桜都の桜姫第六章「神隠し」
登場人物
双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑、神剣・青龍を持つ炎の式神・出雲、神器の竪琴・水鏡の調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾、強大な力を秘める瞳、星晶睛の持ち主で、「水気」を司る玄武神に認められし者・露雩。
帝の娘・空竜姫、帝都一の陰陽師・九字、九字の式神・結双葉。
第六章 神隠し
霄瀾の学校の子供たちが、次々に行方不明になる事件が起きた。
警備兵がどんなに通りを巡回しても、いつのまにかふうっと、子供が消えてしまう。
誘拐か、事故か、魔族か――。
全貌の知れない行方不明に、人々の不安は募り、一旦「神隠し」と呼ぶことにした。
自分の知る世界の範囲外のことは、みな神霊の関わることとして扱っていくのが、人の世である。しかし、神隠しと名付けたからといって、子供が戻ってくるわけではない。
「ねえ、正気と保一、しらない?」
夏里、留羽、帆衣が、真剣な顔で霄瀾に聞いてきたのは、神隠しが出始めて一週間たってからのことだった。
親が登下校に付き添うほど皆が用心していたのに、夜のうちにいなくなってしまったという。
そう、神隠しは男の子ばかり狙っているのだ。
霄瀾の教室でも、既に半数の男の子が行方不明になっている。
政府や紫苑たちは呪いか幻術かの線で調べているが、今のところ手がかりはない。
ついに自分の友達まで。霄瀾は、決意した。
「あなたを囮にするなんて、絶対にだめよ、霄瀾!」
紫苑が反対した。しかし、霄瀾は退かなかった。
「神器は三人にあずけていくから。ボクに何かあっても、大丈夫だよ」
「そういう意味で言ってるんじゃないの!」
「ボクの友だちが、二人もいなくなったんだよ!」
霄瀾が大きな声を出した。
「友だちを助けない友だちなんて、もう友だちじゃないよ!!」
紫苑は言葉を失った。出雲がぽんと霄瀾の頭に手をのせた。
「よく言ったな霄瀾。オレたちがついてる。がんばれよ!」
「うん!」
「……」
紫苑は諦めたように息を一つついた。
「水鏡の調べを貸しなさい。神器を狙うだけの人間による誘拐を、防げるから」
「ありがとう……、紫苑!」
霄瀾は身軽になると、三人より少し先へ歩いていった。
大通りを外れ、子供たちがよく遊ぶ広場へ入る。
火点し頃、子供たちは家に帰って、もう誰もいない。
霄瀾が物陰に何かいないかのぞきまわっていると、目の前に、金色に近い光の粒が現れた。
「え? 虫?」
粒は、霄瀾の目の前で回り始めた。
それを眺めているうち――、霄瀾は目の焦点を失った。
そして、意思はなく体だけが、ある方向へ歩きだした。
離れて見ていた紫苑たちには、金色の粒によって起こった出来事が、わからない。
霄瀾の様子がおかしいと気づいたのは、出雲だった。
「砂利の中を歩いて草履の中にいっぱい小石が入ってるのに、痛がってねえぞ」
霄瀾は、砂利道を規則正しく歩いていた。
草履の中は小石だらけで、まっすぐ立てないほどだというのに。
「何かの術にかけられたの!? いつ!?」
露雩が落ち着きをなくす紫苑の肩を押さえた。
「とにかく敵の懐に入るしかない。霄瀾を見失うな」
霄瀾は、吊り橋もどんどん渡っていく。下の板の隙間から谷底が見えるはずなのに、恐がりもしない。
もし足を踏み外したらとはらはらする三人をよそに、霄瀾は吊り橋を渡りきった。
いつのまにか、城の北にある山、拒針山に来ていた。
これまでの道は、聖なる山への一般人用の参道だったのだ。
天を突き上げるような、見上げきれない高さだ。この山の向こうに何があるのか、想像もつかない。
そのとき、
「遂に……来たか」
と、霄瀾が低く呟いた。同時に、紫苑の抱えていた水鏡の調べに金色の粒が集まり、それが浮かび上がると、霄瀾のもとへ向かった。
「霄瀾!!」
竪琴を背負って歩き出す霄瀾と、追いかけた三人の間に、横からあばら骨のみの丁字の魔物が立ちふさがった。
「紫苑、出雲! ここはオレに任せて……」
露雩が剣を抜いたとたん、子供たちが百人、音もなく現れた。
「なっ!?」
神隠しにあった男の子たちだろうか、霊体だけで足がない。
「正気君! 保一君!」
二人もその中にいる。
彼らがばらばらに体当たりしてきた。まだ生きている場合、斬るのは精神を直接傷つける可能性があり、攻撃はできない。
「クッ……! 出雲、子供たちの肉体を探すのよ! 私は霊体の注意をひきつけるから!」
「霄瀾……!!」
