剣姫その心を示せ第二章「氷の行動」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑、神剣・青龍を持つ炎の式神・出雲、神器の竪琴・水鏡の調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾、帝の一人娘で、神器の鏡・海月と、神器の聖弓・六薙の使い手・空竜姫。聖水「閼伽」を出せる、魔族の格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉の器の持ち主・閼嵐。
強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者・露雩。
人喪志国の国王・子瓜、その娘で格闘家の開奈姫。
竜の体の一部を使って人間を操り、人族を滅ぼそうとする者・知葉我。
第二章 氷の行動
武闘大会は、第十九試合まで進んでいた。
「露雩選手対、気番選手! 始めー!!」
司会の声と同時に、草色の着物の気番の姿が消えた。
「え!?」
露雩がさっきまでそこにいた相手を探していると、耳に、切るような風のうなりが聞こえた。
反射的に伏せると、露雩の髪の毛数本を切って、何かが近づいて去っていく音がした。
試合の始めに向きあったとき、気番が鎖鎌を持っていたことを思い出す。
「(姿を隠し、鎖鎌で攻撃してきてるのか)」
再び空を切る音がした。露雩は大きく横に跳んだ。
姿が見えないまま、攻撃を避け続けるのは不利である。
「(危険だが……、今よりはましだ)」
露雩は神剣・玄武一本を片手に持ち、もう一方の手で、あるものを隠れて準備しだした。
一歩も動かない露雩に対し、気番は音もなく、遠くから露雩の後ろにまわった。
「(どんなにかわし続けても、攻撃できなきゃ結局負けるんだよ!)」
気番は心の中でせせら笑うと、鎖鎌を放った。
露雩は風の音を聞いていた。
そして、敵意に満ちた鋭い風に、ガン! という鈍い音をかち合わせながら、玄武を打ちつけた。
「(!? 見えているのか!?)」
動揺する気番の鎖鎌の鎖に、露雩は玄武の刀を巻きつけると、巻尺を巻くように、くるくると刀を巻き始めた。気番の目には、団子状の鎖と共に、敵の刀がどんどん持ち手のこちらに近づいてくるのが見える。これでは、姿を消そうが何をしようが、気番にたどり着いてしまう。
気番は鎖鎌を片手に持ち、もう片方の手で短刀を構えた。露雩が調子に乗って接近したら刺すつもりであった。
しかし露雩は、鎖のぴんと張る緊張度から、気番がすぐ近くにいることに気づいていた。
「そら! お返しだ!」
露雩は、鎖の先にいるであろう、待ち構えていた透明の気番に向かって、玄武の神水と合わせた色水を浴びせた。
「うわあ!! なんだこれは!!」
気番は真っ黄色になっていた。体が透明で見えなくても、体の形は黄色く存在している。
「岩絵の具の黄色を、水で溶いたのさ」
「ち、ちくしょう、こんなもの! 神器の力で、絵の具ごと消えれば……」
気番は鎖鎌を輝かせた。みるみる絵の具まみれの体が消えていく。
「また姿を消せると思うのかい?」
露雩はその長い足で気番の首筋を蹴り倒し、戦闘不能にした。
気番の姿が現れても、鎖鎌は消えたままだった。
そして第二十試合が終わると、第二十一試合目、出雲対、利ッ豆となった。
利ッ豆は、前髪が後ろの髪と同化して、額から長いままぼさぼさにおろされている、装いにあまり構わないような二十四、五歳のあたりの女性だった。
目は出雲を凝視し、口は少し開いている。
よく見ると、蛍光桃色の口紅をわずかに塗っている。
「(そういや、千里国で蛍光ナマコの骸と戦ったっけ。つくづく蛍光野郎と縁があるぜオレは)」
出雲は骸との戦いを思い出して、気色悪さに震えた。
