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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第十一章 逆臣を討て
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逆臣を討て第一章「権力の分断」

登場人物

双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑あかのみや・しおん、強大な力を秘める瞳、星晶睛せいしょうせいの持ち主で、「水気」を司る玄武げんぶ神に認められし者、紫苑と結婚している露雩ろう

紫苑の炎の式神・出雲いずも、神器の竪琴・水鏡すいきょうの調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾しょうらん、帝の一人娘で、神器の鏡・海月かいげつと、神器の聖弓・六薙ろくなぎの使い手・空竜くりゅう姫。聖水「閼伽あか」を出せる、魔族の格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉えんせんうつわの持ち主で、「金気」を司る白虎びゃっこ神に認められし者・閼嵐あらん。輪の神器・楽宝円がくほうえんを持ち、「木気」を司る青龍せいりゅう神に認められた、忍の者・霧府麻沚芭きりふ・ましば

人形師の下与芯かよしんによって人喪志国ひともしこくの開奈姫に似せて作られた人形機械・氷雨ひさめ

 反乱を起こした忍集団・靫石ゆぎいし一派。

 竜の体の一部を使って人間を操り、人族を滅ぼそうとする者・知葉我しるはが


 帝に弓引く反逆者・靫石一派と、そして「魔族王」知葉我と戦います。




第一章  権力の分断



「紫苑、今からでも遅くない! オレと結婚してくれ!」

 出雲の、花の精の加護を受けたかのような、きりっとしてかつはかなげな口唇が、紫苑に優しく近づいていく。

「紫苑ー! 強くてかっこいい君を、一生支えたいっ!」

 麻沚芭が、初夏の草原にそよぐ風の匂いをまといながら、紫苑に全身でぶつかって抱きつく。

「こらっ! 私は露雩と結婚したの! もう諦めなさい!」

「「いやだあ!!」」

 そのとき、水流が出雲と麻沚芭を押し流した。

 青龍せいりゅうのように猛々しくも優雅さを秘めた眉の横に青筋を立てた露雩の技、神流剣しんりゅうけんである。

「うっ……しびれまで起きる……!」

 出雲と麻沚芭は、体がピリピリとまひして起き上がれなかった。

「あんまりオレの奥さんになれなれしいから、全開で術出しちゃった」

 露雩が二人の前に仁王立ちになり、怒りの目で見下ろした。

 閼嵐が閼伽あかで二人のしびれを除いてやった。

「怒りで星晶睛せいしょうせいの雷の力まで引き出されたか……」

 出雲は拳を振り回した。

「くそーっ、絶対諦めねえからな! オレだって……!」

 そこで出雲は、はっとして口をつぐむと、ふてくされたように木の根を枕にして、横になってしまった。

「じゃあ剣姫はー!? マシハなら好きにしてくれる!?」

「女装をするな麻沚芭! だめ! 剣姫もオレにぞっこんなの!」

「露雩が紫苑を取ったー!!」

「泣くな麻沚芭! いいかげんオレと紫苑の愛の深さに気づけ!」

 露雩とマシハが押し問答をしている中、出雲は自然と目が開いて、麻沚芭の神剣・青龍を凝視していた。

 オレを待っていてくれなかった。

 オレがいない間に、あなたが選んだのは別の誰かだった。

 あなたに認められたかった。

 そうすれば、すべてがどんな結末になっても、自分を許すことができたのに。

 明日があると思った自分が愚かであった。

 神がいないという制約さえなければ戦えると思った自分が、愚かであった。

 ああ、人生とは一秒で勝負が決まるものだ。

 自分の知らないところで事がまわっていくのを、運命と呼ばずして何と呼ぼうか。

 出雲は、虚脱感から再び目を閉じた。

 これまで青龍が出雲を呑まなかったのは、あるじの命を分けてもらった式神が、病で死ぬことがないからであった。仮の剣でも、出雲は青龍にとって絶対に自分を裏切ることのない、居心地の良い相手だったのだ。

