仮面の王第五章「一涯五覇(いちがいごは)・寒雨(さむだれ)・土気の極覇(きょくは)」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある、「土気」を司る麒麟神に認められし者・赤ノ宮の名字を改めた九字紫苑。強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者、紫苑と結婚している露雩。
紫苑の炎の式神・出雲。神器の竪琴・水鏡の調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾。帝の一人娘で、神器の鏡・海月と、神器の聖弓・六薙またの名を弦楽器の神器・聖紋弦の使い手・空竜姫。聖水「閼伽」を出せる、「魔族王」であり格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉の器の持ち主の、「金気」を司る白虎神に認められし者・閼嵐。輪の神器・楽宝円を持ち、「木気」を司る青龍神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭。人形師の下与芯によって人喪志国の開奈姫に似せて作られた、槍使いの人形機械・氷雨。
「この世界の王にして、神」と自称し、「寒雨教」を作り宗教軍隊を組織している、仮面の精霊・寒雨。
第五章 一涯五覇・寒雨・土気の極覇
寒雨の仮面の下から、青白い光が張り出してくる。
すべて光でできたその体に四本足が伸びたとき、一同は息を呑んだ。
麒麟神をものまねした姿になっていた。寒雨が王らしく首も顔も上方を向いてふんぞりかえっているところが、麒麟神と違うところだった。長く伸びた尻尾が反り上がり、仮面の頭に先をつけている。
「畏れ多くも神の姿に己を似せるとは!」
「この世のあらゆる命に変化できる、それこそ真の神の証……」
依然として上方――天を見上げながら、寒雨は剣姫に答えた。
『この者は!!』
突然、麒麟が叫んだ。
「気づいたか麒麟……。そう、私の本来の姿もお前と同じ形なのだ……。聴くがよい皆の者……。我が名は三務乱……。一涯五覇がうちの一人、土気の極覇なり……」
三務乱が冷静に、天に向かって話している。
「土気の極覇!?」
一同は、三務乱の、地上を見ない様を見た。
剣姫は目に力を込めた。
「大地を背負うなら、確かに王に選ばれる資格はある」
三務乱は天を見ながらゆっくりと一同の真正面に立った。
「この三務乱に真の姿を出させたからには、覚悟はできておろうな……。『満願成就』!!」
一気に、三務乱の仮面の、三本の紐の結び目をとめた星が外れて紐がほどけ、トナカイのような角が輝いた。
山ごとひっくり返され、剣姫たちに岩と土砂、倒木などが叩きつけられた。
「満願成就」、この三務乱の独自の技は、元は呪法が起源である。開墾するときや耕すときに、自分の自由を縄で縛って奪い、地は動かず天は日月星がまわって動くという状態を作る。天の動きの量と地の動きの量を逆転させることで、「天地動転」つまり天が動いて大地を最も耕し、大地が天の気を大いに受けるという理のもとに、大地の豊穣を祈る呪法である。三務乱はずっと自らを縛っていて、今縄の代わりに紐をほどき、自らを封じていたときためていた天の動きの力で、本当に大地を耕すことをしたのだ。
敵全員を、山に生き埋めにできるほどに。
山から無数の土色の光が飛び出たかと思うと、山が爆裂して、四神の一柱・麒麟が、地鳴りと共に現れた。龍のように彫りの深い、濃い土色の細長い顔が、怒りの熱を帯びている。
「ハアッ、ゲホッ、ハアッ、ハアッ!!」
