優猛魔性(ゆうもうましょう)第四章「身代金奮闘記」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑、神剣・青龍を持つ炎の式神・出雲、神器の竪琴・水鏡の調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾、帝の一人娘で、神器の鏡・海月と、神器の聖弓・六薙の使い手・空竜姫。聖水「閼伽」を出せる、魔族の格闘家の青年で、はちまきの神器・淵泉の器の持ち主・閼嵐。
強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者・露雩。
第四章 身代金奮闘記
「人相書をばらまくなんて、殺されてもおかしくないことをよく言えたもんだぜ」
出雲が宿屋で壁に寄りかかって座っている。
「高光は、私たちに関与しないって誓ったじゃない。私はあ、私の正体がばれなかったから一安心よお」
空竜は弓を磨いている。露雩がお茶を飲んだ。
「陛下は、空竜を追いかけたり探したりするつもりがないのかな?」
閼嵐が腕の筋肉を伸ばしながら、微笑んだ。
「空竜は信頼されてるんだな」
「閼嵐、お前優しいなあ。オレは紫苑やオレたちが信頼されてるからだと思うぞ」
出雲が閼嵐に感心した。空竜が焦って、弓を磨く手を早めた。
「そ、そりゃあ、最初は弱かったけど……、今は聖弓・六薙もばっちり使えるもん! 帝室に新たな風を巻き起こすわあ!」
そのとき、スウッと戸の開く音がした。
「ねえ。霄瀾知らない?」
紫苑が、かっぽう着姿をのぞかせた。
一同は室内を見回した。
「見てないぜ。お前と料理してたんじゃなかったのか?」
出雲の言葉に、紫苑は戸惑った。
「そうなんだけど、気がついたらいなくなってたのよ。みんなのうちの誰かを呼びに行ったのかと思って、しばらく料理してたんだけど、いつまでたっても帰ってこないから、気になって……」
「厠は見たのか?」
「誰も入ってなかったわ」
そのとき、十才くらいの宿屋の娘が、五芒星の形の竪琴を抱えてやって来た。
「あの……、この星、お客さんたちのお子さんの持ち物ですよね」
一同は、息を呑んだ。まさか、事故に遭って、竪琴だけ届けられた……!?
「宿の入口で、男の人がこの星とこの手紙を一緒にして、親に渡すようにって言いました。これ……」
娘の手から、出雲は手紙をひったくった。
『子供は預かった。返してほしければ一千万イェンを用意して、今日の夜、零時に山の頂上に置いておけ』
出雲の声だけが室内に響き渡った。
一同は静まり返っていた。
「う……うそでしょう、出雲」
紫苑がわなわなと震えた。
しかし、娘の持つ星は、まぎれもなく霄瀾の神器・水鏡の調べだ。
「誘拐されたってことか!?」
閼嵐の言葉に、紫苑はへなへなと床に尻をついた。
「大丈夫よお紫苑。一千万イェンくらい、私が払ってあげるから」
「お金を払って本当に無事戻るかどうかはわからないんだよ、空竜」
露雩が、のんきな空竜に言った。
「身代金だけ奪って人質は殺していたとか、人質を傷だらけで放置したとか、そういうことをする汚い人間がいるんだ。犯罪者が約束を守る確率は低い。なぜなら、既に『皆で安全に暮らそう』という社会の不文律を、破っているからだ」
空竜は絶句した。
「あのかわいい霄瀾に何かしたら、許さないわあ!!」
「そうとも、許さないわ!!」
紫苑は放心状態から回復すると、ありったけの紙を懐から取り出し、紙で十二支式神の「酉」(鳥)と「子」(鼠・ねずみ)を大量に作ると、霄瀾を探させるために窓の外へ放った。
そして「戌」(犬)を召喚すると、水鏡の調べを嗅がせ、後を追わせ始めた。
「オレも行くぜ!」
出雲が紫苑に続いた。
「えっ、私たちは?」
閼嵐が空竜を促して一緒に立ち上がった。
「オレたちは金を稼ぐふりをしよう。何もしないで一千万イェンを出したら、金持ちだと気づかれてしまう。霄瀾の居所を突き止めるのは、紫苑と出雲に任せよう」
露雩も首をひねりながら立ち上がった。
「それにしても、旅人にどうして一千万イェンも要求するんだろう? 普通、持ってるはずないって思わないか?」
どうしてこんなことになったのだろう、と、霄瀾は袋に体を入れられた状態で思った。
宿の厨房で、じゃがいもとさつまいもをふかそうとした紫苑が、ふと呟いたのだ。
「あら、古いじゃがいもだったわ。これじゃ、食べられないわ……」
紫苑がじゃがいもを捨てるのを見て、霄瀾は考えたのだ。きっと紫苑はじゃがいもが必要で、もし新しいじゃがいもがあれば、喜ぶに違いない。
自分が買ってこよう。紫苑はきっと驚くぞ。きっと助かったわって、褒めてくれる。
お金なら、持っている。
霄瀾は紫苑を驚かせようと、黙って厨房を出て、市場まで走ったのだ。
途中、男二人が声をかけてきた。
顔の部位の肉がことごとくたるんだ男と、体の部位の肉がことごとく太った男である。
宿屋はどこかと聞かれて、答えようとした拍子に水鏡の調べを取り上げられて、これはいい品だなどと早足で歩き出したので返してと叫びながらついて行ったら、町の外れで袋に入れられたのだ。