利ッ豆は、とげのついた手甲を両手にはめていた。
「格闘家か」
出雲は神剣・青龍を構え、飛びかかった。
まずは小手調べと思っていたが、利ッ豆の反応は早かった。
出雲の刀をかわすと、手甲のとげをその腹にめりこませた。
「グッフ!!」
四筋の血を飛ばしながら、出雲は観客席の下の壁に激突した。
腹を押さえて、立ち上がる。
「(しまった……、女と思って手を抜いた……!)」
無視できない痛みに、出雲は脂汗をかいた。
「(しかし、このオレがよけられないとは……)」
身のこなしには自信があっただけに、衝撃を受けてもいた。
「(次はもう、本気だ!!)」
出雲が一撃で終わらせようと地を蹴った。
しかし、口を開けた利ッ豆はまたしても出雲の青龍をくぐり抜け、左頬を殴りつけた。
炎式出雲には、なっていない。
それでも、自分の剣技の上を行く者がいることに、出雲は頬から血を流しながら、怒りと敗北感を同時に味わっていた。
自分がまだまだ弱いことへの怒りは、自分より強い利ッ豆の姿を目に焼きつけることにつながった。
「(くそ、やっぱり蛍光色は敵だ!)」
どうしても、利ッ豆の開いた唇の蛍光色に目がいく。
そこで、出雲はあることに気づいた。
「(あの女、どうして攻撃するときも口が半開きだったんだろう。叫ばないなら口か歯を閉じた方が、威力が出るのに。オレの傷が致命傷でないのも、そのせいだ。あの半開きの口、何かある……?)」
出雲は口に注目してじっと考えていた。そして、あることに気がついた。
「炎式出雲、律呂降臨!!」
出雲は炎の式神になった。
驚く利ッ豆に、出雲はてのひらを向けた。
「安心しろ。力任せにぶった斬るわけじゃない。でも予告するぜ。次の一撃で決める!」
利ッ豆は何も言わず、相変わらず口を少し開けたまま、身構えた。
「行くぜー!!」
出雲が全速力で向かった。
人間のときより数倍速い。
しかし、利ッ豆は既に反応して殴りかかっていた。
「(オレの見たところ、こいつはあの半開きの口でこの場を支配している)」
出雲は神剣・青龍に力を込めた。炎が宿る。
「(四分の四拍子、八分の六拍子、二分の二拍子、四分の三拍子の呼吸を繰り返し、こちらの一刀の拍子を放つためのオレの呼吸を、風の波で微妙にずらしている!)」
出雲は火空散の技で小さな紅皿ほどの火球を十数個出し、利ッ豆に放った。
「(そんな小さな炎、恐くないわ! 私は本物の紅皿の神器だって、持ってるんだから)……カポッ!?」
出雲の胸へ、今まさに手甲を突き立てようとした利ッ豆の口の中に、小さな炎が丸のまま入った。
「あふっ、あふあふあっ!!」
喉の奥が燃えている利ッ豆は、呼吸どころではない。
「死なないうちに終わらせてやるぜ!!」
出雲は利ッ豆の鳩尾を殴り、気絶させた。
利ッ豆の懐から神器の紅皿が消えていることを、出雲は知らない。
閼嵐は、会場の外を見回っていた。
開奈を狙う怪しげな集団でも見つかればと思っていたが、そううまくはいかなかった。
「(いつの間にか消える神器のことも、気になる)」
注意してあたりを見ていた閼嵐は、誰もいない広場に老夫婦が二人、丸太を横に切った椅子に仲良く腰かけているのに気づいた。
「お二人とも、大会をご覧にならないのですか?」
人々はあらかた会場に入ってしまっている。
閑散とした広場に老夫婦しかいないのは、どうも心配であった。
「今日はいい天気じゃのー」
「あら、広場を二人で独り占めかと思ったのに」
二人はそれぞれ声をかけてきた。
「(まあ、みんながみんな、大会に浮かれてるわけないよな。こういう日にきちんと働いてくださっている方もいらっしゃるわけだし、観戦しない人がいても、特別なことではないな。ただ……、人の目がないと犯罪に巻き込まれたとき、危ないからな……)」