生き埋めで息ができなかった一同は、吸える限りの息を貪った。全身に山の重みを受けて、圧力の痛みが残って動けない。
麒麟が、呼吸の荒い剣姫に叫んだ。
『走れないなら我の背に乗れ! 満願成就の技は力をためるのに一定時間かかる! その間に倒せなければお前の仲間は死ぬぞ!!』
剣姫は、駆けてきた麒麟の背によじ登った。他の仲間は、露雩や閼嵐の回復の水をかけられていた。
三務乱は、向かってくる麒麟と剣姫に角を輝かせた。
「一騎討ちだと……。身の程知らず!!」
土柱が剣姫に向かって無数に突き上がる。はねるたび麒麟神紋を足元に出現させながら、麒麟が華麗な足さばきで次々とかわしていく。
「はあっ! やあっ!」
剣姫の二刀流を、三務乱の角が弾き返す。土柱の間を縫い、刀が翻るたび、麒麟の体から振り撒かれる香粉から芳香がする。
「この三務乱が、神敵を一度に葬る好機を逃すと思うのかっ!!」
三務乱の仮面の紐は未だ外れていない。「満願成就」の技でなければ、何だ。剣姫が仲間を守るべきか一瞬迷ったのを、三務乱は嘲ったように見えた。
「奥義・崩壊土国!!」
一同の中心部から大地の崩落が始まり、真っ暗な穴が広がっていった。
「キャアアッ!!」
仲間が穴に落ちていく。
崩壊土国の技は、国土を中心から木も家も川も崩壊させる、恐ろしい呪いの技であった。「神」三務乱の領土が雄首山と把自気山だったので、その中心からその範囲で崩壊させていったのだ。
「みんなああっ!!」
剣姫が駆けつけようとすると、
「絶起音!!」
霄瀾の力で、七人が宙に浮いて穴から脱出してきた。麒麟が即座に力を放った。
『割屹立新!!』
三務乱の崩した大地の穴の下から土を盛り上げて、新しい山が作られる。初々しく、瑞々(みずみず)しい焦茶色の土だけの、山であった。
それを見て三務乱は、自分の山を他人に作り変えられて、怒りのあまり咆哮した。
「この大地は、すべて私のものである!! 私の世界を穢す者め、赦すまじ!!」
そして三務乱は体の光が、溶けるように消えていった。いつの間にか仮面は天を向いて大地に埋まっていた。
「大地すべてに私の光を!!」
三務乱の声に合わせて、大地全体が輝きだした。そして震動を始め、稲妻のような地割れがあちこちで起こり始めた。
宙を飛ぶ八人には、これが全世界で起きていることが、地平線まで光る大地を見てわかった。
霄瀾が地平線を指差した。
「どうしよう、みんな地割れにのみこまれちゃうよ!!」
その指の先を、間欠泉の熱湯が噴き上がった。
「わあっ!!」
「危ねえっ!!」
間欠泉は、霄瀾の肩をつかんだ出雲や、他の者たちを狙うかのように、あちこちから次々と熱湯を噴き上げてくる。
「逃げられるものなら逃げてみるがいい!」
三務乱の笑い声が、裂かれに裂かれた大地から響いた。
「この星と私は一体化した!」
溶岩すら噴き出してくる。大陸中が島に分かれていく。
剣姫は星の惨状から目が離せなかった。
「この星を滅ぼすつもりか!!」
三務乱は意に介さない。
「生き残った者に私が神だと宣言し降臨するまでよ!! いいことを教えてくれたな赤ノ宮紫苑、『天災』はこうやって使うのだと!! 私の信者を巻きこむことを恐れなければ、これほど手っ取り早い方法はない!!」
剣姫が三務乱に斬りかかった。
「倒されるべき『世界の敵』そのものの言動!! この世界を理由なく使われる力で支配させはしない!! 善人まで理由なく殺されたら、法則のない世界で、人々はどう生きればいいかわからなくなる!! 人を指針なく迷わせるな三務乱!! 私はお前を認めない!!」
三務乱の仮面に刀を振り下ろそうとした剣姫は、見えない力に殴り飛ばされた。
