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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第一章 白き炎と剣の舞姫
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白き炎と剣の舞姫第四章「真実」(絵)

登場人物

あかみやおんそうけんであり陰陽師おんみょうじでもある。

出雲いずも。紫苑の炎の式神しきがみ

あかみやからのり。紫苑の父で、あかみや神社じんじゃ宮司ぐうじ

つきみや。帝の弟で、せんこくを治める国守こくしゅ。シオンの数少ない理解者。

やまわき。千里国の将軍。

はな椿つばきゆきひらかげ国守こくしゅうわさされるほど、一族が政治に食い込んでいる。

しょうらん神器しんきたてごとすいきょう調しらべを持つ、竪琴弾きの子供

ふるつるしょうらんほかに四人の男女をふくめた、旅の一座をひきいる。


むくろはな椿つばきゆきひらと通じていた魔族。

ゆるばるか。敵味方関係なくぎゃくさつするあっ


挿絵のタイトル(一巻全五枚)

一、「表紙・星方陣撃剣録」(一章)

二、「燃ゆる遙」(四章)

三、「剣姫紫苑」(四章)

四、「男装舞姫紫苑」(六章)

五、「燃ゆる遙の最期」(六章)




第四章  真実



もくごんすい、天地のれっちゅうくだれ! せいほうじんかんぜん封印ふういん!!」

 しょうらんが静かに、たてごとかなで始めた。

「うぐうっ!!」

 一音目からシオンがくずれるのを、イズモと殻典がかかえ上げた。

 星方陣の五芒星の中の青龍から、禍々しい気が流れ出した。

「来るよ!!」

 竪琴の音からそれを感じ取った霄瀾が、さけんだ。

 次の瞬間、青龍から黒い光がほうしゃじょうびたかと思うと、空中に生じた何かが地面に激突したような、大きなひびきがした。

 それが巨大な足のちゃくした音だ、とわかったのは、黒い光が完全に失せてからであった。

挿絵(By みてみん)

 三重塔さんじゅうのとうほどの、大きなひとがたにごり緑色の体に、だいせきをふんだんに使ったよろいをつけ、光彩こうさいのひと欠片かけらもない黒くよどんだひとみで、おのれまわりを、じっくりと見回している。

 牙はき出すように突き出し、きょうらんいかりに歯を食いしばってゆがんだくちびるざんぎゃくにねじがった眉と目元。

 ゆるばるかは、そこが五芒星の結界けっかいの中と知ると、とたんにあばれ出した。

「何度も封印されて、たまるか!!」

 だくりゅうのようなごうおんの声をはなつと、自分のぐ霄瀾にねらいを定め、右手を振り下ろした。

つな封印!! ばく!!」

 すかさず右の女が、五芒星のちょうてんから、封印の綱を飛ばした。

 綱は燃ゆる遙の右手に巻きつき、とらえた。

「今だ! 一気に封印しろ!!」

「おのれ、この竪琴さえなければこんな綱……!」

 目をいからせる燃ゆる遙のしたで、降鶴が号令し、残りの三人の神官が綱を飛ばそうとしたとき、

「お前たち! いっさいこうをやめい!!」

 いったいに猛々(たけだけ)しい声がひびき渡った。

「! 月宮……様!」

 降鶴が顔をこわらせた。

 月宮がみずから二千のぐんぜいひきいてしゅつじんし、弓使いのたいに降鶴たちを矢でねらわせていたからである。

「なぜここが……。……これはどういうことですか、月宮様。魔族ではなく、我々に弓を向けるとは」

 みょうに落ち着いた殻典が、たずねた。月宮はけわしい表情を変えず、左手を上げた。

 すると、左から華椿雪開が現れた。

「お前、華椿!」

 華椿雪開はイズモの呼び捨てにも無表情に、シオンたちにげた。

「お前たちは紅葉橋もみじばしの戦いで人族と魔族をほうむったあっの封印をき、この千里せんり国に攻め込むつもりだというかくしょうた。よってお前たちをこうそくする」

 弓を構える兵士のうしろから、別の兵が次々と駆け、なわで一同をしばろうとした。

「待て! 何かのかいだ! オレたちは悪鬼を封印しようとしているんだ! 話せばわかる……華椿! だいたいてめえ、魔族と通じてただろ!! なんで月宮もこんな奴と一緒にいるんだよ!!」

 兵士を押しのけながら、イズモが叫んだ。

だイズモ。政治とは正義ではない。利害なのだ。あの二人はおもわくいっしたのだ。正しいことを言っても、政治的決定はくつがえらない」

 妙に冷静な殻典に、イズモは声をあらげた。

「さっきから、なんなんだよ! あんたもオレは信用できねえぞ! あれだけ月宮を信じていたのに、月宮をのぞいて話を進めていったし、あっさりとこのじょうきょうを受け入れてるし! 主君が間違った奴に操られてるんだぞ! 目を醒まさせなくていいのかよ!!」

 しかし殻典はイズモには答えず、シオンに治療ちりょうじんをかけた。今も流れる竪琴の力が、多少、かんされた。

「シオン。起きているな。見ていろ。見るべきものが見える」

「……」

 シオンは兵士に縛られながら、降鶴たちも縄を受けるのを見た。

「月宮様! このままでは、燃ゆる遙が結界の外に出てしまいます! 何とぞ封印するまでお時間を!」

 年をた降鶴にも、月宮が意志を変えることはないと、わかっていた。

 だから、月宮と華椿にではなく、兵士たちに言ったのだ。兵士にどうようが広がれば、とうそつみだれたすきに封印できる。弓矢だけでも防げればよい。

だまれ! 封印を解いた者が、また封印し直すなどと、よくそんな嘘が言えたものだ!」

 しかし、月宮の一言で、その望みはついえた。

「早くその子供をこれへ!」

 燃ゆる遙をおさえるために、これまでずっと竪琴を弾いていた霄瀾は、魔を祓うため集中して精神力をしていたので、すでに限界に来ていた。

 月宮に竪琴を取られると、ろうのためばったりと倒れた。

 そんな霄瀾には目もれず、月宮はのどから手が出るほどしかったおもちゃを買ってもらった子供のように、目も歯もかがやかせた。

「やった……これだ! これがこの世で最強の魔物燃ゆる遙と、人間の最終さいしゅう兵姫へいき赤ノ宮紫苑を唯一操れる、最高の鍵だ!!」

 シオンは耳をうたがった。いま、何と言った?

