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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第十二章 神の見知れぬ望み
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神の見知れぬ望み第三章「女王蚕の繭(まゆ)」

登場人物

双剣士であり陰陽師でもある、赤ノ宮の名字を改めた九字紫苑くじ・しおん。強大な力を秘める瞳、星晶睛せいしょうせいの持ち主で、「水気」を司る玄武げんぶ神に認められし者、紫苑と結婚している露雩ろう

紫苑の炎の式神・出雲いずも。神器の竪琴・水鏡すいきょうの調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾しょうらん。帝の一人娘で、神器の鏡・海月かいげつと、神器の聖弓・六薙ろくなぎまたの名を弦楽器の神器・聖紋弦せいもんげんの使い手・空竜くりゅう姫。聖水「閼伽あか」を出せる、「魔族王」であり格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉えんせんうつわの持ち主の、「金気」を司る白虎びゃっこ神に認められし者・閼嵐あらん。輪の神器・楽宝円がくほうえんを持ち、「木気」を司る青龍せいりゅう神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭きりふ・ましば。人形師の下与芯かよしんによって人喪志国ひともしこくの開奈姫に似せて作られた、槍使いの人形機械・氷雨ひさめ




第三章  女王蚕のまゆ



 ぐうううー。

 ぐうううー。

「大丈夫かよ閼嵐。すげえ腹の虫鳴ってるぜ」

 街道を歩きながら、出雲が、ふらふらしている閼嵐に手を添えた。

「朝食が足りなかったのかしら。ごめんなさいね、量をうまくはかれなくて」

「いや、紫苑のせいじゃない。足りてるし、おいしいよ。だけど、どうも果物の糖分が欲しいみたいで……」

「あら、果糖が欲しいの? そういえば最近、おやつは砂糖を使ったお菓子ばかりだったわね」

 紫苑が思い出すように、頬に人差し指を当てた。

「足りない栄養素があると、いきなり体調に表れるのか。今、何の食物が必要かわかって便利だな」

 氷雨がべたべたと閼嵐に触っている。果糖が足りないとどこかが痛くなるのだろうか、ということが気になるようだ。

「うおい氷雨、お前そこは触るなよ……」

 氷雨と戦うその閼嵐の隣を、柑橘かんきつ類系の匂い袋を帯にさげた、女の子たち三人がすれ違った。

「んん、んー?」

 ふらふらと、閼嵐は匂いにつられて歩いた。

「……ん?」

 空竜が異質な気配に気づいて振り返ると、

「食べたらみかんの味するかなー?」

 女の子の後ろから、あーんと魔物の牙をのぞかせて、閼嵐が今まさに食いつかんとしていた。

「ちょっとお!? 何してんのお閼嵐ーっ!!」

 閼嵐の背中に抱きついて惨劇を止めようと焦る空竜を見て、一同も閼嵐の目的に気づいた。

「おまっ! 何考えてんだ!?」

 出雲が閼嵐を引きずって、とにかく女の子たちから引き離した。露雩は木の枝を食べ始めた閼嵐を無の心で見つめた。

「柑橘類系の匂い袋に反応するとは、相当だな」

 出雲は閼嵐の食べっぷりを眺めた。

「あいつ今あんみつ出されたら、みんなのサクランボ全部食べて顰蹙ひんしゅく買うだろうな」

「え! ボクのも食べちゃうの!?」

「霄瀾、出雲の言うことにいちいち反応しなくていいの」

 空竜が腰に手を当てて、霄瀾に腰をかがめながら、出雲をちょっと睨んだ。

 閼嵐の思考は空腹のためうつろになっていたが、空竜のそれなりに大きくて柔らかい胸をぼうっと思い出しているうちに、ふと何かみずみずしく甘い果物を、ぼんやりと思い浮かべた。