「誰も私に近づけない。重力に逆らうことは誰にもできない」
三務乱の周囲に浮いた小石は、放射状に外に向かって飛んでいく。
剣姫は理解した。
「三務乱は王として地と融合していながら、神として天となった! 天に小石を投げれば重力で小石が落ちてくるように、三務乱に向かうものは皆、引き戻されるのか!」
天と地の理を備えた相手には、神魔に並ぶ第三の最強、男装舞姫になるしかない。しかも、四神・玄武の力が必要だ。
「呼吸三回分しかもたないけれど……」
『何を言っている。天である陽の極点の汝と、地である土気の我、麒麟がいるではないか』
不思議そうに麒麟が声をかけた。お赦しが出て、剣姫がかしこまった。
「よろしいのですか」
『舞うがよい』
「天地和合!!」
天と地の力を両方に併せ持つ、顔の左側を半月の仮面で隠した男装舞姫が、地を蹴った。時間は、三呼吸以上もつ。大きく息を吸い、叫んだ。
「天に抗い、墜ちよ!!」
三務乱の重力が男装舞姫を押し返そうと迫る。
天の神と地の王の和合の力と、天の陽と大地の陰の和合の力が、ぶつかり合い、せめぎ合う。
徐々に、三務乱が押され始めた。
「馬鹿な!! 何故私が力押しで!? あり得ぬ!! 世界の神と世界の王、これほど最強の和合の組み合わせがあろうか!? おのれ赤ノ宮紫苑、第三の神の力に頼りでもしたか!!」
男装舞姫は初めて三務乱を、本当に神に認められた本物と認めた。
「神が多ければ勝てるわけではないことくらい、お前も知っていると思っていたが。三務乱、戦ってみてわかった、お前の神と王の力、偽りではなかったらしい。だがよく考えろ。お前の力は神と王の二人だけだ。私の力は天のすべてと大地のすべての命の力だ。お前の創る世界より、大きいのだ……!!」
それを聞いて絶句して、三務乱は男装舞姫の刀に貫かれた。
「やったな紫苑!! でも、この星をどうにかしないと!!」
出雲が島だらけになってしまった大地を見下ろした。
『我に考えがある』
麒麟が男装舞姫から離れたとき、三務乱の大地が笑うように鳴り響いた。
「三務乱!? まだ息があったの!?」
剣姫から戻っていた紫苑が再び双剣に手をかけたとき、三務乱がひび割れた仮面から不明瞭な割れ声を出した。
「私のいなくなった世界など、滅んでしまえ!! 『復源天射』!!」
地割れから光が昇り、天を射る。そして、天から跳ね返った光が、天と地を交互に射続ける踊りを踊る。射られた場所は砕け散る。
「よけるので精一杯だ!!」
「三務乱、なんてことを!!」
閼嵐や麻沚芭の叫び声が聞こえる。
「麒麟神!!」
『我に任せておけ!! 地動隙裂!!』
紫苑に答えた麒麟の力で、大地は前後左右にめちゃくちゃにずれ、光は屈折して麒麟の背中の黄色い鱗に刺さり、麒麟の力で消滅していった。
その最中に三務乱の仮面がぐちゃぐちゃに割れ、三務乱は一言もしゃべらなくなった。
麒麟はそれを見下ろしながら、憂いの表情を見せた。
『悪の者がしたこととはいえ、天を攻撃したことでこの世界は罪を負った。いずれ神罰が降るであろう』
その事実は、一同に心の重荷として残った。
三務乱は、薄れゆく意識の中で、麒麟が大地を修復しているのを感じながら、昔を思い出していた。
神の光に、穿たれた。
それ以前の記憶は一切なくなり、神の僕として神の教えを修得する日々が始まった。
強大な神の気を受けるだけの精神を持つ器になれたとき、神は明かしてくださった。
『お前は、世界の王である。世界の神である私の加護する、最高の命である。私の教えを広め、世界を平和に完全統治せよ。その力は、既にお前の中にある』
自分は選ばれた存在なのだ。
神に穿たれたことが、ただただ嬉しかった。
ところが、神の言葉には続きがあった。
