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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第一章 白き炎と剣の舞姫
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白き炎と剣の舞姫第六章「剣姫」(絵)

登場人物

あかみやおんそうけんであり陰陽師おんみょうじでもある。

出雲いずも。紫苑の炎の式神しきがみ

あかみやからのり。紫苑の父で、あかみや神社じんじゃ宮司ぐうじ

やまわき。千里国の将軍。

しょうらん神器しんきたてごとすいきょう調しらべを持つ、竪琴弾きの子供

ふるつるしょうらんほかに四人の男女をふくめた、旅の一座をひきいる。


ゆるばるか。敵味方関係なくぎゃくさつするあっ


挿絵のタイトル(一巻全五枚)

一、「表紙・星方陣撃剣録」(一章)

二、「燃ゆる遙」(四章)

三、「剣姫紫苑」(四章)

四、「男装舞姫紫苑」(六章)

五、「燃ゆる遙の最期」(六章)




第六章  剣姫



 赤いルビー色の髪に、こうようの赤色のひとみで、少女が暗がりの中、その、目を引く色で立っていた。

「シオン……」

 主の無事がわかって、イズモはほっとした。剣姫化がけ、普通の状態のシオンになっている。

しょうらん!」

 降鶴は孫をしっかりと抱きしめた。

 殻典がイズモの傷を、術で治療しにかかる。

「イズモ、その傷で向かっていくなんて、死にたいの!」

 一番聞きたかった声の人のしっせきを受けて、イズモはとっに言葉を返せなかった。

「……だって、お前来るのおせーんだもん」

 子供のように口をとがらせてみせるイズモに、何も知らないシオンは青筋が立ったが、

「説教はあとにするわ。イズモ、私とあなたはゆるばるかの封印をする降鶴さんたちを守るのよ。霄瀾たちが配置につきだい始めるわ。いいわね!」

 と、説明した。イズモは心なしかうつむいた。

「そうか、また封印するのか……。でもその解除をめぐって、また争いは起きるのだろう。シオン、考えを変えなくてもいいから聞いてくれないか。燃ゆる遙の弱点を」

「燃ゆる遙の弱点!?」

 一同が一段と高い声を上げた。

 百年前、綾千代は燃ゆる遙との戦いで、この敵はラッサ王が使った奉納ほうのうけんしろほのお以外では、少なくとも浄化じょうかの炎でしか、魔性を弱めることができないと、気づいていた。

 綾千代は炎の術を持っていなかった。ラッサの民四名の封印綱の助力もなく、剣舞だけで戦うには限界があった。

 そして、剣舞も一人分では足りず、二人分はないと倒せないと、そのときわかった。さらに、燃ゆる遙の永久とも思える魔性に耐える無限のとう、これも最後まで立っているために必要だった。

 加えて、イズモたちは術力も体力も使い果たしていた。そこで、綾千代はイズモを逃がし、未来にたくすしかなかったのだ。

 イズモに、もし封印が解けることがあったら、今度こそお前が命に代えても封印し直せと言い残して。

「燃ゆる遙を倒すのに必要なものは、そうけんの剣舞と強力な炎の術だ。しろほのおけんまいひめ赤ノ宮紫苑、お前は燃ゆる遙を倒すのに最強の戦士だ。ラッサ王が剣技と体力の限界のために果たせなかった戦いに、お前なら勝てるかもしれない」

