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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第二章 式神を撃つ目
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式神を撃つ目第一章「道具」

登場人物

あかみやおんそうけんであり陰陽師おんみょうじでもある。

出雲いずもしんけん青龍せいりゅうを持つ炎のしきがみ

しょうらん神器しんきたてごとすいきょう調しらべを持つ、竪琴弾きの子供。


 人間に傷つけられた式神・出雲が、悪人をすべて殺す主人公・赤ノ宮紫苑の考えと向きあう。


「挿絵について」

 一巻をお読みいただくとおわかりになりますが、一章ずつ、かりやすく、読みやすくなるように改善しております。すべての章が終わるまで、誠に勝手ながら、挿絵の続きはもうしばらくお待ちください。




第一章  道具



 少女は泣いていた。

 なぜ誰も私を理解してくれないの。

 私だって好きでこんな力をほっしたわけじゃない。

 誰にも押しつけられないから、持っているだけなのに。

 この世に悪人がいるのが悪いんだ。

 悪人になる人間がいるから悪いんだ。

 人間さえやさしさに包まれていたら、私は剣など持たずにすんだのに。

 ああ、憎い。人間が憎い。救われても救われなくても拒絶するなら、いっそ滅ぼしてしまいたい――!

 少女の両手が涙の代わりに双剣のつかを持つのを、男の力強い両手がやわらかく包みこんだ。

 少女がはっと顔を上げると、ぎゃっこうで顔のわからない青年が、どうだにせず立ちはだかっていた。

「世界中の人間に心を理解される人間なんていないよ。一人でも君を信じてくれる人を大切にしなさい。そのとき君は君を抱きしめられるから」

 しかし少女は食って掛かった。

「そんな人、今まで一人もいなかったわ! 父上以外はみんな、私の力に恐怖するか、利用しようとするか、どちらかだった! 誰も私に――!!」

 言いかけて、少女は言葉が詰まった。

 青年が少女の頭に大きな手をのせたとき、言いかけた言葉が消滅してしまったかのようだった。

 そして、青年は低くささやいた。

 少女は激しく頭を振ってぜっきょうした。

「ならどうしてあなたはここにいないの!!」


 涙を流しているのに気がついて、あかみやおんは目がめた。

 燃えるルビー色の、肩までの髪。美しく色づいたもみを思わせる、あざやかに赤い瞳。

 宝石群の結晶のように、かたく美の結集されたその顔立ちは、他の同性を圧倒することうえなく、何か砕けない決意が表面からうかがわれても、なお、そのゆうさは多くの男性をりょうするにあまりある力が存在していた。

「……また、あの夢か……」

 薬指で目元を払ってから、帯の左脇に一緒に差しておいた双剣を手に取り、左右の腰に一本ずつ正しい位置に差し戻しながら、紫苑は体を起こした。

 となりで寝息をたてていた子供が、横にしていた体をあお向けて、無意識のうちに紫苑の袴のすそを、三本の指で軽くつかんだ。

 紫苑は穏やかに目元をやわらげ、そっとその子供――しょうらんのイチョウ色の髪の毛をなでた。

「夢の中のあの人より、今いる人を大切にしなければ」

 紫苑の夢に出てくる青年は、おさない頃の紫苑が他人にきょぜつされて傷ついたり、裏切られて憎しみをつのらせたりしたときに、いつも泣きむまでそばにいてくれた。

 夢の中だけで。

 赤い髪の美しい少女は、いつしかこの逆光で一度も顔の見えない青年に、恋をするようになっていた。

 この人はどこかに実在していて、きっと私が探し出すまで、両手を広げて待ってくれている。

 私はこの人にとってどもみているかもしれない、でも私は伝えたい、この気持ち――!

 なぜなら紫苑は、夢の中で告白しようとしたり、青年の住む所を尋ねようしたりするとき、なぜかすべての行動が禁止されたように世界が止まり、何もかもが始まる前に既に終わったかのような錯覚を起こし、一言も口をきけないまま夢が終わっていたからである。

「会いに行っては、いけないのかもしれない」

 紫苑はどこか絶望的な気分になり、夢の中で青年といるときはうれしいけれども、いつかは忘れようとちかったのだった。

 いつも会えないあなたより、私のそばにいる人を。

 そうは思っても、悪人を殺戮する剣の舞姫として恐れられる紫苑に、青年以外に心許せる存在が現れるはずもなかった。

 ついいっげつほど前までは。

 今、紫苑のそばには二人いる。

 一人は、静かに眠る、イチョウ色の髪の子供、神器しんきすいきょう調しらべという竪琴を奏でる霄瀾。黄色系の衣を着ている。

 もう一人は、陰陽師でもある紫苑の、炎のしきがみ出雲いずもだ。こちらも、青系の衣を着て、あっゆるばるかの封印の役目を終えて斬る力を取り戻したしんけん青龍せいりゅうをしっかりと握りつつ、藍色の髪とたんせいな顔を安らげてじゅくすいしている。

