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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第九章 剣姫その心を示せ
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剣姫その心を示せ第五章「二人旅」

登場人物

双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑あかのみや・しおん、神剣・青龍せいりゅうを持つ炎の式神・出雲いずも、神器の竪琴・水鏡すいきょうの調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾しょうらん、帝の一人娘で、神器の鏡・海月かいげつと、神器の聖弓・六薙ろくなぎの使い手・空竜くりゅう姫。聖水「閼伽あか」を出せる、魔族の格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉えんせんうつわの持ち主・閼嵐あらん

強大な力を秘める瞳、星晶睛せいしょうせいの持ち主で、「水気」を司る玄武げんぶ神に認められし者・露雩ろう

 竜の体の一部を使って人間を操り、人族を滅ぼそうとする者・知葉我しるはが




第五章  二人旅



 二人の父と別れて、紫苑は今、厳開国げんらきこくにいる。新しい刀を買った出雲も一緒だ。

「みんなは達井履国たちいりこくにいるはずよ。一刻も早く追いつきましょう」

「いやいや、慌てても仕方ない。しっかりと大地を踏みしめて行こう」

 出雲は、初めて紫苑と二人旅になって、うきうきしていた。

「オレはお前のものなんだから、好きにしていいぞっ!」

 自分を迎えに来てくれた感謝も相まって、出雲は大胆にも紫苑を後ろからガバと抱きすくめ、紫苑の頭に頬を寄せた。

「(他に誰かいたら絶対できねーよなーっ!)」

 紫苑の春の風の匂いを嗅ぎながら、出雲は幸せに浸った。

「あら出雲、式神だからってそんなことを言ったらだめよ。あなたはあなた自身のものよ。主人に流されちゃいけないわ」

「そういうイミじゃないのにー」

 んむうーっと頬を膨らませ、出雲は紫苑の頭の上に顎を乗せた。

「あ、そうだ! よーし! 旅の間手をつないで行こう!」

 出雲は、はしゃいで紫苑の左手をとった。

「心配しなくても、もう敵に魂を取られるへまはしないわ」

 紫苑は苦笑した。

「わかってないなー。つまりオレはさ、お前とずーっと一緒にいたいんだよ」

「そうね、私が死ぬまでよろしくね、出雲」

 出雲は顔が輝いた。

「ああ! そうだとも! オレ以上に紫苑のそばにずっといられる奴はいないぜ!」

「(出雲は露雩と仲がいいし、きっとうまくやっていけるわね)」

 二人は互いにニコニコと笑いあった。

 そのとき、

「なんだお前たち、主人と式神の間柄で恋人同士なのか」

 嘲りの色と共に、鳥の骨ばった顔を持つ陰陽師の男の魔族が、猫ときつねと女の人型の三体の式神を従えて立っていた。着物の下から、骨のように細い手足がのぞいている。

 猫と狐には式神の縛りを表す交差した紐が首に巻きついている。人型の女の式神には、腕輪として巻いてあった。

「……なんだ? お前」

 二人の世界を邪魔されて、出雲がひどく不機嫌に睨みつけた。

 着物の帯にたくさんの筒を差しこんでいる魔族の陰陽師が、じろじろと出雲を眺めた。

「オレの名は混無こんな知葉我しるはが様の命令だ。仲間の極端に減っているこの場で、赤ノ宮紫苑を討ちに来た」

「堂々と言いやがるじゃねえか。オレもなめられたもんだぜ」

 出雲が紫苑をかばうように前に出た。

 混無は、余裕の表情を崩さなかった。

「どこまでやれるか見物みものだな」

 帯に差した筒の一つを開けると、式神のコウモリが無数に飛び出てきて、紫苑を吸血しようと迫った。

「野郎! 火空散かくうちる!」

 炎の式神として自分を自力で召喚した出雲が、火の玉を五発放ち、コウモリを燃やし落とした。

「行け! 生猫いきねこ! 生狐いきぎつね! 生女いくめ!」

 出雲がコウモリに注意を向けている間に、三体の式神が紫苑に放たれた。

ほのお月命陣げつめいじん!!」

 紫苑の扇から三日月の炎が発せられる。

 しかし、直撃を受けた三体は、炎をものともせず飛びかかった。

「!! こいつら、火属性の式神なのね!!」

 気づいても、もう遅い。

「キャアアッ!!」

 紫苑の体に裂き傷をつけて、三体が走り抜けた。

「紫苑!!」

 駆けつけようとする出雲の行く手を、コウモリが阻む。

 今まで剣姫ばかり目立っていたが、剣姫でないときの紫苑は、はっきり言って出雲より攻撃力が劣る。人並以上の術力で技を組み合わせることで、これまでなんとかやってこれたにすぎない。

 剣姫になれば三体を無傷でさばけるかもしれない。

 剣姫をぶには、人間の悪事を耳に入れればよい。悪事はいくらでも転がっている。簡単な手段だ。

 だが、出雲は絶対そうはするまいと思った。

 自分を救うために心を傷つけ、勝つための力に心を売り渡すような真似は、紫苑にさせたくなかったし、自分を含めた他の誰にもさせるものかと思った。

 帝の弟の月宮が紫苑の弱点を探るため、紫苑に悪事を話して心を傷つけて強制的に剣姫にさせていたことを思い出し、口の中に苦みが走った。

「お前たちが火属性だということは、調べがついてるんだよ」

 混無は式神に指示を出した。三体が、再び紫苑を襲った。

ほのお散火さんび!!」

 紫苑を中心として、球状に、内から外に向かう火が無数に出た。線香花火のようである。

 しかしこの守りの技も、三体の勢いを少しぐ程度であった。紫苑は体から血を噴き出して倒れた。

「紫苑!!」

 コウモリの中に突っこんででも紫苑に駆け寄った出雲を見て、混無は大笑いした。

「式神のくせに主人が好きなのか! お前、バカじゃねえの!?」

「なんでバカなんだよ!! 得体の知れねえ知葉我なんかに仕えてる、てめえみてえな何も考えてねえ魔族野郎に言われたくねえよ!!」

 すると混無は青筋を立てて怒鳴り散らした。

「うるせえ!! 知葉我様ほど尊いお方はこの地上には存在しねえんだよ!! 接吻せっぷんすることも子供を作ることもできねえくせに、式神てめえごときがオレに言い返すんじゃねえ!!」

