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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第十五章 精霊国の剣
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精霊国の剣第二章「精霊国」

登場人物

双剣士であり陰陽師でもある、「土気」を司る麒麟きりん神に認められし者・赤ノ宮の名字を改めた九字紫苑くじ・しおん。強大な力を秘める瞳、星晶睛せいしょうせいの持ち主で、「水気」を司る玄武げんぶ神に認められし者、紫苑と結婚している露雩ろう

紫苑の炎の式神・出雲いずも。神器の竪琴・水鏡すいきょうの調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾しょうらん。帝の一人娘で、神器の鏡・海月かいげつと、神器の聖弓・六薙ろくなぎまたの名を弦楽器の神器・聖紋弦せいもんげんの使い手・空竜くりゅう姫。聖水「閼伽あか」を出せる、「魔族王」であり格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉えんせんうつわの持ち主の、「金気」を司る白虎びゃっこ神に認められし者・閼嵐あらん。輪の神器・楽宝円がくほうえんを持ち、「木気」を司る青龍せいりゅう神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭きりふ・ましば。人形師の下与芯かよしんによって人喪志国ひともしこくの開奈姫に似せて作られた、槍使いの人形機械・氷雨ひさめ

字の精霊・モジモジ。




第二章  精霊国



 文字の精霊、モジモジが紫苑たちに言った。

「精霊の国への入口は、精霊が住めるよいところなら、どこでも入口になるじ。でも、精霊以外の者にはそれが見えないから、普通は入れないじ。今の紫苑たちもそうだじ。だから、これを貸すじ」

 空中に、七つのいろいろな形の眼鏡が出現した。

「一人一つずつ、かけるじ。精霊が見えるようになるじ。精霊国への入口も、国内も、しっかり見られるじ」

 一同は、おお、と驚きと共に眼鏡を手に取った。

 紫苑は丸みを帯びた台形の、透き通った赤縁あかぶち眼鏡だ。

「ふふっ、知的でいて、研究者みたい!」

 空竜は線対称の心臓形の硝子がらすが二つ並び、その桃色のふちに小さい水晶が連なって飾りになっている眼鏡だ。

「流行の最先端にいる服飾意匠師ってかんじで、かっこいい!」

 閼嵐は落ち着いた大人らしく、小さな丸眼鏡だ。つるが金色なのが特徴だ。

「創作家みたいに一点も一字も見逃さない、集中した目を持てるような気がする」

 麻沚芭は、きらきら光る黄色い枠の星形眼鏡だ。

「これ、叫びながら歌う人が額に載せてるやつ?」

 露雩は長方形の黒縁眼鏡だが、鼻にかけた部分の先の右側がなかった。

「誰だ右側なくしたのは」

 氷雨は青い硝子がらすの日よけ眼鏡だ。

「浜辺に行けばしっくりくるな」

 霄瀾は「いち」の字の形の、黄縁眼鏡だ。

「ボクも海の中にもぐれそう!」

 七人がワイワイと感想を言いあっているのを、出雲はぽつねんと見ていた。

「……オレの分は?」

 するとモジモジが、驚いて目の前に来た。

「何言ってるじ!? 出雲は式神で精霊の一種なんだから、気合を入れれば見えるじ! 甘えるなじ!」

 なんで怒られたのだろう、と多少理不尽に思いながら、出雲はぐっと紫苑の料理を見据えた。

「ん? 光ってる……?」

 紫苑の料理は、柔らかい光に包まれていた。ずっと見ていたくなるような、優しい光だった。

「さあ、この光に手をかざすじ。これが精霊の国への入口じ」

 モジモジに言われて、八人は手を差し伸べた。光が放射状に広がり、八人を包みこんだ。

 光が失せたとき、八人は大通りの真ん中に立っていた。

 石畳の上を、歩く者、跳ねる者、飛ぶ者、上昇する者。三角形、鎧の形、粘着液体。人間でも魔物でもない、事象が形を得てなおかつ各々の理想に先鋭化した姿の者たちが、たくさん行き交っていた。

 等間隔に並んだ街灯は、ろうそくではなく色とりどりの花である。それに守られるように、大通り沿いに、立派なわらじを編んで吊るす家、良質の土を山盛りに出してある家、きれいな音を鳴らす風鈴をいくつも並べている家、いい香りのする匂い袋を置いて通りに一時の安らぎを提供している家など、よいものを置いている、黄、水色、黄緑、すみれ色、象牙色など、優しく淡い色あいを持つ家々が、ずらっと並んでいた。店ではない。

「精霊は自分の好きなよいものの、よいところの気を食べて生きているんだじ。だから、みんな自分の好きなものを極める追究者になるじ。極めれば極めるほど、おいしいごはんがついてくるじ。自分で自分のことをするから、店はないじ。家の前に自分の作品を出すのは、『自分はこれで生きている』という自己紹介で、表札のようなものじ。同じよいものを極めている者同士、これを見て競い合うこともあるじ」

 モジモジが説明した。一同は、眼鏡をかけながら、よいものが溢れに溢れて光り輝く国を、心の黄金郷のように思った。

「おやあ? お久し振りですね」

 突然、露雩の横から声をかけてきた者があった。

 甘い木の実の香りのする、成人男性の身長と同じくらい長い、真っ白い羽根が一枚、ひらひらと飛んでいた。すべすべしていそうな光沢を放っている。

藤花とうか様、またお目にかかれるとは! 嬉しゅうございます!」

 すると、周りの、布のぬいぐるみでありながらほこり一つない栗の形の精霊や、規則正しい音を叩く太鼓の精霊など、皆が露雩に気づいて、うわあと集まってきた。

「お元気でしたか!?」

「あのお方はどなたで?」

「あんたは新しく来たから知らないだろうが、あのお方は藤花とうか様といって……」

「王様になりに戻って来てくださったんですよね?」

 すべて露雩に向けられていた。

「えっ!? えっ!?」

 露雩は何も言うことができない。

「藤花!? きれいが専門の精霊にさえ王様と呼ばせた藤花が、あんただったじか!?」

 モジモジまで驚くのを見て、急いで紫苑が、露雩と露雩を囲む精霊たちとの間に入った。

「ごめんなさい。この人は、記憶をなくしてしまっています。あなた方の言う藤花という人がどういう人で、何をしていたのか、教えてくださいませんか。彼が思い出すきっかけになるかもしれません」