 イズモの視線にられるように、他の全員が目を見開いてシオンに振り返った。

 シオンは震えていた。

 燃ゆる遙と戦う恐怖にではない。

 これはかん

 私にしか倒せない相手、私がぎゃくさつ的に強かった理由。

 すべては、この世界の破壊者ともいうべき、強大な悪鬼を倒すためだったのだ。

「私は、私は、この世界にいていい理由が、見つかった……!!」

 両腕を広げて空に向かってうれし涙を一筋流すと、その涙は彼女の心臓を覆う硬い宝石にみ入り、一気に砕き割った。

 彼女の顔の美しさを形容する、美しい石のけっしょうたちがキラキラと舞い落ち、中にあった心の結晶である光が、時を思い出したかのようにみゃく打ち始めた。

「今まで心の結晶を闇に閉ざそうとしていた私から、光を守ってくれてありがとう。私はようやく知った、剣姫を待っている者たちを!!」

 そして心の光にきらめく結晶たちの舞う中、シオンは初めて怒りではない、自らの意志で剣姫になった。

「神はこのときのためにきっと私を! ゆくぞ燃ゆる遙! 私は今やっと生きる理由を手に入れたのだ! ここで勝てなければ死ぬがいい!! あかみやおんー!!」

 剣姫はそくすると、燃ゆる遙に突っ込んでいった。

 悪鬼の拳とたいとうの力で、一回、二回、三回と、双剣をぶつけ合う。

「おねえちゃん! あぶない!」

 霄瀾が竪琴を弾こうとするのを、式神が止めた。

「戦わせてやってくれないか。だめなら紫苑あいつが死ねばいい」

 降鶴がさけんだ。

「しかし、そのときは式神のあなたも!」

出雲いずも」は自分を確かに持った「おん」が、燃ゆる遙と互角の力で弾き合うのを眺めながら、綾千代がさいに言った言葉を思い出していた。

「式神として目醒めるときは、お前が主人をえらびなさい。本当に支えてあげたい人を、選びなさい――」

 出雲は殻典に術で治療してもらいながら、目を閉じた。

「自分の生まれてきた意味を知る。だれかのために生きていると気づく。これほど人を『完全』にするものはない。オレは見つけて、思い出したよ……綾千代……」

 人生の意味である、名前の漢字を取り戻した紫苑と出雲は、この世界に目的を見つけたのだ。

 霄瀾はよくわからず、降鶴と出雲を交互に見ている。

 紫苑は白き炎を身にまとい、その力でちゅうを飛ぶと、燃ゆる遙の胸元に突っ込んだ。

「ウグッ!」

 大理石の鎧に亀裂が入る。

「ええい、退けー!!」

 燃ゆる遙が紫苑を手で叩き落とした。しかし、紫苑はすぐさま白き炎を放出し、飛び上がった。

 紫苑は剣姫として、全力以上に心を燃やしていた。

「はァッ! はァァーッ!!」

 白き炎をまとった剣が、燃ゆる遙の魔性を裂いて、受け止める腕に、手のこうに、ひじに斬り傷をつけていく。

「図に乗るな! 人間ー!!」

 燃ゆる遙が紫苑をり上げた。

 直撃を食らい宙を飛ぶ紫苑は、空中で体勢を立て直すと、体の周りに燃えさかる、白き炎を大量に放出した。

「ぬっ!」

 空中で静止した紫苑に気づいたときには、すでに燃ゆる遙の顔面に双剣がせまっていた。

「ガアーッ!!」

 悪鬼が口から衝撃波を放つと、紫苑は上空をおおう黒い半球まで叩きつけられた。

 だが、白き炎をふんしゃして、紫苑は空中を静かに下りてきた。

「空を飛べるほど、強い術力じゅつりょくの人間!」

 燃ゆる遙は、忌々しそうに紫苑を睨みつけた。これからもこの白き炎に、己の魔性がことごとく祓われることが、確実だからだ。

 加えて、さきほど顔に近づかれたとき、目の下に深い傷をつけられていた。

 この燃ゆる遙に、刀がかすっただけで、これほどの傷をつける剣技……これは、

「剣舞!! 貴様ラッサ王か!?」

 燃ゆる遙はきょを取った。

「違う。私は陰陽師おんみょうじ・赤ノ宮紫苑。ラッサ王と違い、貴様とどちらかが死ぬまで戦い合う、剣の舞姫だ!!」

「炎に、剣舞……! これは全力で殺さないとな……!」

 言うなり燃ゆる遙は右手を高く突き上げ、黒い半球をそのてのひらの中に回収した。

 え渡る月とまたたく星々が、昼のようにとても明るく、紫苑たちを照らした。

 その夜の光を斬るように、グルンと大剣の影が空をよぎった。

 たけはある、切っ先は刀の、巨大な剣を地に突き立てて、燃ゆる遙がいんうつな眼を向けた。

「この燃ゆる遙に剣を取らせたことを褒めてやろう。これを持つと、黒い半球が作れず殺したい奴らに逃げられてしまうから、今まで使いたくなかったのだ。

 だがこの燃ゆる遙を封印しうる白き炎と剣の舞姫をこのままばなしにしておくわけにはいかん! 今ここで完全に殺しておく! それだけだ!!」

「そうだ一生全力で来い! でないとこうかいするぞ! 命ある者はいつ運命の対戦者に出会うか、わからないのだからな!」

 双剣を体の前で交差して、空中の紫苑が叫んだ。

「貴様の方こそ、この燃ゆる遙の前にのこのこ現れたことを、後悔するがいい! 逃げて生き延びられると思うなよ!」

くびるな! 人には命より大切なものがあるのだ! 命を奪うことしかしないお前には、わかるまい!」

いのちいしかしない人間風情が、えらそうに! そのべんを叩き潰してくれるわ!!」

 燃ゆる遙の大剣が下から振り上がった。紫苑が双剣をかまえ、真っ向から振り下ろす。

 あまりのの衝撃に出た、まりれつしたような火花を、紫苑は目のある顔だけはよけると、力をゆるめず剣を押し続けた。

 どちらも一歩も引かず、全力で相手を圧倒しようと力を込める。

「燃ゆる遙を、めるなァー!!」

 悪鬼が一歩踏み出し、地面に足をめり込ませると、その重心の移動で紫苑の刀がり負けて、紫苑は回転しながら空へ飛ばされた。

 すると燃ゆる遙は大きく飛び上がり、紫苑より高い位置にとうたつすると、大剣を大上段にかぶり、紫苑の背中から斬り下ろして、一直線に地上に叩きつけた。

「ガフッ!」

 こんごうせきかがやきが刻まれたような、地面のきずあとの中央で、赤色に燃える瞳を閉ざさず、紫苑は立ち上がった。

「(完全な力比べでは悪鬼が勝つか……!)」

 悪鬼が地上に戻って地響きを立てると、紫苑は体と剣を白き炎で覆ったまま、静かにのりを唱えた。

かみちからともれ、いのちつるはひかりる。

 ただひかりすそのときは、なんじそのけとらむ――』

「こ……これは! 奉納の剣舞のための祝詞ッ!」

 燃ゆる遙が危険を察知して、紫苑に飛び掛かった。紫苑もつちけむりすら立てないような舞の足捌きで小走りに駆け、片足で踏み切って飛ぶと、舞うようにうしろへ片足を振り上げて、白き炎の通った刀を突き出した。

 刀の横を見せるようにして受けた燃ゆる遙の大剣が、衝撃で体ごとうしろにずれた。

 驚く間もなく、優雅ゆうがに一回転する紫苑の、よこいっせんざんげきが燃ゆる遙を襲った。

 とっに大剣で受け止めたのに、剣が前腕にかすり、血が噴き出した。

 紫苑は白き炎を噴出し飛び迫り、燃ゆる遙を休ませない。静かで優雅に、しかし深い一撃一撃を、白き炎と共に燃ゆる遙へ斬りつけていく。

 重い力のぶつかり合いに、燃ゆる遙は怒りをつのらせた。

「この燃ゆる遙より強い存在が、あってはならないのだ! まして人間などに、倒されてたまるか! ハァッ!」

 言うなり、刀の横腹で紫苑を叩きつけようとしたが、紫苑は剣舞に出てくる大股早歩きでの下をくぐるように下りると、悪鬼の大理石の鎧の下の腹に、刀を突き立て、白き炎をそそいだ。

「ゲアッ! こやつ!」

 苦しむ燃ゆる遙の右手が腹を打つことから逃れた紫苑は、回転しながら燃ゆる遙の顔面までのぼった。

「剣舞など、舞えぬようにしてくれるわ!」

 悪鬼は大きく息を吸うと、かんはつれずに衝撃波を噴いた。

 降鶴たちを薙ぎ倒した放射状の力を、口から一直線に出るようにぎょうしゅくした、破壊波だ。

 紫苑は一瞬で双剣を構えると、たくみな足捌きで、剣舞をろうし始めた。

 剣を右から左へ頭上を通るように振り、日の出の半円を描き、しんれいことほぎの文字を、全身を使って書きつらねる。

 紫苑の剣舞が触れるたび、悪鬼の破壊波は光の波になって、散りれていった。

 破壊波を放出しながらきょうがくする燃ゆる遙に、舞いながら近づいた紫苑は、

「はァッ!」

 白き炎と剣舞のいっとうを、悪鬼の顔に叩きつけた。

「グオオオッ!!」

 燃ゆる遙がのけぞった。血が噴き出す顔に手を当てて、悪鬼は怒りで顔がこうちょうした。

 鼻から口にかけて、骨ごと割れていた。

 鉄壁の防御力を誇った燃ゆる遙の魔性に、これだけの攻撃を与える威力。

「ラッサ王以上の力とは……!」

 まだ血のどくどく流れる歪んだ唇をわななかせ、燃ゆる遙は紫苑に鋭い視線を放った。

「最後に取っておこうと思ったが……!」

 燃ゆる遙はねじ曲がった目元を吊り上げた。

 そして、剝き出しの牙が見える口を、顎が外れるまで開いた。

 また衝撃波かと、紫苑が身構えたとき、燃ゆる遙はその予想に反して、クルッと横を向くと、口から息を吸い始めた。

 ビュゴオオときゅういんの音を立てて、だんだん音が強くなっていく。

 紫苑が注意して見ていると、何か黒いかたまりがたくさん空を飛び始めた。

 夜に行動できないはずの鳥の群れにしては、大きい。それに、みょうな形だ。

 木の棒に枝が四本ついているものや、けものが大きく毛むくじゃらになったようなものといった、黒い影が見える。

 横向きの影一色になった燃ゆる遙は、その飛んできた真っ黒い影の物体を、鼻で息を吐き、口は息を吸いながら、嚙み砕き始めた。

 剝き出しの牙が踊るたび、塊と液体がボロボロとこぼれた。

 牙を嚙み合わせる音しか聞こえなかったのは、幸いであった。皆、ぜつしたままだったのだろう。

 紫苑は、燃ゆる遙のあまりの鬼道きどうぶりに、うわまぶたと下瞼に力を込め、眉根を寄せて、この世のものではないものを見たような、衝撃の視線を投げ続けた。

「殺すだけでもじゅうぶん倒されるべき理由となるのに、さらにうとは!」

 すると、息を吸い終わった燃ゆる遙が、紫苑に向き直った。

「ウオーア、来るぞ!」

 そのとたん、燃ゆる遙の割られた鼻から口の部分に、次々にしきが生じて、あっという間に元通りに再生してしまった。

「何!?」

 険しい表情をする紫苑を、燃ゆる遙はぐるっと冷たい瞳で見下ろした。

われ殺戮さつりくの後、必ず殺した連中を、すべてではないが喰うのだ。我の傷はそのとき修復し、また次の殺戮ができるようになる。ついでに言えば、我の魔性もきょくげんにまで高めることができる」

