梅橋百鬼夜行第五章「一般信徒兵」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある、赤ノ宮の名字を改めた九字紫苑。強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者、紫苑と結婚している露雩。
紫苑の炎の式神・出雲。神器の竪琴・水鏡の調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾。帝の一人娘で、神器の鏡・海月と、神器の聖弓・六薙またの名を弦楽器の神器・聖紋弦の使い手・空竜姫。聖水「閼伽」を出せる、「魔族王」であり格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉の器の持ち主の、「金気」を司る白虎神に認められし者・閼嵐。輪の神器・楽宝円を持ち、「木気」を司る青龍神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭。人形師の下与芯によって人喪志国の開奈姫に似せて作られた、槍使いの人形機械・氷雨。
麒麟神殿の祝女の一族、砂津砂津と由曜夫婦。田野花と景矢夫婦とその子供、友元と割満。季里四と健土夫婦とその子供、地新奈と秀地。
「この世界の王にして、神」と自称し、「寒雨教」を作り宗教軍隊を組織している寒雨。
第五章 一般信徒兵
「あの道の先が麒麟神殿です!!」
田野花と季里四の姉妹が、光る道を走りながら指差した。昼のような黄色い光が、こちらに差しこんでくる。
そのとき、後方から影が迫った。土砂の津波だ。
「みんな、走って!!」
景矢と健土が振り向きざま、木の盾を出した。地面をかき出して壁のように迫っていた土砂が、横に崩れた。
木の武器は、術の持つ気を最も防ぐ。木の生命力が、精神力を礎とする術に対する耐久性を、高めるからだ。
しかし、その一瞬、風が走り、麒麟神殿と思しき土塀に囲まれた土瓦の神社の前にまわりこみ、一同の足を止めた。
仮面が宙に浮いていて、その下に十五枚の札が一枚ずつ独立しながら、四列に浮かんでいた。
「麒麟神殿までたどり着くとは、侮れん奴らだ。言霊で見つけなかったら、どうなっていたことか」
仮面の目が光った。紫苑に恋の呪いをかけたのは、こいつのようだ。
「空竜! 霄瀾! 砂津砂津さんたちを任せる! 行くぞお前らー!」
男装紫苑の号令で、仲間が駆け出した。
仮面が十五枚のうちの一枚を前に出した。
「滑柔!」
すると、突然地面が波打ち、柔らかくなって、地を蹴って走ることも、満足に立つこともできなくなった。
そして別の札が前に出た。
「雷直!」
それは一同に雷撃を与え、雷が触れると、地面は元の固さに戻った。
「うぐっ、くそっ……一枚一枚の威力が強い!」
仮面の視線が、体のしびれが残る男装紫苑をとらえた。
「僕は寒雨仮面。寒雨様のお力を世に伝える仮面。寒雨様からお力をいただいて動く仮面人形」
人形と聞いて、男氷雨が寒雨仮面を見据えた。
「僕はお前たちの足止めをする。寒雨様の信徒のために」
「えっ?」
そのとき、光る道を通って、寒雨信徒のにわか仕立ての一般人兵士が、がむしゃらに走ってきた。
「ここか! 寒雨様のお力が封印されているという神殿は!」
「獣の姿をしているらしいから、早く入って解放してさしあげなければ!」
そして、一目散に麒麟神殿の鳥居をくぐっていく。その数は、十人、二十人、三十人と、あとからあとから行列になって増えていく。
「寒雨!! 麒麟神になんと無礼な!! 神の試練を、数打てば当たるで通ろうとするとは!!」
「麒麟神の寒雨信徒への慈悲がこのような形で……! 神を失望させるとは、寒雨めええっ!!」
砂津砂津と由曜の老夫婦がののしっても、寒雨仮面は仮面らしく、どこもピクリとも動かなかった。
「許せ寒雨信徒!! 神にこの世界を失望させるくらいなら!!」
友元が刀を抜き払って、神殿へ入っていく寒雨信徒に斬りかかった。
斬り裂かれた信徒の背中の傷に、土魂が埋めこまれているのが見えた。ひびが入っていると思う間もなく、肉体がぶくっと膨れあがった。
男氷雨がとっさに景矢の木の盾をひったくって、友元を蹴り飛ばした瞬間、信徒が爆発した。
木の盾で防いでも、男氷雨は衝撃で体が飛んだ。
「自爆したのか!?」
友元を抱えて男氷雨が寒雨信徒たちと距離を取る。男装紫苑たちは仕組みを見極めようと信徒に目を凝らした。
