神の見知れぬ望み第六章「お茶畑のふたり」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある、赤ノ宮の名字を改めた九字紫苑。強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者、紫苑と結婚している露雩。
紫苑の炎の式神・出雲。神器の竪琴・水鏡の調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾。帝の一人娘で、神器の鏡・海月と、神器の聖弓・六薙またの名を弦楽器の神器・聖紋弦の使い手・空竜姫。聖水「閼伽」を出せる、「魔族王」であり格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉の器の持ち主の、「金気」を司る白虎神に認められし者・閼嵐。輪の神器・楽宝円を持ち、「木気」を司る青龍神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭。人形師の下与芯によって人喪志国の開奈姫に似せて作られた、槍使いの人形機械・氷雨。
第六章 お茶畑のふたり
「ねえ紫苑、次の町で私、どおーしても買いたいものがあるのお」
「何? 空竜」
「緑・茶・でーすっ!!」
空竜が山の斜面を指差した。きれいに刈り揃えられた緑の茶畑が、ところどころに立ててある小さな風車と共に、風に揺られていた。
ここは王都・繁可の西、緑陰町である。
「帝室御用達の茶葉は、ここが産地なんだからあ! ああ、懐かしいわあ! もう一度飲みたい!」
空竜は踊るように直売所へ向かった。
「そんなにおいしいんだったら、オレたちの分も買っとこうよ」
「そうね露雩。みんなで飲む分と、私たち二人の家で飲む分と」
旅先で夫婦がお土産の相談をしているかのような紫苑と露雩も気になったが、空竜がまた何かやらかさないかという方も気になって、出雲たちは直売所の中へ入った。
「う……わあ……」
売り場は六畳といったところだろう。狭い。だが、ここは売り場が主ではない。仕切りのあるもっと広い向こう側の空間で、緑茶商人と緑茶農家が、味と値段の意見を言いあっているかのような調子の声が、聞こえた、直売所は交渉所でもあったのだ。したがって、様々な種類の茶が揃い、茶葉の香りでいっぱいだった。
「おいしい!」
香りだけで霄瀾が笑顔で叫ぶと、売り場のおばさんもにっこりと笑いかけた。
「ぼく、飲み比べてみる?」
「えっ?」
霄瀾は慌てて出雲を見上げた。
「せっかくだからおいしいのを飲んでみよう。好きな味があったら、買ってやる。二人でときどき飲もう」
出雲の笑顔に安心して、霄瀾は、喜んでお盆に載っていた試飲用の小さな湯飲みを、おばさんから受け取った。
「うー! この茶筒かわいー! あーでも、この落ち着いた色も捨てがたいー!」
空竜は一つ一つ柄の違う茶筒で迷っていた。
「……お茶で迷わないのか」
驚く閼嵐に、空竜はニヤッと振り返った。
「当たり前でしょ! 私はもう『帝室御用達緑陰特級玉露』って決めてるもの! あとは器よ!」
氷雨はふたをじっくり観察していた。
「この茶筒のふたの寸分違わぬ密閉性……。すごく正確な腕だ」
麻沚芭は鼻息を出して財布をつかんだ。
「緑陰特級玉露……! 食通の父上が、一度は飲んでおけって言って、取り寄せてくれたお茶だ! お墓にお供えするのにオレも買っとかなくっちゃ!」
ところが、おばさんがさらっと言った。
「あらごめんなさい、緑陰特級玉露はここにはないのよ」
「えーっ!? なんでですか!? 帝室が買い占めちゃったんですか!?」