 刃の仕上がりの美しい鉄剣などの精霊たちは一瞬、紫苑の内から放つ不思議な気と美貌に口を止めた。そして、現実に戻って露雩を憐れんだ。

「おいたわしい……その様子では、お探しの方にもお会いしないまま、記憶をなくされましたな」

 紫苑の心に波風が立った。誰かを探していた。誰を? 男か、それとも……。

「藤花様はその方の名をついに口にしませんでしたが……」

 羽根の精霊が話しだした。藤花は、誰かを探して、世界中を旅していた。人間界、魔族界、精霊界、竜族界、どこでも探し続けるつもりだ、その者の特徴としては、目つきが鋭くて、まるですべてを射抜いてしまうよう、そして、音楽をこよなく愛する「人間」である、だから、きれいな音に関わる精霊が、その者の居場所を知っていはしないかと、やって来たのである、とのことだった。しかし、精霊の中に心当たりのある者がいなかったので、藤花はしばらく精霊国を探し回ったあと、去っていった。

 不安な気持ちが解消されないまま、紫苑が聞いた。

「どうやって精霊国に入ったの? 眼鏡を誰かから借りたの?」

「裸眼だったけど、そういえばなんでだろうな。藤花様のあと、人間の女も来たな。その人も裸眼だった。やっぱり、藤花様と同じ人間を探しているみたいだった」

 羽根がそれを思い出して微笑んだ。

「丘で歌って、しばらくして、帰っていったんだけどね、あまりにもきれいな歌声だったから、みんなその人のこと大好きになったよ。髪が長くて、かわいらしい顔をしていたよ」

 紫苑に静かな闘争心の火がついたのに気づかず、精霊たちは七人を見回した。

「この中には、いないね」

「そりゃそうさ。百年も前の話だ。人間は生きちゃいないよ」

「あの子も、会えなかったのかなあ」

「藤花様も、もう探してる人に会えませんよね。相手も死んでいるでしょう」

「……」

 露雩は無言であった。自分の手がかりを知る者二人は、既に死亡してしまった。どこから追えばいいのであろうか。

「音楽……か……?」

 二人に共通するのは、美しい音楽である。

 美しい音楽というのは、霄瀾の聖曲や、空竜、麻沚芭のものも加えた三種の神器なのであろうか?

 考えこむ露雩を、再び、均等の間隔でばねを使って跳ぶ磁石などの精霊たちが取り巻いた。

「旅も終わったことですし、ずっと精霊国にお住まいください、王様!」

「百年前は逃げられても、今回はそうはいきませんよ王様!」

「王様? さっきから、なんのことだ?」

 出雲がいぶかる隣に、炎の精霊が出現した。

「精霊っていうのは、どれだけきれいなものを持っているかで、序列が決まるんだ。心がけ、顔、文字、仕事の仕上がり、料理など、なんでもだ。露雩はとてもきれいな顔をしているから、みんな王様だと思ったんだろうよ。かく言うオレも、露雩が精霊族の王様になると言ったら、いいよって言えるね」

「ふーん、顔がきれいだと王様になれるのか。……ふふ、オレも……」

 しかし、出雲のそれを耳ざとく聞きつけた精霊たちは、一斉に首をひねった。

「うーん、藤花様に比べると……」

「なんでだよっ!! オレだって露雩とは別の系統の美形だろ!? 前にも言ったぞこのセリフッ!!」

 半泣き寸前の出雲に取り合わず、精霊たちは露雩の隣の紫苑を見ていた。

「この人はまたえらい美人だね」

「なんだろう……内面からにじみ出る……苦労とか、それを乗り越える勇気とか、生きる努力の気のすさまじさが、そこらへんの美人を特級で飛び越えてるね」

「うん、人間は顔だけならきれいな人はいっぱいいるけど、その中でずば抜けてきれいなのは、内面から発する美しい気を持っている人ってことだね」

「美人の女王様だねえ」

「王様にお似合いだねえ」

「この二人が精霊国の王様とおきさき様になってくれたら、精霊国はますます繁栄するねえ」

 皆は口々に褒めそやした。

「精霊の国にも王がいるんだろうに、こんなこと言ってて大丈夫なのかよ?」

 さすがに出雲が辺りを見回す。炎の精霊はあっけらかんとしていた。

「きれいの力が強ければ、王も一日で変わるぜ。力のない者は後ろに退く。それが精霊の掟さ」

「ええー!」

 出雲たちは驚いた。おそるおそる霄瀾が、

「力がすべてなんて、魔族みたいだよ?」

 と、聞いた。炎の精霊は肩をすくめた。

「魔物は暴力、人間は暴力と知恵力ちえりょく、精霊は美力びりょくで支配されている。どんな世界にも秩序はある。その種族が生まれてきた意味を内包してな。精霊は王をやめさせられても、精魂込めて美力を上げれば、また王に返り咲ける。みんな、王をやめても、また王になっても、接する態度は変わらない。みんなが互いの努力を認めあっているからだ。だからここはとても平等な世界だぜ」

 金銭を貯える必要がなく、欲があらかたないからだ、と魔族王閼嵐は思った。自分で食べる分は全部自分で作れるし、これをしたいあれをしたいという様々な欲はみんな、「これをきれいにすることを極めたい」という、一つの道の追究に変換されるからだ。

「今日から王様とお后様になってください!」

「城へ行きましょう!」

 寒天状の体を重箱に入れて、回るたびに美しくぷるんぷるん波立たせている者などの精霊たちは、盛り上がっている。

「精霊っていうのは、きれいなものを作り、残し、伝えていくことが生きる基準でな、露雩と紫苑の美貌を精霊の国に残したいんだろう」

 炎の精霊がのんきに笑っている。

「冗談じゃねえ! 二人で楽しく暮らしてるとこなんか、オレは――」

 言ってから出雲は、さっと顔色を変えて、

「オレたちは、大事な旅の途中だ! 王様にするわけにはいかない!」

「へえーえ」

 炎の精霊が出雲の顔をじろじろ見て笑っている。火種の正体を知っている相手なので、出雲は何も言わず赤面してそっぽを向いた。

「さあ王様、一緒に参りましょう!」

 精霊たちは、露雩と紫苑を囲んで歩かせようとしている。

「待ってくれ、オレたちは……」

 露雩が止めるより早く、

「そいつは本当の王様じゃにゃか」

 大きな猫の影が、ぬっと精霊たちを覆った。

 露雩と同じ身長二メートル。ふさふさの黒毛で、鼻から口周りと手足・尻尾の先が白い大きな猫が、眠そうな、くたびれたような目をして座っていた。首から金鎖の首飾りをぶらさげている。それについている丸い石に、何か彫ってあるようだ。