「ボク……、どうなっちゃうんんだろ」
袋は丈夫で、力を入れても破れそうにない。
神器の使い手として売られるのだろうか、と思うだけで、紫苑に何も言わずに外に出たことが悔やまれてならない。
もし誘拐だったら、神器の使い手だと気づかれなかった場合、殺される可能性もある。
「みんなに会いたいよう……」
最後の会話もろくになく、もしこのまま死んでしまったらと思うと、悲しくて、霄瀾は目に涙を浮かべた。
「もっとたくさんお話、しとけばよかった」
霄瀾のいる場所は、山のほら穴であった。
外では、誘拐犯がこそこそと話しあっている。
「本当に一千万イェン持って来るかな」
体が太っている男が聞いた。
「来るさ! あいつらこの山のモモンガの宝石を最初に見つけて、腹を自在に開けられるようにしたんだぜ! モモンガを殺さない代わりに、宝石をいくつかせしめたに決まってんだ! 五人も六人も合わせりゃ、一千万くらいなるだろ!」
顔のたるんだ男が返した。
「今日で宝石を売って、オレたちに一千万イェンかあ……楽しみだなー」
「オレたちはあのガキに顔を見られてる。殺してから金を取りに行くぞ」
「うん、わかった!」
二人は財宝を見つけたかのように嬉々(きき)として話した。
「ようし、前祝いだ。隣町で飲もう」
「いいねー!」
二人は山を下りてしまった。
そのすぐ後、ほら穴の中へ、フヨフヨと何かが入っていった。
「うおりゃあーっ!」
閼嵐が、人が両手を広げたくらい太った巨大猪魔物の突進を受け止め、牙をつかんで宙に放り投げた。
そして、飛び蹴り。
首の骨を折られ、猪の魔物は絶命した。
それを抱えて、仕出し弁当の大店へ向かう。
「いやー、ありがとう! お客さんが追加で急に増えて、食材が足りなくて困ってたんだ! さ、今からさっそく調理だ!」
店主が大喜びで迎え入れた。
「じゃ、魔物に対する危険手当と急ぎの割増料金を入れて、百万イェンね。また頼んだよ!」
閼嵐は毎度ありがとうございますと丁寧にお辞儀をすると、お金を受け取って外に出た。
ほら穴の中に、フヨフヨと浮く、光る泡が入ってきた。
人が一人入れそうなくらい大きい。誘拐犯は何かの術者だったのだろうかと思って霄瀾が眺めていると、泡が透明に変わった。
頭髪がなく、白い顎ひげを足まで垂らした白い衣のおじいさんが、静かに霄瀾を見下ろしていた。
「こんな純粋な気を持つ子供は、そういない」
顎ひげのおじいさんは、感心しているようだった。
「どうじゃ、わしと一緒に来てみんか。ここにおったら、殺されるぞ」
「……」
ついさっき大人にこんな目に遭わされたばかりである。霄瀾はすぐには返事ができなかった。
「信用できんか。ま、無理もないかのう」
顎ひげのおじいさんは、草笛を吹いた。とても不思議な音で、霄瀾は音階に変換できなかった。
一瞬で風が起こり、霄瀾を入れていた袋が切り刻まれ、布きれになった。
素早く立ち上がった霄瀾は、逃げ出すことより草笛に見入っていた。
「わしに興味が湧いたかの?」
顎ひげのおじいさんはにこにこと笑った。
この人の力は自分にとって勉強になる。
直感的にそう思い、霄瀾は泡の中へ足を踏み入れた。
「なんかあ……胸がむかむかしてえ気持ち悪い……」
「空竜、無理するな。オレが一人で行って来る」
「いや、閼嵐、オレと二人で行った方が早い。空竜、すまない。死を恐れなければ玄武神の神水をかけてあげられるんだが……」
露雩の言葉を聞いて、閼嵐が閼伽を空竜にかけた。
水気の覆いで、空竜は、いくらか呼吸器も粘膜も保護された。
三人は、毒の沼に向かっていた。
この世には、清らかな湧き水がこんこんと出る湖と、その反対に腐った汚水が湧き出す毒の沼がある。
水や大地が分解できずにたまった汚物が堆積して、毒物質を地下に抽出しているのだ。
その毒の沼の水を飲んだ者は、人間なら死に、魔物なら狂ったように狂暴化する。
だから人間は、自分の安全と周りの命のために、毒の沼を見つけ次第、埋め立てているのだ。
三人は、毒の沼を埋め立てる依頼を請け負っていた。
沼を見つけるためにわざと何もせずに向かったつもりが、露雩と閼嵐は知らぬ間に神水と聖水で己の身を護っていたのだ。
「ギシャアアー!!」
「キャーッ!!」
突如、目を赤く血走らせた猿の魔物が、こん棒を振り回して全速力で駆けて来た。
沼の水を飲んだのか、半狂乱であちこちの幹を殴り倒している。
「空竜!」
「は、はい!」
空竜は露雩の声に反応して、聖弓・六薙から海月の光の矢を射た。
六本の矢が走り、六方向から猿を仕留めた。
沼に近づくにつれ、奇声があちこちで大きくなっていく。
「いいね空竜、オレの玄武神の神水と閼嵐の閼伽で、毒の沼を浄化する。その間、襲いかかってくる魔物を近寄らせないでほしい」
「う、うん……わかった。霄瀾と露雩のためだもん、がんばる!」
耳に届く音に恐怖を覚えながら、空竜が六薙を抱きすくめた。
「……」
露雩は無表情で空竜を見つめた。自分はこの子に冷たくしてきたと思う。でもこの子の想いに応えられないのに、必要以上に優しくしたら、この子に要らぬ期待を抱かせてしまう。それは偽りの夢であり、残酷な遊びだ。友達の阿鼻叫喚は、見たくない。
