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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第九章 剣姫その心を示せ
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剣姫その心を示せ第三章「邪神・日業(ひごう)」

登場人物

双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑あかのみや・しおん、神剣・青龍せいりゅうを持つ炎の式神・出雲いずも、神器の竪琴・水鏡すいきょうの調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾しょうらん、帝の一人娘で、神器の鏡・海月かいげつと、神器の聖弓・六薙ろくなぎの使い手・空竜くりゅう姫。聖水「閼伽あか」を出せる、魔族の格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉えんせんうつわの持ち主・閼嵐あらん

強大な力を秘める瞳、星晶睛せいしょうせいの持ち主で、「水気」を司る玄武げんぶ神に認められし者・露雩ろう

 竜の体の一部を使って人間を操り、人族を滅ぼそうとする者・知葉我しるはが。人形師の下与芯かよしん。下与芯によって人喪志国ひともしこくの開奈姫に似せて作られた人形機械・氷雨ひさめ




第三章  邪神・日業ひごう



知葉我しるはが様、申し訳ありません。弧弧ここを破壊されました。最上質の魔石をいただいておきながら、面目次第もございません……!」

 下与芯かよしんが平伏して、鏡の中の黒いもやに向かって謝罪している。

氷雨ひさめの方が強い。あれが残っているならまだ勝機はあるよ」

 鏡の中から知葉我の、老婆のようなしわがれた声がした。

「でも、氷雨一体じゃ、剣姫一行と戦うだけで手一杯だろうね。どうだい下与芯、もう一体、作ってみないかい」

「はっ……」

 下与芯は、この失敗を挽回するために、死ぬ覚悟を決めた。

 その下与芯の目の前に、竜の手がドサと落ちてきた。

「実は、究極の禁複写の人形作成方法があってね。圧倒的な知識がないと作れないから、それをやるよ。今まで教えなかったのは、これを作ったらその人形師が必ず死ぬからさ。しかも、技術のない人形師たちは、完成させられなかった」

「……!」

 下与芯は竜の手に近づいた。

「あんたはどうせあと一回作れば死ぬし、どうせ死ぬなら最後に即死の究極人形機械を作ってからお死によ。あんたは今までよくわたしに仕えてくれたね」

 最後の言葉で十分だった。

 知葉我は下与芯の腕を見込んでいたから、最後の一体しか作れなくなるまで提案しなかったのだ。

 ああ、知葉我様に認められていた。

 下与芯は恍惚として右手首を切断した。


 紫苑たちは、攻魔国の内部に属する国である厳開国げんらきこくの国境にさしかかっていた。厳開山脈げんらきさんみゃくに囲まれた土地が領土の、やや小さな山国である。

 しかし、山に足を踏み入れたとたん、魔族の集団に襲われた。

 倒しても倒しても、集まってくる。

 まるで、山を見張っていて、誰も厳開国げんらきこくに入れまいとしているかのようである。

 しばらくすると、何かに命令されたかのように動きが止まり、紫苑たちに道をあけた。

 ただならぬ予感を覚えつつも、中で何か重大なことが起こっていることを確信し、紫苑たちは山に入った。すぐ後ろを、魔族が再び塞いだ。

 厳開国げんらきこくの都では、軍隊が整列していた。

 帝国に反乱するつもりかと一瞬疑ったが、国王・向松むかえまつの大号令の内容は、違った。

「この邪神を倒さねば、厳開国げんらきこくは滅亡する!! 皆の者、勝つ以外に帰る道はないものと思え!! 妻子を、友を、社会という名の安全を、守るのだ!! 勝て!! 死んでも勝たねば、邪悪な虐殺が待っているぞ!! 我々が逃げたら、誰が皆を守るのだ!! 私も、最後の一兵になるまで戦う覚悟だ!! 王の武者、我に続けーッ!!」