 精霊たちは、王様を攻撃されて腹が立った。

「にゃかすけ! いつも王様を選ぶたびに水を差して! おめでたいという言葉を知らないのか!」

「主を待つ『忠節』の美徳さえなかったら、この国から追い出しているところだ!」

 それでもにゃかすけは眠そうな目を動かしもしなかった。そして、露雩の三本の剣を見て、ニャンと首を振った。

「王様の剣じゃにゃか。お話にならないにゃか」

「ふん、お前の先祖が初代精霊王に仕えていたかなんだか知らないが、それ以来どの王にも心を開かないとは、どういうわけだ! いいかげん、初代の幻から解放されたらどうだ! 死んだものを、いつまでも!」

 すると、にゃかすけは皆にかっと言い返した。

「王の証を持たない者に、ねこ一族は従わないにゃか! 真の王は、どの時代にも必ず一人いるというわけではにゃか! 百年たっても、千年たっても、現れないときは現れないにゃか! 真の王を待って、何が悪いにゃか! 偽王を見破れるねこ一族を馬鹿にするなにゃか!」

「それで数えきれない年を貫いてきたんだから、恐れ入る」

 精霊たちは眉をひそめた。みんなの「楽しい、喜ばしい、和」を乱す者は、精霊の最も嫌うものなのだ。

「にゃかすけはいつものことだ。放っておいて、オレたちはオレたちでやろう」

「おー!」

 精霊たちが意気込んだとき、露雩はにゃかすけの首飾りの丸い石を、まじまじと見た。

「なあ……それ、四神の神紋に似てるな」

 丸い石の中に、鳥が翼を広げている紋章があった。にゃかすけはぎくっと毛を逆立てた。

「どうしてそう思うにゃか」

「オレの玄武げんぶ神紋と感じが似てるから……」

 にゃかすけは、露雩が神剣・玄武の使い手だと知ると、

「ついてこられるものなら、ついてくるがいいにゃか」

 と、てってっと四本足で歩いていく。

 何かある、と考えて、一同は、なんとか精霊たちを断って、後を追った。モジモジだけがついて来た。

 球を蹴って、垂直に張った網のどまんなかに当てている精霊や、ひもつきの球を棒で打って虚空の彼方に飛ばし、釣りのように糸を引っ張ってまた球を手元に戻す精霊など、きれいな動きをする運動選手たちがいる運動場を抜けると、石像の林立する、広大な公園に出た。

「何ここお!? 人間や動物の石像でいっぱい!」

 空竜が石像の間を飛びまわっている。一人ひとり顔が違って、芸が細かい。閼嵐もぎょっとした。

「魔族までいるぞ! 一体一体違う! 竜族まで!?」

 にゃかすけが答えた。

「ここは精霊が精霊国から出ても危険な目に遭わないように、あらゆる種族の姿形すがたかたちを予習できる、見本石像公園にゃか。ほぼすべての命の石像があるにゃか。ねこ一族が彫っているにゃか」

「ボクたちの石像はないよね?」

 きょろきょろしている霄瀾に、にゃかすけは即答した。

「毎年新しい情報をもとに作り直してるにゃか。歩む人生によって、毎年顔は変わるにゃか。作り甲斐があるにゃか」

「ボクもう一歩も足が動かせないっ!」

「大丈夫だ霄瀾、正しいときもあれば迷っているときもあるのが、人生だ。生きることを恐れるな。みんながついてる」

 子供は、父に背中を押してもらった。にゃかすけは、じっとその出雲を見ていた。

「それで、オレたちに何を見せたいんだ?」

 にゃかすけが石の扉を開いたとき、麻沚芭が尋ねた。にゃかすけは前足で中を指差した。

 十メートル四方の立方体の建物の中に、その鳥は、はちきれんばかりに翼を広げていた。

 鋭いくちばし、立派な胸羽毛、隙間なく羽根の詰まった翼、片翼を広げた長さ以上の尾。

「これは四神の一柱・朱雀すざくを模した石像にゃか」

 一同は息を呑んだ。なぜにゃかすけが朱雀の姿を知っているのか。神剣の使い手なのか。

「ねこ一族は初代精霊王のお世話係だったにゃか。初代は朱雀神のお力を受けていて、神剣・朱雀を使いこなしたにゃか。この石像はその当時のねこ一族が彫ったものにゃか。以来、ねこ一族は再び精霊王にお仕えするのを待っているにゃか。朱雀神に認められた者を、待っているにゃか。だからその後の王のことを、ねこ一族は王だと思っていないにゃか」

 露雩は、他の精霊が言っていたにゃかすけの「忠節の美徳」とは、このことかとわかった。

「じゃあ、その首飾りは朱雀神紋を刻んだものだね?」

 にゃかすけは心和むように目を閉じた。

「初代精霊王が、石に刻みつけてくれたにゃか。偽りの精霊王が現れたとき、朱雀神紋を出せなければその者は偽りの王であると、証明することができるからと」

「そうだったのか……。それで、朱雀神の加護を得た人が真の精霊王なんだね?」

「そこでお願いがあるにゃか!」

 にゃかすけが露雩に向かって、四本足をそろえて居住まいを正した。

「玄武神に、朱雀神の試練に耐えられそうな者の傾向を、教えてほしいにゃか! ねこ一族は、どの種族であろうと頼みこんで、朱雀神殿に連れて行くにゃか! ねこ一族は、また精霊王にお仕えしたいにゃか!」

「待って! にゃかすけ、あなた朱雀神殿の場所を知ってるの!?」

 紫苑の質問に、にゃかすけは警戒の色を見せた。

「知っていたら何にゃか。神の力を何かに利用するつもりにゃか!」

「そうじゃないのよ。私は四神の隠された五柱目の、麒麟きりん神の加護を受けているわ。ねえ、にゃかすけ。神は試練の予告もしないし、予習もさせてくれないの。どういう傾向の人が好まれるかは私たちにはわからないし、他の神もお教えにならないのよ。それがこの世の約束事なの。でもね、私たちがんばって、玄武神、白虎びゃっこ神、青龍せいりゅう神、麒麟神のお力を得たわ。どうか私たちに朱雀神の試練を受けさせてくれないかしら。立派な心がけを持つ人に、心当たりがあるの」

 紫苑に微笑まれて、出雲は心臓が跳ねあがると同時に、責任感から頬が紅潮した。

「……四柱もの神様が……。でも、試練を受ける者がたくさんいた方が、確率が上がるのに……」

 にゃかすけは迷っていた。みだりに朱雀神殿の場所を教えたくないようだ。全員試練に失敗すれば、神殿の場所は誰にも知られない。しかし、「仲間」がいれば、朱雀神殿の場所を触れ回られてしまうかもしれない――。