 だが、「絶対に安全な場所にいる者」は、神の試練を受けられないのだ。

「……縁がなかったのかな。一番ずっと一緒にいたのにな」

 我知らず涙が一筋流れたのに気づき、出雲は慌てて欠伸あくびをするふりをして目をこすった。

 起きている面々は、騒ぎになっていた。

「言っとくぜ。オレは、閼嵐も恋敵だと思ってる!」

 麻沚芭に指差されて、名工に鍛えあげられたかのような筋骨たくましい体の閼嵐が、その心臓をかばうように両手を出した。

「おいおい、オレは関係ないぜ」

「いーや嘘だね。今日一日オレが数えたところによると、お前は仲間の誰よりも紫苑を一番見てた!」

 閼嵐がますます心臓をかばってうろたえた。

「そ、それは……紫苑が集団のかしら的存在だから、意見を知ろうと……」

「食事のときも歩いてるときも見てたぞ! その不必要な視線はどう説明すんだ、あーん!? 鋭い観察力の忍をなめるなよ!」

 露雩と、起き上がった出雲がおそるおそる尋ねた。

「まさか閼嵐……」

「違うって! 誤解だ!」

 閼嵐はかしらに助けを求めた。

「なあ紫苑、特別なことはないよな!」

「ん? うん……」

 紫苑は邪神・日業ひごうと戦ったときに、剣姫を叱った閼嵐を思い出した。麻沚芭が即座に否定した。

「嘘つけ。本当は紫苑に特別だって言ってほしいくせに」

 閼嵐はカァーッと顔に血がめぐった。隠している本心を暴露されて、恥ずかしかったからか怒ったからか、わからない。

「おい麻沚芭、オレに言いがかりをつける気なら相手になるぞ!」

「望むところだ。こっちも恋敵は確実に潰していこうと思ってたところだ」

 閼嵐と麻沚芭が身構えた。

「ちょ、ちょっとおっ……」

 空竜と霄瀾がおろおろしていると、紫苑が呼びかけた。

「はーいみんな、ごはんできたよー」

「はーい!」

 麻沚芭が駆けていった。

「ってやめるんかい!!」

 空竜と霄瀾が叫んだ。

 出雲が真顔で見送った。

「おもしれーなあいつ」

 露雩はびっくりして返した。

「認めるなよ」

 閼嵐は右手首の、真っ白い透かし彫りの腕輪に変化した神剣・白虎びゃっこを、二、三度揺すった。

「ったくとんでもねえのが仲間になったもんだぜ」

 そして、紫苑の方へ歩み出した。

「(紫苑はああいう奴、かわいいと思うのかな)」

 一瞬、目が真剣になったことに気づいて、閼嵐はブンブンブンと首を振る運動をした。

「(何を考えてるんだオレは!!)」

 しょうゆ味の焼おにぎりと、味噌のおにぎりを食べながら、露雩、出雲、麻沚芭、閼嵐は火花を散らせていた。空竜が呆れた。

「まったく、本物のお姫様が目の前にいるってのにこれだもの。でも紫苑、お姫様じゃなくて良かったわね。でなきゃ、今頃どこかの国王の息子と結婚してるところよ」

「もう空竜ったら。私はお姫様じゃなくて九字紫苑だったとしても、何もなかったら九字の名を伝えていけるような強い人をって思ってたわよ。愛する人ができた今ならそういうの、もうどうでもいいわ。うふふっ、でも彼、十分強いけど!」

 紫苑に紅葉こうようの盛りの紅葉もみじのように紅く映える瞳で愛する視線を送られて、露雩が照れていると、出雲と麻沚芭が立ち上がった。

「「それはホント!?」」

「よっしゃーオレ候補者!」

「オレの方が自信あるぜ!」

 紫苑が目を丸くした。

「今の視線のどこに介入する余地があったの!?」

 一人、閼嵐は黙っていた。

「(みんなみたいに、まっすぐに言えない。オレは露雩を好きな紫苑でも、好きなんだ。オレを選ばなかっただけで、オレが紫苑を好きだと思ったところは、変わっていないのだから)」

