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星方陣撃剣録  作者: 白雪
第一部 紅い玲瓏 第五章 桜都の桜姫
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桜都の桜姫第三章「望みの愛会(まなえ)」

登場人物

双剣士であり陰陽師でもある赤ノ宮紫苑あかのみや・しおん、神剣・青龍せいりゅうを持つ炎の式神・出雲いずも、神器の竪琴・水鏡すいきょうの調べを持つ竪琴弾きの子供・霄瀾しょうらん、強大な力を秘める瞳、星晶睛せいしょうせいの持ち主で、「水気」を司る玄武げんぶ神に認められし者・露雩ろう

帝の娘・空竜くりゅう姫、帝都一の陰陽師・九字くじ、九字の式神・結双葉ゆいふたば




第三章  望みの愛会まなえ



「ふ……ふらふらだわ……」

 小一時間後、紫苑と露雩がよろめきながら森から出て来た。

 あれから紫苑は服を脱がされる途中で、

「結婚したらなんでもしていいぞっ!」

 胸の前を両手でかばって、

「私もなんでもしてあげるぞっ!」

 と、初めて使う必殺の笑みで露雩の視界を直撃したのだ。

「(結婚していいんだ! やったーやったーやったー)」

 が、露雩の中で反復したとき、彼はその興奮に思考が耐えられず、気絶してしまった。

 何キロあるんだというくらい重い露雩がずっと上に乗っていて、紫苑はへろへろになったし、露雩も気絶から回復した直後で頭がぼんやりしていた。

「それで? 出雲の裸はどうだったんだっけ?」

 はっきりしない頭で、露雩が聞いた。

「後ろ側の背中とお尻と脚しか見せなかったわよ。……そ、そりゃあ、ちらっと見えるものは見えるけど」

 紫苑は口ごもった。今でも思い出す。紫苑に後ろ側の裸を洗ってもらっている出雲の全身は、ゆであがったように真っ赤だった。よっぽど恥ずかしかったのだろう。

「ちょっとかわいかったかも」

「ナニが!?」

「気のせいっす!! なんも言ってないっす!!」

 紫苑は即答した。

「……明日、午後休みもらったから」

 露雩は仏頂面で言った。

愛会まなえ、しよう」

 紫苑が石に蹴つまずいた。

 愛会まなえ

 意味・「若い男女が会う機会のこと。逢瀬おうせより気軽な意味」。

 注・「恋人同士が会う約束をして実際に会うこと」。

 一瞬、意味がわからない。

 地面に座りこむ紫苑の前に、露雩はしゃがんだ。

愛会まなえ、しよう。紫苑」

「ぐは……」

「石に頭をぶつけに行かなくていいから!!」

 露雩が慌てて紫苑の頭を両手で押さえた。

「……オレとじゃ、いやか?」

 両手で紫苑の頬を包み、顔を寄せる。至近距離で上目遣いに返答を待っている露雩は、いつものおおらかさがなくて、なんだか優しくしてあげたくなるような頼りなさがあった。

 どこにでもいる、彼女に嫌われたらどうしようと不安な、彼氏の、顔――。

 そんなとき、彼女がどうしたらいいか、彼女は知っている。

 紫苑は目を閉じゆっくりと露雩の唇へと――

「ねえ。おせっきょうはすんだの?」

 突然、耳もとで冷ややかな声が響いた。

「ショッ! ……ウ瀾、い、いつからここに!?」

 霄瀾が、二人のそばで苛々(いらいら)した目つきをして立っていた。

「たったいまだよ。明日、じゅぎょうさんかんだから。紫苑、おかあさん役で来てくれるよね?」

 霄瀾は、短い間だが、都の学校に通って勉強することにしていた。

「え、ええ、午前中ね。大丈夫、わかってるわよ。出雲がお父さん役で、露雩が――」

「おにいちゃん」

 霄瀾がぶっきらぼうに引き継いだ。

「ぜったい来てね!」

 霄瀾が怒ったように帰って行った。

「(……紫苑のことが好きなんだなあ……)」

 露雩は苦笑した。紫苑は何も言わなかった。


 翌日。授業参観が始まった。

 子供たちは、さりげなく上等な服を着せられている。

 大人たちは、けっこう上等な服を着ている。

 霄瀾は緑羅りょくらをあしらった新しい服を着せてもらっていた。相変わらず、五芒星ごぼうせいの形の水鏡すいきょうの調べを、水晶磁石という特別な磁石で背中にくっつけて背負っている。

