帝都決壊第三章「四神の門」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑、神剣・青龍を持つ炎の式神・出雲、神器の竪琴・水鏡の調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾、強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者・露雩。
帝の娘・空竜姫、帝都一の陰陽師・九字、九字の式神・結双葉、大将軍で帝軍の総大将・作門示期大、六十五歳の二刀流の将軍・意刀織斬。
紫苑を封印して自らの野望をかなえようとする、結晶睛という瞳の力によって術の能力に傑出した僧侶・河樹。
第三章 四神の門
紫苑は、西の白虎門に来ていた。
大混戦の大路の脇である。見上げると、血飛沫を浴びた白い鳥居の門の中央に、血に塗れた香炉がぶらさがっていた。
都は、四神の四つの門以外はすべて、鳥居と同じ高さの土塀で囲まれている。
敵が土塀を乗り越えてこないのは、土塀に毒が混ぜられているからだ。都の内側の面には、混ぜていない。外からの不法侵入にだけ機能する塀である。
門の内側へ入ろうとする勢力と、押し返そうとする勢力の激突は、横から見る紫苑には太い柱同士の力の限りの押し合いに見えた。
味方のために、この限界清浄札を早く香炉に貼らなければ。紫苑が札を懐から取り出した、そのとき。
「その札を貼らせるわけにはいかぬめ」
「そーダテ!」
ある地域だけで使われる方言が無数にあるように、魔族にも、種族ごとに違う特徴を持つ、「種族語」がある。
多くは語尾や強弱、抑揚などが特徴的になる。
語尾にその種族語が入ったウナギとホタテの魔物が、紫苑の目の前に立ち塞がった。
ウナギは体長約四メートルで、輪切りにしたときは直径一メートルの円ができるであろう。水もないのに体を湿り気で光らせながら、くねくねと体が波打っている。
ホタテの方は幅約三メートル、高さ約二メートルで、貝の口を閉じるとぎっしりと大きな牙がむきだしに生えそろっていた。
「穢れた香炉を守る魔物が二体……」
紫苑が敵を観察していると、中主国軍の一部がこちらに気づいた。
しかし、彼らはこの対峙に加勢も何もせず、ただ都の中へ攻め上ることだけ考えて突撃していった。
「(やはり、魔族と中主国軍は協力しあっている。中主国軍はなんとしても帝の命を奪うつもりだわ)」
双方をくっつける接着剤の役目を果たしたのは、何なのか。利害の一致の中身が、読めない。中主国はもちろん帝位を得るためだ。魔族には、都の神器を与える約束でもしているのだろうか。
「なぜ魔族が人間に手を貸すの? 考えられないわ」
油断なく中主国軍の動向を目で追っている紫苑に、ホタテは牙のむき出した大口を開けた。
「手など貸しテいない。人間を一人でも殺せれば、魔族はどこにでも行く」
「では、中主国もあとで殺すのね?」
「命令されればぬめ」
巨大ウナギと牙ホタテの話から、紫苑は気づいた。
魔族は一体一体は強いが、集団行動をあまりとらないため、平時には脅威にはなり得ない。
だが、今回のように集団として意思を持つようになると、強大な軍事力となる。
これまでの歴史で、魔族軍を完全に意のままに動かした魔族の王はいなかった。ゆえに、人間は滅亡寸前を恐れなければ、魔族を種の存亡の危機まで追いつめることができるのである。
もし、魔族側に、作門示期大のような指示の的確な将が現れたら。魔族が一体残らずその将の指示に従ったら。
おそらく、人間は滅ぼされる。