「えっ……!?」

 出雲は一瞬、止まった。

 今、出雲の知らないことが聞こえた。

「そこへいくと、オレは知葉我様からお声がかかれば、すぐにでも接吻してさしあげられる! お子を産みたいと言われれば、飛んで行ける! ああ、力と知識の塊に一秒でもお会いする喜び、お前にはわかるまい!」

 独り身の混無は、砂の上でじたばたともがいた。

「おい、紫苑、オレ……」

 混無を見下ろしながら、混無に何の感想も持たず、出雲は呆然と呟いた。

「そうよ。式神は主人と接吻ができない。すれば式神の魂が主人に吸い取られてしまうから。式神は子供も作れないわ。精霊になっているから」

 暖熱だんねつ治療陣をかけながら、紫苑が立ち上がった。

「なあ、紫苑、オレ……」

 出雲の呟きを、混無の高笑いがかき消した。

「はーっはっはっは! 式神だけが知らなかったのか! 好きよ好きよの一方通行、バッカでー! 式神を好きになる主人なんかいるかよ! 何もできねえから、オレだってせっかく女の式神手に入れたけど、」

 混無の目が暗い影でにやけた。

「消耗品としか思ってないぜ?」

 猫、狐、女の三体の式神、そしてコウモリが向かってきた。彼らに表情はない。感情が消えるような仕打ちを受けているのか。

水式出雲すいしき・いずも律呂降臨りつりょ・こうりん!!」

 紫苑が水の式神の祝詞のりとを放った。

 莫大ばくだいな水気が足元から立ち昇り、波色の明暗が徐々に変化していく細い縦縞たてじまの衣になった水式・出雲は、はっと目が醒めた。

 出雲のことをいい加減に思っていたら、火の術の力そのものを消してしまいうる水の力を、身につけたりはしない。

「それが答えだ!!」

 出雲は水気の技を放った。

水天華裂すいてんかれつ!!」

 厚い水の壁が、三体を押し流した。体勢の整わないうちに、出雲は水に乗って一撃を加えていった。

 混無は、三体が出雲より弱く、また、傷を負って使い物にならなくなっているのを見た。

「行け」

 混無は無情にも三体に命令した。三体は、よろけながらも走り出した。

「もうやめろ! 死んでしまうぞ!」

 同じ式神として、出雲は混無のような式神使いに仕えざるを得ない三体が不憫ふびんで、殺せなかった。

 しかし、三体を振り払おうと剣を振ったとき、三体は切断されるのもいとわず飛びかかり、出雲に抱きついた。

「!? まさか!!」

「自爆しろ!!」

 混無の声で、三体が光と共に爆発した。

「出雲!!」

 紫苑が倒れている出雲に暖熱治療陣をかける。だが、すぐにコウモリに攻撃され、術に集中できない。

「ぐっ……!!」

 出雲が拳に力を込めた。

 水式の力でとっさに水を全身にみなぎらせなかったら、全身の火傷やけどだけでは済まなかっただろう。

「なんてことを……!! 自分の魂を分けた式神を!!」

「だから魂を返してもらったのさ。弱い式神なんかに分けるなんて、魂の無駄遣いだからな」

 両腕を広げて深呼吸しながら、混無が胸を突き出した。

「ふう、久々にほぼ穴のない胸だぜ」

 そして、帯に差した筒に目を向けた。

「次はこの三体かな」

 慣れた手つきで三つの筒のふたを開けた。鳥、ミミズ、ムカデが無数に出て来た。

「数で押し切ってやる!」

 混無は笑って、全軍を進ませた。

 まただ。

 出雲は思った。

 コウモリの式神もそうだったが、混無は式神一体一体がどうなろうと知ったことではないのだ。

 もし式神のことを大切に思っていたら、一体でも死なないように、このような、犠牲を前提とした、あり余る数で戦う戦法はとらない。

 消耗品。

 混無の言葉が嫌でも響く。

 すぐ折れる刀、無駄に射る矢。消耗品である武器と同じ認識だった。

「愛してもいないくせに自爆させやがって……!!」

 出雲が歯を強く嚙み合わせた。

 どんな達人も、最初は弱い。

「弱い式神と共に成長したお前が、その弱い式神を見捨てるなんて、許さない! お前は誰のおかげで今そこにいるんだ! お前は式神使いじゃない! お前を助けてくれた式神を一人の存在として認めないお前のような奴を、のさばらせておくわけにはいかない!」

 しかし混無は鼻で笑った。

「オレの魂をやってるんだ、魂の持ち主であるオレに全存在を捧げるのは当たり前のことだ。オレの役に立たない式神なんかに、存在価値はねえんだよ」

「こんな奴のために……! 水天華裂すいてんかれつ!!」

 出雲の水の技で、ミミズとムカデはあらかた流された。だが、やはり出雲は殺せなかった。すると、混無が怒りだした。

「おい! てめえ、るなられよ!! オレが『処理』すんの大変じゃねえか!!」

「処理?」

 出雲の目の前で、混無はぴくついているミミズを踏み潰した。

「――!!」

 言葉の出ない出雲の前で、混無はあちこちに足を動かし続けた。

「ったくよー、こいつらも全然だめじゃん! せっかく火属性に強い式神集めて来たのに! 早いとここいつら全部ぶっ殺して、オレの魂戻して、もっと強い式神召喚するしかねえよ! まったく、てめえも本気出せよ! 見ろ! あちこちに散らばってんじゃねえか! チッ、面倒くせえな! 残りの三体も召喚しとこう! てめえを倒してる間にオレは踏み潰しどおしだ!」