 事実、燃ゆる遙の魔性は大量に、黒く染まったはいのように、その体の周りに巻きついていた。

「一度喰えば数日は喰らえぬ。本来なら皆殺しの後に行うのだが、貴様の剣舞に対するためには、むを得ん」

 しかし紫苑は、燃ゆる遙を激しく睨みつけた。

 燃ゆる遙の話は聞いていたが、それよりもっと別のことで、心を燃やしていた。

「共喰いをしよったな!!」

 忌まわしい悪鬼に、叫んだ。

「神への奉納の剣舞で、倒されるがわかったわ! お前ほどの魔性なら、聖なる力こそげきやくだ!」

「共喰いの何が悪いのだ。弱者が強者に負け、喰われるのは掟である」

 何の疑いもなく、心の底から信じている燃ゆる遙を、紫苑は片手を刀ごと振って、真っ向から否定した。

「共喰いは互いの安全と信頼を崩してしまう。そのしゅぞくの集合体を、崩壊させてしまう! そんなものは掟でもなんでもない! ただの勝手な虐殺だ!」

 しかしそんな紫苑に、すかさず燃ゆる遙は、薄汚くへんしょくして黒い灰のすじの入った爪を、人差し指で向けた。

「貴様こそ人間を斬っているではないか。いくら魔族を斬った血でごまかしても、無駄だ。貴様も貴様の言う『魔性』の仲間なのだ。

 喰らわずとも、貴様に強者が弱者を殺せる掟を非難できはしない」

 しかし紫苑は視線をらさず、ぐに燃ゆる遙に答えた。

「たとえ悪が私より弱者でも、悪は斬らねばならぬ」

 そして目に力を込めた。

「他人の道を不当に閉ざすなら、人は悪を斬らねばならぬ。それが掟である。だから私は人を斬るのだ」

「自分を正当化しているだけだ。貴様は殺戮が好きなのだ。自分の望む人間だけ、残ればいいと思っているのだ」

 燃ゆる遙がついげきの手をゆるめなかった。

 しかし、紫苑は狼狽うろたえなかった。

「聞け、人は世界を進化させるために生きているのだ。決して私も誰も皆、殺したり、出し抜いたりするために生きているのではない。世界のために人は己のよくと戦い、進化する道へと進むのだ。それが私の望む人間ではなく、世界の望む人間だ! その戦いに負け、他人をがいし傷つけた者を、剣姫は斬る! それだけだ!」

 燃ゆる遙はくだらないという風に、鼻息を吹いた。

「フン、貴様はあくまでれいの理論武装をして、身を守り続ける。ならもういい。理屈のお前を置いて、我は我の道を行くまでよ。我は好きなだけ喰らい、好きなだけ殺す。それが命あるものの本性だ。そのよっきゅうを否定できるのか?」

 紫苑が無表情になった。

 それに勢いを得て、燃ゆる遙は音だけで紫苑をね飛ばすかのような大声で、

「だから我は我が生きるために、思うままに生きてやる! そのほかの連中の人生も夢の計画も、知ったことではない! ただそこにいるから喰ってやる! 我は我の気のおもむくままに、何でもしてやるのだ!」