「おい、お前の母ちゃん、どこにいるんだ?」

 昨日、友達になった少年――くせっけの髪の正気まさきが、霄瀾のひじを肘で小突いた。

「んー? あそこ!」

 霄瀾はちょっと得意気とくいげに、赤い髪が目立つ「母」を指差した。

 それに気づいて、化粧をした、黄白色の着物の「母」が、軽やかに手を振った。

「マジかよ! どえらい美人じゃん! すっげー霄瀾!」

「え? なになにどうしたって?」

 すぐに周りの子たちが集まってくる。

 抜群に美人な紫苑を見つけて、悲鳴のような感嘆の声をあげる。

 霄瀾は鼻高々だった。居並ぶどの母親たちよりも、「母」の方がきれいだった。

 幼い心に、何かがなみなみとそそがれていくようだった。

「……“古の国ラッサは聖なる地を都と定め、呪術の力によって支配される時代を作り上げました。天降あめふりの日に降り下りた神器を、千以上集めていたと言われています。しかし、使い手が現れず、王国滅亡の際にも神器が活躍することはありませんでした。数ある神器は現在の統一王朝が支配するまでに、多数の軍兵によって、各地に持ち出されて散逸さんいつしてしまいました”」

 霄瀾が教科書の内容をそらでよどみなく発表すると、父兄からどよめきの声があがった。

 ラッサの歴史の章を、まるまる暗記していたからである。

「すごい記憶力ですね、素晴らしい!」

「うちの子はできなかったのに……!」

 ひそひそと囁きあう親たちを見て、出雲が頬をかいた。

「なんか……こっちは誇らしいな」

「そうね。霄瀾とっても勉強したのね」

 ラッサの民の末裔まつえいだから、降鶴ふるつるに教わってちゃんと理解していたというのもあるのだろう。

 気がつくと、席に座った霄瀾がじっとこちらを見ていた。

 紫苑は「やったネ!」というふうに小さく拳をあげて、「おー!」と歓声をあげる仕草をした。

 霄瀾は満面の笑みを浮かべて、机の下で紫苑と同じ仕草をして返した。

 その後授業は、神器を目にした人々の欲がその人自身を自滅に追いやったという事例を挙げ、実際に神器を前にしたらあなたはどうするかと考えさせ、「神器を見つけたら売らない・買わない・奪わない」という標語へと導き、国庫へと返還することを教えて終了した。