 混無は動きながら帯に残っている三本の筒に手をかけた。

「や……やめろー!!」

 混無のすべてに出雲が叫んだとき、鳥の式神が一斉に羽ばたき始めた。

 最後に混無が召喚した虎と鹿と犬の式神に、何かを伝えている風でもあった。

「さあ! オレの最強の式神ども! 赤い髪の女を殺せ!!」

 火属性に耐性のあるこの数を、紫苑抜きで一人でさばききれるであろうか。

 それでも紫苑に剣姫はばせまいと、一度は弱気になるも出雲が再度決意したとき。

「なんだお前たち!? 何をしている!?」

 混無の式神たちは、互いを攻撃し始めた。

 コウモリと鳥は残ったミミズとムカデをつつき、虎は鹿と犬を喰らい破く。

「召喚のしすぎで操れなくなったのか!?」

 混無の式神には闇縛りの術がかけてあって、たとえ制御できなくなっても、主人である混無には攻撃できない。

「しかし、すべての式神が一体も敵に向かわないのはおかしいぞ……!?」

 そのとき、分析を続ける混無の胸に、激痛が走った。一度でやまず、痛みでどんどん胸の奥がえぐられていく。

「なんだ!?」

 着物をはだけた混無は、目玉が飛び出んばかりだった。

 式神が主人を超えだしたときに生じる胸の穴が、拳が一つ入るほど大きくなっていた。

 式神の力量が主人を超えたとき、胸の穴は主人を穿うがち、主人を死に至らしめる。

 現在、混無の式神が、混無以上の力を得つつあるのだ。

「なんでだ!? 力を超えないように、召喚の組み合わせに気をつけていたというのに!!」

 鳥とコウモリが喰い合い、虎も加わっていた。混無は、はっと気づいた。

 こいつらは、式神同士喰い合って、残った方の力量を上げているのだ。

 なんのために? 答えは一つ。

 混無を殺すためだ。

 胸の穴が広がっていく。

 混無は幻想の中で、式神たちに心臓を嚙み千切られた。

 今まで使い捨てにしてきた式神、今日使ったコウモリもミミズもムカデも、一体として加わらぬ者はなかった。

 それに気づいた混無は、

「ふっ……」

 と、絶え絶えな息をついた。

「復讐……だというのか……ははは、ははははは!!」

 気がふれたのではない。一度は生殺与奪せいさつよだつの権を握り、生かすも殺すも自分次第だった、紙くず同然に思っていた式神たちに、今度は自分が紙のようにもてあそばれて殺されるという、自分がちたことに笑えたのだ。

 まだこの自分が死ぬはずがないという、死への人事ひとごとの感覚が、混無を支配していた。しかし、式神たちに魂まで喰われていくうちに、

「なんでこのオレが! 使役してやった恩を忘れたのか! てめえらを生かしたのはオレなのに! 生きてて楽しかっただろう! その恩返しがこの仕打ちか! 恩知らずめー!!」

 と、絶叫した。

「自己満足の押し売りをするのか。用済みになったら捨てられるような人生を、誰が望むと思うんだ!」

 混無には、もはや出雲の言葉は聞こえなかった。

「なんでだー!!」

 全身に広がった黒い穴が、混無の存在を呑みこみ、消え失せた。

 生き残っていた式神も、主の魂が失せて塚に還っていった。

 出雲はそれをずっと眺めていた。

「なあ……。紫苑にも、あの穴あるのか?」

「そうよ。式神が主より強くなれば、主は式神に、黒い穴から魂を喰われて死ぬの」

 もう隠していることはできない。紫苑は正直に話した。

「どうして話してくれなかったんだ! 言ってくれれば、オレは……!!」

 出雲が感情的に振り返った。しかし、紫苑が穏やかに笑っているのを見て、驚いた。

「あなたの道を、私がふさぐと思う?」

 出雲は神剣・青龍せいりゅうを差していた場所を握りしめて、涙をこらえて首を振った。

 そして、泣き顔を見られないように、紫苑の肩に目をこすりつけた。

「口づけもできない、子供も作れない、世界のために青龍を! でもお前を死なせたくない! なんて中途半端なんだオレは! 何もできないっ! これじゃ、オレは何のために生きているのか、わからないよっ!!」

 紫苑は、泣きじゃくる出雲の頭に手を添えた。

「あなたはあなた。信じる道を進みなさい。人は一人で悩んで立っていると思っていても、様々な人といろいろなことがあるのよ。その次々起こるいろんなことがあるからこそ、その悩みが解決したり、役に立ったりするときが、必ずある。あなたがきっとそれを見つけられるって、私は信じてる。何もできないわけないでしょう。何かできる。あなたは生きているのだから」