「私は今、魔族と人族双方の最強の兵器を手に入れたのだ!! 最強だ!! 私はこの世界で最強の王だ!!」

 こうふんのため、月宮の目の焦点しょうてんがどこにも合っていない。

 シオンはしばしぼうぜんとしていた。

 聞き違いではない。確かに月宮は自分を「最終兵姫」と呼んだ。月宮は、数少ないシオンの理解者で、血のけがれをきらう貴族たちからシオンをかばい、にんげんあつかいしてくれていたのに――。

「都よりの使者が山中で斬り捨てられていた」

 ごんで月宮の様子を見続けるシオンに、に殻典が語りかけた。

「犯人はにせふみうばって逃げたあとだった。偽の文の相手にかんがついただろう。私は死体の衣をぎ取り、水にひたして術をかけると、衣にしんの文書が浮かび上がった」

「何を言っているんだ?」

 イズモが怪訝けげんそうな顔で振り返った。殻典はかまわず続けた。

「そこには、都は帝のぜんせいとどき、民は身も心もすこやか、何のうれいもなく、ただ一つ月宮のどうこうのみがかり、反乱のうん高まればそく討つ用意あり、れんらくを待つ、と書かれてあった」

「えっ!?」

 シオンとイズモは同時に声を上げた。月宮が言っていたせいの都の話と、まるっきりぎゃくである。

「どういうことだ? そもそも、なんであんたと都の使者がつながって……」

「私の主君は帝だ。月宮ではない。私と帝……いや、赤ノ宮家と歴代の帝は、式神しきがみ出雲いずもの塚の監視のため、しゅじゅう関係をむすんでいながら、帝のめいによって、赤ノ宮は千里国の国守につかえてきたのだ」

 目を見開いているイズモにも、殻典は語りかけた。

「そもそも、賢明な君主であれば、きょうだいな兵器となるシオンと、イズモの語る百年前の真実を、自分以外のていけいしょうけんを持つ人間に、まかせておくわけがないではないか」

 ざんこくにも、父・殻典は、娘のシオンを兵器とだんていした。しかし、そのうえで父はシオンを守ってくれる。だからシオンは父に怒ったことはない。

 だが、今の月宮は――?

「帝は月宮が、帝位にしんいだいていることを知っていた。品行ひんこう方正ほうせい、民への滅私めっし奉公ほうこう。すべては民をあざむき、兵力にて、帝と戦うごまにするためのちゃばんだったのだ」

 これまでのしゅじゅうの礼とは打って変わって、淡々(たんたん)と冷たく語る殻典の姿が、殻典の心情をゆうべんに物語っていた。

にわかには信じられないな……、あの月宮が……! いつも人々のために力を尽くしていたのに!」

 ただただきょうがくし、まよって次の動きが取れないイズモを横にして、殻典は、シオンの瞳をぐ見つめた。

「どちらを信じるかはお前次第だ。だが月宮は竪琴を手に入れて、もう演じる必要はなくなった。これからほんしょうが見えるだろう。人のために己を殺し、いつもにこにこ笑っている人間ほど、人から信用されて力を持ったとき、ふくしゅうよくぼうげんに行うという本性がな」

 シオンは月宮をながめた。霄瀾の竪琴の音の代わりに五芒星の四つの頂点から出した綱で燃ゆる遙を必死におさえている、四人の縛られたラッサの男女をしり欣喜きんき雀躍(じゃくやく)していた。

「華椿。これでようやく私の夢がかなうなあ!」

 酒にったときのように、月宮は口がなめらかになった。

「千里国に来られてから、なごうございました」

 相変わらず表情を表に出さず、華椿がかしこまった。

「都へ攻めのぼるために魔族と手をむすんでいたが、もうその必要もあるまい。なにせ百年前人族と魔族の主力をことごとく滅ぼした、燃ゆる遙があるのだからな」

 うっとりと竪琴を見つめながら、月宮の手は竪琴をさすった。

「魔族と手を結ぶ!? じゃ、お前がげんきょうだったのか!? よくもまあ、しんそうさぐれなどとぬけぬけと命令できたものだ!!」

 イズモがたまらず叫んだ。

「では、先の野盗の群れと魔物のけったくは!」

 同じく初めて聞かされた山脇将軍が、早口で尋ねた。

むくろという、この地域をべる魔物に頼まれたのだ。最終兵姫の情報が欲しい、はいの魔物を送るからぶつけてみてくれとな。ま、こちらもきょへいさいには力をしてもらうつもりだから、持ちつ持たれつでしょうだくしたのだ」

「私の部下たちは、そんな理由で……! 華椿は知っていたということは、格下の命を張る武士は蚊帳かやの外で、格上の命の駒を動かすのみの貴族だけが、政治を行うことを認められるのか……!!」