 午前十時。子供たちが紫苑の周りから離れない。

「おばさんすげー! オレの姉ちゃんより若いかも!」

「いーなー霄瀾、いーなー! オレの母さんももうちょっと気あい入れてくれればなー!」

 男の子たちは自分の母と比較して無念そうに首を振った。

「おじさんもすてきですね! さすが霄瀾くんのおとうさんです!」

「兵士なんですかあ?」

 女の子たちは、霄瀾が出雲のどこに似たのか探っている。

 正気まさきが、露雩に気づいた。美形なので、紫苑たちの縁者だと考えた。

「霄瀾、この人は?」

「おにいちゃん」

「へ? 母ちゃんがこんなわかくて、こんな大きい兄ちゃんいるの?」

「うわーっ! は、はらちがいなんだ!」

 霄瀾は精一杯の単語を並べた。

「そうか……はらちがいか……」

 よくわからないけれども、正気は深々とうなずいた。

 女の子たちは露雩を見て、その美貌に開けた口を閉じることができなかった。

「こんなかっこいい人のお嫁さんになりたーい!」

 ぴょんぴょん飛び跳ねあった。

「えーっ、そんなああ……」

 男の子たちは肩を落としてガックリしていた。

 本来なら子供たちの帰った後に父兄の集まりがあるのだが、霄瀾が「一緒に帰ろう」と言ってきた。

「どうせ一か月もいないんだし、出たって意味ないよ」

 それより、霄瀾は紫苑と出雲と両手をつないで帰りたいようだった。

「オレが出ておくから、みんなで帰っていいよ」

 露雩の申し出に甘えて、三人は手をつないで、他の子供たちと一緒に帰った。

「あーあ、じゅぎょうさんかんが体育だったらなー! 母ちゃんにもカッコいいとこ見せられたのになー!」

 正気が石ころを蹴った。

「お母さんは家庭科じゃなくてよかったって言ってた。料理させてないのバレるところだったってさ」

 大きな花柄のいい着物を着ている女の子、夏里なりが、その石ころをよけて歩いていく。

 どんなに親が隠しても、子供はなんでもしゃべってしまうものである。紫苑は心の中で苦笑した。

「なあ、正気の母さん、前掛まえかけつけて来てなかった?」

 坊ちゃん刈りの男の子、保一たもちが石ころを次に蹴った。

「んなわけねえだろ!? あれは母ちゃんのふだんぎだよ! ……え、まって、あれふつうまえかけっていうの?」

「そう思うけど」

「マジかよ! 母ちゃーん!!」

 正気が頭を抱えて目をつぶった。

「あははは、正気んちって、おもしろーい!」

 二つしばりの女の子、留羽るうが、盛大に笑った。

「そういえば、霄瀾くん、今日のじゅぎょうすごかったねー! しゃかい、とくいだったの?」

 短い髪の女の子、帆衣ほいが、霄瀾に話しかけてきた。

 霄瀾は、昨日友達になった五人に答えた。

「たまたま好きなところがじゅぎょうに出ただけだよ。ボク、音楽のほうが好きなんだ」

「そういえば、いつもそのたてごと持ってるよね」

 五人の視線が水鏡すいきょうの調べに集まった。

 霄瀾以外に弾けないことがわかったら、子供たちはこれが神器だと気づいてしまうのではないか――。一瞬紫苑がそう考えたとき、

「なあ、なんかひいてみせてくれよ!」

「わたしも、聞きたーい!」

 子供たちは、鑑賞する方に興味が湧いたようであった。

 しかし、神器を往来で演奏するのはよくない。

 紫苑と出雲は、子供たちを城の自分たちの部屋へ案内した。

「へー、霄瀾て役人の子だったのか」

 子供たちは何も疑わず、霄瀾の竪琴に聞き入り始めた。

 午後十二時。

 お昼になって、露雩が戻って来た。

「みんなそろったし、お昼ごはんですよー」

 紫苑が大きなおひつを机の上に置いた。

「あーっ! ごもくちらしだー!」

 子供たちが集まって来た。

「ニ……ニンジン……」

 留羽るうが一歩離れた。

「大丈夫だよ。おかあさんの料理はおいしいから!」

 霄瀾の笑顔に、留羽はぎこちなく座布団の上に座った。

「おかわりはいくらでもあるから、たくさん食べてね!」

「はーい!!」

 しじみの味噌汁みそしるを一人ひとりに置く紫苑に、子供たちは大きな返事をした。

「で? 父兄の懇談会はどうだった? 露雩」

 子供の食べながらのおしゃべりにまぎれて、出雲が聞いた。

「たいした話はなかったよ。でも、みんなが霄瀾をめてたよ」

「そうか。あとでオレたちも褒めてやらないとな」

「そうね」

 紫苑は留羽がおっかなびっくりニンジンを食べてみて――、意外とおいしい味だと気づいたような顔をするのを見届けてから、出雲にささやいた。

「ねえ、私、午後抜けていいかしら。ちょっと……頼まれ事があるの」

 露雩と愛会まなえする、というのはどうも他人に言わなくていいことに思える。

「九字の雑用か? わかった。この子たちはオレが見てるから」

 出雲は勝手に解釈した。露雩は黙ってはしを動かし続けていた。

「えーっ!! おかあさん、出かけちゃうの!?」

 昼食後。

 明らかに「イヤだ」の顔をして、霄瀾が叫んだ。

