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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第十五章 精霊国の剣
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精霊国の剣第六章「王と王の光」

登場人物

双剣士であり陰陽師でもある、「土気」を司る麒麟きりん神に認められし者・赤ノ宮の名字を改めた九字紫苑くじ・しおん。強大な力を秘める瞳、星晶睛せいしょうせいの持ち主で、「水気」を司る玄武げんぶ神に認められし者、紫苑と結婚している露雩ろう

紫苑の炎の式神で、「火気」を司る朱雀すざく神に認められし者・精霊王・出雲いずも。神器の竪琴・水鏡すいきょうの調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾しょうらん。帝の一人娘で、神器の鏡・海月かいげつと、神器の聖弓・六薙ろくなぎまたの名を弦楽器の神器・聖紋弦せいもんげんの使い手・空竜くりゅう姫。聖水「閼伽あか」を出せる、「魔族王」であり格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉えんせんうつわの持ち主の、「金気」を司る白虎びゃっこ神に認められし者・閼嵐あらん。輪の神器・楽宝円がくほうえんを持ち、「木気」を司る青龍せいりゅう神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭きりふ・ましば。人形師の下与芯かよしんによって人喪志国ひともしこくの開奈姫に似せて作られた、槍使いの人形機械・氷雨ひさめ

字の精霊・モジモジ。真の精霊王を待つねこの精霊・にゃかすけ。鏡餅の姿の精霊王・ぷんわあ。刀の精霊・将軍バスモド。

 帝国の初代皇帝・剣竜けんりゅう

 魂を集めている女、風吹かぜふき




第六章  王と王の光



朱雀すざくつるぎ!!」

 何十回目だろう、精霊王・ぷんわあの放った光が剣竜のイナゴを消していく。

 しかし、剣竜が全身で王の舞を舞うたび、全身に刺さった刀すべてが空を切り、そこから金気の光のイナゴが生じて再び精霊国を食い尽くそうと群がる。

 閼嵐によって顕現した白虎びゃっこが、金気の半球の盾を作り、精霊族をイナゴから守っている。しかし、イナゴがいる限り、こちらから打って出られない。ぷんわあと閼嵐が疲労で倒れればおしまいである。

 バスモドたちは半球の中に入って来た魔族軍と戦っている。霄瀾は竪琴の聖曲でそれらの敵に幻を見せている。

 麻沚芭によって顕現した青龍せいりゅうは、かじられても平気な氷雨を乗せて剣竜のもとへ向かおうとしている。しかし、大量のイナゴが鱗という鱗にびっしり取りつき、青龍が身動きの取れない状態になってしまった。金剋木きんこくもく、金属の刃は木を切り倒すために、木気の青龍は剣竜の金気のイナゴに強く対抗できないのだ。顕現をやめれば、氷雨が魔族軍のただ中に放り出される。イナゴも押し寄せる中、一人で戦うのは難しい。

「まずいな」

 麻沚芭が呟いた。

「お前もそう思うか」

 閼嵐もそばにいた。

「紫苑の指示をこなせそうにないな」

 未だ捕まっている空竜を見つめる。

「まさかこのオレが出雲待ちになるとは思わなかったぜ」

 麻沚芭がお手上げだというふうにてのひらを上に向けた。

 魔族軍の陣中では、剣竜の剣舞をアブラムシの魔物が満足気に眺めていた。

「おぽぽっ! さすが初代! 力があり余っていらっしゃる!」

 空竜は、精霊族軍と仲間が劣勢なのを見て、どうにかして剣竜を止めなければと思い、叫んだ。

「人間を導いた頃を忘れてしまったの!? 魔族に今肩入れすることは、自分のしてきたことを否定することなのよ! あなたのおかげで、人間はこんなに繁栄できた! 今現れればみんな感謝するわ! ――……」

 王でなければ、と言ってしまいそうになって、空竜は慌てて口を閉ざした。舞いながら、剣竜は目の光という剣で空竜の姿を刺した。

「わしを裏切った奴らがか! わしを一人排除して、わしのいない世界で楽しく暮らすことを選んだ奴らがか! 恩を仇で返しておきながら、将来利用してやろうと封印をする、虫のいい奴らがか! くそ食らえ! 不実な民などいらぬ! 奴らの子孫が作った人の世など、滅ぼした方が世のためだ! わしは目に映るものはなんでも殺してやる! 人間をここまでのさばらせた世界も、神も、許さない!!」