「どんな味がするんだっけ……こんなにいっぱい……ありがとー!」

 閼嵐が急に振り返って空竜の胸に思いっきりかみつこうとしたとき、

「な・に・を・し・て・い・るー!!」

 と、麻沚芭が閼嵐の首に二の腕を直撃させた。

 空腹のため動きが鈍っていた閼嵐はまともに食らい、木の根元へ背中から寝っ転がり、お腹をぐうぐう言わせながら、眠ってしまった。

「気絶……ではないのか。さすが格闘家だ。急所を攻撃されても、本能で首に気を集中させて守ったようだな」

 麻沚芭が淡々と閼嵐の首を確認した。

「お腹がすいて力尽きたら、もう何をしても起きないのだろうか」

 氷雨が興味津々な顔で、再び閼嵐に近づこうとしている。

「だーめよ氷雨。友達だからって、なんでもしていいわけじゃないのよ」

 空竜がやんわり氷雨を止めた。

「え? じゃ、何をしていいんだ空竜」

「え!? そ、それは閼嵐に聞いてよ!」

「今寝てるのにか?」

「え!? だ、だって、それはそういう話でもないわよ!? あれ? あれれ!?」

 空竜と氷雨が泥沼化しているそばで、出雲が閼嵐を草むらに引きずった。

「しょうがねえ、ちょっと早いけど昼飯にしようぜ。次の息器村いききむらに行けば果物もたくさん売ってるだろうけど……」

「そうね。とりあえずみんなで手分けして、果物を探しましょう。出雲、霄瀾。閼嵐を見ててあげてね」

「はーい! 紫苑!」

 霄瀾の声に見送られて、五人は果物を探しに街道沿いの森に入った。


 空竜は偶然にも、山ぶどうの実をすぐに見つけた。

「うふっ、きっと私が一番乗りね! あいつ驚くぞー」

 心から楽しそうに含み笑いをしたあと、空竜は、はっとして、真顔になった。そして、静かに元来た道を引き返していった。

 氷雨は得体の知れない植物の小さな実をもいでいた。

「それは毒が入っているからやめておけ」

 麻沚芭が後ろから注意した。

「でも実だぞ。果物だ」

「人間や魔族が食べられるものだけにしとけ」

 麻沚芭は柿を持つ手を軽く上げた。

「私はお前たちが何を食べられないのか知らない」

 氷雨は麻沚芭の言う通りに実を地面に落とした。運が良ければ発芽するであろう。

「オレたちを見て知っていけばいい。お前はずいぶん閼嵐から学ぼうとしているんだな。いつの間に親しくなったんだ」

 なぜかわからないが、麻沚芭は自分を警戒している、と氷雨にはわかった。

「あいつが正直だから、私も正直に関わっている」

 自分の気持ちをごまかさなかったから、氷雨は閼嵐を信頼したのだ。

「――そうか」

 閼嵐を好きになったわけではないようなら、仮に空竜姫と閼嵐との道があったとしても、邪魔をすることはないか――。麻沚芭は氷雨をつけていたことはおくびにも出さず、聞きたいことを聞いたので、氷雨に背を向けてから、振り返った。