「おおー!!」

 広場で異様な緊張が充満していた。全員、生きて帰れない決意をしていた。

 紫苑たちは、出陣していく軍の後ろに回りこみ、向松むかえまつ天印てんいんを見せた。

「あ、都よりの御使者……!」

 馬から下りようとするのをとどめて、行軍しながら事情を聞いた。

 この厳開国げんらきこくは、四方を山脈に囲まれた、いわゆる陸の孤島である。

 そのため、毎日のように通信使が山を越えて、外の国の事情を見て回っていたのだが、昨日、急にすべての通信使と連絡がつかなくなった。

 事情を探ろうと山越えに向かった者たちも、戻らない。

 何かあると緊迫していたところへ、山に向かった者のうちの一人が、血だらけで戻ってきた。

「山脈のすべてで魔物が見張りをしていて、入る者も出る者も殺していたそうです」

 向松は、通信の術で都と周辺国に援軍を要請した。しかし、その術は何らかの妨害を受け、つながらなかった。

「外部と連絡が取れないので、我々だけで魔族を葬るしかありません」

 総勢千人の兵を、向松は悲愴ひそうな気持ちで見つめた。

 何が目的かはわからないが、厳開国げんらきこくは、明らかに魔族に攻めこまれている。敵の数がどれだけ増えるかわからず、果たして千人で防ぎきれるかどうか、わからない。

「邪神と言っていましたよね?」

 紫苑の問いに、向松は振り向いた。

「この国にある神器をありったけ捧げなければ、神である自分が国を滅ぼすと、通信の術を使って言ってきたのです。暗くて、姿はわかりませんでした。しかし、この国には神器などありません。我々は、戦うことしかできなくなりました」

「それは偽りの神か、それとも……」

 露雩の瞳が光った。

「ここからは危のうございます。どうぞ、この国からお逃れください。皆、死ぬ覚悟なのです」

「いいえ向松王。私どもも共に参ります。どんな国難からも逃げない者こそ、王座に居続けるにふさわしいのですから」

 紫苑たちも厳開山脈げんらきさんみゃくに入った。

 人間の動きを察知して、魔族もそれなりの数が集まっていた。

 その数、ざっと二千。

 一体一体が人間の何人分も強いのに、厳開国げんらきこく軍の数を上回っている。

 それでいて、この隙に山越えされないように、まだ山脈中に魔族が残っているのだろう。

 兵士たちは、死の絶望に襲われた。

「神器は持って来たのかあ! 人間!」

 魔物が叫んだ。

「そんなものは我が国にはない!」

 王の声に押されるように、厳開国げんらきこくの弓兵が前に出た。

「お前たちを、全滅させる!!」

 弓兵の射出と、魔族たちの突進が始まった。

 紫苑たちは、適当な魔族を半殺しにして、邪神の居場所を吐かせ、たどり着いていた。

 千人の兵士が心配ではあったが、大将を倒し、厳開国げんらきこくを狙う理由を聞き出さなければ、これからも何度も同じことが繰り返される。

「邪神ってのは、中央にいるお前のことか」

 開けた場所に、二足歩行らしき熊とトカゲとタヌキの三体の魔物が、鎧を着て正三角形の頂点に一体ずつ座って、それぞれ外向きに睨みをきかせていた。その正三角形の真ん中に、六本の支えで立っている、黒い物体があった。

 正確には、左右に二本ずつの、箸のような細い脚と、後ろに尻尾らしき、脚と同じ一本の棒、そして楕円だえんの真っ平らな黒いお面の顔の顎が地面について、六本の支えとなっていた。