「だって、お前を、愛しちゃ、いけなっ……!」

「誰が決めたの? 出雲が決めたの? 私がいつ出雲にそんなこと言ったの?」

「うっうっ、うわああー!!」

 号泣する出雲を抱きしめながら、紫苑はそっと目を閉じた。

 神は、この世に奴隷を作ることを赦されなかったのだろう。口づけもできないし、子供も作れない。まるで式神は、式神使いの子供のようだ。

 だから無限に愛してあげる。

 生まれてきてよかったって、思わせてみせる。

「迷ったときには私がいる。あなたを一人にしない」

 出雲は声をあげながら何度もうなずいた。


 出雲は畳の上で目を覚ました。

 泣き疲れて、眠っていたのだ。

「(……すげえ、疲れたな)」

 上体を起こして、額に手を添えた。今日はいろいろ知りすぎた。これからのことをきちんと考える必要がある。

 横に、二つ並んだ布団が敷いてあった。

「二人で一部屋をお願いします」

 ぼうっとしていて、紫苑が宿屋で言ったことにも反応できなかった。

 ここは厳開国げんらきこく厳開山脈げんらきさんみゃくを越えた隣国、達井履国たちいりこくに入ったところにある、山下町やましたまちの宿である。

 部屋にあった備えつけの手ぬぐいでそれを知ると、出雲は風に当たろうと宿の障子を開けた。

「あれ……、きれいな湖だな」

 夕日を反射して、山をくっきりと映りこませた、真っ平らな湖面が、力強く光っていた。まるで大きな鏡があって、それが美しすぎて自然に輝いているかのようだった。

「……紫苑みたいだな」

 自分からは目立とうとしないけど、その美しい輝きはおのずから溢れて、見る者は目が離せない。出雲はしばし湖面の光にみとれた。

「出雲。目が覚めたの?」

 そのとき、紫苑が部屋に戻ってきた。

「あ……悪かったな、早くみんなと合流しなくちゃいけないのに、一泊しちまって」

 出雲は障子を閉めた。

「いいじゃない。私たちケガして疲れてたもの。元気に旅をしましょうよ!」

「……ああ」

 出雲は紫苑の心遣いに感謝した。そして、この休日で、今日知ったことを今日中に、今後どう対応していくか方向性を決めておかなければと思った。

「ねえ出雲、お風呂に入らない?」

「ああ、そうだな。夕食まだなんだろ」

 紫苑が嬉々としてうなずいた。

「じゃあ、一緒にお風呂に行こっ!」

「ああ、……っえ!?」

 出雲の目が完全に覚めた。


 かぽ――んん……。

 木桶の動く音の合間を縫うように、人の体を、石けんをつけた手ぬぐいで洗う音がする。ごしゅ、ごしゅ、ごしゅ……。

「……」

 出雲は腰に一枚手ぬぐいを巻いただけの半裸、出雲の背中を流している紫苑は体を拭く大きな布を巻いて、下には何も身に着けていない。

 背中を洗ってもらっている間中、出雲は考えこんでいる。

 ザバアとお湯をかけてもらったあと、

「紫苑……」

 出雲は桶を持つ紫苑の手を握った。

「え?」

「ずっと言おうと思ってたけど……オレ、お前のことが好きだ!」

 紫苑は出雲の目を見つめた。

「出雲……嬉しいわ!」

 出雲は紫苑の唇を奪った。

「オレのすべてを……見てくれるか……?」

 恥らいながら問う出雲に、紫苑は期待と喜びに満ちた顔をした。

「ええ……!」

 出雲と紫苑は立ち上がった。

 身を包んでいた衣が舞った。


 かぽ――んん……。

 木桶の動く音の合間を縫うように、人の体を、石けんをつけた手ぬぐいで洗う音がする。ごしゅ、ごしゅ、ごしゅ……。

「……」

 出雲は腰に一枚手ぬぐいを巻いただけの半裸、出雲の背中を流している紫苑はいつもの着物で、そですそをからげている。

「(……ありえん……)」

 自分で妄想しておいて、出雲はこの案を却下した。いかん、今後の方向性を考えるとどうしても妄想がよく進む。

「どう? 加減は」

 何も知らない紫苑が聞いてくる。

「ちょ、ちょうどいいくらいだぜ」

 焦って答えながら、背中流してもらってる幸せを今は嚙みしめよう、と出雲は自分に言い聞かせた。

「お……お前もフロ入れば。待ってるから」

 精一杯平静を装いつつ、さらなる幸せをつかむべく前進してみる。

「ごめん。私もう入っちゃったから」

「そうなんだー!」

 滅茶苦茶めちゃくちゃがっかりした声で出雲はうなだれた。

 そのとき、共同湯の戸がガラリと開いた。

「ひやあっ! 女の子が入ってる!」

「きゃー! きゃー!」

 筋肉質な二人の男が前を全部隠しているのを見ないように、

「私もう出るね」

 と、紫苑は共同湯から逃げていった。

「ちょっと、夜を散歩しないか」

 夕食が終わったあと、出雲は紫苑を宿の外に誘った。風呂の中でじっくり考えての行動だった。散歩するのはもちろん、

「わあ……! きれい……!!」

 夕方見た美しい湖だ。鏡のように静かな水面は相変わらずで、今は夕日でなくて満天の星空を、その湖面に映りこませている。

 星の湖。申し分ない場所だ。

 出雲は、湖に見入っている紫苑の後ろで顔を引き締めた。

「紫苑。もう一度オレを式神にしようと思ってくれてありがとう。オレは、お前にまた会えて、とても嬉しい」

 星の湖を背景に、紫苑が振り返った。幻想的な美しさだった。

「私たち、仲間でしょ。いっぱいいろんなことがあって、たくさん助けてもらったわ。ずっと一緒に戦いたいと思ってる。あなたの代わりはいないのよ」

 出雲の端整な顔が湖からの星明かりに照らされた。

「紫苑。オレは……青龍を……」

「試練を受けなさい」

 出雲の顔が一瞬泣くのをこらえ、そして紫苑を抱きしめて己の心を全身で表した。

 試練に失敗すれば出雲は死ぬ。成功すれば紫苑が死ぬ。

 だが、この苛烈かれつで優しい少女が、「何もしないでそばにいて」と言えただろうか。

 死ぬとわかっていても、力ある者は後続の者たちに道を作るために。

 それが人より力を持つ者の義務である。

 だから。

「オレは、お前が好きだ! 死んでも、別の主人の式神になっても、ずっとずっとこの気持ちは変わらない! お前という存在に出逢えたことは、オレの誇りだ! お前と共に戦えて、オレは式神になってよかったと、一生肯定し続ける!」