 しょうげきを受けている山脇将軍を、月宮も華椿もほうっている。身分の低い雑兵ぞうひょうなど、がんちゅうにないのだ。

「しかし最終兵姫が目醒めなければ、危ないところであった。私が“事故”で死んでも構わない意志が、見え隠れしておったわ。やはり魔族は魔族、信用できん」

 月宮はシオンと、燃ゆる遙を交互にえた。

「さあ! お前たちこそ、私の思い通りに動いてもらうぞ! まずは私にひざまずけ! 臣下の礼を取らせてつかわす!!」

 竪琴を高くかかげて、月宮は指でげんをかき鳴らした。

 ……が、何も起きなかった。

 正確には、竪琴からは一音も流れ出なかった。

「な! なんだ!? どうした!?」

 月宮はあせって何度も強く、弦をはじいた。しかし、すいしょうでできたしなやかな美しい弦は、物理的に弾かれたブッブンッという響きしか、起こさなかった。

「ハハハハハ! 鹿だなあ、月宮!!」

 めちゃくちゃに弦をく月宮を、こっけいそうに大笑いする声がした。

 二足歩行を行う、人間大のネズミに似た魔物が、赤いを月宮に向けて、腹をよじっていた。

「……骸!」

 華椿が顔に険しい影を作った。

 骸は、三千の魔族軍を率いて、人族軍の向かいにじんっていた。

「骸だって!? まさか! 奴は武士の姿で、さっきシオンが斬ったはず!!」

 イズモが骸を上から下まで凝視ぎょうしした。確かに姿はまるっきり変われど、声は先の武士と同じだった。

「こちらの秘密に近づく者は、全員殺さなければね。ヒヒヒ……」

 骸はニヤリとイズモにぞろいな牙を見せた。

 そして、シオンが縛られているのを確認した。

「こいつを捕えるとは、さすがだねえ月宮。華椿もしたかな? 何度も最終兵姫の発動条件を試して、心や人が殺されなければ、こいつが目醒めないことを、知ったからだねえ。

 反逆罪でおん便びんに罪人扱いすれば、こいつは無実を訴えながら、永遠に縛られたままだ。自分に対する誤解では、こいつは相手を殺せない、無力な一般人と同じだからねえ」

 骸はニヤニヤと黄色い牙を剝き出しながら、刀をスラリと抜いた。

「おかげさんで、今なら簡単にこいつを殺せるぜ!」

 頭を下げて骸が突進してくるのを、イズモの蹴りがね飛ばした。肋骨ろっこつが折れる、にぶい音がした。

 ところが、骸は激突して肩が地面にめり込むほどであったのに、平気な顔をして立ち上がった。

「なんだこいつ!? 体に命が関係ないのか……!?」

「ますます殺さないといけないねえ、お前たちは!」

 骸は魔族軍の方へゆっくりと戻っていく。数で攻めるつもりなのだ。

「何をする! 最終兵姫を、反乱軍にとうにゅうする約束だったではないか!」

 ふんげきする月宮に、骸はめんどうそうな顔を向けた。

「約束? そんなもの、初めからないにひとしかったではないか。お互い相手を利用し、自分の望みがかなったら、“ぜんしょしながら”相手を裏切る。それが本当の“大人の約束”だったろう」

 事実、竪琴を手に入れて魔族を出し抜こうとした月宮だが、

「それは、お前たちが信用ならなかったからではないか!」

 と、嚙みついた。しかし、骸は鼻で笑った。

「燃ゆる遙を倒しうる人間を、魔族が生かしておくと思ったのか。のうてんな奴だ。燃ゆる遙と封印さえあれば、世界は魔族のものだ。人族の側につく最終兵姫など、じゃなだけだ!

 そちらは魔族軍を利用しようと、こちらは燃ゆる遙をふっかつさせかつ剣姫を殺すために、きつねたぬきかし合いをしていただけだ! 信用も何もあるものか!」

「おのれ、せいとうはいけんを持つ私でさえ正しく弾けないのに、さまのような魔族に竪琴が弾けるものか!!」

 骸は首を左右にかたむけて、コキコキ鳴らした。

「わかってないねえ。支配権の正しい者が弾くって意味じゃないのに。もっとも、お前が正しいかどうかは、こっちは知らないが」

「なんだと!? ではどうすればこれが弾けるのだ!!」

 ただニヤニヤと、骸は笑うのみであった。

「おかしい……! 我々の会話を、聞いていたとしか思えない! だが、どこでだ? それらしい気配はなかったのに!」

 殻典が、もんちた顔をした。

「霄瀾が危ない! だが、月宮には言えない……!」

 イズモは骸を睨みつけた。なんとしても今、自分が倒さなければならない。しかしそのためには、この魔物の秘密をあばかなければならない。

「ええい、仕方しかたない! おい子供、起きろ! お前なら竪琴を弾けるのだろう!!」

 月宮はらんぼうに霄瀾の腕を引き、り下げた。霄瀾が悲鳴を上げた。

「燃ゆる遙を使って、魔族軍をらせ! さあやれ! やるんだ!」

「お前たち! 五芒星の中心にある青龍をうばえ! 封印の綱は効果をなくす!」

 月宮と骸が叫んだのは同時だった。

 魔族軍が向かってきたので、山脇将軍も人族の軍勢を率いて、ぶつかっていった。

 あちこちで人族の刀と魔族の爪が斬り結び始める。

「おい子供、早くしないと仲間が殺されるぞ!」

 縛られても星方陣から逃げることのない降鶴たちを見て、霄瀾はつかれた体にむちって、竪琴を弾き始めた。

「ウ、オ、オー! こ、ん、な、人、間、ご、と、き、にー!」

 燃ゆる遙が魔族軍をたたつぶし始めた。片手の一打ちで、少なくとも五匹は、あるいはひしゃげ、あるいは飛び散った。

「あの子供を奪え! 月宮は殺せ!!」

 骸の指示を受けて攻め寄せる魔族軍を見て、月宮は霄瀾と華椿を戦車に乗せて、自らぎょしゃつとめ、人族軍のこうほう退しりぞいた。

「霄瀾!!」

 星方陣から動けずぜっきょうする降鶴の縄が、急に切れ落ちた。

 山脇将軍だった。

いくさこんらんで切れたことにしてほしい。私は今、月宮様を信じてついていくべきか、……討つべきか、迷っている。だが、今は魔族を倒さねば、ぜんめつだ。私がそうと思ったことをしているように、あなた方も為すべきことをしてください」