「ごめんね霄瀾。頼まれ事だから……」

「やだー!! おかあさん、行っちゃやだー!!」

 霄瀾が紫苑にしがみついた。

「お父さんがいるから――」

「おとうさんだけじゃやだ!!」

 はっと、紫苑は口を閉ざした。

 友達がいなければ、出雲も紫苑も父と母を演じてはくれない。霄瀾は、今日だけは、「両親」がいるのだ。

「……」

 紫苑は、霄瀾の肩をそっと抱いた。そして、無言で露雩を見た。

 うん、いいよ、という表情で、露雩は優しくうなずいた。自分たちには次の機会がある。でも、霄瀾には「今」しかないのだ。望み通りにしてあげよう、と露雩は目で答えた。

「わかった。お母さん、今日はおうちにいるわ」

「ほんと!?」

 霄瀾が顔を輝かせて紫苑を見上げた。

「良かったな霄瀾。……」

 いいのか、と出雲が目で問いかけた。

 紫苑は、うん、と笑った。

「式神が買いに行けるといいのにな。九字の式神ならできそうだよな」

「式神ねえ……、あ、そうだ!」

 紫苑は、部屋の中を駆けずり回る子供たちを呼んだ。

「おばちゃんね、とってもかわいいお友達がいるの」

「え? おばさんよりきれいなの?」

「だれー? だれー?」

 紫苑は陰陽師として式神召喚を行った。

 紙でできた十二支の式神が、部屋いっぱいに所狭ところせましと現れた。

「うわー、どうぶつさんだー!」

「かわいー!」

 女の子たちが真っ先に飛びついた。

 男の子たちは手品を見たときのように目を白黒させている。

「さ、みんな! 自己紹介して!」

 紫苑が白い十二体に指示した。小さいねずみが後ろ足で立った。

「ますはチュウからでチュウ。チュウは“”、ねずみでチュウ。チュウが背負ってる米俵には触っちゃダメチュウ。マヒするチュウ」

 銅板のような体で、真正面から見るとき極端に狭い牛が頭を上げた。

「次はモウだね。モウは“うし”、牛だね。呪い返しのときはモウの出番だね」

 十二支の順番に、名乗りをあげていく。

「ヴォーは“とら”、虎だ。あるじと同じ術を繰り返せるぞ」

「ミュンは“”、うさぎっぴゅ! 小さな音をものすごく大きくできるっぴゅ!」

 は、太鼓のように平たく丸いお腹を叩いた。

「ゴウガは“たつ”、竜。大きくなったり小さくなったりできる」

「ガフは“”、蛇にゅるる。即死攻撃のときはガフが身代わりになるにゅるる」

「イーヒは“うま”、馬ヒヒ。尻尾は筆で、イーヒの体にそれで術を書くとイーヒが敵陣に突っこんだとき、その術でひっかきまわせるヒヒ」

 うまはとても細身の体であった。

「メェは“ひつじ”、羊メェ。綿の枕でどんな相手も眠らせるメェ」

 顔が羊毛の中に埋もれ、周囲を二つの綿雲が漂っている。この式神だけ素材に綿も入っている。

「ウッキーは“さる”、猿ッキー。他人の心臓が入るとその人の術が使えるッキー」

「ッピは“とり”、鳥ッピ。離れた場所へ書物や手紙を伝えるのは得意ッピ」

 首の長い鳥で、巻物を背に縛りつけている。

「ウルルは“いぬ”、犬ル。足が痛むからくつ下はいてるル。くつ下脱いだら、十二体の中で一番足が速いル。一度かいだ匂いは、どこにいてもたどるル」

 四本の足すべてに茶色のくつ下をはいている。

「ブルンは“”、猪だブン。突進した相手の平衡感覚を狂わせるブン」

 顔にかぶとをかぶっている。

 子供たちは、いっぺんに友達が増えたことに大はしゃぎした。

「わたし、ひつじの綿枕ほしいー!」

、かわいー!」

「ねえうま、乗っていい? え? 紙だからむり?」

いぬの茶色いくつ下ー!」

とらの牙って、それも紙なの?」

 子供たちは、お気に入りの式神に話しかけている。

「……毎度のことにゅるる」

「特徴のあるヤツが売れてくッキー」

 普通の蛇や猿と変わらない姿のさるは、達観した様子ですみっこにたたずんでいた。

 そして、みんなで大いに遊んでいるうち、子供たちは眠ってしまった。

「おい、今のうちに行ってくれば」

 出雲が耳打ちしたが、紫苑は首を振った。

「いいの。霄瀾に、おうちにいるって約束したから」

 紫苑は、ひつじの綿枕で気持ち良さそうに眠る霄瀾の寝顔を、優しく見守った。

 午後三時になった。

「みんなー、おやつの時間ですよー」

 子供たちが紫苑の声に目を覚ました。

「あっ! どらやきだ!」

 ほんのり温かいどら焼が、皿の上にたくさん盛られていた。

「いただきまーす!」

「あっうめえ!」

「すごい! 皮がおいしい!」

 子供たちは、おいしそうにどら焼をほおばった。

「あれ? このあずき……」

 霄瀾が、大粒の小豆あずきに気づいた。

「ふふっ。観月村かんげつむらでいただいた小豆よ。皮には、増肢村ぞうしむらの近くで蜂の魔物に分けてもらえた蜂蜜を使ってるの。コクがあるでしょう?」

 紫苑は、霄瀾が授業参観から帰ったら、がんばったねの意味を込めて、このお菓子を用意しようと決めていた。夕食後の甘味にしようと思っていたのだが、友達のために早めに出すことにしたのだ。