 おにぎりのしょうゆがいやに濃い。

「(取り返しのつかないことをしているのだろうか。この人はこんなにも想ってくれる人たちに囲まれている。もし出雲か麻沚芭が勝ったら、オレは……)」

 しょうゆがからい。水を飲む。

「(もしオレが焦るときが来たら、それでもあなたはまだオレの手が届く場所にいるだろうか)」

 理由があって、一歩を踏み出さず、一歩を踏み出したい。自分の選択が正しいかどうか、わからない。

「(ああ……、これが白虎びゃっこ神の試練にあったら、生きても死んでも神に答えを教えてもらって、良かったのにな……)」

 閼嵐は無心におにぎりを食べ続けた。

「お前たちはいつもこういう会話をしているのか。他人が話しているのを初めて聞く言葉だらけで新鮮だ」

 黙って眺めていた人形機械・氷雨ひさめが、湖色の青い瞳で空竜に振り返った。

「うーん……、ま、氷雨が一生言わない言葉ばっかりでしょうけど……」

 空竜は、春の息吹いぶきにさそわれ枝から芽を出すような生き生きとした形の眉を困らせて、どうにもこうにもそれしか言いようがなかった。

「空竜。ボクたち、いまどこにいるの?」

 霄瀾が、真っ盛りに色づいたイチョウの葉のように明るい黄色の髪を、さらさらいわせながら振り向いた。

羽書国はかきこくよ。靫石ゆぎいしの里の隣の国ね」

 官軍を迎え撃とうと籠城ろうじょうする靫石の里は、どの国にも属さない地域にある。一つの山脈が領地と言っていい。

 正攻法でいけば、山脈に散在していて次から次へと現れる敵の小隊と、一日中戦うことになる。こちらの疲労は甚大である。

 知葉我しるはがの位置を知る氷雨によれば、羽書国はかきこく側から山脈に入ると、うまく隠れれば靫石の本隊に知られずに、知葉我に最速でたどり着けることになるらしい。

 もちろん、あの知識の塊の知葉我が、何の対策も講じていないとは考えがたいが。

 麻沚芭が水を飲みに行き、戻って来た。

 羽書国にいた霧府流の忍から、この国が帝に敵対することのない安全な国であるという報告を受けたのだ。空竜にそっと紙を見せ、氷雨に隠れて報告する。

 それに気づかず、芸術家がこぞって最後に到達したい絵から抜け出たような、目の離せない深みのある美しさを持つ人形機械は、あまりにも無防備に恋を繰り広げる紫苑たちを、ただただ言葉もなく見つめるばかりであった。

 山越えの食糧を買うために、ふもと似翼村によくむらへ入った。

 食品の並ぶ市場で、空竜は売り子の中に、どこか見覚えのある者がいるのに気がついた。

「……姫、様……!?」

 向こうも気がついたようだ。

 糸子しし。十七歳の少女で、黒い長髪を一つのだんごにまとめている。空竜姫の幼馴染おさななじみの一人である。

 国の王の子供には、取り巻きがいる。遊び仲間であり、武芸・学問の競争相手でもある。

 全員が身分の高い者の子供である。

 今、空竜姫のかつての取り巻きの一人であった糸子は、市場の量り売りの場所で、売り子の雇われをしている。

「あなた、家はどうしたのお?」

 空竜姫の言葉に、糸子は羞恥しゅうちから真っ赤になって、下唇を上唇で隠してうつむいた。

 その日は山越えに備えて、ゆっくり休むことになった。空竜たちは、村の宿屋に泊まったが、深夜、空竜はそっと宿の受付の居間に来た。

 糸子が空竜の開けた窓から入ってきた。

「ありがとう空竜姫。無視されたらどうしようと思っていたわ」

「友達にそんなひどいことはしないわあ。どうしたの、そんなことを言うなんて」

 糸子は再び顔を赤らめた。

「私も落ちぶれたものね。環境が人をこうまで卑屈にさせるなんて」

 糸子の父親は、租税を集める役人の上級職だった。その働きが認められ、羽書国はかきこくを含むこの地方六箇国の租税の取り立てを任されることになった。各地方を巡り、各地方の人々と交流し、地域の実情を知り、かつ租税集めの実績をあげれば、都で租税役人の長官になるのも夢ではない。糸子の父も出世街道を順調に歩んでいた。ところが。