「……しばらく考えさせてほしいにゃか。他のねこと相談するにゃか」

 にゃかすけと別れたあと、出雲はさざ波模様の砥石といしの姿の、刀剣師の精霊から、美しい太刀筋を見せるのと引き換えに、刀を一本もらった。美しく磨きあげられていて、出雲の顔が日の光と共に映りこむ。

 もしかしたら、朱雀の神剣が手に入るのでは。

 紫苑が期待してくれている。がんばりたい。

 わくわくする。刀を持つ手から力がみなぎるようだ。自分は必要とされている。この剣技が、報われるときが来るのだ。

 ああ、生きていた甲斐があった――。

 そこまで気分が高揚したとき、出雲はふと、前にもこう思ったことがあったような気がした。

 それは、いつだったのかということを、出雲はどうしても思い出せなかった。

 そのとき、大通りにお触れ役人が、「お触れーお触れー」と叫んで来た。綱でつないだ竹馬が、甲高い音でコーンコーンコーンコーンと大股で走ってくる。その音で、皆が立ち止まり、注目する。

「明日正午までに青い食べ物をこしらえた者に、精霊王様から褒美が出ますよー」

 竹馬は、あっという間に大通りの彼方へ去っていった。

「青い食べ物お?」

 空竜が空を見て食材の記憶をたどっていると、モジモジが紫苑の肩に座った。

「今の精霊王は、食卓に黒白黄赤青の五色の食事を、神に捧げるために並べることを大切にしているじ」

「あら、青があるんじゃないの。青は何?」

 紫苑が興味深そうに聞いた。

「青魚じ。でもすぐに腐るから、いつも神に長く捧げられなくて、不満に思っているらしいじ。それで、青くて長持ちする料理が知りたくて、ときどきあのお触れを出すじ。でも、みんな自分の美の追究に忙しいから、誰も考えじ。一度、生きた青ガエルを持って来た精霊は、冷やかしだと思われて、罰として作品を一つ取り上げられたじ。それ以来、もう誰もお触れを相手にしないじ。紫苑も関わらない方がいいじ。今の王様は優柔不断で怒りっぽいじ」

「王らしくないけど王にしてていいのか?」

 出雲に対して、モジモジは真顔で答えた。

「精霊は自分の美を追究するので他の精霊に興味がないじ。今の精霊王は他の精霊に比べて、たくさんの精霊に関わろうとしてくるじ。みんなのことを一番知っているから、王になっているじ。ただそれだけの理由だじ」

「ただ単に、精霊一人ひとりの情報を一番持っているだけ……!」

 一昔前の分厚い電話帳の姿の精霊王を、出雲は想像して寒気を覚えた。その情報を、民を把握することだけに使い、救う方向に使わないからだ。今何もしないということは、悪いことを企んでいるのかと、邪推してしまう。

「でも、褒美をくれるって言ってるわよね」

 紫苑の考えていることが、出雲にはすぐにわかった。

「褒美で朱雀神殿に入る許可をもらう……か?」

「料理大会で優勝するわけではなくて、青い料理を提供できればいいのよね。私、ちょっと考えてみようかな」

「オレも手伝う!」

 出雲が即座に言った後、皆も続いた。

「オレたちも考えるよ。できることは、なんでもしておかないとね」

 露雩が笑うのを見て、モジモジは、物好きだじと言って、仕方なさそうに皆の真ん中に浮いた。

「精霊は、食材そのものを食べる食感ではなく、香りを嗅ぐ嗅覚で満足するじ。つまり、おいしい空気を好むじ。あとは、きれいな空気が大好きだじ。きれいな仕事にはきれいな整った気――精霊は整気せいきと呼ぶじ――が漂うから、その空気を吸って、みんな暮らしてるじ。だから、何の努力もしないで作られた作品が、一番嫌いじ。青ガエルも、何の手も加えられず、葉っぱの上にいたのをたまたま捕まえたから、王が腹を立てたじ。料理するか、捕まえるのに相当工夫してたら、王はねぎらったじ。精霊は努力の跡の見えない存在を一番嫌うじ。

 紫苑たちも、ただそこで見つけたから持って来たというものは、出してはいけないじ。でも努力して自分のできうる限りきれいに作ったら、精霊は必ず振り向くじ」

 皆は顔がほころんだ。

「ありがとうモジモジ、精霊が素敵な種族だってことが、よくわかったわ」

 紫苑は一同に、まずは図書館で青いものの情報を収集することを提案した。

「昨日のことでくよくよするな」「今日を変えるのは、今の自分だ」「明日が嵐でも、生きたい」など、様々な精霊が遺した、人生訓の刻まれた石壁のある長い道を抜けると、本を開いたような形の扉を持つ、大きな建物が見えてきた。縦に置いた巻物がいっぱいに集まった外観の、二階建ての巻物図書館である。

「みんな、精霊国の知の宝庫である図書館に入れる機会なんてなかなかないから、好きな分野の本を読んでいていいわよ。いろいろな分野から、何か気づきがあるかもしれないわ」

 紫苑に言われて、実は目当ての分野を探したくてうずうずしていた一行は、ためらいがちに、早足で、さっとすませるという「つもり」で、散っていった。

 霄瀾は、楽譜の棚を探していた。

「朱雀神殿があるなら、朱雀の曲があるんじゃ……」

 読んだそばから曲を覚えながら、子供とは思えない速さでページをめくっていく。

 閼嵐は、建築の棚のある二階にいた。巻物図書館の丸い部屋や丸い柱と本の内容を照らしあわせて、心の中でおっもしれー!! と、絶叫している。

 氷雨は機械技術の棚にいた。自分のような人形機械の設計図があるかどうか知りたかったのだが、残念ながら道具の図面ばかりである。

 露雩は術の棚で、封印の術とその解除の書を読みあさっていた。自分の封印を解こうと必死である。

 出雲は武道の棚にいて、剣術の書をひもといていた。今よりも、強くなりたい。朱雀の試練に合格したい。

 著者名は、刀の精霊バスモドとあった。著者の絵で、刀の体が皮のような皺つきの黄色なのを見て、ふと出雲はその姿に何か気づいた。

 空竜は地図の棚にいて、等高線を読んで精霊国の国土を端から覚えていった。朱雀神殿のありそうな場所を探す。

 紫苑は医学の棚にいた。「この病気を治すためには、この食物を摂ることが必要である」という項目を目で追う。しかし、初めて知る名前の食物も少なくなく、青いのかどうかすらわからなかった。

