剣姫その心を示せ第一章「人喪志国(ひともしこく)武闘大会」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑、神剣・青龍を持つ炎の式神・出雲、神器の竪琴・水鏡の調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾、帝の一人娘で、神器の鏡・海月と、神器の聖弓・六薙の使い手・空竜姫。聖水「閼伽」を出せる、魔族の格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉の器の持ち主・閼嵐。
強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者・露雩。
人喪志国の国王・子瓜、その娘で格闘家の開奈姫。
竜の体の一部を使って人間を操り、人族を滅ぼそうとする者・知葉我。
武闘大会、邪神との戦いを経て、白虎神殿へ向かいます。
第一章 人喪志国武闘大会
武具に身を固めた武者が、そこかしこを歩いている。
彼らの乗ってきた馬もつなげることができる宿屋は、もう満室である。
「困ったわね……」
燃えるルビー色のように赤い、流れるしなやかな髪を翻しながら、結晶の光の反射のように麗しい美少女・赤ノ宮紫苑は、宿屋をあちこち見上げていた。
「こんなに旅人の多い町だとは、思わなかったな」
端整な顔の式神・出雲も、刀の精霊の刀身のようにほどよく曲がった眉と目を、各宿屋の『満室』の旗に向けた。
「『武闘大会百人力まんじゅう』売ってるぞ。ちょうど武闘大会が行われる時期だったんだな」
精悍な野生美溢れる顔の閼嵐が、鎖鎌のようにがっしりと筋の通った鼻に、蒸し器でふかしてあるまんじゅうの蒸気を吸いこみながら、小豆あんと抹茶あんのを六個ずつ買った。
「わーい、おいしい!」
かわいらしい顔で無邪気に微笑みながら、幼い霄瀾は、閼嵐からもらった熱々のまんじゅうを頬張り、紅葉した桜の葉のように赤く色づいた口唇をむぐむぐと動かした。
「どうするう? どこも空いてなかったら、天印見せて城に泊めてもらう?」
花の命を集めたように可憐な顔の空竜は、尖らせた口から、白い藤の花のように連なる白い歯を少しのぞかせた。
「そうだね……。たとえ空いていたとしても、オレたちが入ることで、他の出場者が宿を取れなかったら、かわいそうだ」
どの角度から見ても綺麗な美貌を、堂々と惜し気もなくさらしながら、白い狼のように真っ白に美しく彩られた肌で、露雩はぱーんと日差しを明るく跳ね返していた。全身を覆う黒い服がすべての色を吸収するのとは対照的であった。
「まあなー。観客も他国から来るだろうし……」
出雲は大通りの賑わいに目を向けた。
紫苑たちは、攻魔国の内部に属する国、人喪志国の王都・志業に来ていた。
現在王都は明日に控えた武闘大会で大いに盛り上がっていた。出場選手、見物客、土産物売り、武器防具職人による販売や手入れなど、様々な目的を持った人が、交錯していた。
「待ちなさい! スリーッ!!」
そのとき、勢いのいい声が鋭く飛んできた。
巾着袋を握りしめた無精ひげの男と、その後から短髪の少女が駆けてくる。
周りが止まってざわめくなか、いち早くそれと気づいた紫苑の出した右拳が男の顔面に、少女の出した飛び膝蹴りが男の後頭部に、めりこんだ。
立ち上がれない男を担架に乗せて、警備兵が連行していった。
「スリを捕まえようとしてくれて、ありがと! あんた、勇気あるじゃん!」
短髪の少女が、自身の財布、草色の巾着を片手で投げ受けしながら、さっぱりとした声で笑った。
水が光を照り返すかのように真っ白に輝く、刈り上げられた短い髪は、ゆるやかな癖毛で、水色の影を帯びている。水が安らかにうねるような眉、泉が湧いた瞬間のようなやや丸い目、深くに思慮深さをたたえたような湖色の青い瞳。急流を水が下るような勢いのある鼻。湖面がそよ風に吹かれたように優しく結んで微笑みゆるむ口唇、海の水が光にきらきらときらめき、四角くつないで揺れたような色の白い歯、そして滝のように白い肌。彼女からは冬の雪の匂いがする。
すらっとした細身で、露雩と閼嵐に匹敵する背の高さである。
「私は開奈っていうの。あんたは?」
開奈が紫苑に話しかけたとき、
「あーっ!!」
空竜がすっとんきょうな声をあげた。
「やっぱり開奈姫だったのね! 似てると思ったあ、こんなに背の高い女の子、そうそういないもん!」
「ん? そう言うあんたは?」
開奈が丸みを帯びた目をさらに丸くした。
「帝の娘の空竜よ! 宴で会ったことがあるのよお。あなたはお父様と私のいる前では顔を上げなかったけど」
「えっ!? 空竜姫様!? どうしてここに!?」
「ちょうどいいわあ。話をするから、城へ案内してちょうだい」
目を白黒させてあたふたする開奈の背中を押して、空竜が跳ねるようについて行った。
「――そうでしたか。各国の実状を見聞するために旅を……。素晴らしいお考えですね」