優しさを見せないことで人を迷わせないのが、本当の優しさだと思う。
紫苑がだめだったら空竜、という考えは欠片もない。
紫苑の代わりはいない。
だから、一日一日を真剣に生き、命に代えても守ろうと決意するのだ。
紫苑がもし自分以外の男を選んだら、彼女の足りないものを、自分は持っていなかったということだ。
彼女の幸せが好きだから、潔く身を引くだろう。
それから先のことは、そのとき考える。
たぶん、自分を好きになることから考えるだろう。
そして、充実して、外に出て行くのだろう。
新しい世界を作って、がんばって生きていくだろう。
だから、自分は好きな人以外に期待を持たせ誤解させるようなことはしない――。
しかし、露雩の語彙では、どうすれば空竜がきっぱり諦めてくれるのかという、その一言が見つからなかった。
「ギビュー!!」
「来たあ!!」
鳥の魔物が向かって来たので、露雩の思考は中断した。
そして、急いで玄武神の神水で沼を浄化し始めた。閼嵐も閼伽を流しだす。
「んもー、これで報酬の三百万イェン踏み倒したら、依頼した役人に、ここの魔物一体けしかけてやる!」
空竜は半泣きになりながら必死に矢を放った。
フヨフヨと浮く泡は、崖に囲まれた山頂へと移動していった。
そこにはまばらな草とごつごつした岩、そして一部屋しかなさそうな小さな平屋があるばかりであった。
「わしの名は音問仙人じゃ。音を究めるために生きておる」
泡が弾け、二人は山頂の霞の空気を吸った。
「寒いっ!!」
霄瀾が全身を抱きしめて両足をこすりあわせた。
太陽が出ていても、体が全方向から凍らされる攻撃を受けているように感じる。吸う息が、体を芯から冷やしていく。
しかし、音問仙人は平気な顔で、霄瀾を平屋へ導いた。
中は春の野原のように暖かかった。
思わず霄瀾が大きくほっと息をつくのを見て、音問仙人はほほと笑った。
「子供、名をなんと言うのじゃ」
「ボクは霄瀾です。袋から出してくださって、ありがとうございました」
霄瀾は両手を膝につけてお辞儀をした。
「そうか。霄瀾の気があまりに純粋だったのでな。これはと思ったのじゃ」
霄瀾が理解しかねる顔をしていると、音問仙人は髪のない頭をなでた。
「仙人というのはな、その力で世界の危機を救うために生きておる。そのときまでは、下界との縁を断ち切って、穢れのない身を保つのじゃ。しかし、霞を食って生きている仙人にも一つだけ義務があってな、それは同志を作ることなんじゃ。魂に穢れのない者なら、仙人の力を得る可能性がある。わしらはそういう者を見つけては、世界の危機に備えるために修行をつけているのじゃよ」
仙人の暖かい眼差に、霄瀾の心は花開くようなくすぐりを覚えた。
「霄瀾はきっと、わしの技を会得できると思うのじゃが」
自分は選ばれたのだ。霄瀾は勢い込んで尋ねた。
「ボク、強くなれますか!!」
「霄瀾が純粋な心を失わない限りな」
やってみる価値はある。霄瀾はこれまでの戦いを振り返った。
足止めばかりで、不完全な守りだった。神器・光迷防の再現も、霄瀾以上の力技を出してくる相手に対しては、粉々に砕け散るだろう。
自分は弱い。
だから、もっと勉強しなければならない。
学べる機会を、見逃すな。
霄瀾は、音問仙人の後について、身を切る寒さの外へ出た。
寒さに震えだす霄瀾に、音問仙人は草笛を吹いてみせた。
また、霄瀾は音階に変換できなかった。
「わしが平気な顔でいられるのは、音で全身に膜を張ったからじゃ。寒い風も、暑い日差しも、わしには届かぬ」
音問仙人は、近くの笹の葉を一枚むしって、草笛を作り、霄瀾に渡した。
「絶妙な音階――絶起音じゃ。わしが見つけたこの絶起音を霄瀾も気づければ、ここの寒さなどなんでもなくなるぞ」
かじかむ指で霄瀾は草笛を受け取った。
「ああ、そうそう」
吹こうとする霄瀾に、音問仙人は笑顔を絶やさず告げた。
「仙人の修行は会得するか死ぬかじゃ。仙人は資格のない者に知られるものではないからのう。一度修行を始めたら、終わるまでこの山から下りることは許さん」
霄瀾の耳は切られたように痛みを覚えた。
「あんたが糸の網で馬や人をくっつかせて食べてる蜘蛛の魔物ね! あちこちに網張って、大迷惑よお! 引導渡してやるからあ!」
空竜が、かんざしのように平たく大きく太いべっ甲の編み棒で太い網を編んでいる、人の背丈ほどある蜘蛛の魔物に叫んだ。
「一人で倒すって、大丈夫かい空竜」
「ふふん露雩、ちょっと目論見があるのよお!」
空竜は六薙の矢をつがえた。
蜘蛛は獲物を獲る大事な網を口にするする入れると、シャッ!! と、攻撃用の一本の太い綱を、空竜に向けて一直線に吐き出した。
「キャアッ!!」
空竜の矢が綱を横から射抜いて、木の幹に打ちつけた。
「あ、危ないじゃないの!!」
ドキドキしながら空竜が自分の安全を嚙みしめた。
「危ない!!」
閼嵐が空竜を抱えて、蜘蛛の次の綱から逃れた。
「ギャー!! 柔らかふにゅっ!!」
閼嵐が一人で体が萎える傷を受けている間に、
「よーしそのまま閼嵐! そりゃっ!」