 魔物三体が立ち上がり、邪神を守るように位置取った。

「何が目的だ」

「燃ゆるばるかを倒した剣技を見せろ」

「……!」

 紫苑が重々しく前に出た。剣姫の目になっていた。剣姫を試そうとする者には死あるのみ。

「ん? このしわがれた声、聞いたことあるぞ! 人形師のじじい、下与芯かよしんじゃねえか?」

 出雲の耳が聞き分けた。

 邪神の能面は変わらなかった。

 何も言わず、邪神が口から光線を放った。一帯を輝かせるその量を見て、

「まずい!!」

 顔の左側を半月の仮面で隠した男装舞姫が叫んで、舞い散らした。

 地面に大きな穴が無数に空いているのを見た一同は、いきなり紫苑が最強の陰陽和合の状態になっているのに驚いた。

 そこへ三体が飛びかかってきた。

 戦おうとした一瞬の隙を突いて、氷雨ひさめが出雲の首を狙って横から槍を突き出してきた。

 出雲は腹ばいに倒れて難を逃れた。

「氷雨!! じゃ、やっぱりあの邪神は下与芯に関係が!!」

 出雲は素早く起き上がった。

「紫苑!」

「お前たち、急いでここから離れろ!! 巻きこまれるぞ!!」

 男装舞姫が地を蹴った。高速の映像を見ているかのように、地面から次々と邪神の脚が出てくる。

 両脚と尻尾の、地面に突き刺して出されるそれを走ってかわし、紫苑は跳んで双剣を振りかぶった。しかし、顔の直前で左右の脚二本が交差して阻む。

 それだけで、風圧が円状に走り、周りの出雲たちを圧した。

 男装舞姫と邪神は何度も剣と脚をぶつけあい、風を起こす。

 どちらも、守ることなど考えていない。

 相手を殺すことだけを、考えていた。

 しかし、お互い傷を与えることができない。

 それほど、真正面からぶつかる剣技が互角だった。

 露雩、閼嵐、空竜、霄瀾は三体と戦いながら、驚愕した。

「男装舞姫と渡りあうのか!? なんてことだ、邪神……あれは阿修羅あしゅらなのか!?」

「違う」

 出雲と戦っていた氷雨が、呟いた。

下与芯かよしん様は知葉我しるはが様より竜の手を授かり、古の記憶に過ぎなかった、禁複写と戒められていた破壊を好む邪神に似せて、人形機械をお作りになったのだ。名は邪神・日業ひごう。かつて精霊界をたいらげようとした、精霊の神の一柱だ。素材は燃ゆるばるか。知葉我様が千里国せんりこくで密かに奪った体の一部だ。下与芯様は男である陽の肉体を捨て、純粋な魂となって日業の動力源になられた。この神に性別はない。燃ゆるばるかの陰気、下与芯様の何の感情も込められていない無垢な魂の力で、邪神・日業ひごうは完全な陰の極点となっている」

「――燃ゆるばるか!? 陰の極点!?」

 なぜ紫苑がいきなり力の完全創出をしたか。

 一瞬で理解したのだ。

 完全なる陰の魔神と、この邪神が等しい位置にいると。

 神と魔と中道。この三つは互角である。ただし――

「ッガ、ハァッ!」

 紫苑の呼吸が荒い。中道の力は、体が限界値を超えたとき、本人を消滅させる。いくら精神が強くても、永久には、戦えないのだ。対して。

「あの邪神は、人形機械だから、精神が疲弊しない限り、永久に戦い続けるんだ!!」

 紫苑を助けに行こうとする出雲に、氷雨は足払いをした。

「行かせない。お前たちはここで死ぬのだ。知葉我様の思惑通り」

「それで、抑えられるオレと戦ってんのか? 弧弧ここの敵討ちで、閼嵐と戦いたいのを我慢して?」

「……!」

 三体と戦う閼嵐を横目に映してから、氷雨は目が少し寄って、出雲を睨みつけた。

 頬に朱が差していそうな表情だった。

「どのみち全員殺す。私は疲れない。いくらでも追える!」

「お前、いつになるんだよそれ! やりたいことねえのか!」

 氷雨は一瞬たじろいで、そのすぐ後に槍で向かって来た。

「うわあーっ!!」

 絶叫と共に、剣姫の男装舞姫化が解けた。

 右手を、日業ひごうの脚が貫通していた。

「紫苑ッ!!」

 露雩が血相を変えて飛んで来た。

 剣姫を刺し殺そうと、脚が向かって来る。

雷式出雲らいしき・いずも律呂降臨りつりょ・こうりん!!」

黒雲帯雷こくうんたいらい!!」

 露雩に召喚された雷式出雲が、稲妻の術を、間髪を容れず繰り出した。網の目になった稲妻が、日業ひごうの脚に傷を与えながら絡み縛る。

「撤退だ!! 態勢を立て直す!!」

 素早く紫苑とその刀を拾い上げると、露雩が走り出した。

 最強の中道が負けたのだ。

 このまま戦えば全滅する。

「逃がすか!!」

 氷雨と三体が追いすがる。

「黒雲帯雷!!」

 出雲の技に、氷雨たちも絡まる。

「全軍、退却してください!! このまま戦っても勝てません!!」

 露雩の言葉に、向松むかえまつはうなずいた。

「しかし、これだけの魔族が、すんなり逃がしてくれるかどうか」

「オレがなんとかする。出雲、一緒に残ってくれ。みんなは先に行け!」

 閼嵐が後を引き受けた。

 魔族の閼嵐には、何か策があるのだろう。

 他の者は、まとまって、急いで山を下りて行った。

 それを追おうとする魔物たちに、閼嵐は気をため始めた。

 火花のようになびき、背まで伸びる髪。輪郭がゆらめき続ける目。そして殺意を隠さぬ巨体。

 閼嵐は魔族化していた。

 そして、大気を揺るがす咆哮を放った。

 魔族は、一体残らず身を震わせ、呆然と硬直した。

「ゲヘヘヘヘ!! 敵ィィッ!!」

 本能の赴くままに魔族に殴りかかろうとするのを、出雲の黒雲帯雷の技で絡め、出雲は閼嵐を抱えて山を走り下りた。


「黒雲帯雷も咆哮も夜明けまで奴らを抑えるのが限界でしょう。作戦を立て直さなければなりません」

 露雩たちは、国王、参謀、将軍らと共に、城の会議室にいた。今日の死者は、七百四人である。絶望が部屋の空気にたちこめていた。

「国を維持していくためには、敵に攻めこまれたとき迎え撃てる戦力を持つことが必須条件です。あなた方は、兵士がたったの千! 国民に対して、無責任です! 古代より、周辺国への備えを怠った国や、備えのなかった国は、攻め取られ、消滅し、強い国だけが子孫を残し、綿々と続いております! 国民を見殺しにしておいて、何が国王ですか! 恥を知りなさい!!」