 四人のラッサの民の縄も、殻典たちの縄も切られていた。

「かたじけない!」

 降鶴がふところから出した笛を高らかに吹いた。

 かんせいごううずく戦場で、その高すぎる音は遠くまで響いた。

「封印を行う合図です。封印をめぐって争いが起きることはそうていないのことでしたから、必ずどの場でも通る音を、合図に決めていたのです」

 周りを守ってくれている山脇に語りかけた降鶴のその目のはしに、サッと何かが走った。

「なっ!?」

 狐だった。狐が人族と魔族の斬り合う中、封印の五芒星の中央に入り、青龍をくわえ上げると、星の外に出た。

 とたんに五芒星の輝きが消え、燃ゆる遙の動きを制限する綱が、一本もなくなった。

「よくも今まで封じたな! 人間どもー!!」

 今度は燃ゆる遙が人間にほこさきを向け始めた。

 五芒星が消え、曲だけであっを抑えることになった霄瀾は、しょうもうはげしく進み、指がもつれて弱々しい音になっていった。

「何をしている! 私たちを守れ!!」

 月宮が霄瀾に怒鳴りつけたとき、

「月宮様。あの狐を捕まえて、青龍を取り戻しませぬと」

 冷静に華椿が狐を見据えた。

 すると狐は、なぜかうつ伏せになって寝ている骸のそばに行った。狐の口からぬるりと、けいこう緑色に発する、ナマコみたいなものが流れ出て、うつ伏せの骸の口の中へ入っていった。

 次の瞬間、ネズミの骸の赤い眼がカッと開かれ、小石を散らしながら素早くかたわらの青い刀、青龍をつかんだ。

 骸が立ち上がるのと同時に、狐はそれきり動かなくなった。

「ハッハッハ! 人間は馬鹿だねえ、動物の姿してりゃ、すぐに攻撃してこないんだから!」

 ネズミの魔物は大笑いしていた。

「てめえ……死体を操るせい魔物だな!?」

 イズモが刀を構えた。

「オレたちの会話も、死んだ小動物か何かに入りこんで、そばで盗み聞きしたんだろう!!」

「青龍を! 取り返してください!」

 降鶴と四人の男女はそう叫ぶと、燃ゆる遙へ向かっていった。

「わかった! ……聞いての通りだ。これからてめえの借り物の体から、気色悪い蛍光ナマコを取り出して、ていねいに切り分けてやるから覚悟しろ!」

 ネズミの魔物の口のあたりを狙って、イズモが刀を突きつけた。

「フフフ、なぜこちらの秘密をさらしてまで、こちらが青龍を奪ったか、まだわかっていないのだね。

 燃ゆる遙は黒い半球で全員をおおい、皆殺しにするまで止まらない。放っておいても、こちらの正体の秘密を知った者は、一人も生きて逃れられない。

 だからこちらは燃ゆる遙の封印の鍵を、自分の弱点を曝け出してまで、奪いに行ったのさ」

 骸の話に、イズモは首をかしげた。

「何を言ってるんだ。封印の鍵は竪琴だ」

「それは完全な封印の話だ。不完全な封印でいいなら、青龍でことりるのだ」

 そのとき、降鶴がぎょっとして振り返った。

「なぜそれを知っている!? 貴様、誰からその話を!!」

 青龍を一回転させて、もてあそびながら、骸は笑った。

「こちらは百年前に、紅葉橋で綾千代とラッサの民が行った封印術を、見ているのだよ。あのときは……奴らの近くにいて、幸運だったな」

 骸が遠い目をした。

「あのときも、燃ゆる遙のせいで魔族も人族も皆、死んだ。こちらは死体の中に逃れて助かった」

 綾千代は、この悪鬼が世に放たれたら大変なことになるとわかったので、ラッサの民から教えられた、青龍を使った封印を行うことにした。

 そのだいしょうは、肉体のほうかいであった。

「燃ゆる遙を封印した青龍が最後にお前に渡ると、綾千代はくだけ、お前は光になって飛んでいった。

 それからこの千里国のお前をさがし当て、封印が解除されるのを待つのは、長かったぞ!」

 骸は捜しに捜して百年ぶりにやっと出会えた、という一種感動のような目をして、イズモに両腕を広げた。イズモはおぞましさにあと退ずさりした。

「そうか……お前はいくらでも体の替えが利くから、燃ゆる遙を何度でも封印できるということなのだな! 最悪の奴に刀が渡ってしまった!!」

 降鶴は迷った。燃ゆる遙と骸、どちらと先に戦うべきか。

「骸はオレに任せろ! あんたらは霄瀾を!」

 しかし降鶴はイズモに同意しなかった。

「青龍がなければ、霄瀾がいても無意味です。我々にしか燃ゆる遙は食い止められません、人族軍を守らなければ! あなたは必ず青龍を!!」

「くそ! どいつもこいつも人間人間て! 一番狙われてるのは霄瀾だぞ!」

「怒るなイズモ。霄瀾はどちらにとらわれても命の保証があるからだ。霄瀾さえ無事なら、いくらでも完全封印の機会はある」

 イズモは殻典にさとされ、目線だけ送った。

「でもこのままじゃあいつ、倒れて完全封印どころじゃなくなるぜ! 自由に動けるのは殻典さんとシオンだけか! シオン! 動けるか! 霄瀾を助けに行って、守ってやってくれ!」

 シオンは霄瀾の竪琴が一音でも聞こえたが最後、地面にすようにして、動けなくなっていた。力が入らず、まともに声を出すこともできない。

 なさけない。

 自分をあざむいてきた月宮に対して、きゅうだんすることも斬り捨てることもできず、ただただ呆然とすることしかできなかった。

 人に裏切られるとはこういうことか。

 なんというかなしみと、苦しみと、怒りと、むなしさ。

 信じていた人間に実は利用されていただけだったのだという感覚は、くうきょそのものだ。

 人が最も深く傷を受けるものの一つとは、きずきあった心を殺し、からっぽにしてしまう、こういうことだ!

