鏡が映すは弓姫(ゆみひめ)第六章「一番近い楽園」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑、神剣・青龍を持つ炎の式神・出雲、神器の竪琴・水鏡の調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾、強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者・露雩。
帝の一人娘で、神器の鏡・海月の使い手・空竜姫。
第六章 一番近い楽園
竹林だらけの大きな山に入った。
「ここも他千有領の管轄なの?」
竹が密集して日光を遮る道を、紫苑が足元に気をつけながら歩いた。
「うーんと、ここは特別で、自治領なのお。地図上では竹山って名前で、攻魔国の端にあたるんだけど……。端から端まで歩いて二日かかるほど大きいのと、竹がびっしり生えていて役人じゃ管理ができないのとで、山の中に村を作らせて、その人たちに竹山の竹を好きに使わせる代わりに、道の確保を主に命じて、山を管理させようってことになったの。竹山を越える人たちに、宿も提供してるのよお」
空竜が慣れたように暗い道をすたすた歩きながら、先頭から振り返った。
「じゃ、あと二日のうちに六薙を使いこなさないとな。言っとくけど、お前を一人前の帝の一族にするのは、旅から戻って来てからでもいいんだからな」
出雲の声に、皆は暗い道の上ではっとした顔をした。
「あと二日で……」
暗いので表情はわからなかったが、空竜には一同の名残惜しそうな空気がわかった。
「や、やめてよ! まだあと二日あるじゃない!!」
しかし、このまま何もせずに、神器を使えるようになるわけがない。
神器を持つ霄瀾と露雩が励ました。
「一度は使えたんだから、もう少しだよ!」
「空竜……、肉体でなく精神を高めるんだ」
出雲はどちらでもいいという風に肩をすくめた。
「無理すんなよ。旅に出なくても、都で学べることはたくさんあるだろ? オレたちだっていつかは帰れると思うし……ま、約束はできねえか……」
「それじゃ遅いのよ!!」
突然空竜が声を荒げたので、出雲はびっくりして目を大きく開けた。
どこか、憎しみを感じたからだ。
「あ……ご、ごめんなさい」
表情を見られるのを避けるように前へ向き直る空竜を、四人は心配そうに見守った。
「(帝の娘ともなると、私たちの知らないところで何か受け入れ難い事情があるのかもしれない)」
一人ひとりに物語があるけれど、それは、一人ひとりの背負っているものが違うということなのだろう……。
結局、一日目は何も起きず、竹山の村に着いた。
村人は皆、竹に関する職人で、尺八をはじめ、竹の湯飲み、机、椅子など、なんでも竹で作り上げていた。
そこかしこで竹を割る音、ぶつかりあう音、職人のかけ声が聞こえている。
「職人の村かあー、しんせん!」
霄瀾を筆頭に、五人が物珍しげに歩いていくと、男たちのもめているような声が聞こえた。
「そこをなんとか! お願いしますよ!」
「でももううちにはあるんだよ」
見ると、宿屋を兼ねた店の前で、主人らしき老人と五十代くらいの行商人が、商品を押しあっている。
「うちには竹の耳かきがあるんだよ!」
「そう言わずに、使い捨ての柔らかい耳かき、置いてくださいよー。宿のお客様も衛生的だって、お喜びになりますよー」
「毎日洗っているし、長く使えるから! 使い捨てなんか、もったいないし、その耳かき、かわいそうだろ! 一回しか使ってもらえないなんて!」
「いえいえ、人間の利便性を追求すれば、多少の犠牲はやむを得ませんよー。毎日竹の耳かきを洗うの、大変じゃありませんか? 冬は手があかぎれになりませんか?」
「……役に立ってくれたものをきれいにしてやるのは当たり前のことだ! ものに感謝できない人間に、ものづくりをする資格はない! 私はものを消費することしかしないことには、賛成できない!」
主人は、商品を行商人に押しつけて中に入ろうとしたとき、紫苑たちに気がついた。
「……ちっ、時代遅れめ……」
頬骨の高い目の吊り上がった行商人が口の中で舌打ちした。そして、こちらも紫苑たちに気がついた。