 霄瀾は驚いた。おいしいものを自分たちで食べないで、霄瀾の友達に出してくれた。霄瀾が「母」を自慢できるように。友達と仲良くできるように。

 自分が昼寝していても、どこにも行かずに、料理をしていてくれた。

 霄瀾の心の中に、温かな何かがなみなみとそそがれ、胸がいっぱいになった。

「紫苑は本当にすごいなあ。子供を安心して任せられるよ」

 しかし、どら焼を食べながら笑った露雩の言葉を聞いて、霄瀾の顔はさっと青くなった。

「ねえおかあさん、もうお出かけしていいよ」

「え?」

 紫苑は面食らった。

「いいのよ霄瀾、今日はもう……」

「いいから、行ってきなよ。ボクたち、外であそぶから。ねえ、みんな?」

「そうだな。ひるねして、おやつ食べて、元気になったからな!」

 六人の子供は、外へ行ってしまった。

「じゃあ……出かけてこようかな」

 ちら、と露雩と目を交わしながら、紫苑が食器を重ねた。

「オレが残ってるから。……あと、この十二体、出したままにしといてくれるか」

 出雲が紙式神に近づいた。

「同じあるじを持つ式神同士、こんな機会滅多にないから、ちょっと話してるわ」

 畳の上にあぐらをかいた。

「じゃ、オレも外に出るから」

 好機とばかりに露雩がさりげなく声をかけた。

 出雲は一人になりたかったらしく、渡りに船とばかりにうなずいた。

「あ、ねえみんな。ボクちょっと用事があるから、しばらく抜けるね」

 外に出たとたん、霄瀾が立ち止まった――。


「露雩の裸を見たバツとして、愛会まなえすることになった」。

 それ以上考えたいような、考えるのはまだ早いような。

 理由はどうあれ、「恋人同士でする」愛会は愛会だ。紫苑は前夜、はやる気持ちを抑えつつ、鏡の前で、肩までしかない短い髪をあちこち触って、考えこんでいた。

 時折困ったような、恨めしそうな目を、肩にやっと届く髪にそそいで、時が過ぎていった。

 午後三時半。

「おまたせ!」

 城門で待っていた露雩は、紫苑の声に気づいた。

 紅葉の柄の着物。後ろ髪を残して、側頭の上部で二つに結わえた髪。

 剣姫を内に秘めた紫苑が、髪型を変えて女の子らしくするのは、珍しいことだった。

 この短い髪では、紫苑はこれしか思いつかない。似合っているかどうか、露雩に近づく勇気が出ない。

 すると、露雩の方から歩いてきた。

「かわいいね。しばったんだ」

 その微笑みを見て、紫苑は安心したように、

「うん!」

 と、小走りに前へ出て、露雩の隣で紅葉のようなだいだい色の金魚の巾着を、楽しげに揺らした。

 紫苑はこれまで生死の境界線をさまようことにしか興味がなかったので、流行の着物の柄も、装飾品も、髪型も、まったく知ろうとしてこなかった。

 しかし、彼女の中で確実に何かが変わった。

 人並ひとなみに、年相応の女の子として生きてみてもいいと、心の中で点ながら思ったのである。そんなことにうつつを抜かすのも悪くないと、思えたのである。「この人が見てくれるなら、もう少しがんばってみてもいい」――と、思えたのである――。

 大通りの画材屋は、すぐ見つかった。

「さすが都だ。たくさん色がある」

 夢中で岩絵の具を眺める露雩は、すぐに品ぞろえのより豊富な本店へ向かい、好きな色をいくつも店のざるに乗せ、お会計のあとはそれらの塊をふろしきで包んで店を出た。

 そして、都の名物という魚料理の店へ入った。

 都の北東には海があって、そこでれる魚介類は、大消費地である都へ運ばれていた。

 様々な魚が豊富なため、たくさんの料理が生まれた。ふぐ料理、鯛めし、刺身、づくり、うなぎのかば焼きにそのきもの吸い物、鍋、つみれ汁……。

「魚づくしの大皿料理は夜からか……、あっ! マグロとエビとホタテのしゃぶしゃぶがあるよ。おいしそうだね」

「え? ええ」

 ぐわー、完全に! 間接チュウだー!! ど、どうしよう、本物もまだなのに、いいのかなっ、物事には順序があって、これは何番目に来るんだろう!? いやいや、考えてもしょうがないんだけど!! と、紫苑は注文している露雩を見ながら心がすっ飛んだ。

 料理を待っている間、露雩は穏やかに紫苑を眺めていた。この柔らかそうな髪に触ってみたいなあ……と、ぼんやり考えていた。玉呼山たまよびやまで紫苑に唇を出されて以来、ずっと紫苑のかわいらしい姿が頭から離れない。好きなだけ抱き締めていられたら……と、露雩は悩んでいる。

 紫苑は料理のことで頭がいっぱいで、せわしなくお茶を飲んでいた。

「(はっ! 愛会まなえなんだから、お話しなくちゃ!)」

 紫苑はようやく気づき、湯飲みを置いた。

「えーっと……、今日の私の料理、おいしかった?」

「うん。おいしかったよ。また食べさせてくれる?」

「もちろんよ!」

「今度、料理してる紫苑を描いてみようかな」

「いいわよ。けっこうたまった? 絵の方は」

「少しずつかな。その場じゃなくて、宿で描いてるんだ。たくさんのことを旅で経験してるから、何日かに分けてるよ」

「もし見せてもいい絵ができたら、見てもいい?」

「いいよ。ちょっと恥ずかしいけど、紫苑はきっと笑わないと思うから」

「笑うわけないでしょ、露雩が大切にしてるものを」

「そうよねえ、笑えないわ。この私を差し置いてぬけがけ愛会まなえするなんてねえ!」

 いつのまにか、陰険な顔つきで眉間にしわを寄せた空竜が、両手を腰に当てて紫苑と露雩を見下ろしていた。

「ひ、姫様! どうしてここが……」

「大通りにいないなら、どうせどこかでお茶してると思ったわよ。飲食店全部見てまわったんだから! 参ったかあ!」

 犯罪人を摘発する宿改めか。

 そこへ、魚介料理の鍋が運ばれてきた。

「ちょっとお! これ、しゃぶしゃぶじゃない! 認めないわよお! 私と露雩ならともかくう!」

 案の定、空竜が騒ぎだした。露雩はにしんそばを三つ、その場で新たに頼んだ。

「新しいはしも三つ、すぐお願いできますか」

 最初に露雩と紫苑の席にあった箸を、魚介の入ったざるにのせた。

「姫様、この箸でゆでて、召し上がるときはご自分の箸でどうぞ」

「……ふうん……。まあ、露雩がそう言うならいいか。おいしそうだし」

 空竜は後ろの席からイスを引き出すと、二人用の机の横に腰かけた。

 通路のど真ん中で迷惑もはなはだしいのだが、お姫様に逆らう者はいない。

 しばらく、無言の食事が続いた。

「(う~っ、二人きりの鍋が~)」

 紫苑は残念無念と箸を動かした。

「絶対に口をつけるな! 緊張百倍!」の鍋が終わって、にしんそばに移ったとき、空竜がほっとしたのか、ぺらぺらしゃべりだした。もちろん、紫苑を無視して、露雩にばかり話しかけている。