閼嵐が「よい一日を」と言って去ろうとすると、風が吹いてたくさん実のついている柿の木を揺らした。おばあさんがそれに気づいた。
「あの柿、そろそろ熟れる頃ねえ」
おばあさんが指差すのを見て、おじいさんも話した。
「あの柿は、熟れたら鳥にくれてやらんとな」
「おじいさん、熟れたら木に登って取ってきてくださいな」
「「あー楽しみ」」
と、二人は、はははと笑った。
「(? この二人、会話が嚙み合ってないぞ? お互い耳が遠いんだ)」
閼嵐は二人の行き違いを訂正すべきか迷った。
二人は、顔を向け合った。
「そういえば、着物の上から黒い布を適当に巻きつけた、うさんくさい連中が、熊蜂通りに集まっておったなあ」
「えっ!? それはどういう奴らでしたか!?」
勢い込んで尋ねる閼嵐をよそに、おばあさんがおじいさんをたしなめた。
「違いますよおじいさん、あの人たちは熊蜂通りにいたんですよ」
するとおじいさんがむっとして言い返した。
「何を言う、あいつらは熊蜂通りで見たんだ」
「「もー、お前さんときたら」」
と、二人は、またもはははと笑った。
「……熊蜂通りですね……」
閼嵐は何度も教えてもらったその単語をもう一度言った。
熊蜂通りを立て看板の都地図で確認して、閼嵐は走った。自分は、年を取ったらあんなふうに、どんな境遇でも奥さんと笑いあっていたいなと思いながら。
「これで全員に行き渡ったな」
氷のように冷たい女の声が、熊蜂通りに通った。
武闘大会会場は、大通りを二本渡れば、すぐである。荷馬車の脇で、黒い布を体に無造作に巻きつけた男たち五十人が、武器を持って並んでいる。皆、これから起こすことに瞳をらんらんと輝かせていた。
「行くぞ」
女が五十人に命令して、前を向いた瞬間。
絶望の眼差を向ける閼嵐の姿が、会場に続く熊蜂通りを塞いでいた。
「何してるんだよ……」
閼嵐は女に言葉にならない声をかけた。
水色の影を帯びる、ゆるやかな癖毛。
深くに思慮深さをたたえたような、湖色の青い瞳。
そして何より、閼嵐に迫る長身。
「開奈ァーッ!!」
叫ぶ閼嵐の腹に、槍が突き刺さっていた。
「邪魔しないでくれる」
平坦な冷たさで、「開奈」は言った。
開奈は槍を引き抜いた。
「グハッ!!」
吐血して倒れる閼嵐を残して、開奈と五十人は行ってしまった。
必死に閼伽で傷を治しながら、早く皆に伝えなければと気ばかり焦った。
「油断してるところを狙われたら、いくらみんなでもやばいッ……!!」
集団「四」の控室では、紫苑が出番を待っていた。負けた選手は去り、人気が少なくなっている。
「調子はどう? 紫苑」
空竜がやって来た。
「あら! 会場の外を見回ったあとは、王と観戦してるはずじゃ……」
紫苑が驚いて見上げた。
「控室の雰囲気とか、見ておきたくて」
空竜らしい。そう思いつつ、紫苑は尋ねた。
「霄瀾は?」
「座って、試合を見てるわ。面白がってる」
「そう。あんまり一人にしないでね。あんなことがあったし、私、心配よ」
誘拐されたことを思い出して、紫苑がお願いするように言った。しかし、空竜はなぜか一瞬止まった。
「――そうね。早く戻るわ」
なぜ抑揚なく言うのだろう。紫苑が疑問に思う間もなく、空竜がくしを取り出した。
「紫苑、戦いで髪が乱れてるわよ。私、とかしに来たの」
「え? ありがとう」
素早く紫苑の背後に回る空竜に、紫苑が戸惑っていると、空竜は紫苑のルビー色の髪に手を添え、くしをかざした。
紫苑が力を抜いたとき、突然髪を下に引っ張られ、顔が天井を向いた。そしてその目に、鋭利なくしの柄を喉に突き立てようと振りかぶる空竜の顔が映った。
「ッ……!!」
無表情な空竜と、殺意の塊の右手に言葉を失った。くしの柄が紫苑の喉を貫こうとしたとき、
「紫苑ー! 頼むよ、治してくれよー! けっこう痛えー!」
出雲がわざと重傷のふりをして紫苑に会いに来た。
「何やってんだ空竜!!」