「来いよ。閼嵐にもっと、柿を持ってってやろうぜ」

 氷雨は麻沚芭について行った。

 露雩はたわわに実る林檎りんごの木にたどり着いていた。

「何個かもいでいけば閼嵐もお腹いっぱいになるかな……」

 紅い林檎に手を添えたとき、

「あら、鈴なりじゃない! いっぱいもごうよ、露雩!」

 紫苑が両手を広げて目を輝かせていた。

「……うん」

 露雩はぶすっと視線を林檎に戻した。

「これ、天日干しにして乾燥させれば、小さくて軽くて、閼嵐だけじゃなくて私たちの非常食にもなるでしょ? もっと早く気がつけばよかったわよねー」

 すぐ隣で林檎をもぎ始める紫苑の、暖かい日差しに包まれた、春だと自然に笑みがこぼれる風の匂いが、露雩のすっと通った鼻をくすぐっていく。

「(……いけない。ちょっと不機嫌なのを忘れそうになる)」

 露雩が顔を引き締めて努めて怒った表情をしていると、紫苑が顔を地面と水平に傾けて、髪をきれいに垂らしながら、露雩を至近距離で見つめていた。

「な、なに?」

 妻の上目遣いに心臓を脈打たせながら、露雩は努めて平静に不機嫌らしい声を出した。

「何か気に入らないことでもあった?」

 どこか花びらを転がしたような、明るい笑みが潜んでいる。

「……オレたち、夫婦なのにああいうことしてない」

 言いたいことを言う機会が来たとばかりに、夫は妻に口を尖らせた。

「う……羨ましいよ。紫苑は落ち着いてるから、甘えてくれないし」

 紫苑はしばらく黙って微笑んでいた。まるで、夫が自分に甘えているのを、喜んで見ている風であった。

「だって、露雩は空腹だからって人を襲ったりしないじゃない」

「……う。それはそうだけど……」

 言いくるめられた気がして、露雩が天を見上げた。

「だから、そういうことじゃなくて……」

 再び露雩が訴えようとしたとき、ふわり、と紫苑が跳んだ。

 露雩の頬に、紫苑のルビー色のしなやかな髪が、軽やかに跳ねた。

 紫苑は、大きく張りのある胸を惜し気もなく密着させて、露雩を背中から抱きしめていた。

 露雩の心臓がどくと跳ねた。思考が真っ白になる前に、後ろから、密着していなければほとんど聞き取れないほどの声がした。

「これが、私の気持ち」

 そして、振り返った露雩にちゅっと口づけした。

 露雩はびっくりしすぎて腰からまっすぐ尻もちをついた。

「あら、気絶しなかったの。じゃ、次はもっとしてあげちゃおうかな」

 両手を後ろに組んで、大きな胸を露雩の目の前に突き出しながら、紫苑が笑顔で体を前に傾けた。

「え!? え!? なに!? なにこれ!?」

 紫苑ってこんな大胆な子だったっけ!? 気絶ってなに!? 次はどうなるの!? と、ぐるぐると露雩が混乱し始めると、紫苑はふふふっと笑いだした。

 硝子がらすの器の中で硝子玉がころころと涼やかに転がるような、心地良い声であった。

「ずーっとあなたが、私のこと好きでいてくれるといいな」

「当たり前だろう。何言ってるんだ」

「うん……知ってるよ……」

 紫苑はそれ以上何も言わず、露雩の手を取って、熟した林檎を、共に探した。

 露雩は、旅のあとの結婚生活で主導権を握るのはどっちだろう……と、必死に考えていた。


「あー、すっかり回復した! ありがとうな、みんな!」

 果物をお腹いっぱいに食べた閼嵐が、満腹で目を細めて笑う子供のように、円を描いて腹をさすった。

「持病の薬じゃねえけど、これからは閼嵐、自分が食べられそうな食料はんで歩け。お前はみんなと違って植物しか食べられないんだし……」

 出雲は閼嵐が皮も種も全部食べているのに驚きながらも、余った果物を指差した。

「ああ。反省してる。木の枝も食べられると思って油断した」

「……」

 露雩は再び閼嵐を無の心で見つめた。

「次の村で食材を買いこんでおけばいいさ」

 麻沚芭が息器村いききむらの入口を指差した。


「……あれ?」

 市場は閑散としていた。

 人がいないだけではない。

 売り物の数も少なく、とてもよそ者が好きに買えそうもない。

「ごめんなさいね、今は村の人にしか売れないの」

 案の定、売買を断られてしまった。

 薄い三角形の眉に濃い黄色の三角頭巾を頭に巻いている、老いで目の垂れた初老のおばさんは、三束しかない葉物の前で、ため息をついた。

「この村は全国一長い絹糸を生産するので有名でね、今日はそのもとになるかいこまゆを狩りに行く日なの。その繭の良し悪しを見て、絹糸を買いつけに来る商人が、前金を払って予約するんだけどね。その前金がないと、市場で売りに出す物が仕入れられないのよ。この村はみんな絹糸の生産者だから、畑をやる人がいなくて、全部村の外からの商人が頼みなの。ごめんなさいね、今日の狩りが終わってから、また来てちょうだい。ほら、市場の端に馬車が三台あるでしょ。あれは、絹糸の商人とは違う商人で、今日村にお金が入るのがわかってるから、すぐ売ろうと思って来てくれてるのよ……」

 確かに、一人一台の馬車が市場のすぐ外に控えている。今日の狩りが成功すれば、あの中に積んである物がすべて市場に並び、こちらも食料が買えるであろう。

 しかし、霄瀾は混乱していた。

「あのう……、蚕のまゆって狩るものでしたっけ?」

 たしか桑の葉を食べる蚕が、繭を作ってさなぎになるはずである。そしてさなぎごと繭がゆでられて、その繭から絹糸が作られる。どの工程でも、追いかけなければならない事態には、ならないはずである……。

「ああ、この村の繭はちょっと変わっててね、魔物の女王蚕の作った繭を奪って作るのよ」

「女王蚕!?」

 おばさんは、霄瀾に話し始めた。

 村の外に小山こやまほどの大きさの巨大な蚕がいて、幼虫の身ながらたくさん卵を産んで自分より小さい幼虫を育て、人の背ほどに育った子に繭を吐いてくるんでいる。

 人々は小山ほど大きいその蚕を女王蚕と呼んでいる。

 村人が偶然一つを見つけて持ち帰ったところ、上質で長い絹糸になった。以来、女王蚕の繭を、村の男たちが見つけられるだけ見つけて狩り出し、絹糸を作っている。そこから村は飛躍的に発展していった、と。