寒雨信徒は全員体のどこかに、土魂が露出した状態で埋めこまれていた。完全に入れば即死の巨人化をしてしまうから、生命と理性を保つために、石を露出させることになったのだろう。命は外に露出して外界と接点を保ち続けることで理性が保たれ生きられるのだ。しかし、石にひびを入れられると自爆してしまう。ちょっとでも自尊心を傷つけられるとすぐに自爆して社会に復讐する命のように。
信徒に土魂が埋めこまれた理由は簡単だ。
一つは、紫苑たちがうかつに手を出せないようにするため。
一つは、あわよくば麒麟神を手に入れ、その後神殿ごと紫苑たちを爆破するためだ。
「信じる心を悪用するとは、どこが“神”だッ……!」
「紫苑! 霄瀾! 私たちと来なさい! 男たち、ここはよろしく!」
砂津砂津、田野花、季里四、地新奈、割満ら麒麟の祝女が、急いで二人の手を引いて神殿へ走った。
「僕は行かせない。『空塞』」
寒雨仮面が札を出し、さきほどと同じ、津波のような土砂壁を出すと、男空竜の聖弓・六薙の矢で一本につき信徒を六人はつないで引っ立てる男氷雨が、マシハからもらった紅梅の花の形の傘を開いて下向きにして土砂に乗り、波乗りのように土砂の上に出ると、信徒を放った。そこに女出雲の炎の技・火空散とマシハの手裏剣が飛び、石にひびが入った信者は次々と自爆した。土砂は散り散りになった。
仮面そのもので何にも動じない寒雨仮面も後退し、攻撃の手が止まった。紫苑たちは回りこんで、神殿内部に入った。
「あの女と子供が失敗すれば、お前たちはそれで終わりだ。百人は入ったこちらに分がある」
寒雨仮面は冷静に計算して、やはり動じなかった。
相変わらず、寒雨信徒は続々と麒麟神殿に雪崩れ込んでいる。その中で洗脳されていない者たちは、当然一人ひとり思考が違う。一人でも神の考えに沿った思考を持つ者がいたらと思うと、女露雩たちの方が焦った。
「しかし、また同じ戦法をとられては困る。この者たちは寒雨様の大事な信徒だ」
寒雨仮面は、十一枚の札を前に出した。
「まずは無力にしてやろう。『字魂呪い』」
十一枚の札が光った。すると、女出雲たちの体の自由がきかなくなった。
「これはなんだワン! “ワン”ッ!?」
女出雲がたまげた。犬のように無性にワンワン吠えたい。
男空竜が上空に唇を突き出して小鳥のようにさえずる。
「なにこれピリリッ! 歌いたくてしょうがないわピーチクパーチク!」
獅子閼嵐が象の鼻をあげるように伸び上がった。
「えっ!? 鼻に水を入れたい! でもやったら絶対痛いぞパオーン!!」
マシハがすねて猫のように地面で丸くなっている。
「ニャー甘えたいご主人様がいなくて寂しいニャア」
男氷雨が深刻な顔でよちよち歩いている。
「ペンギン歩きしかできないペン」
「我々一族はなぜドングリを口の中につめているのだフガー!」
「おじい様、でもつまってるとなぜか幸せですペルルッ!」
祝女一族の男五人は、リスのように口の中をドングリでいっぱいにしていて、手が止まらない。
「「なんだ、これーっ!!」」
一同が絶叫した。
寒雨仮面の十一枚の札に、各人の名前と動物の名前が対になって書かれていた。
犬、小鳥、象、猫、ペンギン、リス。
その動物ならではの欲求が先に来て、とても戦うどころではない。
「ワンワンッ! 思いっきり走りたい! 獲物に飛びかかって嚙みつきたい! うわあやめろやめろオレー!!」
犬の女出雲は自分の草履を嚙んで必死に犬の本能と闘っている。
「ねえ出雲ホーホケキョ! 草履くわえたままあいつに攻撃できないの!? ピピピッ!」
小鳥の男空竜はさっきから両腕を羽ばたかせ、百回以上飛び跳ねている。小鳥の本能で、飛び立ちたくてしょうがない。
「疲れたー! 腕がちぎれちゃうー!! あチュンチュンチュン、スズメがチュンッ☆ いやああー!!」
人体の限界を超えそうなほど腕を激しく振っている男空竜を助けたいが、各人は自分の状況を理解するのに精一杯である。
「寒雨仮面! お前……その札よこせ! 食ってやるッパオーン!」
緊張感のない調子で、あお向けになって土に体をこすりつけてかゆみを取っていた象の獅子閼嵐が、なんとか「食欲」を動員して寒雨仮面にごろんと一回り近づいた。
「そうはいかない。それに、お前たちの名前は僕に知られている。字の通りの魂にしてしまうこの十一枚の札をお前が食べても、また新しい札を僕は作ればいい。今度は別の動物にしてやろう」
「名前で命を書き換える術! 紫苑がいれば、何か対策を思いついてくれたに違いないッパオン! パオーンそれでも食うしか……」
泥だらけになりながら、獅子閼嵐は周囲を見回した。