空竜が、姫でなかったら不敬罪に問われるようなことを言うと、おばさんは顔を引きつらせて営業用の笑みを返した。
「いえ……、『帝室御用達緑陰特級玉露』だけは、町長からしか買えないのよ。量に限りがあるから、信用できる緑茶商人にしか扱わせないし、一度に売る量も決まってるの。悪人による、このお茶の名声の不正利用や偽物の混入、そして不当な値段設定には、とても注意しないといけないからね」
「へえ。いいものは悪い奴もいっぱい狙ってくるからな」
出雲が霄瀾の選んだ茶葉を買ってから、一同は町長の家へ向かった。
山の斜面の緑色の茶畑に、手入れをしている人々が見える。
なぜか、上方の一部の畑が、茶色く枯れてところどころ焦げていた。
町長・茶越手茶々茂の立派な門は、お茶の木の枝を三重に編んで頑丈にしたものを使っていた。
生垣も、お茶の木であった。
客だと伝えると、軽く皺の入った使用人の男が、庭園の中の離れへ一同を案内した。
短く刈られた草の生える庭に、石の道。離れの屋根にも丈の短い草が、びっしり生えていた。一部屋のみで、四方のうち、一方は障子と縁台がある。
「お待たせいたしました。緑陰町町長、茶越手茶々茂です」
面長で、身体が上と下から引っ張られたような、細長い外見を持つ、皺が縦に伸びた八十代の老人が現れた。頭髪は、頭に茶の花のような白髪がこんもり生えているのみであった。
「帝室御用達緑陰特級玉露をお求めですとか」
「はい。ぜひ五袋ほどお売りいただきたいのですが」
紫苑が代表して伝えた。
「五袋ですか……」
茶々茂が八人を眺めた。客を装った商人かどうか、見定めているのだろう。
「悪く思わないでください。この特級玉露は私たちが人生を懸けて作り上げた、町民全員の命の結晶です。勝手な触れこみをして評判を下げたり、つまらない茶葉を入れてかさを増やして高く売られたりしたら、私たちの人生が台無しになる。大切なものを作ったら、作り手は、売る相手を選び、作ったものを悪用されないように、守らなくてはなりません。
自分の子供と同じですよ。安くしてそこらじゅうの人間に売り歩いたり、子供の価値のわからない相手に婿や嫁に出したいとは、思わないでしょう?
自分が手に入れた力を、何も考えず善意であちこちに教えてまわるのは愚か者です。
自分の人生を紙くずにして捨てているのと同じ。
自分が命を懸けて手に入れた力は、守らねば。
他人の物を、その人より上に立つ偉い人や役人だからといって自分の物のように扱って、自分がよく思われたいからといって敵の競争相手に秘密を教える者はさらに罪人です。
私は罪人にはなりません。この町の、人の上に立つ者として、この町民の命の結晶を守り抜きます。
そのためにまず客を見定めることをお許し願います。
しかし、もしあなたがご自分で何かを作っていらっしゃるなら、私の申し上げたことにご理解いただけると存じます」
紫苑たちは、平然としていた。
「すべてをさらすのは愚か者だということを、私も存じております。お気になさらず、どうぞご質問ください」
「特級玉露のことを、どこでお知りになりましたか?」
「都です」
空竜がにこやかに答えた。
「それは誰のどの店でしょうか」
「え? 店? ……うーん、税でやって来たんだけどな……」
「実は、私どもは都の総料理長、将間様のお屋敷に招かれたことがございまして、そこでそちら様の緑茶で、おもてなしを受けたのでございます」
紫苑がとっさににこやかに話した。
「はあ、将間様が……」
将間は帝室御用達にする食材をすべて味見しているし、不都合がないか自らも自宅で料理して食べている。茶々茂に一定の効果をあげた。
「……では、将間様とはどういうご関係で?」
来た。
しかし、これを乗り切れば買える!