人喪志国の王・子瓜は、畳の間で、空竜たちの事情を聞いた。
どの王が帝国にいつ反するか、わからない。また、知葉我のように人族に敵対する者がいる以上、常にすべてを正直に言っていては、どこからどこにどのような情報が漏れるか、わからない。
だから、星方陣のことはなるべく伏せ、この旅は空竜の世直し、むしろ勉強の旅だということにしている。神器については、「帝国の武器になる神器の情報を出してほしい」という言い方をする。
もちろん、素直に出さず、隠す国もあろう。
神器は、その国の貴重な武器になりうるし、また、奪い合いの争乱を引き起こすからだ。
こちらが王族の嘘を見抜けるかどうかにかかっているが、彼らに隠されて神器を取り損ねたとしても、問題はない。
陰陽師は、一度行った場所なら、跳移陣を使って自由に行き来できるからだ。
だから、各国で、その国の地理や歴史の話の他に、「他国の」神器の噂も聞くことにした。
戦略上、他国の神器が帝国に召し上げられればいいと思えば、密告するだろう。
過去に行った国の神器の情報が出たら、跳移陣で戻って再調査すればいいのだ。
とりあえず、今のところは、大した噂はない。
「西に様々な物資が流れている」という、王たちの話以外は。
「改めまして、私は人喪志国の姫、開奈でございます。皆様、ようこそ我が国へお越しくださいました」
開奈が姫らしくない短髪で、恭しく頭を下げた。癖毛の長髪が嫌なのであろうか。
「せっかくですから、明日の武闘大会をご覧になりませんか。各国から人も集まりますし、それはつまり情報も集まるということですよ」
「これ開奈。しかし、各国の強者の戦いぶりは、ご覧になって損はございますまい。ぜひ、明日も人喪志国にご滞在ください」
親子に勧められて、一行は明日、武闘大会を見学することに決めた。
「それにしても、さばさばした感じの女だったよな。女っぽさだけなくしたような女だ」
出雲が開奈を思い返した。霄瀾は短くなびく髪を思い出した。
「でも、かっこいい美人だよね」
「そうねえ……あんな武術の持ち主だなんて、知らなかったわあ」
空竜の隣に出雲が立った。
「同じスリを捕まえるんでも、向こうは自力で倒せてたしな」
「なっ、何よお! 私だって弓の腕はあるのよ!? でも射たら殺しちゃうじゃないの! 私はいいのお!」
「開奈はわがままも言わねえし、背伸びもしねえだろうな」
「出雲ォ! あんた何が言いたいの!」
ギャーギャーわめく空竜のそばを、荷馬車が通った。
閼嵐がキッ、と、光を反射した刃のように光る瞳を、鋭く向けた。
「どうしたんだ閼嵐」
露雩も荷馬車を目で追った。
「……神器の匂いがたくさんある」
「えっ!?」
荷馬車は角を曲がった。閼嵐は走って追いかけた。
しかし、角の先に荷馬車の姿は、どこにもなかった。
「……! 嫌な予感がする……!」
閼嵐は神器の匂いでいっぱいの肺が、力の行き場を求めているようで、怖気を感じた。
紫苑と露雩が追って来た。
「神器を武闘大会で使うつもりなのかしら」
「神器は使い手を選ぶ。頭数が揃えばいいわけじゃない。でも、使い手が一緒にいないのは気になるな」
出雲たちも駆けて来た。紫苑が皆に告げた。
「神器が何の目的もなく運びこまれたとは考えられないわ。そして、これは神器を手に入れるいい機会よ。私たちも武闘大会に出場しましょう。今、この国に神器が隠れている以上、明日大通りや会場の観客席を見張って待っていても、無駄よ。隠す呪いのかけられている神器を見つけ出すには、相手に神器を解放させて使わせるしかないわ。武闘大会にそいつらが出場するかどうかは賭けだけど、通行人にけんかをしかけるわけにはいかない以上、これしかないわ」
紫苑は城へ戻って、王に出場の旨を伝えた。
開奈は大喜びで、紫苑に囁いた。
「実は私も、内緒で出るの! 私と当たっても、手加減しないでよね!」
目を丸くする紫苑を置いて、開奈は体を弾ませながら部屋を出て行った。
「最近のお姫様って、みんな行動力あるのな」
出雲は紫苑と空竜に目をやった。
「人喪志国武闘大会は神前奉納試合であります!! どのような武器も許可されますが、殺人を犯した者は死刑です! 一年に一度の開催で、はや十一回目でございます! 優勝者には二千万イェンと、人喪志国への仕官の権利が与えられます! さあ、今大会も勇者たちは、激闘を繰り広げてくれることでしょう! 第十一回人喪志国武闘大会、開幕ですっ!!」
司会が、武闘場の中央に立って、音声を大きくする術の込められた札を手に、叫んでいた。
すり鉢状の観客席に、一万人はいるだろうか。その下に、だだっ広い円形の武闘場があった。戦いの余波が観客席に及ばないよう、五重の防御陣がかけられている。
「始まったな」
選手控室で司会の開会宣言を聞いて、選手たちが体や武器を動かして気合を入れた。
紫苑は出場選手の数を数えた。
ざっと二百人はいる。
閼嵐が咳をした。
「この中に神器があるかどうか、わからない。なんだか、この部屋には妙な匂いが充満している。むせるほど強い……」