 出雲は、紫苑の右頬にそっと口づけした。

 どちらかが死ぬ前に、言っておきたかったのだ。

 紫苑を愛しているということを。

 目の前の少女は、目に星の光を宿らせながら、しばらく出雲を眺めていた。

 たとえ紫苑が五行の力を手に入れても、四神の一柱、青龍の神力を超えうるかどうかまでは、わからない。

 紫苑には、それがよくわかっていた。

 だからこそ、出雲が自分と同じく、力を持つ者の義務を選んだことが嬉しかった。

 それでも、最後に一つだけかける言葉がある。

「どんなに絶望的な状況になっても、諦めないで」

 答えを探す人だけが、答えの道にたどり着く。

 そう、絶望の源だった剣姫が、「彼」に救われたように。だから。

「ありがとう出雲。私もあなたが友達になってくれて、嬉しかった。一生覚えてるわ。でもね、ごめんなさい出雲。私、もう恋人がいるの」

 出雲の顔が強張こわばった。

 はっきり言わなければならない。出雲をもてあそぶことなどできない。

「……誰……」

「露雩よ」

「……」

 出雲は無言のうちに元の表情に戻った。

「……そっか……」

 出雲は長いこと黙っていた。紫苑も黙っていた。多くを語って何になる。不必要なことである。

「露雩と出会う前オレを好きにならなかったのは、オレが式神だったからか?」

 心はごまかせない。出雲は直接はっきりと聞いた。

「いいえ」

 紫苑は瞳をらさず首を振った。

「剣姫を救ってくれた人しか、私は愛せなかったのよ」

 出雲の疑問は氷解した。

「そっか……」

 剣姫の後ろからついて行くと決めたことを、悔いてはいない。

「オレはさ、お前が笑ってる顔が、好きなんだ。オレは、これからもお前を守るよ。お前が他の奴を好きだからって、そんなことくらいで失われるような恋心じゃないんだぜ。オレはずっとお前のことが好きだ。お前が敵にも守る者にも斬られないように、心ない刃はきっとオレがはねのけるからな」

 出雲は紫苑に、星空と同じ銀の雫を受けたかのような瞳を、いつまでも穏やかに向けていた。

 その出雲に、春の風の匂いが届いた。

「ありがとう出雲」

 届かなくても、オレはこの人が好きだ。守りたいと思えた人は、この人だけだ。

 出雲の夏の青い空の、さわやかですがすがしい匂いは、星の湖の上を走っていった。


 一夜明けて、出発前の早朝に、出雲は一人、再び湖に来ていた。湖面は朝の冷気を浴びてなお、鏡のように静かであった。

 昨日振られたことが、ついさきほどのように思われる。それだけ反芻はんすうしたし、実を言うと一睡いっすいもしていない。

 落ち着いている紫苑を前にしたときは、おかげで出雲も落ち着いて、言いたいことが言えた。

 だが、夜一人で思い返したとき、紫苑と露雩が恋人同士になったことについて、出雲は顔中に血が上った。

 それが怒りなのか焦りなのか、出雲にはわからなかった。

 湖を歩いても、美しい湖面ではなく、今まで何でもなかったことが目につく。

 鳩が歩いていても無視して群れの中を突っ切ったり、子供が泣いてるのを見て「うるせえな」と呟く。

 すべてに投げやりになって、なんだかもう、なにもかもがどうでもよくなっていた。

 岩の上に腰かけて、心臓に手を当てる。

 重い。

 怖さと悲しさと衝撃が心臓を押し下げているようだ。

 怖さとはもちろん、紫苑が自分の手の届かないところへ行ってしまう恐怖だった。

「……運命だと思ったのに……」

 初めて、はあーと深いため息が出た。

 好きな人に、他に好きな人がいるというのは、こんなにも気が滅入めいることだったのか。

「なるほど、これが失恋というやつか……」

 出雲には赤ノ宮綾千代あかのみや・あやちよと旅した間しか記憶がないが、そのとき誰にも恋をしていなかったから、その限りにおいて、今回が告白して振られた、初めての経験である。人から素敵と思われるであろう顔立ちの出雲は、まさか自分が振られるとは思ってもいなかった。いや、自信過剰というより、少なくとも紫苑が迷うくらいはするだろうと思っていたのだが……。

「美しい顔も役に立たないときがあるんだな」

 出雲は頬杖をついて独りごちた。そしてだんだん腹が立ってきた。

「それにしてもフツーこんなかっこいい男を振るか? そりゃー露雩の方が美貌かもしれないけどさ、オレだって別の系統の美形だよ! ありえない! 紫苑は顔とかで選ぶ奴じゃないけど、やっぱり受け入れがたいよ!」

 出雲は湖面の鏡に全身を映した。

「ちくしょう、今に見てろ。露雩よりも紫苑おまえよりも強く美しくなって、後悔させてやる! もう怒ったからな! オレは!」

 と、言いたいことを言ってカッカッと怒ることで、なぜか出雲の気分は晴れた。

「誰よりも強く、誰よりも美しく、誰よりも守れれば……、きっとお前はオレのことを好きになる!」

 出雲は気を発散させるために、湖の中に頭を突っこんで、

「負ブラけブラねベレレレレー!!」

 と、大声で叫んだ。大量のあぶくを見て、鳩や子供がびっくりして固まっていた。

「ふう!」

 スッキリした顔を左右に振って、出雲は髪の雫を散らした。

「オレはまだ青龍の真の使い手じゃない。露雩と同じ四神の神剣の使い手になれたら、それがきっと最後の機会だ。どちらが本当に紫苑を守れるか、勝負だ露雩! そして紫苑が死ななくてすむ方法も、絶対見つけてみせる!」