 と、はっきりと空間を切るようにしゃべった。

 そして、満足そうに一息鼻からフンと吹くと、紫苑に目を剝いた。

 言い返せずにくやしい顔をしていると思っていた。

 理想論では勝てないと悟り、たんらくてきに武力に訴えて、飛び掛かってくるかとも思っていた。

 だが、どちらでもなかった。

 紫苑は、なつかしい目で燃ゆる遙を見つめていた。

「なんだ? なぜそんな目をする!?」

 なぞに身構える燃ゆる遙に構わず、紫苑はおもむろに口を開いた。

「皮肉なものだ。悪のきわみに傾いても、正義の極みに傾いても、どちらも最後にはひとりになってしまうのだな。正義に固まった私がなぜ魔性なのか、そのがわかった……」

「貴様もいずれ世界を滅ぼすつもりだったのか! そうはさせん、この世界は我のものだ! 好きに殺し、好きに喰らう、我の望むがままに滅ぼせる世界だ!」

 燃ゆる遙は静かな口調の紫苑に、食って掛かった。

 紫苑は己の双剣と、燃ゆる遙の大剣を、視界のすみに入れた。

「世界を手に入れても、誰もいなければ虚しいだけだ。それだけではないぞ……」

 そして懐かしさとあわれみを込めた目で、微笑んだ。

「お前は最後に自分から死ぬだろう」

「なぜだ!」

 しかし燃ゆる遙のほうこうにも、紫苑は答えなかった。

「かといって、そこまで世界をじゅうりんさせはしない。ここで私がお前を止めてみせる!」

 双剣を上段と下段で横に流して構えると、紫苑は体勢を低くした。

「我を動揺させようとしても無駄だ! 大方、我の魔性を見て逃げる方法を考えるために発した、そくな一言だったのであろうよ!」

 黒い灰を体の周りにうず状に巻きつかせながら、燃ゆる遙が足を引いて、大剣を握り直した。

 それでも紫苑の目から懐かしさと哀れみの色が消えないのを見て、燃ゆる遙はいかりに震えた。

「そんな目で……!! 我を見るなァーッ!!」

 右斜め上から、燃ゆる遙が渾身の一撃を振り下ろした。大地から岩が飛び散る。

 飛び上がった紫苑に、燃ゆる遙が戻し上げた、刀のみねが迫る。

 横向きに一回転してかわした矢先、燃ゆる遙の大剣は斜めに傾き、紫苑をその広い幅に押しつけて、そのまま地面に叩き伏せた。

 そして、大剣の上から踏みつけ、押し潰そうとする。

 しかし、強い抵抗があり、大剣ごと足が震えた。

 燃ゆる遙が苛立ち、牙を食いしばって全体重を乗せようとしたとき、大剣が押し返され、下からようこうの剣舞をする紫苑が、双剣を左右に伸ばして現れた。

「うぬう!」

 汗を出した燃ゆる遙と、息を切らせた紫苑は同時に思った。

「(互角になった!)」

 魔性を強めた燃ゆる遙は、剣舞の紫苑と同等の力を手に入れたのだ。

「互角ならば、体力の続く我が勝つ!」

 燃ゆる遙は大剣をめった斬りに振り回した。

 かすっただけで、白き炎で身を守る紫苑に、鮮血をほとばしらせる。

 守勢では、いつまでたっても勝てない。

 紫苑は燃ゆる遙の、地面をえぐる大剣の横腹に足をかけると、白き炎を放つことで支えながら、斜めに体を傾けて、鍔元まで走り始めた。

「なっ! こやつ!」

 燃ゆる遙が大剣を振り回す。うかつに手で払えない。そんなことをすれば、紫苑の双剣に、手を斬られてしまう。

 しかし、いつまでも策のない燃ゆる遙ではなかった。

 突然走り出し岩地から森林へ向かうと、紫苑のいる部分ごと、大剣で木々を薙ぎ倒し始めた。

「……ッ!!」

 言葉に言い尽くせない痛みと速さと衝撃が、紫苑を襲った。

 まともに息もできない。

 燃ゆる遙が半円を描き終わったとき、森林を抜け出た大剣から、紫苑の体が転がり落ちた。

「グッフ! ガハッ!」

 喉に入り込んだ葉やを吐き出し、紫苑は燃ゆる遙を睨みつけた。

 するとその機を逃さず、燃ゆる遙が接近して、大剣を水平に薙いでいた。

 とっさに紫苑は剣舞で大剣をはじき上げた。

 そして白き炎をまとい、黒い灰をまとった燃ゆる遙と剣をぶつけ合う。

 一撃一撃が重いということに、紫苑はすぐに気がついた。

 さっきまでは何度剣をまじえても疲れることはなかったのに、今は悪鬼の魔性を斬り裂くたびに、重くけがれる気がする。

 白き炎で防がなければ、共に鬼道にちるかのように……。

「悪に染まって得た力に、負けるわけにはいかぬ!」

 紫苑が左腕と刀を伸ばし、右手を左手の甲に添えて刀を横に伸ばして身構えたとき、燃ゆる遙が黒い灰をたもちながら呟いた。

「我も皮肉なことを見つけたぞ。貴様気づいておるな。我の魔性を斬るたびに、貴様は悪の気をまとい始めておる。白き炎で浄化しておるようだが、いつまでつかな?」

「(気づかれている!)」

 紫苑は身構えた姿勢から動かなかった。ここで動いたら負けである。

「我の魔性が強いのもあろう。だがもう一つ考えられるとは思わぬか?」

 紫苑は動かない。

「貴様はどこかで自分が悪なのではないかと疑っているのだ」

 紫苑は動かない。

「正義の名に見えて実は悪なのだと」

 変化のない紫苑に汗が流れた。

「悪を隠すために悪を斬っているのだ!」

「違う!!」

 紫苑は身構えたまま叫んだ。

「違うものか! 完全な正義ならなぜ我の魔性の毒気を取り込み、己の一部にしているのだ! 悪の心を住まわせ、かつその状態を許している証ではないか!」

「違う! 私は人間を愛しているのだ! お前を倒せば世界に居場所ができるのだ! だから私はもう人をにくむことも……! ッ!!」

 言ってから、紫苑は息をんだ。

 己の隠してきた心が、口をついて出たからだ。

「やはり貴様は正義ではなかった。貴様のこれまでの人生は、『憎しみから生まれた物語』だったのだ。我の魔性に引きずられるのも、時間の問題だな。戦うまでもない」

 燃ゆる遙が全力で魔性に集中した。

 濃い魔の波動が波打ち、身構えた紫苑を囲い込む。

「グフッ! グフッ!」

 あまりの魔性に紫苑がむせると、燃ゆる遙は平然とした顔で眺めた。

「本当にむせるのか? すぐに心地良いと気づくはずだ」

 燃ゆる遙は紫苑に正義の心が失われれば、神への奉納の剣舞の力が消滅すると考えていた。そのために、魔性で攻撃することに決めたのだ。

「力を持つ人間は、かく悪の道に入りやすい。利用しようとする者、足を引っ張ろうとする者、ねたむ者……、ありとあらゆる悪を目にするからだ。悪に対抗するために己も悪の道を使わざるをない。そして悪人にそこをつけ入られる……。

 人間とは愚かなものだ。悪になりきるなら、悪人を殺すところまですればいいのだ。そして貴様はそれをしていたのだろう。だから悪を理解し受け入れる余地があった」

 あざけりながら、燃ゆる遙は、なけなしの偽善でかろうじて立っているであろう紫苑を眺めた。

「さて、いつまでつかものだ」

 紫苑は今まで必死にこうちくしていた地面を崩壊させたことに、足が震えていた。

 自分は実は人間が嫌いだったのか?

 人間を恨んでいたのを意識して「忘れて」いたのか?

 綾千代の言う通り、自分は人ではなく力しか信じていなかったのだ。

「憎しみから生まれた物語」。

 燃ゆる遙に言われた、紫苑の人生の題名に、紫苑はりつぜんとした。

 確かに紫苑は人を愛したことがない。

 だが、全員に拒絶されたのなら、全員に好かれるように生きようと、人間をじっひとからげにしてしまうのは、当然ではないか。

 私は誰も愛さない。

 受け入れてくれないなら、愛さない。

 先に拒絶したのがお前たちなら、先に受け入れるのはお前たちの義務だ。

 紫苑は、徐々に燃ゆる遙の魔性におかされ始めていた。

 心の中がえぐられるような感覚に、苦しみと同時に安らぎもする。

「(今まで誰も知ろうとしてくれなかったね、私の本当の心)」

 紫苑はいつしか心の中で、ひとごとを呟いた。

 正義のために生きれば、生きていい理由になると思った。人に存在を認めてもらえると思った。

 だけど、本当の心の中では、自分を受け入れてくれない人間たちを、皆殺しにしたかったのだ。

 それを燃ゆる遙にあばかれて、紫苑は迷っていた。

 人間は、本当に救うべき存在なのか? 愛する価値があるのか?

 世界の破壊鬼に唯一対抗できる、世界の最終さいしゅう兵姫へいきは、なやんでいた。

 しかし、思考がこの世界は守るべきなのかにまでおよんだとき、はっとした。

「(この世界は救う価値がある! 人間がいなくなったあとも、新たな種族が生まれ、善に向かうかもしれない!)」

 それを足掛かりに、紫苑は地の底に沈もうとする心が、一歩踏み登った。

 自分は攻撃力の進化した人間だ。だけどたった一人では、この世界は一部しか進化しないこともわかっている。多数の生命体がいなければ、世界は止まる。

 なんだ自分は人を信じていたのか。

 進化を見せてくれる人々の可能性を、信じていたのだ。

 だから守りたいと思ったのか? 生命の集まる、この世界を。

 自分は世界を愛していたのだ。なぜなら、

「人間だけを愛したら弱くなる。すべてを愛すれば強くなるから――」

 それに気づいたとき、紫苑のしろほのおが一瞬、しろひかりに変わり、まとわりつく魔性をはじき飛ばした。

「世界を愛しているなら――、その中に生きる人も愛しているはず。たとえむくわれなくても、私は世界のために生きよう。世界にあだなすというのなら、滅びよう。私はその覚悟がある。なければ人など斬り続けられはしなかったのだ。

 自分の命を捨てられない奴に、人を斬る資格はない!!」

 白き光がおさまり、白き炎に戻った。

「世界のことがこんなにも好きなのは、世界がこんな私を殺さず、居場所をくれたからだ。私は世界におんがえしをするつもりだ。私の居場所を傷つけその調和を乱すなら、私が相手だ!」

 燃ゆる遙には、はっきりとわかった。

「人間の、あやつを拒絶する悪の姿が、自分と同じ道へあやつを引きずり込もうとしていたのを、『世界』が引き上げた!」

 そして忌々しに牙を一回嚙み鳴らした。

「自分より大きなものを信じる者は、その心は固く、悪を完全に叩き潰すことができる。

 今あやつは『世界』という大きなもののために、己の『正義の殺戮』を正当化した。もう二度と迷うまい! たとえ『憎しみから生まれた物語』が変わらなくても――」

「世界のための『愛から生まれた物語』に変換できる」

 紫苑がけつぜんと告げるのに対して、燃ゆる遙は牙を剝いた。

「ごまかすな! 人間嫌いが愛などと!」

「人が変われば私も変わる。人は人を変えるために生きているのだと、私はようやく気がついた。私が生きることで何かが変えられるのなら、私は人が変わる可能性に賭けてみようと思う。悪をし、他人に回復できない傷をつければ、もう斬る以外に道はないが」

 燃ゆる遙は、目の端に皺が寄るほど、目を大きく開いた。

「こやつ! 『人ではなく人の可能性を』愛しおった!」

 そして、紫苑と燃ゆる遙は同時に叫んだ。

「「『人を愛し、愛さない』のだ!!」」

 紫苑は片眼をつむり左の剣を燃ゆる遙の右眼に向けた。

「これが魔性と浄化の白き炎を同時に身に帯びる、剣姫の力の正体だろうな。

 私は思う、進化しない世界にいかり人間を滅ぼそうとする心と、人の可能性を信じかてと才能を人間に与える心、この両極端の心を神でさえ持っているとな! 神が持っているのに、その神に命をもらった人間が、持たないはずがない!」

 燃ゆる遙が牙を嚙み合わせて軋らせた。

「この二つの心がある限り、貴様はどちらのゆうわくにもなびかない、完全な剣士となる!