「父が賄賂わいろを受け取って、課税を見逃したという噂が立ったの……!」

 糸子が唇をつむぎあわせて、怒りに震えた。

 権力者は常にありもしない噂を立てられるものである。「こいつさえいなければ自分が上に行ける」と思われたら、何をしても、何もしていなくても、悪い評判を流され、嘘をつかれておとしめられる。

 貶められた真心のある人を救えない王は、王ではない。

「父上は、そんなことはしていないわ! でも、捕えられて、家財は没収されて、私は、働いたことのない貴族の母上を養うために、売り子をしてるの……。姫様をおもてなししようにも、ぼろぼろの借家が恥ずかしくてお見せできなかったの……!」

 なすすべもなく両目を閉じて涙を流し、口に手を当ててせめて泣く声をこらえる糸子に、空竜は怒りが湧いた。糸子の父親は知っている。優しい人柄で、私腹を肥やす人物には見えない。なにより、糸子の父親だ。糸子が人をだますような子供ではなかったのだから、親も実直に違いない。

「お願いします姫様、どうか父を解放してください。父がそのような罪を犯していないことは、私が保証いたします。幼馴染みの姫様、私はもう、それしかよすががございません」

 はらはらと涙をこぼしながら、言葉はしっかりと述べているところは、さすがに貴族の娘の誇りがあった。

 空竜の脳裏に、糸子と過ごした幼い頃が思い出された。お互い、何の苦労も知らなかった無邪気な時代。そこには笑顔だけで、何の打算もなかった。

 あの頃の糸子を、丸ごと信じられる気がした。

「わかりました。私が手紙を書いて、あなたの父親、宇家ううちを解放するように命令しましょう。今、宇家はどこにいますか」

 糸子は空竜の手を取り、涙に濡れる頬に押し当てた。

「ありがとうございます空竜姫様!! このご恩は一生忘れません!! 父はこの羽書国はかきこくの城の牢屋におります!!」

「一刻も早い方がいいでしょう。さあ、この手紙を持って、もう行きなさい」

 空竜の印を捺印なついんした手紙を糸子が受け取ろうとしたとき、麻沚芭が暗闇から現れた。

わたくしめにお任せを」

「あら、いたの。そうね、宇家を陥れた者は、糸子を妨害するかもしれないわ。麻沚芭、これを持ってしかるべき者に見せて、宇家を連れ帰って来て」

「承知致しました」

 麻沚芭は素早く手紙を受け取ると、闇に消えた。

 糸子はしばらく呆然としていたが、母に知らせて参りますと言って出て行った。

 明日引き留められては出発に影響するので、会いに来ないうちに朝早く宿を出よう、と空竜は思った。


 麻沚芭の行動を邪魔するものはなく、また気づかれもしなかった。

 羽書国王・諸羽もろはがなぜか起きていた。書物を読むための明かりが、ほのぐらい影を大きく壁に映している。

「私は帝の姫君、空竜様の忍でございます。諸羽様にてた文を言付かっております。どうぞお受け取りください」

 麻沚芭が空竜の手紙を諸羽に差し出した。

 諸羽は驚きもせずに受け取った。

 麻沚芭は去った。

 別室から、髪と眉が一直線に生えている、赤ら顔の大臣・杭坑くいこうが現れた。

「やはり空竜姫は手紙を寄越しましたな」

 羽書国は、帝軍と、靫石ゆぎいし知葉我しるはが連合軍のどちらに味方するか、迷っていた。

「宇家が有罪でも冤罪でもどちらでもよい」

 靫石は、隣国の羽書国にぜひとも味方についてほしいと言ってきた。その際に知葉我は、羽書国がどちらかに決められる策を献じた。

「帝の娘の空竜姫が、自分の知己ちきであるという理由だけで、法をねじ曲げるかどうかを確認せよとは、人間には躊躇ためらわれることを、魔族は堂々と言ってくるものですなあ」