「いいわ。勝ち残った人間に狙いを絞ればいいのよ。会場の外は霄瀾と空竜に任せて、私たちは神器と戦うことに集中しましょう。神器に勝つのはかなり力を使うし、連戦になるかもしれないけど、みんな、がんばりましょう」
紫苑、露雩、出雲、閼嵐は顔を寄せあってうなずいた。連戦になったら体力が続きそうにないので、霄瀾と空竜を外したのだ。
対戦方法は基本的に一対一である。ただ、それでは時間がかかりすぎるので、三十二人になるまで、全員で戦いあうことになっている。
革の胸当てをした者、鎖の鞭を持った者、金気の攻撃を和らげる首飾りの装飾防具を身に着けた者、翡翠色の剣を携えた者。様々な防具・業物を見せながら、武者らは晴れの舞台へのぼった。
応援と期待の歓声の中、武者らはまず神体山である人喪志山に向かって一礼した。次に、王に向かって一礼した。そして自然と円陣になると、観客に向かって外を向き、皆で全方向に一度に礼をした。観客は大いに盛り上がった。そして最後に内側を向いて皆で一礼しあうと、すぐに距離を取って、身構えた。
「うおーっ!!」
血気盛んな男たちが、武器を構えて突進した。そして、あちこちで攻撃しあう。
優勝者には人喪志国への仕官の道が約束されているし、また、大会中特に勇敢だったり、優れていたりして王の目にとまれば、その者にも仕官の誘いはある。
よって、参加者は、相手を勢いあまって殺してでも勝とうとは、しない。
そんなことをしなくても、見ていてくれる人がいるからである。
「ふうん、忠誠心の高い、強い兵隊募集の実技試験ってわけね。うまい集め方だわ」
紫苑たちは、そこそこ戦いながら、なるべく手を出さずにしておいた。強い者や神器を、見極めるためである。
「おらおらあ! ボーッと突っ立ってんじゃねーぞう!」
鋼の丸太を抱えた筋肉質の男が向かってきた。
紫苑の前に出雲が出ると、男は横から来た少女の飛び蹴りで、遠くへ体が滑っていった。
「あ、開奈」
「何人か倒しとかないと、観客にずるで残ったって言われて応援してもらえないよ? 体も温められるし、もっと参加しなよ!」
目だけ出した覆面の開奈は、じゃあねという風に左手を二回、軽くにぎにぎすると、水色の戦闘着を翻して、戦いへ戻っていった。
「……なるほど、観客の目は気にしてなかったわ」
紫苑たちは、神器を持っていないと思われる者を重点的に倒し始めた。
あっという間に三十二人が決まった。
その中に紫苑たち、開奈、鋭い眼光の武者たちが揃っている。
三十二人は一礼して退場してから、「一」から「四」の四つの集団に分けられ、ここから個人戦が始まる。
紫苑、露雩、出雲は、一人ずつ三つの集団に分かれ、閼嵐と開奈は、同じ集団である。
開奈は、かなりの格闘の腕前である。
「紫苑たちと戦えるの、楽しみだな」
うきうきしている開奈を見ながら、閼嵐とどんな戦いを見せてくれるのかと、紫苑も楽しみであった。
「遂に白黒つけるときが来たな、露雩」
「出雲、当初の目的を忘れてるだろ」
盛り上がる出雲を隣にしながら、露雩は出場者の様子を目で追っていた。一種異様な雰囲気なのは、試合への緊張感からか、それとも――。
「さあ! さっそく第一試合の開始です! 閼嵐選手対、木乃助選手! 武闘場へどうぞー!」
「御手並拝見だね!」
集団「一」で同じ控室の開奈が、閼嵐を見送った。
木乃助は、頬がこそげ、目の周りの落ち窪んだ、痩せた男だった。骨折したときの添え木のように、両腕に鉄の棒を一本ずつ、くくりつけている。
「では第一試合……、始めー!!」
司会の合図で、閼嵐は左足を半歩前に出し、右拳を後ろに引いた。
しかし、木乃助は棒立ちのままだった。異様に青い白目で、閼嵐をぼうっと見ている。
「(仕掛けてくるのを待つ性格か)」
そこで閼嵐は敵の懐に飛びこみ、敵の出方を探った。
素早く駆けて近づいたとき、木乃助は突然目玉を飛び出さんばかりに見開くと、顔の半分を占めるかと思われるくらい大きく口を開けて、気合を発した。
そして、踏みこんだ閼嵐は、木乃助の鉄棒に脇腹と腕を打ちつけられていた。
「うっ!」
閼嵐は距離を取って片手を地面につけた。
打たれたところは痛いとして、それよりも自分の攻撃が当たる前に、相手の攻撃のみで接触の瞬間をやり過ごされたことに、驚愕していた。
閼嵐はもう一度向かって行った。今のは相手のまぐれだろうか、それとも……。
近づいた瞬間、木乃助は再び険しい顔で気合を発した。
再び閼嵐は、一発も当てられないまま、腹と背中に鉄棒を食らった。
痛みよりも、自分が見切られていることの衝撃の方が大きかった。木乃助は青い白目でぼんやりと閼嵐を見ている。そして、敵が近づくと、目醒めたように力を出すのだ。
あの気合は、術が発動する鍵か何かなのだろうか。
そのとき、木乃助が動いた。顔はぼんやりしたまま、足だけ回転する円のように速い。
そして気合を発した。
迎え撃とうとする閼嵐は、鉄棒の突進に吹っ飛ばされた。