 人間を滅ぼす誘惑にも、人間が生き延びるために人間以外をしいたげ滅ぼす誘惑にも傾かない、なんという完璧さ! 引きずり込む余地が、まるでない!」

「この真実を手に入れたからには、うえ己の魔性と白き炎にかかずらうこともなし! お前の魔性はもう効かぬ、燃ゆる遙!」

 続けて紫苑は宣言した。

「人を愛し、愛さない私は、今完全に孤独になった! だがその代わり、どんな悪の言葉も私には届かない! 『正義』が力を欲する限り、私は生きよう! たとえ最後はその殺戮の『魔性』でこの世に居場所がなくなったとしても……!」

 そして、大きく息をいだ。

「私はそのときまで、人を愛し、愛さない!」

 燃ゆる遙は顔を醜く変えた。

 善でも悪でも、両極の極みにいる、極端な者はつけ入る隙がある。こり固まった心というのは、かく操りやすい。

 問題の原因を探らず、表面的な理屈でき伏せてしまえば、相手は原因を解明することなく、いつまでもその表面的な理屈に振り回され続ける。

 しかし、この女のようなどちらか一方に偏らないちゅうどうの相手は別だ。

 この種の人間は、常に両方の考えを疑い、自分の答えをすべてにおいて出す。物事のあるべき程度を知っていて、しかも基本的に他人を信用していないから、他人が操るのは難しい。下手をすると、操っていることを見抜いてはんげきしてくる。

 そして中道の思考が最も強いということを、知っている――。

 燃ゆる遙は放出しすぎていた魔の波動をおさめた。もうこのさぶりは、この女には効かない。

「愛にも殺意にも偏らないこの中道が最強だということを、今その身に教えてやろう!」

 紫苑は言うなり、目の穴も口の穴もない、完全な半月の仮面を、顔の左半分につけた。

挿絵(By みてみん)

「顔の右半分を見せた! これは……だんそうか!?」

 燃ゆる遙の声を聞きながら、紫苑は綾千代の言葉を思い返していた。

『お前は今、いんの気のきょくと、多少のようの気を持っている。陰の気ばかりで、本来なら気のじゅんかんが滞っているはずだったのだが、善のために生きたいという陽の思考があったので、助かっていたのだ。

 燃ゆる遙は陰の気のきょくてんを持っている。中途半端な今のままでは、勝てない。なぜなら燃ゆる遙は陰の感情しか持たず、鬼道きどうの行いしかしてこなかったからだ。この陰の極みの境地に勝つのは難しい』

「私の陰の気でも足りませんか」

『お前が陰の「女」で、奴が陽の「男」であることを差し引いてもな。かといって今さら陽の気の極点に向かったところで、燃ゆる遙と条件が互角になるだけだ。それに「陽」気になって、心を燃やし続けられなければ意味がない。魔性も白き炎も出ないからな』

「しかし私は戦います。奴の、陽の気が極端に少ない不安定な部分をつけば……」

『そのためには中道になれ』

「!」

『男装しろ。女でありながら男になれば、陰陽おんみょうの気が均等になる。完全な調和は、そのもともとの力を倍増させる。そもそも一方の気が強すぎると、弱い方は食われて調和がたもてなくなり、いずれ強い方も崩れ去ってしまう。

 一方に完全に染まれるのは、完全な神としんだけだ。それ以外の存在がそんなことをしたら、気がめぐらず、息絶えてしまう。燃ゆる遙は陰の極点だが、陽の気である男の力を持っている。だから生きていられるのだ』

 そして綾千代は穏やかな声を出した。

『わしも、なぜ最強の白き炎が人間不信のある者にしか目醒めないのか、ようやくわかった。世界を愛し、愛さない。それこそが最強への鍵だったのだ……。陰と陽の力、操ってみせよ! もしお前が世界を許せるときが来たら、必ず燃ゆる遙よりも強くなる。いいか、この世には三つの最強がある――』

 紫苑はカッと目に力を込めて、燃ゆる遙に顔を上げた。

「ようやくわかったぜ綾千代。てめえの言った、中道の意味がな!」

 ことづかいがまるっきり変わった紫苑に、燃ゆる遙は眉を吊り上げて、様子をうかがった。

おれには燃ゆる遙、てめえの限界が見えたぜ。陰に傾いても陽に傾いても、生命体である限り、どこかに反対の陽か陰がなけりゃ、気が滞って生命は死ぬ。陰の気が強すぎても、陽の気が強すぎても、力は強いがそいつは気の循環が失速して早死にだ。だからてめえは放っといてもすぐ死ぬんだよ、燃ゆる遙」

 男のように声を低くして、紫苑が威圧的な目を悪鬼に向けた。女のなまめかしい肌に男の猛々しいまなしが、妖しくもきらびやかに映える。

「陰陽のことわりか……。だが我は陽の気の男たちを大量に喰っておるから、まだまだ死なん」

 目と口を歪ませて、燃ゆる遙が紫苑を見下ろした。紫苑は意にかいさない風に、赤い髪を振った。

「燃ゆる遙、俺がてめえという陰の極点にまさるときが、一つだけある。陰と陽の気を極限まで放出し、かつそれが完全に釣り合いの取れたときだ。

陰と陽の気が完全に調和したとき、気は整い、その者の耐えられる限り際限なく体外からも体内からも気の循環が加速して巡り、体が耐えられるまで、力が永遠にかんぜんそうしゅつされる。それが今の俺の力、中道の陰陽和合だ!!」

紫苑の体から大量の気が放たれだした。ぐんぐんと、出力を上げている。

「中道……! 人間がせいへんそうするだけで、ここまで気が循環するものなのか!?」

 燃ゆる遙が思わず後退するほど、紫苑の気が高まっていた。

 紫苑が口を横に引いて、不敵に笑った。

「この世には三つの最強がいる。一つは完全なるようの神、一つは完全なるいんしん、最後の一つは陰と陽の気が完全に同じ大きさでへいりつし、右回りに追い続けあうことが最大に加速した、完全なる生命体だ。この世に生きる生命体が神に匹敵するには、体が崩壊しない限り、この方法しかない!」

「それを手に入れたというのか! 陰の極点である我を超えて!!」

「世界に無関心な奴も中道だが、それでは気力は巡らねえ。最も強い中道の極は、世界を憎みながら愛することだ! そして女らしさをあわせ持ちながら、強き男になる! それが俺の力だ!」