「だから狩りなんだ……」

 霄瀾は、市場の外で金属音がするのに気づいた。

 村の男たちが槍と鎧で武装して、狩りに出るところであった。

「どうしてお昼に出るの?」

「女王蚕は夜になると動けなくなるのよ。暗くなると目が見えなくなるのかしらね。追って来れなくなるから、みんな安全に繭を持ち帰れるのよ。前に朝早く行ったときは、すごい速さで追いかけられて、村に戻るわけにもいかないし、一日中逃げまわったそうよ。もうごめんだって、みんな言ってたわ」

 おばさんが霄瀾に笑った。

「魔族と戦って、無事に全員帰って来られるのですか?」

 おばさんは、質問した紫苑に、ちょっと悲しげな目を向けた。

「そうもいかないわね。打ち所が悪くて死んだり、骨折したり、脚が潰れたり。向こうも子供を取られまいと必死だから。でも、こっちも生きてくためだし、狩りをやめるわけにはいかないわよね」

 自然と、閼嵐の目つきが険しくなっていた。

「生きてくため? あればあるだけ狩るうえに、絹がか?」

「え?」

「なんでもありません。閼嵐、ちょっとこっちへ」

 おばさんと別れて、紫苑は閼嵐を村の外れに引っ張った。

「人間は魔族が生まれても何も変わらないのだ!!」

 閼嵐の眼は怒りの光を宿した刃のようであった。

「魔族がどんな思いで生まれてきたか、ちっとも知ろうとしない!!」

「閼嵐」

 紫苑の掌が閼嵐の顔全体に突き出され、紫苑の、春だと自然に笑みがこぼれる風の匂いをかいで、閼嵐は一瞬紫苑に意識を向けた。

「見に行こう。怒るばかりでは何も始まらん。すべてを見たうえで、どうするか決めよう」

 魔族王閼嵐を抑えられるのは、神と剣姫だけである。王は姫に従った。


 村の男たちの後を一時間ほどつけて行くと、シュー、シュー、と、何かを噴き出す音が聞こえてきた。

「あった!」

「やった、ここにも!」

 人々は、草むらに隠されていた、人の身長と同じくらい高い、白い繭を見つけて歓喜していた。

「あれが女王蚕の繭か……。大きいな」

 シューという音の出所を探りながら、出雲が人々を観察した。彼らは、女王蚕と戦うつもりはなく、隠れて繭を奪っていきたいようである。

「確かに女王蚕を殺しても何にもならないものね。生きててくれなくちゃ、困るわ」

 空竜のセリフを、出雲がふと反芻はんすうした。空竜は織姫だ。全国一長い絹糸を知らないはずがない。使ったこともあるに違いない。

 剣姫と閼嵐からどう守ろうか……と思案しているうちにも、人々は次々と隠してある繭を見つけていった。

 運ばれた繭の中のさなぎは、すべてゆでられて死ぬ。

 仲間を目の前で手当たり次第に狩られ、閼嵐の口がむずむずと動き、犬歯が今にもせり出さんとしている。

 剣姫の表情は閼嵐に隠れて見えない。

「おい露雩、これは……」

 二人で対処するしかないと出雲が声をかけたとき、シューという音がんだ。

 続いて、木の幹が次々に倒れる音がしたかと思うと、全長五メートルはあろうかという蚕が、縦に立って人間を見下ろすと、腹ばいになって突進してきた。

 それが、人間の若者の、全速力のように速い。

「見つかった!」

「いつものように二人一組! 逃げろー!!」

 人々が、繭を抱えた一人と持っていない一人で組になって、ばらばらな方角へ逃げ始めた。巨大蚕は、そのうちの一組を追いかけた。

「あれが女王蚕か!」

「大きい! それに、速い!」

 出雲が左腕を曲げて霄瀾の尻と太ももの裏を抱えた。霄瀾は両手を出雲の首にまわして、抱きつく。片手で抱き上げられている「尻乗せがかえ」になると、出雲、霄瀾と皆は、女王蚕を追い始めた。