「あー、いらっしゃいませ! 旅のお供に乾飯はいかがですかな?」
背中に負っていた木箱をおろし、中を見せてきた。
使い捨ての鼻紙の束、一つ一つ違う動物の顔の茶托が十六種類ほど、一人分用から十人分用まで十個の大きさの違う鍋で、入れ子になっていて一応一つにまとまっているのだが、好きな数を選べずに、十個抱き合わせでないと買えない、よって高額な一揃い商品。その他、諸々(もろもろ)……。
干肉、乾飯など携行物商品の他は、どれも「売る側のしたたかさ」が滲み出ていた。
まず鼻紙。消耗品というものは、一度買いだしたら半永久的に買い続けなければならない。店の主人は「手ぬぐいで取ればいい」と言った。
次に十六種類で一揃えとなる茶托。収集欲を刺激し、全部集めないとすっきりしない状態を作る。日を追うごとに種類は増え続け、買い物に終わりがなくなる。店の主人は「好きなものしか買わない。それ以外はどうせ捨てるから」と言った。
次に十個抱き合わせ販売の鍋。使わないかもしれないものまで一緒に買わされる。店の主人は「大きいのが一個あればいい」と言った。
行商人の商品からは、便利さと、小狡さと、なにより「なにがなんでも買わせたい」という執念が伝わってきた。
「ご主人! 買わないのは勝手ですがね、私の商品にけちをつけるのは困りますよ! 売れなきゃ商売は倒れます! もし私ら商人や職人の商品が、この竹山の商品みたいに十年も二十年ももって、一度買ったらもう終わりなんてことになったとしたら、こっちも食べていけないんですよ!」
行商人が主人に強く抗議した。
「売った分だけ税金を払うことにしてもらえばいいじゃないか」
主人が皺だらけの顔をあまり動かさず、当然のようにあっさり言った。
行商人は、肩を上下させるほど驚いた。
「はあ!? そしたらみんな働かなくなりますよ! 自分の畑で育てたものを食べて、一生暮らせばいいんですから!」
「もし役場の者が我々を守るために日夜働いてくれとったら、彼らに感謝して、彼らの給料出すために我々はせっせと働くよ。誠意には誠意を返すのは当たり前だろう。でも我々を守らなかったら、働かないな。別の人間に役場を頼んで、我々はその人たちのためにまたせっせと働くよ」
「……!!」
またもあっさり言う主人に、行商人が言葉を呑んでいると、空竜が割って入った。
「じゃ、この自治領はそうやってまわってるってことお?」
「そうですよ、旅の人。ここでは自分のことは自分で決めるし、そのうえで互いに助けあうのです。道を極めて最高にいいものを作りたい……百年以上持ち堪える最高傑作を作りたいという、求道の職人が集まる地なのです」
「そうなんだあ……おかしいわねえ。私、ここの自治領は問題なく、毎年決まった税金を納めてるって教わったのよ」
主人が穏やかに笑った。
「役場の人たちはよくしてくれるし、私たちも良いものを良いお値段で売りますから。税金は滞りませんよ」
そこへ行商人が口を挟んだ。
「一回売れてもその客は百年以上来ないんじゃ、商売あがったりだろう! 百年どう食べていくんだ!」
主人は落ち着いて答えた。
「修理で食べていますよ。百年もたせるには、少しずつ手直ししませんとね。家だって、そうでしょう」
「結局高くつくだろう! 安いものを買った方が早い! 毎回好きなものに買い替えられる!」
「でも……思い出がなくなりますよ」
「えっ?」
店の主人は行商人の鍋十点揃いを見下ろした。
「自分の大切な人が使ってたり、傷やへこみに思い出があったりするのが、長く使えるもののいいところですよ。自分が使う年になるとね、そういうの見ると嬉しいんです。ああ、お袋が見守ってくれてるな、励ましてくれてるな、とか思ってね……。確かに安物の新品を何度も買う方が楽かもしれないがね、人が最後に大切にしたいと思うのは、お金より思い出なんだよ。
それに、私たちは何も買わないわけじゃない。もし私たちの商品と同じ種類の物を作った、別の職人の品物を用意していたら、私たちは自分と比較するために、買う気が起きていたかもしれないな。あんたは客によって、用意する商品を変えるといい」
しかし行商人はなぜか「それじゃだめだ」と口の中で呟いたように、紫苑には聞こえた。