 大臣は空竜の印の捺印された手紙を見下ろした。ここに「ただちに宇家を解放せよ」と書いてあれば、それで終わりである。

「あの忍はいかがいたしますか」

「殺せ。手紙を奪い返しに来るかもしれぬ」

 大臣が顎を外へ向けた。忍たちが麻沚芭の後を追った。

「法を曲げる者の下には、ついて行けませぬ。この手紙を天下に示せば、諸王は靫石に協力するか、群雄割拠になります。いずれにしても、帝に誰も味方しません。いやまったく、我が国も帝国を作る可能性が出てきましたな!」

 興奮で顔中をますます真っ赤にして、大臣が湯気を立てて笑っている。

 諸羽は空竜の印を破った。


 麻沚芭は城の屋根瓦の裏につかまって、張りついていた。

 逆さになった状態で、城から忍が四名出て行くのを見届けると、後をつけ始めた。

 忍たちはまっすぐに似翼村によくむらへ向かった。そこで忍は二名ずつ二手に分かれた。一方は村の外れへ、一方は村の宿屋へ向かう。

 そこで追跡の目的は達成したので、麻沚芭は宿屋へ向かった二人を素早く殺し、遺体を川に流した。そして宿の外で待機した。

 宿の中は深刻な状態になっていた。

 誰も使っていない食堂で、空竜を中心に座らせ、紫苑たち全員が取り囲んでいる。

 明日朝早く出発したいと、水を飲みに外に出て来た出雲に話したことから、事情が発覚したのだ。

 出雲が激怒した。

「政治に私情を挟むとは、なんて見下げ果てた姫だ!!」

 真剣に怒っていた。

「無実だとしても、まずは自分でしっかり調べてから処断すべきなのに、ろくに事実をかんがみもせず情にほだされて、父帝の法をねじ曲げるとは何事だ!! これは帝への裏切りだぞ!!」

 あまりの剣幕に、空竜はどもった。

「そ、そんなことないわあ……だ、だって、信用できる友達に泣いて頼まれたのよお! 私の権限を使って、力になってあげるべきじゃない!」

「お前今何才だ! 頭がお花畑のガキみたいなこと言ってんじゃねえ! 友達を何が何でも助けてあげましょうなんてセリフは幼児で卒業しろ! 卒業しねえ奴は大人になって人からいいようにこき使われて馬鹿を見るんだ! 庶民なら周りが注意してやればいい、だがお前は帝の娘なんだぞ! 一つの間違った言葉で国が亡ぶ! お前のせいで謀略と戦争が起こり、無実の民が死ぬんだぞ! 人の人生背負えないなら人の上になんか立つな!!」

 空竜はむっと口を突き出した。

「人をふさわしい場所に配置しろって言ったじゃない!」

「人が公平だと認めた法を曲げてはならない! お前が法になったら、それは暴君だ! 反乱が起きるぞ!!」

 空竜はかっとくちばしを開いた。

「じゃ、どうすればよかったのよ! 私は糸子ししがいい子だって知ってるわ! その親の宇家ううちも、私の知り得る限り、悪いことはしてなかった! 友達を信じて何が悪いの! 早く解放してあげないと、落ちぶれて、かわいそうで見ていられないわ!」

 出雲が最大に目を見開いた。口から犬歯がのぞく。

「感情論しか言えないのか、お前ッ!! 頭はあるのか!!」

 空竜は信頼していた出雲にそこまで言われて、最高に頭にきた。乾いた目が水の膜で覆われる。

「なんですって!? あんたにそこまで言われる筋合いないわよ!!」

 出雲はてのひらを上にして両手を前に振り下ろした。

「頼むから理路整然と理由を言ってくれ! どうして馬鹿みたいに好き嫌いかわいそう嬉しいと、ただの感情しか言えないんだ!! お前は帝の娘なんだぞ!! もっと人を納得させる、理詰めで話せよ!!」

 出雲は空竜に絶望していた。感情ばかり言って、人を納得させられる言葉を持たない者に、人の上に立つ資格はない。世の中は感情では回っていない。必ず理詰めの理屈と計算で動く。それを示せない者には政治はできない。感情論に訴えてくる人間を、頭のいい連中は、利用することはしても誰も信用などしないのだ。