 この二人は、紫苑の悪人に対する虐殺剣姫を見ても、変わらず接してくれる。だから紫苑は、この二人のおんせいじつさでこたえようと思うのだ。

「うーん……紫苑、この煮つけうまいぞ……一生……」

 寝言をつぶやいている出雲に、ここは誠実に対応しよう。

「一生、何?」

「うん……一生……作っ……」

 出雲はそこまでゆめうつつだったが、突然この世の百のふしぎにいっぺんに出会ったような顔をして目一杯瞳を広げると、自分を覗き込んでいるあるじぼうを見て悲鳴を上げた。

「わーっバカ! 覗き! 労働条件のかいぜんを要求する!!」

「何言ってんの?」

 そのやりとりで霄瀾が、その黄色にきらめく、くりっとしたあいらしい目を覚ました。

「おはよう。もうみんな起きてたの? ボクも起こしてくれなきゃずるいよ!」

「あらおはよう。私たちも今起きたところなのよ。待っててね、すぐ朝ごはんにするから」

「これからはぼうすいみん時間は地獄じごくいっちょうだ! いい夢だったのに、くそーっ!」

 ぐらをかいた出雲が銀のしずく色の瞳を固くつむって地面に向かってもだえしているのを眺めながら、霄瀾はキノコを用意している紫苑に尋ねた。

「よっぽどこまった夢を見たんだね? 出雲は」

「さあ……煮つけの夢だからあんなに苦しむことないと思うんだけど……」

 そして、ふところから「なべ」としるされた札を取り出すと、まりの球よりもう一回り大きい石にりつけた。

 とたんに、らに転がっていた丸い石が、石鍋に変わった。

 陰陽師における札の扱い方の、応用編である。

 書いた言葉が、その貼られた材質に作用して、へんけいを行わせるのだ。

 霄瀾が今まで三人の寝ていたしんから「とん」と書かれた札をがすと、たちましきも掛けとんも、木の枝とそれに伴う大量の葉々にかえった。

 自分専用の包丁を持っている以外は、紫苑は一切、家財道具を持ち歩かない。

「一家に一人、陰陽師ってね!」

 キノコ鍋をぐつぐつ煮ながら、紫苑は笑った。すると、きょうこう状態から回復した出雲がにおいに釣られてやって来た。

「ふーん、うまそうだな。食べるときとうがらとしょうゆ、いっぱいかけようっと」

「ヒトの料理を調味料で食べるのやめなさいよッ!!」

 濃い味が好きすぎる出雲に、紫苑はおたまを振り回した。

 キノコ汁に唐辛子としょうゆを大量に投入する出雲をしようとする霄瀾を引き止めながら、紫苑は、今夜は自然の野菜を見つけて煮物にしようと、ひとごとを言った。

「紫苑は料理、好きなの?」

 キノコの香りとそれに染みた調味料をよく嚙んで味わいながら、霄瀾が尋ねた。

「そうね……。私、旅に出られてとっても楽しいわ。本でしか知らなかった新鮮な食材に、めぐりあえるかもしれないでしょ。ずっと料理したいと思ってた料理も、本場で思うぞんぶん学べるだろうしね。まさに料理人として、みょうに尽きるわね」

 紫苑は続けて、ニヤリとあやしいみを浮かべた。

「変わったそうさく料理も、続々とひらめくに違いないでしょうしね……」

「ボクらでためす気だね……!?」

 グフグフ笑う紫苑から、霄瀾が身を引いた。

「ボクはお塩をふったやきとりがあればいいから!」

「そうはいかないわ!!」

「なぜ!!」

 霄瀾が叫んでも、紫苑は長いことグフグフ言っていた。

「毎日食材の組み合わせのやりくり……ちょうせん料理……新しい創作……だーい好きっ!!」

 それを聞いて出雲は、その女の子にかっこいいともてはやされるであろう素敵な顔に手を当て、め息をついた。

「旅に出てから、好きなことを好きって言えるようになったってことだが……」

 つい数日前、紫苑の剣の舞姫が、あっゆるばるかを倒したのが、遠い過去のように思われる。

 生まれてきた使命を終えた紫苑は、式神の出雲と竪琴弾きの霄瀾を連れて、ままな旅に出ることにしたのだ。

 とりあえず、善政とうたわれているていへ、月宮のしかばねを越えて向かってみるつもりだ。

 自分の守ったものに価値があったのか、この世界でうえ自分に生きる意味があるのか、知るために。

 もし運命がまだ自分を放さないのならば、何度でも戦うために……!

 思わず双剣に目を落とした紫苑に、大人数の逃げまどう叫び声が聞こえた。そして、それにを掛けて追う男どもの声。

 けものの皮をまとった追いぎたちが、商人の一隊を襲って、品物を馬ごと横取りしようとしていた。既に何人もの商人がまりに顔をけている。

 紫苑の全身の血がさかいた。

 自分がいのちけで燃ゆる遙を倒したのは、無駄だったのか?

 自分はこんな世界を見るために、生きているのか?