「実は、私どもは、先の帝都での戦いで功績があり、特別に素晴らしい料理をふるまっていただいたのです」
嘘である。あとで将間に口裏を合わせてくれるよう頼まなければ。空竜のためなら、うまく茶々茂に言ってくれるだろう。
「おお!! あなた方は戦士ですか!!」
突然、茶々茂がびっくりして飛び起きたような声を出した。
「ちょうどいいところに!! 実は――」
「大変です旦那様!!」
さきほどの使用人が、片方脱げた草履に構わず、縁側に両手と片膝をついた。
「大ガラスの魔物が再び現れました!!」
茶々茂が一同に振り向いた。
「どうか、私どもをお救いください!!」
人間と同じ背丈にまで育っているカラスの魔物が、山の上方の茶畑で羽ばたいていた。羽ばたくたびに、炎が出た。それが、葉を焦がしている。
それをついばんでは、舌鼓を打つようにカカカカと鳴いていた。
「焦がした葉がおいしいようで、いつも好きなだけ食べては去って行きます。一週間前に現れまして、村の者で追い払いたくても、翼から出る炎で追い散らされてしまいます。今王都も大変なときですし、討伐隊は来られないでしょう。本当に困っていたところだったのです」
茶々茂が悔しそうにカカカカと鳴く大ガラスを睨みつけた、
麻沚芭が大ガラスのもとへ音もなく近づいた。
「おいお前。他人の物に手を出すのはやめろ」
大ガラスが旨いお茶のひとときを邪魔されて、じろりと目を回した。
「なんだテメエは。ここにあるもんが人間のもんだなんて、誰が決めた。自然のもんは、誰のもんでもねえ」
「これは人間が使うために人間が世話してるものだ。自然のものじゃない。金銭と同じ、人間の所有物だ。盗みを働くなら、罠を仕掛けてお前を食うぞ」
「へっ! やれるもんならやってみろ! 食通でいらっしゃる寒雨様に捧げる茶を味見するついでだ、てめえも生贄にしてやる!」
「寒雨!?」
突然大ガラスが口から茶色い丸い石を吹いたのを、麻沚芭はのけぞってかわした。土魂だ。麻沚芭の忍としての卓越した動体視力がなかったら、鼻か口に入りこんでいただろう。
「よけたか! じゃあ焼いてやるよ!!」
大ガラスが羽ばたきを始めた。そのたびに、翼の内側に炎が生じ、炎を伴う熱波が走る。
「ひっ! お茶が!!」
どんどん焼けていく茶畑に茶々茂が悲鳴をあげたとき、
「炎・月命陣!!」
「火空散!!」
紫苑と式神・出雲の炎の技が、大ガラスの左と右の炎の勢いとせめぎあい、その間に玄武の神水を神剣に漲らせた露雩が、大ガラスの頭から尻尾まで斬り下ろした。
大ガラスは、くちばしの中に土魂をいくつか隠し持っていた。
種を埋めて無力化させながら、紫苑たちは、寒雨が少なくとも飲食をする生き物であることを確認しあった。
「生かして寒雨の居場所を吐かせればよかったかしら」
「いえ姫様。くちばしの中に石が入っていたのですから、尋問の際に我々が犠牲になっていたでしょう。いよいよとなったら巨人化して、自滅する道を選んでいたはずです」
種を入れる空竜に、麻沚芭が淡々と次の種を渡した。出雲が困ったように腕組みした。
「でも、そう言ってたら、いつまでたっても本拠地……奴らの『聖地』が、わからないぜ」
「ところで、魔族というのは、本来死んだあとどうするのだ? やはり他の動物に食われるままか?」
氷雨が興味深そうに閼嵐に聞いた。
「んっ? その種族によって違うぞ。川に流す水葬、土葬、火葬、鳥が食べる風葬、金属で鎧う金葬……」
「なんだ。葬式は一貫していないのか」
氷雨が針を失った羅針盤のような気持ちになっていると、紫苑がはっとした。
「そうよ! 葬式よ!!」
山の大木に吊るされた大ガラスの二つの塊を、熊の魔物が縄を引きちぎってから、かついで走り去った。
それを、紫苑の十二支式神「酉」(鳥)が、羽ばたきもせずに風に乗りながら追う。
「うまくいったね」
霄瀾が紫苑に囁いた。