出雲に体当たりされて、空竜は吹っ飛んだ。
「どうしたんだ! 何があった!」
「私にもさっぱりよ!」
出雲の隣に、紫苑も立ち上がった。
空竜は無表情に、無言で素早く起きると、控室の窓から逃げ出した。
「待てよ!!」
「出雲は空竜を追って! 私は霄瀾を!」
そのとき、爆発音が聞こえた。控室全体が揺れ、椅子が倒れる。
「外だ!!」
二人が武闘場に出ると、観客が悲鳴をあげて、我先に出口へ走っているのが見えた。
「紫苑!! あれを見て!!」
露雩も到着していた。
逃げ惑う観客を手当たり次第に斬りつける、黒い布を体に巻いた者たちがいた。ざっと、五十人。しかも、その武器は――
「あれは神器!!」
入れた種類の矢が分裂し続ける矢筒、毒を出す蛇矛など、試合後に消えた神器と、そのほかに様々な神器と思しき武器を、五十人全員が持っている。
「神器は使い手を選ぶのに、その選ばれた使い手が五十人も集まっているというの!?」
三人は一斉に、霄瀾と空竜の座っていた、国王のいる席のあたりへ顔を向けた。
十人ばかりの黒い布の男と、国王を囲んだ親衛隊が、武器を振り回している。
霄瀾、空竜、開奈の姿はない。露雩が素早く考えた。
「あの三人が、人々を助けずにいなくなるわけがない」
「連れ去られたってこと?」
「とにかく、空竜はおかしかった。どうする紫苑!」
「みんな! 聞いてくれ!」
そのとき、閼嵐が姿を現した。止血を終えている。
紫苑は、閼嵐の服の血を見て、すぐに暖熱治療陣をかけた。閼嵐はその間に開奈のことを話した。
「開奈がこの騒ぎの首謀者なの!? 一体、何のために!?」
その間にも、人々が犠牲になり、親衛隊も数を減らしていく。
「自分の国の民を……」
紫苑の眼が人々の血を映した。
「姫の身でありながらーッ!!」
剣姫が、五十個の神器と戦うために出撃した。
剣姫が出て良かったのかもしれない。
たとえ神器を持っていても、普通の体力で、五十個もの神気を宿す神器に勝つのは難しいと、三人は身をもって知っていたからだ。
「剣姫の傷を癒せるどっちか、ここに残れ! オレは空竜と霄瀾を探す!」
出雲が早口で言った。空竜は操られてあんなことをしたのかもしれないが、もし他に何かしたら、罪は罪。剣姫がどう出るか、わからない。
「オレは開奈を探す! あいつの神器の攻略法なら知っている!」
閼嵐が宣言した。露雩が残ることになった。
「二人で行動しろ。開奈と空竜はつながりがある気がする。それに、向こうも神器を持っている。一人で戦い続けるのは危険だ」
露雩の声に見送られて、出雲と閼嵐は会場を出た。
熊蜂通りに走ると、荷馬車は影も形もなかった。
「ちくしょう! 隠れたあとか!」
出雲が轍を探そうと地面に顔をつけて注視していると、閼嵐は鼻を動かした。
「……ここに神器が埋まっている」
閼嵐が荷馬車のあった地面を爪でえぐった。
すると、地面の中から、ぴょこん! と、光る矢印がモグラのように頭を出した。
「ん? いや、これは矢だ! 空竜の六薙の矢!」
神器・海月で組成された矢は、神器と同じ匂いがするのだろう。矢は、出てくると、出雲の周りを回り始めた。
「げ!? こいつ、糸みたいなのついてる!?」
光る矢には、光る糸がついていて、出雲をぐるぐる巻きにすると、矢のように飛び始めた。
「ぎゃあぁ~」
出雲も矢の速さで遠ざかる。
「出雲!!」
閼嵐は全速力で出雲を追った。
「これで神器は全部か」
小屋の中の開奈の前に、鋼の靴である閉動門と、他に六薙、海月、水鏡の調べが転がっている。
「あなた、誰の差し金で動いてるの!!」
縛られた空竜が睨みつけた。
開奈はそれには答えず、直立して淡々と言った。
「この神器を扱う資格を言え」
「教えるものか! 特に、『そんな姿』をしている者になど!!」
“開奈”が叫んだ。
縛られている。