今、魔族軍に命令しているのはどんな魔族なのか。魔族が団結し始めている。紫苑がもっと聞き出そうとすると、
「香炉に近づく奴はぬめたちが殺していいぬめ!」
巨大ウナギが長い巨体で一回地面を鞭打つと、紫苑に体当たりしようと迫った。
巨体に似合わず、刃物のように鋭く紫苑のいたところへ突っこむ。
それを跳んでかわした紫苑に、牙ホタテの大口が飛びかかる。
「炎・月命陣!」
紫苑がその口に、赤地の中央に黒墨で呪術の紋様の描かれた扇を向けて、三日月形の、脇差ほどの大きさの炎の技で中から焦がそうとすると、貝の口は素早く閉じられ、牙が炎を弾いた。
紫苑は牙を蹴り、後ろ宙返りをして着地すると同時に、扇を前方に高く掲げた。
「十二支式神・全獣召喚!!」
紫苑の、紙の式神十二体すべてが、紫苑の周りに現れた。
一対二では不利。紫苑はそう判断したのだ。
一体召喚するだけで限界、という陰陽師もいるなか、十二体を同時に戦闘で召喚するというのは、並大抵の術力ではない。
巨大ウナギと牙ホタテは、一瞬身を固くした。
「それなりの相手が来ることくらい、聞いテるし」
「人間ごときが何をしようと、魔族に力でかなわないことを教えてやるぬめ! かつて人間が我々にそうしてきたようになぬめ!!」
紫苑は敵二体から目をそらさず叫んだ。
「みんな! あの牙ホタテをお願い! 私は巨大ウナギと戦う! いいわね!」
「了解しました!」
十二体が牙ホタテの前に出る。
「ん? よく見ればみんな紙クズでできテるじゃないか。はっはっ! どうやっテオレに傷をつけるつもりだ?」
牙ホタテが貝殻を揺らして笑った。
「十二体の力を見せてやるヴォー!」
紫苑と同じ技を出せる寅(とら・虎)が中心となり、一声、吼えた。
全員がそれぞれの目的に向かって走り出す。
どれからつぶしてやろうかと牙ホタテが目移りした隙に、未(ひつじ・羊)が飛び出した。
おや? 同じ場所から、未が一匹ずつ、あとからあとから飛んでくるぞ?
「羊が一匹、羊が二匹……」
それを見ていた中主国軍の兵士たちは、だんだん目が半開きになって、足がふらふらしてきた。
そしてついに意識が途切れたとき、未の周りを漂っていた綿が飛んできたのを枕にして、柔らかい幸せと共に眠りに落ちてしまった。
牙ホタテには、この未の睡眠攻撃は効かなかった。
「なんでメェ!? 眠らないメェ!!」
「オレは海の中でないと眠れないんだ」
「……」
万が一こちらに斬りかかってくる中主国軍が出ないように、未は大路に向かい、牙ホタテに背を向けた。
牙ホタテは地面に金の粒が落ちているのを見つけた。よく見ると、一つずつ連なり、道ができている。
たどった先に、金の粒を磨いている子(ね・鼠)がいた。
「この米俵の中に金がたくさん入ってるんだな!!」
中主国軍の兵士たちが、金の粒に引き寄せられて、子の背負う米俵に飛びついた。
「待テ。金の歯応えを味わうのはオレだ!」
牙ホタテも米俵に牙をたてた。
その瞬間、米俵が震え、触った者の全身を駆けめぐった。
「う……こ、れ……!」
兵士たちは体がしびれて動けなくなった。米俵に触れた者は、それの持つ震動でまひしてしまうのだ。
「ごはんがお金チュウ!」
金ではなく米粒を持っている子が、振り返った。
いつのまにか、子に続く道の金の粒は、米粒に変わっていた。
「お金は紙と石ころでいくらでも作れるチュウ。でもごはんは、何箇月もかけて育ててくれる人がいないと、食べられないチュウ! 自分で作れないものにはなんでも感謝するチュウ!」
子は米粒を握りしめたままでまひしている兵士たちを見下ろした。