 麻沚芭は植物図鑑の棚にいた。絵と解説が載っていて、おいしそうなものは自分でめそうである。しかし、青い草は見つからない。

 外で一同が再び集まったとき、収穫のあった者が真っ先に口を開いた。出雲だ。

「みんな、この国には刀の精霊バスモドという者がいるそうだ。刀の体は黄色だ。こいつの剣風は黄色いのではと思ったことから類推するんだが、もし麻沚芭が青い神剣・青龍せいりゅうで風を起こしたら、青い風になって、精霊たちの青い食事になるんじゃないのか? きれいな空気が好きなんだろう? 青龍神紋を風の吹く岩と岩の間に刻んでおけば、青い空気だ」

「そっかあ! 出雲、頭いい!」

 霄瀾が跳ねるなか、麻沚芭は青龍神と心の中で会話していた。神の力をみだりにあちこちに残してはいけない。その地の神が怒るからだ。

「……やっぱり、今の精霊の国の神が、どんな神かにもよるな。朱雀神だったら、朱雀神も困るだろ。ここ自分の聖地なのにって」

「うーんそうか……いい案だと思ったんだけどな」

 出雲は、残念そうに麻沚芭の神剣・青龍を眺めた。

 空竜が声を潜めた。

「ねえみんな、朱雀神がもし火山の火口にいるとしたら、あたりはつけておいたわあ。朱雀神殿に誰も連れて行ってくれなかったら、私たちだけで行っちゃいましょう」

「さすが空竜だ。頼りになる」

 氷雨が暖かい目でうなずいた。

 紫苑はためらいがちに切り出した。

「私は精霊の食物の名前じゃよくわからないから、料理雑誌を見たの。するとね、精霊って、どうも香辛料や香草が好きみたいなの」

 紫苑が手に取った雑誌にはどれも、「色別にコショウを嗅ぎ尽くそう・最良の時期のコショウの見分け方」とか、「香辛料最強料理! カレー大特集」とか、「どれが長く鼻を楽しませるか? 香草サンドイッチ選手権」とか、香る料理がたくさん載っていた。

「おもしろそうだな! オレこういうの大好き!」

 菜食主義者の閼嵐が、目を輝かせて身を乗り出した。

 紫苑は首を振った。

「でも、青い食材は、やっぱり載ってないの。困ったわ……」

「王様に頼めないなら、やっぱり私が案内して勝手に朱雀神殿へ行くしかあ……」

 空竜に対して、露雩が少し沈みがちに注意した。

「慎重にやらないと、精霊国を敵にまわすことになる。オレの読んだ本には、朱雀神殿は精霊王が入るものであるから、精霊王の許可なく入ってはならぬとあったよ」

 術は、歴史の積み重ねで法則の形が決まっていくものである。術と歴史の本が同じ棚にあるのは、不思議なことではない。

「でも、にゃかすけは自分でこれと決めた相手を、神殿へ連れて行けるんでしょお?」

 空竜の指摘を、モジモジが受けた。

「ねこ一族は、真の王を見分けられる特別な一族じ。朱雀神殿に入ることを、許されているじ」

「うーん、にゃかすけ、えいっ! って、連れて行ってくれないかなあ」

「一人ずつなら連れて行ってくれるかもしれないじ。出雲を信じてるならみんなここで待ってればいいじ」

 一同はたいそう驚いた。

「モジモジ! あんたすごい! 偉い! 気がつかなかったわ!」

「そうよねえ、出雲は一人で行ったって、大丈夫だもんねえ!」

 紫苑や空竜やみんなが、モジモジの頭をなでる。

「モッ、モジジッ。てて照れるモジ。う、嬉しいモジジッ」

 なでられるままになっているモジモジは、一段落つくと出雲の肩に座った。

「眼鏡なしで精霊国に来られるし、この中では一番ふさわしいじ」

 一同が希望の光を見出している輪の外で、露雩は一人、影を負っていた。

 歴史とは、その時代の人々の日記を突きあわせて、事実としていくものである。歴史の棚には、各時代の人々の日記が、学者の研究のために自由に手に取れる形で置かれていた。ただし自分の学説と違う事実の載った本を証拠隠滅のために廃棄したり、競争相手がいるときに、学説の完成の一番乗りを目論もくろんで、他人が研究できないように盗んだりする者が出るといけないので、図書館の外には持って出られないまじないがかけられている。

 その中に、百年前、誰かが名前を書かずにつけていた日記があった。

 そこにはこうあった――

星方陣せいほうじんを成さんとする者あり。魔性の者なり。精霊、一体も手を貸さず。唯一朱雀これと対す』

 なぜか、「魔性」の文字に、胸騒ぎがした。朱雀神は、何か知っている。出雲が成功すれば、尋ねることができる。星方陣を誰も成したことのないこの世界で、この者は朱雀の試練に受かったのか、失敗したのか、その後どうなったのか。

 話の重さを露雩が覚悟していると、閼嵐の肩が、風船のように膨らんで飛んでいる、白い巨体魚の精霊とぶつかった。

 相手は球のように弾かれて、地面に叩きつけられた。

「なんだテメーどこ見てやがんだケガさせやがってブッ殺してやる!!」

 精霊の体中が真っ赤になって、怒りの声がほとばしっている。

「悪かったよ。でもお互い注意してなかっただろ。一方的に非はないぞ」

 冷静な閼嵐に、風船精霊はいきりたった。

「ふざけんなテメーこっちはケガしてんだよ! 傷のねえヤローはいつだって逃げる算段ばかりしやがる! きっちりいい作品で払ってもらうぞ!!」

 きれいな仕事に漂う、整気せいきを食べたいようだ。閼嵐が自分の作品の持ち合わせを考えるより早く、空竜が自作の座布団を出した。三十センチ四方に紫の房がたくさんついていて、表面の白い布に、紫色の糸で植物の刺繡ししゅうがしてある。

「これでご満足いただける作品なら、これをどうぞ」

 風船精霊はその整気を吸い、一瞬で体が白に戻った。しかし、振り上げた拳を思わぬところで止められて、どう引っこめていいかわからなかった。

「……あんた、こいつの何?」

「妻です」

 空竜がにこやかに言うのを、一同はあんぐりと口を開けて見ていた。

「ふ、ふーん、じゃあもらう筋が通るな」

 風船精霊は、空竜にひれの手を差し出した。しかし、よほどよい作品だと思ったのだろう、座布団を作った空竜の手からよい気をもらおうと、座布団を受け取るときわざと握った。

「この槍で千回パンパン破裂しろー!!」

「この風船野郎結び穴から水入れて壁に投げて水葬にしてやる!!」

「おーっとここでトントトントトントントン!」

 槍を構える氷雨と大きな注射器を抱える麻沚芭を両手でつかみながら、紫苑が口で太鼓を真似した。

「風船精霊! この座布団が欲しければ、閼嵐と相撲で勝負して勝たなければならなくなったわ! このまま去ったらこの二人に殺されるわよ! 女の敵は罰を受けるのが運命さだめ! さあ、失うものが大きすぎる女の敵、いざはっけよーい、のこった!」