「それが最強の中道ッ!!」

 燃ゆる遙が驚愕にのけぞった。紫苑の気が、白き炎と魔性に変換され、昼のようにまぶしい。

「男にあっては美しく、女にあっては麗しく! 行くぜ燃ゆる遙! しん以外にゆるされた、真の生命体の力、見せてやる!」

 言うなり、紫苑が白き炎を燃やして飛んだ。

 燃ゆる遙のわきをすり抜けた――と悪鬼は思った――ときには、腹の中央までえぐれていた。

「――なッ――!」

 悪鬼が息つくひまもなく、紫苑が悪鬼の背側から右胸を貫いて出てきた。大理石の鎧が粉々に砕け散った。

 激痛にほうこうする燃ゆる遙は、黒い灰をまき散らし、身を守ると片膝をついた。

 腹と胸の傷が修復している。さきほどの共喰いで余った力を、まわしたのだ。

 しかし、右胸は完全には傷がふさがらなかった。

「(次からの攻撃は、もう回復できねえな)」

 紫苑は確信した。

 ゼイ、ゼイと喉から音を出しながら、燃ゆる遙は荒く息をついた。そして、きっ、と紫苑を睨み据えた。

「おのれなんという力! 人間ごときが! せつに神に並ぶ、唯一の手段ッ!!」

 紫苑は好戦的な赤い瞳を光らせ、双剣を構えて腰を落とした。

「この姿になったら、もう優しくはなれねえぜ」

「ぬかせー!! この我がここまでの傷を食らうとは、許せぬ!! 神だの魔神だのと、ほざけ!! いんきょくてんの我以外には越えられない壁を、見せてやる!!」

 黒い灰をまとった魔性を大剣に集中して、燃ゆる遙はねじ曲がった目をさらに歪めた。

「その割には大剣にいっきょく集中か。てめえもやばいって、わかってんじゃねえか」

「うるさい!! 中道などと言っておいて、その実は中途半端なだけだ!! 我が叩き潰してくれる!!」

 黒い灰のうなりを上げて、燃ゆる遙の大剣が紫苑に迫った。

 紫苑の双剣がせんすると、燃ゆる遙の剣が一度目にひび割れ、二度目に斬り飛ばされた。

「どうした! そんなもんかてめえは!!」

「まだまだァァッ!!」

 黒い灰が折れた部分に集まり、となって、そのまま紫苑に振り下ろされた。

 地面がめり込み、岩が飛び散った。

 紫苑をちょうど縦半分に斬ろうとして、黒い灰の大剣は力を込めて震えていた。あと少しのところで、紫苑も歯を食いしばって、エビりで耐えている。

 白き炎が黒い灰を阻んでいた。

 すぐさま双剣を頭の下の地面に刺して体を支えると、紫苑は、

「あぁァッ!!」

 と、気合と共に上体を前に倒して、白き炎で大剣を弾き上げた。

 そして、白き炎を放出して飛ぶと、燃ゆる遙の体の中央に、深々と右の剣を突き立て、白き炎をそそぎ始めた。

「ウオオーッ! あつい、熱いー!!」

 紫苑と刀を、引き剝がそうともがく燃ゆる遙の両手を、紫苑は左の剣であしらった。

「俺が殺してやるから、大人しく死にな。てめえは絶望をまき散らしすぎたぜ」

 黒い灰の魔性が白き炎のらめきに踊るのを、炎に光る瞳に映し込みながら、紫苑は出力を上げた。

「ウギャアアアー!!」

 燃ゆる遙のすべてが、焼き尽くされようとしていた。紫苑の赤い瞳が、かつて自分が封印された紅葉橋のこうようを思い出させた。燃ゆる遙は狂ったように暴れた。

「我は死なぬー!!」

 燃ゆる遙は死に物狂いで、口から息を吸い始めた。

 二度目の共喰いをするつもりなのだ。

 だが、きゅういんりょくはなく、一つもかたまりが飛んでこない。

「なんでもいい! 何か――、何か――!!」

 悪鬼が最後の力を振りしぼると、ハッと、紫苑は刀と共に危なっかしく地上に着地した。

 紫苑は、剣姫でなく、通常の人間と変わらない状態に戻されていた。

 真の生命体の力も、白き炎も、消え失せていた。

「な……何が起きたの!?」

 半月の仮面を外し、紫苑は燃ゆる遙を見上げた。

 悪鬼は牙を嚙み鳴らしていた。

「貴様の魔性、であった!」

「まさか!」

「共喰いは一度しかできなくても、魔性ならいくらでも食えるらしい! 傷が回復して、これでまだまだ戦える!」

 一度剣姫になれば、相手を倒すまで魔性が尽きることはなかったのに、なぜ……と考えて、紫苑は、今回自分は悪に怒って剣姫化したわけではないことを、思い出した。

 最初に倒すべき相手がいなければ、人は最後まで戦えないのか? 理想だけではくじけるのか?

 魔性の尽きた己のふがいなさに紫苑が歯軋りしたとき、燃ゆる遙が刀を振り下ろした。

 走ってよけても間に合わない! と紫苑が目をつぶったとき、体に何かがぶつかるような衝撃があった。

「ぬう!」

 悪鬼の斬撃は、地を砕いただけだった。

「……出雲!」

 出雲が紫苑を抱えて、燃ゆる遙から離れていた。

「剣姫の状態が解けたら、そばにいてもいいだろ?」

 片目をつぶってから、そっと、しかし素早く紫苑を地面に降ろすと、出雲は続けて早口で言った。

「お前には二つ選択肢がある。一つはこのまま最後まで悪鬼と戦い、死んでも構わない道。もう一つは降鶴さんたちと協力して、再び悪鬼を封印する道。今、選んでほしい。どうする!」

「最後まで戦うわ。こんな鬼道を生きたまま封印して、のちの世界を苦しめるわけにはいかない! 私の命がある限り、悪鬼と戦う!」

 即答した紫苑に、出雲は目頭が熱くなった。

 未来のために、体を崩壊させてまで悪鬼を封じた綾千代と、重なったからだ。

 この少女が主で良かったと、出雲は心から思った。

「じゃあ、オレも一緒に戦うぜ。お前が死んだらどのみち塚にかえって、死んだも同然になるしな」

 刀を素振すぶりする出雲に、紫苑は表情をくもらせた。

「どうにかして、もう一度剣姫にならなければ……。それも、通常以上の魔性でなければ、食われてしまう」

「一瞬でもなれれば、男装の一撃で倒せるか?」

「いえ。あれは……しばらく難しい」

 驚きを声に出さずに、汗を飛ばして、出雲が振り向いた。

「どういう意味だ」

「あれは私の体を、気の循環が無限に続く加速回路にしてしまう。神魔に匹敵するけれども、抑えて体を休めないと、肉体は気の加速のに耐えられず、あっという間に崩壊してしまうのよ。一回の戦闘に一度が限界ね。何度も発動はできない」

「じゃ、もう切り札は出せないってことか。地道にお前の剣舞とオレたちの炎で戦おう」

 戦う意欲を見せる出雲を、紫苑は手でさえぎった。

「だめよ。これは私の戦いだもの。なんとか燃ゆる遙を倒す剣姫になるから、私が覚醒したら戻りなさい」

「そうはいかない。そのときはオレも動けるように、霄瀾の竪琴を頼んである。もうオレは戻らない」

「出雲!?」

 危険を承知の出雲に、主として紫苑がたしなめようとすると、出雲が悪鬼を見据えながら、言葉をつむいだ。

「なあ紫苑。確かにお前の百二十パーセントの力はすごかった。だけど、肉体が砕けてからでは遅いだろう?

 一人の限界は百二十パーセントだけど、八十パーセントや百パーセントの人間が何人も集まれば、千パーセントにも二千パーセントにもなると、オレは信じてる。

 もっと他人に頼れよ。もっと他人を信じろよ! そうでなかったらオレたち一人ひとり、互いに何のために生きてるのか、わからないじゃないか!」

 言われて紫苑は胸を打たれた。剣姫として燃ゆる遙を倒さなければならないけれども、世界には自分と燃ゆる遙しか存在しないわけではない。

 人の可能性を信じるならば、他人の力も信じるべきなのだ……!

「剣姫が出るまでは私もただの人間! そこまでは出雲がいることを許す! でもそれ以降は私に道をゆずりなさい! 剣姫でなければ勝てないからだ! いいわね!」

「一応承知したぜ!」

 紫苑と出雲は燃ゆる遙に向かって走り出した。

「はあっ!」

 炎を走らせた刀で出雲が斬りつけた。炎で魔性が弱まり、悪鬼に刀の半分までの深さの傷をつけた。

 しかし燃ゆる遙は意に介さなかった。

「この程度の攻撃か!」

 そして、出雲を蹴り上げた。そこへすかさず紫苑の、炎を宿した刀の剣舞が入る。

「ウグッ!」

 足の裏を五芒星に深く斬られ、思わず燃ゆる遙は足をかばって一歩引いた。

 口から破壊波を出して、紫苑を叩きのめそうとしてくる。

 対する紫苑は再び剣舞で、悪鬼の力を散らした。

「おのれ……! 魔性を食われても、なおこれだけの力が残っておるのか……!」

 口を歪めて吊り上げた頬肉で片目が半開きになりながら、燃ゆる遙は大きく息をついた。

 一見、互角。

 だが、紫苑は大量に体力を消耗していた。

 あと一度でも破壊波を散らせるかどうか、わからないほどだった。

 何もない人間が、魔性を斬り裂きながら悪鬼を倒すのは、不可能だ。

「(ラッサ王が体力の限界で、悪鬼を封印するしかなかった理由が、うなずける)」

 荒い息を気取られないよう、肩が上下するきょうしききゅうではなく、ふくしききゅうで息を整えながら、紫苑は双剣を見つめた。

 なんとしても、剣姫にならなければ、倒せない――!