「信じていたのに、私をたばかったな! 己の野心のために、人の信頼もみにじれるのか! お前が人を踏み台にしてつかむけがれた野望など、都の帝に代わって、私がこうからってくれるわ!!」

 シオンは初めて、自分の心を傷つけた者に剣姫として目醒めた。

 誰からもきょぜつされても、こころがまえができるから、許せた。だが、の自分を見せ、共に笑いあったのを裏切られては、築き上げたものがいっぺんにとうかいし、心を空っぽにされてしまう。

「心の命を殺されたなら……たとえそれがシオン(わたし)でも、剣姫は出る!!」

 シオンは立ち上がろうとした。だが、竪琴の音に片膝をついた。

「剣姫が出たのにオレは動ける!」

 自分の体に変化がないことに、イズモは気づいた。シオンの力が抑えられる分、イズモも戦う力が残るようだった。

 シオンを狙って骸が投げた短刀を、イズモは刀で弾き飛ばした。

「剣姫を殺すには式神イズモ、いや、元人間のイズモ! どうしてもお前を倒さねばならないようだな!!」

 骸の目が険しく吊り上がった。

「な……!? 元……人……間!?」

 イズモの動揺が、(あるじ)のシオンの心に直接感じ取れたような気がした。

 すると突然、体中に電流のような痛みが走った。シオンは思わず、竪琴に力を抜かれていることも忘れて、飛び上がった。

 足と背中をかがめて、両手を胸の高さで止めながら、シオンは次の電流をけいかいした。足はだつりょくかんで、今にもあらぬ方向へ倒れそうになりながらも。

『そうだ、立て赤ノ宮紫苑! 貴様それでも私のまつえいかッ!』

 心に直接響いてくる声に、シオンはめんらった。誰だ? 何を言っている?

陰陽おんみょう均縛きんばくじん!』

 なぞの声が術を使うと、シオンは力の抜けた状態から多少回復した。

「父上のときは、役に立たなかった陣なのに……」

『お前の陰の気とり合うだけの陽の気が足りなかっただけだ。陰を陽に移しても陽に変わるわけではないから、一定量の限界があるのだ。だが今は、ラッサの民の聖なる曲がある。陰陽均縛陣を使えば、じょうな陰の気を陽にへんかんできる。

 そもそもお前は悪を斬り悪の気を身に吸っているので、陰の気がきょくたんに強いのだ。この陣はへいじょうでは体を痛めるだけだが、変身したら迷わず使え』

「あなたは、一体……!?」

『私は人間だったイズモを式神に変えてしまったちょうほんにん、赤ノ宮綾千代だ』

「ええ!?」

『陰の気の者・剣姫を、より強くする方法が一つだけある。覚えておけ、それは――』

 その一度のこうこう、綾千代の思念はシオンには何も語ることはなく、代わりにイズモへ向かった。

『ときどきお前の表に出てしまったな。周りはさぞおどろいただろう』

「あんたが綾千代……!? 教えてくれ、なんでオレは式神に、なんで記憶がないんだ!?」

 イズモの疑問に、綾千代が答えた。

『お前は燃ゆる遙を封印した刀を守るため、式神となって、紅葉橋から逃れたのだ。あの戦場に人としてとどまれば、事情を話しても話さなくても、あとから来た者たちに青龍は奪われ、お前は殺されていただろうからな』

「……」

 イズモは黙って聞いている。

『人間が式神になると、人間のときの記憶を、一切忘れてしまう。だから私はねんの一部をイズモの空っぽのおくに住まわせてもらい、封印が解かれるときお前の記憶を元に戻すため、私の知りうるかぎりの、お前に関するすべての記録をめた術を、開くことにしたのだ。受け取れ、イズモ』

 とたんに、イズモの脳内に大量の文字と映像が流れ込んできた。

「これが、オレの過去……!」

 剣士として綾千代の下で戦ってきた自分、燃ゆる遙を封印するため、イズモにすべてをたくして砕け散っていった綾千代――。

 イズモが青龍を持って式神になったことを知っていたのは骸だけだ。青龍を手に入れるために式神イズモのうわさを広め、魔族のじょうほうもうを張ってどこに封印されたかあぶり出し、封印解除されるのを待っていたということだ。人族側としては、赤ノ宮神社は綾千代の神社だったから、一族の者は塚に来たのが「元人間」とは思わずに、「綾千代のもともとの式神」と認識して守ってきたのだ。だから、イズモに重大な事情があることには気づけなかった。

「そうだ、燃ゆる遙の弱点!」

 イズモがはっと息をむと、綾千代は止めた。

『イズモ、敵どもの前で言ってはならぬ。まずはすべてを知っている骸を倒し、燃ゆる遙を操ろうとする者を消さねばならぬ。わかるな!』

 イズモが返事をしようとしたとき、綾千代の思念が急速に遠くなっていった。

『使命を終えて、私の思念も消え失せる。さらばだイズモ、あとは頼んだ……!』

「ああ……! 百年前のこんを、ここでってやる!! シオン! 式神召喚を!!」

「よし! えんしきイズモ、りつりょこうりん!!」

 シオンに封印解除してもらったイズモは、目の光を引き締めて、骸に一歩近づいた。それを受けて、骸は魔族と人族が斬り合う戦場へ駆けていく。イズモも見失うまいと、あとを追った。