木乃助は閼嵐が体を起こす間にも、駆けてくる。
「この野郎!」
しかし、木乃助が気合を発すると、閼嵐の攻撃は空振りし、木乃助の攻撃が入った。
「(神器なのか!? いや、どう見てもただの鉄棒だ……)」
「ちっ。頑丈なやつだな。殺しちゃいけない規則さえなけりゃ、もうとっくに殺してるのに」
そのとき、木乃助が舌打ちした。
それは、観客の歓声に消されるほど小さい声だった。
だが、魔族の閼嵐の耳にはそれが聞こえ、しかも、いやに反響しているように思えた。
そこまで考えたとき、閼嵐にある気づきが生まれた。
閼嵐は両手で両耳を一回ふさぐと、木乃助に向かって走った。木乃助も走り、気合を発した。
しかし、攻撃が入ったのは閼嵐の方だった。木乃助は大きく石の床に叩きつけられ、弾みで右腕の鉄棒が折れ飛んだ。
「(やはり、神器ではなかったな)」
「なんだこいつ! なんでオレの声が効かねえんだ!」
木乃助がよろめきながら立ち上がった。
閼嵐は、木乃助が気合を発するとき、反響した声を出して、間合を実際より遠くに錯覚させているのではないかと推測していた。まだ間合ではないからと攻撃しないでいるので、先に攻撃を受けるのだ。耳から閼伽を全身の血流にめぐらせ、気合の声を遮断すると、攻撃が当たった。
「(これでもう、向こうの思い通りにはさせない!)」
閼嵐は両拳を後ろに引いて駆けた。木乃助は、気合の強弱を何度変えても速度の変わらない閼嵐を見て、焦りから、いつ息を吸っているかわからないほど、呼吸が乱れた。
木乃助は、閼嵐の十殴打に耐えきれなかった。
「なかなかやるじゃん、閼嵐! 次は私だね。しっかり見ときなよ!」
開奈は、第二試合のために出て行った。
控室の隅の椅子に、閼嵐は腰かけた。閼伽を帯びた手で、体を押さえる。
「……ちょっと、殴られすぎたな」
深く呼吸していた。
「第一試合は閼嵐選手の勝利でした! さあ続いて第二試合はカイト選手対、君吹選手です! 前へどうぞ!」
カイトとは開奈の偽名である。
毛皮の胸当てを着けて弓を手にした君吹は、開奈の目から一秒も、その逆三角形の目を逸らさず、礼をした。その後も、視点は微動だにしない。
「(やりにくい奴ね)」
見られ続けて精神的な圧迫を受けながら、開奈はそれに反発するように走り出した。
君吹は流れるような速さで矢を取り、構え、射た。
「ぐっ!」
開奈は転がって避けた。鋼鉄の二の矢、三の矢を跳んでかわすと、
「はあっ!」
鋼の手甲をつけた拳で君吹に殴りかかった。
君吹の弓が、それを受けた。弓に傷一つない。反った部分が、握る部分を除いて刃だったのだ。
そのまま斬りつけられ、開奈の二の腕から鮮血がほとばしった。
そして矢が次々と飛び、全速力で回りこむ開奈の後ろに刺さり続けた。
「おかしい……、矢が尽きる気配がない」
君吹の後方で開奈が君吹の矢筒に注意を向けた。矢筒は最後の一本を抜く直前、二本に分裂した。そして四本、八本と瞬く間に増殖し、満杯になった。
「えっ!」
開奈が目を疑ったとき、開奈の太ももに矢が刺さった。
「しまった!」
つんのめって地面に横に倒れる開奈の目を、君吹がはっきり矢で狙っていた。ニヤリイと、得体の知れないおぞましい笑みを見せた。
「(殺される!!)」
矢が放たれたのと、開奈が息を呑んだのとは同時だった。
開奈の鋼の靴が輝いた。
彼女の目に迫った矢は、地面から激しい勢いでせり上がったものに、弾き飛ばされた。
「人喪志国神器・閉動門!!」
粘土でできた白い壁には、開く取っ手がない。その名の通り、出ることも入ることも許さない門なのだ。丸い目玉が四つ、粘土を動かしながら白壁を泳いでいる。
「カイトは開奈か!? いつのまに我が国に伝わる神器の使い手になったのだ!?」
国王の子瓜が、神器が人目に触れたことに狼狽して立ち上がった。
この国も、己の神器の情報は隠していた。
「それにしても、王族が扱う神器って、守備系が多いわね……」
開奈の神器も、十二種の大神器かどうか、いずれ帝に占っていただこうと、紫苑は考えた。
しかし、カイトとして出場する以上、開奈は素性のわかる神器を使おうとは思わなかったはずだ。無意識のうちに神器を発動させるほどの何かを、君吹が発したことになる。
「ひゃはははは! 抜けろ、抜けろ、抜けろー!」
矢を連射する君吹の露骨な笑みは、幸いなことに開奈の目に刺さらなかった。いや、本当は粘土を泳ぐ四つの目のうちの一つが透視の目で、開奈に門の向こうを見せられた。だが、自分を殺そうとする男の目を、真正面から見るのが開奈には恐ろしかった。そして、粘土に矢が刺さり続ける音という恐怖だけで、彼女の耳から体が震えた。
「おらおら! 出て来い! オレの神器の矢はいくらでもあるんだからよお!」
君吹が興奮して、口の端に泡を飛ばすのも構わず射続けた。
「私を殺そうとしているのなら、仕方ないな」
開奈は姫らしく毅然として立ち上がった。
「神器・閉動門! 一束動開!!」