「おい露雩、それくらいにしておけ」

 いつになく厳しく怒る露雩の肩を、出雲が押さえた。

 剣姫は、剣姫のまま、別の部屋で、治療された右手をだらんと垂らして、ぼうっと月を見上げている。そばには、十三才に戻った閼嵐がついているはずだ。

 露雩は、剣姫を傷つけたものが、許せなかった。

 危機意識のない厳開国げんらきこくも、絶望に拍車をかけ、腹が立った。

「だって、こんな山国で何の資源もない国に、攻めこむ国なんてないだろうし……」

「魔族だって、わざわざ山を越えて、何もない国に攻めてこないだろうし……」

「我々は、戦いといったら、都の大軍の徴兵に兵力を送ることだと思っているし……」

 参謀や将軍の言葉に、出雲はめまいがした。

 なんという自己認識の甘さだろう。

 何の資源もない国がどこにあるか。

 人、奴隷という資源があるだろう。

 隣のそのまた隣の国と戦うのに、占領して前線基地に作り変える、占領した国土全部で食糧を作らせて別の土地の占領者が豊かに暮らす、社会の実験場にする、新薬の実験台にする。欲に狂った人間が一人でもいる限り、いくらでも占領の可能性はあるのだ。

「愚かなる性善説をやめろ。そうでないならオレたちはもうお前たちと戦わない。いいな」

 出雲の押し殺した声に、国王たちは目をらした。今日の侵攻が自分たちの不備全てを物語っていた。

「大丈夫です。我々は絶望が起きたときのために、切札を用意しております」

 老いてなお眼光鋭い参謀長が、国王にこうべをたれた。

向松むかえまつ王。王の神器をお使いになる時がまいりました。どうか神器・種選たねえらびを我々にお許しください!」

 向松は黙って目を閉じ、右手にはめていた戦用の手袋を外した。

 指輪を人差し指にしていて、石がはまる台座に、豆のような紫色の種がはまっていた。

 王はそれを台座から外すと、机の上に置いた。

「神器を持ってたのね……!」

 魔族の言うなりになって、渡さなかった。最後に人々を救うことができる、唯一の望みだったから。

 命惜しさに、希望を売らなかった。

 空竜は、この国はまだ腐っていないと知って、見捨てまいと決意した。

「これは神器・種選たねえらび。飲みこむと、一人だけ吸収することができます。これで邪神を吸収しましょう」

「えっ! すごい!」

 しかし、霄瀾の声に別の将軍は顔を曇らせた。

「資格がなければ、種選たねえらびはその者の体内で毒になり、その刺激の激痛で殺してしまいます。この神器を持てるのは、毒の刺激を雷の刺激に変換し、うまく体外に放電することができる者だけなのです」

 出雲たちは、一斉に露雩を見た。

「つまり、雷の術を使える人間だけが、種選たねえらびを使えるってことか」

「露雩ならきっと日業ひごうを吸収できるわあ!」

 日業ひごうさえ止められれば、あとの魔物はなんとかなる。出雲たちがとりあえずほっとすると、老参謀は言いにくそうに、ずばっと言った。

「ただし、吸収された側の人格が、吸収した側に残る。常に二重の思考を持つことになる。最強の者を吸収すれば体は最強になれるが、思考は破綻はたんする。人は他人と二人分の人生を生きることなど、できないのだ」