「それでねえ、帝都と西国を結ぶ白虎びゃっこ門からの大道はあ、一年桜が両側に一キロ、植わってるのよ!」

 空竜はうっとりと手を組んだ。

「その葉が生えることも黄色く赤く色づくことも枯れ落ちることもない、永遠の花園、桜橋さくらばしっていうのお」

 そして、両手を頬に引き寄せて、顔を傾けた。

「あなたといつまでも、そこにいたいわ!」

 上目遣うわめづかいの空竜の攻撃を見て、紫苑はそばが喉につかえそうになるほど動転したが、露雩は平然としていた。

「桜橋がとってもきれいな所っていうのはわかりました。今度紫苑と行ってみます。教えてくれてありがとうございます」

 空竜はしばらく呆然としていた。そして、断られたことに気がついて、ふつふつと怒りがこみあげてきた。

「なんで紫苑と行くのよお! 私が行きたいから教えたのよ! 私がお姫様だからって、遠慮しないでちょうだい!」

 そして、キッと紫苑を睨みつけた。

「……あんた、笑ったわね!」

「え?」

「お姫様が身分違いの恋してるわとか、平民の露雩が気後れしてるのに気づかないのかしらって、笑ってるんでしょ!」

「そんなこと……!」

 そんな見当違いなことは微塵みじんも思っていない。

「ふん、平民を夫にできるわけないってタカをくくってるんでしょうけど、見てなさいよお! 私は昔から、欲しいと思ったらなんでも手に入れて来たんだからあ!」

 紫苑が固まったとき、空竜はざまあみろというふうに顎をあげ――、ふと、店の柱の貼り紙に気がついた。

「『帝都美少女決戦大会』? ああ、今年もやるんだあ。あっ、今日の六時から……!」

 時刻は午後五時半。

「んっふっふっふ、紫苑、私に負ければもう露雩にまとわりつこうなんて、思わないわよねえ?」

 再び眉間にしわを寄せた陰険な目で、空竜は紫苑に笑いかけた。

 嫌な予感しかしない。


 帝都美少女決戦大会。

 二十歳以下の少女たちが、「帝都一の美少女」の称号をめぐって、特技を披露ひろうする大会である。一人一票を持っている観客を技で感動させ、一番多くの支持を集めた少女が勝利する。

「受付番号三十番! 早良はやらです! 歌と踊りをします!」

 野外会場の特設舞台で、軽快な音楽が流れ、短く切った着物姿で、十三才の少女がはつらつと踊りだす――。

「……これって上司の威圧的な暴力に入らない?」

 最後に受付を済ませた(勝手にされた)紫苑は、憂鬱ゆううつうめいた。まさか、神事でもないのに神楽を舞うわけにもいかないし。

「去年優勝した都一みやこいちの美貌、『白翼はくよく紅桜べにざくら』と言われた私の実力う、見せてあげるわあっ!」

 空竜はやる気満々で、他の参加者など眼中にない。自分が出れば必ず優勝すると確信しているのだ。事実、これまでの様々な大会では軒並のきなみ勝ってきた。大半は、帝室に恥をかかせないための、「大人の事情」によってであるが。

 これで紫苑が負けたら、空竜はますます居丈高いたけだかになるだろう。しかし、勝ったら勝ったで、どんな仕返しをされるかわからない。

 悩んでいる紫苑を残して、空竜は堂々と舞台へ歩いていった。

 その手には、いつのまにか弓が握られている。

 空竜は弓をつがえると、舞台の端から、もう一方の端の的まで、矢を放った。全弾、的の真ん中に当たった。

「ふふ、今日も絶好調うっ!」

 観客の歓声の中、紫苑はその手練しゅれんに驚きを隠せなかった。ただのわがまま姫では、なかったのだ。

「そうとわかったら……、手を抜く必要はないわね」

 紫苑も呼ばれて、舞台へ上がった。

 人形ひとがたに切られた紙、九枚に、「影」と書いていき、紫苑の後ろに放った。人形から影が噴き出し、影人間が九体、三かける三の配置で誕生した。

「みんな! いっくよー!」

 紫苑が叫ぶと同時に、流行はやりの曲が流れてくる。それに合わせて踊る紫苑を、一糸乱れぬ完璧さで模倣する九体の影人間たち。当たり前だ、紫苑の影なのだ。しかし、完璧な一致を見せる踊りは、観客たちを驚かせるのに十分だった。