 それを見てから、剣姫シオンと父・殻典は目線を合わせてうなずきあい、霄瀾を取り戻すべく、人族の陣地のさいこうへ走った。

「剣姫を捕まえろ! 悪でない者は斬られない!!」

 華椿が叫んだが、皆はこれまでのシオンへのちを思うと、復讐に殺されることを恐れ、一歩を踏み出せなかった。

 そのシオンのうしろから、魔族軍がなだれ込み、陣地も何も関係なく、全軍がそこここで戦い出した。

 シオンと殻典が一直線に月宮たちのもとに辿たどり着いたとき、戦場に連れてこられ、作戦室のたれまくの中にいた貴族たちは、またあわあわ言っては、早足で動き回っていた。

「……? なぜろくな戦術も持たない貴族がこの場にいる? 戦いを邪魔するだけではないか」

「月宮は燃ゆる遙とお前を手に入れたあと、その足で都へ攻め上るつもりだったのだろう。貴族は千里国に残しておけなかった……裏切るかもしれないからだ。違うか、月宮!」

 垂幕を引き倒して、その奥にいる月宮に、殻典は歯を見せて怒鳴った。

 きんぶちふくざつ豪華ごうかようられた大将のに座って、月宮は堂々と、シオンと殻典をかまえていた。

 月宮の左手側には、竪琴を弾き続けている霄瀾と、それを見張る華椿が床几しょうぎに腰をかけていた。

「竪琴があるのに剣姫になれたのか。本当に強いな、お前は」

 ついさっきまで焦点が飛んでいたとは思えない、落ち着いた、穏やかな目だった。

「お前を最終兵姫呼ばわりしたことはあやまろう。私はなんとしても、帝のあっせいに立ち向かう力が欲しかったのだ。

 今までお前を封印する術を探していたのは、一度なったら止まらない剣姫が、都に着く前に力尽きてしまわないよう、休息を与えようと思ったからだ。わかるな?」

 穏やかに微笑む月宮に、殻典は叫んだ。

「シオンを操れぬとわかったとたん、ごげんりか。そうもなるわいな。いま剣姫は貴様を斬ろうとしているのだからな!」

 しかし月宮は全く表情を変えず、穏やかに続けた。

「私はいつだって、お前の味方だったではないか。私を信じてほしい。共に民を救い、帝を倒そうぞ」

「帝は都をよく治められる、私の斬るべき人ではないそうだが」

 シオンのれいたんな返事に、月宮は苦笑した。

「お前は殻典の言うことを信じるのか。帝の犬なら、帝をようするのは当然であろう。どちらの話が本当か、お前にわかるのか。

 私は善政をいてきた。しかしお前は都を見たわけではない。私は、さっきは悪の帝を倒せる力が手に入ったと思って、興奮してしまったのだ。許せ」

 月宮に頭を下げられて、シオンが表情を変えず、じろぎした。

 確かに、シオンは都を直接見たわけではない。

 人の言葉だけでは、決断を下せない。

 そんなシオンを見て、殻典は月宮に眉をね上げた。

「嘘をつく人間は逃げるのがうまい。では月宮、霄瀾でもなく山脇将軍でも私でもなく、なぜおんみずから竪琴を奏でようとしたのかな? 信じられない相手だったからという理由は、通用せぬぞ!」

 月宮は黙った。

 そのちんもくじゅうぶんだった。

「こんな人間に、私は己の封印術を知られようとしていたのか。どんなに悪を討ちたい志が高くとも、力は真実と共にいなければ悪なのだ! おろか者だ! 私はッ!」

 シオンは固く目をつぶり、言葉を地に吐きつけた。

 そのとき、すぐうしろの貴族たちのいた作戦室で、わっと大勢の悲鳴が立て続けに上がった。

 魔族と人族の斬り合いが、ここまで押し寄せてきたのだ。

「月宮様! ご命令を!!」

 山脇将軍が月宮を守るため戻ってきたが、何人もの貴族たちに、高音に震える声ですがりつかれた。

「待て! ここにとどまれ!」

麿まろを守るのじゃ! 山脇、貴族を守るのが武士の務めであるぞ!」

「待て! こちらが優先じゃ! 武士の一団を麿のために連れて来い!」

 しかし山脇はそんな貴族たちを振り切って、月宮のもとに辿り着いた。

 その間に、乱入してきた魔族たちが、貴族たちを次々に引き裂いていった。

 魔族が殺す相手に、格上の貴族も格下の武士も関係ない。どちらも、力の強い者が生き残るのみだ。

 月宮は華椿・霄瀾と共に再び戦車に乗り、貴族が断末魔の叫びをはなつのを眺めながら、山脇を動かさず、見殺しにしていた。

「月宮様ァッ!!」

 死んでいく貴族たちに、山脇は複雑な表情を浮かべた。しかし月宮は、全員が死ぬのを待っていた。

「月宮様! 我々はあなた様のまつりごとに尽くし、あなた様も我々をしんらいしてくださっていたではありませんか!!」

 息もえの貴族たちに、月宮は顔をしかめて下歯を上歯の前に突き出し、戦車に腰かけて足を組んだ。

「フン、尽くす? 他人を追い落とし、私の覚えめでたくなるためにであろう。せいさくは皆、私のあんしょうにんするだけだったではないか。私の命より己の命の方が大事な連中が、よく言う」

 そしてうすになって、口をいっぱい引き上げて、頬に大きな皺をつけるほどみながら、貴族たちをさげすむように見下ろした。

「だがどうしてお前たちの思想をついせき調ちょうせずに放っておいたと思う? 頭のいい私の周りをお前たち馬鹿で固めて、私に逆らわせないようにするためだよ。実際、今日も『国家として挙兵する』ことが、あっさり決まった。お前たちは本当に使い勝手のいい、おかざり人形だったよ。今まで私のあそばれるままに動いてくれて、ありがとう」