 出雲の銀の雫のような瞳が、空を見上げたときに朝陽あさひを受けて、光の雫を落としたようにきらめいた。


「図書館に大した情報はなかったわねえ」

「うん。神につながりそうな楽譜もなかった。覚えちゃったけど」

「え!? 読んだだけでえ!? あなた本当に音の才能あるのねえ!」

「えへへ、ボクどんな曲でも、楽譜を見たときから頭の中で演奏できるんだ」

 空竜はたまげて言葉の代わりに口から何かが飛び出しそうになった。

「私、楽士の家に生まれないでよかったあ! こんな若手が現れたら、夜もおちおち眠れないわあ!」

 霄瀾が笑った。

 ここは達井履国たちいりこく大漁町たいりょうまち。紫苑と出雲を待つ間、露雩たちがとどまる国である。

 白岩湾しろいわわんから一行を乗せてくれる船は、既に調達してある。十人乗りの頑丈な船で、借りる際の理由としては、白岩湾の島々をめぐりたいからということにしてある。

 しかし、地元の船乗りたちは、湾の中央にだけは行きたがらない。いくら金を積んでも、霧で視界が不良なうえに岩が多くて座礁するから、とても無事に帰れないと言うのだ。

 船は借りられたが、肝心の船乗りがいない。

 今、露雩と閼嵐が必死に船乗りと交渉しているところだ。

「命がかかってるし、怒鳴り合いになるかもしれない。女と子供はいない方がいい」

 閼嵐に言われて、空竜と霄瀾は大漁町の図書館に行っていたのだ。

 港の近くで、空竜と霄瀾は物陰に身をひそめた。

 露雩の腕に若い娘が抱きついて、船乗りたちが取り囲んでいるのが見える。

「だからあー、あたいと一日楽しく遊ぼうよおー、そしたら親父に頼んで船乗りまわしてあげるからさあー!」

 褐色の肌を艶めかせながら、唇と胸が厚くぷるんと光る、とげのような髪先の女が、甘ったるい声を出した。

「やめろ。オレは恋人がいる」

 険しい顔で露雩が早足で歩き、女を振りほどこうとする。しかし、女は諦めない。

「恋人のいないときくらい、あたいが借りてもいいじゃない。ねえー、あんたみたいないい男、初めて見たんだよお! 想いを遂げさしとくれよお!」

 露雩が驚いて怒鳴った。

「ふざけるな!! どうしてオレがお前に媚びなければならないんだ!! 遊びたいなら他の男を買え!! 金がないのか!! 恵んでやる!!」

 露雩は怒り任せに銭を投げつけた。

 ぶつけられた女はいきりたった。

「あたいをバカにしたね!? 親父に言って一人も船乗りまわさないから、覚えてろっ!!」

 女を周りの船乗りがなだめにかかり、他の者が露雩に耳打ちする。

「おいおい、あの娘は船乗りの元締めの一人娘、房良ふさら様だぞ。あれとその親を怒らせたら、ますます船乗りが手配できなくなるぞ。元締めに睨まれたら、もうこの港で漁はできないからな。謝っといた方がいいぞ」