「ごはんはお金があっても作れないチュウ。お金を拾う暇があったら、ごはんを拾えチュウ」
そして蔑みの目を向けた。
「この世で本当に価値のある物質は、ごはんだとわかってる者なら、お金を拾ったらチュウに返すはずチュウ。金には本当は何の価値もないことを知っているからチュウ」
「――お前、哲学者の式神なのか?」
「よすチュウ。照れるチュウ。――って、え?」
まひしている兵士たちの上で、牙ホタテが平然としていた。
「な! なんでまひしないチュウ!? チュウの米俵に触れたのに!!」
「牙はまひしようがないし、体に広がったとしても、殻は骨みたいなもので硬いから、特にしびれない」
「……」
万が一こちらに斬りかかってくる中主国軍が出ないように、子は大路に向かい、牙ホタテに背を向けた。
「お前らな……自分の特殊攻撃が効かないからって、とっとと戦線離脱するな!」
寅がうなった。
そのとき、槍の穂先の代わりにとげだらけの鉄球をつけた武器が、牙ホタテをかすめた。
貝殻をすりあわせるような音がしたので、牙ホタテが怒りの声をあげる。
「鉄球戦士の心臓、入れて来たぞッキー!」
申(さる・猿)が軽々と鉄球を振り回し、胸を張った。申の胸に他人の心臓を入れると、その他人の技が使えるようになるのだ。術だけでなく、体技もだ。
申は戦場で強そうな兵の遺体を探していたのだ。
「よし! 申と亥(い・猪)、ヴォーが攻撃役! 残りは援護! いいな!」
「いいよー!」
辰(たつ・龍)が巨大化し、牙ホタテの視界を、囲んで遮った。
「邪魔だ! どけ!!」
牙ホタテが嚙みつくのを、一瞬で小さくなった辰がかわした。牙ホタテの目の前に亥が飛びこんできた。
「グッ!!」
牙ホタテは、口を開けて粘液を吐いた。
「ブルルッ!!」
亥に命中し、亥は地面に叩きつけられた。
粘液がべったりと亥を貼りつけていて、身動きがとれない。戌(いぬ・犬)が足で粘液に土をかけて粘りを吸着させてはがそうと、救出に入る。
「炎・月命陣!!」
亥に気を取られていた牙ホタテは、主と同じ技を放つ寅の攻撃を、完全にかわせなかった。尻の殻が焦げあがる。申も鉄球でぶん殴った。だが、鉄と鉄がぶつかりあったときのように、少し縁がこぼれたくらいで、殻に大した傷はつかなかった。
「火の方が効くな」
「ウッキーは翻弄役にまわるッキー」
寅と申が一言交わしあった。
「うっとうしい奴らめ!」
牙ホタテが粘液を上空から連発しだした。
「チュウッ!」
「にゅるっ!」
子と巳(み・蛇)がつかまった。巳だけは、脱皮して一回り小さくなって、逃げだした。
「やめるッピ!」
酉(とり・鳥)が牙ホタテに向かって飛び立った。
しかし、牙ホタテが急に息を吸い始め、その吸気に引きずり込まれ、牙でつぶされてしまった。
「はっはっ! やっぱり紙クズだな! 軽いしもろいし、何の力もありゃしねえ!」
ガチガチと牙を嚙み合わせて、牙ホタテが笑った。
「よくも酉を!! 許さないっぴゅ!!」
卯(う・兎)が飛び出した。
「はっ、空中のオレに対しテ、地上を跳ねテるお前に何ができる!」
「こうするっぴゅ!!」
突然卯の声が大音量になり、辺りのすべての音を消し去り、空間を支配した。
牙ホタテの右から左から、一文字ずつ音の殴打が浴びせられ、脳に直接攻撃が入った。
たった五つの音の五文字で牙ホタテは体の平衡感覚を維持できなくなり、必死に体勢を立て直そうとするもかなわず、くらりくらりと不規則に回転しながら、地面に墜落した。
「空を飛ぶ相手には、絶対負けないっぴゅ!!」
「うっ……く……そっ……」
脳だけが恐ろしい速さで疲労していて、体が動かせない。