 一同は言葉を失った。

 露雩には既に三つの人格がある。

 もしこのうえ邪神とはいえ神を宿せば、最も穏やかな今の「露雩」という存在は、消えてしまうだろう。

「わかりました」

 露雩は穏やかな声を響かせた。

「露雩!!」

 出雲の目がやめろと言っていた。

「他に方法が……!! みんなの力を合わせれば!!」

「玄武神といえど、神魔の配下なんだよ。神魔、つまり完全なる陽の神、完全なる陰の魔神に並ぶ最強の中道が勝てないなら、玄武神でも勝てない」

「だから!! 今度はみんなで一斉に攻撃を当てるんだよ!!」

 出雲は露雩の両肩を力強く揺すった。

 露雩の目は変わらなかった。

「あの子はもう、戦えないよ」


 剣姫はその瞳から一切の感情が失せ、月明かりで視界を満たしていた。

 十三才の閼嵐は、何も言葉をかけられず、部屋の隅で姫を眺めていた。

 どのくらい静寂が過ぎただろう。

 露雩が静かに入ってきた。

 剣姫は気づいていないのか、振り返らなかった。

 彼は静かに、現状と、神器を使うことでしか邪神を倒せないことを、説明した。

 そして、この人格が消えるかもしれないということも。

 彼女は振り返らなかった。

 彼は、意を決したように、告げた。

「オレの気持ちは変わらないから。たとえ今の想いが消えてしまっても、いつも君を見てる」

 彼女は振り返らなかった。

 露雩は、出雲たちと共に、山へ戻って行った。

「オレは、下与芯かよしんのじじいの魂を燃やせないか、やってみる。要は、思考する存在がなくなりゃいいんだ!」

「ありがとう出雲。でも、黒雲帯雷こくうんたいらいで縛っている、今のうちじゃないと」

 出雲は頭をかきむしった。

「あー!! そうじゃねーよ!! オレはな、お前に絶対死んでほしくねえんだよ!! お前はな、はっきり言って脅威だよ!! だけど、オレは全力のお前と戦って、それでもあいつにオレを選んでほしいんだよ!! お前がいなくなったからオレ、って、死んでも嫌なんだよ!! 最後まで諦めんなよ!! オレは、お前があいつを守るために一生懸命だから、お前が大好きなんだよ!! 簡単に死ぬんじゃねえよ!! 困ったら頼れよ!! オレたち、友達だろ!!」

 露雩の両眼の奥まで、光が差した。

「出雲……」

「オレに大切な奴、守らせてくれるな?」

 出雲は前を向いて強い眼をしていた。

「……ありがとう……!!」

 目に溢れるものをこらえて、露雩は月明かりに照らし出された道に目を伏せた。

「(出雲……!)」

 空竜と霄瀾は、それを見て目をうるませた。


 月明かりが剣姫を相変わらず照らしている。

 否、剣姫が呆然と浴びている。

 閼嵐が恐い顔で立ちはだかった。

 二メートルの大人の姿に、戻っていた。

「剣姫。行かないのか。オレはお前を見損なった! 露雩がどんな思いで日業ひごうのもとに行ったか、わからないのか!!」

 閼嵐は紫苑が好きだった。

 だが、それよりも大事なものがあることを、彼は知っていた。

 剣姫はうわごとのように呟いた。

「剣姫でも……、最強の男装剣舞でも勝てなかったのに、私にどうしろというのだ? 私は守れない……守れない人間が他人の意志に口出しはできない」

 最強の力の敗北に衝撃を受けて、まともな思考が起きていない。

「馬鹿野郎!!」

 閼嵐はいきなり怒鳴った。

 びっくりして、紫苑の焦点が一瞬戻った。

「お前、苦しいときにいつもあいつに助けてもらってたんだろう!! 自分は救ってもらっといて、なんだ!! 言葉をもらったらもう知りませんか!? ふざけるな!! お前を信じた奴を、お前を愛する者を、そんな形で裏切れるのか!! お前なんか人間のクズだッ!! 勝てないからって、今まで剣姫おまえが敵から逃げたことがあったのか!! お前はその程度の戦姫せんきだったのか!! だとしたら、露雩もオレたちもとんだ道化だよ!! お前の陳腐ちんぷな正義に、振り回されてきたんだからな!!」

 剣姫が目を満月のようにみはった。

 閼嵐の声は剣姫の耳に鳴り響いた。

「お前は、何のために生きてるんだ!! 生きたいなら、戦え!! 奪われてはならないもののために、戦え!! 勝てる戦いで生き長らえるより、逃げてはいけない強い敵と戦って死ねッ!! お前への信頼の答えは、この程度かッ!! がっかりだよ!! お前は人の心を傷つけることを、許さないんじゃなかったのかッ!! お前なんか邪神に負けて死ねッ!! 露雩あいつと一緒に、死んでやれッ!!」