 空竜は利用される側にまわってしまう。

 出雲は一つ一つ言葉を空竜の上に落とした。

「君主が言葉を持たなければ、民の心は離れ、臣下が反乱の好機と飛びつく。感情に流されるな。言葉を持て。言葉を持てば、くだらない縁をはねつける説得の思考も、即座に浮かぶ」

 空竜は、椅子に座ってうなだれていた。目を閉じて、動きが取れない。

「だって……わからないんだもん……断り方も、私がすべきだったことも、これからのことも、何もわからないんだもん……」

「手紙を出してしまったのは仕方がない。この件はお前がかたをつけろ。その手紙を公表されたら帝は終わりだ」

 空竜が目を開けた。

「片をつけるって……?」

「その糸子しし宇家ううちのことを調べて、お前が裁け」

「でも……早く靫石ゆぎいしの里に入らないと、お父様の軍が……」

「お前と麻沚芭はここに残れ」

「えっ!!」

 驚いた拍子に、空竜の椅子の脚が動いた。

「だっ、だって軍隊が相手なのよ! 一人でも欠けたりしたら」

「お前はそれ以上のものを失いかけているんだ。わからないのか!」

 空竜の全身から汗が噴き出た。自分はそんな大変なことをしてしまったのかと、今更いまさらながらに思った。

 何より、出雲が間違ったことを自分に言うはずがないと思った。

「……わかりました。皆さん、ごめんなさい。私はここに残って、宇家ううちの裁きを行います」

 空竜が腹を決めたとき、外で人の苦しむ声が二回した。そして、女が口を押さえつけられながら暴れ叫ぶ音が聞こえた。

 一同が外に出るより早く、麻沚芭が糸子ししを抱えて窓から宿に入って来た。

 糸子は空竜と目が合うと、暴れるのをやめた。

「この女と羽書国王・諸羽は通じております。空竜姫。次のご指示を」

「どういうことなの麻沚芭」

 空竜が椅子から立ち上がった。

「城に入ってから諸羽王のもとに着くまで、一切の妨害もございませんでした。諸羽も私が来るのを待っていたように、起きておりました。怪しいと睨み、私は帰ったふりをして城に隠れていましたところ、私を殺す追手おってが放たれました。

 四名の忍は迷いもせずこの似翼村へ向かいました。そして私の戻りそうな場所である宿屋と、おそらくは糸子の家へ向かいました。私は宿に接近した忍二名を殺し、死体を川に流し、何も知らずに糸子とやって来た忍二名を今、殺し、女を捕まえたのです。

 この女は姫様をだまし、わざと手紙を書かせたのです。のこのこやって来たのは私を何らかの理由をつけて誘い出すためでしょう。手紙の存在と形を知っていて、迅速に奪い返せるのは私だけです。私を確実に仕留めたかったのでしょう」

 糸子は、一同の真ん中で両手と両脚を横についていた。

「糸子……どうしてこんなことを……。私を陥れたの? 諸羽に命令されて、帝を裏切るの?」

「だってしょうがないじゃない!!」

 糸子が真っ赤になって泣き叫んだ。

「突然父が逮捕されたのは本当よ!! でも、大臣の杭坑くいこうが、この国に入った空竜姫に手紙を書かせれば、父を解放してやるって言ったの!! 帝の御手は地方までは届かない!! 通信手段も断たれて、警備兵も嘘の情報によって私を信じてくれなかったら、国家の言うなりになるしか、ないじゃない!!

 裕福だった家が、みじめな暮らしをしているところを他人に笑われるほどの屈辱を、あなたは経験したことがある!? 一日も早く、あなたに会うしかなかった!! 劣悪な環境の牢屋の父にわずかな差し入れをする私、料理も何もせずただ呆然と月を見続ける母!! 私の一家を不幸にしたのは誰!? 私も学はあるのよ、ちょっと考えればすぐにわかったわ、あなたのせいよ、空竜姫!!