行商人はしばらく歯ぎしりしていたが、やがて商品の入った木箱をしまうと、立ち去ってしまった。
「やれやれ……、この間もこの竹山じゃ、今のあんたの商品は売れないよと忠告したのに。定まった税を納めるのは大変なんだね。どんなことをしても売るしかなくなる。たくさん作ってもその結果、余ったら結局捨ててるだろ。死んでいくものが増えている今の状態が、いいわけがないのに」
「……」
空竜には耳が痛い話だった。金を得るとは、そういうことだった。金が世界を支配する手段なら、他国に出し抜かれないよう、いくらでも金が要る。
「命を無駄にするのを、誰も何も思わないのかね……」
「……おじいさん……。一つお願いしてもよろしいでしょうか」
空竜が腹に固い物を作ったような、しっかりした声を出した。
「あのう……、私どもはきちんと税金を納めておりますが、帝国の査察を受けるというのは、何か問題でもございましたのでしょうか」
竹山の自治領主・揃が、汗をふきふき空竜たちを顧みた。
空竜は揃に天印を見せて、竹山の日常を見せてほしいと告げたのだ。
「ごめんなさいみんな、つきあわせてしまって。でも、旅を続けても終わらせても、ここの仕組みだけは学んでおかないといけない気がするの」
いつになく真剣な空竜に、出雲が端正な顔をほころばせた。
「都で学べなかったこと、しっかり見抜けよ!」
「ええとですね、ここが職人の仕事場です。日の出と共に起き、親方の指導の下、様々な品物を作っております」
揃が屋根の高い仕事場の、竹の引き戸を開けた。
自分の周りに使用する竹と道具を並べて、さらに各々に必要な空間も確保できる広さの中で、十五人の職人が一人ひとり違う作業をしていた。
竹の釘を作っている者、竹を編みこんでいる者、竹の中の節を取っている者……。
「何かお気づきの点でもございますのでしょうか」
ひやひやしている揃を置いて、空竜は、竹の外側の節を削ってきれいな一本棒にして、それらをつなげている職人のもとへ行った。
「あの……、完成までどのくらいかかりますか?」
職人は顔も上げずに答えた。
「一枚十日かな」
「ずっと神経張りつめっぱなしなんですか?」
「仕事中はね。一つ一つ丁寧に作るからね」
「気持ちが品物に出ますか?」
「ああ、仕上がりが違うね。そういういいもの作れたときは、そのあとも嬉しいから、がんばれるね。でもその前に、使ってくれる人のことを考えると、手を抜くなんてできないね。オレは自分の仕事に自信と誇りを持ってるから。納得のいかない仕上がりなら、オレは許せないね」
「早く作ってくれる大量生産の品の方を、お客さんに買われてしまうのではないですか?」
「そりゃね。予約待ちのお客さんが待てなくて、早くできる方を買っちゃうことはあるよ。でも、オレは手を抜いてたくさん作ろうとは思わない。それはもう、オレの作品じゃない」
職人はふう、と一息ついて、肩をもんだ。そして、ようやく空竜に顔を向けた。
「お嬢ちゃん、ここにいる職人はな、みんな……自分の作品が付喪神になってくれたらいいなと、思ってるんだよ。勝手なこと言ってて、神様に怒られるかもしれないけどな。でも、夢があるだろ?」
仰天する空竜に、職人は笑った。
「そのためにはお嬢ちゃんたちにもちゃんと百年使ってもらわなくちゃならないんだ! 頼むぜー? オレたちも技の限りを尽くすからな!」
そう言って、竹をくくって一枚の板状にしたものを、外へ運び出していく。
「あ、あの、ちなみにそれは何の商品ですか!?」
空竜が仕事場の外まで追った。
「え? 家の床だよ」
「家の床!?」
「オレたちは竹で家も作るんだ。今見えるあそこの家も向こうの家も、ほら……」
職人の指差す先に、すべて竹でできた家々があった。
この人たちは、完全に自力で暮らせるのだ。
この自助努力の精神が帝国全体に根づいたら、世界はもっと命に優しい、良い時代を迎えることができる。だが、それは帝国の権力の縮小を意味していた。
各国や国民が力をつければ支配に面倒なので、借金か清貧か少し余裕のある状態を維持させ続けよ。
支配者のこの原則を教えられていた帝室の娘は、青くなった。
「ええ……、やっぱり全然買わないです!」