寒雨一派が神の力を標榜しているなら、必ず葬式が特別な形式のはずだと、紫苑が気づいた。そもそも宗教とは、死への恐怖を克服するために生まれたものだからである。葬式に特別な儀式を作るのは、どの宗教でも同じだ。だから、他の信者は、大ガラスを見て、「救われるように」死体を持ち帰り、その葬式を行うはずだ。
それを式神で追う。そこが『聖地』であれば幸運だし、拠点の一つであれば寒雨と接触する前にもっと情報が手に入る。
「どっちに転んでもうまくいくわ」
紫苑たちは、山を降りた。
「ないっ!!」
大ガラス退治の感謝のしるしに、昼食を用意していると言って先に家に戻っていた茶々茂の声が、三重に編んだ茶の木の枝の門から飛び出してきた。
「どうしましたか茶越手さん!」
茶々茂は、庭の片隅でたたずみ、この世の終わりのように目と鼻と口をいっぱいに広げて、首がぎこちなく傾いた。
「新作のお茶の木が、盗まれ茶ー!!」
その声は、再び門から外へ飛び出していった。
「落ち着いてください。まず茶越手さん、状況を説明してください」
紫苑が、泡を吹かんばかりの茶々茂を縁台に腰かけさせた。使用人が代わりに話した。
「旦那様は、緑茶の品種改良を日々研究なさっていまして、この庭にいくつもの試作品を植木鉢にして置いておいででした。ところが、皆様が魔物退治をするというので使用人も町民も全員茶畑へ行ってしまったところ――」
「たくさんある試作品の中で、次の主力の品種にしようと思っていた特級の鉢が、なくなっていたんダ茶葉ッ!!」
茶々茂がうなされたように叫んだ。
「茶葉……?」
「でも、盗んだ奴なら見当はついてるっ茶葉ッ! 樹木医の茶目乗ダ茶葉ッ! すぐ捕まえるっ茶葉!!」
「茶葉……」
もはや疑いようもなく、「茶葉」は茶々茂の口癖であった。普段は標準語を話しているが、演技できないほどの衝撃を受けたため、常に口癖と共に考えるという地が出たようだ。
「樹木医の茶目乗さんですか? 確かな証拠があるのですか?」
紫苑に向かって、茶々茂はわめいた。
「あいつしかいないっ茶葉! あいつは事あるごとに人の試作品にケチをつけて、病気になっても枯らすっ茶葉! 役に立たないヤブ医者と罵ったから、腹いせにわしの一番大事な鉢を盗んだんダ茶葉ッ!! あいつは昔からわしにつっかかってきて、ああ言っちゃあ、こう言うダ茶葉ッ! 話しあってやってるのにいつもまったくの平行線で、ほんとにあいつはふざけてるとしか思えない奴茶葉ッ!!」
茶葉ッ茶葉ッと唾を吐きながら怒り狂う茶々茂に、使用人が急いでお茶の葉の入った陶製の白く丸い器を、ふたを取って差し出した。
茶々茂は中身をわしづかんで口に放りこみ、茶葉を直接嚙んで、その苦味でいきり立つのを少し鎮めていった。
「すぐに茶目乗を捕まえて来い茶葉ッ! 裁判にかけてやるっ茶葉!!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
慌てて紫苑が止めた。
「盗んでなかったらどうするのですか!? 町長を続けてはいられませんよ!? 誰がこれから特級玉露を守るんですか!?」
それを聞いて、さすがに茶々茂も指示した手が握り拳の形になった。
「うぬう……おのれ、犯人がわかっていながらああっ!!」
茶葉ッ茶葉ッと唾を吐きながら暴れる茶々茂を、使用人が三人がかりで止めた。
「私たちが様子を見て来ますから、茶越手さんはもう一度お屋敷の中をお探しになっていてください」
紫苑たちは茶々茂を残して外に出た。露雩があたりを見回した。
「でも、どうするんだい? 元の匂いがわからないんじゃ、十二支式神の『戌』(犬)は使えないし。それに、そこら中にお茶の木の垣根があるし」
どの家にもあるそれは、戌を攪乱するだろう。