『お前は世界の王である。……世界が「今のままならば」』
一瞬で殺意に火がつけられる。どういう意味だろう。誰が自分の邪魔をするのか。それとも、天変地異でも起きて世界が滅ぶのか。
『いずれ陽の極点が世に現れる。この者が私とお前の世界を変えるであろう』
神の言葉を、最後まで聴かずともわかった。
殺せということだ。
世界の王が、自分が王になる、古き世界を変えさせないために。
新しい世界を作る者に、新しい秩序を作らせないために。
私は、今の状態の世界しか手に入れられないからだ。
陽の極点は、見つけた時点で赤子のうちに殺しておこうと思っていた。だが、巧妙に隠れていて、見つからない。
陰の極点・燃ゆる遙が倒されたとき、初めてわかった。陰の極点を倒した人間こそが、陽の極点なのだと。
赤ノ宮紫苑。十五歳。
成人するまで世界に隠されていた、世界の神敵。
情報を集める必要があった。剣姫。どの神の力を受けたか知らないが、底の知れない第三の力だった。私が倒すべき世界の敵かもしれないと期待したこともあった。だがこの者の周りに神器と神が集まりだし、私はこの者をどうしても殺さなければならないと確信した。
次の王なのだ。
認めるものか。
私はまだ何もしていない。
「一人でも救ったのか」
突然剣姫に話しかけられて、三務乱は思考が止まった。
「お前に神の力が降りて『王』であったとき、お前は何をしていた。勢力を拡大することだけだ。この宗教の理念を世界に植え付けようとしただけで、一人ひとりと真剣に向き合ってはいなかった。違うか」
それは神が教えを世界に広め、統治せよとおっしゃったからだ……。三務乱は声も出ず、ただ思考した。
「自分以外を認めない者は、新しい世界で居場所がなくて死ぬしかなくなる、もしお前とお前の神が異教徒に心を開いていたら、新しい世界に入れたのに。世界がいつまでも同じ時代、価値観でいることはない。世界は常に新しく生まれ変わる。神でさえも……」
ああ、なんということだ。三務乱は思った。
この者は、神と距離を取っている。この者の次の世界でも己の神が生きられるように。己が迷い、選ぶ時間の分だけ、神と離れているのだ。その「余裕」に、新しい者が入り、信仰が続いていくのだ。教えが少しずつ変化していき、矛盾が頂点に達したとき、この神は信仰されなくなり、忘れ去られる。
どの神も忘れ去られる運命から逃れることはできない。ゆえに、なるべく長く地上にとどまる方法は、神の教えによる硬直化した即決ではないのだ。
だからどの宗教も内部分裂してしまうのか。神が古くなって忘れ去られないように、他の者が独自の解釈をくわえて教義が変わり、それに耐えられない者が出るから。
もはや、剣姫の声も聞き取れない。三務乱、古き世界の王は、自分の人生を走馬灯のように振り返って、神の即決に身を任せてきた自分が一体何をして生きてきたのだろうと探しながら消滅していった。
欠片一つ残っていなかった。
麒麟はすべての大地の表面をある程度の厚さをもってひっぺがすと、亀裂に埋めこんでいった。
大地はたいらにならされ、厚みを少し失った。
一同が一息ついたとき、天から強烈な光が差しこんだ。
『陽の極点!! 私の穿った者を仕留めたな!! 神の復讐を受けよ!!』
声だけで、姿は見えない。
「これは、三務乱の神!?」
「どこにいる!! 出てこい!!」
光が熱線に変わり、剣姫たちを狙う。
「玄武神顕現!!」
露雩の神剣から巨大になった亀と二匹の蛇の姿の玄武が現れ、一同の盾になる。玄武に穴が開き、一歩、二歩と後退する。
「白虎神顕現!!」
「青龍神顕現!!」
玄武だけでは危ないと見て、閼嵐と麻沚芭も四神を神剣から顕した。既に顕現している麒麟も加わる。