怒って立ち去った行商人が、竹山の中を、隣国へ向けて歩きながら、男に伝えている。
この行商人は、これまでにも何度か竹山に足を運んで、村の人口、建物の配置、商売の規模などを逐一報告していた。
行商人の話を聞いていた頬の薄い男は、チッと舌打ちした。
「自給自足なんて、まだ古い遺産引きずってやがるのか。せっかく帝国を削り取れる機会だというのに」
この男も行商人も、攻魔国の内部に属する国で竹山の隣国、確米地国の間者であった。
米どころで、都がどんなに税を重くしても、抜け道を考えて金が豊富に流通し、様々な商売が生まれている、お金持ちの国である。
金を持った組織は、必ず他者や他国の土地を買い、資源を奪う。
今、確米地国は、この他人の神経を逆なですることをしようとしていた。
竹山の村民に過剰な商品の提供で「楽すること」を覚えさせ、堕落させ、貨幣経済に目醒めさせてから、有り余る金で高利貸をし、半永久的に必要な商品を買わせ続け、経済的に支配し乗っ取ろうというのである。
戦争を禁じられた世界では、それが安全かつ簡単な領土拡大の策であった。
さらに、攻魔国の領土を密かに手中にする経験を積むことで、次の他千有領を陥れる策を、より巧妙に練っていけるであろうと考えた。
帝が気づいたときには、帝都・攻清地以外は、確米地国の支配下に置かれていた――、最終的にはそれを狙っている。
金持ちの国は、帝位簒奪を画策していたのだ。
「できれば村の建物をきれいに残しておきたかったが、仕方ないな。村人は全員殺して、オレたちの国から人を持って来よう。たかだか二百人だろう? 村長以下全員すり替えればいい。税金はオレたちの国が立て替える。帝国の領地が分捕れるんだから、惜しくない」
「しかし他千有領の役人が竹山に来たら……」
「領地ごとの役人には金の力でオレたちの国の人間が入りこんでいる。竹山に来る今の役人を更迭して、オレたちの側の人間を据えればいい」
「わかりました。では入れ替えはいつに」
「今夜だ。もう国王は待ち切れないそうだ」
男が指笛を吹いた。
三メートルの巨体の影が竹やぶを揺すった。
「うふふー! いい竹の筆、買っちゃったー!」
紫苑が、なめらかな線に削られた竹の筆を見て、喜びに浸っている。
霄瀾は、お弁当箱用の青竹を五つ眺めて、これからどんなお弁当が入るのかと楽しみにしている。ちなみに、縦半分で割ってあって、下におかずと握り飯を入れて、上をふたにして、麻紐で縛って持ち運ぶ。
「どれかが付喪神になるといいな」
出雲が声をかけた。
「「うん!」」
二人は一斉に答えた。
空竜は一人、考え事をしていた。
「空竜……君の立場もあるだろうけど、君の立場だからこそできることがあるんじゃないかな」
露雩が空竜の近くに腰を下ろした。
空竜は無言で次の言葉を待った。
「人間は、人間だけがこの星に生きているわけではないということを、直視するときが来たんじゃないかな」
「……簡単に言わないで……」
空竜が小刻みに震えた。
「できるわけないじゃない!! 文明を後退させて不便になれって言ってるのよ!! 我慢して貧しくなれって言ってるのよ!! みんなが従うはずないじゃない!! 暴動、次は反乱、帝都が陥落して次の帝が立って終わりよ!! そいつは民のために現世の利益に突っ走るわ!! 私は言い損!! 人の繁栄する世を作る夢もパアよ!!」
ゼェ、ゼェ、と空竜が険しい顔で肩を上下させた。
「星を傷つける命はこの星には要らない」
なぜか露雩の両瞳の奥に果てない星空が見えた気がした。
「自分のことしか考えられないのは、一人ひとりが弱いせいだね」
露雩は竜を思い浮かべた。一体ですべてが完結する、最強の種族を。
彼らが世界を呑みこもうとしないのはなぜなのか、知る必要がある。人間の際限ない悪欲を止める手がかりになるかもしれない。
「露雩……!!」
空竜は愕然とした。露雩は、次の人間の支配者になろうとしている自分と話しあうことは、もうないのだ。空竜には人を抑えるだけの力量がないと、見限ったのだ。
これが剣姫相手なら、どうだっただろうか。
彼は、最後まで諦めずに説得しただろう。
彼女が、強大な力を持ち、この星の命の行方を左右する者の一人であろうからだ……!