攻撃に集中できた空竜が、蜘蛛を仕留めた。
「うふふ、このべっ甲の編み棒で、大きな服が素早く作れるわ! これが欲しかったのお!」
空竜の髪にさしてあってもおかしくない編み棒を二本、頬にすり寄せながら、空竜は閼嵐の背中を叩いた。
「私、かわすの得意じゃないから、助かったわあ! ありがとね!」
「……六本も矢があるんなら、一本くらい敵にまわせばよかったじゃないか」
空竜の体の感触に脅えながら、閼嵐がもっともなことを言った。
「うーん、ケガしたくないって全力で思っちゃってさ……」
なぜか、露雩に「私をいつも守ってくれれば、私が代わりに全部の敵をやっつけてあげる」と言えない自分に気づいた。
露雩に専門に守られたら、自分は嬉しい気持ちでいっぱいになり、戦うことを忘れてしまう気がした――。
露雩が報酬の百万イェンを受け取りに行き、さらに大きい仕事を役所で聞いて探している間中、空竜はべっ甲の編み棒で紫色の毛糸の上衣を編んでいた。目が詰まったものではなく、ざっくり編んで目の大きい上衣にしたので、どんどん仕上がっていく。その代わり、網目をひし形にして、おしゃれ着にしている。
その横で、閼嵐も木の腕輪を彫っていた。
術に強い木の素材で、丸い実がたくさんなっている木を、下絵もなく彫り進めている。
「何の力もないのに奇跡をうたっている店があると、役所に被害を届け出た人がたくさんいるらしい」
露雩が戻ってくるまでに、二人はそれぞれの作品を完成させていた。
「白か黒か調べてほしいって。報酬は三百万イェンだ」
「あらま、奮発してるのねえ」
「城主の御用達の看板があるから、役人は表だって動けないらしい。だから、この話はオレたちがきちんと仕事を達成してきたから教えてもらえた、秘密の依頼なんだ」
「で、何の店だ?」
閼嵐が聞いたのをきっかけに、三人は露雩を先頭に、役所を出た。
「奇跡屋」という大きな看板の前で、店員が呼びこみをしていた。
「この奇跡屋は、奇跡を起こした品しか扱っておりません。店内には、不治の病が治ったとき病人が心の支えとしておりました、元気を与える招き猫の置物、それに転んだおかげで目の前を走り抜けた馬に蹴られずに済んだ幸運の石、泥棒に気づいて見事捕まえて縛りあげた縁起のいい縄など、お守りにしても置物にしても必ず幸せを運ぶものでいっぱいでございます。さあ、どうぞ店内をご覧ください。あなたに力添えをしてくれる品が、多数取り揃えられております」
それなりに客が入っているようだ。
「自分にとって縁起のいいものを、どうしてこの店にあげるんだ?」
閼嵐が不思議な顔をしたので、露雩が役所で言われたことを詳しく伝えた。
「売るらしいよ。みんなに幸せを分けられるならって、譲ってくれることもあるんだって」
「ああ、私たちって、そういうところあるのよお。みんなで幸せになろうよ、仲間だしっていう」
空竜が自分の国の心理を、魔族の閼嵐に説明した。
「仲間を守ることにおいて、かなり高い段階だな」
閼嵐は感心しながら、首をひねった。
「でもそんなに幸せの力があるのに、なんで何の力もないって苦情が出るんだ?」
露雩は歩きだした。
「ある物が、誰にでも同じ力を与えるとは限らない。また、次の者の心がけが前の者と同じとは限らない。あとは、何の力もないただの品を奇跡の品と偽って売っている。この三つのうち、オレは最後の推測が当たると思う」
三人は店の裏手にまわった。
裏口があって、「奇跡の品買います」の貼り紙がしてあった。
「どうやって調べるの?」
「空竜と閼嵐が作った品を売りこもう」
露雩に言われて、二人は自分の作品を取り出した。
「そうですか、濁流に呑まれたところをこの腕輪が倒木に引っかかって、一命をとりとめたと……」
「この腕輪がなかったら、姉に再び会うこともできませんでした……」
閼水の恐ろしさを思い出したので、閼嵐は目をじーんとさせながら話すことに成功した。
「くわしくは覚えてないんだけどお、この服着るとねえ、魔石並に運がよくなるんだあー。おっさんにからまれなかったしい、けーび兵から逃げられたしい、とにかくなんでも魔石並にすごいからあこれ!」
子供のふりをした空竜は、「くわしいことは覚えてない」を武器に、いろいろ質問してくる店員の疑惑をかわしていた。
どうやら店側は、盗品をつかまされるのだけは避けたいようだ。
母に作ってもらったと嘘をつくと、確かにどの店の目印も服についてないので、今度はただの母親の作品の売りこみ業者の疑いをかけられたが、
「えー? わたし、遊んでるほうが楽しーんだけど!」
と、つけ爪だらけの指を見せて笑った。
店長がのぞきに来て、上衣の出来がいいので、買い取った。
「で、この二つで何がわかるかというと」
露雩が二人を店から離れた場所に連れて行った。
「閼嵐のを売ったら即いかがわしい店だということだ。裏付けをとらずに奇跡を売っているわけだからな。そして、空竜のを売ったら即詐欺罪が成立する。はっきりした奇跡がないのに、店が勝手に奇跡を捏造して売り出したということだからだ」
「うわー、すごい露雩! だから私おばかな子供の役やらされたんだあ!」