粘土が渦を描き、いっぱいに刺さっていた矢を中心に寄せた。それは、一度光ったあと、円筒形の矢筒を十個束ねたほどの太さの巨大な一本の矢になり、そして、君吹に向かって射出された。
「ふん! こんなもの、射落としてやる!」
君吹の連射で、矢の角度はそれていく。
しかし、君吹の瞳の中に映る光が大きくなっていった。
閉動門の四つの目のうちの一つが放った、熱線だった。
右腕に大火傷を負った君吹が運ばれていき、開奈が勝ち残った。
君吹の矢筒は、いつの間にかなくなっていた。
「私が姫だって、知ってたのね」
開奈は、話し相手が欲しかった。閼嵐のそばで、うつむいている。
「あんな顔、私に恨みがなくてもできるんだ」
姫として戦うことを決意したときに見た君吹の顔を思い出して、開奈は二の腕を押さえた。
武術の達人とはいっても、武闘大会という「礼をわきまえた武士」としか対戦したことのない開奈姫だ。狂気を相手にするのは、心が追いつかないことだろう。
「神器を出したのは、賢明な判断だったな」
閼嵐の言葉に、開奈は驚いた顔を上げた。
昨日の荷馬車の神器が全て開奈と国王を狙っているのだろうか。閼嵐はぞっとした。
君吹の正体がわからない以上、閼嵐は開奈を守ろうと考えた。神器のことも聞こう、とも。
その後、二組の試合が終わり、「二」集団の戦いとなった。
「第五試合、露雩選手対、賽振選手、どうぞー!」
キャー!! と、ひときわ大きな声援が女性たちから起こった。既に露雩の応援隊が結成されていた。
「大会の間だけならいいけど」
困りながら武闘場へ上がった露雩を、賽振が嫉妬の目で睨みつけていた。常に苦虫を嚙み潰したような口元から食いしばった歯を見せて、自分の周りすべてに挑みかけるような、争いを起こさずにはいられない目をしていた。
「では、始め!!」
司会の声に、両者は刀を抜いた。賽振も二刀流であったが、それだけではなかった。
交差した抜き身の刀を、腹側に二本、背側に二本、装着していたのである。
「(合計六本? 刀が折れたときの予備か? それとも……)」
露雩が斬りこんだとき、賽振はよけなかった。剣を振る体勢も変えなかった。
「!」
露雩の双剣は、腹に装着した二本の刀が受けていた。そして、賽振の刀が迫った。
予想はできたので、露雩は転がって避けた。
四本の刀は、賽振の鎧であった。不思議なことに、急所を守らず普通の部分を覆っている。
「(殺してはいけない規則だから、頭部は狙えない。腹と背を無理に狙ったら、剣からきれいにそれている急所を刺してしまうかもしれない。斬れるのは手足くらいなものか。そこまで計算してのあの鎧なのだ。武士として一生、生きることを志す者が、なんと小狡い。武士にふさわしくない)」
戦争に規則はない。だから、どんな条件でも戦って勝てるところを国王に見せるべきである。あれでは優勝しても仕官を許されないだろう。
二千万イェンだけ手に入れればいいのだろうか。自分の実力でない方法で勝とうとする賽振に、露雩は嫌悪感を覚えた。
「へへへ! 相手を縛ったうえでこっちはやりたい放題ってのが、一番楽しーぜ!! 戦争に規則はねーんだよ、どんなやりかたでも勝ちは勝ちだ!! バーカ!!」
賽振が目玉をぎょろつかせて舌を顎の下まで伸ばしながら、二刀を大上段に振りかぶってきた。
絶対に安全圏にいるという驕り。
人の志を砕く、その卑しい心理。
「一人で立てない者が、一人で立とうとする者をくじくのは、許さない!!」
露雩は一歩も退かず、神剣・玄武を片手で目と水平に保った。
「へへへ……え」
賽振の目玉が止まった。神流剣の水の刀が、賽振の伸ばしている舌と下顎を貫いていた。
「その汚い言葉を吐くのをやめろ。確かに戦争には正々堂々と戦うことなどという規則はない。だが相手の失敗や制約がなければ勝てない者は、果たして強いと言えるだろうか。卑怯者であるし、すべての国が同じ条件に立ったとき、お前は必ず負ける。そうならないように他人の強さを何段階も貶め、自分だけが他人を支配できる教育と強さを得られるようにする憎むべき敵に、オレは断固立ち向かう。人の真に発揮されるべき本当の力を押さえつけ、自分はうまく弱めておいた人の頭を踏んで上に行くという者を、オレは撃つ!!」
露雩は、水の刀を薙ぎ払った。
「グバッ!!」
賽振は観客席の下の壁に激突した。
「こ……この、やろ、よくも……!!」
口からだらだらと血を流しながら、賽振が立ち上がった。背の刀が皮膚に食いこんでいた。
「うおおおー!!」
賽振が目を血走らせると、腹と背の刀四本が、持ち主の体に入りこんでいった。そして、無数の鋭い角が体から突き出た。
「魔族か!!」
「神器だよおー!!」
賽振が突進してきた。露雩を思いきり抱きしめようと腕を絡みあわせる。
「へへへ! 逃げんなよおー、一回で終わらせてやるからよおー!」
露雩を切り刻もうと、カエルのように跳びかかってきた。
神器と聞いて、露雩はもっと情報を引き出したかったが、貫かれてなお狂気の抜けない相手を、まずは倒さなければならないと考えた。しかし、神器を破壊することはできない。神器の鋭い角は、賽振の全身から突き出ていて、刀を挟む隙間もない。