「今だ! 総攻撃!!」
寅の咆哮に、動ける者が突進していった。
「紙、クズが……! 丸、めて、やる……!!」
牙ホタテは、体は動かないまま粘液だけを吐いた。
しかし、その勢いのない粘液は、すべて申の鉄球に遮られ、式神たちには届かなかった。
「(どいつだ! どいつから、嚙み砕けばいい!)」
牙ホタテの脳がようやく立ち直り、式神に狙いを定めようとしたとき、上空から辰が急降下した。
「しゃらくせえ!!」
牙ホタテが口を開いて粘液を出す寸前に、辰は一瞬で小さくなった。そして、辰に抱えられていた、粘液から助け出された亥が、目の前に迫っていた。
「また粘液で――」
そのとき、小さくなった辰が、牙ホタテの牙の隙間にはさまって、少しずつ大きくなっていった。紙だが、少しずつ歯と歯の間の隙間を広げている。
「やめろ! 嚙み合わせが狂う!!」
牙ホタテが辰に気を取られた一瞬の隙に、亥の突進が命中し、亥の兜と牙ホタテの貝殻が、鍋を叩いたような音をたてて離れあった。
「うっ……!?」
牙ホタテの視界のすべてが曲線に変わった。
亥は突進した相手の平衡感覚を狂わせる。酒に酔った状態に陥らせると言っていい。
空の敵は卯が、地上の敵は亥が、動きを止める役割を担っているのだ。
「ヒヒーン!!」
寅によって、対象の臓器を呪い弱らせる「破」の術を自らの尻尾の筆で体に書かれた午(うま・馬)が、牙ホタテに向かった。
「こん、ちくしょろ~」
牙ホタテは目が回りながら、体を回転させてかわした。午は方向転換できず、一直線に走り過ぎて行った。
「ふ、ん、直進だけ、なら、恐くねえや!」
牙ホタテの感覚が戻ってきた。辰は牙から脱出している。力をこめるように、下の殻を地面にすりつけた。
午が再び一直線に向かってきた。
「何度やっテも軌道が読めるんだよ!」
牙ホタテが午をかわしてすれ違いざま嚙みちぎろうとするのを、申が上から鉄球で殴りつけた。
午の目前に、くつ下を脱いだ戌(いぬ・犬)が丑(うし・牛)をくわえて駆けていた。午に向かって、銅板のように平たい体を向けた。
午はその呪い返しの銅板に足をかけ、跳ね返った。
「なんだと!?」
呪いの術を持つ午が、味方の丑の呪い返しで、至近距離から突撃してきたのだ。
午の呪い「破」の術は、牙ホタテに命中した。
「グエエエ!!」
牙ホタテは損傷のたまっていた脳から弱り、生命活動を維持できなくなって、やがて永遠に静止した。
「やったっぴゅ!」
「戌、遅いモウを的確な場所に運んでくれてありがとうだね」
「たいしたことないル。ウルルたちは仲間だル」
「喜ぶのはあとだ、みんな紫苑様を助けるぞ!」
「いいよー!」
寅の声に皆は気勢があがった。
「炎・月命陣!!」
紫苑の三日月形の炎は、巨大ウナギが絶妙な角度で傾けるぬめった体に弾かれた。
何度炎を連発しても、巨大ウナギの体はなめらかにくねって跳ね飛ばしてしまう。
体のぬめりが、術に耐久性を持っているようだ。
紫苑の炎も相当強力なのだが、術を受け流されては打つ手がない。
たぶん、剣姫になれば一撃で倒せる相手だろう。
それどころか敵の各軍を圧倒することさえ可能であろう。
だが、紫苑はこの戦争で剣姫にはならなかった。
この都が剣姫として守り抜くに値するかどうか、紫苑はその都の最上位の帝をよく知る機会がなかった。
おそらく、意図的に遠ざけられていたのだろう。
完璧な君主でなければ、剣姫は怒って帝を殺してしまうだろうと皆が考えたに違いない。
確かに、昔の紫苑は、自分の仕えるべき理想の君主を探そう、と絶望の淵で思ったこともあった。その人がきっと、剣姫の殺戮を救ってくれると、どこかで期待していたのだ。