 なんという復讐心だ。空竜は絶句した。

「人間がしていい復讐は、当事者同士の間でだけなのよ! 当事者以外になったら、無差別にしていいわけじゃない!!」

「黙れ!! わしの血を引いているから、殺されないとたかをくくっているな!! 天と人間への見せしめに、お前から殺して、山の上で死体を掲げてくれるわ!!」

 剣竜が怒り任せに走って右拳の剣を振り上げた。

 殺される! と、空竜が目を閉じたとき、まぶたの裏に光が差した。

「てめえ!! オレの仲間にふざけたまねすんなァッ!!」

 甲高く、刃物のぶつかりあう音がした。

 空竜が固くつぶった目を開けると、赤い刀を持った彼が、剣竜の右拳の刃を止めていた。

「……出雲ォッ!!」

 空竜が感極まった声を出して、笑顔を見せた。

 剣竜に朱雀の翼がはたかれた。火剋金かこくきん。火は金属を溶かして勝つのことわりで、剣竜は抗しきれず後方へ吹き飛ばされた。

「無事か空竜!」

 彼が振り返る。どこか幼さが消え、大人びたような気がした。

「うん……! 朱雀神に認められておめでとう、出雲!」

 姫は頼もしげに見つめる。出雲はうなずき、敵に目を向けた。

「オレが来たからにはもうお前たちの好きにはさせないぞ!!」

 アブラムシの魔物がいきりたった。

「くっそ! 朱雀神殿に向かった百体はどうしたっぽ!? あれだけいて先に神剣が取れないとは、使えない奴らめ! 今から奪ってやるっぽ! 神器・従臣じゅうしん礼盃れいはい!!」

 出雲たちの頭上に、再び小さな赤い盃が出現し、中の液体をこぼしにかかる。

神砂かみすな!」

 紫苑の神剣・麒麟きりんから生じた黄色い砂が、盃の中に押し入り、液を吸い取ってしまった。

 神器を封じられてうろたえるアブラムシを、露雩の神剣・玄武げんぶがとらえた。

「ぽりょりん!」

 しかし、水と油。アブラムシの油は、水気を帯びる玄武の刀にするりと滑って、結果的にきれいにかわしてしまった。

「命拾いぽっ!」

 空振りした露雩を喜ぶアブラムシの目に、赤い色が飛びこんできた。

 毛針球の手で受けたとたん、炎が生じた。

 全身油だらけのアブラムシの魔物は、一瞬で燃え上がった。

神火かみびのいい火種だな」

 アブラムシは、出雲の神剣・朱雀の炎の力で燃え尽きた。

「きゃあっ!」

 神器・糸まるめを持つイナゴの魔物が、捕えた空竜を糸で締めて、切断しにかかった。

「空竜!」

 紫苑の神剣・麒麟でも、神器の糸は切れない。

 出雲が神火を放った。やはり、燃え尽きない。イナゴはたかをくくって空竜を放さない。しかし、出雲は動じなかった。剣をさっと片手で水平に振った。すると、炎は糸を伝ってイナゴの頭に到達し、イナゴを包んだ。神器は燃やせなくても、使い手は燃えるのだ。