「三手に分かれましょう。私と露雩と閼嵐は茶目乗という人のところへ。出雲と空竜と霄瀾は町の人に何か見なかったかの聞き込み。麻沚芭と氷雨は、屋敷から盗まれたときの足跡や何らかの痕跡を探して。何かつかんだら私の指示を待たず、行動していいわ。私はあなたたちを信頼しているから」
「おう!!」
「はーい!!」
仲間たちは、散っていった。
茶目乗の家は、こじんまりとしていた。おそらく二部屋しかとれないだろう。その周りを、お茶の木の垣根が囲っている。
「閼嵐。普通のと違うお茶の木の匂い、わかる?」
「うーん、神器ならわかるんだが……」
閼嵐が鼻の穴を広げて深呼吸しながら家の周りを回った。
「庭のあたりに、たくさんお茶の木の植木鉢があった」
と、単に二メートルの長身を活かしただけの情報を持ち帰って来た。
「えっ!? まさか、その中に……!?」
「病気を治している最中の鉢だが、何だね」
葉っぱの形の眼鏡をかけた、茶々茂と同じくらいの年齢の男が、紫苑たちを不審げに見ていた。がっしりとした四角張った体格で、頭頂部だけ髪がなく、あとは耳の下まで伸ばして切り揃えてあった。
「あんた、茶目乗さんか」
「ああ、お客ですか? 今手一杯なんですけど」
「うーんと、うーん……」
閼嵐が紫苑に「どう言おうか」と視線を送ってきた。
「茶目乗さんは、私どものことをご存知ないのですか?」
「いえ、知ってますよ。大ガラスを退治してくれた人たちでしょう」
露雩と閼嵐が、目を丸くして見合わせた。
「どのように倒したか、ちょっとご説明いただけますか?」
驚くべきことに、茶目乗は一部始終をすらすらと言ってのけた。
「あなたは、ご覧になっていらしたのですね?」
茶々茂は昼食の用意のために、大ガラスが切断された時点で屋敷へ帰った。土魂に種を入れていたとまで説明した茶目乗に、鉢を持ち出す時間はなかったはずだ。
しかし、植木鉢は調べておく必要がある。
茶々茂は、盗まれたときのために、枝に「茶」の字を一画ずつ等間隔に刻んでいた。最初は「一」、次は「ー」、次も「ー」と刻み、全部組み合わせると「茶」の字が完成する。賊は枝を削って消そうとしても、等間隔に削るか広範囲に削ることになるため、結局見抜かれるか木をだめにしてしまい、盗み損になるのだ。
植木鉢を見たいと半ば強引に庭に押しかけて、紫苑たちは、狭い庭に最低限の風通しできっちりと並べられたお茶の木の枝を、素早く見た。
折れかけた枝をひもで巻いて固定したもの、白い肥料がまかれているもの、半透明の布で覆われているものなど、いろいろあった。茶目乗は、一つ一つの鉢に違う診断をしたうえで、すべてを毎日治療しているのだ。
よく見ると、かなりの鉢に「茶」が刻まれていた。
「え!? これは、茶越手さんの鉢では!?」
紫苑たちが混乱すると、茶々茂の名を出されて茶目乗が不機嫌になった。
「なぜあいつの鉢だとわかったんです? あんたら、なんか怪しいな。茶々茂に何か言われて来たんだろう! 白状しないと住居不法侵入で裁判所に訴えるぞ!」
「あなたこそ、なんで茶越手さんの鉢をこんなに……!」
「病気だから治してる」
「……」
紫苑は観念して、茶々茂の鉢がなくなったことを告げた。
「それであいつはわしを疑ったわけか。ふん、馬鹿め。あんなひ弱な木、誰がいるか」
茶目乗は鼻息を吹いて茶葉を揺らした。
「ひ弱な木?」
「あいつが品種改良して作る木は、いつも病弱なん茶! お前の人生を重ね合わせるような木を作るな、木がかわいそう茶と何度も怒ったが、やれ繊細な味がどうしたこうしたと言って、木を作っては、病気を治してくれと持ち込んでくるの茶! わしにも治せないものがあると言ったら、あいつはわしが樹木医のくせに木を枯らせたと言いふらす始末! もうそれ以来あいつの木は治しておらん。今ある木は、一旦引き受けた以上、手を尽くしてやりたいから面倒を見ているだけで、新しい木は死んでも受け取らん。