 追いかけられている二人組は、一人が繭の重さに疲れたらもう一人が繭を持つ、ということを繰り返していた。

 他の人々は、繭をいったん別の場所に隠してから、二人の加勢に来た。そして繭を別の二人組が受け持つ。女王蚕はその二人を追う。ずっと走っていた二人と、他の人々は離れて休む。

 こうして日没まで、全力逃走の時間を乗り切るようだ。

「それなりに命がけのようだな……」

 走りながら剣姫が呟いたとき、繭を持った村人が石につまずき、倒れた。その拍子に、繭が川に落ちてしまった。二人も女王蚕も一瞬止まって、呆然と流れてゆく繭を見送った。

「……キシャアーッ!!」

 女王蚕が怒り狂い、二人に糸を吐いた。シューッという音と共に、二人はあっという間に二つの繭になった。女王蚕は繭から伸びた糸をくわえ、巣に引きずっていく。

「どうするの!? 助けるの!?」

 霄瀾が出雲を見上げる。

 そこへ、村人が現れた。

「待て!! 二兵衛にへえ勘助かんすけを返せ!!」

 二手に分かれ、女王蚕を翻弄する一隊と、仲間の繭を救い出す一隊に分かれた。

 しかし、毎年繭を奪ってきた人間どもが、逃げずに目の前に現れたので、女王蚕は歓喜して、口から糸を吐き、村人を次々に繭にしてしまった。

 最後の一人が繭になったところで、剣姫は、はっとあることに気がついて、閼嵐に何事かささやいた。

 女王蚕は敵を全滅させたことに満足して、敵の繭を引きずって巣へ戻ろうとした。

 そこへ閼嵐が現れて、口を開いた――。


 息器村いききむらでは、悲鳴をあげる女たちが繭にすがりついていた。

「おまえさん!! おまえさーん!!」

進八しんぱち!! あんた死んじまったのかい!? 死んじまったのかい!?」

 剣姫がその中を風のように駆け、剣で舞った。

 切られた繭の裂け目から、虫の息の男たちが見えると、女たちは急いで繭をかき分け、水を持ってきたり肩を叩いたりして、起こそうと努めた。

「今年の繭はもうだめですね。男性たちがこの状態では、しばらく狩りができないでしょう」

 絹糸の商人たちが首を振った。それを聞いて、馬車で物資を用意していた商人たちも、諦めて別の町に行く支度を始めた。

「待ってください! せめて、食糧だけでも売ってください! この村には今、食べ物がないんです!」

 市場で会った濃い黄色の三角頭巾のおばさんや、他の女たちが、物資の商人たちに取りすがった。

「残念ですが、お金なしに物を売ることはできません。またの機会にお会いしましょう」

 商人たちはとりあわない。

「今それがなければ、飢え死にしてしまいます! どうか!」

 女たちの手を逃れるように、商人たちは急いで馬車に飛び乗った。

「(このままではこいつらは暴徒化し、オレの商品の略奪に走るぞ。多勢に無勢、こういうときは適当に言い繕って逃げるに限る)。人間の生活の基盤は絹ではなかったということでしょう。今からでも遅くない、畑をやることですな。私も、食品が余って腐る前に売り切りたいと困っている商人に、声をかけておきますよ。それでは」

「そんな!!」

 恨みのこもる視線を浴びないように、商人たちはさっさと馬に鞭をくれた。そのとき、

「ぅわぅっ!!」

 獣のうなり声に、馬が恐怖ですくんでしまった。商人も村人も、体が硬直した。

 閼嵐の声であることを隠しながら、剣姫から戻った紫苑が人々の前に出た。男たちもうつろな目つきで上半身を起こしていく。

「皆さん、お金ならあります」

 人々は顔を見合わせた。

「娘さん、残念だが村に絹の在庫はないんだよ」

 村人が悲しそうに紫苑に教えた。

「まさか私らから借金しようっていうのかい!? さすがにそれは無理な相談だよ!?」

 絹糸の商人が語気を強めた。

「うちの商品だって、借金では渡せないよ!? お金がなくちゃ、次の商品が買えないんだから!!」

 物資の商人たちも強く拒否した。

 自分の意見を強く言わないと、自分の身は守れない。人間の欲求に同情したらきりがない。共に敗者になって終わりである。一番大切な自分の身を守れない者は、他者の奴隷となる。「自分がいらないのと同じこと」だからだ。