「ペンペンペン♪」
人形機械の男氷雨さえ、ペンギンとして片足でてってってっと楽しそうに跳んで遊んでいる。
マシハは猫としてその動く物体をじっと眺め、飛びかかるかかからないか考えている。
「遊んでくれるかニャ?」
そして、男氷雨の長靴のふくらはぎに、小さくぱむっと嚙みついた。
「ニャッニャッ、振り回してほしいニャ!」
「ペン? それは主人にやってもらうペン。なぜならお前は海の中を泳げないからペン。私はお前がつまらないペン!」
「ツメタイニャー!」
男氷雨とマシハは何やら言い争っている。
祝女一族の男たちは、ドングリをかじり始めている。
「年寄りの歯が全部おっ欠いてしまううーッペルッ!!」
老人の由曜が顔を真っ赤にして怒って泣いている。
「お義父様、私がむいたものを召し上がってくださいペルルッ!」
婿たちが実を由曜の口に押しこむ。
「おじい様ー! 硬いでペルウー!!」
孫二人が歯を失う苦しみに泣きだす。
「だめだ……誰も札を食べた一瞬を攻撃してくれる仲間がいないパオーン……」
獅子閼嵐を嘲るように、寒雨仮面が「空塞」の札を前に出した。
「このまま雄首山の肥やしになれ」
土砂の壁がせり上がり、一同を生き埋めにしようと迫る。
「みんな! 逃げ……パオーン?」
閼伽を鼻に見立てた腕から出して、なんとか土砂を食い止めている獅子閼嵐は、重大なことに気がついた。
「露雩!! もしかしてお前、何の動物にもなってないんじゃないのかパオン!?」
そう、女露雩はこの騒動の間中、ずっと麒麟神殿を見上げていた。
寒雨仮面も、露雩の札を見た。
その動物には、なっていなかった。
「それはそうだろうな」
女露雩がゆっくりと振り返った。
「ロウは、私の名ではないからな」
赤紫色の左目に正方形を二つ縦と斜めに重ね合わせた八角形が現れた、左目が星晶睛の女露雩が、不敵に笑っていた。もはや、単に女装しているだけで、人を圧倒する気を放つその姿は、威厳のある男にしか見えなかった。
その声は、竜の鳴き声と、七色の玉の入った鈴の音が、合わさった音のようだった。
「何者だ。いい機会だから聞いておかなければ。寒雨様も星晶睛のことは気にしておられた」
寒雨仮面が「空塞」の札をおさめた。
「麒麟神殿……ここにしたのか」
「質問に答えろ」
寒雨仮面は、仮面だから苛立たない。
「私はお前と遊ぼうと思っていない」
「質問に答えろ」
寒雨仮面は、仮面だから自分の知りたいことに愚直である。
「あの女が麒麟に何を言うかに興味がある」
「痛めつけないと言わないようだ」
寒雨仮面は寒雨の仮面だから、寒雨と同じことしか言わない。
「お前からは『古い』匂いがするな」
左目星晶睛の露雩に笑われたとたん、寒雨仮面が十五枚の札の力をすべて放った。「滑柔」の波打つ地面、「雷直」の雷撃、「空塞」の土砂の壁は二枚分の札で二倍にし、十一枚の札に操られた十一人が襲いかかる。
「やべえっ! この露雩は、オレたちでも殺せるぞワン!」
女出雲が、自分が先に到達して左目星晶睛から皆を守ろうとしたとき、星晶睛の露雩が高笑いした。
そして、風の術を放った。
竜巻が起こり、十一人も土砂も、宙を回転して勢いを失っていった。雷すらも、竜巻に巻き取られてしまった。
「木剋土。木は土の養分を得て、その力を奪い、勝つ。木気の風を持つ私に、木気に弱い土気の術をぶつけるとは、計算違いも甚だしかったな。もっとも、雷は木気だが……」
十五枚の札はすべて散り散りに裂かれていた。解放された十一人が、地面に叩きつけられた腰や腕に手を当てながら立ち上がる。
「お前たちを殺すとあの女がうるさいと思ったから、助けてやったぞ」
「……素直にありがとうって、言えねーんだけど」
背中の痛みをこらえながら、女出雲が左目星晶睛の露雩に口を曲げた。
「寒雨様のお力を十五枚分も破るとは。世界を変えうる力だ。危険な存在。寒雨様の神敵」
寒雨仮面が新たな札を出して左目星晶睛の露雩のさらなる攻撃力の情報を引き出そうとする前に、星晶睛・露雩の刀が仮面の真ん中に突き立っていた。
仮面は、次の一瞬で二つに割れた。
「鮮やか……」
見事に割れた仮面を見て、男空竜が称賛した。
寒雨の僕が倒されて、それを見ていた寒雨信徒たちに、動揺が広がった。寒雨の判断力は完全ではないのかという、寒雨を疑う心が芽生えたのだ。中には「神敵だから倒さなければならない」と思う者もいた。しかし、その者たちは寒雨や寒雨教の幹部に指示されなければ、動けなかった。
麒麟神殿へ続いていた行列は、恐怖と疑惑と思考停止で、止まった。