そんなわけで、わしは盗んどらん。おおかた木の方が、あんな奴のもとにいるのが嫌で、足を生やして逃げ出したん茶ろうよ」
「茶」の口癖はひとまず置いておいて、紫苑たちは、顔を見合わせた。まさか、魔族に進化したのであろうか。
「茶々茂は昔からわしの気に障ることばかりしてき茶! 適当に本を読んで肥料をやりすぎて、わしの茶畑まで病気で真っ茶っ茶にしたん茶! あのときはつかみ合いのけんかを周りに止められて……」
茶目乗が昔を思い出してわなわなと握り拳を固めた。
「お茶畑が隣なんですか」
話をそらすために紫苑が話しかけた。
「そう茶。家が隣同士だったので、わしとあいつは腹が立つことに幼馴染みなの茶。わしが図書館で借りる本をあとからあとから追いかけるように借りて『競争』とか言いやがったあいつの顔を、わしに絵心があれば世界の終わりまで世に伝えられたものを! 人を崖に追いつめる呪いの鏡のような奴茶と!」
相当な憎しみを抱いているらしい。
茶目乗は、白い陶製の丸い器を取り出すと、ふたを取って、中の茶葉を口に放りこんだ。
その苦味で、なんとか気分を鎮めていく。
茶々茂と同じことをしていた。
「とにかく! わしは知らん! どうせあいつが作る木は一年ももたん! 探すだけ時間のムダ茶と言っておけ!」
出雲、空竜、霄瀾の三人は、町の人々に、大ガラス退治を見に来なかった人がいないかどうかを尋ねると、小さな子供とその母親は家に避難していて、それ以外は全員見に行っていたという答えが返ってきた。
「町の外の奴の仕業かな……」
出雲と空竜が宿屋で宿泊客を調べようとしたとき、霄瀾は、ふと、お茶の木の垣根からじっとこちらをうかがう、五才くらいの男の子の存在に気がついた。
「(なんだろう? ボクにおとうさんとおかあさんがいると思って、うらやましいのかな?)」
出雲が気づくと、男の子はさっと逃げてしまった。
「……小さな子供だな。何か知ってるのか……?」
出雲たちは、慌てて追いかけた。
三人は、神社に到着した。
紫苑たちと麻沚芭たち、そして茶々茂が集まっていた。走って来た男の子は、びっくりして立ちすくんでいた。
「紫苑たち、どうしてここに?」
出雲の問いに、麻沚芭が答えた。
「屋敷の裏口まで何かを引きずったような跡が、そこから外は、何か丸いものを両輪で転がした跡があった。お茶の木を横に倒して転がして運んだと解釈して後を追うと、石畳に変わって跡がついていなかった。でも一本次の道路は、人々が大ガラス退治を見ていた道路だから、通れないはずだ。まっすぐ行ったと賭けて道を進むと、土の道に戻ったとき、再び跡を見つけた。それをたどってこの神社まで来た。茶越手さんを呼びに行ったら、茶越手さんに報告していた紫苑たちと、合流した」
「それより、ここで何をしているんだ茶々々(ちゃちゃちゃ)」
茶々茂がお茶の木の花のように色白の、ふっくらとした男の子に声をかけた。
「おじいちゃん……あのね……」
茶々々は慌てて、境内の隅に置いてあった自分の球を抱えこんだ。
そこへ茶目乗が、考え事をしながら、両手を着物の袖へつっこんで歩いて来た。
「やっぱりお前っダ茶葉ー!!」
茶目乗に飛びかかろうとする茶々茂を、急いで出雲が押さえた。
「んっ? なんでお前が神社にいる茶々茂。ここはお茶の神様を祀るところ茶。お前のようにお茶の木をわざと病気にさせ続けている奴の来ていいところ茶ない」
がっしりとした体格の茶目乗が、しかめっつらをした。
「治せないで死なせたのはお前だ茶葉ッ! それより、ついに証拠を捕まえた茶葉! 盗んだ鉢を見に来たんダ茶葉ろっ!」
「盗んだ鉢? ここにあったのか?」
「しらを切る気か……!!」
茶々茂がつかみかかろうとするのを、引き続き出雲が押さえた。
「とにかく、見てください」
麻沚芭が神社の裏手に一同を案内した。
「ええっ!?」
茶々茂以下、一同は目をみはった。