「弱いことは、罪なんだわっ……!!」
空竜は拳が震える以外になかった。おかめになった紫苑も同じことをしたのだろうか。それはわからない。だが、空竜は露雩が真剣に相手をする剣姫を怒れなかった。なぜなら、剣姫にとっては、自分は「弱きその他大勢」で、本来目にとまることもないような人間だったからだ。
神器・海月を持っているかどうかは関係ない。
敵を殺せなければ、ただのそこらにいる子供だ。
すべてを守れて、初めて王になれる。
空竜は、今更に、自分が人々に何の器も示していないことを思い知らされた。
「(もう……この旅をやめよう……。私は誰からも頼りにされていない……。おとなしく帰って、勉強し直して……)」
空竜が重い顔を上げて皆に伝えようとしたとき、
「助けてえー!!」
という絶叫が聞こえた。
紫苑たちが飛び出したとき、村人が一人、体に穴をあけて倒れこんだ。地面にはそこかしこに、体に穴をあけた村人が倒れている。
三メートルの二足歩行の巨体が、毛皮を血で濡らして立っていた。
「ま……魔族だあ!!」
村人が一斉に出て来た。紫苑は振り返ってぎょっとした。皆、武器を手にしているのだが、竹槍と竹の弓矢ばかりで、まったく役に立ちそうになかったのだ。
「ちょっと、待ってください! いくらなんでも……!」
紫苑たちが声を出すその間に、魔物は村人を何の躊躇いもなく貫いていった。丸い深鉢のような頭に毛が一本も生えていない。目は一つ、鼻の穴は一つ、耳は頭のてっぺんに一つ。元の生物が何かわからないほど、進化している。
出雲が神剣・青龍で斬りつけた。
「二つあるものの情報に左右されず、一つのものからくる情報に、集中してるっていうことだな!」
巨体魔物は右腕で受けて、はねのけた。出雲が竹垣に突っこんだ。
「斬れてねえ!? どんだけ頑丈なんだよ!?」
一同が驚く間にも、巨体魔物は次々と村人を葬っていく。紫苑は急いで指示を出した。
「霄瀾、幻魔の調べ! 空竜は霄瀾を守って! 出雲、こいつを足止め! 私と露雩は村人の避難を最優先!」
霄瀾の聖曲・幻魔の調べで、村人たちの幻が多数出現した。巨体魔物は村人を殺せずに空を掻いている。
「皆さん、こちらへ! 敵は我々が倒します!」
「なんで魔物が……! 現れたのは隣国の確米地国からだ……!」
「あんな魔物が出没するなら、あの行商人も教えてくれりゃあ、いいものを……!」
他千有領方面に向かって竹山を降り始めたとき、忍の集団が一行を囲んだ。
「あ! お前、行商人……!」
村人に指を差されて、行商人だった忍と、頬の薄い忍が、笑った。
「残念だが一人も逃がすわけにはいかねえな」
「露雩!!」
「わかってる!!」
紫苑と露雩は武器を構えて駆け出した。
「うあっ!!」
出雲は激しく地面に叩きつけられた。
「ど……どうしよう空竜……!」
「どうしようって言ったって……!」
出雲の刀が、まるで歯が立たないのだ。
霄瀾は聖曲を『青龍』に変えたかったが、今、村人の幻をやめたら、巨体魔物は出雲を無視して紫苑たちを追うと気づいて、変えられなかった。空竜は神器でもない矢を射たところで何の効果もないと思い、どうすることもできなかった。
「火空散!!」
出雲の炎の弾が魔物を襲った。それを見た巨体魔物は、半球頭に鼻だけ残して、あとの器官を消した。そして大きく息を吸いこむと、スーッ!! と、鼻息を荒く出した。
すると、火の弾は空気の風にぶつかって、あちこちに弾かれてしまった。
そして、巨体魔物の顔は元に戻った。
「な……なにあれ……?」
霄瀾と空竜が、火空散を避けてから敵の頭を凝視した。
今度は口以外が全部消え、口が鼻の代わりに中央に来た。
「ばん!!」
大声で一直線の衝撃波が発生し、出雲は直撃を食らって竹林の中へぶち飛んだ。
そして、何十本もの竹をなぎ倒したところで、動かなくなった。
巨体魔物の顔は目だけになった。それが中央に来て、遠くの出雲を、微動だにせず集中して見ている。
「オレ、あいつが息してるかわからない」
初めてしゃべった。
「なら死んだ。次のやつ行く」
「嘘よ!! あいつは死なないわ!!」
空竜は叫んでから、しまったと口を閉じた。
巨体魔物は顔を耳だけにしていた。
「器官を一つだけにすると何倍も優れた感覚にできる。息してるのはそこの場所だけ……二人いる……あとは幻」