 イナゴは驚き慌てて空竜から針と糸を戻し、水を求めて逃げ出した。そして、神水かみのみずをたたえた露雩の玄武を奪おうと向かっていって、遂に倒された。

「空竜! 体は大丈夫?」

「ええ。ありがとう紫苑、みんな!」

 紫苑が空竜を抱きかかえるのを見ながら、出雲が叫んだ。

「神の輝き、精霊国に一つのかげもなし!! あまねく光、救いと護りを与え給え!! 神の熱環ねっかん・朱雀の瞳!!」

 顕現した朱雀のりょうが、太陽の次に輝いた。そして、光の熱が精霊国中を包んでいく。一つの悪のかげも、光を浴びないものはない。

 剣竜の出した、万を超える金気の光のイナゴが、全匹消え失せていた。

 火剋金の理もさることながら、出雲の引き出す朱雀の炎が、剣竜の金気の光に打ち勝ったのだ。

 精霊族は、ようやく一息ついた。

「わしからイナゴを取り上げるとは、やってくれるではないかーっ!!」

 剣竜が突進してきた。動くそばから光のイナゴが生じ、出雲に襲いかかるのを、朱雀の炎の光が消滅させていく。

 奥義が封じられた今、互いを決するものは撃剣のみ。

 剣竜の全身がしなった。

「受けてみよ! 百連ひゃくれん切刺せっさし!!」

 刃のついた両手両足胴体を無軌道に繰り出してくる。出雲は神剣・朱雀で百の攻撃を防ぐ一方である。

 百回攻撃し終わって、一瞬剣竜が空中で止まった。出雲が反撃に転じようとしたとき、

「まだまだッ!!」

 再び剣竜の百連切刺が襲った。

 一度とて反撃する隙を与えず、それは十回続いた。

 双方傷もつかず、かつ息も乱さない。最後の一突きの刃先に、神剣・朱雀の刃先を寸分違わず真正面から激突されて、さすがの剣竜も一歩下がった。

「この王と渡りあうとは。各種族の王は皆、優れた戦いの技量を持っているのだな。精霊王、本物らしい」

 出雲は刀を構えて微動だにしない。

「王の実感などまだない。だが一つ言える。これから生きていく中で、どんな式も解いてみせる。どんなに難しくても、逃げはしない!!」

「そうか、逃げぬか!! それは好都合、わしが確実に殺せる!!」

 喜色満面に剣竜が再び飛びかかってくる。

百連ひゃくれん切刺せっさし!!」

 もう一度百撃が始まったとき、しかしそれは今までのようにはいかなかった。

「ぐわあっ!!」

 剣竜の左腕に裂き傷が生じた。噴き散らした血が地面にまかれるのを、剣竜が驚愕の目で見つめる。

「何をした!? たった一本の剣で!!」

 剣竜は全身に刀を埋めこんでいる。総数は五十本である。今まで、五十箇所から放たれる剣を受けるのに精一杯だった出雲に、一体、何が起きたのか。

「百連切刺!!」

 しかし、この技で負けたことはない。己の剣技に絶対の自信があった剣竜は、必殺の百撃を繰り出した。

「ふぐっ!!」

 脇腹を刺された。痛覚があったら、痛みのためにもう速さを保って戦えなかっただろう。

「見切られた!? そんなはずはない、同じ組み合わせで戦ったわけではない!! 何の法則も与えなかったはずだ!!」

 答えがわからない剣竜に、出雲は無表情で答えた。

「お前、金気のイナゴ抜きで千回剣を振るったことねえだろ」

 剣竜は、思わず思い返した。百連切刺の間も、イナゴは生じ続けて敵を食いにかかる。たいていの敵は、イナゴに悲鳴をあげて剣が乱れて、すぐ剣竜に刺し貫かれた。確かに、千回ももった相手は、今目の前にいる精霊王だけだ。

「しかし体力や速さが衰えたわけではない! 一人の相手で千振りはなくとも、一人一振りで千の敵も万の敵も倒してきたのだ! そのわしが一体なぜ……!」

「お前にも癖がある」

 出雲に言われて、剣竜が止まった。

「同じ部位を使い続けると、疲労を払うように外向きに一回振る癖だ。小さい動きで、その間に他の部位が攻撃しているから、こっちは攻撃に集中していたら気づかない。でも、千回も攻撃したら、ばれるだろ。オレはお前が一秒に何回どこを使えばその癖が出るか、もうわかっている。諦めろ。お前の負けだ!」

「な・な・な・なにいいいー!!」

 怒りのために剣竜の全身の剣が、体の上を動いて一箇所に集まりだした。そして、人間の体を呑みこんで、天を刺さんと上向く巨大な刃先へと化していく。

「この剣竜に二度と負けはない!! わしを怒らせるとどうなるか、見るがいい!! この刃で精霊国の大地を溶岩が噴き出るまで切り刻んでくれるわ!! 特別な地にしか住めない精霊だ、ここを追われれば絶滅しかない!! ざまをみろ!! 朱雀の力でも元に戻せまい!!」