 諸羽王は帝軍と靫石ゆぎいしどちらにつくか迷ってるって噂があると、父が話してた。あなたの手紙に何が書いてあるかで、決めるつもりだったのね!

 その犠牲者が私の一家よ! どうしてくれるの、幸せだったのに! 父も、母も、体と心を壊してしまう!! ねえ空竜姫、私だけは壊れてないと思った? おあいにくさま、もう十分誇りがズタズタよ!!」

 泣きながら瞳孔を開いて笑っている。

 これが幼い頃、無邪気に笑い合った友かと思うと、空竜の瞳に涙がたまった。

「空竜姫、もう私もあなたもおしまいなの! みんなみんな、壊れてしまえばいいんだわ!!」

 乾いた高笑いをする糸子を、空竜は抱きしめていた。

「ごめんなさい、糸子……! あなたを守れなくて、ごめんなさい……!」

 糸子は顔が歪んだ。

今更いまさら何言ってるの? もう何もかも遅いの!」

 糸子の目に涙が溢れた。

「あなたたちを絶対に、私の翼で守るから!!」

「空竜姫……そらりゅうひめっ……」

 自分を竜にたとえるのは、帝の一族の証。

 その帝の一族の姫が、糸子一家を守ると誓ったのだ。

「うっ、うっ、うわあー!!」

 泣きじゃくる糸子と、涙を流す空竜は抱き合った。幼かった頃のように、人目も気にせずに。

「糸子、すぐに城へ向かいましょう。杭坑くいこうに言われたことも証言してもらうわ。あと、宇家の調査をきちんとするの。誰が見ても潔白だとわかってもらえるように」

「わかりました」

「その必要はございません」

 麻沚芭が片膝をついた。


 諸羽もろは王は空竜の手紙を、顔色も変えずに読むと、杭坑に渡した。杭坑は飛びついて顔を近づけて読んだ。

「なになに……『宇家の件の裁断の記録を至急提出されたし』……。なんとお!?」

 杭坑が頭から地面に穴を掘らんばかりにぶっ倒れた。

「決まったな。宇家は証拠不十分で釈放せよ」

 諸羽は机に向かうと、筆を走らせた。


「空竜の手紙を偽造した!?」

 全員が驚愕した。

「私の印はどうしたの!?」

「帝の玉印以外なら、ある程度まで似せられます」

 麻沚芭はこうべを垂れたまま顔を上げなかった。

「糸子の話を聞いたとき、私はこの手紙が全国に公表されれば、帝国が崩壊すると確信いたしました。しかし、敵をあぶりだすためには罠にはまらなくてはなりません。そこで、私は姫様の手紙と私の書いた手紙をすり替えました」

「……」

 さすがの空竜にも、主君の手紙を偽造することが、重罪だということがわかっていた。

「死の覚悟はできております」

 顔を上げない麻沚芭に、空竜は息を呑んだ。

「空竜……!」

 全員が、空竜を見ている。帝の娘として、どうするべきか。全員が、空竜を見ている。

 空竜の脳裏に、麻沚芭の兄・飛滝ひだきが浮かんだ。一度だけ姿を見たことのある、空竜専属の忍だった。空竜の心は決まった。

「……あなたの兄・飛滝は、私たち親子を救ってくれました。今あなたは私を救い、父も救ってくれました。あなたにまで死なれたら、私は人に守られる資格がもうありません。どうかずっと私の側で仕えてください。そして私の道を見守ってください。もし運が巡って私が女帝になれば、もうあなたは私の玉印を偽造できないのですから」