 剣姫の全身がガタガタと震えだした。

「そうだ……何をしているんだ私は……」

 眼に月光が輝いた。

「いつ死んでも構わないと思っていたのに……あの人はずっと私を見ていてくれたのに……!」

 剣姫の両眼から幾筋も月光の涙が流れた。

 あの人を傷つけてばかりいた。一言も言葉をかけてやらなかった。あんなに私を守ってくれたあの人を! 勝てないから、なんだ! 私は生きるために生きているのではない、敵を倒し死ぬために生きているのだ! 敵と戦わない私など、赤ノ宮紫苑ではない!! 今更いまさら気づくのか、赤ノ宮紫苑!! 失うな、この戦記、この想い!! それを忘れていたのなら、

「私は許さない!! 赤ノ宮紫苑!! 私自身をー!!」

 剣姫から白き炎が天へほとばしり、月のふちを焦がした。

「うおおおー!!」

 剣姫は白き炎で空を飛び、白い月に白いゆらめきを与えながら、邪神のもとへ向かった。

「やっぱりオレの姫はこうでなくちゃな」

 剣姫の姿を眩しそうにいつまでも見送ってから、閼嵐も山へ駆け出した。


 邪神・日業ひごうは出雲の炎の中にいた。

 しかし、まったくの無傷であり、魂も燃えなかった。

「くそっ! 下与芯かよしん、とんでもねえもの作りやがったな!」

 しかし、日業ひごうは何も答えなかった。

 あの自滅べらべら男が、邪神に人格を喰われたのだ。空竜は、それが露雩に起こったらと考えただけで、震えた。

 日業ひごうを縛っていた黒雲帯雷こくうんたいらいの網が、出雲の炎で失せた。

 氷雨たちはまだ動けない。

「よし! 四対一だ! 永久に疲れねえんなら、お前、文句言うなよ!」

 出雲が火空散かくうちるで炎の塊を五つ放った。それを貫くように、空竜の六薙ろくなぎが五本入り、最後の一本と共に全弾邪神に命中させる。

 しかし日業ひごうは関係なく地面から脚を突き出して、こちらを刺し殺そうと迫った。霄瀾の幻魔の調べで、攻撃が幻を狙っている。

 その間に。

「玄武神、顕現けんげん!!」

 露雩の力を変換して、水気の守護・四神玄武が現れた。

 黒く輝く亀甲を背負った亀。そしてその亀に絡みつく二匹の黒い蛇。

 黒いものの中で最も美しい反射を持つ神が、その香りを吸う者に血液の清めを与えながら、邪神と同じ大きさでゆっくりと地上に降りた。地に玄武の神紋が生じては消えた。

『懐かしい顔だ。神が人形になるとは、邪神の業は深いな』

 玄武の蛇が邪神に巻きついた。牙を体に突き立てる。

「人形でも、お前を殺すことはできる。見くびるなよ」

 邪神が脚で玄武の亀に殴りつけた。両者は離れた。

 玄武の三つの口が水流を吐いた。

 邪神は脚二本を交差させて脇へそらした。そして他の二本が玄武の蛇二匹を突き刺す。

 水流の流れたあとは、木が一本も生えていなかった。

 邪神は平然と立っていた。

 神蛇の傷を治す間、露雩の息が荒くなってきている。畏れ多くも人間が神の底知れぬ体に力を送るのは、猛烈な勢いで力を消費するのだ。玄武は邪神と激突した。首を嚙み千切ろうとする玄武と、串刺しにしようとする邪神が、地を揺らして格闘する。お互い、大きな傷をつけあい、一歩も退かない。

 邪神の四本の脚に砕かれた甲羅を修復したとき、露雩が血を吐いた。

 玄武神顕現の限界なのだ。

「露雩! もうやめろ! 空竜、露雩を見てろ!!」

 出雲が、玄武の薄れかかっている場へ飛びこんだ。空竜に、露雩が種選たねえらびを使うのを止めさせる。その間に、オレが倒す。玄武が食い止めてくれてる、今しかない!