「こんなことをするために、生きられるというのかァーッ!!」

 紫苑から白き炎が噴き出し、剣姫として追い剝ぎの群れの中へ突入した。

 抵抗できない商人を、とうでも刺すように笑いながら殺していた追い剝ぎどもは、一撃で胴体を斬り離す剣姫のけんあつに、仲間の悲鳴と噴き上がる飛沫しぶきで気づいた。

「なんだこの女!?」

「化け物ッ……!!」

 剣姫の剣が舞うたび、何かが噴き飛んだ。

 すべての追い剝ぎが恐怖し、足がすくんだとき、竪琴の音が流れ、高い金属音が耳を打った。

「……出雲!! 貴様、じゃをする!!」

 霄瀾の五芒星の形をした竪琴で、剣姫が発動しても動けるようになった出雲が、せいりょう色のしんけん青龍せいりゅうを抜いて、紫苑の剣を受けていた。

 紫苑は陰陽おんみょう均縛きんばくじんの札を常に身につけていて、霄瀾の竪琴で力が抜ける弱点を、こくふくしている。

「どうしてお前は自分から傷つく世界に飛び込もうとするんだ! こいつらは捕まえて手口と拠点の場所を吐かせればいい! お前が手を汚す必要はないんだ! 違うか!」

 出雲は耐えられなかった。剣姫の使命を終えたはずのあるじが、剣姫のしょうを見せれば、必ずまた人々からうとまれる。

 もう、この自分の心に正直すぎる少女が、傷つくのは見たくない。

「オレが剣姫おまえを止める! もう……お前は自由に生きて……!!」

 しかし、紫苑の目は据わったままだった。

「何の気の迷いか知らないが、出雲、この私の剣舞を止めるからには覚悟しろ! ようしゃはせんぞ! ハアッ!!」

 紫苑とまじえていないもう片方の刀を受けて、出雲は風圧で地面に八の字を両足で書いた。

 出雲にかまわず追い剝ぎを斬ろうとする紫苑に、慌てて追いすがる。

「待て! オレは絶対お前を止めるぞ!」

 出雲の渾身の太刀が紫苑の振り下ろしをはじく。

 だが紫苑の重いけんさばきに、出雲は地面に踵をめながら、一歩また一歩と後退していく。

「こんなに強かったのか!?」

 剣圧にみ込まれそうな出雲が、必死に刀でくうを斬り裂いた。圧力は晴れたが、剣姫の斬撃が突いてくる。

「私の人生に関わりない奴は、黙ってろ!」

 それをかんいっぱつで首をかたむけてかわした出雲は、主の剣技にかなわないことをさとった。

「出雲!!」

 頬の上を切った出雲に、霄瀾が息を高く吸い上げた。

「だからって……っとけるわけねえだろ!!」

 出雲が腰を低く落として下段攻撃に構えたとき、急に力が抜けてあしから崩れた。

「もうやめてー!!」

 霄瀾が神器しんきの竪琴を弾くのをめて、紫苑の足に抱きついていた。竪琴の音がなければ、剣姫と同じ時に式神いずもは動けない。

 紫苑が冷ややかに子供を見下ろした。

「離しなさい霄瀾」

「やだ! 紫苑やだああー!」

「泣くな。私はあなたのような人たちが泣かないために戦っているのよ」

「でも紫苑が恐くなるー!」

 剣姫にとってはどうでもいいことだった。

「いつかは誰かが殺すのよ。それを私がやるだけ。魔族は平気で殺しても、人間は助けろっていうの? それは差別じゃないの?」

「そ、それは……」

 ひっくと霄瀾が力を緩めた隙に、剣姫から白き炎が噴き上がり、逃げおおせようとしていた追い剝ぎの残党に伸びて、焼き尽くした。

「この世の悪として魔族だけしゅくせいして、人間だけ助けようなんて虫がいのよ。悪には魔族も人族も関係なく死を与えるべきよ。それが平等ってものよ」

「そ……そんな……」

 人間の死体に抵抗を持つ人間の子供は、ただ紫苑の言葉に目をゆがめた。

「でも、理由もなく悪いことする人なんていないよ」

 やっとしぼり出した霄瀾の言葉を、紫苑はそくに否定した。

「いいえ。人間は与えられた環境の中で踏ん張るべきなのよ。それなのに、一線を越えて悪事に手を染めた連中は情けをかける必要はないの。己の欲に負けた、世界の敵ですもの。倒さなくてはいけないのよ」

「……ボクは……、その人のなやみを解決してあげるのが一番いいと思う」

「じゃあがいしゃはどうするの?」

「え?」

 驚きと戸惑いの表情を同時に浮かべる霄瀾に、紫苑は続けた。

「殺されてたら? どう解決してあげればいいの?」

「ボ……ボクは……」

 じわと目に涙が溜まり始めた子供の肩に、紫苑は優しく、しかししっかりと手を置いた。

「……ごめんね霄瀾。でも私……答えが見つからない以上、殺し続けるしかないの。でないと……正義というものが誰のためにあるのか、見失うのがこわいの」

 紫苑に戦う理由をくれるもの、禍々しい気を抑えてくれるもの、その正義が根底から崩れたら、紫苑は何を守りたいのか、わからなくなってしまう。その先にあるのは、力の暴走だけだ。

 そうしたらそのときは、本当に紫苑は――。

「紫苑?」

 頬に汗を流した紫苑の手を、霄瀾がつかんだ。

「運命は……変えてみせる!」

「(だれか……だれか紫苑を止められる人があらわれてほしい……)」

 霄瀾は、ひとりでなんでも決めてしまう少女を思い、うつむいて上唇と下唇を押しあった。

 そんな子供の様子を見たとき、紫苑はなぜか顔中の血流が温かく巡るような気がした。

「(守るべきものを守ってこそ、力は力なのね)」

 そして、微笑んだ。

「私は、世界のために生きたいだけよ。そんなことが難しい世界で、そう生きてみたいの」

 しかし霄瀾が返答するより早く、

「ば、化け物だぁー!」

 と、誰かが叫んだ。

 見れば、刻まれた追い剝ぎどものがいの中から各々の荷物を回収し終えた商人たちが、生き残った馬を引きながら、紫苑たちから逃げ去るところだった。

「なんてひでえ殺し方だ! 人を人とも思わねえで、人間じゃねえ!!」

「おい、あの女のとくちょう、次の町の連中にも教えとかないと!!」

「みんなむごたらしく殺されるぞ!!」

「しばらく静かだと思ったら、財産を取り戻すまでは……か」

 紫苑はしっしょうした。本当は心の中で傷ついていたのだから。諦めと期待と憎しみ。この三つの感情は、もう慣れっこだった。

「おいお前ら! 一言礼ぐらい言って行け!!」

 商人たちを追い掛けてなぐろうとする出雲を止め掛けて、急に紫苑は膝から崩れ落ち、とっさに前腕をついて痛みを分散した。

「どうしたの紫苑! ボク、竪琴弾いてないのに!」

「……やはり、間違いないな……」

 苦しげにうめく紫苑の異変に気づいて、出雲が駆け戻ってきた。

「なんだ? お前、禍々しい気にしばられ掛けて――!?」

「いい機会だ。二人とも、聞いてくれ。今まで気のせいだと考えないようにしてきたが、そうもいかなくなった。どうも私の白き炎は、悪人の体だけでなく、その欲望もき尽くすような手応えがある」