露雩が身をかわした地面に賽振が抱きつき、床が砕けた。
「へへへ! おらおら、さっきまでの威勢はどーしたあー!!」
露雩は走り出した。神剣・玄武のみを持った、一刀流である。
「抱き潰してやるぜー!!」
賽振も向かってきた。自分が絶対に傷つくはずがないという、驕りである。
砕かねばならぬ。
他人の力を認めない悪を、砕かねばならぬ。
露雩の目が険しく見開いた。
瀑布の絶え間なく落ちる轟音が、人々の耳に届いた。
否、それは露雩が神剣・玄武で賽振の神器すべてと激突した音であった。
「あ……うわああー!!」
すべての角は、賽振の体にくぼみを作ってめりこんでいた。
「あ……うわ、うわ、うわあああー!!」
神器は破壊できないが、押し戻すことはできる。
神器と一体化していた賽振は、それによって死ぬことはなかったが、神器によって押し戻された傷である顔中体中のへこみが、神器を体の外に取り出しても消えないのを知って、あまりのことに失神した。
救護班が駆けつけて慌ただしくしている間に、いつの間にか賽振の神器が失せていた。
その後三つの試合が終わり、「三」の集団の試合となった。
「第九試合、出雲選手対、背出選手です! 始めー!!」
背出は、細長い体をしていた。そして、蛇の鱗のような模様の緑色の柄と、くねくねした刃の、蛇矛を構えていた。
「槍使いか」
出雲は刀を後ろに向けた。こちらの間合を読ませないためである。
背出も柄を短く持って、間合を隠している。
そして地を蹴り、背出は飛びかかってきた。上空から一瞬で蛇矛が突き出される。
予想よりも長い。背出が目一杯繰り出したことがわかった。出雲のこめかみを、矛がかすめていった。血がたれたとき、出雲は背出の殺意を知った。
「(なんだこいつ、死刑になってもオレを殺すつもりなのか!? 参加者全員と戦うならともかく、オレだけ狙うというのは、誰かに頼まれたということなのか!?)」
考える出雲の横を、蛇矛が襲った。
甲高い金属音をあげて、出雲の神剣・青龍が矛を止めた。そのまま押し払おうとしたとき、急に矛の先が二つに裂けた。
「ギッシャアアー!!」
金属質の声をたてると、蛇の顎のように見える矛が百八十度に大きく開き、ザクッと出雲の右腕に刃の牙をたてた。
「うっぎ!!」
思わず出雲が神剣・青龍を取り落としそうになったのは、急に痺れがまわったからであった。
「毒蛇!!」
出雲は背出を蹴り飛ばすと、急いで青龍を左手に持ち替えた。
右腕が、青紫色に変わっている。
「さーて、全身に毒がまわって死ぬまで、何分かかるかなー?」
背出が蛇矛を立てて腕組みをしながら、笑っている。あとは高みの見物らしい。
出雲は戦いに充てられる時間が少ないことを知ると、即座に地を蹴った。
左手のみで剣を振る。
「ふーん、まだそれだけ動けるのか。でも、神器の敵じゃないな」
「神器!?」
出雲が驚いて蛇矛と刃を押しあった。
「(これでは、折れない……!)」
本気の斬撃で背出を傷つけず、蛇矛を折って勝とうと考えていた出雲は、間合を取るために下がった。
だんだん毒が右肩に上がってきている。一刻の猶予もない。背出の腕を一本斬り飛ばすかどうしようか迷う。しかし、背出が神器を持っている以上、いろいろ聞き出したいことがある。腕を奪った相手に、何か話す者がいるだろうか。
その間にも、毒の浸食は鎖骨のあたりに到達していた。
もう考えている暇はない。出雲は走り出した。
「のろまめ! もう動きが見え見えだぜ!」
背出が嘲笑いながら蛇矛を突いた。
そのとき、出雲は急に神剣・青龍を右手に持ち替えて、蛇矛の刃と突きあった。
「んぬっ!?」
予想外の力に、背出は一瞬顔をしかめた。
最後の悪あがきだろうと思っているうちに、ぐいぐい蛇矛が押されてきた。
「この! まだそんな力が残ってやがったか!」
一歩下がったとき、背出は怒って再び蛇矛の刃を蛇の口のように裂くと、出雲に再度嚙みつかせようとした。
その刃に、出雲は青龍の刀身を押しつけた。青龍に嚙みついた蛇矛全体に、すかさず炎を走らせる。
「熱い!!」
背出は蛇矛を青龍から離そうとしたが、今引いたら、出雲の強力に押してくる刀が体を斬ると予測されたので、押し合いをやめることができない。
その間にも、蛇矛を持つ両手は燃え続けている。
「熱い、熱い、熱い!!」
背出は泣いて悲鳴をあげた。
「助けてやろうか」
真っ青な顔で、出雲が苦しそうに笑った。
彼の左手は空いていた。
「とっとと寝な!!」
右頬に力をためた拳を食らい、背出は気絶した。
出雲は体内に炎を意識した。この毒は穢れだ。炎の精霊の大好きな食べ物だ。この毒はまわるのが早く、戦いながら燃やし尽くすことができなかったのだ。
「……ふう」
毒を浄化し終えて一息ついた出雲が、担架で運ばれていく背出に目を向けると、神器の蛇矛がどこにもなかった。
その後三つの試合が終わり、「四」の集団の番になった。