四柱の神が、水金木土の気を天に向けて放った。しかし、天からの熱線と押しあったあと、破裂した。
「神四柱の力を押し破った!?」
驚愕する一同に、四柱は振り返った。
『ぼうっとするな!! お前たちの出番だ!!』
紫苑は再び麒麟の力を借り、天地和合の男装舞姫になった。
「まとえ!! 東の力!! 霧府流生命並立!!」
麻沚芭は青龍を風の剣に変えた。
閼嵐は白虎を鎧にして、露雩が玄武神紋を刻んだ玄武に飛び乗る。
「うおおおー!!」
神の力をまとった者たちが天に向かう。天からの熱線を、
「青龍の剣・枝根風撃!!」
一本の刃が無数に分かれて広がる、麻沚芭の青龍の剣で、すべて軌道を逸らす。
玄武で天に限りなく近づいた閼嵐が、ひときわ光る天に白虎の毛をつなげた槍を投げつける。
火剋金、火は金属を溶かし勝つの理で、光から火の玉が降り注ぐ。
白虎の槍は溶け落ち、玄武は水気の身を広げて大地を火炎から守った。
その中を、男装舞姫が飛翔する。
「攻撃が放たれたのは、この光だ!!」
未だ姿の見えない神のいる、天の光の中へ突入した。
扉が、あった。
身長の三倍はあろうかという、白い石でできた、二枚の戸がぴったりと閉じられた扉であった。
その扉の開け方は、誰にもわからない。
その前に立ってみなければ、わからない。なぜか紫苑にはそれがわかった。
だが、立とうと思う前に、人の声がした。
紫苑は、とっさに木の陰に隠れた。
白髪に白ひげ、そして白い長衣の老いた男と、白い長衣の七才、ちょうど霄瀾くらいの年の幼い子が歩いてくる。紫苑のいる場所からは、二人の顔が光っていて、どういう顔なのか、よくわからない。
老人は、扉から遠いところで立ち止まり、扉を指差して、子供に何事か言っていた。子供も扉を見た。
子供がゆっくりと歩いてくる。
顔は、光っていてよく見えない。
子供は、そっと扉に指を――
『この盗人めええー!!』
突然、景色が失せ、真っ暗闇の中で、三務乱の神の声が憎しみを発した。
『盗まれた盗まれた盗まれた盗まれた』
呪詛が続く。
朱い円盤の仮面に白い長衣を着た、人間の姿をした者が、立っていた。一目で、老人と子供と同じ所属の者だとわかった。
「お前は何者だ。盗まれたとは何だ!」
男装舞姫は、決して油断などしていなかった。
だが、次の瞬間、朱の仮面の者の剣に、自らの剣を跳ね飛ばされていた。
「剣姫に剣を手放させただとっ!! しかも、第三の最強の男装舞姫でっ!!」
男装舞姫が驚いている暇はない。二撃、三撃と繰り出される剣は、果てしなく重い。残った一本も、回転しながら地を滑って男装舞姫から離された。
剣姫から双剣を奪えた敵が、かつてあったであろうか。いや、ない。
「お前は何者だあーッ!!」
腹に突き立てられようとする刀より、朱の仮面の者に男装舞姫が絶叫したとき、その刀を上から地にめりこませた刃先があった。
男装舞姫は息を呑んだ。
青紫色の中に五芒星と六芒星を合わせた八角形を持つ右目。
赤紫色の中に正方形を二つ、縦と斜めに重ね合わせた八角形を持つ左目。
両目を星晶睛に変えた露雩が、静かに立っていた。
「露雩!!」
男装舞姫は、どうやってここにと聞くより、星晶睛が二つ同時に出て大丈夫なのか、そちらの方が心配であった。
朱の仮面の者は、露雩を見るやいなや叫んだ。
『返せ!! 私が得るはずだったものを、すべて返せ!! 盗人!! 盗人!! 盗人ー!!』
どういうことなのか。男装舞姫が露雩を見上げても、露雩の両目の色に変化はなかった。
『貴様を殺さなければ、私の時は始まらぬー!!』
朱の仮面の者の突き出した刀をよけると、露雩は仮面を片手でつかんだ。