だが、今の紫苑は、もうそんなものを君主に求めてはいない。
どんな結果になっても、民を愛し、民のために命を投げ出せる優しい人。
それで充分だと思っている。
人間は、与えられたものに同じだけのもので返そうとするものだ。
誰かが命がけでこの国つまり我々を愛し、この国そのものである我々のために死ねるなら、我々もその愛に応えよう。それが義というものだ。
この国には、九字や作門以下、人の世を守る決意に溢れた人々がたくさんいる。
人々を守るためなら、喜んで盾になって死ねる者ばかりである。
だから、紫苑はこの国と、彼らの仕える帝を信用するのだ。
人に義が生まれるかどうかは、王の器によって決まる。王に愛があれば徳が世に広まり、王が小狡ければ出し抜きあう社会となる。人々は自分の家にいながら一瞬も安心できない。
人を見れば王がわかる。子を見れば親のことがわかるように。
紫苑は、この国と帝が、嫌いではなかった。
ここまで態度が軟化したのは、月宮の野心を見抜けなかった衝撃からだろう。
自分はまだまだ子供で、人を見る目がなかったことが、紫苑から厳しい観察基準を取り上げた。
しかし、嫌いではないというだけなので、紫苑は剣姫として、基本的に都と中主国、どちらの味方にもなるつもりはない。そして、仕えるつもりもない。
ただ、赤ノ宮紫苑としては、術や秘された伝説を教えてくれた都に、恩返しがしたいと思う。
だから、紫苑は陰陽師として戦っているのだ。
「同じ技しか持ってないぬめね! 式神がいなくちゃ陰陽師の力なんて、たかが知れてるぬめよ!」
巨大ウナギが、息のあがってきた紫苑を嘲笑った。
「さすがに、剣姫と式神なしじゃ。いくら私でも、分が悪いわ……!」
なんてったってただの術者の一人だもの。
術力は他の者とは桁違いだが、人間がたった一人で魔族に立ち向かっている構図に変わりはない。
「(もしかしたら九字様に教えていただいた収束と散開の修行で、『あの術』ができると思うけど……)」
巨大ウナギの体当たりを走ってよけながら、紫苑は九字の修行を思い出した。
修行といっても、扇の上に出した炎を、そのまま手を加えずに収束させて消したり、線香花火のようにずっと散開させ続けたりを繰り返す訓練だった。
コツは集中力だ。集中が乱れると、意識して消していた火がついてしまうし、線香花火の火花は普通の炎に戻ってしまうのだ。
炎を自在に操る基礎的な訓練だったのだが、紫苑は新しい技の気づきを得たような気がしたのだ。
技を出す頃合を決めあぐねて注意力が鈍ったとたん、巨大ウナギの尾に跳ね飛ばされた。
「バッフ!!」
全身を思いきり平手打ちされたような、じんじんする痛みを皮膚に感じて、紫苑は土だらけの体を起こそうとした。
その紫苑の足が、くにゃりと膝をつき、次いで腰も腕も体を支えることなく力が抜け、紫苑を倒した。
「(しまった! まひ攻撃!!)」
紫苑の全身がしびれ、指一本動かせない無感覚になっていた。
巨大ウナギの尾か、それについているぬめりに、まひする成分があったに違いない。
敵の攻撃を一度でも受けるのは、命取りなのだ。
攻撃される前に倒すのが戦場での鉄則だったのに……、と、紫苑は己の注意力の至らなさを悔いた。
「かかったな! これでもう動けぬめ! 殺してやるぬめー!」
巨大ウナギが紫苑を押しつぶそうと、急に地面から跳んだ。
「炎・散火!!」
紫苑のかろうじて出した言霊で、周囲に線香花火のような、内から外に向かう火が無数に出現しては消えていった。炎で身を守る技として、修行を活かしたのだ。