「欲望まで!? じゃ、お前の白き炎に耐えられれば、そいつは善人になるのか!?」

「世界中の人たちを聖人にできるんだね!?」

 予想もしなかった剣姫の解決のとっこうに、二人は目をかがやかせた。

 しかし、紫苑は苦しげな顔を和らげなかった。

「白き炎で燃やした欲望という穢れは、白き炎を再び取り込む私に一緒に吸収され、少しずつこの身をむしばんでいるようだ。白き炎を使うと、どうも体の調子がおかしかった。私はなるべく白き炎を使わないよう、剣を中心に戦うことにしていたが、やはり穢れは確実に溜まっていたのだな。今日は初めて脱力を起こしてしまった」

 白き炎を悪人に使えば、紫苑の望む正しい人間に生まれ変わる。しかし、その代わり悪人が持っていたあっの分が、紫苑に移動して、彼女に悪のちりちくせきする。

 それなのに、紫苑は自分の中で白き炎を封印しなかった。

「自分の身を滅ぼしてまで、なぜ白き炎を使うんだ!」

 出雲は耐え切れずに叫んだ。紫苑は何者の目も直視しないかのように視線を下げた。

じんにこの力を与えられて、私は神を信じているし、憎んでもいるのだ。けれど、力を持つ者は正しいことのために戦わなければならない。それが力を持った者の使命だ。

 でなければ、私は何のために生きているのか。ただめしを食い、人並みに笑い、一生を終えるためか。

 それは違う。

 人には必ずてんめいがある。

 その者にしかない力が必ずある。

 白き炎で正しい力を世界に刻むことが私の使命だ。たとえこの身が傷を受けても、私は傷つきながら走る。人は自分に与えられた力をまっとうできなければ生まれてきた意味はないのだ」

「そう思うことが、お前が選ばれた理由なのか! お前、そんなの……」

 紫苑は出雲の言葉を手で制した。

「他の誰にも任せられない。こんなことは、私だけで……」

 しかし出雲は声を出してその壁をやぶった。

「そんなの、お前が犠牲ぎせいになって世界がまわっていくってことじゃないか! なんでそれでいいんだよ! そんなの、そんなの……!」

「私には愛する人がいなかった」

 夢以外の現実を遠い目でかいそうして、少女は呟いた。出雲は多少、ひるんだ。

「その代わりに天は私に世界を愛することを教えてくれた。可能性だけだったけど、私は嬉しいんだ。世界の役に立てるなんて、愛するもののために戦えるなんて、なんと素晴らしいことだと思わないか」

 この人は世界を愛してなどいない。出雲はもう何も言えなかった。自分を拒絶するこの世界を、同じだけ憎んでいる。世界に居場所がなくなるから、世界を愛しているりをしているだけなのだ。

 ゆるばるかを倒してせんこくの民に受け入れられることを期待し、一度は心から愛せるようになっても、人々に疎まれればまた怒りが生まれる。この人の人生は、人を信じ、裏切られ殺意がたぎるの繰り返しだ。善人を守るために悪人を斬り、善人に拒絶されるのに、善人が悪人にがいされるのを黙って見ていられない。本当はいつか自分を受け入れてくれると信じている。全世界を愛し、それゆえ全世界にふくしゅうしたい、なんとりょうきょくたんで、なんと耐え切れない人生であろう。

 自分の満足のいく戦いをげられたら、これほど幸せなことはない。愛と復讐、どちらのために戦うのか、彼女自身にさえわからなかったとしても。だが……。

「正しいことをするのに傷つけられるなんて、理不尽だ」

 白き炎が悪気あっきを浄化するのは間違いないのだ。だが出雲の言葉に対し、紫苑は硬い結晶のように顔を引き締めた。

「誰かを傷つけるときは、自分も裁かれるのだ。たとえむなくだったとしても……。罰せられても構わない覚悟を決めたならば、天は力を与えるだろう。傷つく覚悟のない者に、どうして天は戦うための天命ちからを、信じて与えられようか」

「お前の決意が確かなのはわかった。だがな……オレはお前に従えるかどうかわからない。お前と共に世界を救うのか、悪人をお前から隠して正しいお前を救うのか、どちらが正しいことなのか、したいことなのか! オレにはわからない!」

 答えの出せない出雲に霄瀾がしがみついた。

「出雲、紫苑をたすけてあげて……!」

「戦いにこそ生きてる価値があると思うことが重要なのか、戦わないで、未来にあるかもしれない幸せに縋ることが重要なのか、オレにはわからない」

 出雲は固く目を閉じた。誰か、答えを、教えてくれ――!