空竜はそれなりにある胸を反らした。
「ま、実物とかけ離れてるから何かあるなとは思ってたけどね!」
「……すると、これからお前は客として店に入るんだな。オレは店の天井裏にでも忍びこんでみよう」
「頼む閼嵐」
見事にかわした男二人の間を、空竜が行ったり来たりして手をパタつかせた。
「え? 私は? 私は?」
「役所に行って役人を呼んで来てくれ。あと……」
露雩は小声で空竜に指示した。
「店長、この木彫りの腕輪は現地で証言とりますか」
「この町から遠い。必要ないな。客にわからなけりゃいいんだよ」
店長は閼嵐の腕輪に十万イェンの値札をつけた。
「店長、この紫の上衣はどうしますか。はっきりした奇跡がないんですが」
「それは『会いたくない人を避けられる上衣』とでも値札に書いとけ。どうせ小娘の小遣い稼ぎだ。何の奇跡も持っちゃいないだろう」
「では、五千イェンにしておきますか」
「バカ! 十五万イェンだ! 仕上がりがとてもいい上衣だと、見てわからんのか! 普通に売ってもそのくらいの価値はある!」
「ですが大した奇跡もなくては……」
「そこはお前の腕の見せ所だろ! 何のために小説家崩れのお前を雇ってると思ってるんだ! これを着れば知り合いに会わないだとか、危ない日はほつれて外出させないようにしてくれるだとか、適当に考えろ! いいか、客は物語を求めてるんだよ!!」
店長は大げさに両手を広げて、値札に十五万イェンと書いた。
「(無茶苦茶だ……)」
天井裏からのぞいていた閼嵐は、呆れた。
「(こりゃあ、『奇跡屋』じゃなくて『奇跡にこじつけ屋』だな。詐欺屋ということはわかったが、城主の御用達の店だ。相当の証拠を揃えないと、こっちの身が危ないな)」
店長は二つの品を、店へ並べに行った。
店内では、店員が露雩に商品の説明をしていた。予算が百万イェンと聞いて、気合いが入っている。
「……で、ですね、お次の商品は高僧の臨終の際、灯っていたろうそくでございまして、この炎を見ると極楽浄土へ行けると言われております……」
弁舌止まらず、露雩に相槌も打たせない。
「これはこれは。おい、君、そんなに話してばかりでは、お客様がお尋ねになることもできないではないか」
店長が腕輪と上衣を抱えて出て来た。
露雩は、これを待っていた。
「おや、その二つはとてもよい出来の品ですね」
すると店長は目尻を下げて、口角を上げた。
「そうでございましょう! お客様、お目が高い、陳列前からもう見つけてしまわれるとは! いかにも、まずこの木彫りの腕輪! これは洪水で分かたれた姉と弟が再びめぐりあえた、水難除けの力を持つ品でございます! そしてこの上衣! これは身につけた者を他人の邪視から守り、悪人から遠ざけた護法の衣でございますよ!」
べらべらと壮大な物語を話し始めたので、露雩は感心してしまった。よくもまあ、短時間で考えたものだ。
「だ、そうです」
露雩は振り返った。
店の入口に、空竜と、露雩に依頼した役人が立っていた。
「これはこれは夫以様、また城主様からのご依頼ですか?」
店長は愛想笑いを浮かべた。どうやら、この夫以が購入担当の役人だったらしい。
「う、うむ……今日は新しい品があれば、そのいわれを聞こうと思ってな」
「おありがとうございます! では夫以様のお相手は私が自ら!」
夫以がこれからどうするのだ、と露雩に目を向けたとき、露雩は空竜にうなずいた。
空竜はもう一人、外から中へ案内した。
歯が何本かない、ごましお頭のおじいさんだった。茶色の半袖半袴を着ている。
空竜はつけ爪を取って、べっ甲の編み棒を取り出した。
「あーっ! お前は、役所で編み物してた女だな!?」
おじいさんは、空竜とべっ甲と紫の上衣の組み合わせで、カーッと頭に血が上った。
「え? え?」
店長が売主の空竜とおじいさんの登場に戸惑っていると、天井から閼嵐が落ちてきて、のみを取り出した。
「あーっ! お前は、女の隣で木を彫ってた奴!」
「じいさん、一体なんだね。人の店で大声出して。この二人がどうかしたのかね」
落ち着き払っている夫以の手前、閼嵐を縛りあげることを控えながら、店長がおじいさんにまず矛先を向けた。
「この人は役所の掃除人の六さんだ。どうしたんだ六さん」
六さんは怒り任せに空竜と閼嵐を指差した。
「わしは知ってるぞ! この二人、せっかくわしが役所をきれいにしてるのに、女は服を編み、男は木を彫りで、糸くずと木くずをたんまり落として行きやがったんだ!! この、非常識!! 掃除する身になれ!!」
「それは、今日の話だな」
夫以が静かに聞いた。
「そうです、ほんの二時間前ですとも!!」
ゼフーゼフーと肩で息をつきながら、六さんがうなずいた。
「その二人が作っていた物は、どんな物だったか覚えているかな?」
「紫の上衣と、木彫りの……腕輪でしょうな、あれは。……ああ、まだ持ってたのか」
六さんの視線にとらえられて、店長はビクッと身を震わせた。
自分の今持っている物だ。
「……奇跡屋、その方、その二つは姉と弟を再会させただの、護法の衣だの……と、言ったな」
夫以の目が光った。