 船が出せなければ、紫苑が困る。

 しかしここで謝れば、災難が待っている。

 だが、自分のせいで船が出せなくなっては。

 露雩が進退きわまると、閼嵐が声をかけた。

「いいさ。別の国で船乗りを探すから」

 一同が目を丸くして閼嵐を眺めた。

「隣の国くらいなら、オレでも船を操れるだろう。みんな、無理言って悪かったな。話はついた。つきあってくれてありがとう」

「な、なんだって!?」

 房良は怒りで今にもつかみかからんばかりである。

「閼嵐……」

 閼嵐は、心配そうな露雩に片目をつぶった。

「おいおい、忘れたのかよ? オレは――」

 そのとき、沖の方で何かが光った。

「ん? ……あ、あれは! 津波だあー!!」

 水の壁がみるみる迫ってきた。

 この速さでは、とても山まで逃げられない。

 房良をはじめ、船乗り全員が呆然と立ち尽くしたそのとき、

「こんなときこそ冷静に。な、露雩」

 閼嵐がのんびりと津波の真正面に立った。

「そうだね。オレたちこそ堂々としてなきゃ、いけないね」

 露雩もその隣に立った。

「あ、あんたたち、何落ち着いてんだ! 死ぬ前に神様に祈らないのか!」

 船乗りの一人が気づいた。

「あいにくと、オレの神様は最後まで望みを捨てない者が好きなのさ」

「死」を司る玄武げんぶの神剣を、露雩が引き抜いた。

 閼嵐が神器・淵泉えんせんうつわを額から外し、鋭利な鎧に変えてまとった。

「力を持つ者は、生きている限り力を出し続けなければならない。出し尽くしてだめなら、しっかり生きたことに満足して天命を受け入れよう。それがオレの考えだ」

「あ、あんたたち、どうしようっていうのさ!!」

 房良が叫んだ。

「知れたこと!!」

 閼嵐が、自分たちが調達した船の帆柱ほばしらに、飛び乗った。

「みんなー!!」

 津波がみるみる迫ってくる。

 みんなが閼嵐を見上げた。

「笠でもかぶってろー!!」

 そしてくるっと海に向き直った。

 八メートルの津波が港に押し寄せ、人々がもうだめだと思ったとき、

「ハァァァ……ハァーッ!!」

 ドパパパと閼嵐の拳が空気圧を伴って津波に炸裂した。

 それは、津波を横一線に次々と消していった。

 人々はもとより、玄武を顕現させようとしていた露雩も、その手並に驚いた。

 波の名残の水滴が、サアアと人々の頭上に降った。

 残りの津波は勢いのない小波になって、港に到達した。

「すごいじゃないか閼嵐」

 帆柱から降り立った閼嵐は、刀をしまう露雩に、軽く片手をあげた。

「オレはまがりなりにも閼伽あかを使う一族だからな。オレにだって水を操る力はあるんだよ」

「閼嵐すっごおーい!!」

「やったね閼嵐!!」

 空竜と霄瀾が駆けてくるより早く、船乗りたちが取り囲んだ。

「ありがとう!! あんたこの町の救世主だ!!」

「疲れてないか!? ぜひオレんで休んでくれ!!」

「オレはあんたらの船に乗るぞ!! 女房子供も救ってくれた恩返しだ!!」

「「「いいいよな房良ふさら様!」」」

 船乗りが一斉に房良を見たので、房良はたじろいだが、つとめてつまらなそうに腕組みし、胸をきゅうくつに盛り上がらせた。

「ふ、ふん、仕方ないね。好きにしな。親父には、あたいから言っとくから。……た、助けてもらったから、って」

 わざとつっけんどんに言うと、

「とっとと行ってきな! あたいはぐずぐずしてる奴は嫌いだよ!」

 と、港を出て行った。

 船乗りたちは、誰が行くかで盛り上がっている。

「ありがとう閼嵐」

 露雩が閼嵐の目を見ていた。

 他の国の船乗りを探すと言ったことに対してだ。

「自分の気持ちに正直に生きる奴のためなら、オレはがんばれるんだよ」

 閼嵐は笑ってから、房良の後ろ姿を見送った。

「おうい、船乗りが決まったぞう!」

 船乗りたちの輪が開いた。

 首に手ぬぐいを巻いた、鼻がくっきり太い三十一歳の弥助やすけと、長い髪を団子状に巻いて一つにくくっている、十八歳の小守こまもり赤銅しゃくどう色の肌をした大男の、五十五歳で船長でもある喜鹿きじかの、三名である。

「一番白岩湾を知り尽くしている喜鹿きじかに、仕事が素早い弥助やすけ、目が抜群にいい小守こまもりだ。きっと無事に帰ってこられる」

「ありがとうございます」

 閼嵐たちは、人々に礼をした。

「よろしくな、みんな」

 喜鹿たちと閼嵐たちは握手した。

「さっそく出港の準備だ!」

 喜鹿が号令をかけると、船乗りは一斉に動き始めた。

「乗りこめないオレたちは、荷作りを手伝うよ」

「みんなでやるから、一時間もすれば終わるさ」

 全員が動き始めてくれたのは嬉しいが、まだ仲間が揃っていない。

 それを言おうとしたとき、

「あら。私たちが今日追いつくって、どうしてわかったの?」

 懐かしい声がした。

 露雩はその声を聞くなり、駆け寄って抱き締めた。

 暖かい日差しに包まれた、春だと自然に笑みがこぼれる風の匂い。

 紫苑が、露雩の腕の中で微笑んでいた。

「おかえり」

「ええ。ただいま」

 その二人の様子を、出雲と空竜は面白くなさそうに無言で見ていた。

「あんた、房良様が帰った後で良かったなあ。なんか一言、嫌み言われてたかもしれねえぞ」

 船乗りたちにうんうんとうなずかれて、紫苑は目をぱちくりさせた。


 真ん中に十人が雑魚寝できる部屋がついていて、大きな帆が一つ、風をはらませている。

 紫苑たちを乗せた船は、のんびりと白岩湾を走っていた。

 すべての島に立ち寄るつもりだ。

 紫苑と露雩が、海風に吹かれながら、離れていた間のことをおしゃべりして、楽しそうに笑っている。

「覚悟はしてたんだけどさあ、やっぱ見せつけられると気分が沈むよね」

「……」

「返事もできないくらい傷ついてるんだあ……」

 空竜と出雲は、恋人二人を離れたところから眺めていた。

「小さい頃は、お姫様って、なんでも思い通りになる人のことだと思ってた。でも、大人になると逆ね。できないことばかりだとわかっちゃうの」

 子供なら、露雩を強引に自分のそばに置いたであろう。

 だが、空竜はもう子供ではない。

 帝の娘としての誇りが、それを許さない。

 愛してもらえるだけの価値がなかった自分を、何もせず肯定するなど、許せない。

「私ね、この旅で変わったの」

 ずっと子供のままだった。

 だが、紫苑たちの命がけの行動を見て、自分勝手に生きるべきではないと悟ったのだ。

「あなたたちに出会わなければ、私はずっと何もわからない子供のままだった。守るべきものを教えてくれて、ありがとうね」

「なんだ。別れの手紙みたいなこと言って。これで全部教わったと思ってんのか? まだまだ世の中にはいろんなことがある。まだついてこい」

 出雲が二人を見ながら呟いた。

「うん……。そうだね……」

 空竜は、まどろみの中にいた子供が、何かの覚悟を持ち始めた気がした。

 その夜は、弥助と小守が、明かりにつられてやって来るイカを、たくさん釣り上げた。

 紫苑と喜鹿がその中に酒としょうゆを混ぜた米を詰めて煮たものを輪切りにし、イカめしを作った。

 さらにイカ墨を入れた、黒い闇鍋を出した。

はしでつかんだものは全部食べなくちゃいけないぞー!」

 喜鹿が掟を宣言した。

 夜中でもとから暗いうえに、中が黒い鍋のため明かりの火まで消す必要はないので、みんな表情の見える中、わいわいと箸を入れた。一番手は小守だ。

「あちゃーダシの昆布か!」

 弥助が口笛を吹いた。

「おっ、小魚の唐揚げだ!」

 空竜が顔をほころばせた。

「わっ、魚のつみれだわ!」

 出雲が拳を作った。

「やった、白身だぜ!」

 閼嵐は隠し包丁の入った大根をつかんで、ほっとしていた。

 霄瀾は無表情にだしと思しき魚の頭を見つめていた。

 隣で露雩が焦った。

「待ってくれ! 小さなゆでイカが丸ごとって何だ!? オレ、内臓は食べないからね!?  いいよね!? いいよね!?」

「露雩……私は海鳥の姿焼きよ……。私も翼を食べるつもりはないわ……。そりゃ、闇鍋だし小分けにしたらつまらないけど……」

 海鳥を見つめる紫苑のそばで喜鹿が叫んだ。

「誰だ楽しみにとっといたリンゴ入れたのはー!!」

 あ、ごめんなさい、それ私、と紫苑は視線をらした。

「まあまあ船長。闇鍋に恨みっこなしさ!」

 弥助が笑い、皆は楽しい夕食の時を過ごした。

 空竜は釣った魚から取れたきれいな鱗と、その他網にかかった貝が手に入って、上機嫌であった。

「新しい着物の飾りにしようっと!」

 そして、みんなで眠る大部屋に入った。

「珍しい素材が手に入るから、旅っていいわねえ」

 布袋に入れながら、空竜は、じっくりとその自分の言葉を心の中で繰り返した。

 紫苑と露雩は、二人で夜の海を眺めていた。

 月光によって金色に輝く波が、二人の目を楽しませている。

「金色の小島が浮かんでいるみたい」

「上に乗れるかもしれないね」

「うふふ、露雩ったら。でも、そうねえ、隠された島って、こんな感じなのかしら」

「全員は入れないかもしれないね……」

「いいわ。待たせてる船に勝手に帰られちゃ困るもの」

「ところで、誰が行くの?」

「……」

 紫苑は黙った。露雩は玄武げんぶ。出雲は青龍せいりゅうの使い手を目指す。霄瀾は試練に答えを出せそうにない子供。空竜は姫、失敗して死なせるわけにはいかない。となると。