武闘大会用の水色の戦闘着を着ている。
対して、立っている開奈は、丈の短い水色の着物を金具のついた帯でとめ、脚にぴったりつく長靴を履き、他の両腕両足で見える部分は、黒い服で覆っていた。
そのとき、『空竜』が扉を開けて入って来た。
「まだ言わないの。殴る」
「やめておけ。霄瀾のように気絶したら、起きるまで待つのが面倒だ」
立っている『開奈』が、気を失っている霄瀾をさらに殴ろうとする『空竜』を止めた。
「あんたたち、なんなの!? どうして『私たちと同じ姿をしている』の!?」
縛られた空竜がたまりかねて叫んだ。
「ヒヒヒ、そいつらは今日からお前さんたちになるんだよ」
小屋の中に、白髪が首から上三分の一しか残っていない、皺の深い男の年寄りが入って来た。
「どういうことっ……!!」
空竜と開奈が絶句していると、男の年寄りは歯欠けの口で笑った。
「わしは人形師の下与芯。こいつらは、開奈姫に似せたのが氷雨、そして空竜姫に似せたのが弧弧。わしの作った人形機械だ」
紹介されても、氷雨と弧弧は無表情だった。
感情は特にないらしい。
「本当なら帝や各国の王に似せて作った人形機械をすり替えれば、魔族の世になるのはたやすいのだが、皺を作るのがとても難しくて、今はまだ実用段階ではない。だから、わしが若い女の子が好きというわけではない」
下与芯は、自分が魔族側だと暴露した。
「神器をどうするつもり!」
開奈はぼろを出させるために質問した。
「知れたこと! わしには使いこなせないゆえ、偉大なる知葉我様に献上するのよ! あのお方はすべての神器が、竜の力を媒介にすることで、不適合の人間でも使うことができると、気がつかれたのだ! 神器が集まり続ける限り、あのお方は無限に、神器を武器に持つ軍団を作り続けられるのだ! ああ、なんと素晴らしいお力、だからわしがこんなにも称賛するのは、知葉我様とお近づきになりたいからではないぞ」
自分を守って自滅する人間のようだ。
「(なんてことなの! 知葉我にそんな力があるだなんて! これじゃ、河樹の結晶睛より厄介じゃないの!!)」
そう考えていた空竜に、下与芯が近づいた。
「しかし、十二種の大神器ともなれば、話は別だ。知葉我様も、ぜひお知りになりたいだろう。さあ、言ってもらおうか」
「どっちみち殺されるのに、誰が言うと思うのかしら」
開奈が気丈に言い放った。下与芯は笑った。
「言わなければこの子供を殺すとしたら?」
皺になっている指が、霄瀾の鼻をそっとなでた。
「霄瀾ッ!!」
「卑怯者!! その子は関係ない!!」
「関係はあるさ。水鏡の調べの適合条件を聞くしな。ただし……うまくいけば『無傷で帰れる』子ではあるなあ……」
下与芯は皺に影を作りながら、試すような残忍さで笑った。
「氷雨。子供の体をどこか刺せ」
「はい」
氷雨が無表情に前に出た。
霄瀾の前で槍を構えた。
「や、やめてえ!!」
「やめろ!! 死んでしまう!!」
「お姫様たち。では話してくれるな?」
勝ち誇ったように下与芯が近づいてくる。
「(なんで早く来ないのよ! 閼嵐なら絶対六薙の矢の匂いに気づくはずなのに! お願い、お願い早く来て!!)」
「(助けて……!!)」
姫二人が助けてくれる人を心に念じたとき。
小屋の板壁をぶち抜いて、高速で何かが木箱に激突する音がした。
「ああー!! 痛えーよ!! 傷口開くだろコノヤロー!!」
頭と腹を勢いよくさする出雲が、木の破片の中から起き上がった。
「出雲ォ!! 来てくれたのね!!」
出雲は縛られた空竜に気づいた。しかし彼は姫の泣くほど嬉しそうな様子に気づかず、痛む頭を見せつけた。
「お前なー!! たんこぶできただろーが!! 受身も取れねーほどぐるぐる巻きにすんな!! バカ!!」
すると空竜はそのたんこぶにちゅっと口づけた。
「いいっ!?」