 いつの間にか紫苑の式神「たつ」(龍)が輪になって、土俵になっている。

「土俵から出たら殺される」と風船精霊にも「殺気」でわかり、手を握ったぐらいでなんでという理解に苦しむ顔で土に両拳をつく。

 紫苑が紙に「軍配」と書いて軍配に変え、この場をおさめようとしているので、閼嵐も両拳を地につけた。

「のこった! のこったのこった!」

 当然ながら、閼嵐は苦もなく投げ飛ばした。

 空竜のために、頭から叩きつけた。

「ぶえっ」

 頭が縮んだかと思うほどの痛みで、風船精霊は横に倒れてしばらく動けなかった。

「座布団はなしだ。番狂わせでもなんでもないからな」

 立ち去ろうとする閼嵐と一行に、風船精霊が恨みがましくうめいた。

「なんでケガしたオレが、減るもんじゃない手を握ったくらいで立場を逆転させられなきゃなんねえんだ! おかしいだろ!」

「お前精霊だから知らないのか?」

 閼嵐が驚いたように振り返った。

「血を流すケガをさせるより心を傷つける方が、天の罪は重いんだぜ」

 剣姫も振り返った。

「精霊で良かったな。人間の女によこしまな心を抱く存在だったら、その手首から斬り落としていた。女を獲物にする者は同じ女として、私は許さないからな」

 風船精霊は剣姫の目に身の縮む思いで「ぶう」と空気を吐くと、逃げるように飛び去っていった。

「……ありがと、みんな」

 空竜が、少し落ちこんだような、少し安心したような声を出した。風船精霊が人間の男のような思考を根本的に持っていないことは、救いであった。

「今度から私が全部取り次ぐ! 風呂もかわやも私と一緒だ!」

 氷雨が槍で風船精霊の去った方角へ素振り突きをしている。

「我が姫になんたる無礼な! 姫、運が巡って帝位につかれました暁には、精霊国を滅ぼしてしまいましょう!」

 麻沚芭が言葉の槍でどしどし素振り突きをしている。

 閼嵐が空竜の前に立った。そっと、風船精霊に握られた手を両手で包んだ。

 空竜は、閼嵐の手が緊張で震えているのがわかった。閼嵐は、姉に押さえつけられてきたせいで、女性恐怖症なのだ。

「オレのせいで……ごめんな」

 それでも、精一杯、声の震えを抑えていた。

「……ごめん」

 閼嵐はうつむいてしまった。それだけしか言えないのだ。責任は取れない。閼嵐には他に好きな人がいるのだから。女性と話すのも、苦手だろう。空竜は、閼嵐に笑いかけた。

「傷つくことを恐れて何もしなかったら、友達じゃないじゃない。私も、世の中にはこういう人がいるんだって、勉強になった。殴ってやろうと思ったら、閼嵐がもっと殴ってくれた。だから、ちょっと気が晴れたな」

 空竜につられて、閼嵐もちょっと笑った。

「そうか。じゃ、次またあいつに会ったら半殺しにしてやる」

「うふふっ、もういいわよ。今回のことはさっきのでもう終わり! 私の気が済めば、それでいいの!」

「……そんなもんか?」

 戸惑っている閼嵐の顔は、かわいかった。

「閼嵐、いつまで空竜の手を握っているのだ! ずるいぞ!」

 氷雨が飛びかかってきたところで、

「いーいおざぶ作るのねえ、あなた!」

 丸い針山にまち針の目鼻がついている、白い毛糸の髪で綿の体のおばあさん精霊が、たくさんの端切れを格子に縫ったった着物を着て、優しく笑っていた。

「ねえ、私の作ったものと交換してくれないかしら。とても素敵だから、気に入ってしまったわ」

 綿でむくむくしているおばあさんは、すぐ脇の家へ入った。

「どれでも好きなものを選んでいいわよ」

 何かを作る者は、他人の作品が気になる。空竜もつられて入った。

「キャー! かわいー!!」

 玄関の花瓶の後ろや木の壁のくぼみや本棚の隅などに、ウサギやネコやアライグマなどの小さなぬいぐるみが、あちこちにかくれんぼするように置かれている。床の間には刺繡ししゅうで花が描かれた豪華な敷物が敷かれ、刺繡絵の掛け軸がかかっている。花鳥風月の図で、鮮やかな色彩を放っている。

「針仕事で食べているのよ」

 綿のおばあさん精霊が、空竜と、あとから入ってきた紫苑たちにもお茶をれて持ってきた。

「どれもすごく丁寧に縫ってある」

 縫い目をなるべく見せず、しかも均等にしてあるところに、使う人への思いやりがあり、そして一針一針心をこめていることもわかった。

「あのう……私の座布団とこの青い円座布団と、もう一つ……私の貝のかばんとその青い刺繡かばんを交換してよろしいでしょうか?」

 空竜が見たこともない鮮やかな青い色の円座布団と、自分の作品である、貝の破片を針と糸でつづった螺鈿らでんのかばんを持っていた。

「あらなんて素敵なかばんなんでしょう! でも、欲しいものが二つとも青くていいの? 他の色も選んでいいのよ?」

 綿のおばあさん精霊に、空竜が目を輝かせた。

「この青の色は、人間界にはありません!!」

 確かに、精霊の作品の青は、どこかで見たとは言えない色だった。光の加減で、灰色を帯びたり、透明度が増したり。

「ああ、そういえばこの花は、精霊界にしか咲かないのだったわ」

「花……?」

「この青い糸は、青海せいかい水晶すいしょうという名の植物の、青い花の花びらをって作ったものなの。きれいな五弁の花でね、夜、月明かりの中で見ると青い水晶が咲いているようで、作品に残したくなるくらいよ。ほら、これが私の作った青海水晶の花よ」

 水滴が五つついたような、五弁の可憐な花だった。

「私、この糸欲しいです!!」

 空竜が鼻息と同時に新しい作品を取り出そうとするのを、綿のおばあさん精霊が止めた。

「この二つで十分よ。青海水晶の咲いている野原を教えてあげるわ。今時間ある? ついていらっしゃい」

 一同は、綿の精霊について精霊国の外れまで来た。

 大きな川を脇に見たとき、昼に空竜を狙ったアブラムシの魔物が、再び現れた。他に、頭に針を持つイナゴの魔物一体と、川の中にはビーバーに似た魔物が一体いて、ビーバーは川の水を堰き止めようと、せっせと木と枝を運んでいる。