ひとしを殺すまで剣姫が止まらないなら」

 紫苑はどうして笑えるのか、口のりょうたんを吊り上げた。

めつ的な正義だね」

 出雲でも止められない殺戮姫を止められるのは、きっと彼女自身だけ。しかし止められないなら行き着く先は、全人類の虐殺だ。なぜなら彼女は自分をした全人類に復讐したいからだ。

 彼女が今笑えるのは、そうならない可能性を諦めつつあったからだ。

「この人は、もう世界の結末を決めているのかもしれない」

 しんに並ぶ剣士を、止めるために自分も命の覚悟をすべきなのだろうか、出雲は口を閉じたまま唇の内側を嚙んだ。

 多感な少女時代に、人間すべてから避けられ、円状に空間ができるほど近寄られさえしない孤独を味わってきた紫苑は、傷つくばかりで己をいやすことを知らなかった。

 笑ったらこの状況で何がおかしいのかと気味悪がられる。着飾ってもみな目をらす。「ここにいてはいけない人間」のように扱われる。

 どこにも少女に居場所はなかった。

 誰に対しても恐怖と嫌悪を与えてしまう。虐殺の衝動もなく、祝女はふりめの仕事をしているときでさえ。

 どんなに人を信じて、愛してほしくても、その思いは裏切られ続けた。

 ボロボロになって、一度も癒せないこの心は、いつしか「血の復讐」にられ、強固な結晶として固められていった。

 その結晶が砕けたのは、燃ゆる遙と戦ったときだったが、また人々に裏切られれば、結晶は育ってしまう。

「でも、今は独りじゃないから、きっと大丈夫」

 出雲と霄瀾がいると、なぜか心の出血が止まるような安定を得る。

 止まるだけだけれども、その感覚が紫苑には嬉しかった。

 紫苑はサンッと頭を振って、頬に張りついた赤い髪の毛を後ろに戻すと、死骸に視線を送った。

「それにしても、ちょくちょく出るのかしら、追い剝ぎども」

やまわき将軍が教えてくれたんだけどな、月宮が死んで帝のしんが崩れたから、各国が活発化して再びこくじょうせんごくだいになり掛けてるらしいんだ」

「えっ! ボクたちのせいで!?」

「オレたちのじゃない。たぶん諸国の王は引き金を待っていたのさ。なにせ……」

せいほうじんせまい範囲の封印術だったものね」

 紫苑が後を引きいだ。

 星方陣はあめりの日に降った伝説の陣で、何でも願いがかなう、魔族と戦うための、人族側の起死きし回生かいせいかいてんの力になるはずだった。

 人族側は、星方陣で魔族をすべて滅ぼしてもらおうと心のどこかで期待していたのである。

 それが燃ゆる遙との戦いで、実体が知られてしまった。それなら、魔族の領土にいっこうに攻め込まない現帝国ではなく、自ら帝となって戦争を行った方が目的は必ず達せられると、諸王が考えたのも無理はない。

 諸王は、もともと帝に任命された「国守こくしゅ」とされている。しかし、本来はその地を代々治めていた王がふくじゅうしたものだ。現地でも政治的通称でも「王」と呼ばれていて、既に反乱のじょうはあるのだ。

 それでも帝が王の国替えをできなかったのは、魔族と戦うときに各軍を扱い慣れている人間でないと、どんなゆうしゅうな兵士たちでも負けて死ぬことが明らかだったからだ。

「誰が帝になろうとかまわないわ。よりぐんりゃくすぐれた、賢い者に兵をひきいてもらうのが一番いいもの。命を懸けるのはこっちなんだし」

 月宮のときと同じように、どんなに立派な行動をした主人に対しても、たんぱくな感想しか持たない紫苑は、肩を叩いた。

「うーん……体が重いような気がする。ちょっと川で水垢離みずごりしてくるわ。待っててくれる?」

「わかった」

「いってらっしゃい」

 男の子二人は木の根元に座って、赤い髪の少女を見送った。

 静かな時が流れた。

 風がさわさわと葉をらすのを眺めながら、出雲は、おさない子供と二人きりで話すことはなんだろうとぼんやりと考えた。

 そっと霄瀾に目線を移すと、子供は、風に髪を吹かれながら、出雲と同じように、葉々を見上げていた。

「この葉っぱが好きなのか?」

 そう問い掛けようとしたとき、出雲は霄瀾の顔面に鋭く迫る矢を、神剣・青龍で半分の長さに叩き割った。

「てめえら!!」

 出雲としたことが、かつであった。追い剝ぎを退治して気の緩んだところへ、別の集団に囲まれていたのだ。

 新手の追い剝ぎどもはゆみたいが中心で、遠くから射掛けてくる。

 霄瀾をそれからかばいながら、押し寄せる刀持ちの追い剝ぎたちと戦う出雲は、不利な状況に危機を感じた。

「竪琴弾いて紫苑に気づかせろ!」

 言い終わらないうちに追い剝ぎの一人が、三人の荷物を奪い取った。

「あっ!!」

 盗んだ連中はてんでばらばらな方角へ逃げだし、一瞬出雲はどれを追えばいいのかとちゅうちょした。

 荷物を奪えばもう二人に用はない。追い剝ぎどもは矢を射掛けて二人の動きを止めながら、次々に散らばり去っていった。

「お前はそこにいろ! 紫苑を待つんだ!」

「出雲は!?」

「荷物を取り返す!」

 どれを追えばいいのかわからない霄瀾は、駆け出す出雲の判断に従うしかなかった。

 出雲は最後に逃げた追い剝ぎに狙いを定めて、気づかれないように追っていた。

 どんなにばらばらに逃げても、最後はどいつも同じ場所で落ち合うはずだ。まえの分配があるからだ。散らばって逃げるのはものの護衛兵力を分散させるためで、追いつかれれば少人数になったところを仲間に合図して囲んで殺すし、追いつかれなければ――。