 剣竜の巨大な刃が宙を舞い、切っ先を下に向けた。

「精霊国が!!」

 精霊族が恐れ震える中、出雲が朱雀に乗って飛び上がった。そして、剣竜の真上で叫んだ。

「剣竜!! 精霊王の名において命ずる!! 南天に散れ!! 朱雀すざく炎爛えんらん!!」

 朱雀から火柱が直下し、中心から縁のついた炎の皿が広がり、内側のものをき尽くした。

 人の姿に戻った剣竜の体内の刃が真っ赤に輝いているのが、体中の穴から見える。剣竜は、炭のように横たわっていた。魔族軍も、炎で全滅していた。

「また世界を手に入れ損なった。なぜお前たちはわしが寿命で死ぬまで、わしを崇めぬのか!」

 出雲が見下ろした。

「戦って征服したあと、お前は何をした? 戦いには勝てても、統治できなかったろ」

「統治? わしの言うことを聞くことだ、ずっとしている」

「真の王はその力で民を守るものだ。領土を広げて、力で奪って、その後お前に何ができた。戦争というものは、勝っても、異民族に文化と制度を破壊されて終わりだ。お前にもどの命にも、たった一人では統治の才能などないからだ。たった一人の真の王はそれを知っているから、民を守り抜くことを選ぶ。領土を際限なく増やすのは愚かな王だ。自分の民の安全を必ず守れないことに、気づかないからだ」

「わしは魔族と戦うために、人間を一つにまとめたのだぞ!!」

 剣竜の刃がいっそう赤くなる。

「人の体を守れても、人の心も守れない者は、王ではない」

「……」

 精霊族が全員で、勝利と精霊王・出雲のために国歌を歌っている。四神の曲の「朱雀」なので、霄瀾が必死に覚えている。

 剣竜は目だけで、喜びに溢れる者たちを眺めた。戦いに勝利したとき、そばにいたのは若者から中年の軍人だけだった。彼らは歓声をあげてくれた。しかし、子供や老人、女性はこんなに喜んで自分を見たことがあっただろうか。ああ……国の民全員で歌っている国歌……作らなかったから聞いたことがなかったな……。

 王から赤い色が失せ、炭のように硬くなった。


 精霊王の誕生で喜びに沸きかえる精霊国では、復興が瞬く間に行われていった。それぞれ得意な分野を持つ精霊が、一心不乱にその仕事をしたからである。

 復興の最中での祝いの宴は、長机にきれいな水がふるまわれるだけの形だった。だが、机は整然と並べられ、整気せいきはとても放たれていた。そして宴では、ぷんわあが仮の王としてとどまることが伝えられた。バスモドやモジモジや氷の精霊をはじめ、皆は出雲に、ぜひこのまま精霊国で王に、と願ったが、出雲は大事な旅の途中だからと言って、なだめた。

 ねこ一族が、精霊王・出雲の前に十匹ずらりと並んだ。ついに「忠節」の美徳が報われるときが来たのだ。

 足手まといになるから、共に行くことはできない。だから、にゃかすけたちはもじもじしながら、

「出雲様、ご出発の前ににゃでにゃでしてほしいにゃか」

「にゃでにゃで?」

 出雲は、にゃかすけが頭を出したので、頭をなでなでしてみた。

「ごろごろ……」

 にゃかすけは幸せそうに喉を鳴らしてすり寄った。

 他の精霊たちは、にゃかすけが一番最初に精霊王に甘えるのは当然の権利だと、嬉しそうに笑った。

 次のねこは細身で、白鍵の指に黒鍵の爪だった。芸術家のようだ。

「出雲様、わたくしは二にゃでにゃでが欲しゅうございますわ!」

 にゃかすけがびっくりした。

「ずるいにゃか! それはないにゃか!」

「おほほ、だってわたくし、こんなときでもないと甘える機会がないと思ったのですもの」

 出雲が笑った。

「わかったわかった、にゃでにゃで……にゃでにゃで……」

「ロロニャンロロロ……」

 腹をなでられて、気持ち良さそうに体をくねらせている。

「にゃかー!」

 悔しそうなにゃかすけの目の前で、他のねこ一族も二にゃでにゃでしてもらっていく。

「にゃか……」

 がっくりと耳を下げるにゃかすけに、出雲がもう一度頭をなでなでした。

「いつでもできるさ」

 にゃかすけはうなずいて、嬉しそうに目を細めた。


 宴の途中で、空竜がそっと出雲にささやいた。

「よくすんなり精霊王を受け入れられたわね。私、今女帝になれって言われたら、慌てちゃうのに」

「言葉があるからだ」

 出雲は即答した。

「オレだって、朱雀神の試練を受ける前だったら、尻込みしたと思う。でも、朱雀神に導かれて、オレは生きることの問いに答えを出した。この答えで、皆を今度はオレが導けると思った。だから精霊王になることにした。空竜、お前もあらゆる問題にいつも自分なりの答えを出しておけ。そうすれば、慌てないから」