そして、迷うことなく二人に向かって歩いてきた。
霄瀾の幻魔の調べの幻も効かない。完全に耳だけの顔で、確実にこちらをとらえている。
「く……空竜、どうしよう、どうしよう……!!」
霄瀾が泣きそうになっている。
「……助けてっ……!!」
空竜も悲鳴をあげそうになったとき、露雩の両瞳が浮かんだ。あそこに、私は映っていない。王たるに、ふさわしくない。
「私は……私はっ!!」
空竜は巨体魔物に矢を放った。突き立たず、毛皮にからまっただけだった。だが、火が毛皮を燃やし始めた。松やにを先端につけた、火矢を放ったのだ。火は、出雲の火空散の技の残りでつけた。
巨体魔物は、多少毛の抜ける音がしたところを手ではたき、火を消していた。
「よし……、私でも足止めくらいならできそう」
「どうするの、空竜!」
「霄瀾、急いで紫苑たちを呼んできて! 出雲が動けないことも言うのよ!」
「空竜も一緒に!」
「だめ! 耳だけのあいつが、足が速かったらどうするの! 出雲の火があるここなら、火矢が使える! 行って!」
「う……、うん!」
霄瀾が駆け出したとき、それに反応して巨体魔物が跳んだ。大きな体からは想像もできないほどの身軽さだった。
「霄瀾ッ!!」
空竜は夢中で火矢を連射した。しかし、巨体魔物は火をつゆほどにも思わず、霄瀾に爪を振りかざした。
何の力もないんだ私。
空竜は絶望した。
どうして誰も救えないんだろう。
どうして誰も教えてくれなかったんだろう。
「王がただの人間で、一人じゃなんにもできない無力な人だということを!!」
空竜が泣きながら弓に矢をつがえたとき、着物と胸の間に隠した鏡の神器・海月の光が、着物を抜けて輝いた。
『それを受け入れる者に王位継承権あり!! さあ、我に乙女の誓いせよ!!』
「えっ!? 海月が、えっ!?」
『乙女の誓いせよ!!』
空竜は乙女であった。
「は、はい!」
『真の六薙、使うがよい!!』
海月からの光が矢になった。
わかる! 六薙が覚醒した!!
「千の悪気を射貫け! 聖弓六薙・迎破栄戦!!」
六本を一度に放った空竜の豪速の矢は、一撃で巨体魔物を粉々に砕いた。
「空竜!! やったあ!!」
霄瀾が、呆然としている空竜の足に抱きついた。
「わ、私……私……!」
空竜は矢を放った右手を、胸の海月の上に載せた。
「ありがとう……!! ありがとう……!!」
そして、しゃがみこんで、涙をぬぐった。
明け方に、紫苑たちが戻って来た。忍を全員倒していた。
「空竜、六薙を使いこなせるようになるなんて、すごいわ!」
「えへへ、まあね……!」
六薙の矢を自在に見せながら、空竜が照れ笑いをした。
「ちえっ、オレだけやられ損かよ……」
柱に寄りかかって座りながら、出雲が口を尖らせた。
「でもね出雲、空竜は出雲が死んじゃったかもって、すごく泣きそうなかおしてたよ」
「ほお?」
「霄瀾! そ、それはあ、だって、私が戦えなくて手伝えなかったからだって思ってえ……」
「お前の戦力なんかハナからあてにしてねーよ。……海月に言われたこと、忘れんなよ。弱くっても一人で皆を守る勇気……。海月は歴代の王にそれを求めてたんだ。お前は見事に合格したんだ」
「うん。わかってる」
空竜は顔を引き締めた。
「しかし……帝の一族がこうなると、ちょっとオレたちもこの国の将来に期待だな。安心しな、一人でやれなんて言わねえよ。旅の間もそのあとも、お前を助けるのがオレたちなんだからな」
「! 私、まだ一緒に旅してもいいんだ! ありがとう……!」
空竜は海月のあたりに両手を重ねて、微笑んだ。
その日は死体や倒壊した家屋の片付けで終わった。
夜、皆は宿の主人の申し出で、貸し切りで温泉にゆっくりつからせてもらえることになった。
露天風呂の女湯は、三十分だけ、紫苑と空竜のものだ。
紫苑の恵まれためりはりのある裸を見て、空竜は気後れした。空竜のそれなりにある胸が、対抗心をかきたてる。自分の柔らかな曲線と、くびれ、そして絹のような光沢を放つ肌を確認する。
「白いお肌だって負けてないし、水がぷるんと滴り落ちるハリだって、自信があるのよ! 髪だってお手入れでサラッサラな指通りなんだから! ただ……ただ……!」
空竜はちらっと紫苑の胸を見た。
そこが負けてるだけだもん――! あとは全部勝ってるもん――!