「自分の最も得意な道順をたどる。追っ手を完全に振り切るために」

 およそ道と思えない腰丈の草むらを一直線に駆けていく追い剝ぎを、木の枝から枝へ飛び移って追う出雲は、後で帰り道に迷わないよう、しるしをつけるのも忘れなかった。

 人の気配が増えてきたのでしんちょうに進むと、岩に囲まれた、ひらけたぼんが出現した。

 直径五十メートルの円状の盆地に、追い剝ぎたちが集まって、手を叩いて喜んでいる。

「オレたちの荷物! ん? 他のは……襲われてた商人の荷物についていた印だ。いくつかは盗まれていたらしいな」

 出雲は、せんひんを見て喜ぶ追い剝ぎたちを数えた。その数、三十。

 なんなく倒せる数だ。

 だが、出雲は刀に掛ける手が止まった。

 ここで人間たちを斬ったら、剣姫の殺戮を止める資格が、自分にはなくなるのではないか?

 むごい殺し方をしないだけで、剣姫と同じことをするのだ。

 なら魔族は殺してもいいのか。

 人間だけひいきするのか。

 人間を人間が殺す「共喰い」をしても、それが剣姫の疎まれる真の理由だったとしても、守るべき「心」のために戦ったから、人間を愛していたから、剣姫は同じ「共喰い」の燃ゆる遙に勝てた。

 出雲はそこまで人間のことを深く考えたことがないし、答えも出していない。そんな人間があんに「共喰い」をすれば、理性は失われ、人としての一線を越えてしまうだろう。

 今は、まだ。殺さない方がいい。自分自身のために。

 剣姫をとても遠くに感じながら、出雲はその場を離れ、小川へ向かった。

 そして、葉のたくさんついた枝を植物のつるでいくつかまとめて、首の穴だけあいた、前も後ろもおおみのを作り、次に服を脱ぎ始めた。

 上衣も帯も袴も外していき、ついに何も身に着けないところまで到達した。

 筋肉は必要最低限しかついていないが、逆に体は作り込まれていて、剣を振るのにふさわしい、引き締まった体をしていた。それでいて動く様は、無駄のないしゅんぱつりょくを身につけている、しなやかさを見せていた。

 全裸のまま、黄緑色の葉を持つ油混ゆーこんという木にる、直径五センチのごつごつした茶色の皮を持つ球体の果実をいくつももぎ、握りつぶして土と混ぜ合わせる。茶色い油性の液体ができた。

 そして、顔といわず胸といわず脚といわず、すべての皮膚にその液体をりたくり始めた。

 褐色の肌を演出してから、同じその木を燃やして炭を作り、再び果実と混ぜ合わせて黒い油性の液体を作る。それを肌にこすりつけて、顔や体にけのように線や点の模様をつけていく。

 下着をはいて、さきほど作った蓑を上からかぶれば、簡単な草の衣をつけたちゃくの戦士の誕生だ。

 出雲の顔は追い剝ぎどもに知られていたから、へんそうする必要があったのである。

 脱いだ服を草むらに隠し、青龍の神剣を草の衣のかげひそませて、道々草をみながら、追い剝ぎどもの盆地へ向かった。


「おい、見ろよこのくびかざり! 高く売れるぞー!」

「さすが商人どもだぜ、金貨もへいもたんまり!」

 かんだかい耳障りな笑い声で、目口を緩ませる追い剝ぎどもに、ひときわ長い毛皮の服を着たしゅりょう銅鑼どら声でいっかつした。

「やいてめえら! 勝手に荷袋開けるんじゃねえ! 全部俺様の目の前に並べろ!」

 追い剝ぎどもはちぢみ上がって、金や塩をこぼしながら、駆け足で首領のもとへ袋を運んだ。

「よーうし、これから中身をぎんして、分け前を決めるからな!」

「うおー!!」

 いよいよ追い剝ぎどもの最大のお楽しみの時間だ。今ここにいない仲間がどうなったかなど、一人も興味を示さない。

 仲間が一人減れば、分け前が増える。ただそれだけのことだからだ。

「まずは、このきんからだ! てめえら、器を持って並べ! 一杯ずつ持ってけ!」

 首領の言葉に、野犬と化した追い剝ぎどもはわれさきにと駆け出し、砂金の袋にむらがった。押しのけ合っている間に、

「オイ、オマエタチ」

 という、発音の変わった呼び声が聞こえ、目つきの悪い男たちは一斉に振り返った。

 盆地の入り口に、土着と思しきかいじんたたずんでいた。

 このごせいに、草でできた蓑に、まじないの模様。手には大量の草をつるで縛ったものを握り締めている。

 もちろん、出雲だ。

 人相の悪い男たちは、大口を開けてげらげら笑い、腹を抱えた。

「なんだお前! いつの時代のバカだ!?」

「どこに行きゃいるんだ!? もの小屋へ売り飛ばしてやろうぜ!!」

 しかし首領だけはじっと出雲をうかがっていた。

「なんだてめえは」

「オレ薬草売ッテル。買ウカ? 買エ!」

「ああ!? それが人に物を頼む態度かコラァ!!」

「てめえら黙ってろ!」

 首領は再び出雲に口を開いた。

「薬草って、何に効くやつだ」

たいりょくぞうきょうダ」

「じゃ、一つてめえが見せてみろ」

「ワカッタ」

 出雲は草のたばから一本引き抜くと、よく嚙んで飲み込んだ。そして青龍をサッと抜くと、人が三人は腰かけられそうな大岩を、一刀いっとう両断りょうだんのもとに割り離した。