出雲は悔しそうに霄瀾が遠ざかっていくのを目にした。しかし、百人が生きているなら肉体がどこかにあるばずだし、長く幽体離脱するのは、魂が肉体に戻れなくなる可能性があり、危険だ。紫苑たちが霄瀾のことを大切だと思うように、子供たちにも大切に思う親がいるのだ。どちらも助けなければならない。
紫苑は十二支式神を出して、子供たちを一人でも多く拘束した。さらに出雲を式神召喚する。
露雩は骨の魔物と戦っているが、硬い骨だからすぐ断ち切れるだろうと思っていたのが、実はばね状の柔軟な骨で、ガシャガシャと音をたてながら、露雩に斬りつけられるたび弾んで伸び縮みして、攻撃の威力を受け流してしまっていた。
露雩の方も、しばらくかかりそうだ。そして、戦いの場がどんどん離れている。
三人は、ばらばらになっていた。
霄瀾は、石の祠の前で意識が戻った。
大人が一人やっと入れるくらいの石の中、子供の霄瀾は難なく足を踏み入れた。
中には小さな真珠が一粒、石の台に捧げられていた。
霄瀾についていた金の光の粒が真珠に戻ると、真珠が金色に輝いた。
『やっと来たか、水鏡の調べを弾く者よ』
真珠から声が流れ出した。
「だれ!?」
霄瀾が祠の中を見回した。
『今は思念だけだ。真珠に意識のかけらを残す……、今のお前たちはその方法を失ったようだな』
恐る恐る近づく霄瀾に、真珠は語りかけた。
『私はラッサ王。お前を待っていた』
「えっ!! ラッサ王!?」
霄瀾の水鏡の調べが共鳴し始めた。
「はっ! はあっ!」
露雩の剣は、敵のばね骨を弾ませるだけであった。
「衝撃を吸収してしまうんだものなあ……」
露雩は、自分が吊り橋のところまで戻ってきていることに気がついた。
「! もうこうなったら……」
あばら骨の魔物が、自分から一瞬目をそらした露雩を刺そうと、素早く尾を振り下ろした。
露雩はそれを横に跳んでかわすと、後ろに回りこんで、神剣・玄武をかざした。
「神流剣!!」
水流が発生し、あばら骨の魔物を押し流していく。魔物も、その先が谷だということに気づき、必死にもがく。
しかし、水は容赦なく流れ続け、遂に魔物を谷底へ流し落とした。
「よし……! これでもう大丈夫……」
谷底を確認した露雩は、目を疑った。
なんと、あばら骨の魔物は、ばねを最大限に使って、谷の崖をあちこち跳ねながら、登って来ていた。
谷底に落ちても、ばねで衝撃を最小限に食い止めたのだろうか。
「……こいつ! どうやって倒してくれよう!」
のれんに腕押しのような相手に、露雩が苛立った。
「やめなさい! この子たちを操っている奴、出て来なさい!!」
紫苑は子供たちの霊体の攻撃をよけながら、術者を探した。だが、金の光の粒が舞うばかりで、どこにもそれらしき気配はない。
十二支式神も、子供を傷つけないように力を加減しているので、その制御に神経を使う。
「出雲……、早く肉体を見つけて!」
出雲はそこかしこの洞穴や物陰、恐ろしいと思いながらも沼の中などを探しているが、まだ子供たちを見つけられない。
「どこに隠してやがるんだ!? 早くしねえと!!」
金の光の粒が、幻惑するように出雲の周りに集中しているのを、出雲は気づいていない――。
「神隠しは、あなたのせいだったの!?」
霄瀾が竪琴を持って身構えた。
『水鏡の調べの使い手を連れて来ようとしたが、お前の「気」がついた者たちをさらってしまったようだ。悪かった。子供たちなら金の光の粒を食べさせて生かしてあるから、安心しなさい』
それを聞いて、霄瀾はほっと一息ついた。
「どうして会いに来なかったの? それに、何か用があるなら、ボクもラッサの民だし、言ってくれれば来たのに」
『陽の極点に知られぬためだ』
金の真珠は即座に答えた。どこか、急ぎ始めた風になった。
「陽の極点? なにそれ? 確か燃ゆる遙は陰の極点だよね」
『人間の運命はお前たちの手にかかっておる。四神の一つ、青龍の力を減じる曲を与えよう』
唐突な提案に、霄瀾は気が動転した。
「えっ!?ボク、そんなのいらないよ!!」
出雲の顔が、真っ先に思い浮かんだ。
『気をつけよ。集中を忘れれば、青龍の気を強めてしまう……』
霄瀾はその「青龍の力を強める」という言葉を聞いて、逃げるのをやめた。
金の真珠から流れ出た力が、祠に響き渡って、霄瀾の中に音楽となって入りこんでいく。
「これが、青龍の曲……『青龍』!」
霄瀾の全身が震えた。まるで自分の体が楽器になって、鳴っているようだった。
神の曲を降ろす喜び。
神の楽器になる喜び。
幼い霄瀾の中で、この感動は一度味わえばもう逃れられない何かだと、わかった。
その興奮に包まれる神器の使い手に、ラッサ王は語りかけた。
『ラッサへ来い。私の今の思念では、これが……限界……』
曲を渡して、金の真珠の力が弱まってきていた。