「次からはもう、様子見はせんぞ!」

 燃ゆる遙が上体をのけぞらせ、再び破壊波を出そうとしている。

もう完全に散らせない紫苑の体中から冷や汗が噴き出したとき、紫苑の視界の隅を、無数の小さい影が走った。

「子供!?」

 年は五才から十才くらいまでの、子供たち十人ばかりが、手に手に刀を持って、燃ゆる遙の前に立ちはだかった。

「悪鬼め! オレたちが相手だ!」

「待て子供たち! なぜこんなところにいる! 早く戻るんだ!」

 紫苑が駆け出そうとしたとき、横から声がした。

「やめろ鉄男! お前のかなう相手じゃない!」

「三助! 早くこっちへ!」

 素早く紫苑が振り向くと、子供たちの親らしい、平民の服を着た者たちが、口々に子供の名を叫んでいた。

 その隙に子供たちは悪鬼へ走り出した。

「うおあああー!」

「死ねー! 悪鬼!」

 やーあーあーあーあーと、走りながら声を発し、刀を上段に構えたまま突進していく。

 燃ゆる遙は苦もなく二歩で全員踏み潰した。

 紫苑の中で何かが切れた。

「燃ゆる遙……! 貴様私の最も信じる、可能性に満ち溢れた子供を……踏み潰しおったな……!?」

 剣姫の魔性が出かかるのをさっすると、燃ゆる遙は口から息を吸い込み、剣姫の魔性を食い始めた。

 出雲の力が抜けるのを、霄瀾の竪琴が流れ聞こえ、支える。紫苑は陰陽おんみょう均縛きんばくじんの効果がまだ持続していたので、剣姫化に集中している。

「もう二度と魔性は出させぬ!」

「うぐうっ! 怒りが奪われる!」

 紫苑が片膝を曲げかけたとき、子供の親たちが紫苑と燃ゆる遙の中間まで来て、紫苑に怒号を浴びせた。

「この人でなし!! オレの子供を見殺しにしやがって、やっぱりてめえは殺戮鬼だ!!」

「この町に住まわせてやってるのに、肝心なときに使えねえ!! この役立たず!!」

「お前なんかくたばれ!! オレの子を返せ!! 馬鹿野郎!!」

 そして、人々は紫苑に石を投げ出した。

「おい、やめろお前ら!!」

 出雲が止めに走ろうとすると、

たなに上げるのか……!」

 暗い地の底から押し出したようなうなり声を、紫苑が上げた。

 その声に、人々も出雲も止まった。

「我が子を身をていして守りもしなかった奴が、ただ立っていることしかしなかった自分を棚に上げて、他人を責めてりゅういんを下げているのか!! どこにも愛がない!! あるのはただ己の欲求不満のはけ口を他者にぶつける、自分勝手な情動の発散だけだ!!」

 紫苑はけんを見せて、歯を食いしばった。

「貴様らは己の子供の死を、そんな感情でしか表現できないのかァーッ!!」

 一気に魔性が爆発し、紫苑は白き炎をまとった剣姫になった。

「なぜだ! 魔性は食っているはずなのに!!」

 燃ゆる遙が焦ったが、出雲にはわかっていた。

「燃ゆる遙と親たち、二回もいかったからだ。一度共喰いした燃ゆる遙は吸引力が落ちている。二回分は食えない!」

「貴様ら、死んで子供たちの心を知るがいい!!」

 剣姫が出現したのを見て取ると、親たちは悲鳴を上げて、燃ゆる遙の方へ駆け出した。

 悪鬼はザコの人間どもに構っている場合ではなかったが、剣姫とたいするために、大剣を構えようとしたとたん、

「ぬう!?」

 一瞬動きが止まった。

 親たちは皆、燃ゆる遙の背に腕に足によじ登り、しがみついていた。

 そして、親たちは全員、いま無残に殺されたわが子のなきがらおだやかに見つめながら、涙を流して微笑んだ。

「お前ら、まさか!!」

 出雲がはっとするのと、

「子供を犬死にさせおってー!!」

 紫苑が全力で駆け、刀を構えたのは同時だった。

「破壊波!!」

 紫苑を粉砕しようと燃ゆる遙がゴアアと口を開けようとするのを、出雲の炎の剣が、顎の下から串刺した。

 剣に邪魔されて、口が開かない。

 悪鬼の苛立ちに燃える眼と、出雲の決意にうるむ瞳が睨み合った。

「てめえなんかのために……てめえなんかのために……!!」

 剣を握る出雲の手が、ブルブルと震えた。悪鬼が口を開けようと、力を込めている。

「今だ!! 行けぇ紫苑!!」

 出雲が剣から手を離して転がり落ちた。

 燃ゆる遙は、紫苑を斬り裂こうとした腕から背から足から、めった斬りにされた。

 口を閉ざされた悲鳴を上げて、体をかがめる燃ゆる遙に、紫苑の追撃の手は緩まなかった。

しろほのおけんまいひめ! げきめつせよ! あっせいばい!!」

 白き炎を身にまとい、紫苑は激しくけんを舞った。

 剣舞最強のまい、棚引く天地、あまねく光、命の集まり森羅万象をき、えがき、舞い踊る。

 すべてが終わったとき、燃ゆる遙は立っていた。

 無数のをその身に受け、月の光が通過して、地面の影にそれを映し出していた。

挿絵(By みてみん)

 そしてぼろぼろに破れた布切れのような体で両膝をつくと、すべての臓器が散乱している地面に、大きな地響きをたてて倒れ伏した。

「……倒した……!」

 出雲が息をんだ。悪鬼の体から、魔性が失せている。何の力も発していない。

「やったぜ紫苑! 倒したぞ!!」

 肩で大きく呼吸している紫苑に、出雲や殻典、降鶴、霄瀾たちが走り寄ってきた。

「まさか、燃ゆる遙を倒してくれる方がいらしたとは……!! 本当に、ありがとうございます!!」

 降鶴や、降鶴が引きずって避難させてきた四人の男女、それに霄瀾が、驚きと感謝の目でお礼を述べている。

 息が整わないながらも、紫苑がそれに応じようとしたとき、

「ククククク、バカめ! 一箇所に固まるとは好都合だ!!」

 突然、燃ゆる遙が出雲の刀を引き抜いた。

 そして、破壊波を出そうと口を構えた。

「そんな!? 悪鬼が……!!」

 色を失う一同の中で、紫苑と出雲だけは、魔性のない燃ゆる遙が完全に死んでいることを見抜いていた。

「骸だ! 生きてやがったか! 紫苑、奴は脳にいる!」

「ハハハァ! これで燃ゆる遙の体はこちらのもの! 魔族王だ! 今魔族王が誕生したぞー!!」

 高らかに笑う燃ゆる遙の頭を狙って、紫苑の白き炎と、出雲の赤く燃え盛る炎が編まれあい、放出された。

「そんなもの弾き返してやる! 破壊波!!」

 悪鬼の口から衝撃波が出たが、紅白の炎はそれを押し返し、燃ゆる遙を包み込んだ。

「なぜだ!! 最強の体のはずなのにぶぶい……」

 蛍光ナマコの骸の体も炎にき尽くされ、消滅していった。

「薄っぺらい人生の貴様ごときに、陰の極点の力が出せると思うのか」

 紫苑はそう言って双剣を振ると、同時に鞘にしまった。



終章



 月宮の死で、千里国は新たな国守が任命されるまで、山脇将軍が国守代理を務めることになった。

 華椿一族が黙っていなかったが、華椿雪開の蓮華の筆を見せると、みな押し黙った。うえ騒ぎ立てて、まんの前でこれまでの悪事をばらされたら、かなわないからだ。

 魔族の生き残りは、山へ戻っていった。しばらくは戦力の回復に努めるだろう。

 千里国の民は、紫苑が燃ゆる遙を倒しても、誰一人礼を言う者はなかった。戦死した武士を守ってくれなかった恨みからと、これまで散々(さんざん)陰口をたたいてきた仕返しをされることを恐れたからである。「関わりたくない」。とにかくその一言に尽きた。それに気づいたときの紫苑の表情は、後ろに控えていた出雲からは窺うことができなかった。