 非情であろうとも、商人たちを責めることは誰にもできない。

「お金ならあります」

 それでも、自信たっぷりに紫苑は言った。もちろん、自分たちのお金をあげるのではない。

「女王蚕の繭が、こんなにあるじゃないですか」

 人々は男たちを見た。男たちは、自分の入っていた繭を見た。

「ええー!?」

 全員が叫んだ。

「だって、これはぶつ切りになってしまって、長い絹糸にならないじゃないか!!」

 男たちは繭を確認しだした。

「確かに切りました。ですが、最小限の切断にしたつもりです。依然として、全国一長い絹糸になっているはずです」

 絹糸の商人たちが困った。

「でも、お客様が納得しないぞ。値段は下げさせてもらう」

 いつもより短くなっても、自分たちは「全国一長い絹糸を売る商人」といううたい文句で商売しているので、絹糸の商人たちも買う気が起きたようだ。

「少しでもお金が入るのか……!!」

 村人に安堵の表情が広がった。

「ただし、狩りは今年限りでやめていただきます」

 とたんに村人の顔が真っ赤に変わった。

「なんだと!! ちょっと案を出したからって、偉そうに!!」

「何も知らねえよそ者が、オレたちの村のことに口出しすんじゃねえ!!」

「この村を路頭に迷わす気か!!」

 そのとき、閼嵐が強弓のように吊り上がった目と眉で、紫苑の前に立ち、腕組みして村人を見下ろした。二メートルの巨体で、筋肉の盛り上がった閼嵐に、村人はうっと息を呑んだ。

「その代わり、女王蚕とは話をつけてある」

 閼嵐が野性に満ちた声を響かせた。

「人の背丈ほどの丸太をあの今日狩りをした場所に置くなら、毎年十本までなら、繭糸でくるんでくれるそうだ」

「ええっ!?」

 人々がどよめいた。毎年、狩れる繭の数はばらつきがあって、三個の年もあれば八個の年もある。十個も取れたら、大漁の年である。

「いいのか? しかし、どうして……」

「女王蚕は、子供を奪われるよりましだと思っている。お前たちも、今日みたいに全滅することもない。お互い、いい条件だと思うが」

 男たちは、うつむいた。女たちは、うんうん、うんうん、とうなずいて、男を促した。

「……わかった。確かに、殺し合わずにすむなら、それが一番いい。来年から、そうしよう」

 女たちは、わあっと歓声をあげた。

「その代わり、それ以上を望んで狩りをしだしたら、もう誰も助けないものと思え」

 閼嵐に言われて、男たちはうなずいた。女たちが物資の商人の馬車を取り囲んだ。

「そんじゃ、食糧を売っとくれよ、あんた! でも来年も同じだけ売れるとは限らないよ。これからは走る訓練をしなくて済む男たちに、あんたの言う通り畑を始めてもらうんだからね!」

 女たちは、それを聞いて目をあちこちに泳がせる物資の商人を見て、笑った。


「紫苑。ありがとう。女王蚕を救えた」

 剣姫の策を使った閼嵐が、紫苑の隣に立った。

「魔族と人間がうまくやっていける場所が、できるとはなあ」

 閼嵐が感動したようにまっすぐ前を向いて歩くのを、後ろで空竜が黙って聞いていた。

「でも、今回のは幸運が重なったからだよな。いつも互いに丸く収まるとは限らない。オレが怒りそうになったら、また助言してくれないか」

 閼嵐の紫苑への熱い視線を、ひょいっと麻沚芭が割りこんで遮った。

「自然にはぐくまれてたらとりすぎちゃだめ、自分が増やそうと思って自分の力で育てたら好きに管理していい。そういうことだろ」

 麻沚芭があっさり言ったことに、脇で聞いていた出雲は驚いた。閼嵐は一歩踏み込んだ。

「麻沚芭、お前、魔族が人間を家畜にしたら平気なのか」

「馬鹿は飼われたままさ。お前たちだって、利口な奴がいたから魔族に進化した。違うか?」

 淡々と言う麻沚芭に、閼嵐はむっとした。

「……利口なら、」

 二人は声を揃えた。

「「みんなを守れることを考えろよ」」

 閼嵐は麻沚芭が同じことを言ったので、グイッと顔をそむけた。

「(わかってやがる……それでいて考えねえんだ、こいつは! やっぱり好きになれねえ!)」

 麻沚芭はどこ吹く風で歩き、閼嵐は足音をたてながら歩いた。


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