驚き恐れて出雲が尻もちをつくと、空竜は、髪を軽やかに左右に振った。
「特別のご褒美だからねえっ! こんな幸運は、二度もないんだからあっ!」
「二度もあったら口から心臓が飛び出ちまうよ」
よっぽど来てくれたのが嬉しかったんだな、と出雲は目を白黒させて立ち上がった。
そして、二人の姫にそっくりな二人の女と、仲間の神器を目にとめた。
「すり替わろうって魂胆か。会場で暴れてる奴らもお前たちの仲間だな。国王が死ねば国は開奈……に似たお前のものだ」
出雲は一瞬で状況を理解した。
「空竜に似た奴も、オレたちを油断させて一人ずつ殺すのに役に立つ。危なかったぜ……」
下与芯は、そそくさと神器をかき集めると、戸口に走った。
「氷雨! 弧弧! 全員殺しておけ! 神器さえこちらにあれば、いずれ次の適合者も見つかるだろう!」
「あっ!! 待ちなさい!!」
空竜が叫ぶのを聞きながら逃げようとした下与芯の体が、吹っ飛んだ。
「神器を全部置いていってもらうぞ!」
「閼嵐!!」
開奈がほっとして名を呼んだ。
矢の匂いを追ってようやく到着した閼嵐は、神器を抱えて、縛られた三人のもとへ跳んだ。
「来てくれるって、信じてたよ!」
その開奈たちに、閼嵐は告げた。
「悪いが、縛られたままでいてくれ。混戦になったら、お前たちとあの二人を間違えるかもしれない」
そして、向かってきた、順手に短刀を持つ弧弧を殴りつけた。
「オレは女でも手加減しねえからな」
出雲が氷雨と向かい合った。
「二人とも、その二体は人形機械よ! 一回斬ったくらいじゃ何ともないかもしれない! 気をつけて!」
空竜が叫ぶのを聞いて、出雲は驚いた。
「しまった……! このじじいを倒しておかないと、これから先同じのを何体も作りやがるぞ!」
「ヒッ!!」
出雲に剣を向けられて、下与芯は慌てて氷雨の陰に隠れた。
「下与芯様は良い人形しかお作りにならない」
初めて氷雨の言葉に少し感情が見えた。
「たくさんは、お作りになれない」
どこか怒りを含んでいた。
「(人形機械軍団が作れないということか。なぜだ?)」
出雲と閼嵐の思考は、氷雨がビョルルルと片手で回す水色の槍の風圧で中断した。
向かってくるのは氷雨の方が速かった。
槍と出雲の神剣・青龍がぶつかりあう。重い一撃だ。互いに、押し切ることができず、両手が反動で上がる。
同時に右から突き、左肩をひねってかわす。出雲の胴斬りをしようとする剣を持つ両手を、出雲をしのぐ速さでつかんで、氷雨は槍を支えに跳んで、出雲の顔に蹴りを入れる。
出雲は小屋を滑り、剣で地面をかいて止まった。
「(こいつ、速い……!)」
そう思った出雲の目の前に、氷雨の顔が迫っていた。敵だけを見ている目。無表情な能面。
「火空散!!」
とっさに放った炎の技が、あたりに火花を飛ばした。
しかし、氷雨は無傷で出雲の右腕に槍を突き立てた。
「ぐあああっ!!」
「出雲ッ!!」
空竜の悲鳴に、下与芯が小躍りした。
「ヒヒヒ! どうだわしの最高傑作は! 人形の素材に木火土金水を防ぐ、ありとあらゆる魔石の粉を練りこんであるのだ! そのおかげで柔らかな皮膚を再現できたのだがな! おまけに人形だから息をしない! 息が関係ないから、誰よりも速いのだ!」
氷雨にはたいていの術が効かないということだ。そして、呼吸に支配されない分、最速で攻撃することができるのだ。人は走るとき、剣を振るとき、どうしても呼吸を整えなければならない。その差がある分、出雲は氷雨に後れを取っていた。
氷雨が出雲の脇腹に槍を振り、殴り倒した。馬乗りになろうとする氷雨から、全速力の後転で起き上がり、槍の突きを、かすりながらよける。正直、素早さについていけない。
「(ちっ……! 早く終わりそうにねえな)」
右腕と脇腹の痛みをこらえて、涼しげな顔の氷雨に対して、出雲は両手で刀を構えた。