「こいつ、往生際が悪いぬめ!」
炎で進路を止められた巨大ウナギが、尾で紫苑を再びはたき、空中に放り上げた。
そして、大きな口をめいっぱい開けて、紫苑を呑みこむ用意をした。
「(クッ……! 言霊だけで正確に狙えるか……!?)」
紫苑が巨大ウナギの口を震える目で睨みつけたとき、
「紫苑様! 子の米粒ですッキー!!」
申が、粘液で動けない子の代わりに、米粒を投げた。ごはんである子の米粒は、すべての特殊攻撃による異常状態を全快させる効果があるのだ。
しかし、紫苑の落下に米粒は間に合いそうにない。
「何をする気か知らぬめが、何もかも手遅れぬめ!」
ばくん、と口を閉じる音がして、紫苑の体は巨大ウナギに呑みこまれた。
「紫苑様!!」
式神が騒いだ。
「わーっはっはっはっ! 消化に悪いもののようだ、胃の中がガサガサしているよ! わーっはっはっはっ! ……ん? ガサガサ?」
そのとき、巨大ウナギの笑い口から、白い線が出てきた。
「即死攻撃の身代わりはガフに任せるにゅるる」
白い線と思ったものは、巳(み・蛇)だった。紫苑の代わりに呑みこまれたのだ。脱皮して、また一回り小さくなっている。
「お前は紙を食べただけにゅるる」
「てめえ、ぬか喜びさせやがって!」
胃の中に戻って動き回る巳が気持ち悪く、口を開けて吐き出そうとする巨大ウナギに、米粒を食べてまひから回復した紫苑が駆けた。
「体表は術を弾いても、体内に直接なら入る可能性がある!! 卯!!」
「はいっぴゅ!」
卯が紫苑の隣についてきた。
紫苑は炎の収束の訓練と、空竜姫の見せた、中央に矢を放つ弓の舞を思い描いた。
「中央に向かって、一気に力を集中!! 炎・雪舞!!」
雪のように丸い火の玉が紫苑の周りに無数に生じ、巨大ウナギの口という一点に収束して、突進していった。
「ググボッボボボッ!!」
息の詰まる攻撃と火傷の熱さに巨大ウナギが身をよじる。間髪を容れず、寅が叫んだ。
「炎・雪舞!!」
声を拡大する卯の力で、主と同じ術を出す寅の術が増幅され、巨大ウナギに炸裂した。
口から炎を吐きながら、全身の内臓を焼かれている。
「言霊は、はっきりした大きな音で放つと、威力が増すのよ。言霊を使う者にとって、ここ一番というときは強い味方なの」
しかし、巨大ウナギがそれに返事をすることは二度となかった。
紫苑は酉(とり・鳥)を召喚し直すと、血に穢れる白虎門の香炉に、限界清浄札を貼らせた。
「他のみんなは大丈夫かしら……」
紫苑はしかし、跳移陣で城へ戻り、城の守りについた。
「霄瀾、危ないと思ったらすぐに身を守れよ。オレが守りきれないときは、自分でなんとかするんだ、いいな」
「うん」
南の赤い朱雀門で、戦線から離脱した出雲が霄瀾を連れて、香炉に向かって駆けていた。
戦場が二度目でも、剣姫で何度も見ていても、やはり霄瀾にとっては耐えがたい視界であった。
人間が非人間的に殺されていくのは、まだ衝撃なしでは見られそうになかった。
そのうち、この残虐さを見慣れるときが来るのだろうか。
将来、敵をためらいなく殺せるようになるのだろうか。
自分の生存を守るために戦うのが戦争だ。
魔族と人間の関係に決着をつけたあと、霄瀾は人間同士争うために兵士になるときが来るのだろうか。
剣姫は、この世界を望み通りにできるのだろうか。
人魔双方の悪者だけを滅ぼし、真に戦いのない平和な世界を、現出させることができるのであろうか。
待ち望んでしまう。
血と肉の片の飛び交う血なまぐさい地獄で、霄瀾は祈った。
そんな理想を叶える力を持ったあなたに、期待してしまう!