「そ、そんな……だって、君たち奇跡の品だって、言ってたじゃないか! 私はそれを信じたんだよ? 私は善人で、被害者なんだよ?」
店長は腰を折って足をガタガタさせながら、空竜と閼嵐に取りすがった。
「えーうそー、バレたー」
「木くずを全部つなぎ合わせたら、木目が合ってばれちゃうなーはははは」
二人はあっさり今日作ったことを認めた。
「お前の店では、嘘も見抜けないのか」
夫以の言葉で、店長は善人面で逃れることができなくなったことを悟った。
警備兵が店長と店員全員を連行し、店を封鎖した。
「はっきり白黒つけてくれてありがとう。これで町の者も、もう惑わされないだろう」
他の役人との話を切り上げて、夫以がやって来た。
「報酬の三百万イェンだ。あとな……、六さんをあまり怒らせないでやってくれ。血圧が高いんだ」
「その……失礼しました」
「以後気をつけます」
ごみを落とした空竜と閼嵐は赤面して、遠くの六さんに頭を下げた。
「ついお金の足しにと思って、たくさん作ることばかり考えて、ごみをなおざりにしてしまったわ」
「オレたちにも目的があるように、六さんにも目的がある。人の気持ちを無視して行動してしまった……大失態だ」
空竜と閼嵐はしきりに反省している。物作りの者として、達人に大切なそれらを忘れて悔しいし、恥ずかしいのだ。
「わざと落として行かせるつもりだったよ。作っていなかったらその場で作らせるつもりだったし。『今日作った』というのを見た証人が必要だからね」
「露雩! ごみを落とすことがどんなに恥ずかしいことか……ああ恥ずかしいー!」
空竜は小さな穴に入ろうとしている。露雩が横から声をかけた。
「悪かったよ。だけど、町の人々も救えたし、六さんもきっと許してくれるよ。あの人だって、達人だもん」
「そっか……終わり良ければすべて良しい!」
空竜は復活した。
「ところで、今日一日で八百万イェンは稼いだろ。派手に動いて働いた形跡は見せたし、そろそろ金を置きに行かないか」
閼嵐が周囲に聞かれないように、小声で二人をうながした。
「山頂までは私が案内するわあ」
「……紫苑と出雲、無事に見つけだしてくれてるといいんだけど……」
三人は山に向かった。
誘拐犯二人組は呆然としていた。
殺そうと思って戻って来たのはいいが、肝心の殺す相手の姿がなかったのだ。
袋が切り刻まれている。
「どうしよう、獣にやられたのかな!」
太っている男があたふたと足踏みした。
「血が一滴も落ちてねえのは妙だ。あのガキ、小刀を隠し持ってやがったに違いねえ! くそ、逃げられた!」
顔のたるんだ男は丹念に地面を探し始めた。
「足跡を探せ! まだ山にいるかもしれねえ!」
「オレたち、どうなるの? ねえ、どうなるの?」
「うるせえ! 早くしろ! それと、ここには二度と戻らねえぞ! ガキが警備兵を連れて来るかもしれねえ! オレたちの素性がばれる荷物を片付けろ!」
男二人は、簡単な登山用品を背負って、ほら穴から遠ざかっていった。
紫苑と出雲も、一歩遅れて霄瀾のいたほら穴へたどり着いた。
匂いがここで途切れていたので、生き埋めにされたのかと紫苑が顔色を変えたが、幸い地面の下には何も埋まっていなかった。
「水をかけられて別の場所に運ばれたのかな」
水をかけられれば、匂いはほぼ消える。
「くそっ! 振り出しに戻っちまった!」
切り刻まれた袋しかないほら穴の土を、出雲が叩いた。
吹きすさぶ冷たい風の中、霄瀾は草笛を吹き続けていた。
人間の決めた音階を吹くと、一瞬自分の周囲に泡ができて、身を守れる。
だが、次の瞬間には割れてしまう。
音階に決められていない音、つまり霄瀾が音階に直せない音を吹くと、歪んだ泡ができて、これも一瞬で割れてしまう。
「決められた音階の音で絶起音を探すといいのかもしれない」
霄瀾は低い音から順に吹いたり、吹く音の順番を変えたりして、正解を探していた。
寒さのために、手の感覚が既にない。
「霄瀾。やみくもに答えを求めてはならん。答えには、理由がある。何の考えもなく答えを全通り探すのは、くじと同じで一生答えに当たらない確率を高める。この世は、何の理由もなく存在しているものなど、一つもない。考えなさい。そこに理由があるから、それが答えなのだよ」
音問仙人は、膜を張った体で、霄瀾を見守っていた。凍死しないように、危なくなったら家の中で温まらせるためだ。
「全部試すより、考えてから試す方が、早いぞ。時間はたくさんある。立ち止まって、そうしてみなさい」
時間がたくさんある? 冗談じゃない! 霄瀾は焦った。この仙人は、霄瀾が星方陣を成そうとする旅の途中にあることを知らないのだ。
「(一分でも早く、紫苑たちのもとに帰らなくちゃ)」
今日会得できなかったら、ここを逃げ出すしかない。霄瀾は、底の見えない谷をのぞいた。はしごもなく、渡ることはできないかもしれない。なら、紫苑たちになんとか知らせて、迎えに来てもらおう……。
「人のめぐりあわせも縁じゃよ」
「えっ!?」
音問仙人に見つめられて、心の謀を見つめられたように、霄瀾は心臓ごと跳び上がった。
「霄瀾はなんでわしと出会ったのじゃろうな」
「……」
今のままではいけないと、思っていた。