第十三試合、赤ノ宮紫苑対、明湯である。
明湯は目の吊り上がった、細い髪束の女であった。頭にハリネズミのように無数の木の釘をつけていた。
試合開始と同時に、明湯は木釘を両手の指いっぱいに十本引き抜くと、口にくわえてプッ! と吹いた。口で吹いたとは思えない速さであった。
何かの術だと思って紫苑が転がり避けると、
「あうっ!」
急旋回した木釘十本が、腕と横腹に刺さった。
「追跡できる……!?」
紫苑は木釘を引き抜くと、術で燃やし尽くすまで握っていた。
「炎・月命陣!!」
次の新たな木釘十本に、紫苑は炎の技をぶつけた。
しかし、木は術に強い特性を持ち、術の炎では、素早く燃やし尽くすことができなかった。明湯の術で守られてもいるのだろう。
紫苑は走りながら、十二支式神「辰」(龍)を召喚した。
辰は巨大化すると、木釘に貫通されながら、紫苑にかわす計算をする時間を与えた。
明湯の頭にはもはや一本の木釘も残っていない。
「まだ足りないって言うの!?」
苛立った明湯は、武闘場の石畳を術力で持ち上げ、紫苑にぶつけることに使い始めた。
紙の辰は、あっという間に引き倒された。
「石!? くっ、なんでも無数に操るなんて、ずい分な風使いね!」
「ふふ、私のは超能力よ。力が尽きることのない、永久の戦士ね!」
紫苑を大石が襲った。紫苑の炎の技は、当たれば危険なそれを砕くので手一杯だ。
そして、粉々になった石が、再び紫苑を襲う。
「あはは! 私の勝ち!」
明湯が笑った。
紫苑は無数の打撲を受けながら、無数の石を見た。
「守ってばかりでは、勝てない! しかしこの、数にまかせた攻撃、どうすれば!」
明湯にもう攻撃の駒を与えたくない紫苑は、最小限の破壊で勝つ方法を考えて、考えて、はっと気がついた。
「さっさと倒れなさい!」
最後の一押しをしようと、明湯が石を突撃させた。
「炎・月命陣!」
紫苑の半月の炎が生じた。
「そんな炎で、何ができるの? 砕いたって無駄よ! 私の力は、失せない!」
明湯が超能力を出す手に力をこめた。石の速度が上がる。当たれば体を貫通するだろう。
「殺さなきゃ、いいんだから!」
そう言って笑ったそのとき、紫苑は手を振り薙いだ。
「散!!」
その瞬間、半月の炎がばらばらに飛び散った。そして、一つ一つの小さい炎が、細かい石を約十立方センチメートルごとに大ざっぱにまとめて、くるんだ。
「あっ!!」
突然、すべての石が動かなくなって、明湯は驚愕した。
「なんなの!? ただ炎に包まれただけなのに!!」
「今私とあなたは押し合いをしてるのよ。あなたの超能力は私に石をぶつけようとしてる。そして、すべての石をくるんだ私の炎の術も、石ごとあなたに向かおうとしている」
「な……なんですって!!」
自分の超能力に対抗されたことに、明湯は顔が引きつった。
「言わなかったけど、」
紫苑は扇を上へ振った。
「私は術力の戦いには自信があるのよ!!」
炎に包まれた石は、明湯を打ちのめした。
礼をして武闘場を降りた紫苑は、明湯の力が神器ではなく超能力であったことに驚いていた。
彼女も、理由もわからずに力を使い、脅え、恨んだ日があったのだろうか。
「私と明湯は、少し話が合ったかもしれない」
紫苑は控室で暖熱治療陣を出し、怪我を治した。
「生まれてきた理由を探して答えを出すのは、一人ひとり方法が違うけれども」
紫苑は、露雩のことを見上げるかのように、上を向いて目を細めた。
その後も試合は続き、再び集団「一」へ戻った。
第十七試合、閼嵐対開奈である。
「格闘家同士の対戦だね! 私に気を使わず、殴ってきていいからね」
開奈が笑って、二人は武闘場で礼をした。
閼嵐は、人喪志国の姫君が負けるという不名誉な事態を起こすことに、良心の呵責は何もなかった。
むしろ、このまま出場すれば、君吹の一味に開奈は殺されると思った。
国の護りの神器も、そう何度も人目に触れさせるものではない。
開奈を今ここで倒しておこうと、閼嵐は決めていた。
開奈が拳を思い切り突き出した。閼嵐は上体をひねり、かわす。もう片方の拳の攻撃を、左手を地面につけて落下してやり過ごすと、蹴りを出そうとした少女の軸足を、後ろから前に蹴り、ずらし倒す。すかさずかかと落としをする閼嵐から、開奈は後転して立ち上がる。そして、回し蹴りを放つ。閼嵐は、手を地面につけない側転跳びで宙を一回転し、よける。
「うーん、さすがに空竜姫の護衛だけあるね。手を抜いてるのがわかるよ。私より、強いな」
開奈は、あっさりと力の差を見抜いた。
「賢明な姫だ。じゃあ、もう負けてくれるか。嫌いでもない奴を殴るのは、あまり好きじゃないんだ」
閼嵐が言葉をかけたが、開奈は首を振り、目を輝かせた。
「だめだよ! せっかく私の神器の力を引き出してくれる相手に、めぐりあえたんだから!」
「なに?」
「待ってたんだよ、私の神器がどこまで強いのか、教えてくれる強者を! これまでの武者はみんな控室で、もし神器で攻撃されたら、ずるいって言ってた。これじゃ、出せないでしょ? でも、閼嵐は違ったもんね。ねえ、お願い! 私の神器と戦ってよ! このときのために、武闘大会にこっそり出場してきたんだから!」