空竜は額を床につけて手で地を叩いた。
体を洗い終えて温泉に入ったとき、空竜は紫苑の胸の奥の黒い箇所に気づいた。出雲の傷だと聞くと、
「ふーん。紫苑あなた、私の立場じゃなくてよかったわね」
と、紫苑の大きな胸をじいっと見ながら言った。
「どういうこと?」
空竜は、紫苑の前で胸を左右に分けた。
「あれっ……?」
それなりにふくよかな胸の奥に、五芒星の図があった。
「何かのお呪い?」
「いいえ。これは星方陣の印よ」
紫苑は仰天して空竜の顔を見た。
「知ってたの!? この形に陣を組めってことなの!? こういう場所があるの!?」
「……おそらく、この形を使えってことだと思うわ。帝の直系は代々この秘密の印を押されるの。たぶん口外しないことで、……星方陣をどのような状況で誰が成しても、『必ず帝の許しが必要になる』ようにしたのね。陣形がわからなければ、作れないから。それを教える代わりに、帝の配下になれ、陣に関わらせろということよ。だから、星方陣の陣形は、最重要機密なの」
「空竜姫……ありがとうございます」
「いいの。いつかは見せるんだし、紫苑なら安心だし」
「必ず星方陣を完成させてみせます」
「うん……」
二人の間に沈黙が流れた。
「ねえ紫苑、あのね。私……、婚約者がいるの」
「ええっ!?」
紫苑が湯から立ち上がった。しかし空竜は星空を見上げていた。
「お父様の兄、日宮様の嫡男、当滴様よ。前に、お名前だけ話したわよね……」
「……帝位を日宮様の家系に戻したいのですね」
「うん……、そうしないとまとまるものがまとまらないんだって。はは、なんだろうねそれ……」
「他の娘を嫁に迎えさせては」
「私が当滴と結婚しなかったら、私はたぶん殺されるんだって。当滴と敵対する者が帝室の血を広げて、あちこちに偽りの帝位継承者を宣言させることになるのは国が亡ぶって。当滴の血が絶えるわけがない、妾をたくさん作るから、って。私に選択肢はないの。……当滴の出る幕のないくらい名君になる以外は!」
空竜の目の奥が、星をとらえていた。
紫苑は、空竜がなぜ不敬にも女帝になると言っていたのか、ようやく理解できた。当滴と結婚したくないから、希望を言っていただけだったのだ。しかし、当滴と結婚する運命を、どうして変えることができようか。
「(結婚しても、当滴よりも帝にふさわしい政治を裏で行い、服従させられることはすまいと、決心していらっしゃるのだ)」
しかし、おそらく空竜は内心、当滴と結婚しても、女帝の可能性を考えているだろう。
「(この旅で、女帝があってはならないという、いくつかある理由の一つが、決定的にわかるだろう)」
空竜は目に星空の残像を残して、言葉を呑みこんで見守る紫苑に振り向いた。
「どこまで飛べるかわからないけど、私、一生懸命生きてみる! 紫苑、これからもよろしくね!」
「もちろんですわ、姫様!」
夜空は、よく雲が晴れていた。
「一昨日の奴ら、一体何が目的だったんだ?」
「さあなあ……」
今日も村の片付けをしている人々を、紫苑は眺めた。忍に吐かせた「貨幣経済の中に取りこむ」という地獄の言葉が耳について離れなかった。
しかし、人間に欲がある限り、誰も貨幣経済から逃れることはできない。
紫苑は自治領主・揃に告げた。
「揃さん。私はこれからもこの竹山を守るために、呪いをしたいのですが」
「はあ、それは一体どんな?」
竹山で買った一級品の竹の筆を使い、八枚の札を書いた。