一メートルに育っているお茶の木の若くて元気のいい枝が、大きく折れていた。完全にはちぎれていないが、自力では絶対修復できないくらいの折れようであった。
「は、はわ、はわ、はわ、次の、特級、がっ……!!」
「茶葉」の口癖もつけられないほど深い衝撃を受けた茶々茂が、あお向けに倒れた。
「これは何かの球が当たったな。大きさは――そう、茶々々の持っているそれくらいの――、?」
茶目乗が枝の具合を目で見て、ふとまじまじと茶々々を見つめた。子供は、びくっと球を抱える体を震わせた。
「……茶々々、なんでここにいるんだい?」
茶目乗が優しく聞いた。
「……あ、あそんでた……」
「神社で遊んじゃいけない決まりだよね? ここはお茶の神様のいらっしゃるところで、わしたちの新茶を奉納する、神聖な場所だよ。球遊びなんか、それこそしちゃいけないよね?」
「だ、だって……」
「どうしてここにいるんだい?」
「……う」
突然、茶々々の顔が歪んだ。
「うわあああーん!!」
孫が泣きだしたのにびっくりして、茶々茂が上体を起こした。
大ガラス退治を見に行きたかったのに、連れて行ってもらえなかった茶々々は、腹いせに球遊びをしていた。そのとき、蹴った球がこの木の枝を折ってしまったのだ。そこからはもう、怒られないために無我夢中で、この神社まで転がして来たのであった。
「なんでまたここに運んだんだ。小さい体で、大変だったろうに」
茶々茂が不可解な顔をすると、茶々々は泣きながら答えた。
「お茶の神さまになおしてもらおうとおもったのに、なおしてくれないんだ。たくさんおいのりしてるのに! この人たちがこの木のことをしらべはじめたから、おいのりしながらあとをつけて……!」
茶々々は出雲を指差した。
茶々茂と茶目乗はしばらく呆然として折れた木を眺めていたが、先に動いたのは茶々茂だった。
「人間が望むことと、神様が人間に望まれることが同じことだとは、限らないんだったなあ茶葉」
茶目乗も木に近づいた。
「この年になるまでに、それがわかってたはずだったん茶がな」
木の枝を指でなぞった。
「治せるか」
「やってみよう。神様の仰せ茶」
「……今まで悪かったっ茶葉。茶目乗は、治した木の数の方が多い茶葉」
「わしもな、茶々茂があんまりにもわしに治せない木を持ってくるから、無力な自分が惨めで、その怒りをお前にぶつけていたん茶。悪かったな。……実を言うとな、わしはお前のとこのお茶は好きなん茶。今この神社にいるのも、盗まれた木が見つかるようにお祈りに来たからだったん茶」
茶目乗が白い丸い陶器を出して、にっと笑った。茶々茂も同じ容器を出してにやっと笑った。
「わしもまだ持っとる。お前がわしの誕生日に教えてくれた、茶葉のかっこいい食べ方ダ茶葉」
二人が和んでいるのを見上げて、茶々々がきょとんとしていた。
「……おこらないの……?」
茶々茂が穏やかに、孫の頬の涙を掌で拭いた。
「神様もこのお茶が飲みたくて、茶々々に運んでもらったっ茶葉。茶々々はいいことをしたっ茶葉」
「じゃ、なんで神さまはえだをなおしてくれなかったの?」
茶々茂と茶目乗は肩を叩きあって微笑んだ。
「本当に、我々人間は神様の途方もない組み合わせの上で生きておる茶葉」
「それも神様の思し召し茶な」
二人は仲良く植木鉢と枝を持ち上げ、茶々々に「おいで」と声をかけ、帰って行った。
その後、茶々茂は帝室御用達緑陰特級玉露を十袋も、お礼として紫苑たちにくれた。
広場で子供たちが「キャー」の代わりに「茶ー茶ー」と言いながら、走りまわって追いかけあっている。大ガラスも退治され、茶々茂と茶目乗の仲も修復され、町民は「茶っ茶っ茶っ」の笑い声溢れる日々を取り戻したのであった。
「全員『茶』の口癖を隠し持っていたんかい!!」
出雲が外部の人間を代表して一人で叫んだ。
「星方陣撃剣録第一部紅い玲瓏十二巻」(完)