「霄瀾。小屋の陰に隠れてろ。今からオレが札を貼る」
香炉の近くで、出雲が囁いた。
多数の魔物に取り囲まれれば霄瀾は万事休すなので、近くの家の小屋へ駆けようとしたとき。
「お前らって、この香炉を元に戻そうって奴ら?」
不意に霄瀾の頭上に風が向かってきた。
花が一つ、宙に浮いていた。
花びら一枚の直径は約二メートル。四枚の花びらと四枚のがくが、正方形があるとしたらその中に収まりそうである。
花びらは黄色と水色のまだらで、がくは黄緑色であった。雌しべと雄しべのあるべきところは空洞になっている。
茎も葉もない、花一つであった。
「お前が香炉を見張ってる奴か」
出雲が素早く霄瀾の隣に立った。霄瀾が守られるだけの存在であることを気取られないために、かばうように前に出なかったのだ。出雲一人で魔族たちの敵兵から守りきれない可能性が高い以上、一人で戦う者は自らの情報を極力出してはいけないのだ。
「式神と子供……? ガキが主人なのか?」
花は考えるようにゆっくり回転している。
出雲は自分の式神の縛りを表す交差紐で式神ということが相手に気づかれ、霄瀾を狙わせることになってしまったと思ったが、「戦えない」と思わせるよりはましなので、出雲はそのまま、霄瀾をかばわず前へ出た。
「どうせ両方とも殺すし、いいか」
そう言った浮遊花の空洞の部分から、吸引のような音がしだした。
次の瞬間、空洞から突風が発射されて、地面を直撃した。
とっさに霄瀾を抱えて跳んだ出雲のいた場所が、えぐれ散っていた。
風の大砲の直射弾が飛んできたようである。
それに出雲が気づくか気づかないうちに、浮遊花は空洞に空気をためて風の大砲を連射した。
出雲は霄瀾を片手で抱えたまま側転し、家の塀、物置と飛び移った。
どの風にも当たりはしなかったが、厄介な相手であった。
浮遊花が空洞で息を吸うときは何も起きないのだが、空気を吸うと同時に花の裏側で風が練り上げられるらしく、吐くだけで息が大砲になって出てくるのだ。
「せわしない野郎だぜ!」
いつまでも霄瀾を連れていると危険なため、壊れた塀のそばにおろすと、出雲は自分から浮遊花に向かっていった。
浮遊花の大砲を、右に左に足場を変えて避けながら、出雲が横から刀を閃かせた。
「フウッ!!」
突然、浮遊花が地に空気を吹きつけると、上空へ急速移動した。いくら攻撃しても当たらない出雲に対する、とっさの判断だった。
「チッ……逃げられた」
軽い着地音と共に、出雲が地に降りた。
空を自在に飛ぶ相手は、戦いが長引く。
自分より素早い相手も戦いが長引くことを知っている浮遊花も、さっさと次の手に出た。
「式神を黙らせるには、主を狙うべし!!」
「霄瀾ッ!!」
竪琴をおろす間もなかった。
浮遊花の吸気が、大砲のような吸引力を持ち、隠れていた塀ごと霄瀾の体を持ち上げたのだ。
浮遊花の空洞には、いつのまにかびっしりと鋭い歯が並んでいた。
「てめえっ!!」
飛んで出雲は神剣・青龍を突き出す。しかし、間に合わない。
ガブリ。
確かに何かを嚙む音がした。
空洞に霄瀾の胴体が完全に入っている。
「霄瀾ー!!」
出雲は絶叫と共に、空洞の周りを刀で引き裂いた。
悲鳴もあげず、浮遊花は、霄瀾とそして一緒に嚙んだ塀を落とし、後方へ一飛びした。なぜか歯をむき出して何かをこらえている風である。
「霄瀾!! 霄瀾!! ……あれ!?」
裏返った悲痛な声で霄瀾を空中で抱きかかえた出雲は、恐ろしい色がどこにもないことに気づいた。
地上に降りて、上体を起こした霄瀾は、まったくの無傷であった。
「霄瀾!! どこか痛いか!! 大丈夫か!!」
出雲の心配に答えて、霄瀾は真面目な顔で「大丈夫」と服についた泥をはらった。