「私か閼嵐ね」

「……」

 今度は露雩が黙った。本当は、紫苑に試練など受けてほしくない。だが、自分は玄武の試練を受けておいて、紫苑に受けるなと言うのは、身勝手である。

「死なないで」

 露雩はそっと紫苑の肩を抱き寄せた。

「大丈夫。正しいと思うことを、やってくる」

 紫苑が露雩の頬に頬を寄せたとき。

 突如、船に何かが激突し、船体を大きく傾けた。

「キャーッ!!」

「紫苑!!」

 甲板を滑りそうになる紫苑の手を、露雩が必死につかんだ。

「何が起きた!!」

 喜鹿たちが外に出て来た。

「わかりません! 海面には何も! 海中で何かにぶつかったようです!!」

 船首で見張っていた小守が報告した。

「まだ湾の中央に到達していないはずだが。うっ!?」

 船にあがってくる影があった。

 空はいつの間にか月が黒雲に隠れ、雨が降り出していた。風が強まり、雷が鳴り響いた。

 影は、熊ほどの大きさの、目の赤いタコの魔物だった。

「せっかく知葉我しるはが様のご命令で、海底を術で爆破して津波を起こしたのに、全員生きてやがる」

 ちっと舌打ちするタコの魔物に、喜鹿が食ってかかった。

「なにい! ありゃあてめえの仕業か!!」

 タコはそれには答えず、八本すべての足を振り上げると、甲板を叩き壊した。船に穴があき、海水が溢れだしてくる。

「馬鹿野郎!! 沈没する!!」

「そうしたいからな」

 弥助と小守が応急処置の板を持ち出した。

 出雲と露雩、閼嵐の攻撃によって、足を一本ずつ斬られても、残りの足で跳んで、着地した地点を叩き壊す。

 どんどん海水が入りこみ、船が沈んでいくのを止められない。板が、間に合わない。

「シ……紫苑、ボクたち、どうなっちゃうの?」

 霄瀾が紫苑の手にしがみついた。

「海の中に全員投げ出されたら、一人ずつ殺してやる!」

 タコの魔物が最後の一叩きで船を破壊した。

「わあー!!」

 全員が海に投げ出された。

「ハハハ! さあどいつからにするか――っ」

 プス、とタコの眉間に矢が刺さり、それはそのまま脳を砕いて海の彼方へ飛んでいった。

 空竜が斜めの帆柱に右腕をからませ、聖弓・六薙ろくなぎを射ていた。

「一矢報いてやったわ! ざ、ざまあみなさい!」

 その空竜も、嵐にあおられて海中に投げ出された。真っ暗で、上も下もわからない。風と雨が、息を塞ぐ。稲光だけが、仲間の位置を教えてくれる。

 寒さと呼吸困難で体力を奪われていく絶望の中、近くにいた霄瀾を海面に引き上げる。

絶起音ぜっきおん!!」

 その霄瀾の声が響いたとき、空竜たちの体は何か透明な膜に包まれ、寒さと水から遮断され、息が楽にできるようになっていた。

「仙人の修行で得た力ね! すごい! 完全防御だわ!!」

 しかし、空竜の抱えた霄瀾は、眉根を寄せて目をかたくつぶっていた。

 露雩が玄武げんぶを顕現させて、船員たちをその背に乗せているのが見えた。空竜も急いで向かおうとすると、高波が起こって全員を呑みこんだ。

 霄瀾の絶起音のおかげで、全員息は苦しくない。だが――


「ちくしょうっ!!」

 一夜明けてたどり着いた小島で、露雩が砂浜に拳を打ちつけた。砂が高く飛び散った。

 結局、仲間は散り散りになり、露雩は喜鹿、弥助、小守、そして出雲しか助けられなかった。

 船乗りたちは黙ってそれを見ている。

 出雲が近寄った。

「紫苑が死ねばオレも消える。あいつはまだどこかで生きてる。閼嵐もきっとだ。それより霄瀾と空竜が心配だ。一人でうまく旅をして、オレたちと合流できるかどうか」

「……」

 露雩は砂の上に座りこみ、考えこんだ。問題は山積みだ。

跳移陣ちょういじんは、使えない。一度行ったところにしか、行けないのだから」

「あんた、跳移陣が使えるのか」

 そのとき、喜鹿が声を出した。

「跳移陣の陣形を自分の血で地面に描くと、会いたいと念じた人のもとへ行ける一目曾遊陣ひとめそうゆうじんになると、昔、客に乗せた陰陽師から聞いたことがあるぞ。血をふらふらになるまでたくさん使うから戦えなくなるし、相手も驚き怪しむから、自分の身の安全を考えて、滅多に使われない陣らしい」

「それは本当ですか!?」

 露雩が喜鹿の両肩を勢いよくつかんだ。

「一度ならず二度も助けてもらったんだ、嘘なんか言わない」

 跳移陣は、それほど複雑な線を持つ陣ではない。しかし、線は太い。

「やります。皆さん、邪魔の入らない場所へ行きましょう」

 露雩の瞳に覚悟が宿った。


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