「ま、待ってよ! まだ何の説明もしてもらってないよ!?」
霄瀾は金の真珠に必死に呼びかけた。光が明滅して消えかけている。
『ラッサはこの拒針山の裏にある……ここは聖地……だから皆ここに都を……頼んだぞ子供……四神が集まる前に……三種の神器を集めよ……人間を守る最後の楽器を……』
真珠は光を失うと、真っ黒になって、砂と化し、崩れていった。
霄瀾は謎の前に立ち尽くしていた。
ただ、青龍の曲だけが頭の中で繰り返し流れていた。
その曲は、なぜか露雩が以前歌っていた歌と、まったく同じ旋律だった。
露雩に骨を刺そうと迫ったあばら骨の魔物は、急に停止すると、岩の祠の中へガシャガシャと入り、そこで横たわって、動かなくなった。
死んだ骨に戻ったかのように、全く動かない。
「山を守る者だったのか……?」
露雩が岩の中をのぞいたとき、
「あっ!!」
一面の光に圧倒された。
そこは、きれいな結晶光を放つ、岩絵の具で「光り色」と呼ばれている希少な岩でできた、祠だった。光り色とは、塗っただけで光にあてると輝く、豪華で美しい色のことである。結晶を含んだ、輝く岩絵の具だ。
「……少しくらいなら、採っても怒らないだろ……?」
露雩はそーっと忍び足をして、魔物からなるべく離れたところで、岩絵の具を採取し始めた。
出雲の周りから金の光の粒が消え失せたとき、出雲は自分の目の前の草原に子供たちが横たわっているのに気がついた。
霊体が次々に戻ってきて、目を覚ます子も出ている。
正気と保一は、真っ先に起き上がった。
「あ……あれ? オレたち……」
「なんだ!? 紫苑が敵を倒したのか!?」
出雲はあちこちで目を覚ます子に右往左往しながら、子供たちが勝手に歩き回らないよう目を配った。
「霊体が戻っていく……。よかったわ」
紫苑は式神を戻し、霄瀾を追うために一歩踏み出すと、その足元を影が覆った。
「!?」
反射的に空を見上げると、巨大な影から光が一粒落ちてきた。
真珠だと気づいたそれが強烈な光を放ったと思った瞬間、紫苑の脳裏に二本の剣が浮かんだ。
「これは……、私の双剣?」
二本は天降りの日に降り下りた。
紫苑の思考に、情報が流れこんでくる。
その名は「桜」と「紅葉」。
「桜」は春分の日の満月が南天したときに月の力を降ろした月剣。
「紅葉」は秋分の日の明け方、日の出と共に太陽から力が飛んできたときの日剣。
月と太陽の力が拮抗する、対等な神器。
「名前」を手に入れたとたん、紫苑の両眼に激痛が走った。
「(ぐうっ! これは……! 私が『シオン』から『紫苑』を、生きる目的を取り戻した感覚……!!)」
「桜」と「紅葉」の輝いた光が、一瞬紫苑を囲んで交差した。
「人間があくまであがくなら、我々は世界を正すだけ。さあ、力を取り戻した『目的』よ、汝はどこまで飛ぶか」
声がやんだとき、影は失せ、黒い砂になった真珠が転がっていた。
紫苑の瞳の奥が一瞬多角形を見せたことを、誰も知らない。
「私は、どうしても力を望まれるのだ……」
紫苑は、遠い目をした。
実は、露雩の玄武神紋を見たとき、「私はもう、この世に必要なくなった」と、漠然と思ったのだ。
だから、自然と中道の力が解けたのだ。
露雩がいれば世界は救われるのだから、と。
「たとえ私が心を変えても、これまでに人を殺した罪は消えないのだ。私が罪を償うためには、死ぬしかないのだ」
霄瀾が絶句して紫苑の前に現れた。
「霄瀾、無事だったのね。良かったわ」
「よくないよ!!」
何もなかったように話を進める紫苑に、霄瀾は叫んだ。
世界のために生きたのに、露雩と自分の愛を知りながら、それでもその世界を守るために死のうとしている。
霄瀾は後悔した。紫苑と露雩が仲違いするなら、止めなかった。二人が会って楽しく過ごすと本当は知っていて、だだをこねるふりをして邪魔した。空竜にも話して、台無しにした。
紫苑と出雲を自分の両親に見立てたいという、自分の勝手な怒りと願いで、死を覚悟している人の望みを、ことごとく邪魔したのだ。最後に、露雩との思い出を作りたいという彼女の望みを、潰したのだ。
「紫苑……」
「なに?」
霄瀾は、うまく言えなくて涙が流れた。
「ボクが」
「うん?」
何も知らない紫苑に微笑みかけられたとき、霄瀾は紫苑に抱きついた。
「ボクが、死なせないから!! だから好きに生きて!!」
わああと泣きだす子供の頭を、紫苑は優しくなでた。
「ありがとう霄瀾。でもね、私は……星方陣を成したあと、何も考えていないのよ」
そこまでしか自分の命を許していないのだと知って、霄瀾は大声で泣いて紫苑にしがみついた。
「星方陣撃剣録第一部紅い玲瓏五巻」(完)