「おっぽっ! 水害を起こしてお前たちをおびき出そうとしたのに、お前たちの方から来たかっぽ! 空竜、まったくこんなことまでさせるとは、面倒な奴だっぽ! とっとと捕まれぽっ!」

「どうやって精霊国に来たのよ!? 眼鏡もないのに!!」

「アブラムシの油は、いい油っぽ」

「……」

 考えたくない。

「さあ! 一緒に来てもらうぽっ!」

「大変よみんな! 青海水晶はきれいで新鮮な水がないと、枯れてしまうの! ビーバーに川を堰き止めるのを、やめさせないと!」

「なんだって!?」

 綿のおばあさん精霊の言葉を聞いて、真っ先に川に飛びこんだのは氷雨と麻沚芭であった。続いて両腕がはさみで尾が海豚いるかの水中魔物に変身した閼嵐と、玄武げんぶの水の護りの球に入った露雩。

 ビーバーの魔物は、水中では四人の誰よりも素早い。頭突きやひっかきをしては逃げ、四人は嚙みつかれたときしか、体に触れられない。

 らちがあかないので、麻沚芭がビーバーの魔物の作った木の堤防を指差した。三人はうなずいた。

 麻沚芭の神剣・青龍せいりゅうから竜巻が起こって、ビーバーの魔物を中心に巻きこんだ。強引に出ようとすれば多少の傷で出られる。すると、その出ようとしたところを氷雨に阻まれる。では、と別の場所から出ようとすると、閼嵐に阻まれる。別の場所では露雩に阻まれる。ビーバーの魔物は、竜巻の中に封じこめられたのだ。

 そして竜巻はビーバーの魔物を入れながら木の堤防へと進んだ。脱出できない竜巻の中から、上下左右に展開してこちらに狙いを定める四人を見て、ビーバーの魔物は捨て身で氷雨に突進してきた。照準が狭められたので、氷雨はビーバーの魔物の背に槍を突き立てることに成功した。しかしビーバーの魔物は死なず、氷雨を連れてそのまま湖の底深くへ潜っていった。

 三人は水面から顔を出した。

「プハッ!!」

 麻沚芭が大きく息をしている。

「よし、ビーバーは氷雨に任せよう。ビーバーの命が危なくなっても他のビーバーが応援に来なかったから、ビーバーはあの一体だけだ。木の堤防を壊せばこっちは終わりだ」

 麻沚芭は、神剣・青龍の風の力で、木の堤防を粉々に破壊した。

「ビーバーの魔物も、氷雨を人間だと思って、引きずりまわせば息ができなくなるから勝てると思ってるんだろう。ところがどっこい、人形機械に息継ぎはない」

「氷雨に息が必要なのはしゃべるときだけだもんな」

 閼嵐と露雩は水面で目を見交わした。


 イナゴの魔物の頭の針が、矢のように発射された。空竜の矢で弾かれても、軌道は操られ、他の者を襲った。

「うわっ!?」

 紫苑、出雲、霄瀾、綿のおばあさん精霊は、木の幹に着物を「縫いつけられた」。魔物の針には白い糸がついていて、四人を四本の糸で縫ったのだ。

「な、なにこの糸、ちぎれない!!」

 紫苑は幹と枝に丁の字に縫われ、両腕でもがくが、糸は一部さえもほつれない。

「おっぽ! このイナゴの針は神器・糸まるめ! なんでも縫うし、神器だから絶対に切れないぽ! おっぽっぽっぽっ! 邪魔者は縫いつけたし、空竜、一緒に来てもらうっぽ!」

「くっ……!!」

 空竜はアブラムシに弓を向けた。

「ええっ!! 切れないの!! じゃボクたち一生このままなの!?」

 霄瀾が泣きそうになった。それを聞いて、空竜は、はっとひらめいた。

「イナゴ! 空竜をまるめろぽ!」

 アブラムシの魔物に言われて、イナゴの頭の針が再び発射された。

「空竜! くそっ!」

 出雲の声を聞きながら、空竜は胸の動悸を押さえつけた。私しか戦えないのよ、がんばるのよ、空竜!

「仮にも都の織姫と呼ばれた私に、六本の針がある! 負けないからっ!!」

 空竜の六本の矢が、四本は紫苑たち四人に向かい、二本がイナゴの魔物の針の進行を阻む。

 神器・聖弓せいきゅう六薙ろくなぎの四本の矢は、四人の糸に沿って複雑な動きをしてなぞり、イナゴの魔物の糸を押しだしていく。この糸が取れれば、四人は自由になれる。

「え!? なんで一気にピーッって取れないんだよ!? なんか小刻みだぞ!?」

 基本的な並縫いを想定していた出雲が、くるくる回っている矢に焦った。

「半返し縫いだからよ……! あのイナゴはすごい縫い手よ! 小さくきれいにそろった縫い目を追うのは、空竜の腕でも大変な集中力がいるわ!」

 綿のおばあさん精霊が、自分の周りの矢の動きを、真剣な表情で見つめている。

「はんがえ……え? なんて言ったの?」

 霄瀾が聞き返している最中にも、イナゴの針は空竜の矢の後に再び四人を縫いつけようと迫る。空竜の矢もそれをさらに抜き取るように押し出すべく、再び後から忠実に追う。

「まあっ! まつり縫いと千鳥がけを不規則に繰り返して! なんて速さなの、これは、とっさの判断で対処できる事案なの!?」

「え? まつり縫い? 名前しか覚えてねえ」

 白熱する綿のおばあさん精霊の隣で、出雲はただただ呆然と、針が斜めに縫ったり×(ばつ)印に縫ったりするのを眺めていた。

「ああっ!! インターレース・ファゴティング!!」

「何語!?」

 紫苑の着物を、半月を描くように針が通過していく。かと思うと、

「パンチド・ワーク!!」

 二本線を描くように、並縫いのように進んでいく。

「おばあさん! 縫い取り選手権の実況できるよ!!」

 紫苑たちの着物で、イナゴの針と空竜の矢が追いつ追われつしていたが、並縫いに近いこのパンチド・ワークの縫い方で、空竜が競り勝ち、矢で針をぐるぐる巻きにして、地面に突き立てた。