 出雲と紫苑は、今回の戦死者の慰霊いれいの前に立っていた。

 あの子供たちと親は、華椿雪開の仕込んでいたものだった。

 どうしても「悪を倒す」剣姫が必要になったとき、その身をささげる、剣姫の呼び水。

 この町の民は、子供以外は皆その使命を知らされていた。

 失言すれば剣姫に斬られるから、今まで紫苑をうとんじていたのではなかった。

 今日明日にも散る覚悟を持っていたがゆえに、その斬る本人である紫苑を前にして、泣くこともできず、楽しむこともできず、その憎しみを隠すことが、できなかったのだ。

 そして、子供は親のそんな感情を敏感に肌で感じ、自然と紫苑を疎んだ。

「(紫苑、自分から傷ついていたのは、お前だけじゃなかった。傷つくことをやめないで良かったな)」

 出雲は石碑を見上げた。そして呟いた。

「お前たちのことを、オレは覚えているぜ。みんなのために、命を懸けてくれてありがとう。天国で子供と幸せにな」

 菊の花を供える出雲の頭上で、紫苑が瞳を閉じて静かに涙を流していた。

「途中でわざと、私を怒らせたって気づいたのなら、どうして言ってくれなかったの……!」

 出雲は花を置いた姿勢のまま、目を伏せた。

「でなければお前は剣姫になれなかった……維持できなかった……斬れなかった……」

「私は、罪もない人たちをっ……!」

 紫苑の背中にそっと手を当てながら、立ち上がった出雲は空を眺めた。

「お前だってこの力のために、人間との関わりを犠牲ぎせいにしてきたじゃないか。相手に罪がなかったわけじゃない!」

 紫苑が少しだけ、震えを止めた。

「何かを成すときに、犠牲のない世界なんてないさ」

「……ええ」

 視線を落とす紫苑に構わず、空を見続けながら、出雲が語りかけた。

「なあ。お前の宿命って、もう燃ゆる遙を倒して、終わったのか?」

「……そう……ね。きっとそう。私はもう、力を持て余す、世界の厄介やっかいものよ。私の今後は、後はいつ死んでもいい、おまけの人生ね」

 すると、出雲が眉根を寄せて口をとがらせた。

「オマエなー、宿命は終わっても、運命は変えられるだろー!」

「え?」

「生きてりゃいろんな夢を見る! お前の人生、ここで終わりじゃない! なんでもいいから手を伸ばしてみろ! つかんだ幸運は育ててみろよ!」

「え、でも……」

「すべてが終わったら、またすべてを始めればいいじゃないか! 生きてて何も起きないわけないだろ! 問題も、希望も、なんでももらっちまえ! きっと解決できる、かなうよ! もし困難な目にっても――」

 出雲が紫苑の顔を引き寄せた。

「オレが、そばにいてやるからさ!」

 きれいに揃った白い歯を見せて笑う出雲に、

「うん、あんたは私の式神だもんね」

 と、紫苑はようやく笑顔を見せた。

 出雲は穏やかな顔で紫苑を見つめた。

「お前は一人じゃない。なぜかって、オレがお前の式神になったのは――」

 きっと、塚の中から感じていた、いつも独りでいた子を、守りたかったから――。

「……この町を出ないか紫苑」

 出雲は真剣な顔になった。紫苑もがおになって、うなずいた。

「この優しい人々を、剣姫にを向けなかった人々を、これ以上傷つけられないわ」

 紫苑は続けた。

「幼かった私を殺さなかった彼らには、恩がある。私はこの国を救い、恩は返した。こんな優しい人たちのいる場所に、もう剣姫はいらない。神がこの世にいたら、もうここに神は必要ないと、きっと去るでしょう」

「この町の外に出たら、また人から疎まれるかもしれない。今より苦しむことが待っているかもしれない。それでも――」

「すべてを始める世界へ、行ってみたい!!」

 紫苑はぐな瞳で出雲に笑いかけた。

「よし! 決まり!!」

 出雲と紫苑は、笑いあいながら赤ノ宮神社へ駆け戻っていった。


 数日後、たびたくをした紫苑と出雲を見送る、殻典たちの姿があった。

「本当によいのか紫苑。剣姫の魔性を見せれば、お前はまた人から……」

 心配して思いとどまらせようとする殻典に、紫苑は笑って答えた。

「父上、大丈夫ですよ。出雲がいてくれますから」

「うん、任せとけ殻典さん! 紫苑はオレがしっかり支えるから!」

「ああ……心配だ心配だ……!」

 頭を抱える殻典に、降鶴がほっほと白いくちひげを動かした。

「この二人なら、敵にくびをかかれることもありませんよ」

「あ、いえ、そうではなくて、女の子だから……」

「悪い虫はオレがぶった斬ってやるから安心しな」

「おお! そうしてくれるか出雲!」

けんのんですな……」

 涙を流して出雲の手を取る殻典を、降鶴はひらたい目でじっと眺めた。

「都へ行きなさい。本当のぜんせいと民を見てきなさい」

 殻典の言葉に、紫苑は従うようにうなずいた。

「紫苑、行っちゃうの? せっかく悪鬼をたおしたのに……」

「ごめんね霄瀾。でも私、生きる意味を探したいの。与えられた宿命を終えたあと、自分の手で運命を切りひらいてみせたいの。だから、しばらくお別れね」

 霄瀾は紫苑に抱きついた。

「これでお別れじゃ……ないよね、ないよね……!」

「ええ……大丈夫よ、霄瀾!」

 紫苑も抱きしめ返した。

 降鶴からもらった神剣・青龍を軽くなでながら、出雲は二人を見て微笑んだ。


 町の外を歩きながら、紫苑は風に身を任せた。

「これが外の世界かあ……。ドキドキするなあ」

「ねえー! まってー!」

「霄瀾!?」

 霄瀾が、後ろから駆けてきた。

「ボクも、連れてって!」

 霄瀾は、降鶴の手紙を見せた。そこには、霄瀾について、神器の使い手として立派に成長してほしいのでよろしくお願いいたしますということと、霄瀾が、紫苑のすることが気になっている、ということが書かれてあった。

 紫苑は、自分のことを心配してくれている霄瀾に、心が安らいだ。

「いいわ。私がしっかり守ってあげるから、一緒に行きましょう!」

「ほんと!? ありがとう、紫苑!」

 紫苑の周りを飛び跳ねる霄瀾に笑いかけながら、紫苑はふと思った。

「きっと世界が私の望む世界になったら、私はこの世界から望まれない存在になるのだろうなあ」

「そんときはオレがいるさ」

 隣で笑う出雲は、藍色の髪を風になびかせながら、のんびり答えた。

「新しい運命を、一緒に見つけよう」

 そう言ってくれる出雲が、紫苑には嬉しかった。

「ボクもいるよ!」

「ええそうね、霄瀾」

「(そのとき犠牲にするのはきっと別の何かで、私はまた苦しむのだろうけれど……)」

 紫苑は、こうがたくさんまっているかのようなかぜに、手を伸ばした。

 たとえどのようなけつまつになったとしても、あらゆるのうせいを試して、死ぬならばいはない! 一生剣姫の魔性から逃れられなかったとしても、私は一生自分が好きだ!

「出雲! 霄瀾! 行くわ、私! 誰よりも心確かに……!」

 紫苑はようこうに手をかざした。

 秋の抜けるような高い青空は、紫苑がどんなてまでも突き進める気にさせてくれるほど、遠く大きく広がっていた。



――扉の向こうに行ったから――

“その人”は思った。

――あなたに会えるのを待っている――

“その人”は言葉を紡いだ。

 しかし、決して音になることはなかった。


 すいしょうの結晶内の美しい顔立ちの青年が、輝き光るきらめきの中、時が動き出すのを待っている。


「星方陣撃剣録第一部紅い玲瓏一巻」(完)


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