 式神に変身していなくても、出雲はこの神剣・青龍がとても頑丈で、おそらくえいきゅうに折れないだろうということをそくしていたので、青龍の力を借りて力技で岩を割ってみせたのだった。

 その大技に男たちは声が出せずに、口を開けて、ただ岩の割れ目と出雲を見比べていた。

「いい剣だ。お前の力に耐えた」

 首領は目を光らせて、出雲ではなく剣に集中した。出雲は顔色を変えなかった。

「コレ、最強戦士ノあかし。一番強イヤツ、持ツ」

「じゃあ、この中で誰かお前よりも強かったら、貰えるんだな?」

「ソノ通リ。ソレ、剣喜ブ」

 うおー!! と、それを聞いて男たちが拳を突き上げた。皆、剣を貰えると思っているのだ。

「よしわかった! その薬草、全部買うぜ! その代わり、こいつらと戦って、お前が負けたらその剣はいただくぜ! いいな!」

「イイトモ。順番ニスルト後ノヤツ不利ダ。いっぺんニ食ベテ、いっぺんニカカッテコイ。相応ふさわシイヤツ持ツ、剣喜ブ」

 出雲が疲れたところで勝負する奴が一番有利だと気になっていた追い剝ぎたちは、それを聞いてがぜんやる気が出て、先を争って出雲の草の束から草をつかみ取っていった。

「(バカめ、剣を奪ったらてめえになんざ用はねえ。薬草の吐かせて殺してやるぜ)」

 と、全員が思いながら。

 そして、全員がガツガツと草を食べ、飲み込んで剣に手を掛けようとしたとき、次々とその場に勢いよく倒れ、けいれんを始めた。

「てめえ……何しやがった!?」

 ただ一人草を食べなかった首領が目を見開いて、大声を上げた。

 出雲は口のはしを軽く上げた。

しびれる草を食わせたのさ。全員警備兵に引き渡す。解毒草を与えれば元に戻るが、このまま放置すれば死ぬ」

「そうか……! さっきの草とこいつらの食べた草は別の物で、最初からてめえはこれが狙いで……!! てめえ、何者だ!! 役人か!!」

「荷物を取られたぜんりょうな民さ。さて、抵抗しないならよし、するなら……、オレの剣で黙らせるしかないぜ」

「ガキが、めるなよ!」

 出雲の実力はさきほどの岩で知っている。草の力があってもなくても、割った事実に変わりはない。そんな相手とまともにやり合うほど、首領はバカではなかった。

「化け物には、化け物だ!」

 首領はサッとふところから札を取り出すと、高らかに叫んだ。

「来い! 式神・えいけい!!」

 すると、出雲の後ろから光が放たれ、遠くから走ってきた人影が出雲を大きく飛び越え、首領のそばに着地した。

 両足に大きな鉄球の重しをはめたまま。

おせェぞ映景! 何してた! ご主人様が呼んだら一秒で来いって、いつも言ってるだろ!」

 首領は刀の鞘で式神を殴りつけた。

 年の頃は出雲と同じ十五、六才くらいだろうか。ボロボロに破れたそでなしの着物に、もものあたりでれた袴をはいている。体中傷とあざ、それにでいだらけで、いかにこくえきいられているかわかる。首、両手首にかながはめられ、両足の鉄球と合わせると、ほぼしゅうじんである。

 式神はあるじに縛られる証に、衣装のどこかに必ず何かの交差が見られるのだが、この囚人服にはそれがなく、代わりに鉄球とつながる、足首にぐるぐる巻きに巻かれた鉄線が、“×(ばつ)”印に交差していた。

 観察されている間も、抵抗せずに必死に暴力に耐えている。そんな式神を見て、出雲は怒鳴った。

「やめろ! お前の仲間の式神に、なんてことを!」

「仲間?」

 一瞬、あっに取られた首領は、せせら笑った。

「バカか? 式神は物だ。人間に使われなければ力も存在も解放できない、ただ人間の役に立つためだけに生まれてきた、便利な使い捨ての消耗品だろうが! こいつは俺の道具だ! どうしようが俺の勝手だ!」

「なんだと……!?」

 自分を侮辱されたようで、出雲は全身の毛が逆立った。

「行け映景! 刺し違えてでも奴を殺せ!」

「ふざけんなーッ!!」

 式神と式神の、刀と短剣が勢いよくぶつかり合った。

 力は五分。映景はしきがみしょうかんしているから、首領のじゅつりょくが切れるのを待てば、簡単に押さえつけられる。

 そのまま二度、三度と剣を弾き合う。

「(……! こいつ……)」

 出雲はかんを覚えた。相手の剣が軽すぎる。

 それどころか、えずあるじを盗み見て、殺気すら放っている。重そうな鉄球を、着地のたびに引きずりながら。

「奴隷にされているから、主を殺して自由になるつもりなんだな。でも、なぜ機会をうかがう必要がある? さっさと殺せばいいじゃないか」

 追い剝ぎの首領に背を向け、口の動きを見せないようにして、試しに出雲は話し掛けてみた。

 すると今度は映景が回り込んで首領に後ろを見せた。そして、ささやいた。

「式神の封印されていた石の塚を壊されたら、式神オレは死んでしまうのさ。運の悪いことに、オレの塚はあの野郎がはだはなさず身に付けていて、手が出せない……! 何度も隙を突こうとして、斬りつけたからこのざまさ。奴に従うよう徹底的に痛めつけられ、奴隷として生きていくになった」