閼嵐は飛びまわる弧弧の繰り出す短刀を、気の鎧で受けていた。
こちらの攻撃は、ときどき当たっているのだが、人形ゆえに痛みがなく、動きが鈍ることがない。
「(どこかに動力源があれば……)」
しかし、人形機械の仕組みは、閼嵐にはわからなかった。
「……仕方ないな」
閼嵐は神器・淵泉の器を額から外すと、鋭利な鎧に変えた。
格闘家の閼嵐でさえ、人形機械の弧弧の素早さと互角であった。戦闘経験だけが、閼嵐の攻撃を当てさせていた。
だが、相手はすぐに学習して、同じ手は二度と通用しなくなるはずだ。
閼嵐は諦めた顔で立っていた。
「はは! 私の攻撃に疲れて、守りに徹したのね! いくら神器の鎧でも、覆われていない所を刺せば、お前は死ぬのよ!!」
弧弧は笑って、一直線に向かってきた。
攻撃の体勢を取れば、逃げられる。
閼嵐は、変わった動きをした。
「えっ!?」
閼嵐は、顔に短刀を突き立てようとした弧弧を、両腕を押さえつける形で抱きしめていた。
「は、放せ!! 何をする……うわああ!!」
弧弧の体がピシピシと亀裂を起こし始めた。
素早さは互角でも、力は閼嵐の方が上だ。弧弧は、逃れられない。
そして、どんな素材を使っていようと、神器は破壊できない。
「!! 弧弧!!」
氷雨がよそ見をした隙に、出雲が氷雨の左肩を貫いた。
「う……!!」
氷雨の左腕が力なくたれさがった。腕を動かす線が切れたようだ。
その間に、弧弧は切り刻まれていった。
「氷雨……!!」
その言葉を最後に、人形は無数の欠片になった。
空竜も開奈も、言葉が出なかった。
「すまない空竜。会場では紫苑と露雩が五十個の神器と戦っている。手段は選べなかった……」
閼嵐は空竜の目が見られなかった。
「……いいの。私より人々を救いましょう、閼嵐!」
姫は腹から声を出した。
「弧弧ッ!! 弧弧ッ!!」
いつの間にか氷雨が両膝をついて、弧弧の残骸をかき集めていた。
感情があったのか。
取り乱した氷雨を見て、閼嵐はゆっくりと思った。
そして、氷雨に手をかけようとしたとき、
「氷雨!! わしを連れて逃げるのだ!! お前も手負い、勝ち目はない!!」
「ですが、弧弧がッ!!」
「それはもう、だめだ!! 新しいのをいつか作ってやる!! 早くしろ!!」
「でも、弧弧はッ!!」
「逃がすか!!」
閼嵐が下与芯に向かって走った。氷雨はそれに気づき、閼嵐を上回る速さで下与芯の前に立つと、槍で閼嵐の拳を止めた。
閼嵐が目を見開く中、氷雨は眉を寄せられるだけ寄せた。
「閼嵐!! 覚えていろ!! 必ず殺す!!」
そして、下与芯を抱えて逃げて行った。
「追えないな、あの速度は」
出雲が見送った。
「ああ。次に戦うときのために、対策を練った方がいいな」
三人の縄をほどきながら、閼嵐は氷雨の最後の表情を考えていた。
出雲と閼嵐の傷は、六薙の癒しの矢と閉動門の目で回復した。
火に燃やされている弧弧の灰を眺めながら、空竜が呟いた。
「友達……だったのかな」
「友達……?」
ああそうか、と閼嵐は合点がいった。
もし涙があったら、人はあんな顔をするんだった。
「すまん氷雨、すぐ直すからな」
「……はい」
森を走りながら、人形師と人形機械は会話した。
「「……」」
お互い、無言である。
人形の素材の魔石は、知葉我に頼めば手に入るかもしれない。高価な魔石を絶妙な配合で惜しげもなく大量に使うから、下与芯の人形機械は高値だが良品と言われてきた。一切の金銭的な妥協を許さない、芸術品である。
知葉我も、下与芯の腕には一目置いているようだ。だが、たとえ素材が揃っても、人形機械を量産できない理由がもう一つあった。
下与芯は、人形機械の動力源を、己の魂から分け与えていたのだ。
これまで、数多くの人形機械に命を分けてきた。あと一度が限界、と知葉我にも言われている。