弱く守られる存在では、いけないと。
一日で会得できないから、なんだ。
紫苑たちが次の水鏡の調べの使い手を見つけ出して、旅を続けたから、なんだ。
ここで理由をつけたら、一生自分は大事なときに逃げ続ける人間になるような気がする。
逃げてもなんとかなる人生は、本当に生きた人生ではない。
きっと自分は救えないし、だから誰も助けられない。
未熟者。
必要なときに、守りたいものを守る力も、言葉も持たない者。
限界以上の力を、出したことのない者。
霄瀾は、寒さに震える歯を食いしばった。
「ここで逃げてなかったことにしたら、ボクにはもう、べつの何かも起きない!」
人生において、一つの困難をとばして次に挑戦できるということはない。困難を乗り越えたから、次がやって来るのだ。そして答えもさらに出せるのだ。答えを出せなければ、人は次に進めないのだ。
音問仙人は穏やかな眼差で、霄瀾を励ました。
見果てぬ夢を求めるな。
起きたことは受け入れねばならぬ。
自分が納得する答えを出すこと、それが正解だ。
それこそが、どの人間も逃げずに「答え」を出すことができる「問題」なのだ――。
そこまで考えて、音問仙人は、霄瀾の草笛が自分と同じ音を出したのに気がついた。
「ほほ! ようとらえた! じゃがそれは『わしの音』じゃぞ」
そのとき、霄瀾の足がもつれた。冷気で足の感覚が失われていたのだ。
「うわ……」
踏ん張ろうとして、霄瀾は足が動いているのかもわからずに何歩も後ろへよろけると、苔で滑って浮遊感覚を味わった。
「あっ!!」
霄瀾は、谷底に落ちていた。
「霄瀾!!」
音問仙人が上空から顔を出しているのが見える。
ボクは死ぬんだろうか。
ああ、やっぱり最後にお話しとけばよかった。
紫苑、みんな、ごめん。せっかく神器の使い手だったのに……。
霄瀾がそこまで考えたとき、「ちがう!!」と、頭の中で強く思った。
ボクが一番たいせつなことは、そんなことじゃない!!
「おじいちゃん……!! もう一度、会いたかった……!!」
霄瀾の両目から涙が飛び散った。
その祖父・降鶴の幻が、親指で霄瀾の涙をぬぐった。
「ああー!!」
霄瀾の泣き叫ぶ声が、音の波を発した。
それは重なりあってやがて一枚の膜になり、霄瀾を包んだ。
「霄瀾……!!」
音問仙人が泡に包まれて降りてきた。
霄瀾は、仙人と同じように浮いていた。
「え……? ボク……?」
「草笛で操れるはず。上がろう」
二人は、山頂に戻った。
「よくぞ絶起音を会得したのう」
「でも、ボクはさけんだだけで……」
「絶起音とはな、想いの力の音のことなんじゃよ」
「想いの力……?」
霄瀾は、降鶴に会いたくて会いたくて、悲しみでいっぱいだったのを思い出した。
「想いの力で、人の作った音階にとらわれない、新しい音が出るのじゃよ」
霄瀾は、音問仙人の絶起音を音階に直せなかったことも、思い出した。
「人は、人の想いを受け止めることはできても、誰も測ることはできない。だから想いの力を出す方も、受ける方も、未知の新たなものを生む。この世界はそれでまわっているのだよ。誰の思い通りにもならない、どうなるかわからないのが世界なのだ」
音問仙人は暖かな笑みを向けた。
「霄瀾の想い、大切にしなさい」
「はいっ!! ボク……ずっと覚えてます!!」
自分の中に一本ぶれない芯が通ったような気がした。
ぜったいに星方陣を成すんだ。そして、帰るんだ。
おじいちゃんのもとへ!
今逃げなかったから、どんなに長い旅になっても、弱音を吐かず、目的に向かって全力で進める気がした。
逃げないで、やり遂げた自分を知ったからだ。
「絶起音は過酷な気象から身を守れるのじゃ。この世界をくまなく歩くことができるであろう」
それは、例えば神器のある目的地が、人間にとって過酷な地や気温であっても、行けるということである。
「ありがとうございました。この力、役に立ててみせます!」
音問仙人に見送られて、霄瀾は泡で身を包んでフヨフヨと山を下りていった。
夜の山道は、危ない。
提灯をさげながら、空竜は何度も木の根に足を取られて転びそうになった。
閼嵐は夜目が効くのか、いたって平気で、露雩はゆっくり大股で歩き、ついてきている。
山頂に、金を置いた。
「よし、中を改めろ」
突然、ほっかむりをした男二人組が現れ、太った男が金を数え始めた。
「あんたが誘拐犯ね! この卑怯者、霄瀾を返しなさい!!」
空竜が一歩詰め寄った。
「おおっと! ガキがどうなってもいいのかな!? 金を持って逃げるまで、ガキの居場所は言わないぜ!!」
「くっ……!!」
誘拐犯のはったりであった。
「(まだガキはこの山の中でもさまよってやがるな)」
顔のたるんだ男は、金を置きに来た三人を見てそれを察し、金だけ奪って逃げようとしていたのである。
「おーい! 一千万イェンあった!!」
「よし! ずらかるぞ!!」
金の袋をかつぐ二人は、
「ガキはこの山のほら穴の中だぜ! 早く行かねえと獣の餌だろうがな!」
と、大嘘をついた。切り刻まれた袋を見れば、生きているかもしれないとガキを探し始めるだろう、その間にこっちはこの国を出る!