 二人は互いに退すさった。一瞬出雲は目を首領の姿に走らせたが、それらしい石のふくらみがきんちゃくにあるのか、懐にあるのかわからなかった。

「石の塚でもよほど小さいな? お前のは」

 空中で金属の火花を散らしながら、こうする二人。

「頼みがある。一緒にあいつを攻撃してくれないか」

「わかった。オレはようどうでいいな?」

「ありがとう」

 映景に弾き飛ばされたりをして、出雲は首領の間近までかっくうした。そしてに転がる。

「クソッ……! てめえの札さえ奪っちまえば……!」

 札をめがけて首領に斬り掛かるりをする出雲。

「映景! 来やがったぞ! 早く止めろ!!」

 泡を食った首領が出雲に刀を抜こうとしたとき、出雲に向かったりをした映景が首領の心臓を刺し貫いた。

しきがみ風情ふぜいがあ……! てめえ、敵まで使いやがって……!」

「……式神は殺されたり塚を破壊されたりしたら死ぬ。だが気に入らない主から逃れ、無事に塚に戻れる方法が一つだけある。それは……主が死ぬことだ」

 首領がたまらず倒れこむ。出血が地面に広がっていく。

「よかったな」

「ありがとう。ところで、なあ、あんたオレを式神に――」

 そこまで言いかけて、急に映景の顔のこうせい要素が一箇所に集まり、歪んだ。

 体が砂粒のように急速に崩壊していく式神に、首領は虫の息であざわらった。

「……っへ、言っただろ……、てめえは、道具だ……っ、俺の、たて……っに、なれ!」

 出雲が素早く首領の刺し傷を間近で見ると、心臓に文字の刻まれた石の欠片かけらが散らばっていた。

「……オレの、石の、塚……!」

 言葉を発した映景と、出雲は目が合った。

 この悲しみの一切ない顔を、出雲は一生忘れることができないだろう。

 そして、悲しみの一切ないみと共に、消えていった顔も。

 風で吹き飛ばされていった映景は、出雲に何を言いかけたのだろうか。

 今となっては知るよしもない。


「……もしかして出雲?」

 荷物を取り返して紫苑と霄瀾のもとに戻った出雲は、自分が土着の戦士の肌をしていることを思い出した。

「ふうーん、出雲、そういうかっこうするんだー」

 自分の心をかされたようで、出雲は赤面した。この少女にだけは、知られたくなかったのだが……。

 あまりにじーっと、少女が出雲の体を眺めているので、

「み、見るなよ。まだオレは弱い!」

 恥ずかしいのを隠すように出雲がプイと強く横を向くと、少女は吹き出した。

「そうね、まだまだ体は弱そう」

「ブッ! お前っ、オレの筋肉のどこが! くそお剣姫、見ろこの無駄のないしなやかなりゅうせんををを!!」

「はいはい。あとでね」

いま見ろよ! 確かめる気ないだろ!!」

「……いいの?」

「……え?」

 出雲は霄瀾のいることも忘れて紫苑に見入った。筋肉をしっかり見るなんて、それは、まさか……。

「そんなっ! 心の準備がっ!」

 一人ではしゃいで拒否している器用な出雲の腕をつかんで、紫苑は歩き出した。霄瀾もついてくる。

「ししし紫苑っ、子供のいる前では、教育上よくないぞっ! やっぱりまだ早いよ、まだ恥ずかシイッ!」

 心を落ち着かせているように見えて中身はうれし困っている出雲に、紫苑は平気な顔で振り返った。

「教育にちょうどいいわよ」

「なんてだいたんなんだ! いろいろ強いな紫苑!!」

油混ゆーこんの染料の落とし方を教えたら、せんたくに役立つもの」

「そうか、油混かあ……確かに役立つなあ……って、え?」

「ちゃんと全部、川で落としてあげるからね」

 出雲の腕をつかみ、ずんずん山道を進む紫苑の後ろ姿。出雲はぼんやりとその意味を考えた。油混はすぐ染料になるが強力で、特殊なせんざいか、油を浮かす植物の液でもなければ、簡単には落ちない。

 今、出雲は顔から背中から足の爪先まで、それを塗りたくっている。

 さらに、まじない用に書いた黒い模様まで、顔に体に重ね塗りしまくっている。

 このさき汗をかけば、服にこびりついて、服をだめにしてしまうだろう。今、染料を全部落とすしかない。

「そうだな、全部、全部、……!?」

 そこまでぼんやりして、出雲はついに真相に辿たどり着いた。

「オレだけ裸になるのか!?」

「だって油混落とさなくちゃ」

「大丈夫!! 一人で洗えるから!!」

「わーい! ボクも出雲と川であそぶー!」

「霄瀾! 今オレと紫苑は大人の大切な話をしているんだ! 黙っていなさい!」

「あんた、背中の模様消せるの? 油混は強力なのよ。絶対一人じゃ無理よ」

「……!!」

 出雲はこんがんがおで頭を激しく振りながら、両手をこつに置いて交差した。

「強力な染料を背中に塗りたくるなんてバカな真似した自分を呪うのね。さっ! 行くわよ出雲! 男なら裸の一つや二つ、見せなさい!」

 みょうにうきうきしているように見える紫苑に、半泣き寸前の出雲はようやく声を絞り出した。

「いやー! まだオレのすべてを見ないでー!」


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