そして胸の中央に刀を突き立てた。
『ぎゃあああー!!』
その神は、血を振り撒きながら、後ろへ下がった。
『こんな傷をつけたくらいで、いい気になるなよ!! 「お前の力ではない」だろう!!』
そして、一目散に逃げ出していった。露雩は追えず、くらりと倒れた。
抱きとめる男装舞姫に、両眼を閉じたまま呟いた。
「今回は『二つの目』があったから退けられた……だが……」
そして露雩は意識を失った。
麒麟の祝女の一族は、梅御箸神社の神官・応度と共に、二つの山を守っていくという。
寒雨教の信者は、寒雨とその幹部の死によって解散した。信者の悩みが解決したわけではないので、また次の宗教にのめりこむ危険がある。
閼嵐はゆっくりと呟いた。
「結局、『神と自分』だけじゃなくて、『他人と自分』とも思える社会が、人の弱みに付け込む奴と、弱さに耐えられない人間を救うんじゃねえかな」
空竜は黙って閼嵐を見上げていた。紫苑も内心うなずいた。それこそ自らの孤独と他者からの孤立を解消する第一歩だ。
それを聞いて麻沚芭が両手を頭の後ろで組んだ。
「かといって神から遠ざかりすぎた世界は『やった者勝ち』の悪徳の世界になっちゃうから、気をつけないとね。何事もほどほどなんだね。神との距離ですら」
氷雨は無言でうつむいていた。人形には、神がくれる運命はないのか。三務乱の神器・戦略棋のさいころは、人形の心に少なからず傷を与えた。
出雲が霄瀾を抱き上げた。
「わあっ! 出雲!?」
「今日はお手柄だったな霄瀾! 絶起音がなかったら、みんな地割れに落ちてた!」
「え、えへへ……でも、麒麟神が落ちちゃった人たちをちゃんと山を盛り上げて地上にもどしたんでしょ? よかった!」
抱きしめられて嬉しそうに手足を動かしながら、霄瀾は照れ笑いをした。
露雩は、木の根元に座って体を休めていた。
二つの星晶睛を出したことで、体に無理をさせたようだ。
「どうして――」
自分が行かねば強大な三務乱の神に紫苑が殺されると、思ったのか。
なぜか、初めから持っている、書かれた頁が絶対に開かない、黒水晶の表紙の本が思い浮かんだ。
「この中に、何か手がかりが書いてあるような気がする」
星方陣の旅が終わったら記憶探しの旅に出ようか、などと悠長なことは考えていられなくなった。
自分の存在に、世界と決定的に関わる何かがある。
そのとき、自分の体はもつのだろうか。
遠くの空を眺める露雩の目の前に、盃が出された。
妻の紫苑であった。
「はい、露雩。三務乱を倒したお祝いに、みんなで一杯飲もうって! ほら、梅橋で麻沚芭が梅酒を買ってたでしょ! それを開けたの!」
「ああ……あれか」
甘い芳香が盃から香ってくる。
露雩が受け取ると、麻沚芭が音頭を取った。
「それじゃあみんな、お疲れ! これからも、力を合わせてがんばろう!!」
「おー!!」
全員で盃をあおった。
「なんでボクだけお水なのー!?」
「霄瀾、大人になったらまたみんなで一緒に飲もうな」
出雲が霄瀾をあやしている。
「マシハ、酔っちゃったあ! 紫苑ー!」
「麻沚芭、私に酔って寄りかかっていいのは露雩だけよ!」
マシハが紫苑に身をかわされて、大地に顔から倒れた。
「飲んだら調子が悪い……」
「氷雨!? なんで人間みたいに本当に飲んだのお!?」
氷雨を空竜が神器・聖紋弦の聖曲の音色で介抱している。
閼嵐が鼻歌まじりに残りの梅酒を飲んでいた。
「果汁だ! 果汁だ!」
露雩は苦笑した。
「果汁じゃなくて酒だろ」
そして、思った。このみんなを守るために、オレはいいかげん、出口を探さなければならないんだ。
封印から逃れ出る出口を。
「星方陣撃剣録第一部紅い玲瓏十四巻」(完)