「あいつ、ボクの背中の水鏡の調べを思いきりかんだんだ。出雲の青龍と同じように、神器はまずこわせるものじゃない。あいつの歯のほうが負けて、おっ欠いてたよ」
そして腹側の方は、一緒に飛ばされた壊れた塀が緩衝材になって、助かったのだ。
「そうか……、その竪琴はお前の盾だな」
出雲は安心して、今度はもう霄瀾の前に、かばうように立った。
「オレの相手の方が、楽だってわかったろ!」
浮遊花は、まだ歯を揺るがす痛みに耐えていた。嚙めないものに思い切り歯をたてたのだから、無理もない。
「ガキの分際で、よくもオレの歯を!!」
浮遊花が高速で回りだした。
そして、全方位に回転すると、あらゆる場所に風の矢を吹き始めた。
「うわあっ!!」
「動くな霄瀾!! オレに任せろ!!」
出雲の炎の技、火空散の火の玉が、二人の周りの風の矢を落としていく。
しかし、どの炎も、浮遊花に届く前に風の矢で方向をそらされた。
「くそっ、神剣・青龍が覚醒していれば、風の矢に足止めされないだろうに!」
それを聞いて、出雲の後ろで、霄瀾がはっとした。
五行の木火土金水のうち、木という素材は他に比べて弱い傾向がある。だがそれは物理的な戦闘での話であって、精神的な戦闘である術相手の戦いでは、最強の力を持っている。木の武器は術をそらしたり、切り裂いたりできるのだ。それは、木が五行中最も命の力を持っていて、精神的な防御機能をずば抜けて備えているからと言われる。
もし今出雲が木気の青龍の力を引き出せれば、浮遊花の風の術に押し返されることもなく、力押しで突進できるはずである。
「(ボクは、ラッサ王から青龍の曲をもらったんだ)」
それは青龍の力を抑えてしまう曲である。
しかし、自分のために刀を振る出雲の後ろ姿を見て、霄瀾は決心した。
「(青龍の力を弱めないように、ボクが集中しないで弾けば……)」
霄瀾の竪琴から、青龍の曲が流れだした。
「うっ!?」
浮遊花と出雲が同時に一瞬止まった。
「空気が重い……」
「青龍が重い……」
それから風の矢を再開した直後、浮遊花は、脳が追いつかないくらいの高速回転をしだした。
「ギュルルル! 死ぬ! 死ぬ! なんだ! これは!!」
めちゃくちゃに風が入って、めちゃくちゃに矢を放っている。
「暴走してるのか!」
出雲は、こちらの攻撃に対処できない今が好機と見て、火空散を五発、浮遊花に向かって一直線に発射した。
「うっ! くっ! 落としてやる!」
風を放てば放つほど回転数が高まり、矢が速い代わりに、あさっての方向へ飛んでいく。
それでもかろうじて火空散を全弾落とした。だが出雲にとっては、それはたいしたことではなかった。
浮遊花に肉薄するまでの盾になればよかったのだから。
「ちくしょう!! 当たれ! 当たれー!!」
浮遊花は大砲に移行することもままならなかった。
出雲にまっぷたつに斬り離されたからである。
「やったね! 出雲!」
浮遊花のあとに地面に降りた出雲に、霄瀾がはしゃいだ。
「ありがとな、こいつを暴走させてくれて。――その曲、前に露雩が歌ってた曲だよな。……風の攻撃に使えるって、どこで知ったんだ?」
その「間」で、霄瀾は、出雲が怒っているのかもしれないと急に顔が強張った。
それはそうだ、この曲はもともと青龍を弱めるための曲なのだから。
自分が将来、出雲の敵になるとみなされたくなかった。
「都で古い本をたくさん読んだときに、いくつかの本に少しずつ載ってた。露雩が歌ってたし、有名な曲だったんだなとは思ったけど、最初はまさか神器のための曲だとは思わなかったから、題名は覚えてないよ。これ一曲だけだったし、最後に読んだ本でそうだってわかったし」
霄瀾はとっさに嘘をついた。
「そうか……都にそんな本が……」
出雲はサアッと神剣・青龍を鞘にしまうと、限界清浄札を朱雀門の香炉に貼った。
霄瀾の心臓は早鐘を打っていた。