「この国に入ったお金は、すべて燃え尽きてしまうというものです。お金をたくさん持った金持ちも、商売人も、自分のお金が燃えたらと思うと、この国に永久に入れないでしょう」
「おお! それはいいですな、永久にこの竹山が守られます!」
「ではこの四枚は竹山の四方に立てて下さい。こちらの四枚は、その結界の中でお金が燃えないという結界破りです。税金を保管するのにお使い下さい」
揃は喜んで礼を言うと、さっそく人をやって三方に札を持って行かせた。
「では、四枚目の札を、お願いします」
頭を下げる揃と別れて、紫苑たちは竹山を後にした。
「これでよし……と!」
四枚目の札を竹山の入口に立てて、紫苑の呪いは完成した。
「私たちが最後の札を立てないと、私たちの分のお金まで燃えちゃうからね」
紫苑は苦笑した。
その後、竹山は、行商人たちの間で、「どんなお金でも灰にする呪われた地だ」と、恐れられるようになった。
確米地国が都に攻め入るには、どうしても竹山を通らなければならない。つまり、金を持たずに武装して竹山を占領しても、国王が都へ侵攻するときに金を一イェンも持って行けないということなのだ。どんな金品も残らないので、いくら軍資金が豊富でも、兵糧や武器に変えて行軍するしかない。都へたどり着くまでに、補給が間に合わなかったら、兵士の戦力のために略奪をすることになるが、それをしたらすべての町と戦争になり、その間に都が迎え撃つ準備を整えてしまうから、それはできない。金銀を自在に出せない状態で万全の態勢の都と戦うことは、食料の買い取りや裏工作を始めとした、強力な武器をもぎ取られたに等しい。だから、単独では永久に都に戦争を仕掛けられないことが確定したのだ。
「誰だ!! 馬鹿な術を施していった奴は!!」
確米地国の国王ががなりたてたあと、その王は都に呼びだされ、竹山での一件で謹慎させられた。側近の首はいくつか飛んだ。
「なぜばれた……忍がしゃべったな! くそっ、竹山の呪いさえなければ、即座に反乱して勝ち目があったものを……!!」
そう言いながら一生を送ったという。
「そうか。空竜が六薙に目醒めたか……」
帝は、一年桜を眺めていた。
「竹山の報告、ご苦労だった。飛滝、お前ももう、都に戻れ。私の周りにいろ」
「はっ」
飛滝と呼ばれた忍は、確米地国の間者二人の会話も、国王も一枚嚙んでいることも隠れて聞いていた。それで、帝は裁きを下せたのだ。幼い頃から空竜を影ながら見守ってきた忍であった。飛滝が去ると、代わりに忍頭の靫石偉具炉が入って来た。
「姫様をお一人になさるおつもりですか? あれを空竜姫様につけておいては?」
「よいのだ靫石。あの子はもう、子供ではない」
あの子が私以上の答えを出せるならそれがいい。
帝は一年桜の花吹雪を眺めていた。
今日も竹山の職人たちは求道にいそしんでいる。
お客の注文は、自分の作品をより良くするよい忠告なので、それをうまく解決する職人は、独り善がりになることは、ない。どの道具も、使ってくれる人がいてこそだ。
そして、彼らが望むことによって、その彼らを守る呪いは、生き続ける。
衣食住を忘れて好きなことに打ちこめて、お金のことを考えるとき必要最低限の時間しか奪われない、この小さな楽園を望み続ける限り、世界の最強の武器は彼らの竹槍にも負けるのだ。
彼らは今日も竹でいろいろなものを作る。
竹槍も竹の弓矢も、この地ではきちんと効果があるからだ――。
「星方陣撃剣録第一部紅い玲瓏七巻」(完)