 麻沚芭が顔を上げると、微笑んでいる空竜が立っていた。

 話が収まって一同が密かに胸をなで下ろしたところへ、宿の扉を叩く者があった。

「……父上!!」

 糸子が、扉の前に立っていた、やつれた男に駆け寄った。

「糸子……!! みんな、変わりないか」

「ええ、私も母上も元気……よ! それより、どうしたの! どうして……」

「話はあとだ」

 宇家は、空竜の前にひざまずいた。

諸羽もろは王より、ふみを言付かっております」

 空竜が諸羽の印を破って文を開いた。

 文には、宇家の証拠不十分による釈放と、元の職への復帰が約束してあった。そして、羽書国はかきこくは官軍に味方すると書いてあった。

「なるほど……これで試したことを許せということか」

 出雲が呟いた。

「よかったわ! 私のせいで、苦労をかけました」

「滅相もありません。私は、自分が無実だという誇りは持っていました。だから、牢獄につながれていても耐えられたのです。空竜姫様、糸子をお守りいただき、ありがとうございました」

「……私は、何もしてあげられなかったわ……」

 宇家から、空竜は目をらした。宇家は、真面目な顔になった。

「これから先、どんな知己が現れても、決して軽はずみなお約束はなさいませぬよう。幼い頃どんなに信じ合っていても、時がてば人は変わるのです。いや、成長するのです……幼い頃、醜いと思っていた大人へと……」

 糸子と宇家は、帰って行った。

 氷雨は、一連の流れを傍観していた。

 空竜の愚かな行動に失望し、仲間が帝軍から離れること。

 これが知葉我しるはがの真の策であった。

 羽書国への援軍要請は隠れみのである。真の狙いは、紫苑の中の剣姫が空竜を憎み、殺すか離反することであった。

 頭の紫苑が反旗を翻せば、集団は紫苑につくか、めちゃくちゃになる。

 空竜を代表する帝国の権力と剣姫の力の権力を分断する、決戦前の最後の策であった。

 知葉我が、何度も紫苑たちをばらばらにして、各個撃破しようとしてきたのは知っているし、実際この計画も仕えているとき、断片を聞いたことがある。

 だが、こうまで知葉我の思い通りに空竜が動くとは、思わなかった。死を覚悟した麻沚芭、相手が体面の必要な帝の娘でも構わず怒った出雲がいなかったら、帝国は崩壊し剣姫も発動していただろう。

「(皆が皆、最善の道を歩もうとしているのだ)」

 氷雨はどこか親近感を覚えた。

 麻沚芭は、氷雨がわざと糸子と空竜を会わせようとして、羽書国に入ったのだと思っていた。忍の教えでは、「偶然などない」。敵は必ず複数の万全な罠を用意して、偶然を装って近づき、罠に誘導するのだ。

 だが、城から出た忍は宿と糸子の家の二方向に分かれた。そして、氷雨と連絡を取りあう様子はなかった。

 よって、諸羽もろは王の集団は糸子のみと通じていたとわかったのであった。

「(それすら知葉我の策のうちかもしれないが)」

 引き続き氷雨を監視することをやめないという選択を、麻沚芭はした。

 一方、出雲と露雩は部屋の隅でささやきあっていた。

「空竜がこの基本的なことを知らなかったということは……」

 露雩に対して、出雲がうなずいた。

「ああ。空竜に適当な学問を教えて政治を乱し、うまみを得ようとしてる一派がいるか、それとも……」

「この間空竜が酒に酔って言ってた、空竜の婚約者の当滴あってきに帝位の比重が移っているかのどちらかだ」

 出雲と露雩は押し黙った。どちらにも空竜の人生はなかった。

「……一人くらい、あいつの力で救わせてやればよかったかな」

 弱音を吐く出雲の肩に、露雩が硬く手を置いた。

「空竜は権力がなくても、糸子と麻沚芭と、これまで多くの人の心を帝の娘として救ってきている。当滴とはきっと違う力を持つ人になる。オレたちが支えてあげよう。人の上に立つ者に必要なのは、力じゃなくて、愛だと思わないか」

 出雲は、かつて自分が帝に献策した言葉を思い出した。

 帝に必要なのは、人を想う心、愛なのだ。

「そうだな。オレたちであいつを守ろう。あいつは教科書に載ってないことができて、載ってることができないだけだ。オレはあいつを信じる。きっと人の上に立つにふさわしい人間になると、信じる」

「オレたちがいれば、きっと大丈夫だ」

「ああ! 露雩、ありがとな」

 出雲と露雩はひじを曲げて手を握りあった。


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