「(……私は下与芯様を殺すことはできない)」
氷雨は弧弧を想って月を見上げた。
時刻は夕暮れ時になっていた。
刀がぶつかり合う音がする。
剣姫が右の刀で最後の神器を跳ね上げた音であった。
そして左の刀で貫かれた男は、絶命した。
「ハアーッ、ハアーッ、ハアーッ」
剣姫は血だらけであった。
返り血でもあり、己の血でもあった。
「お……おおお……」
子瓜国王が感激に震えた。
たった一人で、皆を守ってくれた。
「露雩。神器を都へ跳移陣で転送させる。手伝え」
「うん」
二人は神器の回収にかかった。
「気づいたか。こいつらの右手の中指は、全員竜の爪だ」
「うん。竜の力が備わっていたということは……」
「こいつらは神器に不適合でありながら使い手になれた可能性が高い。試合のときも、人殺しを熱望していただろう。竜の力の副作用で残忍になったのかもしれない」
「この騒ぎが成功していたら、この国はおそらく知葉我のものになっていたのだろう」
「恐ろしい奴だ……。この世に知識があればあるだけ、奴はそれを吸収して利用してくる……うっ」
剣姫がくらと倒れた。
五十個の神器とまともに戦っては、勝ち目がない。
だから、使い手だけを狙い撃ちにしてきた。
それでも、立っているのがやっとのところまで、力を使い果たしていたのだ。
「紫苑。あとはオレに任せておいて」
露雩が優しく背中に手を添えると、剣姫は顧みもせず立ち上がった。
「私のことは私が決める。途中で倒れても、構わない」
そして、神器を再び集め始めた。
こうやって、いつも一人で立とうとする子なんだよなあ、と露雩は苦笑して、紫苑と共に神器を拾った。
人喪志国の国王と姫を救ったことで、国王は改めて帝への忠誠を誓った。
そして、白虎神殿の伝承の断片を秘密裏に伝えてくれた。
「巨大な湖の真ん中にある島にそびえる山に、白虎が住まう」
この大陸で湖の中に島を持つ場所は、ない。空竜が考えた。
「昔は湖で、今は湾になっているところなら知っているわあ。いくつか島もあるの。この大陸で一番大きな湾よお」
空竜が地図を指差した。ここから北西にある、白岩湾だ。複数の国が、湾に接している。
次の目的地は、そこに決まった。
紫苑と開奈は、二人で城の庭園を散歩していた。
「やっぱり、都に届かない情報って、いっぱいあるのね開奈」
「嘘の情報だったら、こっちの首が飛ぶからね。情報ってのは慎重に扱うもんさ、上に立てば立つほどね」
開奈が、ばつが悪そうに紫苑に弁解した。
もう、あと少しで出発するという時に、どうしても、紫苑と二人で話がしたいと開奈が申し出たのだ。
「で、話って何? 開奈」
「……どうすれば、強くなれるの?」
「……」
「剣姫は、倒したい相手も、好きな方法で倒せるんでしょ? 友達を守るために、知りたいの! 紫苑、どうすれば私は強くなれるの?」
必死に懇願する顔だった。
「何から、守りたいの?」
開奈はふっと庭の花に目を向けた。
「私は未来の帝、当滴様の第二夫人になるの」
当滴は、将来の空竜の夫である。
「父上は私を売ったのね。私は、私より弱い男のものになるなんて、耐えられないわ」
紫苑は開奈から目を逸らさなかった。
「何かに縛られるのが嫌なら、新しい価値を創造するしかないわ。でもその代わり、あなたは全てを失うかもしれない。姫という身分さえも。自分を生贄に差しだせる者だけが、破壊と創造を許されるのよ。あなたに覚悟があるなら行きなさい。何もしないなら、あなたは一生、何もしなかったことを悔やむでしょう。何かしたいなら思いつきのまま動かないこと。必ず皆が救われる結末を考えて」
開奈は、救いを求める弱々しい目をした。
「あなたは、そうして生きてるの?」
「私は、それを『希望』と呼ぶから」
生きても、死んでも、信念は変えない。
開奈は、頼もしい太い柱を見た思いがした。