「最後はコーチング・ステッチ……!!」

 解放されたおばあさんが、強者に驚く審査員のような渋い影で、突き立つ針を見下ろした。

「強敵でした……!!」

 空竜も集中と緊張で汗だくの顔を、針に向けた。

 アブラムシの魔物は、イナゴの魔物もビーバーの魔物もやられたのを見ると、イナゴに針から糸を抜かせ、イナゴと共に逃げ出した。

「待て!!」

「精霊国は、我々が剣竜様に最初の領地として献上する予定っぽ! せいぜい首を洗って待っていろっぽ!」

「なに!?」

 出雲たちがすぐに精霊王に伝えなければならない状況を作ると、アブラムシの魔物はイナゴの魔物と共に、さっさと逃げのびてしまった。

 露雩、少年化した閼嵐、麻沚芭、ビーバーの魔物を仕留めた氷雨も戻って来た。

「魔族の軍が本当にいるか、確かめる必要がある。偽の情報だったら、精霊王の心証は悪くなる」

 麻沚芭と氷雨が偵察に行くことになった。

「やっぱり、私たちは青い料理を作りましょう。精霊王に話を聞いてもらう権利を得られると思うわ。本当に軍がいたら一大事、嘘だったら許してもらえる。がんばりましょう、空竜」

 紫苑が空竜の肩に軽く手をのせた。

「え? 紫苑、青い料理のあてはあるの?」

「今の戦いで、ちょっと思いついたの」

 紫苑が、着物をひらひらと振った。


 精霊王の城は、赤い鳥が羽を休めた形を模して縦長に伸びていて、それは香水のびんのように見える。上に、尖った屋根を持つ四角い部屋が一つ、ついていた。よい香りに包まれた、空気を支配する王にふさわしい城であった。

 その城の前にある広場では、足元から光を出して青い光のほろを作っている場所があり、自前の光で太陽の光を遮っていた。

 その日陰に、鏡餅がいた。下の段だけで二メートルはあり、上の段と合わせると三メートルの巨体である。硬くなく、むにむにと柔らかく、上の段の「口」は下の段の盛り上がる「腹」に隠れるほどである。上の段に一本ずつ、先から赤・黄・青色にはねる髪の毛がついていて、体の後面に柏の葉のように広がった金色屛風が、折れて山谷を作りながらめでたさを表している。鏡餅は精霊王であった。

 そして、たいそう機嫌が悪かった。

「なぜ誰も青い料理を持ってこぬのじゃバスモド!!」

 お触れを出しても、誰一人現れなかった。

 将軍である刀の精霊バスモドは、鼻から頭へ三日月形に伸びる刃を、困ったように一礼させた。王が続けた。

「わもちは精霊王として、神に捧げる美味を用意し、精霊国を守る祭祀をせねばならぬ。わもちの命令は、決して遊びで出してはおらぬ。それがなぜ、わからぬのか!」

 精霊王・ぷんわあは、いらいらしている。しかし、整気せいきを出すものを用意するのは、基本的に本人の努力によるものであって、自らの整気のもとを作ることや、王として国の気を整えることもできないなら、王位を降りなければならない。代わりに別の者が立てばよいだけのことである。自立した民が王をり立てず、王の在位に固執しないのは当然であった。

 だから誰もぷんわあに関心を向けないのであったが、そこに、とてつもなく濁り、かつ、とてつもなく透明な気が近づいてきた。

 ぷんわあは、精霊界一の情報通である。

「九字紫苑か」

 すぐに、気がついた。

「モジモジ、お前は一体何をしているのだ。九字紫苑の世界を見てくればいいのに、なぜわざわざ連れて来た? わもちに一緒に直接見てほしいということか?」

 精霊王の前で、モジモジが縮こまった。

「紫のそのしかみえまじモジ」

「そんなわけないだろう。何か文明があるはずだ。見たものを全部言ってみろ」

「紫の大地しかありまじモジ」

「世界が全部紫色に染まったということか? 太陽が紫色なのだな?」

「夜も昼もわかりまじモジ」

「世界は、未だ決しかねている……しかし九字紫苑の心はもう決まっている……それは……!」

 精霊王ぷんわあが得体の知れない情報を解析にかかったとき、紫苑は神へ捧げる赤白黒黄の料理の皿の横に、舞台があるのに気がついた。

「あそこで剣舞の奉納をしてもよろしいですか?」

 バスモドが興味深そうに紫苑の双剣を眺めた。

「剣姫の剣舞か! それはぜひとも拝見したい!」

 朱雀の試練を控え、また軍勢が攻めてきているかもしれない精霊国で、皆の安全を祈るために舞おうとした紫苑の行く手に、精霊王の言葉が立ち塞がった。

「だめだ。お前の気は半分はとても清らかだが、もう半分はとてつもなく穢れている。神に近づけるわけにはいかない」

「……そうですか」

 紫苑は後ろに戻った。

「王様、このような機会は二度とございますまい」

 バスモドが残念がっていくら説いても、ぷんわあは譲らなかった。美しい力の頂点の王にとって、大きな穢れは許せないのだろう。

「それで、青い料理とは何だ」

 ぷんわあに促されて、紫苑は透き通った四角い板を出した。そこには、青い魚の群れが描き出されていた。王は、目を近づけた。

「この青魚は、糸か? 糸では料理ではない。それに、この板は氷なのでは……?」

「いいえ。この板は四角い型に流して固めた、あめです。中の青い糸は、精霊界にしか咲かない、青海せいかい水晶すいしょうの花の花びらで作ったものですから、食べられます。いかがでございましょう。これならば、長い祈りにも鮮度が耐えられると存じますが」

「馬を奉納する代わりに、馬の絵を描いて奉納した絵馬のように、青魚を青い花びらの糸で描いたのか。腐らないのはよいな」

 紫苑は、綿のおばあさん精霊に糸をってもらい、自分は魚の形のあめを作ると、空竜に、そこに青い糸をきれいに巻きつけてもらって、青魚を作ってもらったのだ。

「ご採用いただけますでしょうか」

「うむ……まあ……」

 舞を断ったあとだけに、王の歯切れが悪い。

「なかなかおもしろい発想ですね。青い食事が、お菓子になってもよいのではないでしょうか」

 すかさずバスモドが助け船を出した。

「うむ、そうだな。おもしろいよな?」

「おもしろいですとも!」

「よし、採用だ! 褒めてつかわす!」

 精霊王・ぷんわあの背の金屛風が一回、きらきらりんと光った。

「精霊王様、実は――」

 褒美に国を臨戦態勢にしてほしいと紫苑が言おうとしたとき、麻沚芭と氷雨が駆け戻って来た。

「みんな気をつけろ! 三千体の魔族が硝子がらすの海を砕きながら向かって来てる!」

 同じ情報が、刀の精霊・バスモドにもあがってきていた。

 市井しせいでは、硝子の海の砕ける音が響いて、精霊たちがおののき混乱して、逃げ惑っている。

 紫苑たちは、戦争に備えて互いにうなずきあった。


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