「うおおおー!!」

 しかし、邪神の脚は四箇所から、目にもとまらぬ速さで玄武を貫いて出現した。

 避けられない。

 出雲の全身から汗が噴き出たとき、その四本すべてを弾き飛ばした者がいた。

 目の前にゆらめくその白き炎を持つ者を、出雲は一人しか知らない。

「……紫苑!!」

 来てくれた。

 かなわなくても、来てくれた。

 出雲は勇気が湧いて、背筋を伸ばした。

「玄武神と日業ひごうは、いい勝負だった。玄武神とお前が共闘すれば、勝機はあるかもしれねえ。でも、露雩の回復が先だ」

 紫苑は、その出雲の言葉で、はっと露雩に振り向いた。

 彼は、血だまりの中に伏せていた。

 彼女は、そっと彼の髪に手をかけ、手を取ると、彼女の体に玄武神紋を描かせた。

 力を少し回復した彼は、彼女がこの場にいるのを見て、驚いた。

 彼女は、彼の血だまりの中に両膝をつけて、優しさを込めた瞳をしていた。

 そして、勢いよく立ち上がると、キッと邪神・日業ひごうに振り返った。

「私の大切なものを、傷つけたな!! 許さんぞ!!」

 ああ、剣姫なのに、あんなでオレを――。

 露雩は、ゆっくりと上体を起こした。

 日業ひごうは動じなかった。

「弱者がほざけ。負けるとは全てを失うことよ。お前がいなかったことにして、世界が回っていくことよ。愚かなる剣姫、この身に貫かれるがよい。お前の想いごと、この世界から消し去ってくれよう」

 絶対の自信。

 絶対の力。

 だが、もう剣姫のれはしない。

「私はもう臆さない。己の技量からも、愛からも!! 貴様の息の根、刺し違えてももらい受けてくれる!!」

「紫苑……!!」

 露雩の、月の光をいっぱいに浴びる瞳に、剣姫は横顔だけ振り向いた。

「もしお前が死んだら、私も共に死のう! お前が生きるなら、私も生きよう! もうこの先お前を一人にはしない!!」

「……紫苑ッ……!!」

 剣姫は顔の左側を半月の仮面で隠し、再び男装舞姫になると、邪神に斬りかかっていった。

「クッ……! なんとかもう一度、玄武神を!」

「露雩! 無理しちゃだめよ!」

 立ち上がろうとする露雩を、空竜が支える。

「男装舞姫か! にわか仕込みの、似非神えせがみめ! 神魔に並ぶとな? 小賢こざかしいわ!!」

 邪神・日業ひごうは剣姫の双剣を弾き、体を殴り、刺し、打ちつけた。

 それでも、剣姫は休まなかった。投げ出された次の瞬間には、立ち向かっていった。考える間も持たなかった。痛みよりも先に、この邪神を今、滅殺めっさつすることだけを考えていた。

 ここで自分が倒せなかったら、すべてが終わる。

 剣姫は、自己が消滅してでも、戦い続けようと考えていた。

 痛覚と疲労感を麻痺まひさせているので、自分があとどのくらい存在していられるのか、わからない。

 傷を受ける回数が増え、剣技が鈍ってきている。

 最期が近いことを頭の片隅にぼんやり追いやっていると、

「紫苑!! 玄武が行ったぞー!!」

 露雩の叫び声が聞こえた。

 馬鹿な!! 玄武神顕現はもう限界のはず!!

 剣姫が走らせた視界の先に、黒いものの中で最も美しい反射の……蛇と亀ではなく、「塊」が、高速でこちらに向かって来ていた。

 そして、剣姫の口から中に入った。

「!?」

 明らかに、剣姫の力が変革されていった。

『人間を愛し愛さぬ陰陽の中道の赤ノ宮紫苑よ!! 陽の極点であるその善極ぜんきょくの力と、陰の神力である水気の四神・玄武の陰極いんきょくの力で、悪をねつけた最強の中道となれ!! お前の中道に、神力を加えることは赦された!! さあ、その一撃を撃てーッ!!』

 玄武の言葉と同時に、男装舞姫は飛び出していた。

 三回呼吸する間までしか、脳と肉体がもたないことが、直感でわかっていた。

 息を吸うたびに、森羅万象の命と思考が体内に入りこみ、自分を保ってくれるのに感謝すると同時に、多すぎる思考で発狂しそうになる。人間は、神にはなれない。この同時並行は、地上の命には無理だ。

 だが、今なら。

邪神きさまが撃てる!! 覚悟しろーッ!!」

 男装舞姫が双剣を振りかぶった。

「神が人間ごときに負けると思うのかーッ!!」

 邪神が脚四本と尻尾を突き出した。

 四つに分かたれたのは、邪神の方だった。

「なぜ……だ、四神の陰ごとき……で……!」

 邪神は崩れゆく体で思った。自分を超えるには、剣姫が陰だけでなく、陽も神でなければならないはずだ。陽が神? 人間ごときが? その力の源は一体なんなのか?