「……なんか、あのが歌い手になったら、みんなで後ろで踊ってもいいよな」

「あーおもしろかった!」

 ただかわいいだけでは、芸能界に入っても生き残れない。観客を惹きつけ続ける芸がなければ――。

 観客は、紫苑に票を入れた。

「姫様は、去年と同じだったから、入れなくていいよな」

 困ったのは、主催者の側である。姫を一位にしないわけにはいかない。

「二年連続か……、観客に飽きられるぞ……でも政府に睨まれたら大会は続けられなくなる……」

「あっ! そうだ、二年連続だ!」

 誰かがひらめいた。

 司会者が舞台に出て来た。

「ついに帝都美少女決戦大会、優勝者が決定いたしました!」

 ワーと拍手が起こる。司会者は汗を拭いている。そんなに暑い会場ではないのだが……。

 空竜はふふんと紫苑を見下ろした。勝利を確信している顔だった。

 顔では負けてないと思っている紫苑は、思わずむっと返した。

「優勝は――」

 すべての照明が消え、一瞬の暗闇。

「空竜姫です!!」

 パッと、空竜に光線が当たった。

 空竜は当然とばかりに観客に大きく手を振った。暗い側で紫苑は、動揺を隠しきれなかった。

「ですが――」

 ここで、空竜への光線が消え、再び照明がすべて消えた。

「え?」

 空竜があっけにとられていると、

「赤ノ宮紫苑さんを優勝としまーす!」

 オオーと、観客が大きな拍手を送った。

 光線の下で、紫苑はきょろきょろして、自分の身に起きたことを理解するのに手間取っている。

「なんでよお! 私が一番だったんでしょお!? なんで紫苑が優勝なのよお!!」

 空竜が食ってかかった。

 司会者はいまや滝のような汗を流した。

「姫様は、去年優勝されましたときに、芸能活動をしてくださいませんでしたね」

「え? それはあ、当たり前よ。お姫様が、女優や歌手なんてできるわけないじゃない」

「この大会は、人々の人気を得た一位の美少女を、芸能人として芸能界にも大衆にも売り込むために開いております。芸能人になれない方は、そもそも募集しておりません」

「えーっ!? そうだったのお!?」

 もちろん、ほんの三十分前に作られた規定だ。

「よって、紫苑さんが優勝です!!」

 ウオー、と客が盛り上がった。

「むむーうう!!」

 空竜はしばらく観客と司会者を睨みつけていたが、

「信じらんない!! 帰るう!!」

 弓をひっさげて、出て行った。

 司会者の汗は止まった。

「さあ紫苑さん、今のお気持ちをどうぞ!」

 司会者の言葉をかき消すように、客席から声がかかった。

「初舞台、期待してるよ!」

「ウサ耳衣装がいい!」

「水着姿きわどいのを頼むねー!」

「恥ずかしい歌詞も歌ってー!」

「踊りはお尻が命だぞー!」

「まあまあみなさん、まだ方向性は決まっておりませんし……」

 司会者がとりなすのを聞いて、それまで黙って客席に座っていた露雩が青筋を立てて立ち上がった。

「ふざけんなああっ!!」

 一瞬、客席が静まり返った。

「な、なんですかお客様、初舞台の前にお客様たちの好みを調べておきたいので、騒がないでもらえますか」

 司会者は客の要望を否定しなかった。

 露雩は一足で舞台に飛び上がると、紫苑の手をつかんだ。

「ちょっと、なんですかあなた!」

 露雩は、引き離そうとする司会者を押しのけた。

「この女はオレの妻だ!! お前たち、ちょっとでも手を出したら、歯が折れるまでめりこませるぞ!!」

 露雩が神剣・玄武げんぶを抜いた。これが顔に入ったら歯はおろか頭骨まで砕くだろう。

 観客は、抜刀騒ぎに悲鳴をあげた。

「け、警備係! 今すぐこの男を捕まえろ!」

 司会者の後ろから、警備係が棍棒こんぼうを持って走ってくる。

「紫苑。――飛ぶよ」

 露雩は紫苑を抱きかかえると、玄武から水流を出して、一気に野外会場の空へ飛んだ。

 大きな月と、星が出ていた。

 月明かりに照らされて、二人はとてもきれいな相手を見つめあった。

 露雩は、そっと彼の背中に手をまわした紫苑に口づけしようとして――、実は地上の人たちに丸見えなのではないかと気づいて、代わりにそっと抱き締めた。

 二人はそのまま、西の方へ虹のを描いて飛んでいった。

 残された会場は、まだざわめいていた。

「人妻かよ! サギだ!」

「なに怒ってんだよ。あんなの芸能人なら当たり前じゃん」

「なんで受付できたの?」

「一位も二位もだめじゃねえか! どうなってんだよこの大会!」

「お、お、お待ちください、しばらく、しばらくー!!」

 司会者は再び滝の汗に見舞われた。


 一年桜が、桜の花びらを永遠に散らせていた。

 紫苑は一人、その中央にたたずんでいた。

 桜橋。

 白虎びゃっこ門の先、これからの旅へ続く道。

 露雩が、自分のために怒ってくれたことが、嬉しかった。

「(お礼に、さっき言われたこと全部露雩にしてあげようかな)」

 いたずらっ子のように、肩を小さく揺らして笑った。

 そして、さっき彼の背中にまわした両手を見つめる。

「ずい分積極的になったものね、私も」

 それは空竜のおかげだろう。「がんばらないと取られてしまう」という状況が、紫苑を強くしてくれたのだ。

「絶対、負けるつもりはないけど、でも、ちょっとはありがとうって思っとこうっと」

 きっと露雩は私を選んでくれる――その期待する幸せに比例して、予言が重くのしかかる。

「どうして私でなくちゃいけないんだろう」

 紫苑はうつむいた。

「もし私が剣姫をやめたら、露雩と幸せに暮らしたいと望んだら、神様は――」

 別の剣姫が生まれ、そして世界は――世界は?