二人が全速力で駆け出したとき、
「てめえ……、霄瀾を見失ったんだな!?」
出雲の鉄拳が顔のたるんだ男のたるんだ顔に直撃した。太った男は相棒の顔が波打つのを見た。
「出雲! 紫苑! どうだったの、そっちはあ!」
空竜たちに、紫苑は首を振った。
「どうやら霄瀾は逃げ出したみたいね。でも匂いが消えて、たどれないの。こいつらが何か知ってると思ったのに……」
「大丈夫だ紫苑、口を割るまで殴ってやる」
出雲が腕を引き、誘拐犯が、
「ヒイイイー!!」
と、青くなったとき、頭上から声がした。
「うわあ、みんな、探しに来てくれたの?」
「霄瀾!?」
霄瀾が、泡に包まれてフヨフヨと降りてきた。
「いろいろ聞きたいが無事なのか霄瀾!?」
「うん、でもボクが逃げなかったらこの二人、ボクをころすつもりだったよ」
そのとたん、紫苑以下五人の目が、怒りによって白目を光らせた。
出雲と空竜が影を放出しながら前に出た。
「この野郎……、うちの霄瀾をよくもそんな恐い目に……!!」
「人間のクズね!!」
閼嵐が拳をガツガツ叩き合わせた。
「一千万回ズタボロになるまで殴るしかねえな!!」
露雩が冷たい気をまとった。
「社会の約束を地獄で学んでこい!!」
最後に紫苑が叫んだ。
「抹殺せよッ!!」
五人が殺気むきだしで飛びかかってくるのを見て、誘拐犯二人は明日の朝陽を無事拝めないことをなんとなく悟った。
ズタボロの賊を警備兵に引き渡し、霄瀾から仙人との修行について聞かされた紫苑たちは、幼い霄瀾が見事に技を会得したことに驚き、そして喜んだ。
「偉いぞ霄瀾! よくがんばったな!」
閼嵐がだーっと涙を流して霄瀾を抱きしめた。
「ほんと、熱血ねえ閼嵐。でも、谷底に落ちそうになるなんて、心配しちゃうわよお、霄瀾」
「あはは、あれは体が冷えすぎちゃって……」
霄瀾は空竜に苦笑いした。
「大人になったね、霄瀾」
露雩の優しい声に、霄瀾は口をつぼめて笑った。
みんなに褒められる中、霄瀾は出雲のことを気にしていた。出雲は、なんて言ってくれるかな?
出雲は最後にぽんと霄瀾の頭に手を置いた。
霄瀾はゴクッと唾を呑みこんだ。
「これからお前に頼ることが増えそうだな」
出雲の笑顔に、霄瀾の顔はぱあっと明るくなった。
「うん! 出雲、ボクがんばる!!」
強くなったらおじいちゃんの次に褒めてもらいたい人にそう言ってもらえて、霄瀾の白い南天の実のように形よく粒揃った歯は、躍った。
「あらまあ……そういうこと」
空竜がそれを見てクスリと笑った。
紫苑が霄瀾のそばに立った。
「(霄瀾、あなたずーっと出雲の背中を追いかけて来たんだものね。その出雲にこんな風に言ってもらえて……)良かったわね、霄瀾」
「……うん!」
紫苑には自分の気持ちをよく知られているのがわかっていて、霄瀾は恥ずかしそうに両手を頭の後ろに当てた。
「さて……、もう夜明けも近いわ。今日一日駆け回ってたし、もう一日休んでから、出発にしましょう」
閼嵐がさっそく提案した。
「おっ! それなら明日みんなで野菜の創作料理好きなだけ食べないか! 八百万イェン余ってるし!」
空竜も髪を揺らした。
「そっかー! それなら流行のもの食べ尽くしもいいわね!」
露雩がまとめた。
「よし! それじゃ、明日はみんなでおいしいものを食べよう!」
閼嵐、空竜、露雩のお金を稼いだ三人が話を決めた。
「じゃ、ごちそうしてもらおうかな」
「霄瀾も何食べたいか考えとけ」
「うん!」
紫苑、出雲、霄瀾も加わった。
「ね、紫苑」
山を下りながら、霄瀾が近寄った。
「あのね……、勝手にいなくなって、ごめんなさい」
紫苑は黙って、霄瀾の頭を左手で抱き寄せた。
「じゃがいもなくて大丈夫だった?」
「霄瀾……」
紫苑は心に溢れるものを感じながら、左手に強く優しく力を込めた。
「霄瀾がいれば、なんにもいらないのよ」
「……うん」
二人は、寄り添いながら、山道を下りて行った。