「……そっか」

 出雲が大人びたのは式に答えを出したからだとわかって、空竜が微笑んでいると、氷の精霊がちょこんと出雲の前に立って、糸に通した氷柱つららを差し出した。

「うん? オレにくれるのか?」

 出雲が手に取ろうとしたとき、出雲の中の炎の精霊が宴の端から飛んできた。

「お前気がくじゃねえか! やったな出雲!」

「何だ?」

「お前は今、朱雀神とオレの炎を持って、火気の極に入っている。同時に炎を出せば体が熱でもたなくなるときが来る。でもこの氷の精霊の加護のある氷を持っていれば、体を正常な温度に冷やしておけるのさ。いやー、お前いい奴だなー!」

 炎の精霊が氷の精霊と握手して、上下に振っている。

 出雲は氷柱を首からさげた。服の上からなので、ひんやりと気持ちいい。

「ありがとうな」

 出雲が笑顔で握手してきたので、氷の精霊は何回も飛び跳ねて、気持ちを表現した。

 精霊王誕生の宴は、皆が満足に王と話し終えるまで続いた。


 夜、露雩は外で月の光を見上げていた。

 出雲の過去を見てきた紫苑から、すべてを聞いた。

藤花とうか……」

 昔の名前だ。閼嵐の姉、閼水あみの言っていた男だった。だが、それすら本名かどうか怪しい。黒水晶の表紙の本を当時から持っていたという。しかし、それは日記ではなかった。

「今までに起こったことが書いてある」本らしいのだ。

 出雲の家で風吹かぜふきという女が現れたとき、藤花は風吹を知らなかった。「この本を読んで知ったのだ」。

 紫苑はその様子を、後ろから見て知ってしまった。ただし、字がとてつもなく小さくて、何が書いてあるかまでは読み取れなかった。しかし、それを読んで藤花が知識を得たことはわかった。「風吹か……」と呟いたからだ。

 自分はどういう人物で、何をしていたのだろう。星晶睛せいしょうせい、この力の意味は。

 自分の強大な力の過去に怯んで、月影に隠れようとしたとき、紫苑がそっと腕を抱き寄せた。

「この先傷つくことがあるかもしれないけど、私も一緒に耐えるわ。あなたの生まれてきた意味を知るために、記憶が開かれるときが来たら逃げないで」

 露雩は、妻になってくれた紫苑を見つめた。紫苑は月の白い光に照らされて、美しく光っていた。

「剣姫を見ても避けなかったあなたに、とても感謝しています。あなたが剣姫を救ってくれたように、今度は私があなたを支えます。二人で乗り越えていきましょう」

 露雩は憂いを忘れて、しばし紫苑にみとれた。

「藤花のときも君を選んでよかった。オレはずっと変わらなかった」

 藤花が心に決めていたのは目の前の女性ひとだった。

 露雩は愛する紫苑に口づけをした。


 出雲は、家族の記憶がよみがえった衝撃に耐えていた。死体を思い出すたびに、涙が止まらない。

 共に見ていたのは、紫苑だけである。紫苑は友人として、そばに立った。

「お、おかしいよな、ひゃ、百年も前のことなのに。き、昨日のこと、みたいにさっ……」

 言いながら、涙が出てくる。

 百年前から、こんなに悲しむ余裕がなかった。星方陣せいほうじんの完成を急ぐあまり、出雲個人の感情はどこかに封じてきた。

「泣いていいのよ。大好きだったんでしょう」

 紫苑の言葉で、出雲は口に腕を当てて、声を押し殺して泣いた。

「オレ、帰ったとき、父さんと母さんにたった一言、言ってほしかっただけなんだ」

 ひとしきり泣いたあと、出雲は、月の光の中でどこまでも優しさを広げていくように見える青海水晶の花の野原を、目に映した。

「こっちの道に進んでよかったねって……」

 紫苑は出雲の肩に手を置いた。

「私のもとに来てくれてありがとう」

 出雲はいっぺんに新たな涙がこみあげた。

「うん、かあさっ……うっ、ううんっ、オレっ……」

 出雲は、誰も道を作っていない野原の前で、紫苑の肩に目を当て続けた。


「星方陣撃剣録第一部紅い玲瓏十五巻」(完)


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