切断されて、根っこの魔物が緑色の液体を飛ばし乍らのたうちまわっている。
「紫苑……何故……」
剣姫に、と言う力も奪われる。霄瀾の竪琴が亡い今、出雲は力が出ない。
「お前の心が私を呼んだ」
魔物を見据えた任、紫苑の横顔は強く引き締まっていた。
「オレの心……?」
出雲の言葉を打ち消して、魔物が怒鳴った。
「何故人族を守るのだ! 魔性の癖に!!」
紫苑は其れを真っ向から受け止めて、双剣を払った。
「守る羃価値が有るからだ! 人の為に死ねる人間が在る限り、私の心は砕け亡い!!」
出雲が警備兵を守ろうと為たのを、紫苑はきちんと見て、其れに応えたのだ。
紫苑が跳び、根っこの魔物を一刀両断した。然し刀をしまう前に、残った根が直ぐ土の養分を吸い、再び元の根っこの魔物に戻った。もう半分は土塊に戻っていった。
「ああ……然ういう種類」
紫苑は冷笑した。
「半永久的に活きる植物魔物でね」
根っこの魔物は喜々(きき)として語った。
「半永久に戦える私の方が強かろう!!」
地中から根を突き上げる攻撃をする根っこの魔物の其の根を、逃がさないように摑む手が在った。
「往生際が悪いぜ! 疾っ疾と失せろ!!」
出雲であった。其の根っこの魔物を摑む手から炎が放たれ、根を伝わって根っこの魔物に到達し、炎を燃え上がらせた。
「出雲、立つことも苦しいでしょうに!」
紫苑に驚かれて、出雲は無骨無く笑った。
「へへ、オレは縋るのも縋られるのも嫌いなんだよ。紫苑も然うだろ?」
剣姫から戻った紫苑は、
「わかってるんだから……!」
と、苦笑した。
警備兵二人は、紫苑の剣姫の部分には、触れ亡かった。
人間を殺さ亡かったので、魔性に気づか亡かったのだ。
「喩え心を救えても、人族にも魔族にも誤解された儘だ」
出雲が沈んだ声で呟くと、
「私は絶対に自分を諦め無い」
と、紫苑が諭した。其の返事を聞いて、出雲には分かってしまった。
「(此の人は他人がいらないんだ。自分さえいれば)」
夜、観衆の前で神楽を男役も女役も舞う紫苑を見つめ乍ら、「先生」が然う思うようになった理由はわかるけれども、寂しさは隠せない出雲であった。