自分を知るのは戦いのうえで重要だが。
「……まったく、オレが絶対開奈に危害を加えないことをわかってて……」
これまで、神器と比肩しうる、かつ「安全な」武者もいなかったのだろう。
「開奈。それは後でじゃだめなのか?」
「後で一対一で向かいあっても、閼嵐は本気で戦ってくれるかな?」
開奈は、閼嵐が空竜を守る自分の手の内を隠して、わざと開奈に負けることを恐れているのだ。
「……今しか真剣にならないだろうってことか。……わかったよ」
「そうこなくっちゃ! 神器・閉動門!!」
開奈の前に、粘土でできた白い壁がせり上がった。丸い目玉が四つ、泳いでいる。
閼嵐は額のはちまきの神器・淵泉の器をほどいて手に持った。すると、はちまきがするすると伸びて、布のように閼嵐の体に巻きついていった。
そして、いつの間にか全身を鋭利な素材で覆う、鎧になっていた。
淵泉の器は、持ち主の望む形に姿を変える、鎧系に属する神器であった。
気の力だけで攻撃を防ぎきれないと判断したとき、閼嵐はこの神器を使うことにしていた。できれば、公衆の面前で、額にあるひし形の中に丸の紋章を見せたくなかったが。
「へーっ、かっこいいじゃん! それ、『本気』ってことで、いいんだよね?」
壁の向こうの開奈に、閼嵐は身構えた。
「オレが勝ったら、もう大会には出るなよ!」
「いいよ! 私は自分の神器の力がわかれば、満足だもの!」
閉動門の四つの目玉のうち一つが、光り始めた。
「熱線だな!」
あれを食らえばかなりの傷を負うはずだ。
とっさに判断して走り始めた閼嵐の横を、熱線がかすめた。
連続する熱線の雨の中、閼嵐は西瓜の縞のように走り、直撃を避ける。
「すごい! 私が狙うより速い!」
開奈は、はしゃいでいる。
「まったく……」
閼嵐は閉動門を淵泉の器の手甲で殴りつけた。粘土質の壁に手がめりこんだ。門はすずらんの花を支える茎のごとく、きれいにのけぞった。
しかし、驚くべき柔軟性で、二つに割れることなく、水滴を落としたあとの草のように、前方にしなって閼嵐を放り出した。
「うっ!!」
閼嵐は観客席の壁に手足を当てて、止まった。
閉動門は、何食わぬ顔で元の直立に戻っている。閼嵐が殴ったところも、修復されていた。
「……恐ろしく耐久力の高い神器ということか」
神器を破壊することはできない。かといって、頑丈すぎて、攻撃でどかすこともできない。
そのとき、強力な光が閼嵐の目に届いた。
眩しすぎて、目を開けていられない。開奈の声が響いた。
「これは閉動門の三つ目の目だよ。熱線をよける相手の視界を奪う、探索光でね。こうしておいて……熱線を当てるのよ!」
熱線が連続して放たれた。閼嵐は目が開けられず、次々に食らった。
鎧は傷一つないが、中の閼嵐の体は衝撃で引き裂かれんばかりである。
「早く負けたって言いなさい! 死んじゃうわよ!」
しかし、開奈の言葉に、閼嵐はグッと歯を食いしばった。
「このオレに倒せない敵があるだと……!? なめるなよ!!」
そして、閼伽を地面に流し、水びたしにした。閉動門も水に浸かり、開奈も足首まで閼伽である。
「それがこの熱線を止められるとでも言いたいの!?」
笑う開奈に閼嵐もニヤと笑った。
「そうだ!!」
そして、突如大量の閼伽を放った。
洪水は、どんなに重いものでも押し流す。
巨大な重量を誇って、どかそうにもどかせなかった閉動門は、すってんと倒された。
「きゃあっ!!」
開奈は、その下敷きにならないように、閼伽で別方向へ押し流してある。
閼嵐が片足で閉動門を踏みつけ、もう片方の足で開奈に回し蹴りをしようとしていた。
「悪かったよ閼嵐。でも優しいな、最後の最後で蹴らないなんて」
閉動門最後の目の力で、開奈が閼嵐の傷を癒している。
「オレは嫌いでもない奴を殴るのは好きじゃない」
開奈は、自分の負けを認めた。試合は既に終わり、二人は会場の外にいる。
閼嵐が淵泉の器を額に締め直し、クックッと左右にゆすって調節するのを、開奈は頼もしそうに眺めていた。
「ねえ、その額の紋章。閼嵐は魔族なの?」
「……そうだ」
「どんな魔族なの?」
「えっ? なぜそんなことを聞くんだ」
警戒した閼嵐に、開奈は慌てて、両手を小さな胸の前で振った。
「いや、友達になりたくてさ……」
「……。ただの人間なら教えたかもしれないが、姫はだめだ。多人数の利害関係が絡まりすぎている」
開奈は、とても寂しそうにうつむいた。
自分の里をこれからも守っていくためとはいえ、さすがに閼嵐もかわいそうになった。
「この大会が終わるまでなら、オレたちはお前を守る。友達なら、ときどきこの国に遊びに来るよ。なんでも話すことだけが、友達じゃないだろう」
「……うん」
うつむいたまま、開奈はゆっくり笑った。
「優しいね、閼嵐」
そして開奈は、父王の隣で観戦するため、会場へ入って行った。