 はっはっはっ、と月宮は上空に笑い声を散らした。

 それがりてくるのを体中にびて、貴族たちは奥歯から出血するほどぎしりした。

 月宮は黄色地の扇をビッと貴族たちに突きつけた。

「私が力を得るまでは、ひょうばんきょうりょくるためにってもよかった。だが私が帝となる新しい国に、お前たちのような無能はらない。役に立たぬ者は役立たずらしく、大人おとなしく死ねばよい」

 いっぺんの迷いもなく、淀みなく話した月宮に、貴族たちはいっせいに呪いの言葉を叫び始めた。きゅうちゅうでもせいでも発声を禁じられた、国がけがれるみ言葉である。

 しかしそれを言い終わることすらなく、魔族たちに殺されていった。

「ふむ。最後まで何一つせないやからどもだった」

 あざけりながら月宮は目を細め、口元を扇で隠して死体を見下ろした。

「月宮様。そろそろ」

「うむ。山脇、ここに乗れ」

 華椿にうながされた月宮は、戦車のづなを取り、将軍に振り返った。

「どこへ行かれるおつもりですか! まさか、せいえいの二千の兵を見捨てるのですか!」

 驚いて、山脇将軍が叫んだ。月宮はめんどうそうに、馬を逃げる方向に向けた。

「こんなこともあろうかと、町にはまだ主力の兵が一万人残っている。私は彼らと都へ攻め上ることにする」

 しかし山脇将軍は馬車のへりを手でつかみ、追いすがった。

「お待ちくださいッ! 今あの悪鬼を封印しなければ、町が!」

 月宮はそれに構わず、馬に一鞭ひとむちくれた。山脇将軍はつんのめって、どうと倒れた。

 襲いかる魔族をあらかた倒しながら、シオンと殻典は馬車を追った。

「魔族に約束を破られ、剣姫に狙われ、悪鬼は封印できない。人間の兵士が一万人いてもこの三者に同時には勝てまい。なのにこの状況であのゆう、なんなのだ?」

 馬にみるみる引き離されていく。しかし、シオンと、この大いなる疑問を口にする殻典は、霄瀾の竪琴の音をたよりに、一向ひたすらに走った。

 一方馬車では、華椿が霄瀾に竪琴をえんそうすることをきょうようしていた。

「燃ゆる遙を操り、我々をよけた状態で、黒い半球を作らせろ! 我々三人以外は燃ゆる遙に皆殺しにさせるのだ!」

「で、できないよ! おじいちゃんたちがいるのに!」

 祖父が死んだらと思うだけで、涙がにじみ出る霄瀾の首を、華椿がわしづかみにした。

「従わないならお前の指を一本一本折ってもよいのだぞ! 封印は二度とできなくなる! 違うか!」

「うう……!」

 苦しげにうめいて、霄瀾が竪琴を弾く手を止めたとき、天を黒い影が走った。

 とたんに戦車の馬が何かに激突して跳ね返ると、戦車ごと横倒しになって、地面に倒れた。

 月宮、華椿、霄瀾が投げ出された。

「月宮様!」

「しまった……!」

 素早く霄瀾の腕を捕まえた華椿に、月宮はぜんぽうを見据えたまま、険しい表情をした。

 馬がぶつかったところに、黒い壁が生じていた。横にも上空にも広がり、一帯を覆っている。

「ちいっ! 燃ゆる遙の黒い半球だ! シオンを私が使えない場合、燃ゆる遙に半球内で人族軍と魔族軍の相手をさせ、すべてが終わって奴が弱ったところを、子供の竪琴で封印しようと思っていたのに……!」

「都の軍とも、そのせんぽうでいけると思ったのですが……」

 逃げ場をなくし、月宮は霄瀾から離れた竪琴を拾い上げた。

「返して!」

 疲れのためにまともに立てない霄瀾を無視して、月宮は華椿に早口で告げた。

「こうなったら仕方ない、燃ゆる遙が全軍を片付けるまで逃げ回るのだ。その間にこの子供も回復するであろう。シオンと戦ったあとなら、燃ゆる遙の封印もやすかろう」

 華椿は、さっとうなずいた。

「はい。あの馬はもう使い物になりません。走って森の中へ逃げましょう。でないと――」

「剣姫が追いつくからな」

 冷たい女の声に、月宮たち三人は振り返った。

 すでに双剣を抜き払っている剣姫シオンが、髪の赤さと同じくらい燃え立つ瞳を、月宮たちに向けていた。

挿絵(By みてみん)

「黒い半球を逆手に取る作戦だったとはな。これで帝になれると思っているとは、笑わせる」

 殻典が扇を構えていた。

 月宮は、馬が使えず逃げられないことに改めて気がつくと、急に全身から汗が噴き出してきた。

「待てシオン、こんなところで油を売っていていいのか? こうしている今も、燃ゆる遙が皆を殺しているのだぞ」

 月宮はそうてんさきばししようとした。今この場をごまかして切り抜けられれば、自分は森に隠れて逃げのびられる。

 しかしシオンは、眉一つ動かさなかった。

「その燃ゆる遙の封印を邪魔したのはお前だ」

 サッ、サッ、と小石のじる道をめて近づいてくるシオンを見て、月宮はどうにか剣姫をだまそうと、気ばかり焦った。

「仕方ないではないか!!」

 月宮がおののきながら、しかし心をふるい立たせて叫んだ。

「私も最初は良い国守になろうと、力を尽くした! 子供だったからだ! だがちょうずるにしたがって、私の権利は無理にはくだつされたのだと、気づいてしまったのだ! 国守でいることは、滑稽などうだと!!」

 華椿は月宮に目を伏せた。月宮は叫び続けた。

「どんなに都の帝より品行ひんこう方正ほうせいで国をく治めても、誰も私を、帝にしようとはしてくれなかった! 正妃の息子の私こそ、めかけばらの帝よりも皇帝になるに相応ふさわしかったのに!!」