 体が完全に離れた。邪神は悔しさに能面の顔をわななかせた。

「おのれ……! 人形でなければ……回復できたものをっ……!!」

 そして、地面に突っ伏すと、動かなくなった。下与芯かよしんの魂のようなものが、残骸から立ち昇った。

「下与芯様……!!」

 氷雨は、黒雲帯雷こくうんたいらいの網の中から、思わず声をかけた。しかし、魂には何の反応もなかった。

 出雲の炎が魂を消滅させた。

「悪いがこの先またこんなもんを作られたら困るんだよ。この世にはもう戻らせねえぜ」

 氷雨は主人の最期を見て、呆然としていた。

 剣姫の口から玄武が出て、露雩のもとに戻った。

「紫……苑……」

 露雩が、よろよろと歩いてきた。

 剣姫は、森羅万象の気を受けて、体の内側から弱っていた。だが、露雩の姿を認めると、彼にとりすがった。

「どこが痛む!? 呪いは受けなかった!? 神器は飲んでないよね!?」

 露雩はしばらく無表情だった。剣姫は不安になった。

 そして、露雩は剣姫を抱き締めた。

「初めて剣姫のときに告白してくれたね」

「露雩だ……露雩だ……!!」

 剣姫は大声をあげて泣きだした。露雩にしがみついた。

「愛してる……あなたを愛してる!!」

「うん……オレも初めて君に出会ったときから愛していたよ」

 愛という言葉を知らなくても、大切にしたいというこの想いは、出会ったときから変わらない。

 剣姫の「陽極」の力の源は、「愛」だったのだ。

 二人が抱き締めあっているのを見て、空竜は面白くなさそうに口を尖らせて、両手で頭の後ろの一つ縛りの髪をかき上げた。霄瀾は頬を紅潮させて、うんうんとうなずいた。戦いの後に到着していた閼嵐は、すべてが収まったのだと微笑んだ。

「(それでこそオレの姫だ。どんなときも守るべきもののために戦ってくれる、強く儚く優しい剣姫。あなたがあなたでなかったら、オレはこんなにも愛しはしない!)」

 紫苑は閼嵐に気がついた。

「ありがとう閼嵐、あなたのおかげよ――」

 そう言った瞬間、紫苑の体が力なく倒れた。

「紫苑!?」

 抱きとめる露雩の目の前で、邪神の体が震動しだした。

「ははははァ!! 剣姫の魂は、もらったあー!!」

「紫苑の声」で、邪神・日業ひごうが元の姿に復活した。

 全員、一瞬何が起きたのかわからなかった。

「おおお……陰の極点燃ゆるばるかの肉体と、陽の極点赤ノ宮紫苑の魂!! なんという中道の力!! 永久の力の完全創出だー!!」

 邪神の能面さえ、喜びにうごめいている。

 露雩は、創出される力で空間さえ歪めている邪神・日業ひごうを見た。

 息をしていない腕の中の少女を見た。

「……ぅわあああああ――――ッッッ!!!」

 両瞳りょうめ星晶睛せいしょうせいから涙を流す露雩の絶叫で、玄武が放たれた。

「ははは!! 馬鹿め、この永久の最強の中道は神魔に並……ぶっ……」

 邪神が玄武の神蛇に丸呑みにされていた。

 なぜ……玄武ごときにっ……!!

 邪神は、玄武の「今の」力の源、最強の陰陽の中道の力の完全創出を見た。

 それきり、邪神の意識は完全に失せた。

 玄武は、白くて柔らかそうな魂をそっと吐き出した。

 それは、紫苑の口の中へ入っていった。

 紫苑は、ゆっくりと、目を醒ました。

「……紫苑!! 紫苑ー!!」

 露雩が頬に紫苑の頬を当てて、抱き締めて泣いた。

『死を恐れぬ者であれば、いくらでも我から生還することができよう』

 玄武は紫苑に話しかけると、刀に戻っていった。

「露雩……」

 紫苑が露雩の頭に手を添えたとき、

「出雲!! あんた、どうしたの!?」

 空竜の緊迫した声が響いた。

 出雲は、体が消えかかっていた。

 驚いた顔のまま、透けていく自分の両手を見て、そして紫苑に手を伸ばしながら、出雲は光になって東へ消えていった。

 紫苑は、出雲を式神にしたときにできた胸の傷が、治ったのを感じた。

「出雲が私の式神でなくなったわ……!」

「えっ!?」

 霄瀾も駆け寄ってきた。

「私の魂が抜かれたとき、私は一度死んだのね。あるじが死ぬと、式神は封印されていた塚に戻るの。出雲は東……千里国せんりこくの塚に行ってしまったんだわ」

「ええっ!?」

 一同は仰天した。

「すっごく遠いけど、まさか、このままなんてことはないわよね? 出雲を、また式神にするわよね?」

 空竜が焦って聞いてくる。

「もちろんよ!」

 紫苑は力強くうなずいた。

「私一人で迎えに行くわ!」

「え??」

 一同は再び目を丸くした。


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