「もし別の剣姫が失敗したら?」

 世界が紫苑の望まない結末で終わる。露雩との楽しい暮らしも、はかなく終わってしまう。

「――っ、させるものか! 他人に任せて死ぬくらいなら、私の手で道を切り開いた先で死んでやる!」

 ああ、結局私は剣姫に戻るのか。決意を叫んでおきながら、紫苑はため息をついた。

「紫苑」

 露雩がやって来た。

「どんな力があっても、一人で世界のために戦えると思わないで。同じ志を持つ仲間に出会えたんだから、もっと頼りあってもいいんじゃないか。一人でなんでもしようとするな」

 この人は、いつも私の道を先回りして待っていて、一人で背負う私の歩調に合わせて、隣を歩いてくれる。

 紫苑は、世界を滅ぼしてもこの人だけは救いたい、と心底から願った。

「約束してくれる?」

「うん……!」

 うなずいた紫苑の首に、露雩は何かをかけた。

 紅水晶べにすいしょうでできた桃色の桜に、針入り水晶でできた黄色い葉脈の透明な紅葉が二枚くっついている、魔石ませきの首飾りだった。

「きれい……!」

 紫苑は感激してしばし首飾りに見入った。

 桜橋に着いたとき、露雩は一人、白虎門へ戻っていたのだが、これを買っていたようである。桃色と黄色だから、火気と土気の護りがある。

「さっきの大会の一位のお祝いだよ」

「ありがとう、でも本当の優勝は姫様で……」

 紫苑がうつむくと、

「何言ってるんだい?」

 露雩は紫苑の前髪をかきあげた。

「『オレの一位』のお祝いだよ!」

 そして、優しく笑って唇を近づけた。

 紫苑は驚いて嬉しくて混乱はなはだしいなか、ぎゅっと目をつぶった――

「あのー、夜桜の宴会始めていいかな?」

 いつのまにか桜橋は夜の花見客が集まりだしており、巻いたござを小脇に抱えた仕事帰りの人々が、紫苑と露雩を見物していた。

「えーっ!!」

 二人は事態に気がつくと、走って逃げた。

「くっ……! この世界に二人だけの場所はないのか!」

 珍しく露雩が悔しそうに歯を食いしばった。


 出雲と霄瀾は、夕食を済ませて風呂に行っていた。

 お互い遊んでいた十二支式神を、紫苑が戻した。

「まったく、何話してたんだか」

『へえ、お前たち特殊攻撃が専門なのか』

「えっ? 出雲?」

 紫苑は周囲を見回した。しかし、そばにいるのは露雩だけである。

「どうしたの紫苑」

「あっ!」

 九字の言葉を思い出す。式神が得た知識はあるじも知ることができる――。

『紫苑様はもう十分お強いから、適当な強さの式神がたくさんいても、かえって足手まといになるだけチュウ。チュウらは、紫苑様の完全支援役チュウ』

『なんで紙でできてんだよ? 紫苑ならもっと強い素材で召喚できるだろ』

『負荷をかけない分、知能が増すにゅるる。ガフたちは、紫苑様の友達として召喚されたにゅるる』

『そうか……』

 間違いない。出雲と十二体の会話を、主である紫苑が読み込んでいる。

「友達がいなくて式神を作った過去」を話すのは、とりあえず本人の了解を得てからにしてほしい。

『オレたちが支えてやらなきゃな』

『もちろん!』

 十二体がみんなで返事した。

「(もう……、私はたくさんの人と関わって、いろんな想いを知って成長したのに、みんなったら……)」

 紫苑が苦笑したとき、

『まず露雩は、一人で生きていける紫苑を、旅が終わったあとまで守ってやりたいとは思わないだろうしな』

 出雲の言葉に、紫苑の顔から血の気が引いた。

『次に苦しんでる奴のもとへ、行っちまうだろうからな』

 紫苑の足元がよろめいて、露雩が支えた。

「どうしたの紫苑?」

 役得でそのまま抱き締めてくる露雩を見て、

「ご、ごめん、ちょっと水飲んでくる」

 顔をそむけて、部屋から走り出た。

 こぼれた涙を見せないように。

「(出雲は露雩のことをわかってる! そうよ、あの人は誰かを救うために生きてるような人なのよ、剣姫の結末がうまくいったとしても、)使命を終えた私から、去ってしまう!!」

 最後の言葉を窓のさんに手をついて吐き出してしまった。何も見られない。閉じた両目から、あとからあとから涙が流れた。

「私は、どんなに生きても、救われないの――!!」

 月は、紫苑の玉の涙を次から次へと光らせていた。

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