 長男が帝にならず、帝位が手を伸ばせば届くところにありながら、それをつかんだのは妾腹の次男であった。

 お預けを食ったときほど、人間の欲が増加するときはない。

 もともと三男であきらめていたのに、長男が自滅して、帝位が転がりこむこうがあった。

 あってはならない好機。

 大人になってそれに気づいたとき、あれは本来自分のものだと、思い込んでしまった。

 月宮は帝になる欲を抑え切れなくなったのだ。

 だから帝位は代々、ちょうぐべしとさだめてあるのだ。兄弟で「帝になる」というてぬ夢であいあらそい、ていけいしょうたびに反乱をり返さないように。「夢」をち切れるように。

「長子・日宮ひのみや星宮ほしみやまっ・月宮! 太陽の次は月である! 次は私だと、思いたくもなるではないかッ!!」

 月宮がずっと胸のうちめていたいかりを、曝け出した。

「私なら今の帝よりらしいまつりごとを行い、きっと民も平和にみちびき、よろこびにあふれた国を作ってみせる!

 シオン、私を信じてくれ! この国をき国にしよう!!」

 手を胸に当てたり広げたりしながら、月宮はえんぜつした。これから帝になろうという男が、自分を狙う者一人、へんしんさせられなくて、どうする。これは人の上に立つ者にとってはひっのうりょくだ。人の感情を言葉でいかようにも変えるのが、為政者いせいしゃに最も必要なじゅつである。命令するのは自分一人でも、その国を命令通りに動かすのは他人の力だからである。

 シオンは顔と視線をななめ下に落とした。

「理想のために何かを犠牲ぎせいにしなければならないのが現実だということを、私は知っている。私は人々との関係を犠牲にした。だがな……」

 そして、眉をグイッと吊り上げて、月宮の顔をしょうめんからにらえた。

「私は『私を犠牲にした』。お前は罪もない人々まで巻き込んでおきながら、『己は無傷ではないか』! 何の痛みも受けない者が、命懸けの軍を動かす? 人の世を平和にする? できるわけがなかろう! 自分のものを何も汚さない者に、人の受ける苦しみを救う言葉など、かけられはしない!!」

 シオンが右膝をげた。

「ま、待て! 私の言ったことを聞いていなかったのか!? 私こそ正統なすじこうていなのだぞ!! 私には反乱するけんが……」

「お前を信じてついて来た人間を、簡単に裏切れるような奴に、帝などつとまらん」

 そしてつちけむりを上げて右足で蹴り出すと、月宮の心臓を斜めにてた。

「ああ……ああ……」

 月宮は己の夢が完全にはかなく散って、一粒の涙がこぼれた。

「私の……ものだっ……のに……」

 土とこすれ合う音を立てて、月宮の体はくずれ倒れた。

「月宮様……!!」

 悲しみと怒りで、華椿は目をじゅうけつさせていた。

「赤ノ宮! 貴様自分のしたことがわかっておるのか! 善政を敷いた月宮様のお心は、いつわりではなかった! ただ星宮めが先にまれていたばかりに……!」

 剣姫から陰陽師に戻ったシオンは、静かに華椿を見つめた。

「でも、いつしか月宮は、自分が帝位につくことしか、考えなくなっていった。違いますか。そうでなければ、民を見殺しにするこんな戦い方は、しない」

 次の句が見つからない華椿に、シオンは、はっきりとげた。

「人は大勢を守ろうとすると強くなる。でも一人を守ろうとすると弱くなる。月宮は自分しか守ろうとしなかった。そんな人が人の上に立つべき器ですか」

 苦しげに顔を伏せて、華椿は若き日の月宮を思った。

 正統なるこうけいしゃである私、民をもっと幸せにしたい、今のはいした貴族政治をこんぽんからくつがえすのだ――。

 くさった貴族のだいひょうかくであった雪開に、堂々と自分の夢を語る月宮。雪開はその若さとじゅんすいさが、まぶしかった。

 華椿一族の更なる発展を、ひそかに織り込もうとしたことはいなまない。

 だが、自分が若い頃したくてもできなかったことを、あきらめて大人になったことを、この青年ならやってくれる。

 この青年の夢をかなえてみたい。

 政治をしたことがある人間ならば一度は夢見る、「国を良い方向に変えたい」という夢をかなえる力が、この青年にあるならば。

 この青年を支えるために、汚い仕事はみな私が引き受けよう。

「一人の犠牲者も出してはいけない」と平気でぜんを吐けるくらい、きれいな体の帝にしてやろう。

「――どこで、道をあやまったのだろうな……」

 華椿は霄瀾を放した。そして、

「国守殿には私の一族が残っている。新しい国守に従うように伝えてくれ」

 と、通常の椿の印鑑とは違う、みつやくのときにしか使わない、真の雪開の印鑑であるれんちょうこくのついた筆を、霄瀾に渡した。手に持てば、華椿のしょめいを自動でできるじゅつがかけられている。持つ者は華椿の名で自由にけいやくせいやくもできる。つまり一族のめいうんを左右する、とうしゅのみ所持しょじすることを許された、守り通されるべき筆である。

「これは私のしんだというあかしなのだ。私からのゆいごんだと皆に信じてもらえるだろう」

 それから、月宮のなきがらに向かってせいをして一礼すると、短刀を首の横にあてい、かき切った。

 華椿が横に倒れるのを、シオンたちは黙って見守っていた。

ほのお月命陣げつめいじん!」

 シオンの炎の術で、二人の遺体は火葬された。

「今まで嘘でも私に人間らしくせっしてくれた礼よ。――さようなら」

 燃える炎にその赤い瞳をらし出されながら、シオンは呟いた。

「なぜあなたたちが道を踏みあやまったか、答えはもうわかってる」

 炎の熱気に赤い髪をらめかせ、シオンは魔族軍と人族軍の激突の音へ首をめぐらせた。

ぶんそうおうな力を持ったからよ」

 そして、シオンと殻典、竪琴を持った霄瀾は火葬場を去った。


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